転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「こちら○○のエアコン修理の者です。某電機さんからご依頼のありました、
お客様のエアコン修理の件ですが、7月2日以降でお伺いできると思いますので、
ご都合の良い日を仰って下さい」

という電話が、きょうの昼前に、あった。
私は最初、瞬間的には何のことか全然わからなかった。
確か昨日、なんとかいう修理担当サービス会社から電話があって、
我が家のエアコン修理には7月1日に技術者さんが来て下さると
決まったのではなかったのか。

しかし私はそれから考えて、数秒で事態を悟った。
きょうの電話の人が最初に名乗った○○という名前は、エアコンのメーカー名だった。
私は某電機の長期保証修理受付センターに修理を電話で頼んだときに、
居間と、娘の部屋との、それぞれのエアコンについて見て貰いたいと言っていて、
つまり二台のエアコンの点検修理を同時に依頼したわけなのだが、
二台はメーカーが異なっていたので、それぞれの会社から修理担当の技術者さんが
派遣されて別個に我が家に来られるということなのだ。

こっちの業者さんは土日祝日を休むとは言わなかった。
それで私は最短の、7月2日に来てくれるように頼んだ。
当日朝に改めて電話があって、その日の何時に来ることができるかがわかる、
という点は、昨日の電話の業者さんと同様だった。
また、現段階での見積は困難で、とりあえず出張料2100円、点検料1000円、
という設定だけを説明された点も、昨日の会社とほぼ同じだった。
これにより、娘の部屋のエアコンについては、昨日決めた7月1日、
居間のエアコンについては、きょう決まった7月2日、
それぞれのメーカーから、修理の技術者さんが来て下さることになった。

とどのつまり、私が最初に電話をした某電機の修理担当部門というところは、
それぞれのメーカーに連絡を取り、修理希望があることを伝える、
という中継ぎをしていたのだ。
メーカーに関係なく、販売店の電機屋さんの修理部門から人が来るのかと思っていたが、
それは私の誤解だった。
それなら最初から各メーカーに直接、自分で電話したほうが早かったということか
(どのみち、我が家は某電機の会員にもなっていなかったわけだし・苦笑)。
テレビでも洗濯機でも、買った店のおっちゃん本人が来て具合を見てくれる、
という田舎の感覚が、未だに抜けていなかった私のほうに問題があったか(汗)。

しかしそれにしても、きょうの電話はどこか間抜けだった。
確認してみるとうちのマンション名が微妙に間違っていたし、
故障箇所についても、私が某電機に説明したことが正確には理解されていなかった。
やはり伝言ゲームはどこかでおかしくなると証明されたようなものだった。
だいたい、二社目からの電話があるという段取り自体を、全然聞かされていなかったし、
ましてやそれがきょうかかって来るなんて、私は考えてもいなかったのだぞ(--#)。

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エアコン修理依頼の話の、つづき。

昨日の夕方、某電機屋さんの修理部門の人から電話がかかってきた。
これの前の、修理受付の女性との電話のときに、
担当者が何時に電話できるかわからない・時間の約束はできない、
と言われていたので、なるべく買い物などで外出しないようにして、私は待っていた。
うまい具合に、私がすぐ電話に出られる体勢のときにかかってきたので、助かった。

それで、この電話で、エアコンのメーカー、型番、不調の内容、等々を私が説明し、
先方がそれらを記録している気配がし、居間のと、娘の部屋のと、二台について、
どちらも修理の手配をしますと約束してくれたのだが、
まだ、これだけで具体的なものが決まったわけではなかった。

「この内容を修理担当業者のほうに伝えますので、
のちほど、担当者から直接にお電話を差し上げます。
見積金額等もそのときお話し、ご検討頂くことになります」

という次第で、今度は「担当者から直接」の電話を、私はまた待つことになった。
どれだけ伝言ゲームは続くのだろう。
よくわからないが、とても細かい部門があって、それぞれに担当者がいて、
私はそれらをひとつずつクリアし、ステップアップしている気分だ。
こうやって、かなり何段階も経ないと、実際の修理にたどり着けないのだった。
ただひとつ良くなったことは、今度は「明日の午後、お電話します」と
おおまかでも時間指定を予めしてくれたことだった。

そしてきょう、「担当者から直接」の電話が、さきほど、あった。
勿論これはまだ、修理担当の技術者さんご本人ではなく、
修理関連の日程調整をしている修理サービス業者さんからの電話だった。

「○○電機より連絡のありました、お客様のエアコン修理の件ですが、
ただいま大変混み合っておりまして、最短で7月1日のご案内になります」

おおっ、やっと具体的な日にちが出たぞ。

「修理日時につきましては、お客様のご希望を承っておりますが、
当方、土日祝日はお休みを頂いておりまして……」

そうなのか。
いや私は専業主婦だから、この際、最大限に合わせる努力はできるけども。
ということで、それでは7月1日にとお願いしたら、まだ続きがあった。

「お時間のほうは、今は確定的なことを申し上げられませんので、
午後ということにさせて頂きまして、当日朝、担当技術者のほうから
何時頃に伺えるかをお電話でご連絡いたします。
当日のお電話は、多分、朝9時頃にはできると思います」

