転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



東京スポーツ新聞が、世界フィギュア女子フリーの採点に関して、
異論を述べる内容の記事を掲載している、と某掲示板で知り、
私自身の感想と同じかどうか興味を持ち、検索した。

読んでみると、浅田選手の演技は、もっと高く採点されるべきだ、
という主旨で、英ユーロスポーツの解説者の、
『おかしい。本当に間違っている』というコメントが紹介されていた。
『3Aは非常に難しいジャンプなのにコンビの点数はたったの9.5』
と、トリプルアクセルからのコンビネーションの基礎点が低すぎる、
という意味の同解説者の批判もハッキリと載っていた。
私も全く同様に思う。
世界で今、たったひとりしかできない技に、
世界一の評価が与えられないシステムになっているなんて、
フィギュアの審査方法は随分と理不尽だ、と以前から思っていた。

現在のスケートの採点は、専門家には理由も理屈もあるのかもしれないが、
一般客の印象として、選手ごとに基準が違っていて選手間の不公平さが大きい、
というふうに見える部分が、どうしても、ある。
だのに、日本の専門家と称する人たちのコメントというのは大抵が曖昧で、
「ファンは見る目を養って欲しい」
「ファンは、ジャッジするように試合を見ないで、もっと純粋に楽しんで」。
何をどうしたときに何点の加点がつくのか、という程度のことさえ、
観戦者にわかる具体的な説明を全然しないでおいて、
専門家側が観戦者に対して譲歩を要求する態度は良くない。
疑問ばかりがつのるジャンルに対して、一般の理解は深まらないし、
そもそも一般客が純粋に楽しめなくなっている理由は、
ジャッジの評価が不可解でフラストレーションがたまって来たからだ。

それにしても、今、一般人がいちばん訊きたかった点を
はぐらかしたり無視したりせずに取り上げているのが、
よりによって東スポだなんて、私にはどうにも、愉快でならない。
東スポは、かつて三島由紀夫が割腹自殺したときでも、
第一面は相変わらずジャイアント馬場の流血だった、
という、やりたい放題の新聞だ。
『ネッシー 出産』だの『マドンナ 痔』だのと
ぶっとんだことを載せては我々を悶絶させたのも、この東スポだ。

Trackback ( 0 )




・娘は、学校のお友達5人+引率ママ2人という団体で
きょう明日と、一泊二日の長崎旅行に出かけた。
去年秋の修学旅行が中止になった埋め合わせを自主的にやっている。
私は目眩で体調不安もあり、もともと不参加と言ってあったのだが、
そのうえに折悪しく(娘からウツされて)風邪をひいたので、
行く予定にしていなくて本当に良かった、と思った。
引率して下さる二人のママ仲間には平身低頭してお礼を申し上げた。
もう、娘のことなんかばしばし叱ってやって下さい<(_ _)>。

・夕方、某ニュースサイトを見ていたら、
『文部科学省は30日、20011年度から小学校で使用される教科書の検定結果を公表した』
という見出しがあったので、心の中で、
「そんなもん今から決めてどーすんだ」
と、ちゃんとツッコんであげた。
社会科の大半が虚構新聞の世界になるだろうが。
真面目な内容としては、2011年度用の小学校教科書が、
「ゆとり」で大幅削減した2000年度検定の教科書などと比ると、
どの科目もページ数が増え内容が多くなった、とのことだった。
若くて頭が柔軟で、かつ勤労しなくていい年齢・境遇のときに
いちばんに優先してすべきことのひとつが、「勉強」だろう。
授業内容が増えるのであれば、良いことだと思った。
・・・しかし、相変わらず土曜休日で、時間は足りるのだろうか。

