転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



先日、どっかのイタチが(知らんけど)踏み抜いた玄関天井板
きょう、地元の○○電興のお父さんに修繕して貰った。
今や、末永くここに私が暮らすという前提は全くなく、
とりあえず天井の穴を閉じて欲しいというのが希望で、
板の素材や色味など一切問わないと私は言ったのだが、
とても丁寧にピッタリとなおしてくださった。

  ←修繕前  修繕後→

更に、作業で判明したのは、もともと天井板そのものが、
単に「乗せただけ」的ないい加減さだったということで、
親切な○○電興のお父さんは、
「『ヒモ』を渡して固定しよう」
と仰り、細く加工した木材を天井の端から端まで渡して、
天井板を補強してくださった。
もとの状態では、どの板も端が浮いていて、
天井裏の動物が前足で簡単にずらせそうな状態だったのだ。

  ←修繕前 修繕後→

これまで何度掃除しても、玄関に砂ぼこりが積もっていて、
天井裏が怪しいのではないかと、前々から思っていたのだが、
これだけ天井板がボロくなっていては、
いろいろ動物も出たり入ったり自由自在であったことだろう。
今回のことがあって、天井を修理して貰うことになったのは、
良いタイミングだったし、必要なことだったのだなと思った。
○○電興のお父さん(笑)、本当にありがとうございました!
綺麗になりました~~!!

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テッテー的に内向きな私(汗)にとって、
コロナ禍のStayHomeは素晴らしい経験(の始まり)であったが、
その時期に得られたもののひとつに「ストリーミング」があった。
ライブもオンデマンドも、いずれも私には恩恵が大きく、
この配信方式があった御蔭で、私は家に居ながらにして、
各地の公演が聴ける・観られるようになり、
自分の趣味に合った各種講座を視聴することも可能になった。
その楽しみの多くは、今も変わらずに続いている。

ライブに関してはなんといっても、ドラムのはせがーさん(長谷川浩二)が
出演される吉祥寺シルバーエレファントでの公演の多くが、
ツイキャスで配信されるようになったのが有り難かった。
広島に居たら、はせがーさんの演奏などまず聴くことができない。
コロナ禍前は東京まで遠征したりしていたのだが、
時間と旅費がネックになり、非常に機会が得にくかった。
今や、聴こうと思えば月に数回は、はせがーさんのステージが楽しめる。
東京まで往復+宿泊するのに較べて、話にならないほど安価なので、
私は時々、お茶爆(=ツイキャスで言う投げ銭)も送っている。
ここに費やす費用は、私の旅費でなくアーティストのものになるのだ。
なんと素晴らしいことか。

Chabo(仲井戸麗市)の配信ライブも欠かさず聴くようにしていたのに、
彼は、有観客ライブができるようになると配信のほうは止めてしまった。
こうなると、今度Chaboが広島に来てくれるときまで、
私は彼のライブを聴くことはできない。
いつも書いている話だが、私の今の生活では、
広島から東京まで往復するための移動時間が容易に捻出できないから、
私の残りの人生でChaboを聴ける機会は、激減したことになる。
実に残念な話だが、致し方ない。

歌舞伎座の公演も、MIRAILで翌月に演目ごとに配信があるので、
よく利用している。
歌舞伎オンデマンドをチェックしていれば、
上記MRAILのほか、楽天TVやStreaming+等の情報も一括してわかる。
松緑の『荒川十太夫』は初演も再演も配信で観たし、
鷹之資の『舟弁慶』などは生観劇と配信の両方で楽しめた。
舞台を観に行けても行けなくても、配信があるというのは有り難いことだ。
松緑の『紀尾井町家話』も素晴らしい。
歌舞伎座タワー他で開催されていた頃は、チケットを取るのが大変だった。
今は毎回、確実に聴けるうえ、再配信期間も開始当時より長くなった。
ときに、この『紀尾井町家話』に関しては、
私は2020年6月13日の第1夜より先だっての第137夜まで皆勤である(笑)!
明日の第138夜も既に買ってある。

一方、こうした舞台関係の配信だけでなく、
最近はNHKカルチャーにも大変お世話になっている。
折しも、NHK文化センター広島教室が、この3月31日までで閉鎖になったのだが、
NHKはオンラインやオンデマンド講座があり、見逃し配信のあるものも多いので、
全国のNHKカルチャーの講座のうち、配信のあるものは、
こちらが忙しいときでも、都合に合わせて受講できている。

