転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日の、マンション管理組合設立総会は凄かった。
午後から用事が多く、くたびれ果てていたうえ、
『理事とかなんとか、誰もせんわな。じゃんけんか。アミダか。
問題は、上の階から来るか、下の階から来るかってことか』
という程度の関心事で会場まで出かけた私は、総会が始まるや否や、
あちこちの席から何人もの男性が、管理規約を片手に、
管理会社に向かってビシバシ突っ込むのを見て、
ただただ、くちパクパクになってしまった。

昔いた職場では、堂々たる意見や質問で会議を長引かせる男性に限って、
いざ、責任者や代表者を決める段になると、
『皆が平等です。民主的に』とか『女性に活躍の場を』などと言って、
自分が引き受けないことを多弁に正当化しようとしたものだったが、
昨日の人たちは、そのように入り組んだ思考回路はしていなかった。
大きな声でハッキリ意見を言った人たちが
立候補及び推薦により、そのまま各役員になった。

偉い。これでいいのだ、かくあるべし、と私は思った。
数十人の人間が集まっていて、それぞれ適性も事情も異なるのに、
誰が役員になっても全く同じような組合運営が実現できる、
などというバカなことがある筈がない。
適任者は居て当然だし、積極的な意見のある人は遠慮せず前に出ていい。
そして、集団の中から誰かが代表として立ってくれたなら、
あとの者は基本的にその人を支援する立場を取るべきだろう。
他人に、責任ある役職について貰い、自分は気楽な背後にいて、
他人の仕事の不備に関して気づいたことだけを次々と指摘する、
というのは最も見苦しいことだと私は思っている。

それはともかく、昨日は一戸からひとりは出なくてはならなかったのだが、
東京から戻ったばかりの主人は仕事が多く、深夜帰宅がわかっていたので、
私が塾帰りの娘を拾い、滑り込みで間に合って出席した。
こんなところに子連れで来るなんて我が家だけだろうか、
と申し訳なく思ったが、私よりも更にあとに、
赤ん坊を抱っこして乳児の手を引いた若いお母さんが来られて、
「うちよりウワテがいた(^_^;)」
と、ちょっとホっとした。

娘は、私の隣の席で、『中学入試問題集 算数 6年』をやっていた。
話など全然聞いていないように見えたのに、管理会社の人が、
「それでは、どなたか立候補はありませんか」
と最初に言ったとき、娘が右手を挙げたので私は仰天した。
管理会社の人もサっとこっちを見た。
が、娘は、ただ、問題が全然解けないので、頭を掻いただけだった(爆)。

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昼過ぎから娘の塾の父母教室に行って、
夕方は娘の塾の送迎をして、
夜はマンションの管理組合設立総会に出席。

足底腱膜炎で歩くと痛いし、外は真夏日だし、
多忙でヘタりました。

また明日(--#)。

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約一ヶ月前、ピルエット(爆)をして痛めた左足首が、
その後、全然良くならず、それどころか、
18日の披露宴出席のときに8センチのヒールを履いたら、
その翌日から左足の裏まで痛くなってきて、
市販の湿布を貼ってみたが、どうにもならないので、
きょうは、観念して、整形外科に行った。

私「歩くと、左足首と土踏まずのあたりが痛いんです」
医「なんか、変わったことでもしましたか」
私「あのですねー。実は、家で子供とフザケて踊ってて、
 左足を軸にして、ちょっと、こう、くるっと回転したら、
 その翌日から、足首がぱきぱき言って、痛くなって」
医「ふ」

今、「ただのアホ?」って目が言ったよ

とにかくレントゲンを撮って来い、と言われ、
申し込み票を持って、私は院内の放射線科へ言った。
名前を呼ばれて入ると、技師の男性がいた。

技「台の上に上がって、左足出して、こう・・・」
私「はい」
技「そうそう。この角度で、ちょっと、じっとしてね」
私「はい」
技「痛いんですか?捻挫でもしちゃったんですか?」
私「ええ。バレエ踊ったんです。左足で、くるくる!って回って
技「ふは!」

今、完全にジョークだと思っただろう

結局、レントゲンには、大したものは写っていなかった。
勿論、昨年の剥離骨折のアトはシッカリと残っていたので、
歩き過ぎると、慢性的に痛みが出るのはあり得ることだ、
と先生は仰った。

