転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



Aus dem Konzertsaal(ORF)

ポゴレリチの、5月28日ウィーン公演の放送が、
6/5(土)午前2時半から、と今のところ書いてあるのですが、
本当の本当に、こんなの、実現すると思います!????

ポゴレリチを騙さない限りムリでは(爆)。

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昨夜は、萩原朔美・著『死んだら何を書いてもいいわ
―母・萩原葉子との百八十六日
』を読んだ。

私が萩原葉子を知ったのは、『蕁麻の家』を読んだときで、
自分が中学2年生だった記憶があるから1978年のことだと思う。
私は当時これを自分で買ったのではなく、母の本棚から失敬したのだが、
『蕁麻の家』は76年に出ているので、多分、母は、
話題作だというので出版されてすぐ買っていたのだろう。

詩人萩原朔太郎の長女として生まれた葉子は、8歳の時両親が離婚、
朔太郎の母の家で育てられるが、その日常は被虐待の連続であったようだ。
『蕁麻の家』は小説形式で、登場人物には皆、仮名が与えられてはいるが、
内容は自伝であり、萩原葉子の実体験を綴ったものと言われている。
著者が、当時一族で権勢をふるっていた祖母から心身を虐待され、
想像を超える挫折と屈折の少女時代を送った様子が克明に描かれている。

一読して私は、こんな時代・こんな家庭があったのか!と衝撃を受けたが、
それと同時に、朔太郎の娘に文章が書けるという可能性を、
この家の祖母や叔母たちは一度も考えなかったのか?
ということも、子供心に不思議に思った。
目の前にいるのは無力な小娘だからと、侮って虐めていたのだろうが、
成長して筆の力を得たら、こういう本を世に出す可能性があったのだ。
朔太郎の血を受けた娘だということ、
その彼女がいずれ大人になれば黙ってはいないだろうということを、
彼らはなぜ忘れていたのだろう。

この本があまりに印象的だったので、私はその後は、
『木馬館』『花笑み』『天上の花』『閉ざされた庭』などが
文庫になるのを待っては、自分で買った。
著者が様々な辛酸をなめ、不遇な結婚生活を送り、
それでも向学心を持ち続け、自立の道を探ったことが読み取れ、
時代や価値観は異なっても、女性としての共感があった。

しかし一方で、読者としての私は、徐々に成長し、
良くも悪くも、客観的に読むことを試みるようになっていたので、
80年代半ばくらいからは、記述を単に事実として受け入れることをせず、
私小説であっても、意識的・無意識的な脚色は入っている筈だ、
と考えるようになっていた。
それは書き手にとっては真実の一端なのだろうから、
「歪曲」と非難する気持ちは私には全くなかったけれども、
ほかの関係者が同じ出来事を語れば、きっと内容は違うだろう、
ということを、私はしばしば想像するようになったのだ。

そのことが、今回の萩原朔美氏の文章の中でも触れられていた。
朔美氏は、母親に我が儘を言い反抗した思い出が多々あったことを書かれ、
自分は常に葉子を悩ませた親不孝者であったのに、
小説の中の「息子」である自分は、一貫して、
親思いの素直な子として描かれていると指摘なさっている。
『(葉子の小説では)悪者は夫と、祖母と伯母と実母である。
自分の父親と子供はどこまでも美化される。
母親は、自分の作品の中では、子供は善玉と決めていたのだろう。
あるいは、自分のせいで片親にしてしまった(=戦後に離婚したので)
という負い目を感じていたのかもしれない』。

『閉ざされた庭』には、引っ越した新居での第一夜の夕食で、
ささいなことから夫が癇癪を起こし、食卓をひっくり返し、
うろたえる妻の前で、怒りにまかせて一枚残らず皿を割った、
という逸話が出て来る。
この夫は、常に短気で暴力を振るい、妻の誠意を踏みにじり、
家庭の幸福を叩き壊した男として描かれている。
しかし朔美氏の記憶ではテーブルは作り付けでひっくり返せなかったし、
皿を見境無く割れるような経済的余裕もなかった、ということで、
夫婦の諍いが激しかったことはともかくとしても、食卓の描写は
「あまりにもオーバーだ」とクールに葉子の脚色を指摘なさっている。