ほほぅ。
ついに電話に関して、細かい時間指定が実現した(笑)。
どうやらこれで、7月1日朝9時の電話で予定がはっきりして、
同日午後には、エアコンを見て貰えることには、なりそうだ。
ただ、そこですぐなおるか、買い換えなどの話になるかはわからないし、
本当に買い換えになろうものなら、改めて商品を見に行って、選んで、
取り付け工事の予約をし、多分当日朝にまた技術者さんからお電話があって……(笑)。

ここまでのおさらいをしてみると、私が電話をかけたり、やりとりをした相手は、
1.某電機屋さん修理受付サポートセンターに電話をかける(混み合っているとの自動音声応答。断念)
2.某電機屋さんの某店舗に直接電話をかける(「長期保証修理受付センター」を紹介される)
3.長期保証修理受付センターに電話をかける(修理担当部門から改めて電話をすると言われる)
4.修理担当部門から電話がある(故障内容を訊かれ、修理サービス会社に伝えると言われる)
5.修理サービス会社(電機屋さんとは別会社)から電話がかかってくる。修理日予約。←今ココ
6.修理担当業者さんから、当日朝、電話、詳しい時間の指定(←7月1日予定)。

ああ。
出前じゃないんだから仕方が無いが、なかなか「お電話一本で」とは行かないものだな。
うちのエアコンがマトモになるのは、一体、いつのことだろう。

ちなみに見積金額の提示は、なかった。
なぜなら、「水が漏れる」というのは故障箇所が様々考えられるので、
それだけの情報では見積ができないからだった。
とりあえず出張料と診断料とで、最低限5千円かそこらは、かかりそうな見通しだった。
また、どうやら主人は某電機の会員になっていなかったらしくて、
結局、購入後5年以内であったとしても『長期保証修理』には該当しないだろう、
という説明もあった。このサービスを受けるには有料の、会員資格が必要だったのだ。
主人のことだから、年会費を払うのが無駄だと考えて、入会しなかったのだろう(^_^;。
よって、出張も診断も修理も、すべて実費ということになった。
修理を依頼することになれば、支払はエアコンが全部なおってからで良いそうだが、
買い換えになるのなら、1日に来て貰ったときに、出張料・診断料だけを
その場で技術者さんに支払うようにとのことだった。

千里の道も一歩から。

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居間のエアコンの効きが悪いうえに、
娘の部屋のエアコンも、昨日つけてみたら室内機から水漏れした。
後者は先週、業者さんにクリーニングして貰ったばかりだったのに、
それがかえっていけなかったのか?
クリーニング直後にタイマーで1時間ほど動かして帰られたときには
別に何も不都合はないようだったのだが……。

ということで、ついに観念して、某家電量販店に修理依頼の電話をすることにした。
居間のエアコンは間違いなく、その家電屋さんの某店舗で買ったもので
そこが独自に設定している「長期5年保証」の対象期間だと思われたが、
探してみると、保証書はあったが購入年月日が記入されておらず、
そのほかに領収証などは見当たらなかった。改めて眺めてみたら、
「購入年月日記入のない保証書は無効」
とご丁寧に保証書の封筒のオモテに印字されているではないか(--#)。
なんてことだ。

まったく管理の悪いことだ、と我ながら腹立たしく思ったが、
しかしこれには言い訳がないワケではなかった。
私はこのマンションに来てから買った家電に関しては原則的に、
領収証や保証書など、あとから見てもわかるようにちゃんと残してあるのだが、
このエアコンの取り付け工事のあった日は特別で、私は我が人生でも稀なほどの
急性腹症としか言い様のない症状で脂汗を流している最中だった
のだ。
あんなときに、貰った書類を確認してファイルしておくなど、できるわけがなかった。
そうだ、領収証は残っていないが、このブログのお陰で、
取り付け工事のあった日時は今でも確認できるぞ、あれは2006年7月26日だった。
なんの証明にもなっとらん、と言われればそれまでだけど。

一方、娘の部屋のは、官舎時代に買ったのでもう少し古くて2004年製だ。
厳密に言うと、こっちのエアコンはどこの店で買ったのかもう覚えていないのだが、
見てくれるかどうかだけでも、この際、ついでだから訊いてみようと思った。
とにもかくにも修理依頼をするには、購入年月日、メーカー、品番、
などを予め調べて、電話のときに受付担当者に告げなくてはならない。
それで、品番その他わかるところだけでも、と取扱説明書を探したら、
居間のエアコンのはあったが、娘の部屋のヤツのは、案の定、見当たらなかった。
途中で引越があったしな~。

