昨夜、広島に戻って参りました。
月曜日が休みって、うちの会社最高!!と今回ほど感謝したことはございません(殴)。
東京でお目にかかりました皆様、本当にありがとうございました。
お蔭様でまた楽しいひとときを過ごすことができました。
このところ毎年ポゴレリチが東京で弾いてくれるので、
ファン同士もまるで同窓会のように定期的に顔を合わせていることになり、
今回など別れ際には「じゃ、また来年!」と誰ともなく自然に言い出したりして、
次の来日予定など決まっていないのに、この信頼は一体どうしたことだ、
と、とても嬉しく微笑ましく思いました。
2005年以前には、到底、このようなことは想像できませんでした。
ポゴ氏のためにもファンのためにも、とても幸せなことだと感じ入りました。
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(以下、忘れないうちにメモ)
・夏前に来日が決まりプログラムが発表になったときに、私はまず、
「勝負曲ばかり4曲!」
と思い、次に、
「最大眼目となるものがあるとすれば、ペトルーシュカ」
だと感じたのだが、そのことは自分に関する限り完全に正しかった。
あのペトルーシュカは忘れない。
2014年時点の彼のペトルーシュカが、今後、録音等で残ることがないとしたら、
この14日の夜サントリーホールにいたことは、私の人生で僥倖と言えるものだった。
・複数の曲で観察できたことだったと思うのだが、
休符のいくつかではポゴレリチは、両手を鍵盤からすっかり離して膝の上に置き、
明確な区切り、というより「停止」の空気を醸し出していた。
フェルマータのついた休符のところでは、「終わり!」という感じすらした。
そこでは音楽の流れが変わり、次のフレーズの開始など気配もなく、
「えっっ!?今やめんの!?そこで!?」
と聴いていてどきどきした(爆)。
もしかして『休符』ってそういうものだったのか……、という不思議な発見だった。
この点については、演奏会という場で視覚を伴っていたことが、
良かったのかどうか、今もってわからない。
音だけを聴いていたら、あの休符は音楽として、私にはどう聞こえたのだろうか。
・音数の多い技巧曲ばかりのプログラムで、音の重なりとそれらが途切れるところの綾、
が独特で、ポゴレリチが長年、追求してきたものがこうなった、という歴史を感じた。
若い頃の彼はテクニックを絶賛され、際だった難曲を得意としていたが、
30歳に近づく頃からは、ハイドンやスカルラッティ、モーツァルトなどを続けて手がけ、
敢えて制限された音数の中で、音と音を重ね合わせて別の色合いを作ることや、
楽曲の「間(ま)」を音楽として高めることなどに挑戦するようになった(気がする)。
更に、2005年以降しばらくの、個々の要素へのポゴレリチの執着ぶりは記憶に新しい。
そうした時期を経て、久しぶりにこういう音の洪水のような曲に戻ってきたのが、
今回のプログラムだったと思う。
・ブラームスのパガニーニ変奏曲のときポゴレリチは、
譜めくりのタイミングについてかなり細かく注文をつけているように見えた。
「まだ」とか「ここ」とか、「次の変奏のあとは自分でめくるから」とか、
言葉の内容まで定かには聴き取れなかったが、たびたび指示を出していた。
自分でめくると言った(と思われる。譜めくりスト氏がそこでは全く動かなかったので)、
とあるバリエーションのときには、弾き終わった次の瞬間、そのリズムの続きで
「ぱん!」と勢いよくページをめくった。
まさに、『家に帰るまでが遠足』じゃないが(爆)『ページをめくるまでがこの曲』
という感じだった。
あの感覚を求められているとしたら、譜めくりスト氏の仕事はただごとではない。
ポゴレリチの譜めくりは究極的には彼本人にしかできないのではないか(汗)。
楽譜を置いている以上、譜面の存在まで含めて音楽、という印象だった。
・カーテンコールでポゴ氏がしっかり私(=転妻)のほうを見ていた、
とあとで言って下さった方が何人かいらっしゃったが、
あれは、ポゴ氏が二度目に引っ込んだときに私のところへ来て喋っていた某Q太郎氏(逃!)が
思いがけずポゴ氏が再度出てきたので仕方なくそのまま私の足下にしゃがんで、
頭越しに拝むような格好で拍手していた姿が、とても愉快だったからだと思う(爆)。
・演奏会の前、『ピアニストは語る!』の著者、YuanPu Chiao氏と食事をした。
訳者の森岡 葉さまがセッティングして下さったのだ(ありがとうございました~!)。
私は初め、YuanPuが中国語で話して森岡さまが通訳して下さるのだろう、
と勝手に思っていたのに、いきなり彼が英語で話し出し、ずっとそのままだった。
2時間半の英語ランチは死ぬでホンマ(^_^;、と思った。
YuanPuによると、北京のリサイタルでポゴレリチはピアノの弦を切ったが、
ポゴレリチ本人はリハーサルでピアノに触れたときに、
弦の張りの状態から、演奏中に切れるかもしれないというのは既に感じていて、
交換用に二台目のスタインウェイの調律も指定していたのだそうだ。
そういう十分な予測があったので、演奏会途中でいきなり上がってきた(ように見えた)、
新しいスタインウェイでも、ポゴレリチは問題なく演奏を続行できたということだ。
(以下、また何か思い出しましたら追記します。2014年12月16日 08時07分、記)
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