転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



3月後半は、忙しかった。
神社関係の用事もあったし、相続手続も進行中だったし、
24日(日)~28日(木)は娘が久しぶりに帰省したので、
これまた普段の日常と違うことがいろいろあった。

もちろん娘が帰ってくるのは大歓迎で、いろいろと話も聞けたし、
家族3人で食卓を囲むのは久しぶりで、大変楽しかったのではあるが、
毎度思う通り、まさに「来て良し、帰って良し」であった(笑)。
娘が18歳で独立して早10年以上、お互いに普段の生活においては、
それぞれの暮らし方が出来上がっているので、
こうやって時々会う程度のペースが、いちばん良いのである。

娘が帰って来る目的は、こちらの友人たちと会うことでもあり、
夕食+飲み会の日もあれば、福岡在住の友人に会いに博多まで行った日もあり、
一人暮らしの友人宅に行って、日付が変わる頃まで飲んできた日もあった。
中高の同級生だった仲良しの人達も皆、社会人となって、
その後いろいろなことがあり、積もる話もたくさんあったことだろう。

東京の娘宅の黒柴ちゃんは相変わらず、良い子、
……ではないがとてもとても可愛いそうだ(^^)。
今回もまた、黒柴ちゃんは娘の彼氏と一緒に過ごしていたので、
留守中、何の心配もなかった。
機会を見て、私も黒柴ちゃんに会いに行きたいものだが、
私が東京に行くときにはいつも、歌舞伎座で昼夜観なければならず、
ほかのことをする時間が皆無で、娘宅には全然行ったことがない(汗)。
娘が社会人になった直後、板橋区に住んでいた頃に2回くらい行った筈だが、
その後、転勤等もあり娘は二度引っ越しているので、
私は現在の彼女の住居がどのようなところなのか、わかっていない(^_^;。

まあ、娘はとっくに完全に独立しているので、
元気でやっていてくれれば、私としては、特に言うことはない。
これからも、頑張ってね(^_^;。

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LAタイムズ記者「大谷よ、大人になれ」米国民、日本語会見に違和感(MINKABU)

米国の野球ファンは、日本から来た選手は英語ができるべきだ、
直接英語でファンに語りかけるようでなければならない、と思っているらしい。
勿論、そうできるのならそれに越したことはない、と私も考えては、いる。
単純に、英語が「できる」か「できない」かの択一なら、
「できる」のが良いに決まっている。
大谷は英語ができなくても構わない、という話を、ここでしたいのではない。
米国で働く以上、基本的に英語は必要だ。巧いほど良い。明白な話だ。

しかしそれなら、日本に来る助っ人外国人選手(大半が米国系)が
全然日本語ができるようにならないのは、なぜなのだ。
何年居ても彼らは日本語で取材が受けられるようになど、到底、ならない。
自分たちだって、日本のファンに直接日本語で語りかけるべきではないのか。
なぜいつまでも「アーリガート」と「コニチワ」レベルに終始しているのか。
自分のところに来る日本人には英語を要求する風土で育っている一方で、
自分らが日本に行くときは、日本語ができるようにならなくてはならぬ、
とは、なぜ、考えないのか。

たとえばカープの投手だったクリス・ジョンソンなど、
日本に7年もいて、NPBで大活躍して沢村賞まで受賞して、
そもそも本人は父方祖母が日本人というクォーターだったが、
ヒーローインタビューはいつもいつも、球団通訳がつきっきりだった。
前のDeNA監督のアレックス・ラミレスに至っては、
来日して23年になるのに日本語が話せない、もしくは話そうとしない。
自分の日本語で健気に頑張ってくれたことで思い出せるのは、
カープのスペイン語通訳の(!)クレートさんくらいだよ、私は(^_^;。

日本人や日本の野球ファンは、それをどうこう言ったことなどない。
日本人とのクォーターでありながら、日本語が自由にならないジョンソンを
カープファンは皆、心から愛していた。
八丁堀を歩く彼を見かけると、片言の英語で話しかけたのは広島市民のほうだった。
ラミレスが「ヤジ飛ばされても、何言ってるか分からなければ楽」と英語で言えば、
それもそうだなあ、と笑って受け入れるのが日本人だ。
日本に居ながら自国語しか話さない外国人選手を、日本人はとやかく言わない。
日本語は、諸外国のどこの公用語でもなく、
日本を1歩出たらどこへ行っても通用しない(ので、外から来た人に日本語は無理)、
という前提に、日本人は慣れている。