とりあえず、本体の室内機下部に品番などが記載されたシールが貼ってあるので、
私は娘の部屋に行き、脚立に乗ってそのシールに書かれていることを読み取ろうとした。
しかしどうしたことか、私にはその文字がなんとしても見えづらかった。
おかしい、暗いのか?角度が悪いのか?もっと近づかないと駄目か?
僅かな間に、私の視力には、何か重大な問題が生じていたのだろうか?
……と、悩みつつ目を凝らしたり顔をねじ曲げたりと、いろいろ試してみて、わかった。
原因は、老眼だった(爆)。
近視の眼鏡を外してみたら、初めてはっきりと文字が読み取れた。
ったく、床から見上げたのでは遠すぎて見えず、脚立に乗れば近すぎて駄目ってか。
どんだけ気難しいんか、年寄りの毛様体は。

そんなこんなで、私は某家電屋さんの「修理受付サポートセンター」に電話をした。
これは去年、その店舗で娘のミニコンポを買ったときに貰った領収証の袋に、
『故障かなと思ったら』という欄があり、そこに書いてあった番号だ。
コンポだろうがエアコンだろうが、修理受付は同じ番号だろう。
だが、いくら鳴っても誰も出なかった。
挙げ句に自動音声が、「お待たせして申し訳ございません。
ただいま電話が混み合っております。しばらく経ってから、おかけなおし下さい」
と言った。

フリーダイヤルで姑息になんとかしようと思ったのが間違いだったか、
と私は反省して、改めて直接に店舗の電話のほうにかけた。
今度は若い女性の声が即座に応答した。

店「○○電機でございます。担当○○が承ります」
私「そちらで以前購入したエアコンが調子が悪いので、見に来て頂きたいのですが」
店「少々お待ち下さいませ」

の、やりとりの後、今度はボッケリーニのメヌエットをさんざん聴かされた。そして、
「ご購入後、五年以内でいらっしゃいますか。
それでしたら、長期保証修理受付センターのほうでお受けしておりますので……」
と、最初のとはまた違うフリーダイヤルの番号を案内された。
ほのかに「たらいまわし」の悪寒がした。

私はお礼を言って、教えられたフリーダイヤルにかけ直した。
また呼び出し音が延々と鳴っていて、
どうだ、さぁ来い、自動音声かボッケリーニか、と構えていたら、
「おつなぎしております」の自動音声ガイダンスのあと、
「もしもし」と生身の女性の声がした。良かった。
「そちらで以前購入したエアコンが調子が悪いので、見に来て頂きたいのですが」
私は今度こそ、なんらかの展望が得られるだろうと期待した。が。
「ただいま修理受付のほうが大変混み合っておりまして、
のちほどこちらから改めてお電話を差し上げます。
お客様のお名前、フルネームと、ご連絡先のお電話番号を頂戴できますでしょうか」

↑今ココ

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昨夜は、娘とそのお友達某嬢と私とで、西川貴教を聴きに三原まで行った。
T.M.R. LIVE REVOLUTION'11 -CLOUD NINE- @三原ポポロホール。

先月初めに小倉で聴いたときより、三原のほうが会場が新しくて音響が良く、
揺れないし(笑)、とても快適にライブを堪能することができた。
と言っても西川氏だから、基本、まったり座って聴いたなんてことはなく、
始まる前のTurboコールから立ち上がって二曲目で既に汗びっしょり、
と、褒めて言えば疾走感全開、事実を言えば老体には厳しすぎるライブだった。

しかし幸い、今回の構成では、途中に長い抱腹絶倒MCが入り、
更にそのあとのバラード数曲までのところだけは、席について聴き入る時間になっていて、
心地よく、西川氏の声に浸りきるひとときが持てたのは、とても良かった。
全編完全燃焼のライブは悪くないが、どこもかしこもハードで記憶が飛ぶより
たまにはこういうメリハリのある公演もあって良いと思った(^_^;。

三原というと何が有名?と西川氏が尋ねるので、会場の皆が最初に、
「たこ~!!」「たこー!!」
と返事をしたのだが、てんでに答えるとステージに届くときには何かヘンな響きになり、
西川氏は「○んこ(=隠語)」だとお思いになったらしく、動揺なさっていた(爆)。
やっと「たこ」だと通じて、
西川「明石のタコなんか有名だけど、こっちでは何々のタコ、とかあるの?」
会場「三原のタコー!!」
西川「…………そうだったな(^_^;」

ほか、三原にあって世の中によく知られているものというと、
「やっさ祭り」(西川「アフリカかどっかのお祭り!?火のまわりを、ヤッサ、ヤッサ……」)
「広島空港」(西川「近いの?」客席「30分くらい」西川「……(^^ゞ」)
「八天堂のくりーむパン」(西川「発煙筒!?危ないやん、発煙筒持ってヤッサ、ヤッサ…」)、
等々と声があがったが、いずれももうひとつ全員一致のイチオシとは言えず、
「いいんです、ボクのふるさとだって何もないですよ」
と、西川氏にまとめられてしまった。
そのあとベースのIKUOさんが、出身地ネタで西川氏から話を振られたとき、
島根県の益田で何が有名かと聞かれ、「石見空港」と答えたのはさすがだった(笑)。
この出身地関係はメンバー全員のトーク場面でもあったのだが、
sunaoさんだけは名前でなくいきなり「おい」と呼ばれていたのが可笑しかった。

