転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



(この日記の『バレエ』のカテゴリーを
自分の運動の関係で更新する日が来るとはね(^_^;。)

最近は、転夫ころもん氏に倣い、私もオンラインエアロビクスをしている。
マンションなので、飛んだり跳ねたりは階下への迷惑になるから、
基本的にローインパクト、あるいはウォーキングエクササイズのみである。
そのような中で先日、少し体が慣れて来たかなと思い、
出来心でクラシックバレエのチャンネルをチェックし、
超超・初心者向けのバーレッスンの模範動画を使って、
椅子の背をバーがわりに、靴下履きのまま、やってみた。

こんなワタクシでも大昔、そう、35年前から30年前までの頃、
某カルチャースクールの、「バレエ入門」という講座に、
初めの頃は広島で週1回、結婚して専業主婦になってからは
福岡でやはり別のカルチャースクールの教室に移って週2回、
更に転勤先の松江でも近所にバレエ教室をみつけて週1回、
自分なりにだが、ほぼ途切れることなく真面目に通っていたのだ。

私が好きだったのは、手順と目標がハッキリしているバーレッスンだけで、
センターレッスンになると熱意が下がり、
アンシェヌマン(一続きのステップ)を習っても、特にときめかなかった。
痩せていた20代当時でさえステージ衣裳など着たいとは全く考えず、
出演してみたい演目もひとつもなく、発表会の誘いもすべて辞退していた。
ちょうど、ピアノに関して、ハノンやツェルニーに固執する一方で、
名曲を自分の演奏で弾きたいとはほとんど思わない、のと同様であった。
私は概して、技術等を「整える」作業や過程には強い関心があるが、
それを使って何かを「表現する」意欲は乏しいのだ。

やがて妊娠出産と育児を機にド素人バレエ教室から足を洗い、幾星霜。
今や、当時より体重が15キロ前後は増加し、
関節も硬くなり左足首に古傷も残り、無理は禁物という老体になった。
このたび、久しぶりに立ってみたら、どのポジションにしても
昔から不完全だったアン・ドゥオール(外側に体を開くこと)が
もう全く不可能になっており、せいぜい90度+αで妥協するしかなかった。
頑張れば180度にできなくはなかったが、体の開いていない者が無理しても、
爪先のみが外に向いているに過ぎず、膝関節を痛めるだけだ。
(↑何ひとつ出来ないのだが理屈はわかっている(汗))

さて、レッスン動画に合わせてやってみようとすると、
アームス(腕の運び)や、顔をどちらに向けるか等は体が覚えていたが、
最初のエクササイズであるプリエ(膝を曲げる動き)からして、
今の私には大変なことだというのがすぐにわかった。
特に、グラン・プリエの一番深いポジションから、
ゆっくりと上体を上へと持ち上げるのが、無理だった(爆)。
若い頃なら、ひたすら止まらず綺麗に動くことしか考えていなかったのに、
今や、一旦下まで行ったお尻を持ち上げるのが、力の要る苦行なのであった。
中でも5番グラン・プリエからの立ち上がりがキツいのなんの、
思わずリキんで、バー(←椅子の背)にすがりつきそうだった(恥)。
血圧が無駄に上がるわ(爆)。

グラン・プリエがどれだけ大変な動きかということを、
私は遅蒔きながら、自分が老化&肥満したことにより、理解した。
レッスンの最初にあるので、若い頃は準備運動的に軽くとらえていたが、
なかなかどうして、あれほど大きく足腰の関節を曲げる動きは、
ほかにはちょっと無いのではないか。
よほど体がほぐれてあきらかに減量できたりでもしない限り、
もう、グラン・プリエはしないことにした。
ドゥミ・プリエの、うんとライトなヤツだけでも今の私には目一杯だ。

――というワケで、屈伸運動にケの生えたバレエ・エクササイズを
午後の日課にしている、今日この頃です。
ファイっっ!

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金曜の夜からダルくなり、微熱が出て、
土曜は一日、抗生剤と整腸剤を飲んで寝て、
昨日はかなり体がスッキリしたと思ったのだが、
きょうは、まだ午後からちょっとばかり、ダルくなった。
お腹が、また多少ゴロゴロ言っているし、鼻炎もある。
しかし半月ほど執拗だった肩凝りがうまい具合に取れたので、
体の芯にあった疲労みたいなものが、多少は抜けたと思う。

寝ながら読書が出来たのは、今回の収穫だった。
海堂尊のほかは、鈴木晶『ニジンスキー 神の道化』を読み終えた。
これを読んでから山岸凉子の漫画『牧神の午後』を読み直したら
背景がとてもよくわかって面白かった。

***********

ヴァツラフ・ニジンスキーの舞台での踊りそのものは、
一片の映像もなく、今となっては写真以外では見ることができない。
しかしそれは、前に書いた清岡卓行氏の『失われた両腕』と同様、
もはや取り戻すことが出来ないものだからこそ、
我々を際限なく魅了する存在へと飛翔し得た、とも言えるだろう。