足の裏のほうは、土踏まず付近を通る、なんとかいう腱膜の付け根が、
炎症を起こしているという、これも結構よく起こる現象だそうで
(帰宅後に調べてわかったが、『足底腱膜炎』という名前だった)、
「足をよく休ませて。あまり歩かないように」
と、先生は仰った。

困るな~。歩かないともっと太っちゃうよ~(T.T)。

薄いモーラステープを処方され、家でそれを貼って大人しくしていろ、
という指示で、またどうでも痛かったら来なさい、と先生は仰った。
『当分、踊ったりしてはいけませんよ』
などと言い出すくらいに付き合いの良い先生だったら、
次からご指名で来て差し上げようかと思ったんだけれど、
そういう気の利いた注意事項は、残念ながら、無かった。

河岸を変えて、今度は鍼灸院に行ってみようっと。

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ときどき、血圧の具合を診て貰っているクリニックで、
きょう、まったく予定していなかった血液検査を受けた。
実家の母がここ数年、甲状腺機能低下症になったので、
私も遺伝的にそのような心配がないだろうか、
と、ついうっかり訊ねたら、
「血液検査をさせて頂くチャンスを待っていました」
と先生は、渡りに舟という笑顔で検査指示を出されたのだ。
この先生は、もともとアレルギー性疾患やリウマチの専門家なので、
この機会に、甲状腺のほうは勿論のこと、リウマチ因子や、
腎臓のなんとかいう値や、様々な項目を調べたい、とのことだった。

ったく、本心を言えば、血液検査なんてうんざりだった。
甲状腺もそうだが、肝機能とか血糖とか、その他、いろいろと、
ロクでもない結果が出るんじゃないかと思うだけで、とても憂鬱だ。
私はたとえ病気になっても絶対に「告知」なんてされたくない、
知らないでいられたら幸せなのだから、症状がない限り病院に行かない、
という考えで暮らして来た筈だったのに、最近は不本意なことに、
なんだか、なし崩しに、次々と検査を受けるハメになっている。
去年も、子宮頸癌・子宮体癌の細胞診のほかに、
骨盤内MRIと子宮鏡とマンモグラフィーを受けたよな(--#)。
ああ、バカだった、甲状腺がどうのなんて、言い出すんじゃなかった。

だが、私のそのような内心を知ってか知らずか、
このクリニックの看護師さんはとてもいいヒトで、
翼状針で私の手の甲から血管を探しながら
(肥満しているから腕から血管なんてとれないのだ(--#))、
「白くて、本当に綺麗な手ですねえ」
と、こちらの気分を良くさせるようなことを言ってくれた。

それで、私も、ついサービスしようという気になり(?)、
「私、実はRhマイナスなんです」
という話をし、妊婦検診で初めてそれを知ったいきさつを語った。
妊娠12週にもなって初めて血液型を確認したら、
思いがけずRhマイナスとわかり、それから先生が大騒ぎして、
私のカルテに(-)という真っ赤なはんこを押したのだ。
そのカルテを見たとき、私はまだ、Rhマイナスとは知らされていなかったので、
「この赤いハラボテ印みたいのは、何?」
と思ったものだった(爆)。

・・・というオバカなエピソードに、きょうの看護師さんは、
「え~っ。すご~い!そうなんですか~~!!」
と予想以上の反応を示してくれた。そして彼女は続けて言った。
「私、マイナスの患者さんから採血させて頂くの、初めてなんですよ!
大当たり!って感じです。きょうはイイこと、ありそう!」
そ、そう(^_^;)?
いやそこまで言って頂くと、マイナスに生まれた甲斐もあるってもんです。

さて帰り際、会計で支払いをしようとしたら、
「今日は、検査をなさっていますので、10080円です」
ウゲ。どないな検査内容や(T.T)。
予定外の検査を受けてしまったことで、
私は帰り道、所持金976円になってしまった(T.T)(T.T)。

バスに乗ったら、携帯にメールが来た。実家の母からだった。
「お父さんが、原爆検診の胃がん検診でひっかかり、
来月、精密検査を受けるようにと言われました」

今度は、こっちか(爆)。
精密検査というと、きっと胃の内視鏡だな。
大学病院のが、管が細いし、麻酔して貰えてラクだと
いつぞや舅が言っていたが・・・。

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和央ファンのお友達みかんさんが、
たかこ(和央ようか)さんの退団記念に、
Flashアニメ 『タカハナ!』を制作なさいました。
リンクフリーということなので、URLを貼っておきます。