それにしても、葉子がこうして筆の力を尽くして造形した、
この非人間的な夫というのが、朔美氏の父親なのだから凄まじい話だ。
朔美氏は、「ここまで書いていいのかしら、という感じである」
と突き放した調子だが、夫を完膚無きまでに否定するということは、
息子にとってのたった一人の父親を、自分の筆で破壊することだ。
葉子はそれでも、書いて書いて自分を吐露するほかなかった。
書くということ、とくに私小説を手がけるということは、
周囲の人間も自分をも、傷つけずにはおかない、無惨な行為なのだ。

葉子の書くことの原動力は、父・朔太郎の存在だった。
朔美氏は、夫婦仲が悪く夫を憎悪することになったのも、
葉子が、記憶の中の亡き父を、目の前の夫の中に求め、
失望を繰り返したからだと看破されている。
イメージの中の理想像と、現実の男性とでは勝負にならない。
朔太郎から自由になることのなかった葉子の離婚は必然だった。

朔美氏は本文中で、葉子が「私が死んだら何を書いてもいいわよ」
と言い残したことに触れ、しかし今まさにそうなってみると、
何を書いてよいかわからない・何も書けない、
という気持ちだと述べられている。
そのことは読者としての私の感触にも、少しあって、
本書を読みながら、私が本当に知りたかった萩原葉子の素顔は、
ここにはあまり書かれていないような、もどかしい気分が幾度かあった。
しかし同時に、それはそれで、朔美氏と葉子の距離感や、
親の死後に「不在の感覚」を味わう息子としての朔美氏の立ち位置が、
言外に想像されるところでもあって、
葉子の著作には描かれなかった部分を補うのには十分だったと思った。

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先日、娘の高校部の、夏服スカートが出来てきて、
受け取りに制服屋さんに行った。
同じ学校の高校部だが、中学までとはデザインが違うから、新調なのだ。
A高校では、最近はどうも生徒のスカートが短くなりがちなので、
娘達の学年から特にスカート丈が厳格に指定されるようになり、
「ひざ丈」ということに決められた。
ひざが全部出てはいけない、というのが目安だ。

スカートひざ上10センチの攻防 石川県内女子高生(北國新聞)
『石川県内で、女子高校生のスカートの丈を短くしないよう学校側がさまざまな「対策」 を打ち出している。スカートの腰の部分にプラスチックの板をつけて折り曲げられないよ うにしたり、すそ上げすると分かるように、すその裏地に印を入れたり。学校側は「短い と風紀の乱れや犯罪に巻き込まれる危険が高まる」と狙いを説明するが、生徒や保護者か らは「そこまでしなくても…」との声が漏れている。』

流行というのは根拠のない、おかしなモノだなと思う。
私自身が高校生だった頃は(戦前か?恐竜がいた頃?と娘は訊く)、
スカートは長いのが素敵、ということになっていた。
足首まであるとスケバン(爆)だからこれは別格だったが、
ふくらはぎの真ん中あたりまでは普通に行っていたと思う。
あの頃、ひざ上10センチなんてのをはいていたら、
あまりの奇抜さに、みんなが呆れたのではなかろうか。

だが、まあトレンドがどうであるかはともかくとして、
学校というのは、社会へ出るための練習をするところだ。
世の中、自分の好みに関係のない制服を着用する仕事は多いので
(販売員・銀行員・警察官・CA・調理師・看護師・事務系OL、
ほか各種作業員、等々、制服着用の職場は実にいろいろとある)
「制服は、所属した団体内の決まり通りに着る」
ということも、できないより、できたほうがいいと私は思う。
オシャレは私服で各自工夫を凝らして楽しめば良いのだし、
躍起になって校則に挑戦しなくても、別にいいのではないか。