勿論、私は、幾多の証言から、ニジンスキーの舞踊が、
天才的なものであったことは疑いもないと思っている。
それがもはや、再び見ることの出来ないものであるというのは残念だ。
しかし、我々は、実態を知っている人たちにはあり得なかった視点で、
ニジンスキーを捉えることができる、という幸福も甘受している。

どれほどの美であろうとも、かたちを備えたものは、
「限定された美」でしかなく、それ以上のものにはなり得ない。
だが、ミロのヴィーナスの腕のように、
そこに確かにあったことだけがわかるのに、もはや復元不可能、
となると、途端に、我々の想像力は無限に広がり、
美の、限りない可能性が生まれることになる。
舞踊家としてのニジンスキーの実像が失われたからこそ、
ニジンスキーは後世の人々の想像の中にしか有り得ず、
そこに付加された美の可能性というものが、あったと私は思うのだ。

一方、コレオグラファーとしてのニジンスキーは、
21世紀の我々にとって、目にすることのできるものである、
ということも、大変興味深いと私は今回思った。
『牧神の午後』は本人自筆の舞踊譜が保存されており、
『春の祭典』は、生き延びたダンサーたちの証言や、
残されていた楽譜余白の、振り付けに関するメモ、
当時の観客の描いたスケッチ等から詳細な復元が実現した。
それにより、彼が単なる天才舞踊家というだけではなかったこと、
彼の感覚は時代の先取りなどという生やさしいものではなかったこと、
ゆえに、その悲劇性だけで語り継がれるべき存在ではなかったこと、
等々が、明らかにされたと思う。

ニジンスキーは、極めて鋭敏な感性を持つ、
前衛的なコレオグラファーだった。
後に、モーリス・ベジャールが手がけたことを、
ニジンスキーはそれより半世紀も前に実現していたのだ。
そのことが、彼の遺した舞踊譜や復元された振り付けを見るとわかる。
当時の批評家や観客が、彼の感覚を目の当たりにしたとき、
必ずしもついて来られなかったとしても不思議はないと思った。
また、ニジンスキーは振り付けの際に、踊り手たちを相手に、
幾度も癇癪を起こしたということが記録されているが、
それは彼が口頭表現に優れていなかったという事情だけが原因ではなく、
彼の要求がどこにあるのか、当時のダンサーの感覚や体験の範囲では、
なかなか理解しづらかったということだろうと思った。

ちなみに、私がニジンスキーを知ったのは、12歳のときだった。
青池保子の漫画『イヴの息子たち』に出てきた、
「ヒース、私を見て…」と眉間にシワ寄せて踊る白鳥がそれだった。
私は、「昔、こんな変態ダンサーがいたのかな?」と興味を持ち(爆)、
以後、本や漫画でニジンスキーの名が出るたびに注目するようになった。
月を見ると白鳥に変身する、という青池ニジンスキーの設定を
もしヴァツラフ・ニジンスキー本人が知ったら、
案外、面白がったかもしれないな、と今の私は想像したりしている。

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客席の側が、観る前から演目の展開をよく知っていて、
出だしがどうで、次はどうなって、結末は、こう、
という前提を持って鑑賞するのが「古典」だ。
同じ演目が、何十年、どうかすると何百年でも
繰り返し上演され続けて来ているのだから、
過去のプレイヤーの解釈や、昔からの演出が既に知れ渡っており、
「今までと較べて今回のはどうか」
と、観る者が比較して味わうのが醍醐味なのであって、
ネタバレしたらガッカリ、という分野とは、最初から存在意義が違っている。

音楽でも、演劇でも、舞踊でも、古典とはそういうものだが、
その中で、バレエというのは、「クラシック」ではあっても、
例えば楽器の演奏などよりずっと、表現内容に取捨選択の自由があり、
振付家や踊り手の感性や時代感覚が存分に発揮されていると思う。
音符や言葉のように、紙の上に記録して残すことが出来なかったために、
ベースとなる振付が複数のパターンで伝えられていることが多いし、
どう組み合わせるか、新しく何を入れるかの許容範囲は、極めて広い。
それでもクラシック・バレエというジャンルは揺るぎないものなのだから
「再生芸術」としては、実に興味深い分野ではないだろうか。

・・・などと書いたのは、きょうはここで、その好例としての、
キトリのバリエーションについて語りたいと思ったからだ。
昨夜、検索していてアスィルムラートワのキトリに偶然に出会い、
幾度か繰り返して再生しているうちに、
キトリが自分にとって少し特別な意味を持つ踊りだったことを思い出し、
私がこれまで観てきていろいろと思ったり感じたりしたことを、
この際、まとめて記録しておきたいと考えたのだ。

前にも触れたが、昔、カルチャースクールのバレエ講座で、
ポワントも履けずバレエシューズで不格好にヨロヨロとやっていた頃、
天啓のように、この曲の不思議な魅力を体感する機会があって
以来、私は、キトリに格別の思い入れを抱くようになった。
それで、いざ注意して観るようになってみると、
この有名なバリエーションひとつでさえ、
実に様々な踊り方があることがわかり、
クラシック・バレエの創造性というものについて改めて、
ど素人のレベルではあるが自分なりに考えさせられたわけだ。
そういう意味で、キトリは見る側の私にとっても、
ひとつの「きっかけ」になった踊りだった。

