転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は仕事が休みだったので、少し自分の部屋を片付けた。
最近は忙しくて整頓が滞り、BOOK ○FFを呼んでいなかったせいもあって、
部屋じゅうに書籍類が溢れていて、困った事態になっていた。
この際、全部ヒモでくくって資源ゴミに出そうかとも考えたが、
ここ数年、ポゴ氏関連の記事やパンフやチラシが増えているうえ、
歌舞伎座の筋書きや南座・松竹座の番付もそれなりに大切なものなので、
部屋の中にある紙類に対して、そこまで乱暴な処分をすることもためらわれた。

それで昨日は、思いあまって、空いていたクローゼットの上段に、
楽譜のうち普段使っていないものを並べて入れた。
当面、要らないが捨てるわけにも行かないので、
とりあえず保管することにしたのだ。
これで一応、ピアノまわりはすっきりした。
しかし私は内心、忸怩たるものがあった。
こんなのは末期的な処置ではないか!
クローゼットは衣類を入れるところだ、本じゃない(涙)!
飽くまでこれは仮置きだ、こんなところに楽譜を定住させてたまるか!

このままではいけない。
風水的にもやたらと悪そうな感じがする。
いや、私は風水にはあまり関心も知識もないのだが、
衣類のいるべき場所に、知的活動に関するものが同居している、
というのは私の感覚の中で、見逃せない「混雑」だと感じるのだ。
例えて言うなら、ベッドに接して洗濯機が設置されている的な。

過去にも幾度か思ったことではあったが、これはいよいよ、
私は自分の居場所を放置していてはいけない段階になったのではないか。
マンション入居以来10年、私は納戸部屋に官舎暮らし時代の家具を並べて
自室として使って来たが、そろそろ老後の住まい(違)を整えるべきなのでは。
具体的には、机や本棚を新規に購入することを考えたい。
半間ぶんほどの本棚と、官舎時代に居間に置いていたキャビネットだけでは、
もはやプログラム類を収納しきれないし、CDも満杯になって久しい。
机は、主人から譲られたハイタイプのテーブルこたつを使って来たが、
20年前に購入したものなので古く、合板はあちこちハゲているし、
椅子も皿ねじのうち二箇所が既に脱落しており、
残り二箇所はいつも浮いている。

併せて、カーテンなどファブリック類もなんとかしたい。
このカーテン道楽を自称するワタクシが、自分の居るところだけ、
未だに一般レールと、舅宅から持って来たカーテンで済ませているのだ。
形態安定加工も施していないフレアスカートの如きシアーカーテンと、
丈が合っているというだけで吊したドレープカーテンと。
ポリプロピレンのラグだって古くなって色が変わっており、
椅子でこすられ続けたメダリオン柄は歪んでいる。
こういうのは、掃除を頑張ったから改善できるというハナシではないのだ。

4月から娘も社会人になり、本格的に独立することだし、
こちらからはもう、授業料も生活費も送ってやる必要がなくなるのだから、
私にとっては自分を省みるのに、ちょうど良い機会ではないか。
今年前半は自分に対して、ささやかでもある程度の投資をして(汗)
日常の居場所を、もうちょっとちゃんとした部屋にしよう、と私は誓った。

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午前・午後、通し。
一気に行きます(笑)。

*************

追記:朝から行って、午前午後を観て、さきほど帰宅した(21:05現在)。
最近はずっと歌舞伎座に通っていたので、大阪は近すぎて、困った。
新幹線でうっかり寝られなくて(汗)。

舞台について、いろいろ思ったことはあったのだが、
何はともあれ、やはり、若いっていいな~!と(笑)。
全員、スタイルが良い・体力がある・動きにメリハリがある、
そしてどの役・どの場面も体当たりの全力投球!
輝きと躍動感に満ちあふれた舞台、
という意味で花形歌舞伎には強烈な魅力があるとつくづく思った。

そのような中で、松也には抜きんでた貫禄が出て来たと感じた。
碇知盛も連獅子の親も、舞台を制する存在感があり、かつ美しかった。
その松也と、右近が組んだ『連獅子』は、
私がこれまで観た中で最高にパワフルな踊りになっていた。
いつも優しげな女形で観ることの多い右近に、
激しい獅子の精が似合うとは、そもそも思いがけない発見だったが、
右近の踊るキレ味抜群の仔獅子の精に、
松也の務めるスケールの大きな親獅子の精が並ぶと、
あまりにも溌剌として鮮やかで、まったく驚いてしまった。
親獅子・仔獅子のどちらもが若く、かつ適材適所となった連獅子は
物凄く見応えのあるものなのだと、私は初めて知った。
この演目は、父子とか師匠・弟子の組み合わせで踊ることが多いと思うのだが、
目下の松也と右近は、いずれも若い先輩・後輩という異色のコンビでありながら、
年齢差も芸風も絶妙なところでバランスが取れていて、
かつてない連獅子を作り出すことに成功していたと、感じ入った。

