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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ボルネオ編 4 ~マッカサル~

2010年08月07日 | 人生航海
ジャワ島やセレベス島など近隣の諸島が、我々の主な航行区域だった。

積荷は、穀物類や海産物、他に雑貨を積む事もあったが、時には、軍需品を積む事もあった。

バリックパパン港は、当時の日本軍には、やはり重要な港だった事は間違いなかった。

あの頃を振り返ってみると、日本は、本当に小さい国であるのに、南方の何処の港や街に行っても、日本の商社や商人がいない処は無かったように思えた。

中国の華僑ほどではないにしても、それに劣らない商魂の逞しさを見た思いであった。

しかし、私達には何の拘りもなく、その後も尚、戦勝国だと信じて、我がもの顔で威張り、現地人を意のままに使いこなして、贅沢に過ごしたのは事実であり、反省せねばならない事である。

その頃、セレベス島のマカッサルに行った時、船のエンジンのクランクが破損して、修理の為、長い滞在となったので、毎日、街に出たこともあった。

そこでも、日本人が大勢いたのには驚いた。

マカッサルの街は、鼈甲細工が有名で、その鼈甲を色々と買って集めたが、品物は多くても、細工は、あまり感心する程ではなかった。

結局、新しいクランクシャフトを取り寄せるまでに随分と日数がかかり、約一ヶ月ぐらい待ったのである。

その間は、ほんとうに退屈して街に出て遊ぶ他何もなかった。

鼈甲細工の珍しい物を探しまわって時間を過ごしたりしていたのである。