私は、キトリの三幕のバリエーションについては、
生理的な好みみたいなものがあって、
まず、分散和音の前奏のあと音楽が「ジャン!」と一瞬止まったときに、
歌舞伎の見得みたいに、カっと扇を開いて十分にキメて欲しい、
それから、中盤のエシャッペ(両足を開閉して交差させるステップ)は
早過ぎないテンポでたっぷりと、1セットで4回くらいは見せて欲しい、
それと、終盤に向かうパ・ド・シュバル(馬のステップの意味で、
ずっとポワントで立ったまま、つま先で床をひっかくようにして
片足ずつ進んでいく部分)では、右に左にと目力を発揮して、
クドいくらいのアピールをして欲しい、・・・というふうに、思っている。
要するに、全体を通して、表面的にはお転婆娘の愛らしさをふんだんに、
同時に根底のところでは、『まなじりを決した』みたいな強さを秘めて、
メリハリのある踊りを見せて欲しいのだ。

そういう意味で、私にとって、観ていて最も爽快感があるのは、
以前にもご紹介したことがあるのだが、パロマ・エレーラの踊りだ。

パロマ・エレーラのキトリ(YouTube)
なんとも、粋でおしゃれで、躍動感のあるキトリ、
体のラインも、ギスギスしていなくて、しなやかで美しい。
エシャッペがどれも物凄く綺麗に入っている、
というか効果的に見せる角度になっているし、
3セット目のエシャッペの四回目で脚を5番ポジションに戻す瞬間、
扇をパン!と勢いよく閉じる呼吸なども、実に小気味よい。
何より、最後のシュバルのところの扇づかいが細かに変化しているのと、
目線がくるくると愛らしく動いているところが、
いかにもじゃじゃ馬キトリという感じがして良いと思うのだ。
アチチュードで決めるポーズまで安定感が持続していて素晴らしい。

一方、同じ音楽、同じ場面、基本的に同じ振付のキトリでも、
私の愛するアスィルムラートワのものは、かなり違っている。

アルテイナイ・アスィルムラートワのキトリ(YouTube)
袖から走っての登場~イントロ終わってジャン!の箇所が
ここでは収録されていなくて、とても残念なのだが、
グラン・パ・ド・シャで後の脚の膝を曲げているのは、
「猫の脚」ステップ本来の感じで、新鮮で可愛いし、
シュバルでの多彩で鮮やかな表現は、彼女ならではだと思った。
巧い言い方が見当たらないが、彼女の、一拍一拍が終わる瞬間の表情付け、
のようなものが私にとっては大変に魅力がある、と改めて感じた。
ただ、彼女の持ち味の問題なので仕方がないが、
キトリの野性味には乏しいので、好みが分かれるところだろう。
ちなみに、エシャッペのあとのアチチュード・ターンになったとき、
アスィルムラートワは扇をきっちりと閉じていないようで、
なんだかハリセンみたいだと思ってしまった(殴)。

(ハリセンでバジルを追い回し、かぱーん!と叩くキトリ、
というのも、踊り手にテクがあれば、パロディとして面白いかも。
グランディーバ・バレエあたりが、既にやっていないだろうか(^_^;?)

さて最後は、多くの人が認めるキトリ決定版を。
これが見事であることを否定する人は、
とても少ないのではないかと思う。

ニーナ・アナニアシヴィリのキトリ(YouTube)
ニーナ・アナニアシヴィリは本当に伸びやかな肢体を持ったダンサーだ。
手を挙げても、ジャンプしても、ほかのキトリより高い感じがする。
それでいて、スピード感も十分で、緩急の変化が明瞭・鮮やかだ。
セクシーというより「コケティッシュ」と言いたい魅力があると思う。
キトリというキャラクターの熱さ・美しさ・奔放さを表現するのに
彼女ほどぴったりの踊り手は、ほかにないだろう。

たった一分半のバリエーションでも、これだけ違うことが、
ダンサーによって、あるいは振付家によって行われているのだ。
ピアノの楽譜のエディション違いとは比較にならない多様性だし、
解釈の差異を具体的なステップの変更によって表現できるのは、
クラシック・バレエというジャンルが備えた創造性として、
大変、興味深い現象だと思う。

なお、日舞と同様、バレエも、衣装には踊り手の好みが反映され、
デザインがそれぞれ細かく違っていて、個性を楽しむことができるが、
キトリの衣装は、大きく分けて赤と白の二種類がある。
情熱のスペイン・華麗なキトリ、というイメージからは赤になるようで、
ボリショイ系のダンサーは赤が多いように思う。
一方、物語としては、この踊りが出て来るのはキトリとバジルの、
婚礼の場面としてなので、花嫁の白をまとうことも理に適っている訳だ。
上にリンクを貼った中では、アスィルムラートワだけが、
髪飾りにも扇にも全く「赤」を使っていない。