一方、英語圏の人達は、英語が国際語であることを当然の前提にしている。
各国なまりの英語が存在する状況を、自然なことと捉えている。
だから自分の国に来る外国人も、英語を話すのが当たり前だと考える。
それでいて、自分たちが日本に行くとき、日本語ができなくてはならない、
とは考えない。
言語同士が対等であることを考えるとき、
この感覚は英語話者の驕りであり、
英語が世界語であることに甘えた自己中心であると私は思っている。
言語間に客観的な優劣は無く、各々の場所にはそれぞれの公用語がある。
米国で仕事をしているのに、大谷は英語ができないなんて不自然だ、
と主張するのであれば、
日本で野球をやっているのにいつまでも日本語ができない米人選手らも、
やはり不自然であると、彼らは非難しなくてはならないだろう。

使いものになる言語は英語ひとつだけ、という北米人は普通に多い。
彼らは、学校で習った外国語(スペイン語やフランス語)は喋れない。
ならば、日本で生まれ育った者が日本語しか話せなくても、
学校で習った英語を喋れなくても、何もおかしくないではないか。
「通訳を使わず英語で自分の意見を言うべき」と大谷に要求しておきながら、
日本に観光旅行に来て「コンビニ店員に英語が通じない」
などと、勘違いするアメリカ人を私は許さない(逃
「英語で道案内くらいできるようになりたい」
と言って英会話教室に通う日本人がよくいて、
そのくらいの英語もできない自分が恥ずかしい、などと謙虚なことを言うのだが、
むこうも英語ひとつしかできない人々なのだから、そんなに甘やかすことはない。
日本のただ中で、日本語以外で道を尋ねて通用すると考えるガイジンのほうが
間違うとるのだ(逃

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三月大歌舞伎@歌舞伎座、を21日22日の一泊二日で観てきた。
昼も夜も、見どころ満載の今月なので、いろいろ感想はあるのだが、
とにもかくにも今回の私の最大のお目当ては、松緑の踊る『喜撰』!

幾度も思ったことだが、松緑、踊るとどうしてあんなに優美なんでしょうか。
これまで、多分二度ばかり菊五郎大旦那さんの喜撰を拝見したときに、
これは立役と女形の中間に位置するような雰囲気だな、
と思ったものだったが、今回の松緑を観て、その思いを新たにした。
かつての、三津五郎の喜撰には、少なくとも上半身に関する限り、
私はあまり女形めいた「なよやかさ」を感じたことはなくて、
音羽屋ならもともと兼ネル役者だという前提があるからわかるとしても、
芝居で女形を務めることはない松緑に、踊りでこういう面を見せられるのは
意外な感じがしたし、実に新鮮であった。

出色だったのは、抜き衣紋の如く襟元から背中にかけて寛がせた感じの着付け。
うなじの線の、品の良い色っぽさと言ったら、なかった。
あらしちゃんには、私は「体の線」に目を奪われることが多く、
以前に富樫を演っていたときも、ピタリピタリと決まるかたちの美しさに
富樫とはこれほど美しい役であったかと感じ入ったのだが、
喜撰もまた、なんと優美な踊りであるかと、あらしちゃんの一挙手一投足に見とれた。
喜撰は、高僧でありながら女性に惹かれ、祇園のお梶(梅枝)を口説くという、
「生臭坊主」の設定なのだが、あらしちゃんのは「生臭」ではないのだ(笑)。
どこまでもまろやか、馥郁(ふくいく)とした、「生きることの春」の愉しみ。
『喜撰』の舞台を彩る満開の桜は、喜撰法師の心模様そのものなのであった。
行った甲斐があった。眼福でした。ありがとうございました<(_ _)>!