あとは広島県ということでカープの話題になり、ステージにはちゃんと、
カープ坊やの指人形とスライリーのぬいぐるみが用意されていた。
西川「カープ坊やとスライリー?今はどっちがマスコットなの?」
会場「両方ともーー!!」
西川「……一本化できてない?」

今回のツアーは、3月の地震の影響もあり当初の予定から何カ所が変更を余儀なくされ、
4月7日の神戸初日以来、昨日の広島が26回目の公演だったのだが、
「神戸で始まったツアーがついに広島に来た」
ということを、西川氏は、こういうときだからこそとても重く受け止めていると言った。
阪神大震災で壊滅的な打撃を受けたところから立ち直った神戸、
原爆の火災と放射能汚染で何もかも奪われながら蘇った広島、
今の日本の我々が目指すべき目標が、こうした街にあるのを感じる、と。
どんなに不安でも、失ったものが大きくても、僕らは生きて行くしかないのだから、と。

私の記憶が間違っていなければ、5月初めの小倉のときは新曲はまだなかったと思うのだが、
昨夜は『FLAGS』は確かにあった(汗)。
知らない曲がまだいくつかあったので、もしかしたらほかにも
アルバム関連の新曲が披露されていたかもしれない。
しかし私が個人的に盛り上がるのはやはりBASARA関係だ。
『SWORD SUMMIT』や『Naked arms』はいつ聴いても最高だ。
このあたりでは私自身、連続する手振りで死にそうになったが、
ふと横を見ると見知らぬ隣人の女性が、前列の椅子のひじかけ部分に片足を乗せ、
思いっきり前に身を乗り出して、激しくササゲておいでだった。
また二列くらい前のほうでは、金髪っぽい男性が狂気のようなヘドバンを続けていたが、
私は頭位めまいが再発したら困るので、あれは絶対にできないと思った(汗)。

三原のアンコールは、『Out Of Orbit』と『アルビレオ』。
『O.O.O.』のほうは私にとっては小倉とカブっていたし、どちらもマニアックで貴重とはいえ、
そろそろ、「ガムテープを巻き付けた」(@西川氏)あたりの曲が聴きたいと思った。
『High Pressure』や『Hot Limit』は一般の人にとっては西川の代名詞だと思うのだが
実際のライブで遭遇する可能性は案外高くないのだった。

ラストはこのところ定番の『CHASE / THE THRILL』。
本来ならば、TMR印のタオルをこれのために持って行かねばならないのだが、
昨日は私は忘れていたので、ちゅーピータオル(←中国新聞のキャラ)を振るしかなかった。
西川氏は脱いで脱いで、最後はTシャツまで脱ぎ捨てて上半身裸になった。
凄い声量で、出ずっぱりで歌い続け、最初から最後まで全開で走り抜ける西川氏の、
強烈なカリスマ性とパワーに完全に圧倒され、期待に違わぬライブで、大満足だった。
「いや~、やっぱりライブは最高~~♪」
「凄かったね~!!生に勝るモノは無いっ!!」
とうちの女子高生ふたりも萌え萌えした三時間だった。
ふたりは帰りに、会場のグッズ売り場で、お揃いのTシャツを買った。
次回ライブには二人揃って着ていくのだそうだ(笑)。

何より、私はここ数年、T.M.Rのライブを聴いてきたことにより、
昨夜はとうとう、ドラムの長谷川さんに完全に捕まってしまった。
あのツインバスドラの強烈なドラミングの洗礼を受けたら、
ちょっともう、普通のドラムでは今後は到底満足できそうにない。
マジ惚れました。
はせがー氏のオッカケをしたいと今回ほど真剣に思ったことはない(殴)。

長谷川浩二(TAMA公式HPよりTAMA, Always#11)

また、余談だが昨日は、天気予報では完全に「雨」で、
事実、台風が四国沖を通過中で、午前中はかなり強く降っていたのだが、
夕方前から雨はあがり、家を出るときには既に全く降っていなかった。
三原に着いても、ライブが終わるときまで、雨など気配もなく、
帰り道、会場から三原駅まで歩くときには夜空に星さえ出ていた。
T.M.Rライブ関連での外出中、私たちはただの一度も傘など必要としなかったのだ。
西川貴教の晴れ男パワー、あっぱれ健在(笑)。

************

(後日記:2011年6月26日 三原ポポロホール セットリスト)
1.Save The One, Save The All
2.resonance
3.crosswise
4.Fortune Maker
5.Fate and Faith
6.ARTERIAL FEAR
-MC-
7.09(nine)Lives
-MC-
8.Reload
9.とめどなさそうなボクら~BEDLESS NIGHT SLIDER~
10.水に映る月
11.Imaginary Ark
12.Wasteland Lost
13.soul's crossing
14.TO・RI・KO
15.夢幻の弧光
-MC-
16.Naked arms
17.SWORD SUMMIT
18.FLAGS
19.Pearl in the shell
-MC-
20.Thousands Morning Refrain