それと、そもそも衣装だけでなく、振付にも大まかには二種類あって、
今まで観てきたものとは異なり、もうひとつのはフェッテで始まり、
中間部はエシャッペでなくルティレ、終盤もシュバルのステップは無く、
ルティレとパ・ド・ブレ、またはトゥールピケなどが見せ場となる。
ヨーロッパ・アメリカ系と、ソビエト・ロシア系という、主立った二系統で、
それぞれの振付が伝えられているのだと、以前読んだことがある
(『バレエ入門―バレリーナの手紙―』川路明・土屋書店・1992年)。

エカテリーナ・シプリーナのキトリ(YouTube)
スヴェトラーナ・ザハロワのキトリ(YouTube)

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モーリス・ベジャール・バレエ団2008年来日公演に関して、
日程や演目を知りたいと思って検索していたら、
偶然に、懐かしいジョルジュ・ドンの映像に出会って、
しかもそれが、私が彼を最後に観たときの演目である、
『ニジンスキー 神の道化』の一部分だったので、
何か取り憑かれたようになって十回くらい再生してしまった。

Nijinsky 1990 - Jorge Donn(YouTube)

これは90年モスクワでの映像だそうだが、
私が観たのは、91年秋の福岡公演だった。

ジョルジュ・ドンは、みごとな身体を持ちながらも、
まるで精神だけで存在しているかのようなダンサーだと
私はずっと感じていた。
己の精神性を極限まで突き詰めて、常人の域を超えてしまったら、
その踊り手の肉体表現はどのようなものになるのだろうか、
と私は彼を観るたびに思っていた。
この『ニジンスキー 神の道化』では、
ラストシーンで息絶えるドンの姿がピエタの像さながらで、
それはあまりにもドンに似合い過ぎ、
そこまで観るのは辛い、と圧倒されつつも思ったものだった。
ドンが死んだのはその来日の翌年だった。

振付家のモーリス・ベジャールが、ドンの死後、
QUEENの音楽からインスピレーションを得て制作したのが、
『バレエ・フォー・ライフ』なのだが、
これはドンとフレディ・マーキュリーのふたりへのオマージュだ。
フレディ・マーキュリーもジョルジュ・ドンも、エイズのために、
奇しくも同じ45歳で、亡くなった。

Ballet for Life - I want to break free(YouTube)

ここでのドンが何をしているかというと、
それは、白い布で、十字架をつくろうとしているのだ。
フレディの声に合わせて踊るジョルジュ・ドンの姿を、
こんなかたちで観ることになろうとは、
ふたりの生前には、私は一度たりとも考えたことがなかった。

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(写真は、我が家でただのインテリアになり果てているトウシューズ。
一応Chacottのコッペリアのどれかだったと思うが、
誰も踊れないので、まさにネコにコンバンワ。)

数日前、つい出来心で
DVD『発表会で踊りたい ヴァリエーション・レッスン
の第二巻を買ってしまった。
この巻にしたのは、キトリとフロリナが見たかったからだが、
このシリーズはほかに第一巻と第三巻もある。
全部のパの名前がひとつひとつ説明されるので、
どういう動きの順序になっているのかがよくわかり、
足のポジションも視覚的に理解できるので、
私のように、自分は踊らないが舞台を観るのが楽しみという者にも、
鑑賞眼を養う上で大変有益なDVDだと、見ていて思った。

我々が通常目にするのは本番の舞台だけで、
こういう、レッスンの段階の踊りを見る機会は少ないと思う。
公演で、ダンサーが個性を発揮し妙技を披瀝するためには、
それぞれ独自の工夫を凝らしていることが多く、
例えば同じ動きが3セット出てくるところなど、
音楽でいう変奏曲みたいに、繰り返しのたびに、
装飾音のように動きを入れたり、
ターンの種類を変えてニュアンスを加える等、
踊り手によって細部はかなり異なっているものだが、
このDVDは稽古用なので、そういう応用よりも、
むしろ、基本となる動きのほうを徹底して指導している。
御陰で私はほぼ初めて、
「ベースとなる振り付けは、こうだった」
というのを知ることが出来た部分が結構あった。

それとともに、クラシック・バレエにおいては、
どんなに複雑に見える動きでも、すべて、
基礎のパの組み合わせから成り立っている、
ということが、よくわかった。
バーやセンターでレッスンすることを、どこまで正確に身につけるかが、
バレエの表現の上限を決めることになるのだ。
つまりテクニックに穴があったり弱点が残っていたりすると、
それらが足かせになって、舞台上の表現が制限されてしまうということだ。
あとは、組み合わせられている要素のひとつひとつを、
同時進行で処理することの難しさが課題となるのだと思った。
今さら何を言うてんねん、とバレエ経験者の方には呆れられそうだが、
私などは、こうやって実際に見せられないとわからないものなのだ(^_^;。

それはともかく、こういうレッスン番組の常として、
このDVDでは、生徒さんが、むちゃくちゃうまかった(爆)。
NHKのスーパーピアノ・レッスンだって、多くの場合、
プロで弾ける若手ピアニストが、世界的なピアニストに習う、
という形式で、その演奏たるや、私など一般人素人にとっては、
趣味のタシにしようとしても真似られるシロモノではなかったが、
このDVDで繰り広げられるバレエ・レッスンもそのテのものだった。