所化がまた、小さい息子さんたちからベテランまで勢揃いの贅沢さだった。
亀三郎・眞秀・小川大晴、と子供たちがいずれ劣らぬ丁々発止だったし、
彦三郎・亀蔵の兄弟、萬太郎・種之助・玉太郎・左近と並ぶと目の保養、
権十郎・松江・吉之丞とベテラン勢も豪華で、もうもう言うことなしであった。
そして、踊るとやはり、鷹之資が巧いことがよくわかった。

時蔵襲名目前の梅枝は、
襲名が公表されて覚悟が決まった、みたいなことがあるのだろうか、
『喜撰』も『寺子屋』も『御浜御殿綱豊卿』もとにかく良かった。
もともと別格の巧さの女形だというのはわかっていたが、
今回はもう、ゼロ番に立つスターオーラが出ている感じだった。
それも、物凄くきめ細やかな、極上のシルクの輝きの如きオーラが。
当代時蔵は、菊五郎大旦那さんに長らく寄り添ってくださっているのだが、
さて、梅枝、いや、次代の時蔵は、これから誰と、どうなるだろう(笑)。
松緑や菊之助との並びにも大いに期待しているのではあるが、
え~、できましたら、この先ますます左近ちゃんを導いて、
いいオトコにしてやってくださいましね、梅枝姐さん(笑)!
いつぞやどこかのSNSでどなたかが、
「左近の辰之助襲名には『名月八幡祭』を、梅枝の美代吉で!」
とリクエストしていて、私は鼻血が出そうになった。それは通い倒すワ。


  

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後期は毎年、何かと多忙で学習者としては完成度の低い時期だ。
今回も余すところなく学習したとは言い難い状況だが、
なんとかここまで継続して来ることができた。

 

フランス語初級編は、再放送のうえに内容が易しいので楽勝だ。
月~水はとても気楽な気分でやれている。
テキストは見ないでやる、というのを一応、自分に課している。
本当はディクテをやって、聴いてわかったつもりのところが
書けるかどうかも確認すると良いのだ、……とわかってはいるが、
そこまでする向上心も今のところ、無く……(殴)。

フランス語応用編は、内容的には満足してはいるのだが、
ある程度長さのあるフランス語の文章を音読したあと、
それの和訳を講師の先生が仰る、という構成に関しては、
私個人はあまり有意義であると思えない。
これは、今季の西山先生への不満ということではなくて、
ほかの言語の中級編や応用編でも同様に感じることが多い。
大学の90分や100分の講義なら、訳そのものも味わえて面白い筈なのだが、
講座では「たった15分しかない」ことへの、勝手な焦りが私には毎回あり、
「そんな、テキストに書いてある日本語を放送でまた読みあげるなんて」
という気分が、どうしても拭い去れないのだ。

限られた時間なら、その構文がどうなっているか、なぜその法や時制なのか、
熟語がどういう単語の組み合わせから成り立っているか、等々の、
文法的な解説や分析のほうを、私は主として聞きたい。
全訳はテキストに出ているので、いつでも見ればわかる。
それより、どうしてその日本語になったのかについて、
放送時間だから聞けるような話が聞きたいのだ。
多分このようなことは、以前、ロシア語の中級編だか応用編だかを
聴いていたときにも書いた気がする(汗)。
私の、ヘキなのであろうよ。

スペイン語は、入門編と言えど接続法まで網羅する講座なので、
2月は未来形・線過去・前置詞を伴う関係代名詞・llevar+時間+現在分詞、
等々、駆け足で多くの文法項目が扱われた。
スペイン語検定5級受験希望者のワタクシには有り難い内容であった(^_^;。
acabar de +不定詞、である一方planearやdecidirにはdeは付かず、
いきなり不定詞が続くんですね(^_^;。
私の頭の中で同じハコに入っていて、みんなdeだと思ってました(殴)。
だって、ほら、英語は全部to-不定詞ではないですか。
動詞のあとにいきなり動詞の原形とか、抵抗があって……(逃)。

スペイン語応用編は、非常に面白く聴かせて戴いている。
接続法だけに3ヶ月費やす講座で、私にはこなせない時制も出て来るのだが、
毎回のスキットが楽しいのと、初級を卒業した講座には珍しく、
スキットの全文をクリスティナさんのあとについて読むことになっていて、
この「くまなく学べる」感じがまた、私の性に合っている。
一方で、ある程度分量のあるスキットをすべてリピートするために、
やはり時間はかかるので、あとの練習問題は部分的にしか取り上げられない。
この内容の講座なら一回が30分あればいいのに、といつも思っている。

