転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は、Studio Lifeの公演を久しぶりに観た。
ディケンズの『大いなる遺産』。

贔屓の役者さんが観たいというのではなく、
今の私はStudio Lifeの芝居の面にとても関心があるのだ。
今回も期待に違わぬ見応えのある舞台で、
出かけた甲斐があったと、満足することができた。

昨日の13時公演は、アフタートークもあり、
『男たちの禊ぎ』というテーマで、
役者さんたちが過去の舞台の失敗談を披露し、懺悔した。
今となってみればどれも可笑しいばかりだったが、
僅かなミスや、台詞ひとことの間違いで、
芝居全体が台無しになってしまったという話を聞きながら
生舞台というのは本当に取り返しのつかないものだなと
今更ながら、思った。

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さて、今年も残すところ五時間ちょっととなりました。

お世話になりました皆様、
楽しい時間をご一緒に過ごさせて下さいました方々に
改めまして心よりお礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
そして、来年もまた、どうぞよろしくお願い致します。
いっそう楽しい舞台、すばらしい音楽に、出会えますように。

どうか、良いお年を。

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成田山新勝寺と川崎大師でどちらにしようかと迷って
とりあえず横浜に帰る娘に都合のよい川崎大師にお参りした。

観光地として、成田山とここは一度は行ってみたいと
主人は前から考えていたそうだ。

まだ大晦日の午後なので、さほどの人出ではなかったが
明日は初詣で大変な混雑になることだろう。

泉岳寺は禅宗で、川崎大師のほうは弘法大師だから真言宗だ。
……が、私の隣の見知らぬ女性は堂々と柏手を打っていた。
まあ、敬う心は同じなのだから、構わないよね、きっと…(笑)。


(↑↑↑それぞれクリックすると大きめの画像が開きます)

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話にだけ聞いていた泉岳寺に初めてお参りした。
四十七士の墓の並びが御預かりの家ごとになっているとは知らなかった。
娘は最近、忠臣蔵に熱中していて
もちろんここも既に来たことがあると言っていた。
さすがに手抜かりはないようだった(笑)。

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27日夕方に東京に来て、目下、休暇を満喫している。

着いてすぐ、東京駅からそのまま日比谷に直行し、
東京宝塚劇場、……ではなく(笑)、日生劇場に行って、
西川貴教の主演する『ヴェローナの二紳士』を観劇した。
巷の評判は知らないが、私にとっては、
正直に言うと、どうも釈然としない内容のミュージカルだった。
西川氏の歌唱の魅力は相変わらず強烈なものがあったが、
私はたぶん、宮本亜門を理解できないということなのだろう、
と見終わって思った。
発見は、きりやん(霧矢大夢)の舞台姿が破格だったことだった。
彼女が出ると舞台の輝きが違った。
きりやんは、もちろんもともと才能に恵まれてはいたのだが、
それに加えて、宝塚の舞台で鍛え抜かれたのだなと改めて思った。

その翌日、28日は、寝坊して起きたあと、
午後からオーチャードホールでキエフ・バレエを観た。
『レ・シルフィード』と『シェヘラザード』。
年の瀬の昼下がり、美しい音楽に包まれて優雅なバレエを観る、
という夢のようなひとときだった。
地方にいると、生のバレエを観る機会は本当に少ないので、
私はその雰囲気だけでも十分に満たされて幸せだった。

昨日29日は、主人と二人で横浜の娘のところに行き、
彼女の大掃除を手伝い、お玄関に注連飾りをつけ、
仏さま(小さい仏像を彼女は持っている)の前に鏡餅をお供えした。
娘は癇性に掃除をするような人間ではないのだが、
散らかしていながら一定の水準は保っている(笑)というタイプで、
水回りも含めて、悲惨なほど汚れている箇所はなかった。
なので、掃除もさほど大変なことではなかった。
何より、一間しかないアパートだし……。

娘は年末年始のみ、某郵便局でアルバイトをしている。
サークルの先輩から紹介された、年賀状仕分けの仕事だそうだ。
学園祭で似顔絵屋をやったときと比べたら(娘は漫研)、
郵便局の仕事は簡潔でわかりやすく、きちんと休憩もあり、
働いたぶんだけお給金ももらえて、実にホワイトだ、
と娘は言っていた(笑)。

