転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



明日も明後日もそのあとも、当分、会社に行かなくていい、
つまり疲れを残すようなことをして、翌日ダラダラになっても、
職場の誰に迷惑をかける心配もない!
そう思うと、心が軽くて軽くて、きょうは大変よく家事がはかどった。

まず普通に洗濯をして、やや念入りに掃除をしたあと、
私のいる納戸部屋のクローゼットの中身を全部出して、
着る機会の少なくなった服を資源ゴミ用の袋に入れ、
次に本棚を整理して、読み終わった本は古本屋に出すようにまとめた。
ピアノの上に乱雑に重ねられていた楽譜類も整頓して、
今後数週間程度の練習でとりあえず使いそうなものだけ残して、あとは仕舞った。
それから、実家あてに糖質コントロール和菓子(汗)の配送手配をし、
更に、娘宅あての荷物をこしらえて、夕方、宅配便で出した。
夕食後には、連休明け以降の仕事を前倒しで少しやった。
TOEICの文法問題も、ほんのちょっとだけ、やった(←気休め)。

***********

昨日はカープが快勝していたが、きょうは(またしても)負けた。
だいたい、打線が爆発した翌日は全員揃って打たなくなるので、
今夜は駄目なんだろうなあと思っていたが、
それにしても、相手に1点取られた時点で負けが決まるという、
昨今のカープは本当にカープらしいといえばそうだが、困ったことだ(^_^;。

先発投手陣は、前田・黒田・大瀬良・ジョンソン・野村・福井と、
贅沢なことに6枚揃っているのに、打線がテッテー的に沈黙している。
どれほど優れた投手でも、0点に抑える以上の仕事は出来ないのだから、
味方が1点も取らなければ、決してチームが勝つことはないのだ
(川原泉の『甲子園の空に笑え!』で広岡監督が、
「こっちが0点でも相手に1点もやらなきゃ負けることはないのさ」
と歴史的名言を残していたものだが、今のカープは、まさにそれの逆だ)。
「勝ちたきゃ自分で打て」とよくファンから皮肉で言われる通り、
9回無失点のうえ自援護1点で勝つしかないのか、カープの先発は(--#)。

まあ、私はカープに命を賭けるような熱狂的ファンではないし、
勝てようが勝てまいが、ただただ地元だから彼らを愛しているわけだが、
やはりそれでも、シーズンが始まる前まで広島の誰も彼もが、
カープの活躍を本当に楽しみにしていたことを思うと、
頼むからもうちょっとなんとかなってくれんか、とお祈りする心境になる。
カープが勝った夜は、市内の空気が違うのよ(^_^;。
これだけ打撃が駄目ということは、そろそろ底を打って、
そのうち打線が改善して来る、とか……ない??無理??

それにつけても、黒田は、帰国が一年遅かったんと違いますか(爆)。

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実はきょうは、私にとっての1年に1度だけの、
ピアノの「本番」の日だった(汗)。
趣味でピアノを弾く大人を中心に、ピアノの先生や、
若い人や専門家を目指す人や、弦など他楽器を演奏する人まで集まって、
どこの門下だとか一切関係なしに、各自弾きたいものを弾く、
という通称『闇鍋』会が毎年一回開催されていて、
私はそれに、第一回の2011年から毎年参加しているのだ。
今年はもうもう、過去最高に練習していなかった(爆)ので、
いっそ出るのをよそうかと思ったこともあったのだが、
随分前に「出ます」と言ってしまっていたし、
発表会の場を失ったら、このままピアノから遠ざかってしまいそうだったので、
やはり出るだけは出ようと思って、決行した(大汗)。

