転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



東京から友人が来ていて、ここ数日は地元で一緒に観光した。
世界平和記念聖堂、縮景園、宮島、など。
COVID-19の5類移行や、マスク着用の個人判断など、
様々な対策緩和が決まったことで、
既にどこもかしこも空気は緩み、賑わいが戻って来ていた。

世界平和記念聖堂は、友人が村野藤吾の建築のファンで、
大聖堂にはやはり行っておきたいということで、
本当に久しぶりに日曜朝9時半のミサに行ってみた。
 

教会そのものは感染症対策について依然として厳密で、
入口での氏名・連絡先の記入や、検温、手指消毒など徹底しており、
聖堂内では全員マスク着用が求められ、
間を空けて着席するよう場所が定められていた。
聖歌も、聖歌隊だけが歌い、出席者は聴くだけだった。
また、接触感染を避けるためか、献金箱が回されることもなく、
聖堂出口に箱が設置されているという、お賽銭箱的な形式であった。
四旬節第1主日ミサで、説教は「誘惑に打ち勝つことについて」。
イエスが40日間断食したあと荒れ野で悪魔の誘いを退ける場面の
聖書朗読と司祭の説教、それに洗礼志願式があった。
2023年2月26日 - 四旬節第1主日ミサ(YouTube)

ミサのあと、近所なので徒歩で縮景園に行った。
ちょうど梅が見頃で、梅林にはウグイスが来ていた。
梅の季節の縮景園は、私にとっては4年ぶり!であった
来ようと思えばいつでも来られる近さであるがゆえに、
かえって私自身は縮景園には来ていない。
こうして一度来てみると、そのたびに、
「次の花の季節に移る頃、また必ず来よう」
と思うのだが、そうこうするうち瞬く間に日が過ぎてしまい……。
友人の御蔭で、今年は梅を逃さなかった。ありがとう(^_^;。
 


その翌日は、宮島で過ごすことに前々から決めてあった。
市街地のホテル泊だった友人と、朝、広島駅近くで待ち合わせ、
まずはJRで宮島口まで行き、JR西日本宮島フェリーで島に渡った。
平日だったが結構、混んでいて、フェリーは甲板にも乗客が大勢いた。
外国人観光客も多かった。
宮島に関してはコロナ禍前の状態まで、ほぼ戻っているのではなかろうか。


友人とともに厳島神社に詣で、大願寺にお参りし、
砂浜を歩き、商店街でもみじ饅頭を食べるという、正統派の観光をした。
この日のハイライトは、友人がシカに紙袋をかじられた一件であった。
もみじ饅頭をおみやげ用に箱で買い、お店で紙袋に入れて貰ったものを、
友人は手に下げて、海を見ながら私と喋っていたのだが、
そこに、背後からシカが一頭、文字通り音も無く近づいて来て、
その紙袋をいきなり囓ったのだった。
ばりり、と囓られるその瞬間まで、
友人も私もシカが来ていることに全く気付いていなかった。

シカには気配がない、ということを今回、友人と私は学んだ。
例えば野良猫は、シカよりずっと小さいが、
居れば結構遠くからでも、猫の存在に私達は気がつくものだ。
それは、猫が「気配」を出しているからだろう。
「あいつ触るヤツか?逃げたほうがいいか?なんかくれる?」
と猫は、意図的に距離を置きながら我々を見つめ、オーラを発している。
散歩中のよその犬でもそれは同様で、
「仲良くするヒト?遊ぶ?好き?オヤツある?」
と、多少離れたところからでも、こちらにアピールを送って来る。

その点、宮島のシカは違うのだ。
彼らが佇んでいると、しばしば、置物か何かのようで、
あまりの気配の無さに、こちらは随分近くに行くまで気付かないことがある。
シカたちは日頃から観光客に慣れているので、
我々が何をしていても彼らには単なる「モノ」でしかないらしく、
私達への意思表示など全くせず、恬淡(てんたん)とした風情でいる。
それでいて良い匂いがすると、不意に距離を詰めてきて囓ろうとするのだ。