ほかの出演者や演目についても書きたいことは多々あるのだが、
自分に正直に、今日最も印象に残ったことを、
以上、今夜はとり急ぎ、ここに記録しておく。

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来月はアンドラーシュ・シフのリサイタルに行く予定なのだが、
先日、招聘元のKAJIMOTOから、当日の演奏曲順変更と休憩無しのお知らせ、
というものが発表された(汗)。

■サー・アンドラーシュ・シフ 3/23演奏曲順変更、および休憩なしのお知らせ
『3/21(火)と3/23(木)に東京オペラシティ コンサートホールで行われます、アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル「The Last Sonatas」につきまして、既に3月21日(火)の公演は、演奏者本人の強い希望により休憩がない旨、チラシや情報誌等でご案内しておりましたが、3月23日(木)の公演もまた、本人の強い希望により演奏曲順を変更し、また、休憩をとらずに公演を行うこととなりました。』

モーツァルト、シューベルト、ハイドン、ベートーヴェンの、
それぞれの最晩年のピアノ・ソナタを演奏するというプログラムで、
どのように弾くかにもよるが、四曲続けるなら、
およそ全体で1時間40~50分くらいになるだろうか?

長大なソナタもあり、聴くには心構えが要りそうな話ではあるが、
休憩なしの演奏会は、私は決して嫌いではない。
私はだいたい、浸っている最中に中断が入るのはイヤで、
日本人演奏家に時々ある、曲の間のトークなども、
内容によるが元来は好きではない。
聴くとなったらひたすら音→響き→音楽、というのが私の望む世界だ。
途中で言語音を聞きたいとは、私は思わないし、
休憩も、厳密に言えば音楽の連続を絶つものだと思う。
ひとつひとつの打鍵と効果を考え抜いて弾くシフが、
休憩なしで四曲に没入するというのなら、
間違いなくこれは、極めて高密度な演奏会になるだろう。

聴き手としては、途中で出入りできないのだから、万事早めの行動を心掛け、
開演前に水分を取り過ぎないよう気をつける、ということかな、
と私は内心の汗をぬぐいつつ思っていた。
シフがそこまでの決意で弾くというなら、こちらも聴く側なりに、
万全の態勢を整えて当日の四曲にすべてを賭けなくては、と。
ところが昨日、友人某氏にこの話をしたら、
「そのあとアンコールが長いかもしれないということを忘れてはいけない」
と恐ろしい指摘をされ、自分がまだまだ甘かったことを悟った。
そうだった……、シフはアンコールでいきなり、
ベートーヴェンの30番のソナタを全楽章弾いたりするヒトだった(大汗)。

ポゴレリチの言ではないが、聴き手だって一応は能動的に聴いているので、
曲によって、どこまで・どういうふうに聴くつもりか、という前提がある。
本プロがソナタ四曲で、何かアンコールがつくのは想定の範囲としても、
それが例えば単一楽章だけで完結するのか、全楽章聴かされるのかでは、
こちらの聴き方だって出だしから違うのだよ(汗)。
困るんだよな、アンコールでゴルトベルクのアリアが始まったりすると、
これで終わるのか?第何変奏まで行くのか?もしや全部!?
とそっちのほうが気になって、せっかくの演奏に集中できないから。

シフはナイト(Sir)の称号を持つ、英国社会で尊重される存在であり、
極めて学究的な演奏家として、その業績は国際的に高く評価されている。
私自身、かねてより彼のCDを愛聴しており、
装飾音のひとつまでその都度、厳密に追求するような演奏を敬愛して来た。
某P氏のように「何するかわからん」存在だと思ったことはない、
…………いや、なかった。
しかし今回の「お知らせ」の件で私は、やはりシフもまた、
独自の世界に生きている芸術家なのだという思いを新たにした。
当日は、覚悟の上にも覚悟して、臨みたいと思う(大汗)。

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ようやく朝のラジオ学習を復活させることができるようになり、
今月からフランス語講座に復帰した。
それと昔を懐かしみつつ、少しロシア語も試してみることに。
なんと言っても節分があったのだ、仕切り直しにはぴったりだ。
旧暦では立春からが新しい一年なのだから。