EN1.The party must go on
EN2.Out Of Orbit
EN3.Albireo-アルビレオ-
EN4.CHASE / THE THRILL

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今夜は、西川貴教の三原公演に行くことになっている。
広島から三原はJRの在来線で一時間ちょっと、新幹線なら30分くらいだ。
少々遠いが、このたびのツアーでは、広島公演はこれしかないので仕方が無い。
今回のT.M.Revolutionは、敢えてこれまであまり行っていない場所やホールでの
公演を組んでいるので、広島公演もいつもの市内のALSOKホールなどでなく、
こちらの三原ポポロホールが選ばれているのだ。

TMファンの娘は勿論、気合いが入っている。
そしてきょうは、娘のお友達のうち、A中学の1年のときから仲良しで、
更になぜかあまりにも奇遇なことにやっぱりTMファンだという某嬢が
三原公演に一緒に行くことになっており、昼前から我が家にやって来る。
某嬢と娘と私とでライブに行き、某嬢はそのまま我が家にお泊まりし、
明日の朝は娘と連れだって某嬢もうちから直接学校に行く、という算段だ。
だから某嬢はきょうは、お泊まり道具のほかに制服と制鞄と制靴と、
それに月曜日の学校の勉強道具一式まで持って来るのだ。

それに先立ち、昨夜、某嬢から娘にメールがあったそうだ。
「転娘んち、ヘアードライヤー、ある?」

私はこの話を聞いてウケた。
某嬢は可愛い子だ。
彼女のママもなかなかに美しい人で、しかも、いつ会ってもお洒落だ。
某嬢の目には、我々母娘は別人種のように見えているのではあるまいか。
何しろ娘はいつも断髪で、朝ちょっと髪をなでつけて登校して来たのがバレバレだし、
母の私も、白髪そのままの大がっそう頭(「おおがっそうあたま」。一部の広島弁。
手入れの悪い頭髪がぼさぼさになっている状態のこと)だ。
お父さん(転夫)なんか髪を乾かす必要すらなさそうだしぃ(爆)。
あの連中だとドライヤーは持っとらんかもしれん、
と某嬢は不安になったに違いない(笑)。

しかし某嬢がそう考えたとしたら、あながち間違ってもいない。
私は今でこそ、シャンプーのあとドライヤーを使うが、
実は、高校2年生になるまで自宅にドライヤーを持っていなかった。
実家はとにかく秘境だから、ドライヤーも普及していなくて(?)
祖母も両親も誰も、そんなものは使用していなかったからだ。
夜、お風呂から上がると、濡れた髪をタオルでよく拭いて、
さらにクシでとかすと、また水分が出るので拭き取って、
……ということを繰り返し、最後は枕にタオルを広げて寝ていたものだ。

私が、世の中の普通の人がドライヤーを使う、ということを知ったのは、
1981年秋、高校2年生の修学旅行のときで、お風呂上がりにクラスメートたちが、
ドライヤーとロールブラシを使って丁寧にブローし、
聖子ちゃんヘアをつくりあげているのを目撃した瞬間だった。
すごいっ、みんな、美容師さんみたいな手際だっ、
ととても驚き、感心したことを今でも覚えている。
懐かしいなあ。


……ってことで、今晩は三原遠征、頑張って来ます(^_^)ノ

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きょうは暑かった。
午前中はさほどでなかったが、午後からは居間に初めて冷房を入れた。
昨年夏のように生命の危険を覚えるとまでは思わなかったが、
急激に暑くなったことが、こたえた気がした。
最高気温は33度だったそうだ。

例年思うことだが、私は30度までの暑さはとても好きだ。
寒いと体がいじけた感じなり、つらいが、初夏になり太陽に照らされると
私は、自分に足りないエネルギーが補われ体が解放されるような気分になる。
昨日までは、夏らしい良い季節になったと嬉しく思っていたくらいだった。
しかし30度をハッキリ超える気温になると、私にとっても苦痛になるのだ。
きょうは「暑い、これは冷やさないとシンドい」と感じた。

さらに去年からの、近所のビル建設工事がまだ続いていて、
我が家は窓を開けると、粉塵と騒音がひどく、風を通すことが難しい。
これも私の苦痛を倍増させている原因だ。
早く建物が完成して静かになって欲しいものだ。
しかし去年も書いたが、我が家のマンションだってああやって建てられ、
その間、周囲の方々には騒音もホコリも我慢して貰ったのだ、
と考えると、私たちだって闇雲に文句を言うものではないだろう。

……それにしても、きょう久しぶりに使ってみた感触としては、
どうも居間のエアコンは効きが悪いような気がした(汗)。
見たら、室外機から少しだが水が漏れていた。
マンションに来た年に買ったので、まだ5年ほどしか経っていない筈なのだが、
調子が悪いのだろうか。
掃除機が壊れたばかりで(結局、舅宅からひとつ貰って来ることになった)、
今またエアコンまでおかしいのかと思うと、うんざりした気分だが、
家電というのはひとつ壊れると次々と駄目になるのが常だから、
エアコンも、もしかしたら買い換えないといけないのかもしれない。
覚悟しておこう(涙)。