男女とも、これはもう、「生徒」などというレベルではない、
というダンサーが出演して指導を受けている。
その凄さというのは、高く飛ぶとか速く回るとか以前に、
普通に五番ポジションで立っただけでも、
ただごとでない正確さが、一発で伝わってくる感じなのだ。
調べてみたら、男性のほうの今井智也さんは、
谷桃子バレエ団所属で、若手公演なら主役を踊られる方だし、
女性の西玉絵里奈さんも、ローザンヌのセミファイナリストだった。

眼高手低は初心者や素人には当然であり、
うまくない見本など、いくら見たって上達するわけはないのだが、
それにしても、このDVDを眺めていると、
展開されている世界があまりにも高度かつ上質過ぎるので、
「私も、もしかしたら、もうちょっとは巧くなれるかも?」
などという自分本位な甘い夢はコッパミジンコに吹き飛ばされ、
「あなたは一生そこで、画面だけ眺めていればよろしいのよ」
と優しく説得されている気分になった(爆)。

それで、次にお小遣いがたまったら、今度は、
40歳から始める やさしいクラシックバレエ入門
を買うことにしよう、と思ったワタクシであった。
まあ、これだって既に私には結構な別世界ではあるのだが、
少なくとも、こっちのDVDの内容は謳い文句よりずっと高度だとしても、
小学生からポワントで平気で踊っていた人たちが対象ではなかろう。
二十代でカルチャーセンターから始めた(後、5年目に挫折した)私だって、
ちょっとは、自分に関係のある世界だと思っても良いのではないか?
尤も、実際に始めるには、私の場合、今や左足の弱点も深刻なので、
最低限、10キロは減量してからにしないといけない。
したがって、始める日は、金輪際、来ないかもしれない(逃)。

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NHKで、このところ『スーパーピアノレッスン』が放映されていたが、
今期は、これが新しく『スーパーバレエレッスン』になる、
ということを、某友人の情報で知った。

NHKスーパーバレエレッスン

マニュエル・ルグリ(パリ・オペラ座バレエ団エトワール)が講師、
ということで、見応えのある内容の講座になりそうで楽しみだ。
名作のヴァリエーションを取り上げて指導して下さるらしいので、
私のように、専ら目の保養、という人間は勿論のこと、
実際に踊ってみようとお思いになる方にとっても、
普段はなかなか受けられないようなレッスンがテレビで観られて、
非常に、ためになるのではないだろうか。

そういえば昔々、清水哲太郎と森下洋子による、
『クラシックバレエ入門』という番組が、
NHK教育テレビであったのを、ご記憶の方がいらっしゃるだろうか。
あの放映があったのは、二十年くらい前ではないかと思うのだが、
私は当時、あの番組が大好きで、欠かさず視聴していたものだった。
半分は真面目に、バレエの基本を学ぶために、
そして残り半分は、笑うために(爆)。

だって、講師の清水哲太郎氏が画面に映ると、
「きょうは、バトマン・タンジュをやります。
足を出すときは、かかとから押し出すように。
つま先は、床から放してはいけません」
等と仰って、生徒さんの足や骨盤付近をさわさわして(爆)、
「第五ポジションに戻ったときは、両足の間に、
隙間があっては、いけません。
では、やってみましょう。Un(アン)!」
等々と、手つきもしなやかに、ご指導になっていたのだ。
開始のかけ声は唐突にフランス語、
しかも、清水氏は、ただお話をなさるときでも、
必ず、おみ足が、「三番ポジション」だった(爆)。

いや、マジで、あのときは、一般人相手の放映なのに、
大変高度に、よくまとまったレッスン番組を展開して下さったし、
あの時間、清水氏から学んだことは、のちに、私自身が、
ど素人お笑いバレエ教室に行ったとき、実際に大いに役に立った。
だから、本当に感謝している。
感謝している。が。

毎回、実に笑えたものだった(T.T)。

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先日話題にした、アルティナイ・アスィルムラートワの映像を
あれから、YouTubeで新たに見つけた。

『海賊』より パ・ド・トロワ(YouTube)

説明にもコメントにも、アスィルムラートワの名は書かれていないが、
どう見てもこの細いシルエットは彼女だし、
海賊ズボン(^_^;)のアリ役をしているのはルジマートフだと思う。
あとのひとり、コンラッド役をしている男性は、
誰なのか、わからなかった。すみません<m(__)m>。

先日の『バヤデルカ』に関しても私はいろいろ誤解していたものだが、
『海賊』に至っては、全幕で見たことが一度もないので、
私は、この場面はメドーラとアリのパ・ド・ドゥだとばかり思っていた。
実家にある、キーロフの昔の記念イベントみたいな公演の録画でも、
アスィルムラートワとルジマートフの『海賊』はパ・ド・ドゥだし、
コンクールやガラで踊られる時だって、大抵、二人ではないですかね(^_^;)。
『海賊』より同場面のパ・ド・ドゥ(YouTube))
コンラッドも加わった3P版(殴)のほうが正式なのかな??