ということで、今期も3月号の終わりまで、あと少しとなった。
もはや、幾度となく迎えた、各期の終わり(^_^;。
365歩のマーチの如き私のフランス語・スペイン語ではあるが、
それでもときどきに1歩ずつは進んでいる、と思っている(^_^;。

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特例臨時接種終了に伴う新型コロナワクチンの取扱い等について(PDF)
(厚生労働省健康・生活衛生局感染症対策部予防接種課 令和6年3月11日)

この厚労省の通達によると、
無料接種期間の終わる3月31日をもって、
現在、保管・使用されているワクチンは、一旦すべて廃棄されるべし、
ということなのだが、それには有効期限内のものも含まれる。
決して安価とは言えなかった筈のワクチンを、税金で購入しておいて、
まだ使えるものも全部、事務都合で捨てるとは、えらく無駄使いではないか。

これまでは、打ちたい人も打ちたくない人も関係なく、
全員に等しく機会や権利が与えられていたから、
抜け駆けなど論外で、接種時期や規定回数を尊重してやって来たのだが、
「捨てるくらいなら、年度内にもう一回打たせて貰えないか」
と希望する人たちは確実に居る。
秋頃に接種した場合、既に半年近く経っているから、
ブースターを望むとしても医学的に何もおかしくない。

勿論、無料のまま、人より回数多く接種を受けるのは、
不公平で許されないだろうというのはわかるが、それなら、
今無理ヤリに捨てたりせずに、4月からの有料接種に回して、
お金を払っても受けたい人たちの間でだけ、使えば良いのではないか。
そういう、民間による買取の方法は無いものだろうか。
国の所有であるものを、4月以降、民間を相手に売り渡すというのは、
多分、何らかの手続上の問題があって不可能なのだろう、
と推測はしているのだが、それにしても「なぜ駄目か」についての説明を
私はまだ聞いたことがないし、読んだこともないように思う。
私がテレビを観ないから知らないだけで、既に十分に報道されているのだろうか。
税金で買ったワクチンを一斉に廃棄するならば、有権者に対して、
せめて丁寧な説明をする責任が、政府にはあるのではないかと思うのだが。
この新型コロナワクチンは、日本在住の人ほぼ全員に関係のあった話だよ?

なお、毎度毎度書いていることだが、
私は、打ちたくない人がいる、ということは全く問題にしていない。
打ちたくない人はそのまま打たなくて良いのだ。
そうでなく、打ちたい人が打てるようにできないのか、という話をしている。
ワクチンが無駄にならず金も取れるからだ。
それと、我々の税金で買ったワクチンを大量に(だろう)廃棄するなら、
そうなる仕組みについて、政府は皆によく伝わるかたちで説明すべきだ、
と言っている。
よろしくお願いしますよ(^_^;。


追記(3月16日):廃棄は1500万回分だということだ。
どうして野党やその他の団体はこの件で政府を責めないのか?
というか、3月のこの時期になって言い出しても遅いので、
少なくとも政治家の皆さんは、前から知ってて黙っていたのだろうよね。
4月以降、打ちたい人にだけ打たせて彼らから金を取ればいいではないか、
と思う有権者は、ワクチンに賛成であれ反対であれ少なくないのではと思うのだが、
どういう仕組みでそれができないのかについて、誰も説明もしないのだね。
『説明責任』という言葉は、こういうときにこそ使うのではないのか(--#)。

コロナワクチン1500万回分廃棄へ、昨秋以降の接種は対象者の2割どまり
(読売新聞オンライン 2024/03/16 05:00)

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箱入り婆

一応、今月下旬に歌舞伎座に行こうと計画はしているのだが、
コロナ・インフル・麻疹・花粉・トコジラミと、
最近、外ではロクでもないものばかり問題になっている。
更に、外国人観光客が多いせいでビジネスホテルまでも値上がりしていて、
かつては5000円台で泊まっていた定宿がしばしば倍の価格設定になっており、
なにやらド厚かましいものを見たような気がして、愉快でない。
ますます家から出ないで暮らしたいと思う、今日このごろです(^_^;。

