時期は過ぎて、私達は毎日の暮らしにも慣れていった。
当時の戦況等さえも、詳しく知らぬままに暮らしていた。
いつどこで何が起きているのか関係ないが如く、他国の戦争のことのように呑気に過ごしていたものであった。
特に軍事に関しては、当然総てが極秘であったので、不利な情報等は入るはずもなかったのであろう。
だが、日本軍の旗色は、確実に変り始めていた。
海外現地で働く日本からの邦人は、特別に徴兵検査の延期が認められていた。
が、遂には昭和19(1944)年に廃止となった。
そして、現地で徴兵検査を受けるように、私にも通知が届いたのである。
昭和19年度の徴集兵と昭和20年度の徴集兵が、日本での最後の徴集及び徴兵検査である。
結果は、甲種合格となった。
年末には、現地入隊が決まり、ボルネオ島北部のクチンに入隊する事になったのである。
当時の戦況等さえも、詳しく知らぬままに暮らしていた。
いつどこで何が起きているのか関係ないが如く、他国の戦争のことのように呑気に過ごしていたものであった。
特に軍事に関しては、当然総てが極秘であったので、不利な情報等は入るはずもなかったのであろう。
だが、日本軍の旗色は、確実に変り始めていた。
海外現地で働く日本からの邦人は、特別に徴兵検査の延期が認められていた。
が、遂には昭和19(1944)年に廃止となった。
そして、現地で徴兵検査を受けるように、私にも通知が届いたのである。
昭和19年度の徴集兵と昭和20年度の徴集兵が、日本での最後の徴集及び徴兵検査である。
結果は、甲種合格となった。
年末には、現地入隊が決まり、ボルネオ島北部のクチンに入隊する事になったのである。