何にしても、アスィルムラートワの映像がまだ発掘できるかも、
と私は味をしめて、もっとほかにもないかと、YouTubeで探してみた。
それで判明したことは。

アスィルムラートワは、名前を正確に綴られることのほうがマレだ

ラテン文字では彼女の名は、
Altynai Asylmuratova
と綴るのが、公式的に正しいということになっている。
彼女は中央アジアのカザフスタン出身なので、
その名前も、多分カザフ語起源の、独特のものなのだろうとは思う。
が、YouTubeに関する限り、彼女の名前の表記は無茶苦茶だ。

Azimultova アジムルトーワ
Assilmatorova アシィルマトーラワ

似て非なる、・・・つーか、普通に別人だ。
そんな名前の別のダンサーがいたのかと一瞬、信じそうになった。

私はカタカナ名前に弱くて、よく読み間違えるのだが、
なんのことはない、ガイジンさん達だってやっぱり、
馴染みのない長い名前は完全に間違って覚えるのだ、
ということが、これでよくわかった。

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かなり以前に買ったまま、きちんと観ていなかった、
DVD『ラ・バヤデール』(英国ロイヤルバレエ・91年)を、昨夜、観た。
王宮の踊り子ニキヤ役にアルティナイ・アスィルムラートワ、
兵士ソロル役は、イレク・ムハメドフ。
ナタリア・マカロワの演出で、カーテンコールでは彼女の美しい姿が見られる。
また、芸術監督のアンソニー・ダウエルも僧正役で出演している。

「ラ・バヤデール」は、たとえば「白鳥の湖」と較べるならば、
日本で有名な作品とは言えず、上演の機会もそこまで多くないと思う。
しかしこの作品は実に見どころが多いし、
物語としても、舞台上には様々な人間の思いが渦巻き、
なかなかに見応えがあると私は思う。
設定は、古代インドで、兵士ソロルと、舞姫ニキヤが、
身分を越えて永遠の愛を誓うが、周囲の妨害でふたりは苦悩する。
ソロルを愛する、社会的地位の高い令嬢のガムザッティ、
ニキヤに横恋慕しソロルを憎む大僧正。
エキゾチックな王宮や、深い森、死後の世界「影の国」など、
幻想的な場面が次々と展開される。

この作品を初めて観たのがいつだったか、どこの公演だったか、
誰がニキヤとソロルを踊っていたか、全然思い出せないのだが、
なんであれ、テレビか何かで観たことが、以前あったと記憶している。
ただひとつハッキリしているのは、私の頭の中では、
この作品の題はフランス語の「ラ・バヤデール」でなく
ロシア語の「バヤデルカ」が初期設定になっていることで、
そこから考えると、多分、最初に観たものは、
ロシア系のバレエ団の公演だったのだろう、と思われる。

二幕の『影の王国』の場面だけを取り出したかたちでは、
ガラ・コンサートや青山バレエ・フェスティバルの録画などで、
もっと何度も観たことがあったと思うのだが、
全幕としては、もしかしたら、今までには、
その、いつの記憶がわからないロシア系バレエ団公演のと、
今回の英国ロイヤル・バレエのDVDとの、
たった二回しか、観たことがなかったかもしれない。

その少ない鑑賞経験の中で思ったことを書いてみたいのだが、
まず、私は、この話の主人公は、ニキヤとソロルではなく、
ガムザッティではないかと思えてならない。
藩主の妹で、華やかな美貌と強い気性を持つガムザッティは、
愛するソロルが先に踊り子ニキヤと愛を誓い合っていたことを知り、
ニキヤと直接対決をしてソロルへの自分の愛を宣言をしたうえ、
ニキヤが毒蛇に噛まれて死ぬように、彼女を罠にはめる。

設定としてはヒロインを害する悪役なのだろうと思うのだが、
実際にバレエの進行を眺めていると、ガムザッティは鮮烈だ。
このDVDでは特に、ダーシー・バッセルが
あまりに名演だからというのもあるが、
しかし構成上も、ガムザッティは出番が非常に多いし、
二幕ではソロルとの、ほぼ完全なグラン・パ・ド・ドゥがあり、
グランフェッテまで披露しており、これでもか!な見せ場が満載で、
ニキヤよりある意味ずっと正統派ヒロインの場面構成ではないか、
という気がする。
何より、バッセルの演じるガムザッティは一途で可憐だ。
純な令嬢だったからこそ、男性への思慕のあまり我を忘れたのだ、
という哀しささえ感じさせる。

更に、私はもっと根本的なところで物語を誤解していた、
ということに、今回、遅まきながら、このDVDを観ていて気づいた。
どう考えても、この話の結末部分を間違えて覚えていたようなのだ。
ソロルとガムザッティの婚礼の場面が、最後、
何か崩壊したようになって終わり、
ソロルだけが、白い雲の中、ニキヤと薄布で結ばれて、
ニキヤに導かれるように天に昇る、という感じになるのだが、
私はずっと、あれは亡霊ニキヤの祟りだと思っていたのだ。

