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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



・今朝は、4年ぶりに婦人科クリニックに行った。
たまには右卵巣の検診に行くべきだろうと思ったのと、
前に貰ったエストラーナテープが残り3枚になり、
見れば使用期限が2020年とあるので、
「これは一度ちゃんとしないと、いろいろ駄目だな(^_^;」
と思い、天中殺の今年は体のケアには好機とも考え、出かけることにした。
「おや、久しぶりですね!」
と先生にも笑われた(汗)。
エコーで診て戴くと、有り難いことに右卵巣は小さくなっていて映らず、
それは私がおばーさんになったということではあるが、
年齢相応に卵巣が消退しているのだから悪性疾患もないと考えられ、
大いに安堵することができた。
エストラーナテープは、引き続き体調に応じて使えば良いということで、
新たに30枚、処方して戴いた。

・その帰りに、耳鼻咽喉科にも寄った。
昨日、右耳が地味にぱきぱき音を立てていたので、耳掃除をお願いし、
併せて、鼻炎のほうも診て貰い、点鼻スプレーを出して戴いた。
耳垢は想定内の量で、綺麗にして貰って実にスッキリした。
鼻炎も最近は、以前ほどひどくなることはなく、
夏だから花粉が飛んでいないという事情もあるとは思うが、
コロナ禍でがっつりマスクをしているので、
いろいろなものが鼻粘膜に付着する機会が減っていて、良いのでは、
という気がした。←何もエビデンス等はない。単なる体感(^_^;。
こういう医者めぐり的なことも、市内のコロナ感染状況が落ち着いていないと
キショク悪くてできないので、今のうちにと思って今日はハシゴした。
雨もほぼやんでいたので、良いタイミングで行って来ることができた。

・娘もコロナワクチンの予約が出来たとLINEで言っていた。
今月下旬某日と来月下旬某日に受けるとのことだ。
副反応で寝込んだら、黒柴ちゃんに看病して貰うそうだ(笑)。

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朝は、久しぶりに、以前お世話になっていた産婦人科に行った。
1年半ぶりだったが、現状では特に異常な所見はない、
とのことで、やれやれ、有り難いことだった(T_T)。
ただ、年齢的なものや、粘膜の萎縮傾向などから、
卵巣機能は、多分かなり落ちてきているだろう、とは言われた。
もう50歳近いので、それはごく当たり前のことだった。
特にはっきりとした更年期障害の自覚は、今のところ無いのだが、
私は常に不定愁訴の多い人間なので、どれが更年期由来の症状か、
自分でわかっていないだけかもしれなかった。
ともあれ、現状では名前のつくような病気は無いようで、良かった。

それから、バスセンターからバスに乗って佐伯区方面に向かい、
舅宅がお世話になっている町内会の会費を払いに、
今年度の班長さん宅まで行った。
舅宅は、もうずっと、ほとんど留守宅になっているのだが、
やはり長年、舅が良くして頂いた方々のいらっしゃる町内会だし、
家がある限りは、引き続き私達もお仲間に入れて頂きたいと思い、
今のところまだ、町内会からの退会はしていないのだ。
とは言え、こうして会費を払っているだけであって、
清掃やパトロールなどの活動には全く貢献できていないのだった。
「わざわざおいでて頂いて」
と、班長さんが労って下さり、こちらこそ申し訳なかった。

それから、またバスに乗って、舅姑の墓に寄った。
前回来てから9日目だと思ったが、花は結構まだ元気だった。
相変わらず、蜘蛛が見事な巣を作っていて、
花の上にも糸を張っていたので、私が花を取り替えたら、
彼らの邸宅が半壊になった(爆)。すまん。

そんなこんなで、さきほど帰宅した。疲れた(^_^;。
晩ご飯したくない(殴)。

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2008年に腹腔鏡下に子宮全摘・左卵巣切除の手術を受けてから、
今年の1月7日で、四年が過ぎたことになる。
傷跡は、左下腹部に直径1センチ程度のシミみたいなものが一つ残っただけで、
もはや日常的には、手術のことなどすっかり忘れているのだが、
こうしてお正月になると、2007年1月3日の夜中に、
大出血で救急車を呼んでしまった
ことが思い出され、
二度と、あのようなめにあわないで済むというのは、
やはり、なんと幸せな、有り難いことかと思わずにいられない。