友人は紙袋の一部を囓りとられたが、幸い、もみじ饅頭は無傷だった。
箱に入れられ、外側も包装されていたので、本体には影響は無かった。
「ヤギかっ(^_^;!!」と慌てる友人を、シカはただ、
囓りとった紙袋の一片をもしゃもしゃと食べながら、無表情に見送っていた。
追いかけて来るでもなかった。
きゃつらは、とにかく淡々と我々の存在を右から左に流すのだ。

帰りは、宮島松大汽船のフェリーで渡り、路面電車で八丁堀まで帰った。
JRと違ってゆっくりだったが、これはこれで市内を眺めることができ、
原爆ドーム前も通るので車窓からの観光もできた。

……ということで、友人の御蔭で、日頃行けない場所に次々と行けて、
なかなか楽しい二日間を過ごすことができた。
2月の最後に、思いがけず良い休日が持てて、有り難いことだった。
お天気にも恵まれ、完璧な休暇であった。シカ以外。

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T.M.Revolution広島公演に参戦してきた。
楽し過ぎた。
構成が良すぎ!!

T.M.Revolutionは、やはり楽しい!と心底、思った。
飽くまでこれも西川貴教のソロプロジェクトではあるが、
IkuoさんがいてSUNAOさんがいて柴崎さんがいて、
……と常連のサポートメンバーがある程度固定している御蔭で、
一貫したバンド的な魅力をも、醸し出していると感じた。
私は昨日今日の聴き手ではないという程度の自負はあるが、
その体験の範囲内で、今回のは過去のライブの中でも屈指の出来映えであった。
「西川貴教」名義も良いし、abingdon boys schoolでやりたいこともわかるが、
すべての根底にT.M.Revolutionがあることは疑いの余地のないことで、
西川氏には今後もそれを大切にして戴きたいと、切に願っている。
そろそろ、T.M.Revolutionとしての新作がリリースされて良い頃では…?

期間的に、ぎりぎりマスク着用で行けるライブ、ということで決行した(^_^;。
コロナ感染は相変わらずキショク悪いが、しかしライブは楽しい。
会場からも、Turboコールも含めたリアクションがあってこそ、
というのは、私だって決して否定しない。
ただ、私自身が次回からも行けるかどうかは、状況次第(逃)。


追記:会場について西川氏が、
「このホール、名前変わりすぎやん!?」と発言。
そもそも、90年代半ばに西川氏が初めてここで歌った頃、
会場名は「郵便貯金ホール」であった。
実は正式名称としては「メルパルクホール広島」だったのだが、
70年代以来の郵便貯金ホールの名が、普通に愛称として使用されており、
郵政民営化前も後も、メルパルク=郵貯は広く浸透しており、
この二種類の段階では、まだ何も問題はなかった。

しかしT.M.Revolutionとして公演するようになって以降、
途中で名称が「ALSOKホール」に変わり、
「企業さんの名前になってんやな」と西川氏は一応納得していたそうだが(笑)、
その次に来てみたら今度は「上野学園ホール」になっており、「なんでなん(^_^;?」。
そして更に今回は、「広島県立文化芸術ホール(上野学園ホール)」。
西川氏「カッコ、って!何なん!どっちなん!」www

地元民の我々も、このホールの名前は混乱のモトで、
「広島県立文化芸術ホール」などと言っても絶対に通じないので、
「白島(はくしま)の、アレ。元の郵便貯金ホール」と言っている。
平和公園のあっち側には「広島市文化交流会館(=元の厚生年金会館)」
もあるし、もう、泥沼ですよ(逃)。