最近申し込んだもののうち、見逃し配信も含めて今でも視聴できるものは
たとえば以下のようなものがある。
いずれも、広島に居たのでは接することが叶わなかった講座ばかりだ。

ベートーヴェンを読み解くことから聴こえてくる世界
(ピアニスト 仲道郁代)

ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が明かす最新の宇宙像
(東北大学宇宙地球物理学科教授  秋山正幸)

名画を読み解く スペイン絵画最大の巨匠 ベラスケス 〜プラド美術館の至宝群〜
(フランス国立ルーヴル学院卒、美術作品解説家 矢澤佳子)
名画を読み解く3 ピーテル・ブリューゲル(父)
(フランス国立ルーヴル学院卒、美術作品解説家 矢澤佳子)

5/15竹本織太夫 文楽のすゝめ
(講師人形浄瑠璃文楽座 太夫  竹本織太夫)

地方に住んでいるために、いかに多くのものを手に入れ損なっているか、
ということについて私はしばしば悔しい思いをして来たのだが、
オンライン講座の御蔭で、そうした残念さはかなりの程度まで解消された。
演奏や舞台など、生でないことが惜しまれるものもあるが、
内容自体は、むしろ自宅の快適な環境でゆっくりと鑑賞できるし、
配信期間中は幾度でも繰り返して観る・聴くこともできるので、
ストリーミングの利点は大変大きいと感じられる。
これからトシを取るにつれて、更に外出も難しくなるだろうから、
配信を楽しめる時代であったことは、とても有り難かったと思っている。

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4月から新講座が始まった。
フランス語・スペイン語ともに、今期は「初級編」「応用編」の組み合わせだ。
体感として、「中級編」と「応用編」の区別はあまりつかないが(汗)、
「入門編」と「初級編」のレベルの違いはわかる。特にフランス語に関しては。
以前一度は勉強したことがあるのを前提にしているので、
最初から多彩な文法事項に触れてあるし、語彙も入門編よりずっと幅広い。
初級文法の良い復習になるので、今の私にはこのほうが有り難い。

フランス語初級編は『ゾエと学ぶフランス語』、
姫田麻利子先生とアルベリック・ドリブル先生。
姫田先生は、以前の講座でもそうだったが、いかにも初級者の考えそうな、
疑問や間違い等を提示して、「この場合はどうですか?」のように
ドリブル先生に意見や訂正を求めてくださるので、学習者として
「そうそう、それが聞きたかったのですよ」と思うことがよくある。
とても聞きやすい講座で、気に入っている。
ドリブル先生は4月の初め、かなりの鼻声で、「お風邪?花粉症?」と
聴いていて心配になったが、3週目と4週目は少し改善された感じがした。
5月以降、更に良くなられると良いのだが。
フランス語は鼻に抜ける鼻母音があるので、鼻炎のときは辛そうだ(汗)。

フランス語応用編は、この3月まで聴いていた昨年後期分の再放送で、
西山教行先生とジャン=フランソワ・グラツィアニ先生による
『フランコフォニーとは何か』。
毎回、素材の文章が大変に読み応えがあり、私好みである。
今期は二度目であることと、放送前に予習してから聴いているので、
よく理解できて、手応えがある。
『練習』の和文仏訳も、語彙がわからないとき以外は正解できている。
ただ、きょうの文章を最初に通して聴いたあと、
「聴き取れましたか?」
と西山先生が仰るのだが、それは私にはほぼ無理だ(^_^;。
このレベルの文章は、私には自分のペースで黙読してちょうどで、
ネイティブが読み上げたものを聴くだけで理解することは不可能だ。
予習で読んで、内容を知った上で聴けば一応はわかるが。
放送でリエゾンやアンシェヌマンが確認できるから、
復習として音読を取り入れれば良いのよね(汗)。

スペイン語初級編は、中島さやか先生とヴァレリア・フィシェレフ先生の
『ショウタと旅するコノ・スール』。
6月のスペイン語検定5級受験が今、頭にあるので、
このレベルのスペイン語は聴いてわからなくてはならない、
という自覚をもってやっている(^_^;。
ダイアログはストーリーがあるような・無いような、ふんわりしたものなので
「ラウラって昨日、朝寝坊してぼんやりしてたんだっけ」
と先日思ったのだが、それはフランス語初級編のゾエのほうだった(汗)。
語学講座は、往々にして若い主人公や友人が外国を旅をするので、
私の頭の中で話や設定が混ざることが結構ある。すみません。