折しも、3月20日頃から急に気温が下がるという予報が出ており、
これがまた、全国的に十年に一度?とかいう低温になるそうで、
出かけようというヒトの気持ちを挫くような話ばかり(^_^;。
このような状況のままだったならば、
私は近い将来、ホントに外の風にも当たらない老女になるであろう。
空調のある自宅でストリーミングを楽しみ、ラジオ体操に勤しむ日常。
私が巣穴から這い出して来るのは、ポゴ氏来日と團菊祭と、
あとは自分の通院のときくらい、という(爆)。
こんな婆さんには、デイサービスやデイケアは合わないかもな(汗)。
○時に送迎バスが、的に時間に追われて外出させられるのは、どうも…。
さすがにデイサービスの対象者になったことはまだないので、想像だけどもよ。


クローゼット収納 新調

一方、今月は大型連休が実現したので、家の片付けが集中してできた。
2018年夏から終活をやっているので、おおまかにはカタがついているが、
それでも日々暮らしていれば、新しいものも買うから、適宜、整理整頓は必要だ。
今回は、我が居室の、クローゼット内で使っていたチェストが、
ポリプロピレンか何かの、安価で軽量の品だったのだが、
経年劣化でついに引き出しが割れてしまったので、
通販ニッ○ンで、ちょっと頑丈そうな新品を注文し、
壊れたほうは大型ゴミとして出すように、市の収集に申し込みをした。
ついでに、クローゼットの中も見直し、
生活の変化につれて使う機会の減った肌着や靴下、
それに会社員時代のストッキングを、資源ゴミ用にまとめた。

私は捨てることに関しては、概して決断が早いが、
究極のミニマリスト的なありかたは、あまり良いと持っていない。
家財道具がほとんど無く、なんであれ在庫を持たず、
座卓ひとつ、布団一組、残りはスーツケース一個でOK、
みたいな暮らし方は、さっぱりしていて良いものだとはわかるのだが、
「仕事は個室のコワーキングスペースで」「コンビニが自分の冷蔵庫」
とまでは、箱入り婆のワタクシは思い切ることができない。
そんな、毎日外出しなければ始まらない生活なんて(^_^;。
何より、災害その他のトラブルでサプライが途絶えたら途端に詰むので、
小さくないリスクが伴うと思う。
自室を居心地よく整えるとともに、
半月やそこらは自己完結でやって行ける程度の各種在庫は
とりあえず確保しておきたいものだと、私は思っている。

……それで自然に外出頻度が下がり、話は冒頭に戻る、と(^_^;。

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【追悼の声】漫画家 鳥山明さん死去 68歳 「DRAGON BALL」など
(NHK 2024年3月9日 8時48分)

私は目が悪いせいもあって、テレビを観ないしゲームもしないので、
アニメの『ドラゴンボール』もファミコンの『ドラゴンクエスト』も
皆が熱中するのを尻目に、直接の接点を持たずに過ごしたのだが、
それでも、鳥山明が大きな存在であることは、以前から認識していた。
『Dr.スランプ』一本あるだけで漫画家として名を成したと言えるのに、
更に『ドラゴンボール』の連載とアニメと映画と、
『ドラクエ』シリーズのキャラデザインがあった。
私はこれらヒット作をどれも、世代的にはリアルタイムで知っている。

また、後に、私が会社で同僚となった若いアメリカ人やカナダ人は、
皆、Son Gokuが大好きだった。
少年時代に胸躍らせながらGokuの冒険に熱中し、
かめはめ波を練習して、大人になった人たちだった。
彼らの話を小耳に挟むだけで、鳥山明が国際的な存在であることがわかり、
彼が偉大な漫画家であることを、私は十分に理解していた。
……つもりだった。

しかし私は甘かったのであった。
今回の鳥山明の訃報に際して、何に驚いたと言って、
世界じゅうから寄せられ続ける哀悼のコメントの、量と熱さであった。
BBCがBreaking news(速報)として流したのに最初に感心したのだが、
SNSには瞬く間に、英国米国のみならず、メキシコやブラジル、台湾、韓国、
スペイン、フランス、フィリピン、タイ等々から次々とコメントが寄せられ、
様々な世代の、Toriyamaファンの言葉で埋め尽くされた。
更に、各国駐日大使や、G7を始め各国大使館が軒並み正式に弔意を表し、
中華人民共和国外交部も会見し哀悼の意を捧げると述べた。