追記2:書こうか書くまいか迷ったのだが、自分の記録として。
西川氏は、声量も声の強さも全く問題ないどころか超パワフルだったのだが、
滑舌については、私は今回は疑問が残った。すみません。
特に冒頭の、所信表明?みたいな演説の箇所、全体的に発音が、
「ダァシエリイェス(=ドア、閉まります)」系で、私には聴き取りづらかった。
私がお婆さんで、聴力がユルいというのが問題なんだろうとは思うが、
西川氏、もし選挙に出られるのでしたら(違!爆!)、
あれは高齢者には、超キツいです。
オンドゥル語のリスニングは、ファンでなかったら、やらないスよ(逃!)。

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ろくに暇にならないまま、2月も終わろうとしている。
ラジオ講座は、スペイン語とフランス語については、
朝食後のひとときが必ず確保されるのと、
二講座が続けて放送されるのとで、逃さず聴けているのだが、
ロシア語はかなり途切れ途切れだ。
放送時間の頃、ちょうど手が離せない状態になっていることが多く、
『らじる★らじる』の『聴き逃し』は、いつでも聴けるのがアダになり
あっという間に一週間が過ぎて、終わってしまう。
スペイン語とフランス語も、もし放送時間が互いに離れていたら、
ここまで続けて来ることは難しかったのではないかと思う。

今季のフランス語は、応用編が本当にちょうど良いレベルと内容で、
毎回気持ち良く、かつ、やり甲斐を感じて、続けることが出来ている。
来年度4月からまた、同じ番組が再放送されるとのことなので、
最初からもう一度やれることを嬉しく思っている。
私は概して、学習や読書において「反復」が非常に性に合い、
取りこぼしの各所を埋めていく「二度目」以降の感覚が、
何によらずとても気に入っている。
去年の応用編だった河竹英克先生の『ペレアスとメリザンド』も、
私にとっては二度目に得たものが大変多く、再放送こそが本番だった。

一方、スペイン語は学力的には入門編がメインなのだが、
今季の『マサトのマドリード日記』(2021年前期の再放送)は、
文章量に比してポーズ(空白)が中途半端に短いのが難点だ、
との思いが、日々、募っている。特に復習回のときがキツい。
一昨年の初回放送のときは、私があまりにもスペイン語ができないから、
与えられた時間でリピートが終わらないのだと思っていたが、
二度目の今回も、むちゃくちゃ早口で言わないと入りきらないので、
「これは基本的に時間が足りていないだろう(^_^;」
と思うに至った。
最低限、模範リーディングと同じスピードで言わせて貰えないのは
おかしいと思うのだが、私は何か根本的に誤解しているのだろうか。
全部の文についてシャドウイングが前提なのか?とも思ったが、
そうすると今度は半端に時間が余るし、入門編でそれは無いような??

これなら大昔のように20分放送にして貰いたかったくらいだ。
15分という限られた放送時間に最大限、詰め込もうとしているので、
音声のないポーズのところで調節するしかなかったのだろうが、
学習者がきちんと声に出してリピートや解答をするための時間は、
れっきとした「学習時間」なので、やはり確保されないと困るのだ。
例えるなら、異常に記入欄の狭い解答用紙では、
正解がわかっていても書き込むこと自体が難行苦行、みたいな感じだ。
そこで苦労する学習は、本来ではないだろう。

『続けましょう』『復習を続けます』等の意味のない(逃)指示や、
場面転換の音楽などは全部カットするなどして、
秒単位でも隙間時間を積み上げて行って、
リピートに使えるポーズを増やして欲しかった。
フランス語やロシア語の入門編ではこういうことは感じないので、
やはりこれは、この講座の構成上の問題であると私は思う。
むしろ応用編のほうが、リピートや解答のためのポーズが
適切に取られていると感じた。
応用編は、文法のレベルは私にはキツいが、
リピートだけは、毎回とくに苦労することなくできているからだ。