手術から四年経ち、婦人科関連の不調は現在までのところ特に感じていない。
2011年4月に、手術前まで通っていた産婦人科クリニックに行って、
残っている右卵巣を診て貰ったが、何も異常は認められなかった。
また手術跡の断端もなめらかで、とても良い状態だとのことだった。
術後一年くらいは肉芽ができやすく、二度ばかり外来で切除されたが、
そのあとは綺麗になったようだった。
年齢的には完全に更年期に突入していると思うのだが、
これまでのところ、更年期障害というほどの自覚症状はない。
というか、不定愁訴はいろいろあるほうなので、
どれが更年期由来かそうでないか、自分ではよくわからない(^_^;。

術後四年目となった昨年、手術の影響として新たに自覚したことは、
左卵巣を切除した跡の、恐らく下行結腸のどこかに、癒着が残ったらしい、
ということだった。
最初にこの箇所を意識したのは、2011年5月下旬に腸炎になったときで、
過去によく経験した腹部不快だけでなく、明らかな腹痛が左下腹部にあり、
それ以来、腸炎になるたびに、同じ場所に痛みを感じるようになった。
もともと過敏性腸症候群的な自覚はあり、それに癒着由来の症状が重なり、
昨年は8月下旬9月下旬10月上旬11月上旬12月上旬
とほぼ毎月のように腹痛を伴う腸炎になった。
毎回、症状はさほど激しいものではなかったが、
数日間、下痢に伴って腹痛と腹部不快が続いた。

11月下旬に、某消化器内科クリニックで大腸内視鏡検査を受け
左下腹部の結腸の途中に、癒着とおぼしき可動性の悪い箇所が認められ、
ほかに器質的な異常は無かったため、腹痛の原因は癒着と診断された。
内視鏡挿入時に痛みがあったのも、まさに腸炎のとき腹痛を感じる場所で、
腹部手術の後遺症としての、中等度の癒着だろうと言われた。
ただ、このことは、婦人科手術だけが原因とは言い難いというか、
そもそも2007年以前より、左卵巣チョコレート嚢胞は大腸に癒着しており、
それが卵巣切除手術を受けた理由でもあったので、
いずれにせよこの箇所は、もう何年来、私の弱点だったことは間違いなかった。

癒着に由来する症状は、きっかけがなくともあるとき唐突に現れることが多く、
腹痛が昨年5月から始まったとしても、そのあたりで癒着が悪化した等々ではなく、
症状の発現は偶然に等しいものであると、消化器クリニックで説明を受けた。
また、私は残存内膜症の再発としての、腸管内膜症の可能性をやや心配していたが、
経過や症状からそれは考えられず、腹痛は癒着由来である、
というのが、大腸内視鏡検査をして下さった消化器内科の先生のご意見だった。

癒着の治療をもし望むとすれば、腹腔鏡下での癒着剥離術が可能ではあるが、
手術は新たな癒着を招く可能性もあり、積極的には勧められないとのことだった。
保存的には、冷やさないこと・過労しないこと・ストレスをためないこと、
等々を日常できる範囲で心がけ、腹痛については予防や症状緩和の目的で、
大健中湯やセレキノン、ブスコパンなど、適宜使って行く方法もあるそうで、
今のところ服薬は試していないが、必要なら今後検討したいと思っている。

*************

昨年はその腹痛の件があったことで、健康状態が不安になり、
ここ数年なかったほど真面目に、いくつかの健康診断を受けたのだが、
結果的には、自分にとって大変良い機会となったと思い、感謝している
(腹痛があったことにも、各科の主治医にも、検査内容にも・笑)。
前述の通り、4月に産婦人科で内診・エコー検査、
11月に内科で、血液生化学検査・血圧測定・尿検査・心電図検査・胸部X線撮影、
同月、外科で、乳房視触診・乳腺エコー・甲状腺エコー・マンモグラフィー、
泌尿科で、尿検査と腎臓エコー、
消化器内科クリニックで、胃内視鏡(迅速ウレアーゼ試験によるピロリ菌検査含む)・
大腸内視鏡・腹部エコー・頸部エコー、
……これらの検査から、右腎盂結石と胆石以外には、特に異常は認められず、
結果として精神安定に大いに役立ったし、有り難いことだった。
だが同時に、心身ともに非常に疲労したし財布に相当響いたことも確かで(爆)、
症状があるときに検査を受けるのは必要なことだと心から認めるけれども、
一方で、こんなことを毎年毎年やっていたら私はシヌ、とも思った(殴)。