国葬レベルだろう、これは。(汗)

私は日本にいて、マンガもアニメも当たり前にいくらでも身近にあったために
単なる娯楽として軽く考え過ぎていたのだと、遅蒔きながら反省した。
私が思っていた以上に、日本のサブカルは、
世界じゅうで幅広い年代から注目され、絶大な支持を得ていたのであり、
mangaをそのような存在たらしめたのが、他ならぬ鳥山明であったのだ。
Akira Toriyamaほど、愉快にワクワクと、世界をひとつにした日本人は居なかった。

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連休は最高だ。今日も休みになった。5連休ですよ奥さん!
……ということで、買い物ついでに花を買った(笑)。
ラナンキュラス、スイートピー、カーネーション、
色とりどりの春の花。

こうして家に居て、近所で花を買って帰って来たりしていると、
もう、いい御身分過ぎて、外に出て行く気持ちが全くなくなる(殴)。
今は、そうは言っても社務所から呼び出されていずれ出て行く訳だが、
隠居でもしようものなら、もう文字通り家に隠れて滅多に表に出て来ず、
社会的に、私は、居るのか居ないのか不明な存在になりそうだ。
それくらい、私にとって、家に一人でいることは無上の喜びなのである。

なんとも有り難いことに災害も戦争もないこの瞬間、私は自己完結し、
ひとり勝手に、こうして最高に幸せなときを過ごしている。
私は分不相応なほど恵まれていると心から感じ、諸々に対し感謝に絶えない。
素晴らしく心安らぎ、苛立つことなど皆無で、今、私はホトケの転妻である。
そう、私は日本で屈指の、StayHomeが得意な女(笑)。

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(今年は、娘が3月下旬に帰省しようかと言っているので、
2月下旬に出したお雛様を、月遅れの4月3日まで飾っておく予定にしている。)

実は4日(月)以来、私は大型連休をキメ込んでいるのである。
完全休暇がきょうで4日目、まさに自分的Golden Weekである。
去年の夏、主人がコロナになって私も付き合いで1週間蟄居して以来、
これほど続けて何の予定も入らないのは初めてで、まさに僥倖(涙)。
この4日間、一歩も外に出ていないし、
ころもん氏以外には、誰とも話などしていない。
何も予定がない。なんという極楽、限りない安らぎ(T_T)。

本を読んでお茶を飲んで、ネットで遊び、編み物をして、
あとは念入りな掃除と、最低限の調理や洗濯等をして、毎日が終わる。
たまにストリーミング配信で教養講座やライブを楽しんだりするが、
ほかには旅行も美食も服飾も元より関心がないので、特段の出費は無い。
若干の書類仕事はしているが、急き立てられたり中断が入ったりしないので、
自分で区切りと思うところまで存分にやれて、全く苦にならない。

煩わされることがなくなったので、不定愁訴もなくなった。
残りあと、あと○分~!!あれもこれも、間に合わない~~~!!
などと焦る瞬間が、1日の中で一回もないので、
心がキリキリせず、御蔭で体も大変ラクになった。
正月奉仕の間じゅうあった心臓の期外収縮も全く出なくなったし、
節分以降も断続的に続いていた、右下瞼の痙攣もなおった。
毎朝の血圧測定など、110~/70前後、脈拍も60~70である。

(たとえば今朝の↓。もし今度血圧トラップにハマったら、これを見て落ち着こう。)


外に出ないから化粧をすることもなく、肌が解放されて気持ちが良いし、
毎食後の歯磨きも、時計を見なくて良いので丁寧にやれる。
夕食のあとは早くからお風呂で温まり、一休みしたら適度に眠くなって
お布団の中で本を読みながら眠りにつき、そのまま朝まで8時間。
目覚めれば、心身のどこにも、不快な箇所や痛いところが無い。
隅々まで脱力できていて、ひたすら心地良い。
この生活は、とてもとても私の心身に良い。

あたし、まだまだやれます!連休、続けさせてください(笑)!