という状況だったので、スペイン語入門編は、
『らじる★らじる』の『聴き逃し』を使って、
自分の思い通りに一時停止させながら学習した日が
いちばん巧く行ったし、よく理解できた。
毎回そのようにするほど私のほうに時間的余裕がないのが残念だ。
内容的には大変勉強になるものだと毎回感じているので、
この点だけが心残りである。
私なりに、このように学習したいという希望は一応あり、
それが叶えられなければフラストレーションがたまる、
という程度には、真面目に取り組んでいるのであります(^_^;。

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ようやっと某老人ホームの面会禁止が解けたので、
午後、神社での天長節祭典のあと、自宅への帰り道に、寄った。
1月後半に発覚した入居者さんのコロナ感染から、クラスターになり、
全体が終息するまでだいたい一ヶ月はかかった。

うちの両親も漏れなく罹ったが、さすがにワクチン5回が効いたのか、
それともラゲブリオ等の内服治療が良かったのか、
2人とも物凄い高齢であるにも関わらず、ほぼ無症状のまま、
元気な状態で経過し、順調に療養解除となった。
フロア全体がクラスターになっていた間は、
普段の食堂スペースを臨時の病室にして、
感染者はベッドごと全員そこに集められていたのだそうだが、
今はすでに皆、本来の居室に戻っていた。

父は、仰向けでぐっすりと寝ていた。
スタッフさんのお話では、きょうは血圧が高く、傾眠状態に近いので、
系列病院の先生に往診して頂いたのだそうだが、
特にどこがどうということもなく、経過観察になっている、
とのことだった。
朝と昼の御飯は完食したそうで、寝顔もツヤツヤであった(^_^;。
「寝よるんかい(^_^;?」
と肩のあたりを撫でながら声をかけてみたが、目覚める気配はなかった。

母のほうは、やはり最初は昼寝していたが、父よりは反応が良く、
私の気配に気付いて目を開け、笑顔を見せた。
……が、母もまた話はわけわかめ状態で、
神社の宮司さんでない神主さんは禰宜(ねぎ)さんと言う、とか
珍しいものは皆が勝手に取っていったらいけない、とか
皆で雛人形を飾れば、楽しいから尾ひれがついて広まる(←謎)、
等々と、脈絡のない話を次々にした。
私は辻褄のあった返答をするのを諦め、
「せやろな」「そやったんか」「なるほどな」「そりゃそりゃ」
等々とテキトーに(殴)合いの手を入れているうちに、
母がまた寝入ったので、終わった(^_^;。

寝ぼけも入っているかもしれないが、
どうやら、ほぼ、話は通じなくなっているようだった(^_^;。
コロナ後遺症のbrain fog、……では、さすがに無かろうよ、
老化現象としてあり得べきこと、だろうよな(^_^;?
これでも、もしかして日によって調子の良し悪しがあるのだろうか。
何にしても、特に苦痛があるような様子でないのが、何よりであった。
正気だった頃より、母はずっと機嫌が良くなっているし。
両親ともに、このまま穏やかにと願うのみ。

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近所のエリザベト音楽大学セシリアホールにて、
トン・コープマンのパイプオルガン・リサイタルがあったので、
聴きに行った。
チケットは早くに買っていたのだが、
私が想像していたよりもずっと、この演奏会の注目度は高く、
自由席の会場は行ってみたら満席だった。

私はパイプオルガンについてどうこう言えるほどの鑑賞経験が無いし、
ピアノと違って全く触ったこともない楽器なのだが、
「鍵盤で操作する管楽器」なのだという印象が、今回も鮮やかに残った。
同じ鍵盤操作でも、ピアノやチェンバロなどとは全く異なる世界で、
「風」を感じる楽器ならではの温かみや素朴さがあった。
方面は全く違うが、栗コーダーカルテットを聴くときに感じるような、
心温められる瞬間が、幾度もあった。