応用編は長谷川信弥先生とベルナルド・アスティゲタ先生の
『一歩先のスペイン語』、2022年後期の再放送だ。
これもフランス語応用編と同様、『今日の表現』の文章を
最初に聴いたあと、長谷川先生が当然のように
「聴き取れましたか?」
と仰るのだが、私には無理である(汗)。
予習で読んでいるから内容は知っているが、
各種動詞の接続法まで含めた活用形は、瞬時には頭の中で意味をなさない。
英文法と同じ理屈になっている箇所が大半なので、
説明されている文法事項や構文は問題なく理解できるのだが、
適切な活用形が私の頭の中で完成されるまでにはとてつもなく時間がかかる。
不規則活用などは辞書で調べないと心許ないのが多い。
……頑張ります(^_^;。

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今朝、神社の用事があって実家に行ったら、
表玄関の片隅の天井が破壊されていて、
下駄箱の上に割れた天井板が散らばり、
玄関から「中の間」、座敷にかけて、黒い毛が点々と落ちていた。

      

実は、前回20日(土)に来たとき、私が父の寝室にいると、えらく近くで、
……なおぉん、なおぉん、
とサカリのついた猫みたいな声が幾度も聞こえていて、
勝手に入ってきてるのか?と玄関のほうまで見に行ったりしたのだが、
特に誰も居るようではなく、外かな、とその段階では思っていたのだ。
少なくとも、父の寝室側の天井裏を何かが歩いて行くような音は、
そのときは全くしていなかった。

今朝の状況から言って多分、20日のあのときか、或いはその後に、
何かがまず家の側面のどこかから天井裏に侵入し、
のしのしと歩いて移動していた最中に、玄関の上を通りかかり、
ヨワヨワになっていた板を不覚にも踏み抜いて、落ちた、
……のではないかと思われた(汗)。
黒い毛は触ってみるとフワフワととてもやわらかかったので、
猫か、イタチか、テンか。
そいつは下駄箱の上に落下し、座敷まで歩いたらしいことが、
足跡ならぬ毛跡でわかったが、そこからどうしたのかは謎であった(汗)。

家のどこかに潜んでいる可能性もゼロではなかったが、
何しろ面積だけは広すぎる田舎家で、家じゅう見てまわるのは
限りなく面倒であるうえキショク悪かった。
ただ、私がうろうろしても、何の気配もしなかったので、
おそらく今は、家の中には何も居ないだろうという感触は、あった。
物陰でひっそり死んでいるのでなければ(爆)。
もと来た道を戻り、下駄箱を踏み台にして屋根裏に飛び上がって、
帰った、のであって欲しいものだと思った(^_^;。

ということで、いつも家の各所修繕でお世話になっている、
地元の○○電興のお父さんに電話し、早速に現場を見に来て戴いたところ、
やはり私の想像と同様のことをこの方も仰った。
「とりあえず、中から板でも打って、出入りできんようにするしかないね」
と言われ、それしかないと私も同意し、近々、修繕して貰うことになった。
ちょうど今朝も、近所の某家の仕事で来てらしたところだったので、
近日中に、ついでにやって戴けそうな感じだった(^_^;。

ったく、築100年超のオバケ屋敷には困ったものだ。
カメムシやカニが入って来るのは仕方ないと思っていたし、
ヘビと遭遇することもあり得ると、知っては、いた。
何年前だったか、ネズ公と対決した夏もあった。
今年は、この、黒い毛のはえたヤツかよ。

きょうも雨なので、この黒いヤツは乾いた寝床を求めて、また来るかもしれない。
とりあえず、玄関と「中の間」の境のふすまを、きょうは全部閉めてきた。
前回は開けっぱなしだったので、こいつに座敷まで入られたのだ。
それから念のため、父の寝室のほうに通じる引き戸も、台所へのドアも
ぴったりと閉じておいた。
また同様に天井から落下する格好で室内に入るヤツがいたとしても、
きょうからはもう、玄関の六畳間よりほかに行くところは無い筈だ。

