転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



長かった夏休みも、とうとう終わりだ。
明日は始業礼拝があって、すぐに休み明けテストなので、
それを思うと母娘ともども、このところクラい気分ではあるのだが、
でも私のほうは、娘がきちんきちんと学校に行く毎日のほうが
断然、メリハリがつくし、家も片付くので、助かる。

娘がいると、毎朝、寝坊していて、掃除がしづらいし、
やっと掃除した場所を、すぐに汚したり散らかしたりして、
だのに本人は決して、私のようには綺麗に片付けようとしないし、
本当に家の中がダラダラした感じになって、閉口した。
それに加えて、やれ明日は○時にどこそこへ行くの、
○日には友達が来るの、○曜日までに何々をしなくちゃならないの、
等々と、毎日毎日予定が違うし。
暇さえあればテレビを点けて騒音をたてるし(--#)。

ここだけの話、私は「夫在宅」より「娘在宅」のほうが
ずっと拘束される気がする。
彼女は別に私に何かを要求するわけではないのだが、
これだけ娘のことが気にかかるというのは、
娘の自立もまだまだだし、同時に、
私も子離れできていないということなのだろう。

実に、長い長い長い夏休みだった。
やっと終わると思うと、セイセイする。


三十年前、我が母もこんな心境だったんだろうか(爆)。

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主人がこのところ、自分の髪をどうしたものかと悩んでいる。
もう何年も前から、額から頭頂部にかけてかなりヤバくなっていて、
それを毎朝、実にうまい具合にセットして出勤していたので、
私は心密かに彼を「生え際の魔術師」と呼んでいたのだが、
とうとう、その高等技術も追いつかなくなって来たようだ。

夫「この髪の少なさは、如何ともし難いワケよ」
私「ほんなら、トンスラにしたらは?」
夫「トンスラとは?」
私「ザビエル・カット」
夫「あれは!あれは帽子だろうが!」
私「ザビエルの頭、ホンマに剃っとるで、って発見して来たのは
 確か、おとーちゃん御本人だったと思いますが?」
夫「そうやったっけ??」

という、髪だけでなく前頭葉まで弱っている会話のあと、
主人は、更にうなだれて、

夫「でも、トンスラも無理や。前髪がないもん(T.T)」

と言った。
本人は、バーコード頭にするなど未練たらしいことはやめて、
いっそ、スキンヘッドにしてしまいたいらしいのだが、それだと、
人相との釣り合いを考えて、果たしてカタギに見えるかどうか、
というのが一番の懸念だそうだ。
なら、バリカンで2ミリか3ミリのボウズ刈りにしたら?と私は提案したが、
それでは髪のあるところと無いところが丸わかりになり、
かえってヤバいのだそうだ。

夫「いちばん適しとるのは、月代(さかやき)なんだよなー」

なるほど、それはその通りだ。
カタギかどうか以前に、映画村の住人になってしまうが。

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拙サイトに来て下さっている方が、下記記事の存在を教えて下さった。
ポゴレリチの最新の写真が見られる、ポーランド語(爆)の記事だ。

Ivo Pogorelić chce wyjaśnienia sprawy z Konkursu Chopinowskiego z 1980 r.
(AOL Polska)

その方から、ざっと教えて頂いた内容によると、この記事には、
先日私がフランス語記事をもとに紹介した話と同様のことが出ていて、
ポゴレリチは、80年の第10回ショパン・コンクールにおいて、
自分が第三次予選で落選したことを未だに納得しておらず、
『周りでは民主化が進み、ポーランドでも社会主義から民主主義に変った今、
あの事件をもう一度見直して事実を公表するべきだ。
28年も経った今でも、自分はあのコンクールから追い出された
というイメージをつけられたままで、
自分としてもここで終止符を打ち、このイメージを消したい』
という主旨のことを語っているのだそうだ。

自分こそ覇者であったと、今更、公式に認めさせたいだけ、という、
ともすれば見苦しい(爆)印象を受ける向きもあるかと思うのだが、
しかしポゴレリチが言っていることには根拠がないわけではない。
彼はモスクワに留学していたソビエト体制の時代に、
チャイコフスキーコンクールが政治的に利用されるのを見聞きしたと、
かなり以前から発言している。

ポゴレリチによれば、当時は、当局に都合の良い演奏家が
コンクールで好成績をおさめるように、審査は作為的なものが多くあり、
同時に、審査員が予め落とすことを決めている出場者もあって、
当日、どんな演奏をしようとも、そうした予定が揺らぐことはなく、
入賞者や落選者は、しばしば、聴衆の評価とは無関係だった、
ということだ。
ポゴレリチはこのことを、ジャーナリズムに向かって80年代から語っている。
そして彼の言いたいことは、80年当時のショパン・コンクールで、
自分の身の上に起こったことも、それと同じものだったということだ。