私の、コープマンとの出会いはチェンバロのほうで、
90年代にこの人のチェンバロのCDを買って愛聴していた時期があったのだが、
今回、初めて実演に接することのできたのがパイプオルガン、となった。
演奏者としてのコープマンは実に生き生きと躍動的で、
しかも、リサイタル全体として、とても楽しかった(笑)。
娯楽というような気軽な内容では断じてなかったにも関わらず、
多彩な音色や絶妙な拍感があまりに心地よく、わくわくさせられた。

後半にバッハの『トッカータとフーガ ニ短調』や
『小フーガ ト短調』などを持って来たのは、
観客サービスが入っていたかなと思うが、やはり盛り上がった。
足鍵盤は神業であった!全身で演奏する楽器なのだと改めて思った。
モーツァルトの『小オルガンのローラー用のアンダンテ ヘ長調 K616』
が私にとってはとても面白かった。
どんな楽器で演奏しても、モーツァルトはモーツァルトなのだなと(笑)。
要らない音が一音もない精緻な可憐さ!
それを、パイプオルガンの「風」とともに聴くのは、得難い体験だった。

……一方で、客席の上手前方あたりに、毎回即座に拍手をする人がいて
正直、かなり邪魔だと感じた。
曲が終わるや否や、必ず、その一角から拍手が起こり、
コープマンは律儀にその都度、わざわざ椅子から降りて、客席に向き直り、
独特のステージマナーで、客席に対して頷きながら応えてくれており、
決して悪い雰囲気になった訳ではなかったけれども、
私は「余韻がゼロ(T_T)!!台無し!!」と思った。御免なさいね。

前も書いたが、演奏者は曲と曲の間の、つなぎみたいな何秒かでも、
「演奏」あるいは「演奏会」の一部として考えているのではないか。
たとえ、次の曲の楽譜を用意するための時間であったとしても、
楽器の音が途切れた瞬間の意味は、私にとっては、ある。
その部分も、私は「聴きたい」ので、
演奏者が弾き終わって手を下ろしたあと、
確実に「ここで区切る」という意思表示をしたときでなければ、
拍手は起こって欲しくない。
今回のプログラムも、たとえば前半6曲のうち、
コープマンはもしかしたら途中まで、あるいは全部を
ひとまとまりと考えていたかもしれないのだ。
それを、一曲終わるごとにいちいち拍手して中断させていたのは、
聴き手としての(気難しい(汗))私には、煩わしいものだった。

例えば、ショパンコンクール本戦で、協奏曲第3楽章の最後の音を
コンテスタントが弾き終わった瞬間に、オケの後奏と重なりながら
ワーーー!!!と拍手が沸き起こって来たとしても、フライングとは思わない。
それは、その「場」がそういう意味を持っているからこそ、なので……。
でも、どういう演奏会でも何の曲でも、一曲ごとに全部即座に拍手するのが
「良かったぞ!」の意思表示かというと、それは違うと思うのだ。

演奏者の描いている設計図や、そのときならではの気分を、
客の一方的な拍手=客の自己主張で損なってほしくない。
長年、某P氏に飼い慣らされたから、こんなことを思うんですかね(逃)。

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娘が、来月初めに休暇を取って帰省しようかと思う、
とLINEで言ってきたので、それならばと、
きょうは午後から、娘の部屋に雛人形を飾った。
何年ぶりだろう(汗)?
この日記を辿ってみると、2015年にはお雛さまを飾った記述があったが、
あれ以来なんだろうか、もしかして。

  

クリスマス・ツリーもそうだが、雛人形にしても、
かつての私は、子供に見せるために飾っていたのであって、
家に子供が居なくなると、熱意も失せるようであった。
インテリアとしての楽しみはある筈なのだが、
よほどの熱意や執着を持たないと、こういう季節行事は、
忙しさにとりまぎれて、どうも時機を逸してしまうようだ。

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元気の出そうな、黄色のアルストロメリアを買った。
切り花は、私の、休日の癒し(^^)。
無理矢理な東京一泊二日のあと、神社奉仕の怒濤の二日間を終え、
今日明日は連休の予定……。