娘の仕事は夕方から始まるので、きょうは主人が娘とランチをしている。
一方私は、ホテルの部屋を片付けたあと、午後から観劇予定がある。
忙しかったこの一年、観たい舞台をかなり見逃したが、
年末休暇の今、せめて観られるだけ観ようと思って頑張っているのだ。


ちなみにこの文章は、主人の持参したタブレットから打ち込んでみた。
時間があれば、また更新したいと思っている。

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今、東京に向かう新幹線に乗っている。
きょうから1月3日の夕方まで、都内にて年末年始休暇を過ごす予定だ。
昨日まで通常勤務できょう出発というのは
本当に鬼スケジュールであった(笑)。

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会社は明日までだが、パートの私にとっては本日が年内最後の出勤日だった。
実に忙しい一年だったが、強いて良かったことを挙げるとすれば、
与えられた仕事をひとつも落とさなかったこと(当たり前か)、
すべての出勤日を一定以上の体調で乗り切れたこと、の二点だった。
出来映えについては反省点が多く、我ながら悔いの残る仕事ぶりで、
今、満ち足りて一年を終えるにはほど遠い心境なのだが、
数々の失敗は、来年度以降の課題として行くほかないと思っている。
まがりなりにも一年続いたことで、先日雇用契約が更新され、僅かに昇給した。
なんとか、来年も居てよろしいと言って頂けたわけだ(汗)。

今年の前半は仕事自体に不慣れだったことから、万事に負担感が大きく、
また後半からは、実際に勤務時間が増えたために余裕がなくなったのだが、
来年は、そのいずれの面でも、少しはラクになる見通しだ。
まず、いくらなんでももう、昨日入ったような人間ではなくなったので、
何をするにも慣れがあり、初年度より気持ちの面でのゆとりは出来る筈だ。
それと、今年の9月からは、人手の足りないところは何でも私が埋めるかたちで
仕事量が加速度的に増やされたのだが、12ヶ月間通してこういう勤務時間となると、
年間の合計でいわゆる扶養の範囲を超えることになるので、
今後その点は考慮します、と先日マネジャーから言われた。
来年は私もよく気をつけて時間調整をしなくてはならない。

何はともあれ、明日から年末年始の休暇が始まる。
「○時までに!早く!」「ああ!!もう○時か!!」
と急き立てられる生活から、実に久しぶりに解放されることになる。
本当に束の間だとはわかっているが(^_^;、しみじみ、ありがたい。

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仕事帰りに、カトリック幟町教会のクリスマスミサに行った。
高校生の頃から何かとお世話になっている教会だし、
村野藤吾・設計の貴重な聖堂ではあるし、何より今や御近所だしで、
イブにはやはりミサでお話を聞くのが相応しいだろうと思って、出かけた。

聖堂には、入りきれないほどの大勢の人たちがいて、
聖体拝領のときに見ていたら、祝福だけを受ける人たちもかなり多かったので、
今宵は、(私のように)クリスチャンでも何でも無い人たちも多数、
教会のクリスマスに参加してみたいと考え、集まってきたようだった。
荘厳な聖堂で聖歌を聴いて雰囲気に浸りたい、というくらいの動機だとしても、
クリスマスイブを恋人たちの全国的季節行事の日だと思っているよりは
家族揃って教会に出向くほうが、よほど本来的な姿ではないか……。

……などと考えていたら、ふと、
漫画『聖☆おにいさん』で、イエスが、クリスマスは自分の誕生日なのに、
サンタクロースこと聖ニコラスのほうが、自分以上にちやほやされているので、
このままでは嫉妬のあまり彼を破門してしまうかもしれない、
と教会の告解室で話す場面があったことを思い出して、悶絶してしまった(爆)。

ともあれ、今年も静かなクリスマスイブだ。
聖堂の入り口のところで、小学生くらいの男の子が、
「クリスマス、おめでとうございます(^^)!」
と挨拶していたのが、とても可愛らしかった。