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ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路(公式サイト)

予想通り、多忙その他により『ショパン 愛と哀しみの旋律』を見逃した私は(汗)
ナンネル・モーツァルトだけは逃すまい!と思って、
きょう、ちょっとした時間ができた隙にサロン・シネマまで行って来た。
これを観たかったのは、クラシック音楽がテーマになった映画だからというのもあるが、
女流音楽家の物語など、クララ・シューマンを除けばほぼないだろう、
というのも、私がこの映画に注目した理由だった
(モーツァルトの時代、音楽家の社会的地位がどのようなものであったかや、
女性が音楽を職業とするのが不可能だった時代背景等については、
『モーツァルトとベートーヴェン』(中川右介・著 青春新書)に詳しく書かれている)。

さて実際に観た感想としては、映像も音楽も大変に美しい作品だったと思うのだが、
物語が特に劇的な展開を見せるわけではないので、
私が想像したより、ナンネル(マリー・フェレ)は淡々とした女性として描かれていた。
あれでも当時としては、自分の音楽を守ろうと大胆に行動したことになるのだろうが、
今の感覚としては、女性が親元を離れて自活することも、男に互して学ぶことも、
珍しくないどころか普通のことなので、私はつい現代女性としての共感のほうに偏り、
18世紀の女流音楽家の人生に思いを馳せることを忘れがちになった。
その感覚のままで彼女の恋を追って行くと、王太子との間柄は、
あまりにも煮え切らない(笑)ものに見えてしまったのだが、
勿論、二人の身分の違いを考えれば、あの結末は当然のことだった。

全編、感情の激したところをほとんど見せないナンネルだが、唯一、
5歳で作曲したというモーツァルト(ダヴィッド・モロー)の逸話について、
「あれは私が弟に書かせたものだった」
と父親(マルク・バルベ)に暴露するところは物語としての動きがあった。
彼女が自分の才能を誇示し、自分から父親に踏み込んで行った場面だったからだ。
しかし父レオポルドはそれでも娘が作曲を学ぶことを認めなかった。
女の子は大人になれば、妻となり母となるのが当然の道で、
音楽家になるなど最初から許されず、父としても思いもよらないことだったからだ。
この出来事よりずっと後の部分で、映画の結末としては、
彼女が王太子(クロヴィス・フワン)との恋に破れたために、
作曲の道を諦め、自分の作品を焼き捨てるというふうに描かれているのだが、
あの恋愛がなかったとしても、どのみち彼女は音楽を断念せざるを得なかったと思う。

女性であったがゆえに、ナンネルは自分の望んだ幸福を手にすることは出来なかった。
しかし、一方では彼女は、当時の女性としてはあり得ないほど、
恵まれた少女時代を送った、とも言えるだろう。
自分でも述懐している通り、ザルツブルク時代の友人たちと彼女の道は
途中から大きく分かれてしまった。
皆が家庭的な女性となり嫁いで行く中で、ナンネルだけは演奏の世界に身を置き、
各国を旅し、宮廷や貴族の邸宅に招かれ、そして初恋も知った。
「御父様の言いつけで音楽しかして来なかった」という意味のことを
彼女が母親(デルフィーヌ・シュイヨー)に向かって自嘲的に言う場面があったが、
その父親の方針があればこそ、本来なら女性には許されなかった世界を、
十代の間に体験することが、彼女には例外的に可能だったのだ。

自分の作品を次々と暖炉の火の中に投じて行く彼女の表情は、
闇の中、炎に照らされ、ある種の凄みがあった。
女の身である自分を、才能を認めない父を、彼女に場を与えない世の中を、
彼女は怨んだだろうか。
ベルばらのオスカルではないが(笑)、ナンネルは本質的には豊かな経験をした
(オスカルは男として育てられたために、普通の女性の生活を持たずに成人したが、
そのかわり、広い世界と、人間としての生きる道とを知ることができたと
父親に感謝する場面があるのだ。@『ベルサイユのばら』池田理代子)。
十代半ばの彼女には、まだそのことの意味は、わからなかったかもしれない。
映画では、ナンネルのその後については短く触れられただけで終わった。
この希有な青春の体験が、彼女の後半生をより有意義で幸福なものにしたのか、
はたまたその逆だったのかについては、私たちは想像するほかない。

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さきほど掃除していたら、掃除機が急にヘンになった。
それまで調子良く吸い込んでくれていたのに、
不意にフっと一瞬、通電しなくなり、次の瞬間に回復する、
ということを数回繰り返し、おかしいなと思って止めたら、異臭がしていた。
何かが内部でコゲかけているようなニオイで、ヤバそうな感じだった。
これ以上、無理して使っていて、火を噴いたりされては困る(汗)、
と思い、とりあえず掃除機を使うのは止め、
残りの部屋はフロアモップでどうにか一応掃除を済ませた。

