1938(昭和13)年、日立製作所亀有工場が足立区大谷田町、現在の大谷田団地および中川下水処理場一帯(JR常磐瀬・亀有駅の北東、西新井に向かう「環七」が、大きく西にカーブするあたり。)にできました。最盛期には2万人以上の従業員が働き、戦時中には、戦車など兵器が作られていました(ちなみに、飯塚橋の通りは「戦車街道」とも呼ばれていた)。
この工場を「亀有日立」と地元の人は呼んでいました。現在も周辺には日立関連企業があります。
戦後、大型重機などを製造していましたが、都内にあった大規模工場の地方移転策により、1974(昭和49)年に土浦工場に統合され、操業を終えました。
「亀有日立」への引き込み線の跡が一部に残っていて、現在、住宅地になっています。高架線となっているJRが、亀有駅を出発して金町に向かうところ。
航空写真で見ると、まるで貨車が連結されているかのように見えます。
2010年代のようす。






1970年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。上方に「亀有日立」の工場があったが、跡地はほとんど更地に。引き込み線も廃線となって線路跡の部分はすでに建物が建っている。残された常磐線との分岐点付近のみ整地が進んでいる(→)。





(「今昔マップ」より。注:↓「正法禅庵」の位置は変わっていない、と思われる)