予約した
「2023年度NHKテキスト定期購読ご案内」が送付されてきた。
来年度も、ラジオ『まいにちフランス語』『まいにちスペイン語』を
1年間、定期購読することにして、Web予約した。
来年度の番組や担当の先生方は、どうなるのかな、
とそろそろ関心を持ってはいたのだが、今回の案内によると、
新年度注文ページは2月13日に公開されたそうだ。
4月~9月の前期講座に関しては、フランス語は初級編が新作、
応用編は現在放送中の「まどかのフランス街歩き」再放送、
スペイン語は初級編が新作、中級編は2021年度後期の再放送、の予定だ。
ロシア語は多忙で聴けない日も多いので、
とりあえず初回放送を聴いてから決めようと思い、予約はしていない。
NHKラジオ第二放送は2025年に終了?等と聞いたので、
50年近く慣れ親しんできたラジオ語学講座のお世話になるのも、
もしかすると、あと数年限りなのかもしれない。

予約してたのに
去年の今頃に縁のできた某心療内科に、
私は今でも、安定剤ソラナックス0.4を貰うために行っている。
血圧も安定しているし、日常生活の支障になるような問題はないのだが、
多忙=自由時間の無さ、から来る苛々が募ったとき、
それをなだめるのに、ソラナックスはなかなか具合の良い薬なのだ。
極まっているときには半錠にして2日連続で飲んだこともあったが、
通常は月に数回、寝る前に服用する程度なので、7錠で数ヶ月は保つ。
それで、前回は12月だったか?に受診して処方して貰い、
次は3月14日、……だと思っていたのが、実は完全な勘違いで、
なんと2月14日が予約日だったことに、今朝、気がついた。
シマッタ!予約しておいて完全にすっぽかしてしまった。
慌てて、お詫びと予約取り直しのために電話をしようとしたら、
本日は木曜日で、休診日であった。
「正月奉仕で苛々と疲労が頂点に達するだろうから、
終わってガクっとなる2月にまた来ます」
的なことを自分で前回、言ったような、おぼろげな記憶が蘇ってきた。
手帳には3月14日のところに受診予定の記入があるので、
前回受診から帰宅して予約表から転記するときに間違えたのだろうな。

予約したいのではあるが
京都南座の三月花形歌舞伎の切符を買っておきたいと思いつつ、
まだ果たせていない。
自分のスケジュールがなかなか定まらないのと、
先日の東京往復で、マスク着用や黙食などの感染対策が、
世の中では既に相当に緩んでしまっていることを実感したので、
更に、マスク着用の有無が個人判断となる3月半ば以降はもう、
私のようなコロナ脳から見れば無法地帯になる可能性があり、
出かけないほうが私的には正解かも、と思うようになったのも理由だ。
しかし、今度の南座は、鷹之資が定九郎を演るのである。
あの様式美の極みの、悪の華、斧定九郎
出番は一度きりで、たった10分ほどなのだが、
そのためだけにでも南座に行ってみたいと思わせるものが、
今の鷹之資にはあるのだよなぁ……。
さて、どうする。
三月花形歌舞伎(南座)(歌舞伎美人)

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中村鷹之資(たかのすけ)の『船弁慶』を観るためだけに、
昨日今日の一泊二日で歌舞伎座へ行って来た。
五世中村富十郎の十三回忌追善ということで、長男・鷹之資が
前シテの静御前、後シテの平知盛を務めていたのだ。

私が年々、尾上松緑を贔屓にするようになったのも
彼の踊りに魅せられた面が大きいのだが、
鷹之資もまた、踊るために富十郎の息子として生まれて来たのだなと
今回の舞台を観て心から納得した。
鷹之資23歳。富十郎69歳のとき誕生した忘れ形見である。
綿々と受け継がれてきた歌舞伎舞踊の系譜を体現した、鷹之資。
圧巻の『舟弁慶』であった。
まさに「舞踊の神様に愛された美しい青年」!