・YouTubeで世界フィギュアの女子フリーを見た。
某選手に対するジャッジ達の入れ込み方というのは、
ポゴレリチを聴く私、みたいな次元まで来ている、という印象だった。
ミスタッチしようと、それどころか万が一、暗譜落ちがあろうとも、
響きのひとつひとつ、彼の演奏はほかのピアニストとは全然違う、
彼の演奏でなければ私はダメ、彼が弾いていること自体が最高なの!
・・・そりゃ確かに、彼基準で見れば、ほかにどんな見事な演奏があっても、
彼と違う弾き方をしている箇所のぶんだけ、自分的にはマイナスになりがちで、
私はもともと、体験的にその種の偏愛には理解がある。
人をそこまで狂わせるアーティストは、それ自体が凄い存在だと思う。
しかし、贔屓至上主義というのは、クレイジーなファンの、
主観的世界としてのみ、容認されるのであって、
公的資格として務めるジャッジが、それを持ち込んで採点していては、
そのジャンルはもう、スポーツとは言えないのではないか。
浅田選手や安藤選手のフリーの得点が五輪と較べて落ちている、
というのも、観戦者としてはサッパリ理解できなかった。
今回のフィギュアの採点は、客観的なものではなく、ジャッジの単なる、
「気分的な印象点」「好き度」を数字化したもの、のように私には見えた。
わからん者は黙ってろ、とジャッジの方々は言いたいだろうとは思うが。

「朝・昼食抜き」ダイエット 否定的意見あるが「メタボの方は食べなくていい」(夕刊フジ)
『夕食は好きなだけ飲んで食べてOK-そんなダイエット法で3カ月で10キロの減量に成功した医師がいる。「まともな朝食や昼食は摂らない」という荒療治ともいえる方法だが、参考にできるポイントがありそうだ。』
実は私の知っている某医師も、これに近いやり方で生活なさっている。
とにかく朝は食べない、またはコーヒーだけ、それが調子が良いそうだ。
朝食はきちんと取る、が健康維持の大原則みたいに言われるが、
とらないほうが具合が良い、という人たちが、確かに存在するようだ。
そして、その医師の方の場合は、昼食は蕎麦、または、うどん、
夜だけは晩酌ありで、ボリュームのある食事をする、と仰っていた。
世の中で言われるダイエットのやり方と、ほぼ真逆だ。
『どんな健康法も、自分にとって苦痛のあるものは、合ってません。
気持ちよいと感じる方法が、自分にとっての、正解です』
という、私の鍼灸の先生のご意見は、概ね、正しいように思う。

Trackback ( 0 )




娘由来の風邪が、きょうはいっそうハデになった。
朝からクシャミが止まらず、ティッシュを使い切るほどハナをかんだ。
これは風邪だ。花粉症やアレルギー性鼻炎ではない。
鼻炎歴が人生の三分の二以上に及んでいる私には、断言できる。

しかしこの風邪は、今のところ、症状としてはマシなほうだ。
若干の咽頭炎と、鼻炎・倦怠感、程度で済んでいるからだ。
私はもっとヒドい風邪を、過去に幾度もひいたことがある。
頭痛のする風邪や、咳の出る風邪などは、これよりずっとつらかったし、
ほかに目立つ症状はなくとも耐え難いほど咽頭痛の強い風邪もあった。

風邪を引き起こすウィルスは、およそ数百はあるのだそうで、
ひとつの風邪が終わって、それに関しては免疫ができたとしても、
別のウィルスにはすぐにでも罹患し得る。だから、
「今年は何度も風邪をひいたから、もうひかない」
などということは、必ずしも言えない。
勿論、体全体のコンディションや抵抗力の有無は意味があるので、
元気で体力があり風邪をひきにくい、という状態は有り得るけれども。

また、良心的なお医者さんほど、
「ウィルス感染には抗生剤は効かない」
と言って、風邪で受診しても総合感冒薬程度しか処方されないが、
私は体験的に、風邪のときでも抗生剤を服用すると、
急に体が立ち直って来るのを、これまで幾度も感じている。
抗ウィルス剤とは違うから、風邪本体をなおしているのではないが、
抗生剤は、その周辺の感染症を治療してくれる。
私のように慢性扁桃炎や慢性鼻炎がベースにある者は、
抗生剤で咽喉の状態を改善して貰うと、途端に体に余力が出て来るのだ。
そうすると、風邪のなおりも早くなる。……ように思う。
理論的にはプラセボ効果だと切り捨てられる話かもしれないが、
私がそう感じているのだから、私にとってはこれが真実だ(笑)。

Trackback ( 0 )


風邪  


先週から娘が鼻炎がひどくて、
「花粉症じゃない感じ。風邪ひいたかも」
と言っていたのが、ついに、私にもウツった。
昨夜から咽喉に違和感があり、今朝はそれがハッキリした。
やっぱり風邪だったのだ。