正直に言って去年の秋頃から、私の中で、
(自分の弾く)ピアノの優先順位は、かつてなく下がっていた。
仕事の日は家事以外のことをする時間が取れないのも理由だったし、
道楽として歌舞伎が面白くなり過ぎたことも、原因のひとつだった。
それで過去数ヶ月、ずっとピアノの蓋の上には仕事関係の書類が乗っていて、
一週間の大半はピアノに触れることさえないまま過ぎていたのだが、
さすがにここ半月ほどは、目の前の本番から逃れられないことがハッキリしたので、
その書類束を床にどけて、数日に一度くらいは練習をするようにした。
先週の木曜日には西区民文化センターの『ピアノお試し演奏会』に行き、
出勤前の午前中に1時間ほど弾いたりもした。

もともと全然巧くないド素人ピアノなのに、練習までサボっておいて、
それで上辺だけでも何とかしようなどと、全くムシの良い話だった。
どちみち下手なのだから結局は似たようなものなのだが、
今回は、本番に向かって日々、密度と精度を高めて行くような、
「真摯」な部分がほとんど無かった。
こんなテイタラクで発表会に出るなんて、本当は駄目だ。
それもこれも、今年もまた昨年と同じベートーヴェンの『テレーゼ』1楽章を
弾かせて貰うことにしていたからこそ、どうにか格好になったのだ。
というか、「譜読みの途中」という状態ではないものを、弾くことだけは、
かろうじて出来た。
あああ、申し訳ありません、ベトベン先生(泣)。
泥縄ピアノで、珠玉のソナタ24番を使ってしまいました。

しかし、何であれ出ることができたのは本当に良かった。
不出来でも人前で弾くことには、ある種の「けじめ」としての意味があったし、
ほかの方々の演奏を聴かせて頂いたお蔭で、また新たな刺激も受け、
来年もこの場にいられるようでありたいと、心から思った。
休憩時間のお喋りのときには、次回は何を弾こうかという話題も出た。
ここで久しぶりに聴いた曲や、初めて知った曲がヒントになって、
自分でもその曲や、関連のジャンルのものを手がけてみたくなる、
というのは、他の方々も私も、これまでよく経験していることで、
そのような影響力を互いに大なり小なり持っているというのも、
『闇鍋』演奏会ならではの、素晴らしいことだった。
きょう聴かせて下さった、たくさんの方々に、心からの賛辞と感謝を!
(遠くから応援して下さった某氏にも!)

…それにしても、きょうはマツダスタジアムでカープ×DeNAがあったので、
私の発表会の会場の付近は、朝も夕方も凄い人出で真っ赤になっていた。
特に帰りは、ちょうど試合が終わって帰る人たちとかち合ってしまったので、
まるで神戸のルミナリエで歩いているみたいな混み具合だった。
広島駅前を過ぎるまでずっと、前後左右を人・人・人に固められて
全体のペースに合わせて歩く以外にどうしようもなかった。
陸橋の上からその大混雑光景を写真撮影している人も、いた(^_^;。
この中で私だけカープ帰りではない!と思うと、何か可笑しかった。
ときに、皆の着ているカープのユニフォームやTシャツを見ていたら、
前田(18番)・黒田(15番)・大瀬良(14番)が多いのは当然として、
菊池(33番)が大勢いるのには感心した。
やはりあの華麗な守備は、カープファンの間で絶大な支持があるのだな。

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午前中は、ほぼ一ヶ月ぶりに舅姑の墓掃除・墓参りに行った。
このところ、私の仕事が休みの日に限って雨が降り、
なかなか出かけることができなかったのだが、やっと行けた。
そろそろ暑くなって来たので、これから花がモたない季節になるな、
と思うと、気が重くなった。

それから、市街地まで戻ってきて、
カフェでサンドイッチとコーヒーの昼食をとり、
そのまま午後から会社に行った。
いつもは私は月曜日が休みなのだが、今週はすぐに連休に入るので、
先に仕事をまとめて片付けておく必要があり、特別に出勤した。
きょうはカウンターでの電話対応をしばらくやったあと、
オフィスに戻ってエクセルと格闘した(汗)。
私のエクセルは本当に我流もいいところなので、
洗練された表計算が出来ず、ナサケない出来映えになった。
恥じ入った私は、夕方帰る途中に本屋に寄って、
今更だが『エクセル上達テクニック』の本を買った(爆)。