……しかし、天井に板を張っても、家の外側のどこかから天井裏に侵入する穴は、
多分、空いたままになっている訳で、それがどこであるかを突きとめなければ
猫であれイタチであれ、天井裏に入ることは、これからも可能ということだよな。
かなり以前に、まだ両親が住んでいた頃にイタチに入られたことがあって
怪しいと思われる箇所に外から金網を張って貰った、という一件があったのだが、
それももう、劣化しているだろうよね。

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縮景園の桜を愛でたり、家で切り花を飾ったり、
本を読んだりバレエクラスもどきを楽しんだり、
こんぴら歌舞伎を観るために遠征したり、
……と、最近はようやく本来的な「道楽」日記になって来ている。
夏祭までの束の間、神社仕事が閑散期に入っているからだ。
有り難いことである(涙)。

ということで、新しい花を買った。
朝からなんの予定もなく、掃除をしてオンラインエアロビクスをして、
語学をやったりネットで遊んだり本を読んだりして午後を過ごす、
……みたいな日が、私はいちばん心穏やかで幸せである。

***************

友人の娘さんが現在、就職活動中で、
面接に行ったら、求人サイトで見たのと話がかなり違っていたり、
意地悪?な面接官からキツいことを言われたりして、思うに任せず、
友人いわく「病んでいる」とのことで、気の毒ではあるのだが、
結局のところ、仕事というのは不愉快な面は必ずあるものなのだ。
就活はその予行演習というか、前哨戦というか(^_^;。
世の中、面接官より意味不明でヒドい人が、普通に居ますからね。

尤も、その意地悪で酷い人というのが、本当に性悪な人である場合もあれば、
自分が至らぬために相手を怒らせ、ぎくしゃくしている場合もあるだろう。
どちらにしても、相手との関係性のために自分が不愉快なのは一緒だが、
全部が全部、人のせい、というのでもないかも?くらいは、
一度は思ってみるべきかもしれない。
また、仮に自分のほうが正しいのだとしても、
正しいことだけ主張すれば通るというものでもない。
若いときは、聡明な人であれば尚更、受け入れるのが難しいとは思うけども(^_^;。

それはまあ、それとして、なんとかして仕事にありつき、
様々に理不尽な思いをしつつも辞めずに耐え、
日々の責任を果たすようになれば、報酬というものが貰えるようになる。
えてして、他人のしている苦労は小さく見える一方で、
自分の苦痛だけは針小棒大に感じられるものだが、
皆が大なり小なり、そうやって自分に折り合いをつけながら、
自分の務めを果たしているから、世の中が回っているのだ。

「お給料はガマン料」とは美輪明宏さまの名言であるが
(『乙女の教室』(集英社、2008))、
自分に都合の良い世界の中で、気分のいいことだけをして、
なおかつ満足できるほどのお金を手に入れる方法は、無いと心得るべきだ。
「好きなことを好きなようにやるのは趣味であって、仕事とは言いません」
というのも上記の美輪さまの著書に出ている言葉である。
働けば疲れがたまり、ムカつくことも多いのが普通だろう。
ヤダヤダ、そんなシンドいことしたくない、と学生さんは思うだろうが、
そうすることでお金が手に入り、なんとか自分で生きていけるようになる。
それこそが自立だ。親の庇護下にいたのでは出来なかったことだ。

あとはその我慢の中身と稼げる金額とが、
どこまで釣り合っているかいないか、という話になり、
石の上にも三年、……も間違いではないが、何事も程度問題ではある。
どう考えても割に合わない、となれば、
別の我慢でガマン料を戴く方法を探すしかないだろう。
我慢の種類や内容を変える工夫であって、
どのみち我慢は、せねばならんのではあるが(^_^;。

ということで私も、某かのお給料を戴くためには
忙しくても14連勤でも、自分に務まるものであれば当面、続けるしかない。
私から見れば、厚かましいことを言って来る人等も居るが、
それらを受けて流すのもまた、仕事の一部なのであろうよ。
――と今、原点に立ち返り、己を戒めているところである。
冒頭に書いたような「心穏やかな日」しか無いなら、単純に無収入なので(汗)。
緊張と緩和、は心身の健康のために必要なものだし、
何より道楽するためにも、収入は必要だ。先立つものが最低限、ないとね。

それと同時に、自分も今年は還暦なので、ガマン料を戴くためだけに
残り時間を使い果たして終わってしまうのも、良いこととは思われず、
我が人生の小春日和のような日々も、
そろそろ手に入れたいものだなと思う、今日このごろです(^_^;。
生涯現役!と誇る老害もまた、社会の迷惑であることだし。