クリスマス、おめでとうございます。

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ポゴレリチを聴いたあとだというのに、今回の私はとても元気だ。
演奏会を聴くためには消耗したし、単純に「楽しかった!」のとは全然違うのだが、
今回は過去とは趣が違い、結果として私は非常に力強いものを彼から受け取った。
それが何であったかについては、もう少し考えてみたいと思っているのだが、
そういうわけで、現在の私は前にもまして「やる気スイッチ」の入った状態だ。
フランス語もスペイン語も、全く途切れることなく聴いている。
ポゴレリチの演奏会のあとは、何もできなくなってしまうのでは、
と覚悟していたが、完全に杞憂に終わった。

今季のフランス語(初級編)・スペイン語(入門編)は、どちらも、
過去にやったことのある講座の再放送なので、要領がわかっている、
というのも私にとっては幸いだったかもしれない。
とりわけ、フランス語のほうはようやく私の好みである構文主体の、
パターン・プラクティスを取り入れたトレーニング内容の講座になったので、
とてもやりやすく、手応えも感じている。

フランス語応用編の、芳野まい先生×ピエール・ジル・ドゥロルム先生による、
『ファッションをひもとき、時を読む』も10月このかた、概ね楽しんでいる。
今月初回の、おばあちゃんと孫の対話、という設定の文章は
フィクション度合いをどう捉えたら良いのかわからず、少々戸惑ったが(笑)、
ピエール・ボードリ氏へのインタビューが始まってからは、
久しぶりに生のフランス語に触れている気分が盛り上がり、面白くなった。
また、フランス語応用編1月からは、清岡智比古先生の新作で、
中級を目指す人の文法講座ということなので、これまた大変楽しみにしている。
私は結局のところ、理詰めで覚える外国語学習が好きなのだ(笑)。

****************

英語については、来年度前半は集中的にTOEICに取り組んでみようかと思っている。
既に1月の公開テストは申し込んであるのだが、来年上半期はこのまま、
時間の許す範囲で、スコアに関わらずTOEICをしばらく連続的に受けてみるつもりだ。
業界によってはTOEICを高く評価する空気が根強くある一方で、
会話力を測らないテストに大きな意味はないという意見も、一部にはあるわけだが、
私のような者にとっては、数字的に達成度を測ることのできるTOEICには
少なくとも学習面での高い効果があると感じられる。
早い話、成績で示される機会がないと、私はひたすらサボる人間なので(汗)。

ときに、先日、納戸を片付けていて、大昔のTOEICスコアレポートを発見した。
なぜこのようなものが、今に至るまで処分されずに残ったのか不思議だった。
第38回(1992年5月)TOEIC、と書かれていて、自分の成績のほか、
総合結果として、受験者総数・最高点・最低点・平均点・標準偏差・スコア分布、
などが記載されており、なかなか興味深いものがあった。
92年、27歳当時の私のTOEIC結果は、L455、R435、TOTAL890、となっていて、
今の感覚だと、まがりなりにも英語専攻だった者がR435は無いだろう(^_^;、
と言いたい出来映えなのだが、しかし『総合結果』の欄を見ると、
このときのTOEICはSection I(Listening)の最高点は満点の495の人がいる一方、
Section II(Reading)は最高点の人でも440止まりで、
Total(総合)では受験者全体の最高点が935、となっている。
当時のTOEICは決して、現在のように990が続出するテストではなかったのだ。
このときの受験者総数は33522人だったと書かれている
(参考:2014年11月の第195回公開テストの受験者数は79430人)。

昔のTOEIC、とくにReadingは極端に難しかったのか、
それとも、市場が拡大したことで今は猛者が大勢参戦して来るようになったのか、
またはTOEIC本や受験スクールができて、受験者のほうの対策が向上したのか、
結果の数字を見ただけでは私にはよくわからないが、少なくとも現在のTOEICが、
以前より取り組みやすいものになっていることは間違いないと思う。
ちなみに現行のTOEICに関する限り、満点990は必ずしも「全問正解」ではない。
Listeningに関しては平均してミス3つまでは満点495の扱いになるし、
Readingではミス1つ(難度の高いときは2つの場合も)まではやはり満点495になる、
ということも、各種分析の進んだ今、多くの受験者が知っている。

