所用のついでと言っては申し訳ないですが、調布の深大寺(じんだいじ)にちょっと立ち寄りました。
深大寺は、天台宗別格本山の寺院。山号は浮岳山。 浅草・浅草寺に次ぐ都内第二の古刹です。武蔵野台地、「ハケ」国分寺崖線の斜面に抱かれる形で、ゆたかな泉の湧く場所に建てられています。隣接する東京都立神代植物公園は旧寺領でした。
深大寺の由縁、歴史は、『深大寺真名縁起詞書』それを仮名交じり文に改めた『深大寺仮名縁起詞書』、さらにそれを絵にした『深大寺縁起絵巻』によって伝えられています。
『縁起』によれば、深大寺を開いた満功上人(まんくうしょうにん)の父、福満が、郷長・右近の娘と恋仲となりましたが、右近夫妻はこれを悲しみ、娘を湖水中の島にかくまってしまいます。時に福満は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の故事を思い浮べ、深沙大王(じんじゃだいおう)に祈願して、霊亀の背に乗ってかの島に渡ることが出来たのです。娘の父母もこの奇瑞を知って二人の仲を許し、やがて生まれたのが満功上人であったと伝えています。
長じて満功上人は、父福満の宿願を果すために出家し、南都に法相(ほっそう)を学び、帰郷後、この地に一宇(いちう)を建て深沙大王を祀りました。時に天平五年(七三三)、これが深大寺開創の伝説であります、と。
古来、深大寺の境域は清水にめぐまれ、その流れは、かつては下流の田を潤してきました。古代、その水を求めて集まった人々の泉に対する感謝の心は、「水神信仰」を生んだのでしょう。(今も、調布市の水道資源の一つが深大寺境内付近にあります。)
深沙大王は本来、疫病を除き、魔事を遠ざける効能のある神とされています。唐の玄奘三蔵が経典を求めて天竺に赴く途次、砂漠での難を深沙大王が救ったという説話は有名。
深大寺釈迦堂に奉安されている白鳳釈迦如来倚像は、1913(大正2)年、旧国宝に指定され、東国随一の古仏として全国的に有名になりました。
また、深大寺では土地柄、昔から蕎麦をつくり、すでに徳川時代には深大寺蕎麦として、将軍家や上野東叡山にも献上され、また蜀山人などが大いに喧伝、来詣者に賞味されてきました。
さらに、近年境内には多くの俳人・歌人の碑が建立されています。蕎麦をめでながらその足跡を訪ねる参詣者も多いようです。
深大寺の寺歴の中で消長、興亡を経ながら伝承されてきた信仰、それを育んできた水も緑も、そしてまた蕎麦も深大寺の大切な財産・生命なのでしょう。
江戸時代文化年間の紀行文『遊暦雑記』は、
「この村は幾処となく溪あり坂あり、高低定めがたくて莫大に広し…実も、深大寺の辺は大樹繁茂し、野猿の清澄(せいちょう)、澗水(かんすい)の音のみ聞えて更に一切の俗事をはなれ、寂々寥々(じゃくじゃくりょうりょう)として心月を観ずるべき勝地ならんかし」と伝えています。
現在は、NHK総合TVで放映中の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の舞台として全国的に有名になりました。エンディングでは、市民から募集した「調布の風景」の写真が流れています。どれもすてきな写真です。
私もすこしあやかって写真を撮ってきました。慌ただしい、つかの間の散策を楽しみながら、都会の喧噪と暑さをひととき忘れることが出来ました。もちろん、十割そばもしっかり味わってきました。
茅葺きの山門
本堂の脇に置かれた?
木漏れ日
元三大師堂奥の滝の流れ
高浜虚子の句。「遠山に日の当たりたる枯野かな」
お蕎麦屋さん
「雀のお宿」
ゲゲゲの鬼太郎にちなんだモニュメント
ゲゲゲの森
勢いよく回る水車。
この坂の上に水源がある。
深大寺は、天台宗別格本山の寺院。山号は浮岳山。 浅草・浅草寺に次ぐ都内第二の古刹です。武蔵野台地、「ハケ」国分寺崖線の斜面に抱かれる形で、ゆたかな泉の湧く場所に建てられています。隣接する東京都立神代植物公園は旧寺領でした。
深大寺の由縁、歴史は、『深大寺真名縁起詞書』それを仮名交じり文に改めた『深大寺仮名縁起詞書』、さらにそれを絵にした『深大寺縁起絵巻』によって伝えられています。
『縁起』によれば、深大寺を開いた満功上人(まんくうしょうにん)の父、福満が、郷長・右近の娘と恋仲となりましたが、右近夫妻はこれを悲しみ、娘を湖水中の島にかくまってしまいます。時に福満は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の故事を思い浮べ、深沙大王(じんじゃだいおう)に祈願して、霊亀の背に乗ってかの島に渡ることが出来たのです。娘の父母もこの奇瑞を知って二人の仲を許し、やがて生まれたのが満功上人であったと伝えています。
長じて満功上人は、父福満の宿願を果すために出家し、南都に法相(ほっそう)を学び、帰郷後、この地に一宇(いちう)を建て深沙大王を祀りました。時に天平五年(七三三)、これが深大寺開創の伝説であります、と。
古来、深大寺の境域は清水にめぐまれ、その流れは、かつては下流の田を潤してきました。古代、その水を求めて集まった人々の泉に対する感謝の心は、「水神信仰」を生んだのでしょう。(今も、調布市の水道資源の一つが深大寺境内付近にあります。)
深沙大王は本来、疫病を除き、魔事を遠ざける効能のある神とされています。唐の玄奘三蔵が経典を求めて天竺に赴く途次、砂漠での難を深沙大王が救ったという説話は有名。
深大寺釈迦堂に奉安されている白鳳釈迦如来倚像は、1913(大正2)年、旧国宝に指定され、東国随一の古仏として全国的に有名になりました。
また、深大寺では土地柄、昔から蕎麦をつくり、すでに徳川時代には深大寺蕎麦として、将軍家や上野東叡山にも献上され、また蜀山人などが大いに喧伝、来詣者に賞味されてきました。
さらに、近年境内には多くの俳人・歌人の碑が建立されています。蕎麦をめでながらその足跡を訪ねる参詣者も多いようです。
深大寺の寺歴の中で消長、興亡を経ながら伝承されてきた信仰、それを育んできた水も緑も、そしてまた蕎麦も深大寺の大切な財産・生命なのでしょう。
江戸時代文化年間の紀行文『遊暦雑記』は、
「この村は幾処となく溪あり坂あり、高低定めがたくて莫大に広し…実も、深大寺の辺は大樹繁茂し、野猿の清澄(せいちょう)、澗水(かんすい)の音のみ聞えて更に一切の俗事をはなれ、寂々寥々(じゃくじゃくりょうりょう)として心月を観ずるべき勝地ならんかし」と伝えています。
現在は、NHK総合TVで放映中の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の舞台として全国的に有名になりました。エンディングでは、市民から募集した「調布の風景」の写真が流れています。どれもすてきな写真です。
私もすこしあやかって写真を撮ってきました。慌ただしい、つかの間の散策を楽しみながら、都会の喧噪と暑さをひととき忘れることが出来ました。もちろん、十割そばもしっかり味わってきました。