天王寺屋 友の會

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内閣官房 コロナ対策HPによると、
「マスクの着用」の考え方については、令和5年3月13日より、
「個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねることを基本」
とすることになった。
着用してもしなくても、原則的に各自の自由、ということだ。
これまでも、日本では着用義務があったことは無く、
法的な位置づけは変わっていないが、
政府の基本方針としては、変化があったということになる。

ただし、着用が推奨される場面もあり、
「医療機関受診時」
「高齢者施設等への訪問時」
「通勤ラッシュ時等混雑した電車やバスに乗車する時」
などではマスク着用推奨となっている。また、
「事業者が感染対策上又は事業上の理由等により、
利用者又は従業員にマスクの着用を求めることは許容される。」
とも書かれている。

新幹線、高速バスなど全員が着席する乗り物に関しては、
マスク着用推奨とはなっていないので、
今後は隣に、マスクなしで遠慮なく咳をする人が座ったとしても、
或いは、駅弁を食べながら延々と喋り続ける人が居たとしても、
普通のことなので、受け入れなくてはならない。
その咳が感染症かアレルギーかなど、周囲の知るところではないし、
食事中に飛沫をこちらへどんどん飛ばして来られても、
コロナ禍以前がそうだったのだから、今更どうこう言う話ではないのだ。
本人が自分の判断で「マスクは必要ない」と思っているなら、
それこそが尊重されるのである。

しかし、まあ、そんなことより、花粉症シーズンど真ん中になるので、
私自身はまず当分はマスクが切実に必要だ。
コロナがなくとも、例年、3月はマスクを使い始める季節であった。
よりによってこのタイミングで外し始めるほど
私はチャレンジャーではない(^_^;。

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5日(日)から本日9日(木)まで休暇であった。
奇跡的に、どこからも呼び出されず。
年が明けてから、いや、昨年9月くらいからこのかた、
これほどまとまった休みを貰えたのは初めてだった。
実に、ありがたいことだった。
5日間のうち、家から出たのは6日(月)のみ、
あとはすべて家の中だけで過ごし、誰とも会わず、
時計も気にせず、語学をやったり本を読んだり掃除をしたり、
……最高だった。

さて、この10年以上、語学学習の友としてきたラジオが
先日、二度ばかり変になった。
2011年夏に買ったフューズ CDプレーヤー付き木製ラジオで、
これまで特に問題なく使ってきたのだが、
先月後半、やっと正月労働が終わって語学を再開したばかりのある朝、
ラジオの音声がやたらとジジ、ジジ、と乱れるようになった。
チューニングをいじってみたが、異音は止まず、
何か不本意なまま、その日の放送は終わった。
その数日後、聴いている最中に再度、ジジっと言ったかと思うと、
手も触れていないのに、フランス語講座応用編が唐突に途切れ、
マーラーの交響曲に変わった(汗)。
最初は何が起こったのかわからず、放送事故??と思ったが、
番組表を確認してみたら、そのときはNHK-FMでマーラーをやっていたので、
NHKラジオ第二放送がNHK-FMに勝手に切り替わったらしいとわかった。
触っていないのだからAM/FM切り替えボタンは全く動いていなかったが、
仕方が無いので、わざとFMボタンを押してから、
AMボタンに戻ってみたら、無事にフランス語応用編が再開された。



一体何だったのか、意味不明だったが、
同じトラブルはそれからは起きていないので、
とりあえず、今は無事に語学学習が出来ている。
ラジオ本体が10年選手だから、いろいろと経年劣化があるのかなと思い、
買い換え時期だろうかと、似たような商品がないかと検索してみたが、
レトロ調CDラジオでこのサイズのものは、案外出ていないことがわかった。

コーナーコンソールにちょうど乗る大きさで、
デザイン的にもアンティーク風なのが気に入ってるのだが、
手放すと買い直すことは難しいようだった。
年寄りだけに、ますます大事にしてやらねばな(^_^;。

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