それより、この記事中で、私が最も困ったなと思ったのは、コレだ。
『保護者の一人は「先生がしっかり指導すれば十分ではないか。
締め付けが厳しすぎる気もする」と話した。』

それは違うと私は思う。
『先生が』の前に、まず『保護者が』しっかり指導すれば十分、なのだ。
だって、そのお尻丸見えのミニスカは、家から着てきているのだよ?
保護者が制服を決まり通りに着るようにと家で指導をするならば、
別に学校側は厳しすぎる締め付けなどする必要はもともと無いのだ。
にっこりと穏やかな口頭注意だけで生徒の制服が揃うのなら、
先生方だってそのほうが百倍ラクだろう。

ちなみに私はこういう話になると、自信を持ってデカい態度に出られる。
なぜならば、うちの娘は服装違反など全くしないからだ。
校則遵守の真面目な模範生だ、というのではない。
娘は着るモノ、とくに制服なんか完全にどうでもいい人間なのだ。
「これ制服や」と言われたら、「さよか」とそのまま着るヤツだ。
丈は放っておけば未来永劫、買ったときのままだし、
ヒダが取れていても金輪際、気にしやしない。
コレはコレで、あまりのいぎたなさに私がキレることも多々ある。
ちとは身綺麗にせんかオノレは。

・・・って、いつでもどこでも部屋着女である私が悪い手本なのか、そうかそうか。

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この前からずっと、書こう書こうと思いながら、
知識のない素人が勝手なことを言うのも、と躊躇していたのが、
「口蹄疫」の問題についてだ。
報道されているように、先月、宮崎を中心に口蹄疫が発生し、
今や、日本の畜産の将来に関わる深刻さになってしまった。

5月6日にポゴレリチ福岡公演に一緒に行った友人は、
私の高校時代からの親友なのだが、彼女のご主人様が、
広島で、家畜の診療を中心にお仕事をなさっている獣医さんだ。
6日の時点で既に、このご主人様が、
「もう5月になってしまった。ことは宮崎の問題じゃない。
日本の畜産全体の非常事態だ」
と仰っていたというのを、彼女から聞いていた。

それでも私はまだ当時は、細かいことも知らなかったし、
政府の対策もあるだろうから、そのうち落ち着くだろう、と軽く考えていた。
しかし様々な悪条件も重なり、その後、口蹄疫は終息するどころか、
未だに被害が広がり続けている。
特に、エース級を含めて種牛たちの処分が行われたことは、
宮崎牛のブランドと日本の畜産の命運を左右する、重大な損失だった。
この病気は伝染力が強く、殺処分しか対処の方法がないので、
こうなると本当に話は対岸の火事ではない。

それで私は、これまたポゴレリチが縁でお友達になった、
群馬在住の畜産農家でいらっしゃる「けい」様にメールを差し上げ、
専門家の方がご覧になった現状と、
我々素人にできる支援に関して、ご意見とご指導を頂いた。
(けい様のブログは、こちら→ベーベ工房マダムの吟遊詩人的生活)。


けい様に教えて頂いた、我々一般人にすぐできる支援や協力は、

1. 宮崎の畜産農家のための支援の募金

2. 口蹄疫は宮崎だけでなく日本の畜産を壊滅させる
 恐れがあるため、現在は各都道府県でも動物園などで
 消毒を求められる場合もありますがその場合嫌がらずに
 協力をすること

3. 宮崎の農畜産物を各地で買うことで間接的に
 支援をすること

の三点だった。
どれほど協力したい・手伝いたい意志があっても、
伝染病の場合、現地に不用意に立ち入ることはかえって被害を広げるので
私たちの現時点で可能な支援は、経済的な方面からの協力が主となる。