先に罹患した人間のほうが、回復も先だ。
娘は、まだスッキリはしていないと言いつつも、
きょうは、お友達と遊ぶと行って、朝から出かけた。

午後、洗濯物を片付けるついでに、
主人の部屋のテレビを横目で覗いたら、
カープが早速に気の毒なことになりかかっていたので、
主人には話しかけないことにして、退散した。

この際、温かいお布団に潜って、音楽を聴きながら読書して、
昼寝して、うだうだ~と療養したいものだ。
とつくづく思った。

ったく、労働意欲も向上心も、カケラもない、わたし(殴)。

Trackback ( 0 )




フランスの某雑誌に掲載されたポゴレリチのインタビューを
今朝から根性入れて、読んだ。
私は英語でも普段は読むのがイヤでイヤで、ましてやフランス語など、
もう眺めているだけで、気力がなくなって来るのだが、
ポゴレリチが何か言っているとなれば、話は別だ。

『なぜ楽譜を開いて演奏するのか』
『直前まで会場リハーサルを続けるのは、どういう理由か』
などと、インタビュアーが、なかなかイイところをツいていて、
ポゴレリチがまた、彼独特の、ケッタイな具体例を挙げつつ
(自分は、ロブスターが人知れず脱皮して成長するように、
自分のテクニックをより深めて来たとかナントカ)、
雄弁に持論を展開しているのが面白かった。

・・・と、しばらく忍耐して読み続けたところで、
私は、どうもさっきから知っている話が続いている、
ということに、気づいた。
全部が全部、馴染みの話題だというわけではないのだが、
ポゴレリチの例え話など、どこかで聞いたことのあるものが多く、
それもとても最近の、新しい記憶だという手応えがあって、
これってなんだったっけとしばらく考え、そうだ!と思い当たった。

このときのラジオ番組で言っていたことと、相当、カブっていたのだ。

実は、↑のラジオ番組では、ポゴレリチは英語で話していたのだが、
放送そのものはフランス語の通訳のほうが大きな音声で被さっていて、
ポゴレリチの言っている英語部分を聴き取ることなど、
語学力も気力も不足している私には到底ムリだったし、
勿論、フランス語音声を聞き取って理解する能力も私には無かった。
それで、バイリンガル、いやトリリンガルな、
某夫人と某マダムに丸投げして(殴)
ポゴレリチの話している英語(質問部分の仏語も)を書き取って頂いたのだった。

今、あらためてそのスクリプトを取り出して読み直してみると、
きょう私が取り組んでいたフランス語雑誌のインタビュー記事と、
多くの部分で共通した話題が語られており、
ポゴレリチの返答も同内容だということが、わかった。
どちらも昨年11月のパリ公演のときに取材されたものだろうし、
ポゴレリチのことだから、同じことを訊ねられれば、
百回でも同じ返答をしそうな気も、するのだが、
どうも、もしかするとこの記事は、放送と同じ素材から起こしたもの、
という可能性が、あるのではないかと思った。

やれやれ。
もともとはポゴレリチが英語で語ったものを、
現地ラジオではフランス語通訳つきで放送し、
その隙間からポゴレリチの英語を書き取って頂いたものを貰ったうえで、
私は今、フランス語雑誌に掲載された、ほぼ同内容のインタビュー記事を
フランス語で読み直して、確認しているというわけだ。

なんか、光栄の、行ったり来たり(爆)。

Trackback ( 0 )




今月は菊五郎の弁天を見逃し、来月はお嬢吉三を見送ろうとしている、
音羽屋ファンの風上にもおけない昨今のワタクシなのだが、
そう何度も何度も、東京まで往復できない身の上なのだから仕方がない。
と思っていたら、今朝ほどは、e+からプレオーダーの案内メールが来ていて、
見たら5月の『團菊祭五月大歌舞伎』@大阪松竹座の話だった。
そうだった、今年は歌舞伎座が四月で終わるので、
團菊は大阪でやるのだった(5月4日(火・祝)~28日(金))。

演目は、昼が
『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』
『勧進帳(かんじんちょう)』
『河内山(こうちやま)』
夜が
『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)十種香』
『京人形(きょうにんぎょう)』
『髪結新三(かみゆいしんざ)』

今回の玉手御前は菊之助が初役で挑戦するのだそうで、
非常に興味深いし、合邦そのものも観たい演目なので嬉しいとは思う。
しかし敢えて菊五郎主体で、旦那さんファンとして考えると、
富樫より髪結新三のほうが、私が今観たい音羽屋だという気がする。
そうなると、行くならこれは夜の部か。
いや、いっそ昼夜通し、やっちゃう(殴)?