亡霊ニキヤがどんなに誘惑しても、
ソロルが結局ガムザッティと結婚式を挙げようとするので、
恨みの権化となったニキヤが、すべてを破壊して婚礼をぶちこわし、
屍となったソロルだけを拾い上げ、喜々として布にぶらさげて、
黄泉の国に連れ帰っていくのがラストシーンだと、
私は、本当に、昨夜午後8時45分まで誤解していた。
物凄い怪談だと思い込んでいたのだ。

本当は、違った。
解説書によると、最後はニキヤの亡霊が何かをしたというのではなくて、
神様が、勝手なことばかりする人間に対してとうとう怒りを炸裂させ、
雷鳴とともにすべてが一瞬で破壊されて皆が死に絶えてしまい、
魂となったソロルは、現世のしがらみから解放されて天に昇り、
純粋なる愛のもと、今度こそニキヤと永遠に結ばれる、
というラストシーンなのだそうだ。

・・・うぅむ。
長年の誤解のゆえか、どうも、釈然と、しない(爆)。
人間が勝手なことばかりする?そうだろうか?
もとはと言えば、全部ソロルが悪いのでは(爆)?

私は一応、女だが、美しい女性に心引かれるソロルの気持ちは、
これでも、ある程度は想像できるつもりだ。
ニキヤを愛しているのは決して嘘ではないのだが、
ガムザッティだって美貌だし、その上、身分制度上の制約もあるし、
現実にはなかなか、最初に誓った愛だけでは動けないのが男だ、
と彼なりに苦悩していることは、想像に難くない。

だが、ふたりの女性にふらふらした挙げ句、
どちらからも恨まれただけでなく、自分が一番不幸になっている、
というソロルの要領の悪さというか、ヘタクソさ加減がヨロシくない。
挙げ句に悩んでアヘンに逃げて、影の国で元カノと踊るなんて。
あかんたれやな、ホンマに!
女二人にもっとそれぞれ良い思いをさせてたっぷり遊んで、
バレたら潔く両手をついて謝り、花束(毒蛇ナシよ)でも贈らんかい!
度量のないヤツが身分不相応な二股かけるから、みんな大迷惑だ!
・・・という方向の怒りが、私には、あった(^_^;)。
私を怒らせつつ、しかしソロルの苦悩をもわからせた、
ムハメドフは、なかなか細やかな演技をしてくれた、
ということかもしれないが(^_^;)。

しかし何より、私にとってこのDVDが宝物なのは、
ニキヤを踊っているのが、女神のようなアスィルムラートワだ、
というのが大きな理由だ。
私は、短い間だったがアスィルムラートワが大好きだった。
異国風の美貌、凛として強い視線、情緒あふれる踊り、
高度なパでもピタリと決められる、全身の強靱なしなやかさ。
私にとって、女性ダンサーのひとつの理想型が、彼女にはあった。
最も美しい時期に咲き誇るように踊り、見事に引退してしまった彼女は、
私にとって今もなお、夢か幻のようなダンサーだ。
それゆえに、彼女の姿をとどめるDVDは貴重だと思っている。

YouTubeで探してみたのだが、アスィルムラートワのニキヤは、
良い映像が見当たらなかった。
ので、彼女がどういうダンサーだったかをご覧頂くために、
別の演目なのだが↓を一応、貼っておきます(^_^;)。

アスィルムラートワによる 「葉は色あせて」(YouTube)
(一緒に踊っているのは彼女の夫コンスタンチン・ザクリンスキー。
ご夫婦の間には、お子さんもあり、大変お幸せであるとのことだ)

最後に、このロイヤルのバヤデルカで、もうひとつ注目すべきことは、
三幕冒頭の輝く仏像ブロンズ・アイドルの役で、
まだ十代だった熊川哲也が出ている、ということだ。
このとき熊川哲也19歳、プリンシパルに昇格する二年前の映像で、
彼の地位はファースト・ソリストあたりだったのではと思う。
ブロンズ・アイドルの出番は一度しかなく、数分間のソロひとつだ。
しかし最初に飛んだ瞬間から、舞台の空気が完全に変わってしまい、
熊川哲也の強烈な才能を、やはり痛感させられる。
目の眩むようなパの連続ののち、何事もなかったかのように、
ブロンズ・アイドルはもとの坐像の姿に戻るのだが、
客席の怒濤のような拍手とブラボーの嵐は、しばらく止むことがなく、
この時点での熊川への支持が、既に絶大だったことが伺われる。

YouTubeでは、このブロンズ・アイドルの映像は見つけられなかったが、
かわりに、主役のソロルのバリエーションを踊る熊川哲也を発見した。

熊川哲也によるソロルのバリエーション(YouTube)←圧巻!

