1957年(昭和32年)8月5日(月)晴・くもり
6:45 出発 松ヶ崎
7:30 朝食 本荘市 飯、缶詰(カツオ・イワシ)
11:45 昼食 小砂川 パン3
12:15 出発
15:40 夕立 遊佐町
16:10 夕立上がる
17:20 余目町着
余目中学校宿泊
夕食 飯、イカの煮物、味噌のシソ巻き、やたら漬け
本荘市で朝食を取った時、店主のグランドバンチャンが十和田湖の伝説を教えてくれた。俺は飯を食うのに気を取られよく聞けなかった。小砂川に入って俺の自転車またパンク。昼食を取りながら直してもらう。少し進んで山形県に入ると吹浦でまたもパン、わざわざ吹浦の町に入り直してもらう。余目中では衛生室のベットに寝たが、夜中寝返りを打ってベットから転落する。一生の不覚であった。
パンクにより思うような走行距離を稼げなかった。当時の自転車はサイクリング車とか軽快車などというものはなく、スタンドも大きく全体的にがっしりした重いものでした。それに砂利道と来てるのでパンクも多く自転車業としての生業ができたのでしょう。この頃小坂一也の歌うサイクリングの歌がはやり、時折小さな子供から「サイクリング、サイクリング、ヤホーヤホー」と声を掛けられました。今は‘保健室’ですが当時は‘衛生室’って言ってたんですね。
6:45 出発 松ヶ崎
7:30 朝食 本荘市 飯、缶詰(カツオ・イワシ)
11:45 昼食 小砂川 パン3
12:15 出発
15:40 夕立 遊佐町
16:10 夕立上がる
17:20 余目町着
余目中学校宿泊
夕食 飯、イカの煮物、味噌のシソ巻き、やたら漬け
本荘市で朝食を取った時、店主のグランドバンチャンが十和田湖の伝説を教えてくれた。俺は飯を食うのに気を取られよく聞けなかった。小砂川に入って俺の自転車またパンク。昼食を取りながら直してもらう。少し進んで山形県に入ると吹浦でまたもパン、わざわざ吹浦の町に入り直してもらう。余目中では衛生室のベットに寝たが、夜中寝返りを打ってベットから転落する。一生の不覚であった。
