転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



約一年ぶりにTOEICを受けに行ってみたのだが(→前回の記録)、
TOEICの本番がどういうテストだったかかなり忘れていて(爆)、
その場になって、実力不足だけでなく練習不足を実感した(殴)。
以前もやった手持ちのTOEIC対策本は一応やっては行ったのだが、
本番同然のTOEIC模試的な問題集を、こなしておくべきだったと思った。
なんだか去年もこんなことを言っていたような気がするが(汗)。

特にきょうは、Listening SectionのPart3に入るとき、
それまでのPart1とPart2には例題による練習があったのに、
Part3には無いというのを完全に忘れていて、
選択肢を眺めながらボンヤリとInstructionsを聴いていたら
いきなり本番になって、焦った。
最初の三問は、このボケと動揺のせいで捨てたも同然だった(泣)。

Readingは、これまで多かったPart5の雑な読み飛ばしによる失点を防ごうと、
今回は十分に文法的な根拠を確認しつつこのパートををやっていたのだが、
そのために案外時間がなくなって、Part7でやむなくスピードアップした。
Part7は基本的には、ちゃんと読みさえすれば解けるように出来ているのに
ここで時間を気にせねばならなくなったのは、明らかに作戦ミスだった。
全問、最後まで読んだうえで解いたが、途中いくつか、
『詰め上がった』確信がいまひとつ無いまま妥協したのが数問あった。

不本意なスコアが来ると思うと良い気分ではないが、まあ仕方がない。
正面からTOEICに向き合わずに、結果のことだけグズグズ言っても何にもならない。
それに今の私の人生において、TOEICの出来不出来は本来的には些細な問題だ。
こんなことが重大事なんて私も結構な御身分になったものだと我ながら思う。
介護や、家族や自分の健康問題に較べたら、TOEICはまだまだ取り返しがつく。
しかも娘の学業成績の悩みと違い、これは私が自分でやるだけで解決できる。
何より、検定試験のたぐいと違って、一年じゅういつでもやっているうえに
「不合格」のないのが、TOEICの良いところだ(^o^)。



<付:11月22日>結果: L470 R440 Total 910

測定誤差は考慮するとしても、とりあえず900overだったのは良かった。
しかしRは、随分キッチリやったつもりだったのに案外良くなかった。
次の機会には、TOEIC公式問題集を勉強したうえで受けてみたいと思った。

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・チャボ(仲井戸麗市)と土屋公平による『麗蘭』のライブが
12月28~30日に京都・磔磔であるというお知らせがチャボFCから来た。
恒例・年末家族旅行の時期ではあるし、行きたい!と思うのだが、
しかし、当たり前のことながらスタンディングなのである(汗)。
迷う(殴)。

・娘はきょう学校で何やら模擬試験があった。
できんかった、と怒って帰ってきた。
仕方ないだろう。お世辞にも勉強しているとは言えないのだし。
しかし、『できなかった自分に腹が立つ』のは非常に良いことだ。
こういうことが無いと、人間は伸びないのだから。

・ここ数日、気温が下がって寒かったが、きょうは緩んだ。
台風が日本に近づいて来たが瀬戸内海は直撃を受けず、
週末は雨という週間予報も外れ、きょう明日はむしろ好天のようだ。
娘は『ひろしまフード・フェスティバル』に明日行くと言っている。
ひろしまフードフェスティバル2010

・拙サイト内の、ポゴレリチの演奏会スケジュールを更新した。
来年前半にかけて、ソロ・リサイタルよりも協奏曲や室内楽の方が多い。
ショパンの協奏曲など、弦楽四重奏団との室内楽の形式で
最近は繰り返し取り上げているようなのだが、
これをレコーディングする気はないのだろうか。
室内楽という単位のものは、過去にも全くディスクにしていないので、
ショパンのホ短調協奏曲など入れてみると良いのではないか、
と私などは思うのだが、それは安易な考え方なのかな(汗)。

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本当はなりたい「すっぴん美人」(独女通信@livedoor)

