「神々廻坂下」バス停。
「白井橋」を渡ると、「神々廻」地区へ。この「神々廻」は何と読むか? 「ししば」と読みます。
「ATOK」では一発で変換できます。難解地名の一つです。いわれは?
東西南北(四至)を狭い谷津で仕切られた,すなわち四至(しし)に狭間がある場所という説があるようですが。それにしても、後から「神々」が「廻る」という漢字をあてはめたのにも、何か、いわれがありそうですが。
坂にさしかかります。
植栽をめぐらした旧豪農らしきおうち。
「ヒバの生け垣」? あまり見かけませんが、見事。
右手に小さな祠。
この花の名は?
奥に「ようこそししばへ」という看板が。
坂上から振り返る。
大きな竹薮。
「神々廻」バス停。
街道沿いには大きな屋敷が目につく。
「神々廻木戸」バス停。
路傍に「馬頭観音」など石塔が三基。
道標を兼ねる。 「右 うらべみち 左 ひらつかみち」(「手賀沼」の南にある地名)。
のどかな田園風景。
しばらくは、ほぼ直線の道を進む。
1880年代のようす。人家のない一本道。
2010年代のようす。街道の道筋は昔と変わらない。周囲には田畑が広がる。
「十余一」という地名が。「とよいち」と読みます。
江戸幕府が設置した馬牧(印西牧)の一部であったが、1869年(明治2年)に開墾された13の入植地のうちの一つで11番目の入植地。
初富(はつとみ)《鎌ヶ谷市》、二和(ふたわ)《船橋市》、三咲(みさき)《船橋市》、豊四季(とよしき)《柏市》、五香(ごこう)《松戸市》、六実(むつみ)《松戸市》、七栄(ななえ)《富里市》、八街(やちまた)《八街市》、九美上(くみあげ)《香取市》、十倉(とくら)《富里市》、十余一(とよひと)《白井市》、十余二(とよふた)《柏市》、十余三(とよみつ)《成田市》
このうち、一回も足を踏み入れたことがないのは、「七栄」、「九美上」、「十倉」、「十余二」。
この先の信号で、「現木下街道(県道59号線)」は左に曲がり、旧道は右に進みます。
右手に「ウエルシア白井十余一店」。
県道前方に「鮮魚街道」との交差点にある鳥居が。
来た道を振り返る。
右手角に石塔。
「一億供養塔」。
この石塔は寛政十一年(1799)に造立されたもので、正面に浄土宗の祐天上人揮毫(きごう)と考えられる六字名号「南無阿弥陀仏」、背面には「一億供養塔」、側面には「大もりむら みち」「ふさむら みち」の文字が彫られ、道標(みちしるべ)を兼ねていたことが分かります。今は位置が変わっていますが、本来はこの付近にあった鹿嶋道(木下街道)の分岐点に建てられていたものです。
本石塔の建つ位置は江戸幕府によって設置された印西牧の範囲に位置しており、牧の中の数少ない近世の石造物であり、また、文政8年(1825)渡辺崋山の四州真景図で紹介されているほか、明治3年(1870)の市指定文化財「印西牧場之真景図」でも描かれている(写真下赤線枠内)、本市の歴史上重要なものです。
(この項、「」HPより)
この先、旧道は、「千葉ニュータウン」内で、消滅(「木刈4丁目」付近)。広大な住宅街を歩いて、北総線「千葉ニュータウン中央駅」に向かいます。
この付近の今昔。↓が分岐点。
1880年代のようす。斜めの道が「木下街道」。
2010年代のようす。旧道はすっかり消滅。
右手奥には昔からのおうちも。
整然と建ち並ぶ住宅の中を進む。
駅前のようす。企業の高層ビルが。
↓、→が旧道。
千葉ニュータウン
千葉県北西部の3市(西から順に白井市、船橋市、印西市)にまたがり、首都圏においては多摩ニュータウンや港北ニュータウンに次ぐ大規模ニュータウンである。東西約18キロメートル・南北2 - 3キロメートルに広がり、総面積は約1,930ヘクタール。1966年に千葉県が単独で事業を開始し、1978年に宅地開発公団(現在のUR都市機構)が参画した。印西市においては最も人口が多いエリアである。
北総線および国道464号に沿って発展しており、広大な土地を利用し大型商業施設が相次いで進出している。また、それにより北総エリアにおける一大ショッピングゾーンを築いている。
千葉ニュータウン中央駅および印西牧の原駅周辺は、多くの企業が進出し、印西市における経済・産業の中心地となっている。また、関東平野の中で活断層が無く岩盤が強固とされることから、防災上の理由で多くの金融機関が千葉ニュータウン内に事務センターや郵便局の東日本貯金事務計算センターを配置している。 東日本大震災以降、災害へのリスクヘッジとして、大企業が千葉ニュータウンを拠点に置くことが増えたと同時に、北千葉道路の一部開通により、東京都心と成田国際空港の中間に大敷地でアクセスが良いのが注目され、物流倉庫が多く建設された。別名「物流城下町」と呼ばれている。宅地造成やマンションの建築も盛んであり、分譲地には有名ハウスメーカーが競争して販売している。
ニュータウン地区の町並みは計画的にデザインされ、豊富な商業施設とマンションなどの住居、企業などの職場が有機的に配置され、交通アクセスの利便性を備えた、極めて住みやすい街並みとなっている。一方、ニュータウンの事業区域の周囲には幅広く自然の里山風景が広がっており、動植物とのふれあいやサイクリングなど各種スポーツで自然との共生を楽しむことができる。また、草深原のような貴重な自然も残る。
多摩ニュータウンが丘陵を切り崩して開発したため、坂が多い地形であるのに対し、千葉ニュータウンは平坦な北総台地であることから坂が少なく、高齢者にとって歩きやすい街になっている。『週刊東洋経済』の「住みよさランキング」では、千葉ニュータウンの中核となる市域である印西市が、総合評価で日本第1位に7年連続(2012 - 2018年)でランクインし、住みやすさについて極めて高い評価がなされている。(「Wikipedia」より)
うーん! ずいぶんと高評価されています。野次馬的には「もっと人口増を望んだが、結果、失敗したのでは」と。
都心に通うのに高額な運賃がかかり、「財布落としても定期落とすな」と揶揄されたことも。
「千葉ニュータウン中央駅」周辺。土曜の昼下がりのせいなのか、あまり人通りもなさそうで、閑散とした印象。他の地域はまったく分かりませんが。
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