これも、けい様からご紹介のあったブログなのだが、
現地の畜産農家の女性が書いていらっしゃるもので、
過酷過ぎる現状と専門家の方々の熱い思いとが、痛いほど伝わって来る。
*☆気ままにウロンコロン☆*

「生き物を扱う仕事は大変ね」とか「牛さん豚さんが可哀相」などという
感傷で語れる次元の話では、とっくになくなっていることが、
こうしたブログの言葉から、きっと多くの方々にわかって頂けることと思う。

**************

きょう、この拙ブログに来て下さった方々、
どうか私たち皆の、畜産の将来を決定する問題であることにご理解を頂き、
ひとりひとり、たとえ微々たる力だと思われても、
是非、積極的に支援する方向で、ご協力を頂けましたらと思います。
私も引き続き、このような場ですが発信を続けたいと思っております。
けい様はじめ、思いがけず現場の方々とお友達になることができ、
ネットの力や「縁」の不思議さにも改めて思いを至らせております。

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娘の進路をどうしたものか。
高校部に上がり、学校でもいよいよ卒業後どうするかの話が出てきたし、
来週からは担任と本人の個人面接も始まるようだ。
本人は今のところ、考古学趣味から史学科を考えていて、
同時に、絵のほうも捨て難いと思っている様子だ。

最後に選ぶのは本人だとはわかっているが、
本人の望みでも、ありとあらゆるものを支援できるわけではないし、
未成年の子にどういう教育環境を与えるかを決めるのは
親の特権でもあると思う。
学費生活すべての面で、全く親に頼らずに進学することは、
普通の子の場合、まずあり得ないのだから。

私は別に、○○大学に行って貰わねば、という類の希望はないのだが、
そこに行くことで、親なしで本人が社会的に自立できるようになって貰いたい、
ということは強く願っている。
好きなことしかできないニートやフリーターの娘を死ぬまで養えるほど
我が家には経済的な余裕はないし、
親の寿命だって長いかどうかなんてアテにできるものではない。
夢を追えるなら、最後は誰からも省みられずノタレ死んでも本懐だろう、
とまでは、我々、平凡な親としては悟れない。

私の親世代なら、女の子はどうせ嫁に行って旦那に食べさせて貰うのだから、
若いときくらい、何をやっていようが縁談に差し支えなければ良い、
と考えることが、まだ出来ていただろうと思う。
しかし今時は、男女とも、家庭を持つ持たないに関係なく、
自分の生活は自分で成り立たせる社会的経済的自立が不可欠だ。

私は別に、自分の、無職の専業主婦としてのルサンチマンから
娘に是非キャリアを持たせたい・女も働いて一人前、
などと言っているのではない。
誰かと一緒になるなら、状況によって自分が仕事を辞めて家庭に入る、
と考えるような、柔軟性や合理性も必要だと思っている。
しかしそれはパートナーとの話し合いや選択の結果であるべきで、
それしかできないから仕方なく、というのでは危険だと思うのだ。

高校生の娘にとっての現実的な話として、一般の大学を志すのなら、
大学受験予備校に近いうちに通い始めなくてはならないだろうし、
美大を希望するなら、芸大美大受験科のある予備校のほうに、
放課後通ってデッサンやデザインを学ばなくてはならないだろう。
残念ながらそれらは同時進行でやって二兎を追えるものではないし、
学年が上がるほどに、方向転換は不利になり難しくなると思う。

主人のほうは、以前から美術系の進路には賛成できないと言っていて、
それは娘が将来、生活のできないヲタク崩れで終わることを
ひとえに心配してのことだと思われる。
確かに、娘があまりにも前衛的な顔のカレシを連れて帰ってきたりしたら、
私も、まさか「ハデな海ボウズね♪」と面白がることはできないと思う(爆)。
だいたい、娘には絵の才能なんか、ないんぢゃないか(汗)?
かと言って、大昔の墓を掘るほうの話も、アブナいといえば、まあそうなのだが。