ほかに、ここ数年の検査実績(笑)としては、
2010年5月に脳外科で頭部MRIを撮ったこと、
同年8月に某眼鏡店の聴力検査室で細かい聴力検査をして貰ったこと、
2011年8月に眼科で視力検査と眼圧・眼底検査を受けたこと、等々だろうか。
健康管理を心がけ、定期検診を受けるのは、一般的に良いこととされているが、
大丈夫であることを常に確認していないと、精神の安定が保てないというのは、
「心気症」や「確認恐怖」の入り口でもあるだろう(汗)。
家族から、とっくの昔に「過剰受診」との誹(そし)りを受けているので(^_^;
今年は、できるだけ医療機関と縁が切れるようでありたいと願っている。

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2008年に腹腔鏡下に子宮全摘・左卵巣切除の手術を受けて、
昨日1月7日で、二年が過ぎたことになる。
ここ一年以上、婦人科のほうは検診に行っていないので、
自分がどういう状態なのか、客観的にはもうよくわからないが、
主観的には、後遺症や新たな問題は、全然感じていない。
月イチの不安から完全に解放されたのは、私にとって素晴らしいことで、
よく言われる「喪失感」とか「寂しさ」などを感じたことは一度もない。
限りない安定感と開放感が、今でも私にはあり、とても幸せに感じる。
私が情緒的におかしいのか、手術前の状態が酷すぎたということなのか、
自分でもよくわからないが、現時点では結果オーライと言うほかない。

本当は、残っている右卵巣の検診を年に一度などと決めて、
自発的に受けると良いのだろうとは思うが、
卵巣がん検診の有効性は確立していないそうで、
「研究以外の目的で無症状の婦人が卵巣癌検診を受ける意義はない」
との見解が、アメリカのレポートにもあったので、
私はそれを、自分に都合の良い方向で理解することにして、
最近は、機会があれば程度に考え、流れに任せている。

それより昨今は、目眩のほうがよほど困った問題だ。
今の私は良性発作性頭位めまい症に熱中している。
この症状は、多少なりとも更年期と関係があるのだろうか?
医師にはそんなに心配しなくて良いと言われたのだが、
やはり完治するまでは気になるし、気分も良くないのだ。
12月15日の再発以来、現時点で三週間ちょっと過ぎたところで、
もう回転するほどの目眩はなく、格段に良くなっているのだが、
それでもまだ、ゆらっとするような不安定感が残っている。

主人にも、
「筋腫の手術があったことなんか、もう忘れとったよ。
それより、おかーちゃんは、そのあとがいろいろあったけ」
と言われている(苦笑)。
確かに。
春には右腎臓結石で造影検査、夏には腰痛でMRI、
秋には心臓の期外収縮で心電図と、季節ごとにイベントがあり、
挙げ句に、年の瀬から目眩騒動だったな。
いやはや、お騒がせして、すみません~。

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子宮粘膜下筋腫と子宮腺筋症、左卵巣チョコレート膿胞を、
腹腔鏡下に子宮全摘・左卵巣切除という方法で手術して、きょうで1年だ。

現時点まで、大きな問題や体調の変化は無かったと思う。
それ以前の、持続的な出血から解放されて心身ともに安定したし、
後遺症といえるようなものも、今、特には感じていない。
婦人科的には、昨年8月下旬に自発的に受けた検診では、
内診したら縫合跡に小さい肉芽が出来ていたので外来で切除したが、
ほかには、右卵巣にも異常は認められず、問題は指摘されなかった。

腹腔鏡で手術した傷跡そのものは、下腹部に3箇所、
それぞれ1センチずつくらい、まだわかる程度には残っている。
3つのうちひとつはもうかなり薄くなっていて、
別のひとつは、上から触れると微かに硬くなっている箇所がある。
お臍よりかなり下の位置なので、下着やビキニで隠れる範囲だし
(私は可愛い小さな下着など着ないし、ビキニも用無しだが)、
肌を見せる仕事でもなかったら、完全にどうでも良い程度だと思う。