私は勿論、コンクールの裏事情など知る由もないが、
さすがに、コンクール時のポゴレリチの演奏に「零点」をつけた、
という審査員がいたことについては、疑問に思うところがある。
DVD『ワルシャワの覇者』に記録されているように、
アルゲリッチが繰り返し、
「審査員の不正行為だ」
と怒っていたのも、まさにその点だった。
大きな減点ならまだしも、ただの1点たりとも与えないというのは、
主観的・感情的過ぎ、良識を欠いた審査、という非難は免れないと思う。

・・・という東西冷戦当時のコンクール事情に関して、
果たしてポゴレリチの望むような決着が、今後、有り得るのかどうか
今のところは、まだわからないが、
それにしても、この写真は良いではないかと私は微笑ましく思った。
ポゴレリチが連れているのは、5歳になる愛犬ミーラちゃんだ。
彼はこの子を溺愛しており、ヨーロッパ各地の公演にしばしば同伴している。
取材を受けている最中だというのに、わんこも飼い主も、
とてもリラックスしている雰囲気で、私は、かなり気に入ってしまった。

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4月から始めたスペイン語もとうとう9月から六ヶ月目、
半年が1クールなので最終月突入ということになる。

で、現段階の仕上がりは、どうなったかというと、
・・・もう、毎月書いていることだが、
とにかく復習しないでダラダラと聴いているだけなので、
私のスペイン語はオソマツ極まりない状態だ。
相変わらず現在時制の動詞の活用すら覚束ない。
にも関わらず、点過去・線過去・完了形などが出てきて、
今朝はとうとう、時制の一致を扱っていた。
もう、わかってもわからなくても、口パクパクで、
言われることをただ声に出してなぞっているだけだ。

ただ、とにかくスペイン語初級文法の概要は、
おぼろげながら、わかったように思う。
それと、スペイン語の読み方も、ほぼ覚えた。
これだけでも、全く一語も知らなかった頃よりは、
毎日聴いた御陰で進歩したと言うべきだろう。

講座は10月からまた新たに開講され、新シリーズに入るので、
今程度の気楽さで、続けて聴いてみようと思っている。
「読書百遍」じゃないが、とにかく繰り返していれば、
そのうちに、穴が埋まって来て、
もう少しくらいは、マシな状態になるのではないだろうか。
私の希望としては、4月このかたの放送そのままを、
もう一度、10月~3月で再放送して貰いたいくらいだ(汗)。

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【解答乱麻】政策研究大学院大学教授・岡本薫 地球温暖化を歓迎する(産経新聞)

地球温暖化は、少なくとも地球規模で考えるならなんの問題もない、
むしろ文明の主な担い手が交代することになり、良いことだと言える、
・・・という話だ。

『地球の温度は昔から激しく変化しており、人類誕生後だけを見ても、
海面が現在より30メートル以上高かった高温期が何回もあった』
『北極の氷はなかった時代の方が長いし、北海道にもサンゴ礁の化石がある』
『多くの人々が「普通の状態」と思っている気温は、
地球の歴史から見れば瞬間的な、たかだか過去200年程度のものにすぎない』
『今の程度の温暖化で地球が悲鳴を上げるわけがなく、
つまりこれは「地球の問題」ではない』
『温暖化で降雨帯・乾燥帯の位置が縄文時代に戻れば、
中近東・エジプト・サハラなどは再び湿潤な環境になり、
シベリアやアラスカなども環境が良くなる』
『しかしヨーロッパは、簡単に言うとサハラ砂漠が北上してくるため、
乾燥帯に入る。さらに、北極の氷が解けた冷水によって逆に寒冷化が起こる』

なるほど、
『今のペースで温暖化しても2100年の気温は実は「縄文時代と同程度」』か。
道理で、歴史の教科書に見る縄文人たちは、半裸だったわけだ。
私は寒がりなので、昔の人はどんだけ頑丈だったんですかと
長い間感心していたのだが、日本においても、その頃は、
気温そのものが今より高かったようだ。

この先、温暖化した場合に環境が悪くなって困るのは、
現在「温帯」気候を満喫している地域の住民だということらしい。
逆に、今、乾燥帯や冷帯寒帯に属する地域は、
ずっと温暖になって住みやすくなるとのことだ。
そうなれば、そちらの地域のほうが、人類の文明の主な担い手となり、
ヨーロッパなどは逆に辺境となる可能性が出て来るわけだ。
私は世界地誌も地質学もとんとわかっていないので、
これが学説として妥当なのか、トンデモ論なのか判断できないが、
文章にはとても説得力を感じた。