しかしもう、何がどうでも、とりあえず明日さえ乗り切れば連休だ。
明日はおよそ5時間勤務だが、この際だ、何があっても私は耐える。
だってそのあとは約一週間の休暇ではないか(涙)。

し・か・も!
素晴らしいことに、今年の連休は、我が家には何の予定も入っていない!
年度初めに、娘が連休に帰省するかしないかで迷ったのと、
北陸新幹線開通の混雑で金沢旅行が取りづらくなったこととで、
予定が決まらず、結局、完全休養のゴールデンウィークになったのだ。
主人はそれでも多少、勿体ないと感じているかもしれないが、
私は今、家で過ごせることを心から歓迎している。

朝起きて、「おお!きょうは何も予定がない♪」と思う瞬間が、
私は昔から大好きだった。
予定がない、つまり限りなく自由!
何時までにどこそこに着いていなくてはならない、
何々をしなくてはならない、誰某と会って話をしなくてはならない、
……などという制約が、一切ない!!
私は誰に気遣うこともなく沈黙を楽しみ、読書し妄想し(爆)……。
ああああ、想像しただけで恍惚となりそうだ。

あ、勿論、家事は致しますよ。特に掃除(^_^;。

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昨日はばっちり8時間勤務でヘトヘトになったうえ、
晩には母(86歳)が電話をして来たので、閉口した(殴)。
内容は父(85歳)の糖尿病が悪化しているという話で、
大切な用件ではあったのだが、
それに付随するエピソードの大半が無駄話であった(爆)。

父の糖尿病は十年前に発覚し、当時はHbA1cが9.5、血糖値134、
という数値だったのだが、まだ元気だった母が徹底的な糖尿病食を実践し、
一度はHb1Acが5.7だかいくつかまで劇的に改善した。
しかし、その食事制限と体重管理の毎日は精神面で辛すぎて、
80歳を過ぎてからは「もう寿命のほうが追いついてきている」と考え、少し緩めた。
その後はHbA1c6~7で推移し、血糖値は110いくつから240台まであったが、
アクトス、トラゼンタなどを処方されつつ、様子見で過ごしてきた。
それが昨年はHbA1c8.4、血糖値192で、悪化傾向に転じた。
母が脚を悪くして家事があまり出来なくなってからは、
父の食事管理にも手が回らなくなり、父はオヤツ食べ放題になったからだ。
そしてついに先日の検査で、HbA1cが11.3、血糖値337、と困った値になり、
お薬もアマリールに変わった。

……というのが、母の90分に渡る話を400字以内にまとめた要旨だ。
母は手元に、検査結果票十年分(爆)を持って喋っていたので、
糖化アルブミン、クレアチニン、尿酸の値について尋ねてみたが基準値内で、
カリウム、カルシウム等も問題なく、赤血球数も中央値そのもの、
とりあえず糖尿病性腎症のあきらかな兆候はないようだった。
その他、一般的な血液生化学検査の範囲内では、糖尿に関する数値以外は、
すべて基準値を示す「真ん中」にチェックが入っているとのことだった。
尿検査はしていないのかと尋ねたのだが、記載の用紙が違うのか、
そちらの結果は今は参照できないようだった。

また、確か昨年にはエコー検査時に膵臓の腫れを指摘され、
後日MRIを撮った
という一件があった筈だが、
今年は膵臓に関しては何もなかったのかと尋ねたら、
去年は結局心配ないとの結果だったし、今年は何も言われていない、
という返事だった。
膵臓と、あと話題には出なかったが胃は問題ないのだろうかと、
私の疑念はまだすべて晴れたわけではなかったのだが、
父は被爆者であるため毎年原爆検診があり、健康診断とは常に縁があるので、
その点は有り難い状況と思わねばならなかった。