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19日に、こんぴら歌舞伎の昼の部を観てきたのだが、
昔ながらの「小屋」の風情がやはり素晴らしく、
そよ風が時折り爽やかに吹き抜ける客席で、
実に快適で心躍る芝居見物のひとときを過ごすことができた。

今回は、一緒に行った友人が居て、
彼女が金丸座が初めてで気合いが入っていたこと(笑)と、
膝の手術後のため椅子席を希望したこととで、特別席の「前舟」を奮発した。
私ひとりだと、安価な自由席である「後舟」(二階最後列の椅子席)を買い、
外で並び開場と同時に駆け上がって端席を確保したりしていたものだったが、
このたびはまことに優雅な観劇になり、格別であった。
金丸座は全体に小さいので、どこに座っても舞台が近く、
歌舞伎座などでは味わえない、役者さんとの一体感が楽しめる。
更に今回は、客席降りや宙乗りもあり、素晴らしい臨場感であった。

昼の部最初は『沼津』。呉服屋十兵衛を幸四郎。
端正な立ち姿、軽妙なところはどこまでもテンポよく、愛らしさもあり、
一方で物語が深まるとともに芝居も重みを増し、見応えがあった。
演目としては私は、2019年の秀山祭で吉右衛門が演ったのを観たのが
未だに記憶に新しいのだが、あの公演のとき途中で吉右衛門が休演して
幸四郎が代役を務めたことがあった。
あの十兵衛が、幸四郎にとっては初役だった筈だ。
今や押しも押されもせぬ、こんぴら歌舞伎大芝居の座頭としての十兵衛!

対する雲助平作が鴈治郎。
『沼津』は大きな演目なのだが、出だしからしばらくは、
周辺の小さな役や些細なエピソードまでひたすら愉快なので、
多くの場合、これほどの顔ぶれでこの古典落語みたいな芝居を(笑)?
等と初めて観るときは不思議な感じがするのではないかと思う。
しかし話が進むにつれ、生き別れの親子の巡り会いと、仇討ちも絡んだ、
実に重い物語になって行く。
楽しい場面も勿論芸達者でなくては務まらない内容で、しどころが多いが、
やはり千本松原の場になると、鴈治郎の存在感あってこそとしみじみ感じた。

そして娘お米が壱太郎だったのだが、あまりにイイ女なので驚いてしまった。
出てきただけで美しくて、十兵衛が惚れるのも無理からぬ、という。
姉さんかぶりで掃除する姿も、手ぬぐいをはらりと外すときの風情も、
「触れなば落ちん」とばかり、しっとりと女性らしいのだが、
同時に、単なる若い娘ではなく、言い交わした夫もある「女」の部分も
最初から雰囲気にちゃんと出ていて、壱太郎イイわ~~!と感じ入った。

昼の部の後半は『羽衣』。
初めに登場する涼やかな漁師の伯竜が染五郎。
染五郎は『沼津』のほうでも荷物持ち安兵衛を務めていて、
今回のこんぴら歌舞伎では大活躍であった。
音に聞く美少年の染五郎なので、伯竜のシュっとした姿も眼福だったが、
細い首筋や長い手足が、ふとした瞬間に「痩せすぎ」に見えることがあり
安兵衛のときはそうでもなかったが、伯竜としては多少残念に感じられ、
そのあたりは今後の課題なのかなと思ったりもした。

しかしそれより何より、凄いのは天女の雀右衛門なのである!
典雅な天女の舞そのものも大変な見どころなのだが、
最後の引っ込みのところで、宙乗りがあるのだ。
休憩時に天井付近のかけすじのところを、黒子さんが這っていって、
何か支度をされているのが下から見えていたのだが、
天女が舞いながら空へと帰って行くところが、
江戸時代からの古典的な仕掛けによる宙乗りになっていたのだ。
金丸座のかけすじ機構と、当代雀右衛門の宙乗りというものを、
私は初めて目の当たりにした。
拍手が鳴り止まず、この日の客席が大いに湧き、
観客の皆が満足したことが、幕が下りてからも感じられた。

  