友人某氏は、「一生に3回、TOEIC満点を取る」ことを目標にしている、
と先日、言っていた。
私の現状では、とてもそのようなことは望めないが、とりあえず、
なだらかにでもいいから、今後、TOEICのスコアアップをして行きたいな、
という程度のことは思っている。特にListening(^_^;。
……なにせ、業務に差し支えるのだ、同僚の英語が聴き取れないと(涙)。

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出勤して、職場の勤務表を改めて眺めてみると、
私は来週24日(水)から26日(金)の3日間は連日出勤、
しかも各々4時間労働、夕方遅くまで埋まっている日もあって、
なんだかやたらと(自分的)激務であることがわかった。
何度も言うが、本来は土曜だけの、週1のパートだった筈なのだよ。

思い返すと、先週確かマネジャーが、「最後の週、都合どうですか」と尋ね、
そのときの私は、ポゴレリチ来日公演のことで頭がいっぱいだったので、
公演後まで生き延びられればもう怖いものは何も無い!という心境になり、
「いいですよいいですよ」と、言われるままに全部引き受けたのだった。
……だめじゃん(爆)。

さて、一昨日から急に気温が下がり、昨日は市街地でも雪が少し積もった。
私は、かまくらの作れる寒村で育ったので、
今回の積雪量そのものには感銘を受けなかったが、
スカートスーツ+パンスト+パンプス、という格好で
暖房いまいちなオフィスで仕事をするのは、いよいよ辛い、と思った。
これについては、父方の伯母が大昔、
「冬にゃ寒いけ、パンストを3枚重ねりゃ、ええんよ」
と言っていたことを思い出し、この冬、既に幾度か挑戦してみたのだが、
2枚はまだしも、3枚目をはくのは、摩擦係数が上がりすぎて巧くいかず、
下腹のほうまでズレてきたりして、良くなかった。
それで今日は一計を案じ、某セシールで取り寄せた極厚160デニールのタイツと、
生協で買った『ふんわりあったか裏起毛タイツ』なるものを重ねてみた。
ら、なんと、これが大成功、らくにはけてズレないし、何より大変に温かかった。
ぬくいよ、これぬくいよ伯母ちゃん(涙)!

ということで意気揚々とオフィスに行ったわけだが、
きょうは、ロンドン出身の同僚某氏が、
「雪っていいねえ!綺麗だねえ!」
とことのほか上機嫌だった。
いい大人が何を言っているんだね┐(´-`)┌、と思ったが、
ロンドンではあまり雪が降らないため、一面の銀世界は某氏には珍しいようだった。

一方、アメリカ南部出身の某嬢は、
「Freezing!」
と肩をすくめた。

 某嬢「寒すぎるわ。厚い冬用靴下を買わなくちゃって思ったの!」
 転妻「うちの伯母はpantyhose(パンスト)3枚重ねるって言ってたよ昔」
 某嬢「あっ、それ!私、2枚穿いてきたわよ、きょう!」
 転妻「そうなの!?実は私もよ!!」
 某嬢「きゃ~(^^)♪」

……いや、でも、同じ2枚でも、アタシのはアナタとはモノが全然違うんだけどね(逃)。

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昨夜、広島に戻って参りました。
月曜日が休みって、うちの会社最高!!と今回ほど感謝したことはございません(殴)。

東京でお目にかかりました皆様、本当にありがとうございました。
お蔭様でまた楽しいひとときを過ごすことができました。
このところ毎年ポゴレリチが東京で弾いてくれるので、
ファン同士もまるで同窓会のように定期的に顔を合わせていることになり、
今回など別れ際には「じゃ、また来年!」と誰ともなく自然に言い出したりして、
次の来日予定など決まっていないのに、この信頼は一体どうしたことだ、
と、とても嬉しく微笑ましく思いました。
2005年以前には、到底、このようなことは想像できませんでした。
ポゴ氏のためにもファンのためにも、とても幸せなことだと感じ入りました。

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(以下、忘れないうちにメモ)

・夏前に来日が決まりプログラムが発表になったときに、私はまず、
「勝負曲ばかり4曲!」
と思い、次に、
「最大眼目となるものがあるとすれば、ペトルーシュカ」
だと感じたのだが、そのことは自分に関する限り完全に正しかった。
あのペトルーシュカは忘れない。
2014年時点の彼のペトルーシュカが、今後、録音等で残ることがないとしたら、
この14日の夜サントリーホールにいたことは、私の人生で僥倖と言えるものだった。