とにかく食事内容、特にオヤツに関して何とかしなくてはならない、
と私は言った。
突然に甘いものをすべて絶つのが無理でも、量を決めて自制し、減らさないと、
今の検査値ではいずれ入院しなくてはならなくなる。
高齢者の血糖管理は厳密でなくて良い、という説に従うにしても、現状は酷い。
このままでは糖尿病そのものや、その合併症で倒れてしまうではないか。
父は柑橘類が好きで、甘夏など日に数個食べるし、ジュース類も飲むし、
菓子パンやどら焼きなども大好物で、あればすぐ食べてしまう。
私の感じでは、それは糖尿病が深刻な状況になって来ているために、
食べても食べても飢餓感が癒やされないということなのではないか、
と思うのだが、父本人には危機意識はないそうだ。
「お酒飲まへん人やから、ええと思てたけど…」
と母もすっかりボケたことを言うので、
「そんだけ糖分とっとったら、ビール一缶よりワケ悪いわ!」
と私は小言を言った。

母はまた、父が草取りや庭いじりなど丁寧にやり過ぎているという話をし、
ろくに体を休めることもしないで働き続けてと嘆き、
「あかん食生活のうえ、体つこうて、命ちぢめてしもて」
と言っていたが、おいおい、そりゃ待て、
縮めた挙げ句でも85歳の命って、本来どんだけあったという想定か(爆)。

ときに、母のほうは胸の痛いの(=肋骨にヒビ)はなおったのか、
と思い出して尋ねたら、
「ああ、なおってん(*^_^*)」
という簡単な返事だった。さよか(^_^;。
「左を下にして寝ても痛ないし、気にならへんようになってん。
そない言うて、○○整形外科でレントゲンとってもうたら、『完治してます』て。
三ヶ月痛かったて言うてはった人もあったけど、私は一ヶ月半でなおった」

そうか。そりゃ良かったな。
無事に『乳腺症』は解決したのやな(爆)。


追記:昨夜、母はもうひとつ意味不明なことを言っていた。
なんと、父の入れ歯には『臼歯が無い』というのだ(爆)。
父は四十代から総入れ歯なのだが、それには最初から臼歯が無かった(!?)そうだ
(歯が悪いのは父方の遺伝で、祖母(パンスーの祖母)なんか三十代から総入れ歯だった)。
それで父は、ものを噛みきることは出来るが、すりつぶすことは無理で、
ここ四十年近く、いい加減な咀嚼だけで食べ物を飲み込んでいる、というのだ。
全く意味がわからんぞ(^_^;。
臼歯ってどの歯のことを言っているつもりなのだろうか。
小臼歯・大臼歯すべてがないとすると、上下6本ずつしか歯がないことになり、
それでは見た目も一目でおかしいことがわかる筈だが、
さすがに父の容貌はそういうものではない(汗)。
だいたい、自前の歯ならともかくも、入れ歯の話だろ?
とすると、上下の大臼歯6番7番(8番?)(の、どれか?)が無い?
一体全体、どういう状態のことを言っているのか!???

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好天に恵まれ、強風の心配もなく、無事に予定通り帰宅できた。
明日は仕事だが、瀬戸内海のあっちから出勤するような事態には
お蔭で、ならずに済んだ(^_^;。

帰りの瀬戸大橋線、岡山の手前まで来て信号待ちで4分遅れた。
のぞみの待ち合わせはもともと10分以上あったから良かったが、
接続がぎりぎりだったら、ちょっと危ないところだった(汗)。

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本日は昼夜通しで。
夜の席は奮発して某旅行会社の「おみやげ付き」にしたのだが
お弁当付きではないので、中身は何?と思ったら
和菓子と うどん(笑)。
有り難いけど、重っ(笑)。

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今治在住だった頃に一度、こんぴら歌舞伎には来たことがあったが、
あのときは確か、娘が小学校1年か2年だったと思うので、
ということは、私にとって十数年ぶりの金丸座!