大木充先生のフランス語初級編は2015年前期の再放送なので、
当時でも私はまがりなりにもテキストを買い、学習していた筈なのだが、
今となっては、もう細かいことは覚えていなかった。
久しぶりに聴いてみると、思っていたより文法寄りの解説部分が多くて、
案外、性に合うことがわかった。
以前、大木講座との出会いになった「入門編」とは異なり、
今放送されているのは「初級編」という位置づけなので
サブタイトルが『文法より実戦練習2』となってはいても、
それなりに、理詰めでやる箇所が増えているということだろうと思った。

芳野まい先生の応用編は今季の新作だそうだが、
これまた今の私にはぴったりで、やりやすいと感じた。
本文が、日頃の音読練習→暗唱に気軽に取り組める程度の短さで、
テキストの印刷も大きめの字で組まれているし、
語彙や文法項目の解説の量・内容ともにほど良く、
On pratique(練習)も語彙・書き取り・内容正誤問題と
コンパクトにまとめられている。

あまりに御無沙汰していたので、ラジオ講座自体が自分には新鮮で、
何を見ても嬉しく気に入っている、ということかもしれないが(^_^;
初級編・応用編ともに、自分のフランス語をブラッシュアップするために、
ほど良い講座だと感じることができ、ありがたく思っている。
とりあえず3月まで頑張らなくては。

一方、ロシア語はまったくの懐かしさから、遊び半分で買ってみたのだが、
やれば思い出すことも多く、
「ここは完了体」「前置詞cのあとは造格」
などと自然に蘇って来るのは、大学で2年間お世話になった、
故・佐藤恭子先生の御仕込みのお蔭であると、しみじみ感じた。
「まずは貴女たち、発音の稽古しなくちゃならないでしょ」
などと佐藤先生がイイ声で仰ったことを、今朝もふと思い出したりした。
稽古、……演劇人らしい言葉の使い方をなさってたんだなぁ(涙)。

もうひとつ、ロシア語を聴けば聴くほど、
これはポゴレリチがよくやる発音だな、と感じる箇所が多く、興味深く思った。
私は実際には彼のロシア語を聴いたことは数えるほどしかないのだが、
ポゴレリチの言語音はロシア語が基本になっていて、
英語を話すときでも、彼は母音も子音もロシア語のものを使っている、
ということが、こうしてロシア語のネイティブの発音を聞いていると
あちこちで確認できるのだ(^_^;。
それならいっそ、彼の英語は、キリル文字で記録すると感じが出るのでは、
と考え、我ながら、その思いつきが気に入った
(↑お前の英語はカタカナで書いといたらちょうどええわ、
と言われて私は嬉しいだろうかと考えると、まあ、アレだが……(逃))。
それにしても、『まいにちロシア語』を聴いてポゴレリチの英語を連想するとは、
病膏肓に入るたぁ俺がことだぁ、…と思わずにいられない(汗)。

ロシア語を続けられるかどうかは、内容よりも私の生活時間帯による。
今は、主人の出勤が7時半なので、そこでラジオをつけてフランス語を聴き、
終わるとひとあたり家事をし、英会話タイムトライアルなどを小耳に挟み、
8時40分からラジオ体操をやり(笑)、50分から着席してロシア語、
というのが、私にとって具合の良い流れなのだが、これが少しでも変わると、
フランス語からロシア語までの時間が空いているだけに、
ロシア語のほうを忘れるのではないか、という懸念は、ある。
……私の、というより「主人の」生活時間帯次第か(^_^;。

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海老蔵×しのぶちゃんによる六本木歌舞伎『座頭市』。
海老蔵がとにかくカッコ良くて、
立ち姿が綺麗だわ殺陣はキまるは男前だわで参った(笑)。
しかも懐が深く温かくてチャーミングで。
…座頭市にチャーミングはおかしいと思われるかもしれないが、
まああまり書くとネタバレになるしな(笑)。

生きるか死ぬかの局面で、薄霧花魁の本名を聞いた座頭市が
「……『トメ』だったんですか(笑)!」
とウケるところの呼吸が、私は一番ツボにハマったねww
緊迫した場面や花魁の哀しい生き様と、座頭市の笑いの間にある乖離の具合が
たまらなく面白くて、あれができるのは今の海老蔵ならではだと思った。

しのぶちゃんは生き生きと本当に楽しそうに輝いていた。
音羽屋!と大向こうさんの声がかかっていた。
しのぶちゃんが男だったなら、今頃、歌舞伎座で
当たり前のように手に入れていたはずの世界だった。
花魁道中、早替わり、見得を切っての大台詞、
…束の間の音羽屋しのぶちゃんを見せてもらった。



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そういえば今日は、あらしちゃん(松緑)の誕生日だった。
おめでとうございます!