・複数の曲で観察できたことだったと思うのだが、
休符のいくつかではポゴレリチは、両手を鍵盤からすっかり離して膝の上に置き、
明確な区切り、というより「停止」の空気を醸し出していた。
フェルマータのついた休符のところでは、「終わり!」という感じすらした。
そこでは音楽の流れが変わり、次のフレーズの開始など気配もなく、
「えっっ!?今やめんの!?そこで!?」
と聴いていてどきどきした(爆)。
もしかして『休符』ってそういうものだったのか……、という不思議な発見だった。
この点については、演奏会という場で視覚を伴っていたことが、
良かったのかどうか、今もってわからない。
音だけを聴いていたら、あの休符は音楽として、私にはどう聞こえたのだろうか。

・音数の多い技巧曲ばかりのプログラムで、音の重なりとそれらが途切れるところの綾、
が独特で、ポゴレリチが長年、追求してきたものがこうなった、という歴史を感じた。
若い頃の彼はテクニックを絶賛され、際だった難曲を得意としていたが、
30歳に近づく頃からは、ハイドンやスカルラッティ、モーツァルトなどを続けて手がけ、
敢えて制限された音数の中で、音と音を重ね合わせて別の色合いを作ることや、
楽曲の「間(ま)」を音楽として高めることなどに挑戦するようになった(気がする)。
更に、2005年以降しばらくの、個々の要素へのポゴレリチの執着ぶりは記憶に新しい。
そうした時期を経て、久しぶりにこういう音の洪水のような曲に戻ってきたのが、
今回のプログラムだったと思う。

・ブラームスのパガニーニ変奏曲のときポゴレリチは、
譜めくりのタイミングについてかなり細かく注文をつけているように見えた。
「まだ」とか「ここ」とか、「次の変奏のあとは自分でめくるから」とか、
言葉の内容まで定かには聴き取れなかったが、たびたび指示を出していた。
自分でめくると言った(と思われる。譜めくりスト氏がそこでは全く動かなかったので)、
とあるバリエーションのときには、弾き終わった次の瞬間、そのリズムの続きで
「ぱん!」と勢いよくページをめくった。
まさに、『家に帰るまでが遠足』じゃないが(爆)『ページをめくるまでがこの曲』
という感じだった。
あの感覚を求められているとしたら、譜めくりスト氏の仕事はただごとではない。
ポゴレリチの譜めくりは究極的には彼本人にしかできないのではないか(汗)。
楽譜を置いている以上、譜面の存在まで含めて音楽、という印象だった。

・カーテンコールでポゴ氏がしっかり私(=転妻)のほうを見ていた、
とあとで言って下さった方が何人かいらっしゃったが、
あれは、ポゴ氏が二度目に引っ込んだときに私のところへ来て喋っていた某Q太郎氏(逃!)が
思いがけずポゴ氏が再度出てきたので仕方なくそのまま私の足下にしゃがんで、
頭越しに拝むような格好で拍手していた姿が、とても愉快だったからだと思う(爆)。

・演奏会の前、『ピアニストは語る!』の著者、YuanPu Chiao氏と食事をした。
訳者の森岡 葉さまがセッティングして下さったのだ(ありがとうございました~!)。
私は初め、YuanPuが中国語で話して森岡さまが通訳して下さるのだろう、
と勝手に思っていたのに、いきなり彼が英語で話し出し、ずっとそのままだった。
2時間半の英語ランチは死ぬでホンマ(^_^;、と思った。
YuanPuによると、北京のリサイタルでポゴレリチはピアノの弦を切ったが、
ポゴレリチ本人はリハーサルでピアノに触れたときに、
弦の張りの状態から、演奏中に切れるかもしれないというのは既に感じていて、
交換用に二台目のスタインウェイの調律も指定していたのだそうだ。
そういう十分な予測があったので、演奏会途中でいきなり上がってきた(ように見えた)、
新しいスタインウェイでも、ポゴレリチは問題なく演奏を続行できたということだ。

(以下、また何か思い出しましたら追記します。2014年12月16日 08時07分、記)

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