というか、そもそもそれ以前に、五月はポゴレリチの来日のために、
聴くだけの私とは言え、既に怒濤のスケジュールを組んでいるので、
加えて大阪まで行くことが、時間的経済的体力的に可能かどうか悩ましい。
もし今回の松竹座が、玉手を音羽屋の旦那さんがなさる企画なら、
私はもう、万難を排してでも昼の部優先で観に行くところなのだが。

5月3日(祝):イーヴォ・ポゴレリチ@国際フォーラム ホールA
5月4日(祝):西川貴教『ミュージック・マン』@東京芸術劇場
5月5日(祝):イーヴォ・ポゴレリチ@サントリーホール
5月6日(木):イーヴォ・ポゴレリチ@アクロス福岡
 個展『忌野清志郎の世界』@福岡パルコ
5月15日(土):美輪明宏『葵の上』『卒塔婆小町』@アステール
5月18日(火):宝塚歌劇団星組広島公演@厚生年金会館
5月29日(土):クリスチャン・ツィメルマン@倉敷市民会館

↑これの、どこに大阪松竹座を潜り込ませれば良いのか。
いっそ東京だったら、サントリーホールのついでに、
前後の日で適当に昼夜覗きに行けて、都合が良かったのに(殴)。

なおe+からのメールは、これだけではなくもう一通あって、
それには、7月30日(金)の北とぴあ さくらホールの歌舞伎案内があった。
松竹大歌舞伎公演で、出演は音羽屋さん父子のほか、
時蔵・松緑・團蔵・秀調・梅枝・萬太郎、
演しものは 『廓三番叟』『一條大蔵譚』『棒しばり』。
旦那さんはこれだと、南座で年末に観たのと同じ一條大蔵卿だな。

観たいには違いないが、もし広島に近いところで同じ公演があるなら、
これまた時間的経済的体力的に、そちらのほうが断然、有り難い。
公文協の公演だと思うのだが、東京以外に、どこで公演があるか無いかは、
今のところ、発表になっていないようで、不明だ。どうしようかな。


3月27日(土)追記:公文協主催中央コースの詳細が発表された。
松竹大歌舞伎 平成22年7月1日(木)~7月31日(土)(歌舞伎美人)
広島は、7月24日(土)ふくやま芸術文化ホールでの公演があるそうだ。

Trackback ( 0 )




娘が春休みということで、なんの予定もなく家にいて、
オマケに今夜は主人が宴会で晩ご飯は要らないというので、
そんならきょうは、どんだけ疲れても大丈夫だろうと、
午後から、娘の部屋を母娘で大整理した。

まずは、ドアを開いただけで黒い妖気がこっちに来そうな、
悪魔の出先機関のごときクローゼットを、どうにかすることにした。
棚のあちこちに、小学校のときの工作や絵などが
何かの抜け殻のような有様で、かなり残っていたので、それらを捨てた。
娘としては、見ただけで恥ずかしくなるような作品が多く、
うわーこりゃヒドい!捨てる!これも捨てる!と潔かった。

更に、恐ろしいことにクローゼットの中まで
書棚化の波が押し寄せていたことが判明したので、
「この際、読まない本はBOOK-○FFに売ったらどうや」
と決めて、これも分類させた。
ハードカバーも文庫も、出てきたものの大半は怪談本だった。
化けもんが出たり死んだ仲間が祟ったりする話ばかりで、
私は修祓が必要なのではないかと思ったくらいだった。
また、いつのものだか知らないが、Gファンタジーもあった。
娘「僭越ながらワタクシが表紙・・・」
私「何をしている!今月の資源ゴミは、まだか!」

次には、いよいよ、洋服類の整理だった。
着倒して裾や袖口が擦り切れている服は全部捨てることにした。
そんなになるまで着るなんてと呆れてしまうが、
娘は着心地が良いとなると、繰り返し同じものばかり着るので、
どうしても、特定の服だけが傷むのだ。
また傷み具合とは無関係に、サイズの合わなくなった服も処分した。
どのみち、普段着は通販で買った安価なものが大半だった。

