HARD HEAD

旅行 社寺

岩国城

2014-11-02 09:32:03 | 
 2014.10.27~10.31 山陽道(中国地方)の9城を巡ってきました。東京からのぞみ3号で広島へ

       在来線に乗換 岩国駅(11:07)到着、市営バスで錦帯橋まで約20分。ロープウエイ

       12:00発には十分間に合いました。岩国城から登城が始まります。



  岩国駅のバス乗場でセット券を買うと便利です。







  岩国城 日本100名城 吉香公園の背後、屏風のようにそびえる城山の頂上に、桃山風南蛮造り

      の天守閣を構えている。関ヶ原の合戦後、出雲富田12万石から岩国3万石に封じられた

      吉川広家が、1608年に築城。錦川を天然の外堀とし、川の東に城下町を、西に居館を

      築いたが、一国一城令により、毛利家の支藩とみなされた岩国藩の城は破却。

      以来、藩主の居館において政治が行われた。



  錦帯橋を渡る。



  槍倒しの松 



  香川家長屋門 山口県の指定文化財。岩国藩五家老の一つ香川正恒が

         元禄前期(1693年頃)建立したものと伝えられている。



  旧目加田家住宅 国指定重要文化財 18世紀中頃とみられる中級武家屋敷。目加田家は、

          吉川家が岩国へ移る前からの家臣で、吉川家と共に、この地に居を構えた。







  ロープウエイより眺めた居館跡(吉香公園他)、城下町跡。



  城郭案内図



  大釣井 本丸の西下、水の手曲輪にある。1608年山頂の要害築城時に掘られた大井戸。

        非常時に武器弾薬を収納する、あるいは非常脱出口を兼ねていたという説もある。



  旧天守台 1995年に復元。破壊された天守台の下部4分の1の古式穴太積を発掘し、それをもとに

       吉川氏独自の石積技術を加味して復元されている。なお山城は屈折を多用した総石垣

       であり、南東方向の防御を重視していた。



  空堀跡 当時の城郭は平城が多く山頂に城郭を築き防衛を主体とした空堀を山上に

     築造したのは、全国的に際めて珍しい。空堀は「幅約19.6m、深さ約10m、長さ58.2m」

     と日本最大級の箱掘で敵の鉄砲による攻撃を意識したもので、

     空堀の部分には石垣は築かれていない。



  北の丸跡 本丸の北東、空堀に挟まれた位置にあり、東櫓、北櫓が建てられていた。東西50m、

       南北50mの台地で、北側には400年前の築城時の石積があり、往時を偲ぶことができる。





  天守閣(再建)吉川広家によって1608年本丸北隅の山陽道が眼下に見える所に築城され、

       桃山風南蛮造り、三層四階に物見を置く様式であったが、1615年江戸幕府の

       一国一城令で破却された。現在の天守閣は1962年旧天守台から南へ約50m、

       古図面をもとに再建されたものである。





  最上階物見からは 眼下の吉香公園、錦川、錦帯橋、旧城下町の街並み、

           更に瀬戸内海の島々の展望が素晴らしい。









  二の丸から見た天守閣



  二の丸跡 長さ110m、幅50m余りで、大手側と南側に築城当時の石垣が残っている。





  大手門跡と大手門の虎口 右二の丸石垣、左出丸跡石垣。



  二の丸跡南側築城時石垣。



  居館跡の水掘 建物は錦雲閣。



  旧吉川邸厩門 



  山城を望む。 この後見学した順番は後先になりますが錦帯橋周辺を散策する。