健康診断や人間ドックが、長年、全国的に維持されてきたのは、
それによる医療機関の儲かり方が半端でないからであって、
現実には、国民の寿命の延長には全く貢献していない・むしろ有害、とか
ゴミの分別は一部の業者や天下りの官僚のうまみになるだけで、
本当はリサイクルやエコロジーの多くはまやかしだ、とか、
私はそういう話が、実は、結構、好きだ。
世の中の大半が「有用」「真実」「有意義」と信じてきたことが
実は無知による大間違い、または意図的な国家規模の詐欺だった、
という話は、そういえば歴史的には普通のことだったように思った。

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入院して一週間、姑はまだ抗生剤を使い酸素吸入をしているが、
体調としては落ち着いていると主治医から説明があった。
平熱になり、血液検査を見ても炎症反応がほぼ正常なので、
肺炎に関しては終息しつつあるとのことだった。

そして、このあと、順調に行ったとして、来週あたり、
胃瘻(いろう)をつくる処置をしてはどうかと先生は仰った。
嚥下の状態についての評価によれば、
やはり食事の経口摂取には限界があるとのことで、
今後、同じような誤嚥性肺炎を繰り返すと衰弱してしまうので、
安全にカロリーを取り体力を維持するためには、
胃瘻が良いのではないかということだった。

五年前、75歳のとき、姑は脳梗塞で痙攣発作を起こして、
その後、我々と視線も合わない・表情も変えない状態になり、
経鼻管で食事を入れていた期間があった。
あのとき、一度、胃瘻の話が出て、それが必要なら仕方がない、
と一旦は同意したのだが、そのあと姑が超人的な回復を見せ、
最終的には元通り、意思表示ができ食事も取れるようになったので、
胃瘻の話は、あれ以来、見送られていたのだった。

しかし今回は、少なくとも半年くらい前から痰が多くなっていて、
食事時にむせることも増え、食欲も落ちてきていたので、
家族の目で見ても、嚥下困難という判断は正しいと思われた。
何かを食べて美味しい、と思う楽しみが減ってしまうのは残念だが、
ものは考えようで、嚥下は難しくとも胃腸には問題がなさそうだから、
胃瘻から十分に栄養を入れることができれば、
姑は今後、食事のたびに咳き込んで疲れることから解放され、
必要なカロリーが取れ、むしろ元気になれるかもしれない、とも思った。

胃瘻を造っても、口から全く食べられなくなるのではなく、
固形物でないものなら味わう程度のことは大丈夫と言われたし、
できなくなったことをあれこれ思い煩うよりも、
改善される点があるということを、今は、歓迎したいと思う。
食べられなくなってまで、ただ長らえていたくない、
と、元気な頃の姑なら、もしかしたら、言ったかもしれない。
でも、今の姑は、いつもニコニコしている、静かな「ばーちゃん」だ。
特に苦痛は無さそうだし、皆の笑い声につられて一緒に笑ったり、
甘い飲み物が嬉しかったりするのが、最近の日常だ。
そうやって姑なりに楽しいことがあるのだから、
やはり、少しでも元気になって、またもとの生活に戻れるよう、
手を尽くすのが良いのではないか、と、私は思った。

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(写真は、娘たちが喜んで食べているケロロ・ビスケット)

昨日から、娘の中学校のお友達が来てくれて、
一泊二日の予定で我が家に「お泊まり」している。

初日はふたりでファミリープールで遊んでからうちに来て、
アイスクリームを食べながら、けらけらと喋って、テレビを見て、
夜は主人も帰ってきたので、近くのレストランのバイキングに皆で行った。
満腹し、帰宅してお風呂に入ったあとは、和室に布団を敷いて、
お嬢さん方は夜遅くまで、またケラケラと喋って起きていた。

寝る前に、お友達のほうに訊いたら、
彼女も娘に負けぬ朝寝坊体質で、放っておかれると、
「気づいたら昼」みたいなことが家でも普通にあり、
「もういい加減に起きる練習しないと、学校行けないわよー」
と、このところ、お母さんから言われているのだそうだ。

ということで、朝寝坊が二人揃ったので、今朝は起きるまで放置した。
さすがに起きたら昼ご飯、ということはなかったが、
朝食が朝10時頃になり、それから部屋で遊び始めて、
「お腹空かない?」
とさきほど午後2時も過ぎたので尋ねたら、
「いえ~。まだ、いいです~~」
という返事で、特にオヤツを食べるでもなく、
ふたりは、やはり延々、延々と、部屋で遊んでいるのだった。

遊びの内容は、お喋りのほかは、お絵かき・テレビ・オセロ・アンバランス等々。
字面だけ見たら幼稚園児の二人組みたいだ(--#)。
ただ、園児よりは少し進歩しているので、
描いている絵は『ケロロ軍曹』を擬人化した類の、ヤバめな空気が漂うものだし、
見ている録画は、『ソウル・イーター』『銀魂』『今日からマ王!』などだ。