この掃除機が我が家に来たのは、忘れもしない2000年4月の、確か4日だったと思う。
なぜ覚えているかというと、こいつを迎えたのは先代が行方不明になったからだった、
というちょっと特別な出来事があったせいだ。
それは神戸から今治に引越して来た日で、到着してトラックから荷物を出そうとしたら、
なんと、前日に神戸の官舎を出るとき最後に積んだ筈の掃除機が、消えていた。
いつも、出発の際、掃除機は荷物の積み込みの最終段階まで必要なもので、
かつ、転居先に着いたら、最初に使用することになるものなので、
我が家の場合、掃除機は必ず最後に積んで、最初に取り出す筈のものだった。
このときも、神戸を発つのに最後まで掃除機は使っていたから、そうなっている筈だった。
なのに今治に着いてみたら、掃除機はトラック内から忽然と居なくなっていたのだ。
積み込んだと思ったのがこちらの記憶違いだったのか、
途中のサービスエリアかどっかで、掃除機が脱走しやがったのか、真相は全くわからず、
とにかく、掃除機が今治に来なかった、ということだけがはっきりした。

引越業者さんには勿論、その場で尋ねたし、一緒に探して貰った。
トラックが空になっても掃除機は出てこず、神戸の事業所にも連絡し追跡して貰った。
神戸の官舎の人にも電話をしてみたが、現地にも何も残っていなかった。
そんなこんなで、どうしても出て来なかったので、最終的に業者さん側が謝罪し、
掃除機代金分を支払ってくれることになった。
それで、我々は今治に到着して最初の外出で電機屋さんに行った。
前に持っていたものとほぼ同等の掃除機を買い、
引越屋さんの提示した書類に必要事項を書き、品代の領収証を貼り付け、
指示された通りに、新しい掃除機の写真も撮影して添付した。
『転居しました』ポストカード作成より先に、掃除機をモデルに写真を撮ったのだ。
ほどなく、掃除機代金は我が家に送金されてきて、一件落着となった。

そのとき買ったのが、今朝まで元気だった掃除機というわけだ。
こいつの前の掃除機、つまり神戸から今治への途上で行方不明になったヤツが、
我が家の初代掃除機で、それは主人が独身時代から持っていたものだった。
コードの収納部分が早くからアホになっていて、せっかく引っ張り出しても、
すぐしゅるしゅると自分で勝手にコードをしまい込む癖のあるヤツで、
私は掃除のとき、めいっぱいコードを引き出し、根元を洗濯ばさみで留めて使っていた。
しかしそれ以外に悪いところは何もなかったので、
もしあいつが、あの日、しまなみ海道を渡り損ねなかったなら、
あれ以降も当分の間は、うちで働いていたに違いない。

そしてきょうヘンになった我が家の二代目掃除機は、
前述の事情でうちに来たあと、2000年からだから11年以上、私たちと苦楽をともにし、
今治から広島へ、広島でも官舎の旧棟から新棟へ、そしてこのマンションへ、
という具合に、やはり幾度もの転居を経験したヤツだった。
今治から来て、広島にトラックが到着したとき、
「ほんで、今度は掃除機は、ちゃんと、おるやろね!?」
と私たちは最初に話題にしたものだ。
ほとんど毎日、どの家もどの部屋も、このコが掃除してくれたんだなあ、
と思うと、いとおしさを感じる。しかし、そろそろ引退時期だということだろう。
どんな家電とだって、お別れの日は来るものだ。

という次第で、我が家はついに、三代目掃除機を迎えることになりそうだ。
明日の掃除はもう一度フロアモップで姑息になんとかして、
週末、某電機屋さんに行くことにするか。
確か主人が、結構ポイントが貯まっていると先日、言っていた筈だ。
それとも、昨日行かなかった舅宅に行って、あの家の掃除機をひとつ貰って来ようか。
なにしろ掃除魔の舅の趣味で、かの家には掃除機が何種類もあるのだ。
デカいパワフルなのもあるし、階段専用の小さいのもあるし、
晩年、体がシンドくなった舅が自分用に特別に選んで買った軽量のもある。
ここで買わずに済ませようという私は、あまりにもケチなのか、
いやしかし、あの家にある舅のコレクションをひとつずつ使いつぶして行くのが(爆)、
この際、じーちゃんへの供養であり、私の務めかもわからんな、
……などとしみじみ思った、初夏の朝であった。

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墓掃除と墓参り
最近は晴れた日に私の予定が空いていることが、なかなか無かったので、
今朝は小雨が降ったりやんだりしていたが、思い切って墓掃除に行った。
その途中、某コンビニで新しい菊の花束を買って行ったのだが、
お墓に到着してから開けてみると、下のほうの葉がどれもあまり元気でなく、
残念ながら、最高に新鮮とは言い難い切り花だったことがわかった。
もちろん、花そのものはとても綺麗で、見た目には文句はなかったが……。
茶色くなりかけていた元の花を捨てて、花筒を洗い、墓石を拭いて、
買ってきた菊を供え、お線香を上げて、お参りをした。
そして、これ以上、雨が降ってきたらいやだと思い、
舅宅まで足を伸ばすことは敢えてせず、
そのまま帰りのバスに乗って市街地に戻ってきたが、
しばらくしたら、外は明るく晴れてきた。
こんなことなら、思い切って舅宅まで行くべきだったのか……。
お供え花の件といい、帰るタイミングといい、
なんだかきょうは目測を誤ってばかりいる気がした(^_^;。