上の文章を読み、お化粧することを面倒だと思っている女性は、
案外多いのだな、と私にしてはひとつ発見した思いだった。
私は現在、滅多に化粧をしない人間なのだが、
私以外の大半の女性は、家から出るときにはメイクしているようなので
皆、お化粧が基本的には好きなのかと思っていたのだ。

私が化粧をするのは『人に会うことがわかっている外出のとき』だけだ。
人に会う予定のない外出、つまり買い物などの用足し程度のことは、
常に素顔のままで出かけている。
断っておくが、私が化粧をしないのは『すっぴん美人』だからではない。
というか、そもそも、塗ったって私は別に大したモノになりはしない。
塗ろうが塗るまいが、私本人のレベルは同じくらいに低いのだ。
ただ社会通念として、全く化粧をしない中年女は稀だろうから、
一応私も、「最低限は塗ってます」という雰囲気を作っているだけだ。

そもそも私が嫌いなのは、自分の顔にモノを塗りたくる感触だ。
ファンデーションをつけるのが、とりわけ気色悪い。
そうやってさんざん塗りつけたものを、今度は夜にクレンジングで
ベトベトと落とさなくてはならないのが、これまたキモち悪い。
塗って・はがして、と繰り返すなど、肌をいじめているとしか思われない。

私の理想は、朝起きて石鹸で顔を洗い、ニベヤか何か、
そのへんの普通の乳液だけつけて、それで一日過ごすことだ。
夜もまた石鹸で洗って、同じ乳液で保湿して、そのまま寝るのがいい。
だから、現在はほとんど毎日をそうやって過ごしている。
化粧だけでなく、スキンケアと称して何段階もいろいろなものをつけるのも、
それだけでうっとうしいから、しない。

しかし日本の世の中には、『成人女性で化粧をしないのは社会人失格』
というのに近い感覚があるように思う。
以前、ネットの掲示板でも、化粧していない女性について、
『非常識である』『失礼だ』『あまりにもだらしがない』
という意味の意見や感想が書かれていたことがあった。
また、男性が朝、目覚めたとき、既に妻が化粧を済ませていることを、
見事な妻の心構えだとして、称賛した文章も読んだことがある。
夫に素顔を見せないくらいの妻を持つことは、男性の幸福であるようだ。
(だったら、うちの転夫は日本で五指に入るくらいの不幸者かもしれない。)

ファンデーションを塗らない肌は、つるつると光っていて、
化粧していないことは一目でわかるから、
私は、前述のように外出先で人に会うことになっているときだけは、
相手に不快感を与えないために、とりあえず塗って行く。
あとは眉毛を描いて、チークをはたく程度だ。
口唇炎になって以来、口紅が一番有害だと医師に言われたので、
最近はリップクリームも全部やめて、プロペトというワセリンを塗っている。
見た目がどうのより、唇がヒリヒリになるのはもう御免だからだ。

***************

しかし、以上の文章は「私が自分で自分の顔にモノを塗ること」の
気持ち悪さを語っただけであって、世の中の化粧全般を否定する話ではない。
私は、綺麗にメイクした美しい女性たちを眺めること自体は嫌いではない。
洗練されたメイクアップというものは現にあると思うし、
それだからこそメイクアップアーティストという職業も成り立つのだ。
時間をかけてお肌のお手入れをし、顔立ちを活かしたメイクをする女性を
私はオシャレで素敵だなあと思っている。

更に私は、メイクをする男性だって好きだ。
忌野清志郎もフレディ・マーキュリーも愛している。
UnmaskedよりメイクありのKISSのほうが私には強烈に魅力的だ。
ブルーノ・レオナルド・ゲルバーも素晴らしい。
化粧がなかったら、彼らはあれほど輝いてはいなかったかもしれないと思う
(DVD撮影の逸話としてポゴレリチが『お粉をはたかなきゃ』
という言い方をしていたのには笑った)。