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先日の化学ゾーキン、じゃないバレエスカート一式を、
「あんたに返しとくわ」
と母が私のところに無理矢理くれた。
私の、この身に不似合いなバレエ趣味を、
当時、母は、一体、どう思って眺めていたのだろうか。
訊く勇気が無かったので、無言で受け取った。

娘が面白がり、着てみたいと言うので着せてやった。
ポワント(トウシューズ)は新品同様で、
底も硬いままだし、リボンもつけてなかったから、
娘ははくことができず、かわりにバレエシューズを探したが、
もう十何年も前にどこかにやってしまい、みつからなかった。
きっと、度重なる引越の途中で、私が自分で捨てたのだろう。
どちみち、若い頃でさえ、ド素人お笑いバレエ教室だったうえに、
あれから更に中年太りした私には、もう、無用の長物なのだ。

だが娘は、ひらひらのスカートだけで、満足そうだった。
Tシャツとスパッツの上にスカートを巻いた、
世にも珍妙な姿で、娘はラジオ体操のようなものを踊っていた。
私はもう、自分では恐ろしくて、こんなもの着られない。
もしスカートが真ん中でクロスしなかったら、どうしたらいいのだ。
両脇に何か垂れているだけで、ウエスト中心はヒモだけって。
それじゃ、まるで後ろ前に着用したエプロンぢゃないか(T.T)。
暗澹としている私に、スカート姿の娘が言った。
「くるくる、ってまわってみたい。どうやるの?」

・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。

今にして思えば、あそこで、やらなきゃ良かったのだった。
私はもともとろくに出来ないピルエットを披露しようとした挙げ句、
まわりきれず、ヨタって、挙げ句に、体重かけ過ぎた左足が痛くなった。
昨年暮れに剥離骨折した、あの左くるぶしのところだ。
嗚呼、まわるのは10キロ減量してからにすべきだった。

ナサケなさ過ぎな私は、自己嫌悪に苛まれつつ、
痛む左足首にインドメタシン配合の湿布薬を貼ってから、
きょうの午後、かねて愛読のバレエ漫画『テレプシコーラ』(山岸涼子)
の続きを読むために、ダ・ヴィンチ7月号を買いに行った。

・・・・・・・・!!
あまりにも、ショーゲキの展開だった。
店頭で漫画を読んで、ぐ!と息を呑んだのはほとんど初めてだった。
あんまりだ、あんまりだ。どうなるんだ、これから。

(すみません。この漫画に全く関心がおありでない方には、
きょうの日記は意味不明です。申し訳ございません。
しかし詳しく書いてしまうと、ネタばれになってしまうので。
ご興味おありの方は、『テレプシコーラ』で検索して下さい)

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バレエスカートの話題のついで、というのでもないが、
私は最近、バレエ関連の、実にささやかなる念願をひとつ達成した。
それは「キトリのヴァリエーション」をピアノで弾く、ということだ。
キトリのヴァリエーションが踊れるようになった、
というのなら、もっとずっと格好いいのだが(^^ゞ。

この「キトリのヴァリエーション」は、
演目としても人気の高いバレエ『ドン・キホーテ』の、
グラン・パ・ド・ドゥに含まれている女性のソロで、
この部分だけでも、バレエ・コンクールでよく選ばれるし、
最近ではフィギュアスケートで中野友加里選手が、
確かこの曲をフリー演目で使用されていたと思うのだが、
私がこれを弾いてみたいと思った直接のきっかけは、
そうした、いわゆる舞台に感動したからではなかった。

それは、私が大昔、ド素人用お笑いバレエ教室(T.T)に行っていた頃、
エシャッペだかパッセだかの練習の背景に、
このキトリのヴァリエーションのメロディが使われていて、
私は踊ることによって、その軽快な音楽の魅力に目覚めたのだった。
こういう音楽を、自分でも弾いてみたい!とそのとき強烈に思った。

ミンクスとかアダンとかは、主としてバレエ作曲家としてのみ、
有名な人たちなのではないかと思うのだが、
それは音楽が音楽として単独の魅力を持っているというのではなく、
踊りを伴って自分で体感したときに、初めて良さがわかる、
という種類の音楽だからではないか、とこのとき私は感じたものだった。

・・・というと、なんだか高尚なハナシになってしまうが、
実は、私はもうひとつ、「ラジオ体操のピアノ伴奏をマスターしたい」
という希望も、以前から持っていて、どうも私は、
自分が体を動かすと、そのバックになっていた音楽に対して、
妙な思い入れを持ち、自分でも演奏したい、と思いつくものらしい。
『弾き語り』はあっても、『弾き踊り』は絶対できないと思うのだが、
私は一体、何がしたいんでしょうか(^_^;)。

キトリとバジルのグラン・パ・ド・ドゥ(YouTube)

ところで私は、これとは別バージョンの振り付けのキトリを
以前どこかで観たことがあって、そのキトリは、下手方向から登場し、
左右のルティレ(つま先を、もう一方の足の膝の内側につける振り)
を繰り返し披露して、最後はシェネでアラベスクか何かのポーズで終わる、
という、見た目には若干、地味めな踊りだった、という記憶があるのだが、
マリウス・プティパ以外の振り付けで、ほかに何が有名だっただろうか?
ヌレエフ版とかバリシニコフ版でなく、もっと古典的な振り付けで、
違うキトリがあったように思うのだが、どなたかご存知ありませんか。

追記:YouTubeで発見。これです。これもプティパ振り付け?なぜ違う?

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