京王井の頭線神泉駅。渋谷から地下を通りちょっとだけ地上の顔を出した駅。この辺りは坂道が多いばかりか、一方通行やら細道やらでけっこう歩くのはしんどい。まして炎天下。辛いものがあります。でも、松濤町まで来ると、高級住宅街という雰囲気。大きな邸宅、それも趣のある建物が並んでいます。それでも、アップダウンのある道筋です。
その入り口ともいうべきところにあるのが、鍋島松濤公園。ここは、湧水池を中心に、上り下りのある道を配置してその周囲には各種草花が彩っています。
元々この辺りは、江戸時代には紀州徳川家の下屋敷があったところ。明治4年に佐賀の鍋島家に払い下げられました。「薩長土肥」と並び称せられているように、肥前(今の佐賀県)の人間達が明治維新実現の一翼を担い、新政府の中枢になっていったことにもよるのでしょう、徳川家の土地を貰い受けたということになるのか。
鍋島家は当地に茶園を開き「松濤園」と名付け、「松濤」という名で茶の販売も行っていました。たしかにこの辺りの地形は、狭山辺りのような、丘陵地帯の面影を残している地形で、高い建物や家々がなければ、その雰囲気をしっかり感じることが出来るようです。
お茶の栽培が行われていたのも肯け、公園の名前もそれに因んでいます。その後、茶園は廃止され、湧水池のある一角が公園として整備されました。写真の池は湧水池で、渋谷界隈でも数少ない湧き水のひとつとなっているようです。
かつての武蔵野丘陵の面影を彷彿させるような静かな公園で、それにふさわしく水車も回っていました。小さくてもいいから、ちょっとした空き地でお茶を育てて昔の面影を偲ぶのもいいと・・・。美術館が二つもあって、文化の香りのする街でもあります。
丘の上からしばらくだらだらと東に下りていくと、もうそこは賑やかな渋谷の街です。
その入り口ともいうべきところにあるのが、鍋島松濤公園。ここは、湧水池を中心に、上り下りのある道を配置してその周囲には各種草花が彩っています。
元々この辺りは、江戸時代には紀州徳川家の下屋敷があったところ。明治4年に佐賀の鍋島家に払い下げられました。「薩長土肥」と並び称せられているように、肥前(今の佐賀県)の人間達が明治維新実現の一翼を担い、新政府の中枢になっていったことにもよるのでしょう、徳川家の土地を貰い受けたということになるのか。
鍋島家は当地に茶園を開き「松濤園」と名付け、「松濤」という名で茶の販売も行っていました。たしかにこの辺りの地形は、狭山辺りのような、丘陵地帯の面影を残している地形で、高い建物や家々がなければ、その雰囲気をしっかり感じることが出来るようです。
お茶の栽培が行われていたのも肯け、公園の名前もそれに因んでいます。その後、茶園は廃止され、湧水池のある一角が公園として整備されました。写真の池は湧水池で、渋谷界隈でも数少ない湧き水のひとつとなっているようです。
かつての武蔵野丘陵の面影を彷彿させるような静かな公園で、それにふさわしく水車も回っていました。小さくてもいいから、ちょっとした空き地でお茶を育てて昔の面影を偲ぶのもいいと・・・。美術館が二つもあって、文化の香りのする街でもあります。
丘の上からしばらくだらだらと東に下りていくと、もうそこは賑やかな渋谷の街です。