それにしても、なんというインドア派の二人なんだろうか。
類友とはよくぞ言ったと、感心することしきりだ。
昨日の夕食の席では、宿題の残りを一緒にやるんだ、みたいな話が、
確か、出ていたような気がしたのだが、空耳だったかもしれない。

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(写真は、今朝の青空と飛行機雲)

今朝はようやく、頭痛も腹部不快もなく、咽喉の痛みも軽くなって
久々に気分良く起きることができた。
これで夏風邪だか夏ばてだかが、抜けてくれると良いのだが。

お天気のほうも、晩夏らしい気持ちの良い晴天になった。
娘は、中学校で一番仲良しのお友達を、きょう、家に招いて、
今夜は「お泊まり」をして貰うことになっている。
手始めに、10時にファミリープールで待ち合わせ、ということで
朝から張り切って出かけた。
昼過ぎまで好き放題に泳いでから、ふたりで家に来る予定だ。

娘を送り出し、掃除をしてから、
主人と一緒に、午前中、姑の様子を見に行った。
よく眠っていた。
寝てばかりいて意識がはっきりしていないとすると心配だが、
見た感じは、呼吸も楽そうだし、熱も高くないようで、
とりあえず、安定している様子だった。

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・姑は、ずっと酸素吸入と抗生剤投与の毎日だが、
呼吸困難はなく、肺の音も綺麗だそうで、容態は安定してきた。
私と目を合わせて、笑顔になったり、何か呟いたりしていて、
外見的にも、いつも通りの様子で、落ち着いて見えるようになった。
このあとも入院治療を続けて行かなくてはならないが、とりあえず、良かった。

・私の方は、熱はなくなったが、まだ咽喉が痛い。
鏡で見た範囲では、左右の口蓋扁桃は特に腫れてはいないのだが、
左扁桃に隣接する「後口蓋弓」の一部分に(例によって細かいが)、
アフタ性口内炎みたいな白い炎症部分があって、
場所が場所だけに、ケナログを塗るのも難しく、困っている。

・急にあれこれと家の用事で多忙になり、道楽のことを忘れていたが、
チケットぴあプレリザーブで、『CHICAGO』大阪公演が一枚、当たった。
二階席だが全く文句など無い。よくぞ当たってくれた(涙)。

・「オリンピックの中国の女子体操の金メダルの子、
どうも、年齢詐称疑惑があるんだって」
と夕食時に主人が言ったとき、私は、
「え~!本当はオバさんだったのね!」
と反応し、主人と娘の両方から、
「逆!逆!」
と呆れられた。
私は誓って、ウケを狙ったのではなかった。
オバちゃんの私には『若作り』という発想しかなかったのだ。

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姑は御陰様で抗生剤解熱剤の効果も出て、
呼吸がラクになり、落ち着いて来たようなのだが、
あれから私のほうが入れ替わりに発熱してしまい、
今、頭痛と扁桃炎でラリっている。

にも関わらず、見過ごせない記事に出会ってしまった。

28 ans après, un pianiste conteste sa défaite au Concours Chopin
(2008年8月18日(月)付 LIBERATION.FR )

ポゴレリチはかねて公表されていた通り、
4th International Music Festival "Chopin and his Europe"
という音楽祭で15日初日に演奏することになっていたのだが、
はてワルシャワとは和解したということなのだろうかと
私があやぶんでいた通り、彼はやはり、騒動を起こしていたのだった。
28年後にして、またしても新たなスキャンダル(汗)。

記事によると、28年後の今に至るまで、ポゴレリチは、
自分のワルシャワでの敗北(1980年第10回ショパン・コンクール時、
第3次予選で落選したこと)に関して納得しておらず、
真の事情をはっきりさせろとワルシャワに対して要求したそうだ。

そして、今回の音楽祭に招聘され弾くことは決まっていたのだが、
『金曜日になって、土壇場で、ポゴレリチは、当初公表されていた、
ショパンの夜想曲とソナタのプログラムで弾くことを拒否し、
ラフマニノフの2番のコンチェルトを演奏するに留めた』。

彼のラフマニノフの解釈に批評家は怒り狂ったが、聴衆は喜んだようだ。
にしても、『金曜日に』というのはつまり15日の演奏会当日のことだ。
28年経ってもまだ言っているプライドとシツコさも相当だと思うのだが、
音楽祭からの招聘に応じておきながら、当日になって、
ショパンは弾かない・ラフマニノフの協奏曲だけやる、とゴリ押しするとは、
相変わらず、その性格どうにかならんか的な彼らしい行動だと思った。

これだけ打ったら私は手が震えました。
内容に呆れたからではなく、発熱のせいです。と思いたいです。
また、フランス語記事を誤読していましたら、それは熱のせいではなく、
単に私の語学力がいい加減であるせいです。お詫びします。

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