登場する場面は、私も実際の公演を観たものばかりで、
そのときどきの思い出が蘇って、とても懐かしいのだが、
何より私が心打たれるのは、ファンがスタンディングしている客席と、
I know you can fly の歌詞とともに飛ぶ「WING」の白いたかこさん、
そして、たかこさんの入り待ちをする、花の道のファンの姿だ。

私の目線はほぼいつでも、客席後方か、二階席からのもので、
たかこさん本人だけでなく、彼女を見つめる観客の姿をも込みで、
私は観劇のたびに、大劇場全体を眺めて来た。
ファンがどのような視線を舞台に送り、
たかこさんがそれにどう応えるかを観るのが、私はいつも大好きだった。

WINGは、たかこさんの落下事故があって途中で終わってしまっただけに、
いっそう、一瞬の夢のような舞台だった気がして、私は忘れられないし、
あのオープニングで、彼女が飛んだときの、真っ白な、
あまりに綺麗だったシルエットは、今も強く印象に残っている。
公演期間を全うできなかったことが理由なのか、このショーは、
たかこさんの公式的な舞台歴には掲載されないこともあるくらいだが、
みかんさんが、この幻のようなショーを、敢えて取り上げ、
flashの一番重要な場面のひとつとして挿入していらっしゃるところに、
私は彼女の、ファンとしての「愛」を感じた。

そして、花の道の風景。これも私には胸痛むほど懐かしいものだ。
私が一番、入り出に通ったのは、実はたかこさんが二番手の頃で、
当時、私は神戸在住だったから、毎日でも行けたわけなのだが、
これがなぜか、コートを着ていたような季節のことばかりが、
断片的な記憶として、今でも、心の中に残っている。

花の道の場面として、みかんさんが構成なさっているのは、多分、
たかこさんが怪我後に初めて皆の前に姿を現した、2月10日の、
お稽古入りの絵だと思うのだが、
私は、それとともに、自分が実際のあの場に通った7年前の日々を
このうえなく懐かしく重ね合わせて、見せて貰った。

背景のパーツ、色の選び方ひとつに至るまで、
ファンならではの仕掛けがしてあって、
最初から最後まで、みかんさんの「愛」が溢れている作品だ。
ファンの想いをかたちにして下さった、みかんさん、
そして素敵な曲を提供して下さった、ゆうきさん、
きらきらと切ないひとときを共有させて頂きました。
本当に、ありがとうございました<m(__)m>。

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 転娘みーちゃん、詠(よ)める――

  朝起きて テレビを見たら 警報だ
  だが連絡網で 学校来いと

今朝は広島呉地区に「大雨洪水」警報が出ていて、
7時の時点は自宅待機だったのだが、
8時過ぎに、警報は解除されないまま、クラスの緊急連絡網で
「10時半までに登校」との職員会議の決定が知らされてきた。
娘は大いに落胆しつつ、学校に行った。ご愁傷様。
結局、広島に関しては、たいした雨は降らなかったので、
先生方の決定は正しかったと思う(^_^;)。

きょうは本当はプール指導のある日だったのに、悪天候のために、
学校はあるのにプールは中止で、娘はそれにも不満だった。
だいたいが運動神経のない、どよんな娘だが、水泳だけは好きで、
クロールでも平泳ぎでも25メートル泳ぐことはなんでもないので、
プールの季節だけは、体育で余裕をコいていられるそうだ。

しかし、娘がそんなことを今、言っていられるのは、
彼女が小さい頃から私が早期教育(爆)を試みた成果なのだ。
あんよも出来ない赤ん坊の頃から、ベビースイミングに連れて行き、
2歳半から子供達だけのクラスにうつって、
娘はイヤがって大泣きしたけれども、私は絶対に許さず休ませず、
プールだけは真面目に通ったものだった。

しかもそのプールは、地区では有名な英才教育のスクールだった。
そりゃ厳しかったとも。指導には一切の妥協がなかった。
子供が泣いてもコーチは全く動じないし、
脱走する男の子も、コーチに拉致されプールに放り込まれていた。
課題となっている項目が全部クリアできるまで、
絶対に進級が認められず、同じ級を半年でもやらされたものだ。

尤も、私がそのスクールを選んだのは、単に、
他と違ってスクールバスが家の前まで来ていたから、というのが理由で、
娘を将来、水泳選手にしたいと思ったことなど一度もなかった。
休まず真面目に通ったというのだって、熱意があったというよりは、
実は幼稚園にさえ行っていない年齢だったから限りなく暇だったのと、
私自身が、プールで出会うお母さん方と喋るのが楽しみだったのが、
まあ、主な動機付けだった。