一方で、化粧というものの内容や手順は、流行や時代を反映しているので
現在、基準とされているメイクの仕方は、案外寿命が短いかもしれないな、
ということも、時折、考えることがある。
数十年もあれば、化粧の仕方や、良いとされる仕上がり具合が
今とは随分、違ったものになる可能性があるだろうと思うのだ。
今でさえ、バブル期のような極太眉毛の女性は、もういない(^_^;)。

そういえば、小説『風と共に去りぬ』で、スカーレットが
「化粧品を買って来て頂戴」
と頼む場面があるのだが、この言葉を聞いたとき乳母のマミーは、
「あなた様がそんなに大きくなかったらムチでぶってやるところだ。
わしは、こんなにびっくりしたことはねえだ」
と言って、大反対をしている。
南部の淑女の間では、化粧をするのは下品な女だけと見なされていて、
「かわいい御嬢様がそんなものをつけているとみんなに知られたら、
わしは恥ずかしくて死んでしまいますだ」
とマミーは言っている。
このときのスカーレットは、既に結婚歴があり子供もいる女性だ。
それでもマミーは、スカーレットが口紅を使うことすら許さない。

魏志倭人伝には、『(倭人は)男子大小となく皆鯨面文身す』とあり、
どうも3世紀頃の日本の男は、大人も子供も、
顔や体に入れ墨をし、墨や朱や丹を塗っていたらしい。
21世紀の今では、赤や黒を顔に塗る男は普通の社会人ではないし、
刺青なんかがあろうものなら、温泉だってお断りなのに。
もっと時代が下ると、男女問わず「お歯黒」などというものもあった。
『平家物語』の平敦盛だって、熊谷次郎直実に討たれたとき、
「薄化粧・お歯黒」で美しかった、という意味の描写があったはずだ。
高校生くらいの男の子が命がけで戦場に行くのに、
メイクアップして歯まで染めていたとは、今なら奇抜過ぎて、どん引きだ。

色がついていることが必要だったり、あったら逆にマズかったりと、
人間が何をヨシとするかは、実によく移り変わるようだ。
とは言え、まあこの先、私のようなオバさんの手抜きノーメイクが、
再び市民権を得るようになるかどうかは、全然不明なんスけど(^_^;)。
ちなみにうちの主人は、私が何かの拍子に化粧などしていると、
「どしたんっ!?妙にハッキリした顔して!!」
と本気で驚く。いやはや。

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「ここでジャージはいたら負けになる!」
と主人はワケのわからぬことを言っている。
一昨日あたりから急に気温が下がったので、
娘や私はサッサと半袖をやめて長袖Tシャツにしたのに、
主人は家では未だに、半袖半パンツで暮らしているのだ。

『負けになる』と主人は言うが、
一体、何をそんなに頑張って勝負しているのか私には不明だ。
暑ければ脱ぐ・冷房する、寒ければ着る・暖房する、
という手段が、ごく手近にあるにも関わらず、
わざと行使しないのを『勝ち』と定義するなんて、
私にはあり得ないことだ。

ヒラたくいうと、どう偉いのか、ほとんどわかりません。

まあ何に値打ちや生き甲斐を見出すかは人それぞれで、
『がまん大会』の類を尊ぶ人種は世の中に多いし
(だからあんなに大食い番組が流行るのではないか?)、
主人にしても、ここで『勝ち』になれば得るものがあるのだろう。
・・・と、一応想像してみるのだが、しかし私に言わせれば、
『勝ち』の結果に、『頻尿』『鼻炎』が付随して来るなら、
たいして価値のある『勝ち』とも思われない(シャレではない)。

私は抵抗しないし、気温と勝負もしない。
自分が心地よく、ラクであることをとても大切に考えている。
寒いと感じたなら、何月だろうと冬並みの格好をすればいいと思っているし、
暖房でもなんでも、必要と思った日から使う。
健康法と言ったら大袈裟だが、私はそれできょうまで生きながらえてきた。
温めるのも冷やすのも、気持ちが良いと思うことが自分にとっての正解です、
と鍼灸の先生だって仰っていたではないか。