しかし本人が「やりたい」と言い出すものは、
少なくとも「向いて」はいるのだと思うので、
頭ごなしに否定するのもいけないだろう。
私の感じとしては、英語や国語などの学科で行く大学のほうが簡単、
というか、時間をかけたぶんだけ努力の成果が現れやすいと思う。
「時間をかける」ことに最低限、耐えられなければ話にならないが。
一方、美術のほうは、最初から根幹のところは才能で決定されいて、
技術の研鑽はそこに上乗せする部分に過ぎないのではなかろうか。

なので、これは例えばなのだが、もし娘が決めかねるなら、
現役時には、まず全力で美大を目指してみて、不合格なら諦め、
一浪して普通の大学の文学部史学科に入れるよう受験勉強をする、
ということでどうだろうかと思っている。
あるいは、まず一般の大学または美大のどちらかに進学してみて、
卒業まで頑張ったあと、なおかつ諦めきれなければ、
再度、もう一方の方面に編入や学士入学のかたちで入り直す、
ということも、可能かもしれない。
成功の保障はないし、他人のしない努力が要るが、「縁」の有無もあろうし、
こうした数年の回り道が、人生を誤るほどのマイナスにはなるまいと思う。

そしてここでまた、曾野綾子の名言、
「思いがすべて叶うというのは、美しいことではない」
を思い出すワタクシなのだった(^_^;)。
現時点で「思い通りにならなかった」ことが
かえって結果として実り多い人生につながる、
という可能性もまた、否定できないのだ。
だから選ぶことも、粘ることも、諦めることも、本当に大切で、難しい。

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主人が肩が凝って困るというので、今朝、揉んであげた。
首の付け根から肩に向かって触れていくと、
左側が顕著に、筋のように硬くなっている箇所があり、そこを押すと、
「うぅぅぅ~、キくぅぅぅぅ~、くはぁぁぁぁ~」
と、主人は悶絶していた。

転妻「くっ、これ、やってると」
転夫「くぅぅ?」
転妻「結構、力、が、要るから、」
転夫「・・・ぅぅ」
転妻「だっちょーになりそうな、気がして」
転夫「!?」

という、以前にもしたことのある会話のあと、無事に肩もみが終わった。
それから、主人は伸びてきた髪を撫でながら、
「ああもう、なんかうっとうしいよなあ。髪も切りたい」
と言った。そして、

転夫「もう前髪が、どうにもならん。かと言うて、バリカンで何ミリ、
 みたいな苅り方したら、髪のないとこがまるわかりになって
 ワシの頭、月代(さかやき)になってしまうし」

と、これまた過去数年間、繰り返された話を、また、した。
この問題は、数年来、結論が出ないままなのだ。
三十代から生え際の魔術師として活躍して来たころもんも、
さすがに限界が来て久しく、最近は、ぱらりぱらりと垂れる前髪を
どうやってもまとめることができず、苦労をしているのだった。

転夫「いっそ、スキンヘッドにしたろうかな」
転妻「いいんでない?」
転夫「そう思うか?」
転妻「そしたら、今こそ、頭ツルツルにして、
 後頭部に思いっきり、サロンシップ貼って寝るんだよ」
転夫「おおおおお!」
転妻「効きそうやろ?」

肩凝りの原因は、多くの場合、肩そのものだけではなく、
パソコンや読書などのために眼精疲労が重なっているのだ。
私は肩凝りや頭痛を感じるとき、ほとんどは後頭部が重くて、
ここに鍼を立てるか、湿布薬をぺったり貼り付けるかしたら、
どんなにか気持ちが良いだろうなあと、いつも想像している。

転妻「私も、もうちょい、おばーさんになったら、
 いっそ全部剃ろうかと思うねん。ほんで、頭に湿布貼んの。
 こめかみに膏薬貼るより、よっぽど、そっちのほうが夢やねん」
転夫「うむうむ」
転妻「だけど、みんなビックリするやろね」
転夫「いいんでないか?外行くときはカツラかぶりゃ」
転妻「それ、ありやね」

