モスクワの思い出を掲載している「不空」さんの番外編です。
不空は新しいペンネームです。(遅足)
オーストラリアにカウラを訪ねたことがあります。
第二次大戦中捕虜になった日本集団脱走してほぼ全員が射殺されたそうです。
シドニーからレンタカーで向かう途中キャンベラに立ち寄り
軍事博物館を見学、シドニー湾を攻撃した特殊潜航艇が展示されていました。
カウラの町でモーテルを取り、翌朝記念公園と墓地に。
墓には名前がなく、年月や場所、パイロットなど軍歴のみ。
怪我をして図らずも捕虜となった軍人が黙秘をしたためか。
日本人の桜の植樹が行われ、歴代首相の名前も。
広大な緑地に捕虜収容所があったようだが一部に建物の土台が残るのみで
静かな牧草地帯が広がっていました。
ここに日本人とイタリア人の捕虜が二分されて収容されていました。
ある晩日本人捕虜が集団で脱走、厳重な鉄条網とサーチライト、
監視塔に機関銃が配置され、殆どの日本人が射殺されたそうです。
一部逃げたものもいたが、すぐに連れ戻されて脱走に成功した者はなし。
一方イタリア人は陽気に過ごし、終戦後お国に帰ったとのこと。
「生きて虜囚の辱めを受けず」とは東条英機の言葉でしたか。
上級軍人が守るべき戦陣訓を一般の兵士に求めるとはあきれて物が言えません。
もっと大きな問題は捕虜の家族、一族が受ける侮辱だったのではないでしょうか。
捕虜がもし戦争が終わって帰国したら、自分や家族がどういう扱いを受けるか、
それを考えると帰りたくても帰られない。
唯一の選択肢は集団脱走という自殺行為だった。
村社会、共同体意識、隣百姓、金太郎飴、いじめ問題、などなど
日本は何も変わっていないような気がします。

応答の一日一句
遠雷や戦最中(いくささなか)の国にあり 孝
遠雷や音消し見入るラブシーン 亜子
不空は新しいペンネームです。(遅足)
オーストラリアにカウラを訪ねたことがあります。
第二次大戦中捕虜になった日本集団脱走してほぼ全員が射殺されたそうです。
シドニーからレンタカーで向かう途中キャンベラに立ち寄り
軍事博物館を見学、シドニー湾を攻撃した特殊潜航艇が展示されていました。
カウラの町でモーテルを取り、翌朝記念公園と墓地に。
墓には名前がなく、年月や場所、パイロットなど軍歴のみ。
怪我をして図らずも捕虜となった軍人が黙秘をしたためか。
日本人の桜の植樹が行われ、歴代首相の名前も。
広大な緑地に捕虜収容所があったようだが一部に建物の土台が残るのみで
静かな牧草地帯が広がっていました。
ここに日本人とイタリア人の捕虜が二分されて収容されていました。
ある晩日本人捕虜が集団で脱走、厳重な鉄条網とサーチライト、
監視塔に機関銃が配置され、殆どの日本人が射殺されたそうです。
一部逃げたものもいたが、すぐに連れ戻されて脱走に成功した者はなし。
一方イタリア人は陽気に過ごし、終戦後お国に帰ったとのこと。
「生きて虜囚の辱めを受けず」とは東条英機の言葉でしたか。
上級軍人が守るべき戦陣訓を一般の兵士に求めるとはあきれて物が言えません。
もっと大きな問題は捕虜の家族、一族が受ける侮辱だったのではないでしょうか。
捕虜がもし戦争が終わって帰国したら、自分や家族がどういう扱いを受けるか、
それを考えると帰りたくても帰られない。
唯一の選択肢は集団脱走という自殺行為だった。
村社会、共同体意識、隣百姓、金太郎飴、いじめ問題、などなど
日本は何も変わっていないような気がします。

応答の一日一句
遠雷や戦最中(いくささなか)の国にあり 孝
遠雷や音消し見入るラブシーン 亜子