広島-岡山が新幹線のぞみで36分、
岡山-琴平が特急で63分、
JR琴平から金丸座まで徒歩20分。

ここまで近いとは、来てみるまで思っていなかった(笑)。
別に無理するまでもなく、当然、日帰りだ。
……っていうか、チケット(と暇と資金)さえあれば、
期間中、幾度か通っちゃってもいい距離だこれは。

こんぴら歌舞伎 オフィシャルサイト
四国こんぴら歌舞伎大芝居 SankeiNews(YouTube)

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忠臣蔵に熱中している娘が、先週、
『山科閑居が観たいから、日曜日に歌舞伎座昼の幕見に行く』
とメールして来たので、幕見席の買い方を指導した(笑)。

一幕見席について(松竹株式会社)
歌舞伎座「四月大歌舞伎」幕見席のご案内(歌舞伎美人)

ついでに、今回のは仮名手本忠臣蔵の九段目ではなく、
近松の『碁盤太平記』のほうであることも書き添えた。
そうでないと、現地に行ってから
「え、やってない?どこにも書いてない!???」
と青ざめることになるやもしれぬ、と心配になったから。

しかし果たしてあれが、娘の思っているような忠臣蔵だっただろうか、
例えばこのへん(YouTube)とは全然違うからな、
……と危ぶんでいたら、昨日の夕方、
無事に幕見席で座れたこと、非常に感動し泣きそうになったこと等々、
メールで言って来た。
ほほー、良かった良かった。
祝・転娘、幕見デビュー(笑)。

……にしても扇雀、さすがに凄いじゃないか。
歴女の腐女子が観ても合格だったらしい(爆)。

四代目中村鴈治郎襲名披露 四月大歌舞伎(歌舞伎美人)

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まともな人は、古いものや思い出のある品を捨てるときに
そのようにたびたび罪悪感を覚えたり、憂鬱な気分になったりするものなのか。

罪悪感なしで思い入れのあるモノを手放す方法(lifehacker)
『部屋を片付けている時、思い入れのあるモノは罪悪感を感じてなかなか捨てにくいと思います。今回は、憂鬱な気分にならずにモノを捨てるコツをご紹介しましょう。』

私は心が冷たいらしくて、大抵のものは簡単に捨てることができる。
自分の所有物に関しては基本的に、過去3年間必要としなかったものは、
そのまま捨てて差し支えない、という感覚だ。
勿論「これは、かけがえが無い」と思って、長年手元に残している、
というものはある。
例えば、今のところは私でも、自分の婚約指輪や娘のへその緒を、
使用する機会が無いからという理由で捨てる気にはなっていない(爆)。
3年、というのに別に科学的な根拠があるわけではないのだが、
結婚してからかなりの期間、3年ごとに転勤があったので、
なんとなく、3年がひとつの「限度」になっているだけだ。

私は所有するより捨てることで安心する性格で、
我が家のリビングダイニングには決まったものしか無く、
テーブルにも出窓にも流し台にも、ほぼ何も置いていない。
「ほぼ」、という言い方をするのは、主人の読みかけの雑誌とか
きょうの郵便物程度のものは、放置されていることが多いからだ。
世の中には、ものがたくさんある部屋のほうが落ち着く人もいるので、
何でもかんでも捨てるのが立派だと言うつもりは全くないが、
私自身は、がらんどうみたいな部屋にいることが好きなので、
それが実現するよう、捨てられるものはすべて捨てているのだ。

もし、何かを買って間無しに捨てることになったとしても、
「そのときに必要で、そのときに役に立ったのなら、もういい」
と私は思っている。
長く愛用できるようなものを買うほうが良いのは明らかだが、
たった一度使っただけでも、本当に切実に必要だったのならそれで良かったのだし、
その機会が過ぎれば、その品物は役目を終えたと思って良いのではないだろうか。
ろくに着ていない服など、傷んでいないから勿体ないという考え方もあろうが、
しかし着る機会のない服を、長い間クローゼットに眠らせておけば
供養になるというものでもないだろう。
反省すべきことがあるとしたら、今それを捨てる行為が是か非かよりも、
むしろ、本当にその服は必要なものだったのか、
それを買ったこと自体が、そもそもの無駄遣いだったのではないか、
という点のほうだと私は思う。
娘の服は勿論、作品類も、本人が要らないと言ったら私は全部捨てている。
新品だろうと思い出のナントカだろうと、私はウェットな愛着は持たない。
今まで、捨てて後悔したものなど思い出せないから、大丈夫だ(笑)。