(ここで知り合ったお母さん方のうちのひとりから、
『水泳と音楽と英語さえできたら、学校はとりあえず楽勝や』
と恐ろしく的を射た発言を聞くこともでき、収穫が大きかった(殴))

娘は、今、
「あのとき頑張っておいて良かった。泣いたときもあったけど、
休んだりしなくて、続けていて、本当に良かったと思う」
と言っている。
「あれだけ叱られたお陰で、転校とかのいろんなことに耐えられた」
とも。(↑ほんとかよ(逃))

小さいとき、親の考えだけで子供に厳しい生活を課し、
ひとつのものを習得させようとした場合、
何かの偶然で良い結果がでると、
「親の熱意があればこそだった。つらかったが頑張って良かった」
と、ちょっとした美談みたいな話になるわけだが、
何かの拍子に失敗して子供が曲がったりすると、
「幼い子に親のエゴで無理強いしたから、子供は犠牲になった」
と責められることになるのだろうな、ときょうは改めて思った。

この、「何かの偶然」「何かの拍子」というのが、
些細なことだが、大事なところなのかもしれない。
親としては子供を常に観察することしか出来ないわけだが、
育児においては、何が正解で何が誤りなのか、
そうそう簡単にわからないし、手探りなのは誰しも同じだと思う。

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元大関の北天佑急死、早すぎる45歳(日刊スポーツ)

昨日いちばんショックだったニュースはこれだ。
あまりにショックだったので昨日はすぐには書けなかったくらいだ。

私が格闘技が好きなことは既にバレているので隠さないが、
先代若乃花(間垣親方のほう・念のため)で相撲にハマった私が、
いちばん熱中して応援したのが、北の湖だった。
その北の湖と同じ三保ヶ関部屋の、弟弟子として、北天佑は、
私にとって決して忘れることの出来ない、印象的な力士だったのだ。

昭和59年、北の湖は既に絶頂期を過ぎ、引退が囁かれる中、
五月場所で奇跡の復活を遂げ、連勝で13日目を迎え、
この日も、横綱千代の富士との対戦で順調に13勝目を上げていた。
その大一番のあと登場したのが、北の湖と同部屋の大関・北天佑、
対するは横綱・隆の里(当時は横綱がこんなにごろごろ居たんですね、
しかも全員、日本人・爆)。

ここで北天佑が隆の里を下せば、13勝の力士はほかに居なくなり、
この場で、北の湖の24回目の優勝が決まる、という勝負で、
北天佑は結局、見事に期待に応えて引き落としで勝ったわけなのだが、
土俵を降りるとき、土俵下の控えにいた北の湖と目を見交わし、
日頃、ほとんど表情を変えない北の湖が、このときばかりは、
北天佑を見て、一瞬だがニっと笑ったのが、とても印象的だった。
私はこれを、手に汗握り、ずっと生放送で見ていたのだ(^^ゞ。

力業の相撲と、精悍な姿、それに響きの美しい四股名とが気に入り、
私は北天佑をかなり贔屓にしていたのだが、
次代の横綱になることは出来ず、徐々に勝負強さがなくなって
大関のまま引退してしまったのは残念だった。
だが彼は私の中で、ずっと、大切な思い出の力士のひとりだったのだ。
それがまさか、こんなかたちで急逝してしまうとは!

北天佑の名勝負の数々をこうして記憶していることが、
彼の、冥福を祈ることに繋がるかなと今は思っている。
それにしても、あの頃の相撲は私にとって本当に楽しかった。
後ろ向きに懐古しても仕方のないことだとはわかっているが、
ああ、本当に、良い時代だったなあと思わずにいられない。
そこで北天佑が果たした役割は実に大きかった。
二十山親方、ありがとうございました。

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演奏会:ポーランドのヤボンスキさん、ピアノ贈呈のお礼に(毎日新聞)
『ピアノコンクールの中でも最難関の一つ、ショパン国際コンクールで85年、3位となったクシシュトフ・ヤボンスキさん(41)=ポーランド=が23日、河合楽器製作所の竜洋工場(磐田市)を訪れ、社員らに演奏を披露した。入賞直後、ぼろぼろのピアノで練習する姿をテレビで見たカワイ音楽教室の講師らがカンパを募り、新品のグランドピアノを贈ったことへの恩返しという』