カタギに見えない転夫に、肥満した尼な転妻。
ボーイフレンドを家に連れて来られないと言って、
娘が、泣くであろう。

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ファンクラブでも大もうけする嵐(リアルライブ)

娘がなぜかジャニーズ系に走らないので、
我が家では「嵐」で騒ぎになることは今のところないのだが、
私自身、これまで様々なものに入れあげてきて、
各種ファンクラブや後援会に所属し、
自分でもチケット取りでは長年の苦労をして来ただけに、
この記事内容には違和感を覚える。
嵐やファンクラブそのものには、何の思い入れもないのだが、
私の感覚では、嵐ファンクラブが特にアコギなことをやっているとは思わない。

「1人4枚までしか申し込めず、抽選販売にもかかわらず、完全前払い制で、申し込み手数料という名目で500円を徴収される。でも、そんなシステムっていうのは、FCの会員になって初めて知らされた。昨年のツアーだと、FC会員のチケット代金は7000円で手数料500円だから、7500円払った」(20代のFC会員)
「チケットをとれなかったファンには後日、郵便払い出し証明書が送られてきて、返金手数料の700円を引いた形で返金されるが、チケットをとれなくて700円損をする仕組みはあまりにも不条理」(同)

申し込み枚数の制限は、チケットぴあのようなプレイガイドでさえあるし、
前払いも500円も700円も、『あまりにも不条理』どころか、
多くのFCで『普通』にやっていることだ。
チケットが取れたか取れなかったかではなく、
返金処理まで含めての、一連のチケット抽選過程に参加したことに対して、
申込者全員が手数料を払う、というのはFC的に当然だ。

だいたい、嵐のコンサートツアーともなれば、
ヘリや二階が売れ残るそのへんのチケットとはわけが違うのだ。
記事にもある通り、一般で取るのはとてつもない激戦だ。
敢えて自力で取るとしたら、本来どんなに苦労をせねばならないか。
予約開始当日に電話をかけまくる方法では太刀打ちできまいから、
窓口前で徹夜するか、代行を頼むか、オークションに賭けるか、
・・・といった方法になるが、どれも少なくないリスクを伴う。
努力しようがお金を払おうが、カス席一枚さえ取れない可能性だって高い。

どのプレイガイドがどのあたりの席を何枚持っているかは、
ジャンルによっては、知っている人は知っている情報だが、
トップシークレットのひとつだからおいそれとは教えて貰えないし、
「神の手」を持つオペレーターがどの窓口にいるかを知らなければ、
幾晩徹夜しようが、入力作業の段階で負けるから取れるものではない。
代行業者はピンキリだし、オークションは常に詐欺と隣り合わせだ。

その点、公認FCは一応の信頼がおける。かかる費用も明白だ。
FCに500円なり700円なりをよぶんに払うことで、
「労せずしてチケットを手に入れる可能性」を買った、と私なら考える。
可能性を買っただけだから、必ず成果が伴うとは限らないが、
ほかにどこを探しても「確実」「安価」な方法など存在しないのだから、
この数百円は私の側から言えば純然たる「投資」だ。
戻って来なくてモトモトだ。

また、FC業務という観点から言うなら、
抽選だって返金だって、そもそもタダでできる作業ではない。
嵐ファンクラブは、まさか善意のボランティアでは無いだろう。
入会金も年会費も払っているのに、と思うかもしれないが、
会員証配付や会報作成、グッズ制作、イベント企画や告知だって
どれも通信費や制作費や人件費が既にかかっているのだ。
境遇によってはライブに行かない・チケット申し込みをしない会員だっているだろうから
抽選・返金などチケット関連の世話になった人間だけが、それ用の手数料を払う、
というのはあり得べき発想だろう。

