「熊谷駅」に着いて、もう一箇所探索したいところがあります。それが「東武鉄道 熊谷線跡」。
久々の廃線跡歩きです。
「熊谷線」は、熊谷駅から妻沼駅までを結んでいた東武鉄道の鉄道路線。地元では妻沼線(めぬません)とも呼ばれていた。
もともと軍の命令で建設された路線で、第二次世界大戦末期に、群馬県太田市の中島飛行機(現・SUBARU)への要員・資材輸送を目的として、熊谷駅 - 東武小泉線の西小泉駅間の建設が計画され、第一期工事区間として1943年(昭和18年)12月5日に熊谷駅 - 妻沼駅間が開業した。
熊谷市石原付近(上熊谷駅 - 石原駅中間地点のやや石原駅寄り、かつての熊谷線と秩父鉄道の分岐点)で秩父鉄道をオーバークロスして秩父鉄道の南側に平行して建設、熊谷駅南側に熊谷線のホームを設置する予定であったが、そのための盛土を構築する時間はないため秩父鉄道の複線化用地と熊谷駅ホームを借用し、熊谷駅 - 上熊谷駅 - 熊谷市石原付近を仮線として開通した。軍事路線であったため、ほぼ一直線に邑楽郡大泉町を目指すルートとなっている。住民の生活路線として建設されたものではなかったので、沿線の集落、交通を考慮したルートではなかった。
しかし、第二期工事区間である新小泉駅 - 妻沼駅間開通前に終戦を迎え、戦後、治水上の都合から工事の中断は直にはできず、利根川を渡る橋梁の橋脚部分が完成するまで行い終了した。そのため、利根川を挟んで南北に分断された形で営業を行うことになった。その南側が熊谷線である。なお、橋脚は1979年(昭和54年)に撤去されたが、堤内の1脚のみが群馬県側に残っている。
東小泉駅 - 熊谷市石原付近まで複線化用地があったが、急を要するため一部の路盤は単線分しかなく、残った用地での耕作は事実上黙認され、熊谷市、妻沼町の台帳に登録されていない幻の耕地ということになり、戦後の食糧難時にそこで収穫された物はヤミ食料として出回ったといわれ、熊谷線はヤミ食料の買い出しで大変混雑した。今でも水田の中にある杭までが東武鉄道の所有地である。
開通以来赤字続きだったこともあり、1983年(昭和58年)5月31日の運行限りで廃線となった。
開通当初は、館林機関区所属の蒸気機関車B2型27・28号機牽引で運転されていた。熊谷駅 - 妻沼駅間は工員輸送しか行われず、資材輸送は行われなかった。日夜を違わずピストン輸送が行われ、妻沼駅から工場までの連絡は東武バスによって刀水橋を経由して行った。妻沼駅に着いた列車からバスへの乗り換えがうまくいかないと憲兵が飛んできたそうである。また熊谷線は米軍機による被害はいっさい出さなかったが、乗務員は乗客を守るために米軍機を見つけると木立の陰に列車を停車させ隠すなどしていた。
終戦後は工員輸送も終わり、利用者の比較的少ない熊谷線は本線よりも低質な石炭をまわされたため、高崎線とのオーバークロスで蒸気機関車の蒸気圧が上がらないために勾配を登るのが大変で低速運転となり「埼玉県立熊谷商業高等学校の生徒たちはあまりに遅いので列車を飛び降り、土手を下って学校に行ってしまった」という話も聞かれた。後にはやや改善したものの、その鈍足ぶり(熊谷 - 妻沼間10.1キロを24分)から、沿線乗客には揶揄混じりの「のろま線のカメ号」「カメ」と呼ばれていた。
1954年(昭和29年)に旅客列車の無煙化を図り、3両導入した東急車輌製の気動車キハ2000形は17分で走破し、またその姿から「特急カメ号」という呼び名で親しまれた。しかしその後「特急」の部分が取れてしまい、「カメ号」に戻った。
熊谷線で使用されていたキハ2000形。
(熊谷市立妻沼展示館の保存車キハ2002)
(以上、「Wikipedia」参照)
1970年代のようす。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)
この時点ですでに廃線化されているような様子ですが。
その廃線跡が公園、遊歩道として残されています。「中山道」歩きのときに公園の一画に立ち寄りました。その時以来、気になっていた廃線跡です。
(「」HPより)
ということで、廃線跡をたどっていきます。
秩父鉄道線の隣に途切れた線路。熊谷駅方向。
この先、踏切の向こうには線路が続きます。右はJR高崎線。
秩父鉄道・上熊谷駅。
「国道407号線」の陸橋から西を望む。
草地の続くところに線路が。
次の踏切から熊谷駅方向を望む。
西を望む。左は新幹線の高架。
新幹線、秩父鉄道、熊谷線(跡)、JR高崎線(上野東京ライン・湘南新宿ライン)と並んでいます。
この先で高崎線は右に曲がっていきます。秩父鉄道と併行して熊谷線(跡)が進みます。
線路はそのまま残っています(右手奥)。
新幹線敷地と秩父鉄道との仕切りには枕木が。
次の踏切から廃線跡を望む。この先で秩父鉄道と離れ、右方向に進む「熊谷線」。右奥の茂みまで続く線路。舗装道路にも跡が。
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