あのヤブウォンスキがもう41歳、というのに、まずビックリしたが、
私はこの85年の映像をテレビで実際に観ていたので、
そのこともとても懐かしかった。
考えてみたら、あのコンクールから、もう20年以上経っているのだ。

ここで話題になっている番組とは85年12月にNHKで放映された、
『第11回ショパンコンクール 若き挑戦者たちの二十日間』だ。
映像の中で、ヤブウォンスキは、確か半円形の、骨董のピアノで、
しかも音がところどころ変なのを「おかしいよね」と笑いながら、
ほかの楽器を調達しようにも手に入らない状況の中、
狭い自室アパートで、ひたすら練習していたものだった。

ヤブウォンスキは、ツィメルマンと同様にヤシンスキ教授の門下で、
当時、地元ポーランドの期待を一身に背負った新星だった。
だのに、社会主義政権下のポーランドでは、
こんな、国を挙げて支援してもいい若手にすら、
満足なピアノひとつ、与えられないのかと驚いたものだった。
日本はとっくに、趣味で弾く人でさえ自由にグランドピアノを選び、
楽器店で購入して十分な調律をして貰えるご時世になっていたのに。

尤も、私はあの時、ヤブウォンスキの何が一番印象に残ったかというと、
その自宅ピアノのことよりも、やはりコンクールの予選映像のほうで、
彼が二次予選で、80年のポゴレリチと同じ、
ポロネーズ第5番を選択していたことに、大変注目したものだった。
『若き挑戦者たちの二十日間』と並んで、もうひとつ、
『芸術劇場:第11回ショパンコンクール』という番組も
一週間遅れくらいで放映されたのだが、
そこで聞いたヤブウォンスキのポロネーズは、
ポゴレリチに骨の髄まで毒されたばかりだった私の耳には、
「速度が足らん!」「あっさり弾かないで!」「ひっぱらんか~!」
と、終始一貫、欲求不満の残る出来と感じられたものだった(殴)。

しかし、随分後になって、引越荷物の中にあった『芸術劇場』を発見し、
十年ぶりくらいにこのポロネーズを聴いてみたら、
実は、大変に骨太な、堂々たる演奏だということが初めてわかった。
モノはビデオなのだから、ヤブウォンスキの演奏が変わった筈がなく、
この頃には私のほうが、ポゴレリチの呪縛を時に引き離して、
頭を切り換えて他の演奏家を味わえるようになっていたのだと思う。

『カンパの発起人の1人で浜松市に住む遠山真理講師は「あのころより精かんになった。パワフルな演奏が聴けて良かった」と喜んでいた』

あれから二十年、今、私も、この記事を読んで、
ヤブウォンスキの演奏が、とてもとても聴きたいと思った。

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全国有数の進学校 親の期待と厳しい競争 奈良放火事件(朝日新聞)

『奈良県田原本町の母子3人が死亡した火事で殺人・放火容疑で逮捕された高校1年の長男(16)は、事件当日に予定されていた「学年保護者会」を強く意識していたと供述している。通っていた学校は全国有数の中高一貫の進学校。親の期待と厳しい受験競争のなかで、長男は何を思っていたのだろうか』
『学年保護者会がプレッシャーになっていた可能性について校長は「その件についてはまだお答えできない。ただ、学校としては保護者に成績を渡すことは当然のことと考えている」と話した』

私自身は、こういう物凄い進学校というものに、
これまでの人生、完全に関係ない暮らしをして来たので、
彼らの実態がどのようなものかは、推測するほかないのだが、
多分、小学校や中学校では並ぶ者もなかった秀才ばかりが、
厳しい受験勉強を経て、この学校に入学して来るのだろう。
そうしたら、その中で、また1番からビリまで順位がつくのは、
どうしたって避けられないことであるわけだが、
今まで悪い成績なんて取ったことがない生徒にしてみれば、
初めてビリにでもなろうものなら、絶望的なことと感じられるのだろう、
というのは、まあ、だいたい想像できる。
この少年が実際にはどの程度の成績だったか知らないが。

しかし、だからと言って、そもそも、学力で競争させることが悪だ、
という発想には私は賛成しない。
不本意な結果になったときこそ、「生きる力」を試されるわけで、
親も子も、そこから何を学ぶかが実に大切なところなのだ。
話のレベルが違い過ぎるので、大きな声では言えないが、
私は娘が中学受験を決めたときから、いちばん繰り返し考えているのは、
合格したときのことではなく、全落ちに終わったときのことだ。
合格なら、気分を良くして笑っていればいいだけだから簡単だが、
それより、落ちたときどうするか・それをどう受け止めるかのほうが、
子供にとっても親にとっても、よほど大事だと私は思っている。
ある意味ではそのときこそ、「合格」とは比較にならないほどの、
多くのものを学べる可能性が開けるのだから。