途中で、やたらと大きな紙袋が出てきて、
中を見たらガラクタっぽいのに新品の小物ばかりが入っていて、
「こりゃ、なん?」
と訊いたら、娘が憮然としていわく、
「去年のA中バザーのクジで当てたヤツだよ!!」
うわ~、申し訳ない!!
バザー当日、確か、雨が降ってなかなか片付かなかったので、
役員の娘らを一本釣りして無理矢理にくじ引きをさせたのだった。
あのときの残骸が、まだここに(涙)。

そのあと、もっと古びた様子のビニール袋が出てきて、
開いてみると、折ったら発光する玩具のブレスレットだった。
いつ買ったのか、どうしてこんなものが家にあるのか謎だった。
「供養してやろう」
と娘はワケのわからぬことを言って、ポキンと折った。
賞味期限?の切れたようなブレスレットが、まだらに光った。

そんなこんなで、夕方まで頑張ったところで、
さきほど、時間切れというか、スタミナ切れで、一旦撤収。
明日も、娘は予定なし&主人は宴会、ということなので、
この続きをやろうということに、一応、なった。
明日は、本格的に娘の本棚と机まわりを、片付けなくては。
高校の教科書や副読本は既に学校で購入を済ませたのだが、
それらの冊数が多すぎて、今のままでは入らないのだ。
ああ~

Trackback ( 0 )




ちょっと機会があってカナダ人の男性と話していたら、
私が最近はフランス語をやっていると言ったせいか、
カナダのフランス語は独特だ、という話題になった。
ケベックは最初にフランス人が入植した経緯もあって、
現在でもフランス語のみが公用語となっているのだが、
実はそのフランス語は、本国フランスのものとは、
今ではかなり違ってきているのだそうだ。

大西洋を隔てているし、カナダが独立国家となって久しいことでもあり、
もはやケベックのフランス語は、フランス本土のものとは、
別の発達を遂げつつあり、将来的には姉妹言語の関係は残るとしても、
異なる言語へと成長する可能性さえ、ありそうな話だった。

具体的には、ケベックのフランス語には英語からの借入語が多く、
発音も文法も細かいところで違い、大まかに言うなら
「昔のフランス語」に近い姿のまま、現在に受け継がれたものらしい。
だから一般的なフランス人が、カナダ人のフランス語を聞くと、
シェークスピア時代に相当する、とまではいかないにしても、
何か古典風なものに聞こえて、違和感を覚えるということだ。

私は自分のフランス語が将来的にどうにかなってくれたら、
カナダやアフリカ諸国など、かつて仏領だった場所へ行った場合に
(って、いつになったらそんなとこへ本当に行くのか知らないが)
多少なりとも役に立つのではあるまいか、と簡単に考えていたが、
私が思っていたより、各地のフランス語の間には差異がありそうだった。
例えば、スペイン語と南米スペイン語との違いと較べたら、
フランス語とケベック・フランス語の隔たりというのは、
どの程度、大きいのだろうか、小さいのだろうか?

そういえば、私を機械翻訳で悶絶させてくれた台湾の中国語
ああいうものも、大陸の中国語から見れば、繁体字ではあるし、
古式ゆかしい・古くさい、旧時代の言葉のように思えるのかもしれない。
日本は、歴史的に、植民地を維持することが結局なかったので、
列島日本語とは違う発達を遂げた日本語というものを見ることもなく、
また逆に、日本が他国から完全に植民地化されることもなかったために、
日本語と他言語が混成して別言語が発生するという現象も起こらなかったが、
そういう言葉が、もしあったら面白かっただろうなと、思ったりした。

Trackback ( 0 )




非実用 TOEIC 文法能力検定」というのを見つけて
よく主旨がわからないまま(笑)、やってみた。
(認定証を直リンすると重くなったので、やめにして、写真で。
ちなみにこれの1位(10問中10問正解)は割と簡単に取れます。
英文をフィーリングで読むのではなく理屈で読むならば。)

解いてみてわかったことは、これは読解とは無関係に、
構文や述語動詞の時制などが辛うじて読み取れるだけの、
英語として意味をなさない語群が文のかたちで並んでいて、
各問空欄に入れるべきものは過去分詞?副詞?接続詞?
などを、文法的な妥当性の有無で判断して
選択肢から選ぶテストだということだ。

このたぐいのものは、そういえば昔、
言語学の講義でも見たことがあった。
実在しない単語を使って無理矢理に言語操作を試みることで、
意味が不明の場合でも文法の枠組みは利用可能だと証明でき、
その文法を記述することが、人間が生得的に備えている「普遍文法」を
知ることへの手がかりになる、・・・みたいな話だった。