『憧れの輸入住宅を建てる』
帰り道、従来からの私の目の保養誌『憧れの輸入住宅を建てる』最新号を買った。
普通の雑誌と違って安価で(定価500円)、しかもクラシカルなインテリアばかりが
実例集として掲載されているので、私は楽しみにして毎号買っている。
本当は、これは今から家を建てようと計画している人のための情報誌で、
特に、北米や南欧・北欧スタイルの物件を望む場合に役立つ内容なのだが、
私は例によってカーテンを主としたファブリック類を見るのが目的だ。
戸建てを買いもしないものが、こんなん読むなよ、
と自分で自分にツッコミを入れることもあるが、
まあ、そうは言っても、我が家だって、もしかしたらこの先、
いつ十億円ころころっと入らないとも限らないだろう。言うだけは言うとくワ。

まだ登録に行ってない
通訳案内士の登録をするには県庁に行かねばならないのだが、
さしあたってすぐに仕事を開始する予定でないため、まだ登録を済ませていない。
通訳案内士として営業を始める前に登録をすることが義務づけられているだけで、
合格から○か月以内に申請せよ等の期限は、この資格には設けられていないのだ。
いろいろ書類も準備せねばならないし、証明写真も用意しなくてはならないので、
まあもうちょっと痩せてからとか(爆)、……永遠に登録できんわ。
一方、小学校英語指導者資格のほうは、9月の講習まですべて終了したのち、
1ヶ月以内に資格申請の手続を取らないといけないことになっているので、
忘れないようにしなければ(大汗)。更に、こちらは4年ごとの更新制だ。
おっと、更新で思い出したが、運転免許の更新にも行かなくてはならないのだった。
今回は、前とは違って、更新案内葉書が、ちゃんと来たし、
誕生日の前後一ヶ月ずつ、合計二ヶ月が更新期間であることを理解しているので、
何も問題はない、……筈だ。

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尾上菊五郎の妹を名乗る詐欺の被害者が提訴(産経ニュース)
『歌舞伎役者で人間国宝の尾上菊五郎さんの妹を名乗り、「出資すれば多額の利息が手に入る」などと偽って出資を募ったとして、京都府宇治市の主婦(58)が京都市山科区の女性(63)を相手取り、出資金と利息など計約5000万円の返還を求める訴えを京都地裁に起こしていたことが20日、分かった。提訴は5月19日付。』『訴状などによると、主婦は平成19年1月、フラメンコ教室で知人から「女性は菊五郎さんの妹。金を預ければ高い利息がつく」と誘われ、「50万円につき利息が月7000円」と女性から説明を受けて100万円を出資。その後も求めに応じて60回以上、計6000万円以上を出資した。』『主婦には、携帯電話やメールで連絡があり、中には「菊五郎」と名乗る男の声で「妹がお世話になっています」との電話もあった。初めは利息などが支払われたが昨年11月以降は止まり、今年3月から連絡が取れなくなった。弁護士に相談して「菊五郎の妹」が嘘と分かったという。』

なんなんだ、これは(^_^;。
なんでここで音羽屋なのか。藤間流じゃなくてフラメンコ教室だし。
まあ、ウトそうな人を狙ったということなんだろうけれど、
菊五郎をカタる偽者まで登場しているなんて、なかなか興味深い。
しかも6000万。うぅむ。

考えてみると、私は結構長くファンをやっているつもりだが、
音羽屋の旦那さんのごきょうだい関係は、ほとんどわからない。
姉・本人・弟、の3人兄弟だった気がするのだが、
歌舞伎の家系図は、舞台に関係のない人は載っていないことが多いし、
特に女性に関しては、日舞・新派その他の芸能関連で出ている人でない限り、
全く触れられないことのほうが普通だと思うので、
尾上菊五郎に妹がいるか・いないか?と訊かれると、
ファンの私でも、自信を持って返答することはできない。
だからもし歌舞伎に興味がさほどない人だったら、
相手が本当に俳優の妹かどうか、わからないのが当然だろう。
尤も、だからと言って、お金を出すかどうかは、かなり疑問だが(汗)。

それにしても、歌舞伎俳優の身内を介して「出資すれば多額の利息が手に入る」
とは、一体どういう仕組みなんだ。
わたしオボコいから、わかんない。
役者さん関係といったら、私のイメージの範囲では、
貢いだ分の見返りに、サインが貰える(かな?)とか、特等席が手に入る(かも?)、
程度のことしか想像できなーい(殴)。

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