私が捨てる作業ができないときというのは、思いが深いからなどでは毛頭無く、
ただ、ものを分類したり紐でくくったりする時間がないのが理由だ。
例えば、家の中で私のいる納戸部屋だけは、
目下、わけのわからないものが窓際の床に積んであって、
私としては、これらを根こそぎ袋に入れて明日ゴミ置き場に持って行くことに、
情緒的な面では何の抵抗もないのだが、
ただ、そこに人様から借りたものとか娘のものとか、
私の私物でないものが混ざっている可能性が、結構ありそうな感じがするので、
そうした簡単で荒っぽいやり方が、実行できないでいるのだ。
更に、可燃ゴミ不燃ゴミ、その他プラスチック、などという分別が大変だ。
要らないものを一切合切、袋か箱に詰めて外に出しておけばいい、
というやり方なら、明日にでも私の納戸部屋はスッキリするのに(--#)。

それと、昨今は個人情報の保護が問題になっているので、
住所や名前が丸見えになる書類や手紙類を捨てるのに手間が掛かって困っている。
住所氏名を消したり、シュレッダーにかけたりということが必要でなければ、
私は家にあるすべての手紙や葉書を今すぐゴミ置き場に出しても、何の悔いもない。
思い出は私の頭の中にあり、住所録はパソコンの中(+バックアップ)にあるのだから。
また、粗大ゴミに関しては、事前に市の担当部署に連絡を取って、
出すものを申告して日を決めて、粗大ゴミ券をコンビニで買って貼って、
指定された日に収集場所に持って行く、という手続が必要であるために、
時間的気分的余裕がない昨今は、それが面倒で取りかかれないでいる。
この状況について、私は内心忸怩たるものがある。
私はまさに今、粗大ゴミを家で養ってやるために、
ローンの一部を費やしているのだ。嗚呼!

ただひとつ、私が細大漏らずとっておくことを心がけているのは、
イーヴォ・ポゴレリチ関連の記事や資料だけだ。
これだけは、彼の名に触れたのが一行だけ、という記事でも、
気がついたものはすべて残してあるし、
同じものが二部以上あっても、積極的に捨てることはしていない。
特に、80年代のチラシなどうっかり捨てようものなら、
もう二度と、どんな大枚をはたいても現物を買い戻すことはできないので、
そういう愚だけは犯さないように、私は細心の注意を払っている。
しかしそれらとて私がいつか棺桶に入ったら、一括してゴミに出していい、
と家族には常々言ってある。
私にとってのみ、どのような宝物にも勝る値打ちがあったが、
一般的にはただの中古ディスクや古びた雑誌切り抜き等に過ぎないものだからだ。
私が愛してやらなくなったら、それらが存在する理由など、どこにあろうか。
「オークションとかで、値がつかんかね?」
と娘は言うのだが、よほど同じ趣味の人でなければ、まあ買わんわな(笑)。

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ピアニストが語る!』の第二巻にあたる『音符ではなく、音楽を!
(焦 元溥(Chiao Yuan‐Pu) (著)、 森岡 葉 (翻訳))を早速読んでいるのだが
ジャック・ルヴィエのインタビューの中に、ポゴレリチ・ファンとして見逃せない記述があった。
それは、1980年6月にルヴィエ教授がモントリオール国際ピアノコンクールに
審査員として招かれたときのことで、ここで若きポゴレリチが優勝することになるのだが、
その審査の際、ソ連とブルガリアの審査員たちが揃って
ポゴレリチに対しひどく否定的であった、というのだ。