当日は朝から完璧なお天気で、絶好の観劇日和でもあった。
脚の悪い友人を歩かせてはいけないと考えて、
行くときは琴平駅からタクシーに乗ったのだが、
帰りは下り坂ということもあって、ゆっくり歩いて駅まで戻った。
友人も膝の具合が素晴らしく良いと言い、
「なおったんかね?楽しいことをしていると体にも良いのかもしれん(笑)」
と喜んでいた。

こんぴーくんは相変わらず元気で、サービス精神旺盛であった。
皆に可愛がられ、写真を撮られていた。
金丸座での公演はボランティアの支えが大きく、
舞台裏方から切符もぎりや案内係等、
地元商工会青年部を中心とする方々の御尽力で運営されている。
その至れり尽くせりのホスピタリティには本当に感激した。
我々の観劇・観光・募金等が、琴平や金丸座のために、
少しでも力になることができていれば嬉しいと思う。

JR琴平駅はこんぴら歌舞伎仕様で、特急南風号はアンパンマン列車、
窓の外には、昔話の絵本で見るような△形の山がいくつも見えて、
「四国に渡ったんだな~」と満喫できた一日だった。
あの屹立したような山のかたちは、広島の側では見かけないものだ。
地形とは面白いものだなと、車窓からの景色を眺めながら思った。

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きょうは、こんぴら歌舞伎の昼の部を観てきた。
間でコロナ禍による中断もあったとはいえ、
私自身、離れていたので、7年ぶり!?の金丸座であった。
今回は、贔屓の音羽屋関係は出ていない座組だったが、
とにもかくにも「こんぴら歌舞伎を観る」のが目的で、行った。
お天気に恵まれ、素晴らしい観劇日和で、大満足。
詳しい感想はまた後日書きたいと思っているのだが
今、最も印象に残っているのは、
壱太郎が実にいい女!になっていたことだ。

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(この日記の『バレエ』のカテゴリーを
自分の運動の関係で更新する日が来るとはね(^_^;。)

最近は、転夫ころもん氏に倣い、私もオンラインエアロビクスをしている。
マンションなので、飛んだり跳ねたりは階下への迷惑になるから、
基本的にローインパクト、あるいはウォーキングエクササイズのみである。
そのような中で先日、少し体が慣れて来たかなと思い、
出来心でクラシックバレエのチャンネルをチェックし、
超超・初心者向けのバーレッスンの模範動画を使って、
椅子の背をバーがわりに、靴下履きのまま、やってみた。

こんなワタクシでも大昔、そう、35年前から30年前までの頃、
某カルチャースクールの、「バレエ入門」という講座に、
初めの頃は広島で週1回、結婚して専業主婦になってからは
福岡でやはり別のカルチャースクールの教室に移って週2回、
更に転勤先の松江でも近所にバレエ教室をみつけて週1回、
自分なりにだが、ほぼ途切れることなく真面目に通っていたのだ。

私が好きだったのは、手順と目標がハッキリしているバーレッスンだけで、
センターレッスンになると熱意が下がり、
アンシェヌマン(一続きのステップ)を習っても、特にときめかなかった。
痩せていた20代当時でさえステージ衣裳など着たいとは全く考えず、
出演してみたい演目もひとつもなく、発表会の誘いもすべて辞退していた。
ちょうど、ピアノに関して、ハノンやツェルニーに固執する一方で、
名曲を自分の演奏で弾きたいとはほとんど思わない、のと同様であった。
私は概して、技術等を「整える」作業や過程には強い関心があるが、
それを使って何かを「表現する」意欲は乏しいのだ。

やがて妊娠出産と育児を機にド素人バレエ教室から足を洗い、幾星霜。
今や、当時より体重が15キロ前後は増加し、
関節も硬くなり左足首に古傷も残り、無理は禁物という老体になった。
このたび、久しぶりに立ってみたら、どのポジションにしても
昔から不完全だったアン・ドゥオール(外側に体を開くこと)が
もう全く不可能になっており、せいぜい90度+αで妥協するしかなかった。
頑張れば180度にできなくはなかったが、体の開いていない者が無理しても、
爪先のみが外に向いているに過ぎず、膝関節を痛めるだけだ。
(↑何ひとつ出来ないのだが理屈はわかっている(汗))