実に良い頼朝を見せてもらった。
「実ハ」「実ハ」と登場人物たちの正体が明らかになって行く芝居なのだが、
好色な正木幸左衛門だった男が、源頼朝としての顔を見せる様は目の覚めるようで、
最後に平家討伐の旗揚げをすると、それが更にもう一段階スケールが大きくなって、
まさに胸のすく舞台姿だった。

私がここ数年、大変に歌舞伎鑑賞に力を入れるようになったのは、
間違いなく、松緑が役者として成長し、魅力を増したのが理由だ。
彼がこれほど良い役者になっていなかったら、
私は歌舞伎のために毎月東京に行くことまでは、していなかったと思う。


そのあとの『四千両』では、『隅の隠居』の亨さん(辰之助)を思い出したよ…。
あらしちゃんは、もう亨さんの年齢を追い越してしまったねぇ。

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始発で広島を発って、歌舞伎座で昼夜通し(笑)。
いや~、楽しかったね♪
文字どおり、笑いあり涙あり…。

…でもさすがに一日八時間以上歌舞伎座にいたので
昼の四千両の三幕の途中と、夜の絵本太功記で
ちょっと寝ました(逃)。




後日記:小さいモモタロさんたちが可愛くて可愛くて。
娘が幼稚園だった頃のことを思うと、連日の舞台を、
5歳と3歳の兄弟が欠かさず勤めているということだけでももう、
二人の頑張りと、周囲の方々の御尽力が思われて、涙、涙。

勘太郎くんは小さいながら、既に歌舞伎の舞台をわかっていて、
台詞の間合いも、附け打ちさんとの呼吸も考えてやっていて、
そのうえ、弟クンと合わせることまでしようとしているので、
つくづく感心してしまった。
幼い長三郎ちゃんのほうは、本当によちよち歩きで、
立ち位置が舞台ぎりぎりだったりすると、
お猿のあらしちゃん(松緑)が専属保父さん状態で、
抱っこでひょいと運んであげたりしていたが(笑)、
台詞になると頑張って大きな声で、しっかり言えていた。
勘九郎や七之助から、良い稽古をつけて貰って
舞台に上がっているのだなとよくわかった。

お供は犬(染五郎)・猿(松緑)・雉(菊之助)、
と目の眩むような豪華さで、しかも三人とも化粧に懲りまくり、
「つくりすぎて誰だかわからない」
と旦那さん(菊五郎)に笑われているとのことだった。
染五郎・松緑・菊之助の連れ舞いなんて、
このような場でなかったら、もう今後そう観る機会はあるまいと思われた。
この三彦は、それぞれが息子を持つ父親でもあるので、
このいたいけな桃太郎さんたちの奮闘がよく理解でき、
かつ、見守る勘九郎の気持ちも全く他人ごとでなく、わかっていたことだろう。

その勘九郎と、叔父にあたる七之助が
桃太郎さんたちの一挙手一投足にはらはらしたり、
「できた!」と喜んだりしているのも客席で観ていて感じられ、
優しいヤジュじぃ(弥十郎)に見守られているのも微笑ましく、
きっとこの舞台には勘三郎が一緒に居てくれていることだろうと
思うと、また更に胸が熱くなって、
私の菊五郎格子のハンケチは休む間もなく出番が続いた。

まさに、幼い二人の華やかな「門出」だった。
二人はきっと、初舞台やその前後の様々なことを、
大人になったら覚えていないのではないかと思うが、
私は、今この巡り合わせで歌舞伎座に居合わせたお蔭で、
中村勘太郎・中村長三郎の、役者としての出発を祝うことができた。
これから二人はどんな役に出会い、どのような役者になって行くだろうか。
私は寿命のある限り、二人のこれからの成長を、
座席の陰から(笑)見守って行きたいと思う。

おめでとう、中村屋!!

*************

ちなみに、初舞台が巷では話題のメインになっていると思うのだが、
舞台としては、私は夜の部最後の『梅ごよみ』が最高に面白かった。
菊之助が「あの字」こと仇吉、勘九郎が「よの字」こと米吉、
この二人の芸者の、愛すべき痛快な女の闘いから、ひとときも目が離せなかった。
染五郎の丹次郎を挟んで、互いのかけひきのテンポが素晴らしく、
キイキイとキャットファイトを繰り広げながらも、
愛らしくお色気があって、かつ気持ちの距離感の移り変わりも見事だった。
そして観劇中にふと、この完璧に美しい「あの字」が、桃太郎の「雉」……、
と考えると、更に腹がよじれ、たまらなかった(笑)。

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