私が今でも覚えているのは、「ごぶ」という架空の語を、
日本語動詞の終止形として設定して、日本語話者の被験者に対し、
これを未然形に活用してみるように求める調査で、結果は、
「ごぼう」にする人と「ごべよう」にする人とに分かれた、という話だ。
確か私の記憶では「ごべよう」派が多数だったような。

理屈では、「ごぶ」なら、たとえば「呼ぶ」のように、
五段活用して未然形は「ごぼう」になりそうなものなのに、
多数の人が終止形は「ごべる」であるかのような活用
(=「食べる」のような下一段活用=「ごべよう」)を、
直感的にしてしまうわけで、
それにより、下一段活用のほうを基本形と考える、
という仮説が立てられていたような、
・・・いや違うかな(汗)、あまりに遙かな記憶だが・・・。

こういう場合の仮説が正しいかどうかの、検証の仕方、および、
この仮説から更に何が導き出せるかは、もう忘れてしまったけど。
日本語話者により無意識に下一段活用が適用される話を元にして、
例えば「食べる」が「食べれない」になるラ抜き言葉の、
起源だか発生の仕組みだかを説明しようとした論文だった、
・・・かもしれない。
記憶の網をたぐってみたが、もはや忘却の彼方。

ちなみに、この論文をお書きになった先生の御名前は、覚えている。
日本に来られて以来、日英対照言語学を大変熱心にご研究になっていた、
某アメリカ人男性で、上記論文も日本語の用言活用を扱った英語論文だった。
検索してみたら、先生は現在、東京の某大学に教授としてお勤めだとわかった。
当時、私が卒論でやっていたところと、非常に近い分野を、
先生がご研究になっていたので、私は大変に足繁く質問に通い、しまいに、
「あんたは、もしや、○先生のことを愛しているのでは!?」
と友達に真顔で尋ねられたりしたが、
そのようなことも、今となっては懐かしいばかりです(笑)。

Trackback ( 0 )




3月18日付のCity Mouse Onlineによると、
ポゴレリチは17日のエルサレム公演の際、ひどく御機嫌斜めだった。
リサイタルが定刻に始まらなかったのは毎度のことだが、
エルサレム側としては異例だったらしく、そのせいかどうかは不明としても、
客席の雰囲気は最初から良いものではなかった。
ポゴレリチはステージの上から、静かにするようにと英語で言い、
一曲目が終わると、彼は再び聴衆に向かって、
『黙ってくれるのなら、ここで続ける。そうでなければ私は帰る』
と言った。

さらに、記事に掲載されている、その場にいた人の話によれば、
『耐え難いほど喧しかったわけではないし、普通の程度だった』
ということなのだが、ポゴレリチ側に言わせると、
『私語が多く、携帯が鳴り、プログラムのページをめくる音もやまず
演奏中、大変に煩わされ、集中できなかった』
とのことだ。

ともあれこの日の演奏会は、このあと予定の曲目で進行し、
最終的にポゴレリチは拍手を受けて退場したが、
聴衆には彼がとても怖い演奏家であるという印象が残った。
これに先立つ15日月曜日には、ポゴレリチはテル・アビブの
マン・オーディトリアムでやはりリサイタルを行っていたが、
『音楽の破壊』『最悪』『悪夢のよう』と酷評されたそうだ
Ivo's the stormy tones)。
イスラエルツアーとしては、この時点では、
翌19日のベエル・シェヴァ公演で終了という予定だということだった。

――のだそうだ。機械翻訳なので誤読してたらすみません(逃)。
以上、情報を提供して下さいました某氏に、心から感謝致します。
とりあえず、この一件を教訓とし、日本の我々は、
5月の来日公演の際には、私語厳禁、携帯は電源は完全オフ、
演奏中、プログラムをめくったり、ましてや床に落としたりしないように。
でないと叱られます。パリ公演みたいに指さされるかもしれません。
特に危ないのが、5000人収容の某ホール(爆)。

*************

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン東京については
3月21日~23日 チケットぴあ先行抽選プレリザーブ
3月26日~4月2日 チケットぴあ先行先着プリセール
4月3日~ 一般発売

公式サイト:ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2010

Trackback ( 0 )



« 前ページ