ケーブルカーで2000メートル以上登って延暦寺に到着。
「(信長は)どうやって焼き討ちなんかできたんかね」
と娘が本気で疑問に思っていた。
全くだ。当時は坂本ケーブルなんかなかったのにな。
でも、ほら、弁慶だって、
鐘引きずって登ってきたとかいう話があったしさ……。
駅から雪の中を500メートルほど歩くと、根本中堂に着いた。
お堂の中は当然のことながら土足厳禁・脱帽。
摂氏0度で雪の降り続くこの季節に
総本堂を靴下で歩くと本当に冷えた。
私はこの事態を予想して、靴下を重ね履きして来たが、
ソックス一枚だった娘は耐えられず、
根本中堂の前にあった売店で「ふわふわ靴下」を買い足して履いた。
冷たい空気の中、お坊さんが作務衣だけの身軽な服装で、
きびきびと働いていらしたのが印象的だった。
遣唐使船の時代、唐で仏教を学び帰国して、
この地で教え、多くの知性を日本国内に広めた初期の僧たちは
心身ともにどれほど優れて強健な人々であったことだろうか。
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