『彼は第一次予選で驚くべき演奏を繰り広げました。三曲のエチュードを弾いた後、さらにシューマンの《トッカータ》を弾き、聴衆の歓声が会場の屋根を吹き飛ばしそうな勢いだっただけでなく、私たち審査員、とくにリリー・クラウスと私も思わず感嘆の声を出さずにはいられませんでした。』『しかし、第一次予選からソ連とブルガリアの審査員は彼の演奏に否定的で、「平凡で、つまらない演奏だ」と言うのです』(『音符ではなく、音楽を!』p.342)

ルヴィエは国際コンクールの審査員を務めるのがこのとき初めてだったため、
自分は見聞が狭いためにポゴレリチの演奏に感銘を受けたのだろうか、と一旦は反省したが、
予選が進むほどに、やはりポゴレリチの才気もテクニックも非凡だと感じ入るようになり、
それに対して「聴くに耐えない」と極端に低い点をつけ続けるソビエト系の審査員たちは
悪意を持ち意図的に彼を落とそうとしている、としか思えなかったという。
ピアノの国際コンクールが、政治的な勢力争いの場となっていることを知り、
ルヴィエはこのとき大いに失望したと語っている。

この数ヶ月後の、80年10月のショパン・コンクールに関してポゴレリチは、
自分が予選で落とされたのは、モスクワからの政治的圧力が原因であり、
あのコンクールは正当なものではなかった、と今に至るも言い続けているのだが、
ルヴィエの証言は、ポゴレリチの主張を審査員の立場から裏付けるものとなっている。
私自身は当時の、特にモントリオールでのポゴレリチの演奏は聴いていないし、
コンクールの審査の過程で何が行われたかを検証できる能力もないので、
多くのことを推測で語るしかないのだが、
ワルシャワのコンクールの一参加者であったポゴレリチと、
モントリオールのコンクールの一審査員であったルヴィエとが、
師弟関係は勿論のこと音楽上の接点も無かったのに、
別の場で同一方向の証言をしていることを考えると、少なくとも、
あの頃のコンクールに、こうした政治的背景を連想させるものが存在したことは、
間違いないと思っている。

……それにしても、ポゴレリチの演奏をケナす言葉として、
『聴くに耐えない』は立派に通用すると思うし、その根拠も想像できる気がするが、
『平凡だ』のほうは、80年当時とはいえ、いくらなんでもハズしていたのではないか(爆)。

*************

音符ではなく、音楽を!』焦 元溥・著 / 森岡 葉・訳(アルファベータブックス)

『音符ではなく、音楽を!』は前作同様、極めて密度の高いインタビュー集となっている。
字数制限のある雑誌記事では望むべくもない内容となっていることは勿論、
取り上げられるピアニストの顔ぶれも、話題の方向も、
政治的・商業主義的制約が一切ないからこその、多彩で自由なものとなっていて素晴らしい。
ツィメルマンの哲学に私は大いに感銘を受けたし
(この本のタイトルは、ひとつにはツィメルマンの発言から来ていて、
彼は「音」を聴くことが「音楽」を聴くことではない、という持論を言葉を尽くして展開している)、
私の愛するタマーシュ・ヴァーシャーリに多くの字数が費やされていることも有り難く、
また、アシュケナージやキーシンのように、メディアに登場する機会の多い演奏家からも、
各自の内面に触れる言葉が様々に引き出され、かつ、著者しか知ることのない逸話が、
各部の『後記』としておさめられている点も、大変に興味深い。
このようなインタビューは、ほかには無いと思う。
訳者あとがきにある通り、『ピアノを愛するすべての人に』、
是非、読んで頂きたい本だ。


登場するピアニスト
クリスチャン・ツィメルマン、
ジェルジ・シャーンドル、
タマーシュ・ヴァーシャーリ、
ウラディーミル・アシュケナージ、
ベラ・ダヴィドヴィチ、
リーリャ・ジルベルシュタイン、
エフゲニー・キーシン、
ロジェ・ブトリ、
テオドール・パラスキヴェスコ、
ジャック・ルヴィエ、
ジャン=フィリップ・コラール、
ミシェル・ベロフ、
ラベック姉妹、
パスカル・ロジェ

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