さて、レッスン動画に合わせてやってみようとすると、
アームス(腕の運び)や、顔をどちらに向けるか等は体が覚えていたが、
最初のエクササイズであるプリエ(膝を曲げる動き)からして、
今の私には大変なことだというのがすぐにわかった。
特に、グラン・プリエの一番深いポジションから、
ゆっくりと上体を上へと持ち上げるのが、無理だった(爆)。
若い頃なら、ひたすら止まらず綺麗に動くことしか考えていなかったのに、
今や、一旦下まで行ったお尻を持ち上げるのが、力の要る苦行なのであった。
中でも5番グラン・プリエからの立ち上がりがキツいのなんの、
思わずリキんで、バー(←椅子の背)にすがりつきそうだった(恥)。
血圧が無駄に上がるわ(爆)。

グラン・プリエがどれだけ大変な動きかということを、
私は遅蒔きながら、自分が老化&肥満したことにより、理解した。
レッスンの最初にあるので、若い頃は準備運動的に軽くとらえていたが、
なかなかどうして、あれほど大きく足腰の関節を曲げる動きは、
ほかにはちょっと無いのではないか。
よほど体がほぐれてあきらかに減量できたりでもしない限り、
もう、グラン・プリエはしないことにした。
ドゥミ・プリエの、うんとライトなヤツだけでも今の私には目一杯だ。

――というワケで、屈伸運動にケの生えたバレエ・エクササイズを
午後の日課にしている、今日この頃です。
ファイっっ!

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友人某氏がSNSで、カラフルなカスミ草のブーケが美しいと
写真をUPして書かれていたので、心惹かれて私も買った。
バラその他に混ぜたときのカスミ草はあまり好みではないのだが、
カスミ草だけで様々な色調のものを花束にすると、
これはこれで幻想的で良いものだな、と開眼した思いであった。

3月下旬から4月上旬は、なかなか忙しかった。
数年前、まだ神社業務の春祭の忙しさに慣れていなかった頃は
両親の介護とも相まって疲労し、扁桃炎になったりしたものだった。
今は居るのが母だけで、某サ高住のお世話になっているので心配事が減ったし、
私自身、春祭前後の仕事の片付け方もだんだん要領が良くなってきたもあり、
以前ほどの負担感は無くなった。しかしやはり、多忙ではあった(汗)。

きょうはようやく一息つけたので、朝から髪を切りに行き、
帰りに花を買ってきて、娘の部屋の窓辺に飾った。
陽射しもなんとなく初夏の陽気に近づいて来て、
洗濯物もよく乾くし(笑)、太陽の力が増してきたのを実感している。

***************

ふくやま草戸千軒ミュージアムで、この春は菅茶山の特集展があるので、
近いうちに行って来たいと思っている。
来月は、例年の感じだと多少は時間が取れるのではないか。
菅茶山は、私が頼山陽への興味から知るようになった福山の漢詩人だが、
江戸後期の学者の日常や、その研究範囲、弟子たちへの指導の仕方、
等々、この博物館所蔵の資料には貴重な記録が多く、
漢詩を読む者にとって「汲めども尽きぬ泉」のような魅力がある。

『菅茶山のタカラモノ』(ふくやま草戸千軒ミュージアム)

また、ここの近世文化展示室は、今年度、
このあともなかなか興味深い展示スケジュールになっており、
『菅茶山の世界「菅茶山と旅」(4月5日(金)~6月2日(日))』
『菅茶山の世界「菅茶山と平田玉蘊」(6月7日(金)~8月4日(日))』
『菅茶山の世界「漢詩人菅茶山」(2月15日(土)~4月13日(日))』
あたりは、おそらく大きな企画ではないと思うが、逃したくない切り口である。

私にとって本家である頼山陽史跡資料館が、今年度は自分にとっては
是非にと思うような企画がないので、今年は菅茶山にしよう(殴)、という感じだ。
併せて、菅茶山記念館や、廉塾ならびに菅茶山旧宅も訪ねてみたいのだが、
割とアクセスが悪くて(汗)なかなか実行に移せていない。
シぬほど暑くない・寒くない季節で、たっぷりと時間があり、
遠征で疲れても翌日の心配をしなくていい、
等々の条件が揃ってくれれば、心ゆくまで菅茶山の旅を楽しめるのだが、
いつまでもそんなの待ってたら、こちとらの寿命が来てしまうか(汗)。