もうひとつ、この高校生の心の葛藤や、家庭環境の難しさについては、
見過ごせない問題点が多々あったことだろうとは思うが、
『保護者会がプレッシャーになったから悪かった』
みたいな言い方は、基本的におかしいのではないだろうかと私は思う。
学校長の話にも出ていることだが、
学校が生徒の成績を逐一、親に知らせるのは当然ではないか。
生徒たちは未成年であり、彼らに関する全責任は親にあるのだから、
学校が学業成績資料を親に提示しなかったら、
そんな学校を信頼して子供を預けることは、私ならできない。
成績を見て、子供にどう対するかは親の側の問題であって、
学校が悪いとは私は全く思わない。

いずれにせよ、勉強が出来ても出来なくても、
それぞれに、問題はあるものだということを、改めて感じている。
今夜の時点で考えたことは、この程度だけれども、
この件はまだこれからいろいろと報道されるだろうから、
また新たな問題点が、明日以降、指摘されるのかもしれないと思う。


(余談:おまいと一緒にすんな・不謹慎過ぎる!と言われるだろうが、
私だって、ド田舎の中学から田舎の高校に進学して、
高2の化学で128人中128番取ったときには、
さすがにキョーガクしたものだった(殴)。
親には絶対言わないで!と涙がチョチョ切れそうになった。
おそれた通り、いやそれ以上に、親は烈火の如く怒ったとも。
だって父は他校の化学の教員だったから(爆)。)

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夏休みの、娘の夏期講習の申し込みをして来た。
今行っている塾の、夏休み講座を受けるだけだから、
特別に新しいことを始めるわけではないのだが、
6年生ともなると、いよいよ入試に向けての夏!という感じがする。

夏休みは天王山、登った覚えがないのに9月には順調に下山した、
という一節を、某受験体験記で読んで私はオオウケしたのだが、
本当に、夏は疲れるばかりで、ツケだけが二学期に来そう、
という気が、今から、する(^_^;)。
そりゃそうだろう、尋常でなく暑い毎日を、バスで塾に通い続け、
残暑厳しい二学期には、運動会だの遠足だのと行事が目白押し。
これで疲れがたまらないほうがどうかしている。
夏の休暇は本来、家でゆっくり休むべきものではないか。
しかし私は小心者なので、夏期講習を無視する勇気などさらさらなく、
やはり娘は人並みに毎日塾に行く、という夏休みになりそうだ。

尤も、娘のお世話になっている塾は、かなりユルい。
広島の中学受験だけに的を絞っている塾であり、
広島には、東京でいう御三家クラスの超難関校は一校もないため、
「必要なことだけ出来ていればいい」
という考え方から、子供に無理はさせない塾なのだ。
だから夏休みも、毎日あるとはいうが授業は午後の3時間半ほどで、
しかも、必修講座はお盆前までで終わり、という予定になっている。
オプションもあるにはあるが、このあとの後半の講座10日間を、
取りたい人は取るというだけだ(さすがに6年は全員取るんだろうが)。

勿論、頑張る子はどこまでも頑張るのだろうから、
塾の予復習だけで満足せずに、自分でもっとたくさんの勉強をしたり、
場合によっては塾の掛け持ちをする子だっているのかもしれない。
そうやって人より一歩でも先んじた者が入試を制する、
ということになるのだろう、と私のような親でも思う。

だが、まあ、私は娘に関しては、どっか受かればええねんけどな、
という感覚があるだけで、別に人より先んじなくてもいいと思っている。
先んじようったって無理かも、という根本的な問題もあるが(爆)、
そもそも入試結果には「合格」と「不合格」の二種類しかないのだから、
要は、とりあえず「合格」になれば、「どういう合格」なんて問われない。
1番で受かることと最下位で受かることに、質的な差はなく、
どちらも「ただの合格」でしかないのだから、そんなら、
よけいにしんどい思いをするほうが、アホらしいのではないか、
と、けちな関西人である私は思うのだ。

「ビリで通ったほうが、コストパフォーマンスがええやん」
と言った私に、真人間である娘が言った。
「おかーちゃん、その考えは、とても危険でス」

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