しかし、私の選択の適切さは、多くの場合、証明されない。
なぜなら、『勝ち』をおさめた人間が、最終的に風邪を持ち込み、
それが私に時間差でウツるからだ。
先にひいてなおった人間は、あとから寝込む私を見て、
「いちばん着込んどったのに、やっぱり風邪ひくんじゃね(^o^)」
と嬉しそうに言うのだ。
ウィルスを招き入れるヒトがいなければ、私のこの風邪は無かった、
と言いたいのだが、それは仮定法の話でしかなく証明不可能だ。
毎年のことだ。今年も、いずれそうなる。

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なんとなく街中がそろそろクリスマス気分になり始めた昨今、
うちのポインせっちゃんは、どうしているかというと。

9月には、この状態で、これでも結構育ったもんだと
当時は感心していたのだが、それどころでは済まなかった。
あれから、なんら手を下さずに、育つに任せていたら、
今や、せっちゃんは、写真のようなモノになり果てた。

ポインセチアの育て方として、『スタイルの悪い例』の典型だ(汗)。

全く刈り込むようなことをしないで放置していたので、
そのへんのお花屋さんで商品として置いてあるポインセチアの、
カルく三鉢分くらいのボリュームが、なんと横に広がっている。
しかも、短日処理など施していないので、
未だに、赤い葉っぱが全く出ていない。
いや~、凄いですね(笑)。
ポインセチアって、育つままにしておくと、こうなるんですね。
齢四十六にして、私、初めて知りました。

でも、
『これはもう、ポインセチアじゃ、ないじゃないか』

……などと言う、高村光太郎みたいなヒトは周囲に居ないので、
ワタクシは相変わらず、せっちゃんをのさばらせている(笑)。

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割と最近まで、私は『どや顔』というのは、
何か『ドヤ街』に関連のある語彙なのだろうと、誤解していた。
響きの点からも『ドヤ街』によく似ているし(笑)、
よもや、関西弁の『どうや!』がこんなところに登場しているとは
考えもしなかったのだ。

そうなのだ。
『どや顔』とは簡単に言えば『得意顔』のことで、
『どうや!と言わんばかりの顔』、『どんなもんだ!と自慢そうな顔』、
くらいのニュアンスだったのだ。

皆様、特にご年配の方々、ご存知でしたか(苦笑)?

これがもし、関西弁を使う人だけが言う言葉だったら、
私だって、なんら違和感はなかったと思うし、
もっと早く誤解が解けていたと思うのだが、
私が最初にこの言葉に触れたとき、使っていた人は、
全然関西人でもなんでもなく、
おそらく本人は日常、「どうや!」などと言うはずもない人だったので、
私には意味が伝わらなかったのだ。

「どうや!」と言わない人が、顔だけは「どや顔」をする、
または他人の得意顔を「どや顔」であると表現する、
……というのは、私にはどうもこうも違和感がある。
「どうや!」が使用語彙でない地域の人たちの場合、
この言葉は「どや顔」であるべきでなく、
「どうだ顔」、もしくはここでの文法に従えば「どだ顔」ではないか(^_^;)。

ああ、いやいや、こういう規範的な考え方は、いけない。
言語学は基本、ありのままを受け止める、記述的なものでなくては(爆)。

「どや顔」が全国的に受け入れられたというのは、
やはり、この言葉でないと表現できないものがあったということだろう。
調べてみると、関西では昔から俗語としては存在していた言い方で、
今のように広まったのは、2007年前後に、
明石家さんま・あるいは松本人志、がテレビで言って以来だ、
ということらしかった。