それでも、このシステムや700円が「損」「不条理」としか考えられないなら、
FCに向かって自分の希望通りに変わって欲しいと望むのではなく、
FCに期待するのは情報提供やグッズ販売、イベント関係と割り切り、
チケットは、体を張るなりお金を積むなりして、
自力で一般発売に参戦すれば良いことだ。
嵐ファンクラブあたりは、会員の行動の自由までは制限しないだろう。

多分、これまた結構多くのFCで、
「新入会の会員には比較的良席を割り当てる」
ということが行われていると思うので(←注:宝塚はこの限りではない)、
その時期だけFCに頼ってみて、ハズレが多くなったら、
あとは基本的に自力ゲットで行く、と考えるのも、
ひとつの方法ではあると私は思っている。
どちみち、チケットが手に入らない状況は同じなのだから、
金額やリスクを天秤にかけ、自分の納得感を第一の尺度にすれば良い。

いずれにしても、人気公演のチケットを手に入れるには、
気力・体力・知力・金力・情報収集力・忍耐力、
それに時間と人脈が、限りなく必要だ。

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風邪  


一週間経ったが、風邪はまだなおりきっていない。
私の変声期は終わったが、鼻声は相変わらずだし、
主人もくぐもった声のまま、ダルイと言いつつ仕事に行っている。

このウィルスは感染力が強いようで、主人の職場の同僚は
さっそくうつって、今、声がガーガーになっているそうだ。
お気の毒に。むこう一週間は、なおらないと思います。
申し訳ございません、変なものを持ち込んで。
御近所の皆様、今、我が家にはお寄りになりませんように。

さらに、私は咳が未だに取れず、主人は胃の具合が悪いと言っている。
もともとがいわゆる「のど風邪」の部類だし、
私は口蓋扁桃や咽頭などが弱いので、仕方がないと思う。
主人のは、きっと発熱したときに服用した解熱鎮痛剤が、
弱った胃に負担をかけたということだろう。
いずれも、まだしばらくは我慢しなければならないだろうと思う。

しかし咳のせいで私のお喋りが止まり、
胃炎の御陰で主人の大食いにブレーキがかかるので、
我が家としてはこの事態は好ましい面もある。

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主人の話。

広島の某銀行には、「カープV預金」というのがあるのだが、
その宣伝ポスターに、広島東洋カープの野村監督が登場している。
力強く拳にした手を、胸の前に出している写真だ。

ポスターやチラシなど、各種サイズ様々なバージョンがあるのだが、
某銀行本店に貼ってある、とりわけ大判のこのポスターを見て、
先日、主人は目が点になった。

野村監督が、小指を立てている!?

レコですかい?
と言わんばかりに、監督が真面目な顔で小指を立てていたのだ。

近づいてよくよく見ると、背景になっているスタジアムの
スタンド席の幟か旗みたいなものが、たまたま、監督の手の先に写っていて、
それが遠目に、まるで小指が立っているように見えただけだった。

「びっくりした。なんで小指?って。意味わかんねーし(^_^;)」
と主人は苦笑いしつつ動揺を語っていた。

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本当なら今夜は、マツダスタジアムで
西武×広島の交流戦を観るつもりだったのだが、
朝から大雨で、午後二時には中止と公表された。
広島の主催ゲームは、少々の雨なら無理矢理開催されるのが常だが、
きょうの雨量ではさすがに出来なかったようだ。

もともと25日に予備日が組まれているので、
きょうのかわりは、予定通りなら明後日行われることになる。
主催ゲームのつづくカープ側はまだ良いが、
西武は26日には甲子園の阪神戦が控えているので、
日程的に、厳しい移動になりそうだ。

それもこれも、マツダスタジアムがドームでないせいだ。
新球場の構想ができた当時、屋根の話はあったのだけれども、
結局は実現せず、あのとおりの青天になった。
身長201メートルのシュルツがドームに入れない
……からではなくて、勿論、お金が足りんかったからだ。

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