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新型コロナ 治療薬など支援策 終了へ どう変わる?
(NHK 2024年3月5日 15時39分)
4月からはCOVID-19関係がすべて有料になる。
これまではコロナといえば、ワクチンも治療薬も厚労省の支援があったから、
我々は自分の考え優先で、「受ける」「受けない」等々を自由に選べたし、
罹って、もしも自分の想定より容態が悪化した場合でも、
支払のことはあまり考えずに、高度な治療法まで含めて選択できた。
しかし今後は、選べるのは経済力のある人だけだ。
検査も有料、抗コロナ薬が3割負担で3~5万円、入院加療となれば桁が更に……。
お金がないなら、主義主張以前に、そもそも「治療は受けられない」で終了だ。
ここはやはり、私は「罹らない」ことを第一に優先したいと改めて思った。
とりあえず罹らなければ、無料なのだ、コロナ治療に関しては(汗)。
不織布マスク着用・三密回避・手洗い励行、は自分で出来るので続けるとして、
可能ならワクチンも打ちたいのだが、これまた、ナンボになるのかという(汗)。
集団接種は終わるし、現状、いつ、どこへ行けば打てるのかも情報が無い。

はしかの恐るべき「免疫の記憶喪失」とは、世界で流行が拡大
(ナショナルジオグラフィック 2024.03.06)
麻疹は感染力が破格に強く、深刻な合併症や後遺症の可能性もあり、
現代でも軽視できない感染症だが、更にイヤなのは、麻疹に罹った人は、
回復後、それまで獲得していた各種の免疫が抑制された状態になることだ。
このことは半世紀も前には既に知られていた。
私はワクチンを受けておらず、小2の5月に麻疹に罹って3週間病臥したので、
文字通り死ぬほどキツかったことを、未だに覚えているのだが、
その回復期に小児科の先生から、
「今年の夏は、プールに入るのはできるだけ止めたほうがよい」
と言われたこともまた、今でも記憶に残っている。
麻疹に罹ったあとは、あらゆる感染症に罹りやすい体になっているから、
様々な菌やウイルスに触れるプールは控えるべきだ、という説明だった。
そして、やっとの思いで床上げをして登校を再開したら、
間なしに水痘を貰ってきて、再び2週間ほど寝込むことになった。
このダブルパンチの御蔭で体がすっかり弱くなり、翌年くらいまでの間は、
それまでとは比較にならないほどよく熱を出して学校を休んだ。
いまどきの若い人は、麻疹に罹った経験はない人が大半だろうから、
ワクチン2回目が終わってないなら、早いところ済ませておいたほうが良いと、
老婆心ながら思いますよ(汗)。
下手したら瀕死になるほどツラいうえ、病後、本当に体が変わってしまうので。

ひとりで217回接種!!
Adaptive immune responses are larger and functionally preserved
in a hypervaccinated individual
(THE LANCET March 04, 2024)
ドイツで、およそ2年半の間にコロナワクチンを217回受けたという、
62歳の男性のケースがLancetで報告されていた。
このとてつもない回数に及んだ理由については、個人的な事情、とあり、
可能性としては「打ちたくないが接種証明だけ欲しい」という人たちを相手に、
代理接種で報酬を得ていたのではと思われるが、立件はされていない。
217回という数字は自己申告だが、公式記録が辿れるものだけで100回以上ある。
あまりにも無意味な過剰接種だが、免疫疲弊もなく有害事象もなく、
S蛋白特異的な抗体(=コロナへの抗体)やT細胞数は多く、
唾液中に抗S蛋白IgG抗体が発見された(=口腔の段階でコロナ感染予防可能?)、
等々、論文で指摘されている。
感染爆発したドイツにあって、この人の感染歴はゼロ、
PCRや抗原検査等も真面目に受けており、今回の調査にも積極的に協力した由。
これだけ桁違いに打っても、特に問題がなかったというのが凄いが、
n=1なので「ただの一例」以上のものではなく、特異体質かもしれない(大汗)。
この件以前の報道では、やはりドイツで87回?だか打った人がいたのと、
ニュージーランドで他人になりすまして1日に10回打った男がいたのだが、
あれから、皆さんお変わりなくお過ごしなんでしょうか(^_^;。
日本で2回接種までしか無かった頃、勝手に4回受けていた人らが居た筈だが、
彼らの調査はその後、続けているのだろうか。

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