あとは、気づいたこととしては、
頻尿がなおったこと、平熱が低くなったこと、だ。
手術前は子宮肥大があったせいか、トイレの回数が多かったが、
最近は3~4時間は行かなくても済むようになった。
平熱に関しても、内膜症の炎症がなくなったせいかどうか不明だが、
以前は37度前後あったものが、最近は36度台前半まで下がった。
低体温になると、それはそれで良くないとは思うが、
病的なものが改善した結果であるなら、ひとまず嬉しいことだ。

そういえば、退院後の一時期、
目覚めたとき、それまで見ていた夢を克明に覚えている
という状態が続いて、変な気分だったものだが、
いつの間にか、そんなことは終わった。
今はもう、原則として毎晩、横になったら間なしに爆睡で、
朝まで中途覚醒は無いし、夢も全く記憶していないことが多い。
あの頃は、何かの拍子に一時的にああなっただけで、
手術や入院とは関係なかったのではないかと今では思っている。

私が入院したのがちょうど一年前だった、
ということを主人は既に覚えていなかった(--#)。
そういえばそんなことがあったが、何年も前のような気がしていた、
とのことだ。

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1月7日に、粘膜下筋腫・腺筋症・左卵巣チョコレート嚢腫を
腹腔鏡下に子宮全摘・左卵巣切除というかたちで手術してから、
明日でちょうど半年経つことになる。
本人もだが、既に家族も誰も彼も、手術のことなど忘れていて、
もう今となっては、周囲には特別に労ってくれる気配など無い。

客観的には、もしかしたらいろいろなことが
私の身には後遺症として起こっているのかもしれないが、
なにしろ、手術する前の状態がヒド過ぎたので、
出血が無いだけで、こんな快適な暮らし方ができるものだったかと、
術後はそれひとつにひたすら感謝・感動する毎日で、
あっという間にここまで来てしまった。

右卵巣だけはそのまま残っているので、
基礎体温を厳密に測ったなら、卵巣機能が良いかどうかが、
およそわかるのではないかと思うが、
ホットフラッシュなどの更年期症状はまだないので、
多分、それなりに右卵巣は仕事をしているのではないかと思われる。

腹腔鏡の傷跡はややうすくなったかとは思うが、
下腹部に1センチずつ三箇所ほど、相変わらず残っては、いる。
もし私が肌を露出させるモデルのような仕事をしていたら、
僅かな傷跡も職業的に大問題だっただろうと思うが、
今の私にとっては、胴体に少々模様がついていようがいまいが、
誰も見ていないし気にしていないし、全く問題ではない。
それより、もう二度とあの目眩のするような大出血を見なくて済む、
と思うだけで、私は限りなく幸福な、安定した気分になれる。

低用量ピルを飲まなくて良くなったので
気分不良や腹部不快や寝汗や甲状腺機能亢進症や頻脈などの、
うっとうしい副作用からも解放された。
振り返ってみると、私はどういうわけか、
皆がひどく副作用を恐れるリュープリンでは全くなんともなくて、
広く支持されているはずの低用量ピルではトラブルつづきだった。
このあたりは完全に個人的な体質の問題だったのだろうと思う。

手術したら太りますか?という問いが、
よく筋腫治療関連サイトに載っているのだが、
私は手術以前に昔から、かなりな肥満体だったので、
「とりあえず1キロたりとも痩せはしなかった」
ということが言えるだけだ。
厳密に言えば、確かに退院後に家でごろごろしていたら
3月頃には、計ると3キロくらい体重が増えていた。
それでちょっと朝ご飯を減らしたり間食をひかえたりして、
4月~5月で2~3キロ落として、現在は手術前と較べて同じか微増か、
という程度、・・・でも結局のところ、見た目は変わっていないと思う。

とゆーか。
「太るかもしれないから、手術したくない」
などと真面目に思えるうちは、
まだまだ術前の症状としては許容範囲なのではないかと思う。
手術前の私は、仮に、これでBMIが10上がると言われたとしても、
全摘に迷いはなかった。それくらいシンドかった(苦笑)。
こんな状態が続いたら私の命は長くない、と思うほど自覚症状がキツく、
容姿なんか論外、生きながらえるのが先決、という気分だった。

