おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

房総東往還・伊南房州道往還。総集編。第6日目。外房線「三門駅」~「御宿駅」。

2024-02-25 20:15:35 | 房総東往還

12月9日(土)。晴れ。

外房線「三門駅」。

旧道に復帰します。街道は、「国道128号」のう回路になっているのか、車の往来がけっこう多い。

「日在(ひあり)踏切」。

               

右手の土手は、「大山堰」。

左手には外房線。

右手からの道と合流。道端には、「日在城址」碑。

住宅地に入っていきます。

旧道らしくカーブし、狭い道の両側には住宅が立ち並び、生垣も道路ギリギリまで。さらに、車の往来がけっこう激しい。

けっこう飛ばして通過する車、すれ違う車が気になり、避けるので精いっぱい。周囲を見回す余裕がありません。

手入れの行き届いた槇の生垣が続きます。

水準点。奥に田畑が広がる。

「三省学校跡」碑。

明治の初期に安藤誠道はこの地に三省学校を設立した。普通部・英語部があり、熱心な若者がここで学んだ。明治33年に閉校する。 大原町文化財保護協会

右手には田畑が山裾まで大きく広がる。

「いすみ市立東海保育所」。

ここまで来てやっと道幅も広くなり、歩道もあります。それまでのヒヤヒヤしながらの歩きから解放され、やっと一安心。

「国道465号線」深堀バイパスとの交差点に。

           房総らしい低い山並みが見える。

「宮元橋」で「新田川」を越えます。

すぐ左折し、しばらく「新田川」に沿って進むと、「いすみ鉄道」の踏切を渡ります。

「房総街道踏切」。

いすみ鉄道の鉄橋。

右手に「木戸泉」酒造。

              

向かいには「ギャラリー泉」。

石造っぽい見えるが、木造モルタル。三連の半円アーチ窓の隣に何故か一枠のみアーチでなく、シンメトリーを崩している。  

 振り返る。

古い商家の趣。

大原駅。

元酒屋さんらしい。

道筋に、こうした廃業したお店が目立つのは、残念です。

現役のおうちが二棟。

               かつての曲尺手(桝形)の名残でしょうか? 

県立大原高校付近。

     

外房線の踏切を越えます。

「第一房総街道踏切」。

踏切を渡ってすぐ左折します。

左手にジグザグに旧道が残っています。左に折れて、今度は右に折れます。

その向かいの左の角に、天保9年建立の「追分回国供養塔道標」があります。

正面上部  如意輪観音半跏座像。
  下部左 「四國西國/秩父坂東」
  下部右 「此方、かつうら/ぼう志ふ なこ/こみなと みち」(勝浦/房州那古/小湊道)
  右側面    右指差し図、下に「古はまみち」(小浜道)
  左側面    左指差し図、下に「一の宮 江戸/きよみづ、道」

この道が江戸時代からの伊南房州通往還(房総東往還)だったことが分かります。

    

この先で県道に合流します。

さらに「国道128号」に合流。

右側に立派なおうち。

右側に「瀧泉寺」門前のイチョウ。

                 「平(上総)広常公お手植えの大銀杏」。

前方左に森が見えてきます。

森の近くで、「伊南房州通往還」は国道から離れて、右に向かいます。

外房線「浪花駅」方向へ進みます。

道筋には住む人がいない、荒廃した家屋がいくつか。

崩れ落ちた家。

      

どれくらい経過したのか?                

水準点が設置され、かつての主要道であることが分かる。

旧道の左奥に「旧伊南陣屋移築表門」があるようです。

             (「Googleマップ」より)

外房線「浪花駅」。

※今回の目的地「御宿駅」の、一つ手前の駅。

右手にホーム。

川沿いの道を進む。               

のどかな「田舎」道風。

振り返る。

この先で、国道に合流しますが、すぐ右の道へ。 

しばらくのんびりと歩く。

大原台への高架橋をくぐる。

      特急「わかしお7号」が通過中。

「安房鴨川」行き。

「国道128号」に近づきます。土産屋「やまか水産」の裏手。

「第三やまか丸」という漁船。

国道に復帰します。

しばらく「国道128号」を進みます。御宿町に入ることに。

この先で、国道から右に分かれて進む。

外房線の踏切を越えます。

「第二房総街道踏切」。

しばらく線路沿いに進みます。

山道を行く雰囲気。 

舗装されていますが、車が来たら大変! しかし、幸いに小型車二台と、すれ違っただけでした。

切通しの道が続く。

前方が開け、やっと広い道に。

外房線を越える。

国道128号に合流、御宿町に入ります。

     街路樹が南国的な雰囲気。

風はけっこう強いですが、青空の下、御宿町に入っていきます。

  どんな商いをしていた建物なのか? 

今は廃業中。

「伊南房州通往還(房総東往還)」はこの先の交差点を右折します。

「御宿小学校」正門前を左折。

                    

この三叉路を右に。

「ロペス通り」を突っ切り、向かいの細道へ。「ロペス通り」。海岸方面を望む。

この細道が旧道にあたるようです。

「清水川」に突き当たります。

旧道歩きはここまで。この後は、海岸へ向かいます。

※当時は、「濱村」。

「清水川」河口。

「月の沙漠記念公園」へ。

童謡『月の沙漠』の中で登場するラクダに乗る姫と王子の像

月の沙漠記念公園の中にある月の沙漠記念像は、童謡『月の沙漠』の中で登場するラクダに乗る姫と王子の像となっています。

御宿海岸の美しい砂浜からアラビアの情景を思い浮かべて作られたとも言われている。

ラクダに乗っていることからラクダ像とも呼ぶ人も多いです。

このラクダ像は2代目で、1990年7月に建てられました。初代の像は、姉妹都市の長野県野沢温泉村に寄贈されています。

(この項、「」HPより)

           

晴天ですが、風が強く、歩いている人もいません。

    足跡もほとんどなく、              

             

1 月の沙漠をはるばると
旅の駱駝がゆきました
金と銀との鞍置いて
二つならんでゆきました

2 金の鞍には銀の甕
銀の鞍には金の甕
二つの甕はそれぞれに
紐で結んでありました

3 さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人はおそろいの
白い上衣を着てました

4 広い沙漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧にけぶる月の夜を
対の駱駝はとぼとぼと

砂丘を越えてゆきました
黙って越えてゆきました

加藤まさを」レリーフ。

帰りの列車の時間が近づいたので、駅に向かいます。

「ロペス通り」。

                 「ロペス通り命名趣意碑」。

1609年(慶長14年) メキシコのガレオン船サンフランシスコ号は、折からの暴風雨で岩和田田尻海岸で沖で座礁してしまいました。村人たちは総出で救助にあたり、乗組員376人のうち317人を助けました。
中でも若い海女たちは素肌で遭難者を温め蘇生させたと伝えられています。この史実をもとに昭和53年 御宿とアカプリコは姉妹都市となり、同年行われたメキシコ記念塔建立50周年記念式典には メキシコのホセ・ロペス・ポルティーリョ大統領が来訪し「エルマーノ!」(兄弟よ)私はやってきた」と歓呼し 歴史に培われた友情をさらに深めました。このロペス大統領の来町を記念し この通りを「ロペス通り」と名づけました。

御宿駅。 


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