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先日来、ふと思い出して、萩原葉子の『輪廻の暦』を読み返していた。
事実そのままとは限らず、自伝的「小説」である、という観点で読んでも、
著者の思春期から壮年期に至る日々は並大抵ではなく、
苦難の連続であったことが伺われるのだが、
私を惹きつけてやまないのは、そうしたことどもがあってもなお、
中年になってから社交ダンスを始め、幾度か教室を変えながらも稽古を続け、
六十代で初めて自由な時間を得、自分主体の生活を確立した、
……という、彼女の人生後半から終盤にかけての物語だ。
『出発に年齢はない』という彼女のモットーそのものである。

葉子(小説の中での名前は「内藤 嫩(ふたば)」)が、ダンスを選んだのは、
昔、母親が踊っていたのを覚えていたから、というのがあるようだが、
直接の動機は、腹部手術を受けたあと体の具合があまりにも悪いので、
踊って体を動かし元気になりたい、と考えたことであった。
開始当時は四十代であったが、1回目のレッスンでは尋常でなく疲れ、
異常に発汗し、帰宅してから寝込み、風邪をひいて発熱もして、
二度目のレッスンに行けるようになるまで2週間もかかった。しかし、
「初めての人は、だいたい、どこか故障するの」
と先生に言われ、教室に通うことを義務と思って稽古を重ねるうちに、
やがて週に二度は通えるようになり、疲労感が取れるのも早くなり、
ついには風邪もひかなくなった。
日頃は口の悪い母親からも、
「どうしたの!スタイルが良く健康そうになったじゃないの!」
と指摘が入ったほどだった。

事実としても、萩原葉子は62歳で母上の介護を終え、
本格的に解放されるのだが、そのあたりから、
「ひたすら自分のためにのみ時間を使って生きている」
というライフスタイルを確立し、
「やっと青春が来た」
と実感することになった。
たゆまず稽古を続けたダンスはますます上達し、七十代でアクロバットを試み、
「息もできないほどの運動量のレッスン」を楽しんだ。
高齢になっても体重管理にはストイックで、飲み屋などでは知らない人から、
「ダンサーですか」と言われるほどの姿勢や体型になった。
ダンスで一人六役を務めたいという発想から、演劇にも興味を持ち始め、
その他、オブジェや絵画などの制作、楽器演奏、乗馬にも打ち込んだ。
萩原葉子は最終的に、84歳で病没するのだが、
80代になってもモダンダンスに熱中していたそうだ。

いや~~、自分の時間を持てない老年女(=私)の、星ではありませんか。

私が強調したいのは、年寄りになってもダンスで痩せられる、という話ではない。
いや、それが目標でも全然いいのだが(笑)、話はそこに留まらず、
まさに御本人の言われる通り、「何歳になっても何でも始められる」ということと
「修練の方向が誤っていなければ、開始が遅くとも相当なレベルに到達できる」
ということ、の二点だ。
いくつになっても、トシだから今更無理、などということはないし、
何事であれ、本人比での上達は大いに望めるのだ。
趣味によっては、月謝以外にひととおりの資金力が必要な分野もあるが、
葉子だって暇と金がありあまって道楽に身をやつした(笑)のではない。
文筆で暮らして行くことが、なんとか叶うようになってからでも、
離婚した身で、狭い部屋で息子と母と妹を養いつつ頑張って来た。
その中でダンスを始め、地道に自分の生活を作り上げていったのだ。

……ということで、還暦目前の私はそれでは、何を始めましょう(^_^;。
こういう本を読んで励まされたならば、
やはり、六十代から何かを始める、七十になってからでも開始できる、
と考えて、先行きに希望と生き甲斐を見出すべきであろう。
前々から書いている通り、語学は私の生涯の楽しみであろうと思うが、
そのほかに、何か全く新しいこと、が、もしあるならば。

それでふと思いついたのが、日舞である!
いつぞや、あらしちゃん(松緑)が言っていたのだ、
高齢化社会において、健康法としての日舞というものを大いに奨励したい、
……みたいなことを。
近い将来、私は藤間流に入門し、以後十年、いやもっとかかるか、
自分なりにだが本気で稽古に勤しみつつ、積み立てに励み(爆)
最後に御家元・藤間翫右衛門(=あらしちゃん)のお宅で、名取免状試験に臨む。
萩原葉子が七十代で、ダンス教師の肩につかまって空中倒立していたことを思えば、
私が家元から名取の免状を受ける夢をみたって、許されないことはなかろう。
冥土の土産に、四代目松緑の前で踊るのである。
どうだこれ。老後の徒花として最高ではないかね(殴蹴)。

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