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およそ4年前に発覚した粘膜下筋腫・腺筋症・左卵巣チョコレート嚢胞を
今年1月7日に、腹腔鏡補助下に子宮全摘・左卵巣切除というかたちで治療してから、
きょうでちょうど3か月経った。
自覚症状としては手術の影響はもう全く何も感じなくなった。
手術跡はそれぞれ1センチずつほど、赤茶色のまま残っているが、
退院後しばらく切開跡の内部で硬くなっていた部分は、
今では触れてみても何もなく、消えたようだ。
その他、痛みや出血なども全くなく、経過は良いように思う。

あと、婦人科には関係ないのだが、右足甲のガングリオンも
最近は再発していないので、有り難く思っている。
昨年の初夏くらいに直径1センチほど腫れて、歩くと鈍痛があったが、
ガングリオンと診断がついて以降は、自分で圧迫してつぶすようになり、
幾度か繰り返しているうちに、最近はついに腫れなくなった。

ほかに最近のマイナートラブルとしては、老眼と肩凝りを実感している。
パソコンを使うようになって以来、どうも乱視が悪化していて、
それに加えて老眼が加速度的に進んでいるので、
最近は眼鏡の調整が難しくて仕方がない。
私の乱視はかなり強く、半年に一度くらい眼科で診て貰っているのだが、
眼鏡で完全に矯正すると、視界そのものが歪むのはどうしようもないのだ。
それで、矯正視力0.5くらいしか出ない状態で我慢しているのだが、
遠くは全部にじんで見えるし、近くは少し離さないと見えないし、
現状はかなり不快・不自由だ。
いっそ、コンタクトを主体にして、合う老眼鏡をつくることにするか、
そうでなければ、外出用、室内用、読書・パソコン用と、
3つくらい眼鏡が欲しいと思う、今日この頃だ。

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1月7日の手術以来、ほぼ二ヶ月が経過した本日、
検診が予定されていたので、久しぶりに病院に行った。
既に、忌野清志郎のライブでスタンディング3時間をやった人間が、
「術後の体調が不安」
とは、今更、口が裂けても言えないだろう(^_^;。

入院時に初めて担当医・執刀医となって下さった先生が
入院中から退院後の外来までの経過をずっと診て下さっていて、
きょうは、創がぴったりついたか、溶ける糸はどうなったか、
を確認すると言われていたのだが、内診とエコー検査によれば、
内部の創は綺麗になおっているとのことだった。
ただ小さいカサブタみたいなものがあったので、
脱落したり出血したりしたら驚くだろうからと、
これだけ先に取り除いて下さった。
「でも、またできるかもしれないんですけどね~(^_^;」
と先生は仰っていたから、そんなに気にしなくても良いようだ。

左卵巣はこのたびの手術で全部切除しているので、
残っているのは右だけだが、エコーで診たときに、
どこに右卵巣があるかしばらく探したくらいだった。
つまり、現時点では小さくて、腫れなどは全くないということだった。
この右卵巣の検診だけが、今後の婦人科検診ということになるが、
子宮癌検診のように、目安として定められた時期や方法は無いので、
半年とか一年に一度、自分で決めて受診するのが良い、とのことだった。
あとは、体調の変化を感じることがあれば、適宜。

「ということで、これで、終了としましょう」
と先生はニッコリ笑われた。
検診希望のときには電話で予約して来るか、または、
以前通っていた近所のクリニックを受診しても良いそうだ。

本当に、ありがとうございました<(_ _)>。

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1月7日に腹腔鏡で筋腫の手術(子宮全摘および左付属器切除)をして
ちょうど1ヵ月が経過したので、現在の体調を記録しておこうと思う。

気分の良い日には、もう、手術したことを忘れるくらいになった。
下腹部に三箇所、1センチ弱ほどずつある皮膚の切開の跡は、
茶色っぽくなっていて、押すと周辺組織が硬くなっているのがわかるが、
創そのものの痛みは全くなく、表面は触れてもなんともない。

腹腔鏡はお臍の底を切開して挿入したということだったが、
術後にお臍が痛んだり出血したりすることは全くなかった。
ただ退院後、キッチンに立ってみると、お臍の左側に一箇所、
シンクのふちに当たって鈍く痛む部分があって、
しばらくは圧迫されると違和感があったが、それも今は消えた。

術後から、それまでの不正出血より軽く薄い出血が続いたが、
だいたい二週間ちょっとで完全に止まった。
度重なる過多月経が、手術を決断した第一の理由だったので、
出血から解放されたというのが、今は最も有り難いことだ。

術後から、左下腹部あたりに痛みが出やすく、入院中などは、
腸が動くとキュキュ~・・・とお腹の左下が痛くなったものだが、
忘れもしない、1月25日に『茶々』を観に行った日の帰り、
断続的に痛みが出るのが気になってロキソニンを飲んだら、
それ以来、ピタっと、この痛みは止んだ。
どういう仕組みになっているのか、我ながら全然わからない(爆)。

全身的な状態としては、やはりまだ疲れやすいという自覚はある。
家事は普通にしているが、手術前と同じような感覚で動くと、
途中でシンドくて続かなくなったりして、耐久力はまだまだだ。
以前、元気だった頃、朝から一時間のウォーキングをしたうえに、
昼からスポーツクラブでエアロビクスをしていたものだが、
今のところは、とてもとても、そのような勢いは無い。
体調を見ながら、散歩したり、軽いストレッチをしたりして、
無理のない範囲で、運動することを心がけたいと思っている。

ちなみに2月4日に、かかりつけの内科で受けた血液検査の結果では、
血小板30.9、血沈10ミリ、というのが基準値上限ぎりぎりだったが、
あとは、CRPが0.17、T3が1.6、T4が8.3といずれも問題なかった。
手術で貧血気味になり、退院直前の採血ではHb9.6だったが、
全く鉄剤を使わずとも今回の検査では11.3へと改善していた。
赤血球425、MCV85というのも平均的な値で、充分だった。

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病理検査の結果説明と術後の診察とが予定されていたので、
手術して貰った総合病院産婦人科へ、11日ぶりに行った。

検査結果は、術前の予想通り、
粘膜下筋腫と腺筋症、左卵巣チョコレート嚢胞ということで、
つまり普通の子宮筋腫と内膜症であり、いずれも良性だった。
摘出した検体は200gに満たず、さほど大きくはなかった。

内診のほうは、創はきれいで問題ないとのことだったが、
まだ、手術のとき縫合した糸が内部にしっかり残っているそうで、
これが完全に溶けるまでは、ごく軽い不正出血が続くそうだ。
溶けかかった糸が出て来ると、赤い出血を見るかもしれないが、
それも想定内なので、心配ないとのことだった。
そして、このあとは、もう一度、三月初旬に、
この糸が全部溶けて傷口がぴったりついたかどうかを診察する、
ということだった。

また、右卵巣は手術時に腹腔鏡で診て全く異常を認めなかったので
そのまま残してあり、このあとは年齢に応じて卵巣機能が衰え、
更年期を迎えると予想される、ということだった。
右卵巣が内膜症を起こしたり、嚢腫や癌になる可能性は、
ごく普通にあるので、定期的に観察はした方がよいそうだ。

************

ところで、主人はきょう、仙台に出張するのだが、
本人が広島空港に行ったあと、仙台行きが欠航と決まった(--#)。
仙台は朝から暴風・大雪・波浪警報が出ていて、
無事に降りられるのかと、家を出る前から心配していたのだが、
千歳空港のほうの都合か何かで、フライトそのものがなくなった。
メールによると、これから羽田に飛んで、新幹線で仙台に行くそうだ。
新幹線も奥羽本線方面の強風で遅れや運休が出ているようなのだが、
果たして、主人は今日中に仙台に辿り着けるのか!?


追記(1月25日):結局、仙台へは夜8時頃着いたそうだ。
 仙台の友人某氏によると、この日、仙台は昼頃までは
 警報に不似合いな地味な天候だったようなのだが、
 夜までには、やはり、雪が降り始めたそうだ。
 主人は「雪が積もってる。さあ飯じゃ!」とメールして来た。

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