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センター入試、難易度別に2種類 16年導入を検討(朝日新聞)
『大学入試センター試験を難易度別に2種類にする検討を、独立行政法人「大学入試センター」が始める。新しい学習指導要領で学んだ高校3年生(現在の中1)が受験する2016年1月実施が目標になる。えり好みさえしなければ誰でも大学に入れる「全入時代」が迫り、受験生の学力の幅が広がったことなどから、1回1種類のセンター試験で学力をつかむのが難しくなったためだ。』『現段階で想定されているのは、試験科目を主に国公立大(一部の私大も含む)の志願者向けのものと、私立大向けの基礎科目型に分ける2種類の試験。大学が二つのうちどちらかを選び、志願者が受験する仕組みが考えられる。両試験とも一定量は同じ問題を出し、それぞれの得点を換算できる仕組みにするという。』

うちの場合、娘が3浪だか4浪だかしない限りは(爆)関係ないが、
基礎科目型センター試験を受けることになる、などというのは、
受験生にとって屈辱的ではないのだろうか。
ハッキリ言って、「センター試験が2種類設けられる」というのは、
「受験前に偏差値的に『上半分』『下半分』に分類される」のに等しいだろう。
受験生の憧れるような、難関大やブランド私大と言われる大学が、
わざわざ「基礎科目型」のほうを選んで指定して来るとは思われない。

学校現場や受験生、保護者は、こういう方針を歓迎するのだろうか?
大学入試センター自らが「学力較差」を設定してきて、
その枠内で受験させられるなんて、私には良い印象が持てない。
1回1種類のセンター試験で学力をつかむのが難しくなった、
というのが本当だとしたら、それは試験制度が悪いのではなくて、
そもそもセンター試験の出題内容のほうに、欠陥があるのではないか?
また、二次試験の実施には事実上、制限がないはずだし、
推薦入試やAO入試など、大学独自の選抜方法も維持されているのだから、
センター試験が、厳密に万能であることを期待する必要もないと思う。
私には、これは要らない改革のように思われるが。

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昨日は、2008年10月24日に亡くなった友人の、
三回忌にあたる日だったはずだ。

もともとお互いに遠くに住んでいて、
主として思いついたときに、可笑しいメールを送り合うという関係だったので、
日常、彼女の姿を見かけないこと自体は、以前からそうだった。
何も特別に変わったわけではない、と言えば、まあ、そうなのだ。

今でも彼女の携帯は生きているので、
私からメールを送ることは、時々、ある。
近況報告や、見た舞台のことなど、
ほんの時折だが、送ってみる。

でも、当然のことながら、彼女からレスは、来ない。
以前から、気を使うことのない間柄だったので、
レスできない状況のときはあとでまとめて、というのも全然構わなかったが、
今はもう、「あとで」も、なくなった。
あの爆笑レスが、来なくなってしまって、久しい
(もし来たら嬉しいけど、でも多分、怖い(笑)。)

街中で、私の視界の隅を、彼女に似た人が通ることがある。
見直してみると、全く違う人だ。
演奏会の会場などで、彼女の声が聞こえることもある。
勿論、声や話し方の似ている、よその人だ。

でもなんとなく、彼女が近くにいるのかもしれないなあ、
と思うことがある。

きっとまた、別のかたちでだろうけど、会えると思っている。

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漢詩の会に通い始めて、頼山陽のマザコン三部作を知ったわけだが(笑)
その後も、山陽の漢詩を先生がいろいろと取り上げて下さっていて、
次回もまた、彼の作品を続けて読むことになっている。
それで、こういうつながりが、せっかく持てたのだから、と思って、
先日、見延典子氏の歴史小説『頼山陽』(上)(下)を買ってみた。
今、ちょうど上巻を読み終わったところなのだが、
大変読みやすい文体で、しかも非常に詳細に調べて書かれていて、
漢詩の会で取り上げられた詩のうち、いくつかについては背景もよくわかり、
今の私にとっては、まさに『出会い』の本だった、と大変感謝している。

頼山陽は母方の実家のある大阪で生まれ、後に京都で活躍した人ではあるが、
幼少時から青年期の初めまで広島城下で育ち、父方の生家は竹原市にあり、
広島県内には、彼の関連のある場所が今でもたくさん残っている。
運良く、今私は広島市内に住んでいるので、
そのうち時間のあるときに、いくつか見て回りたいと思ったりしている。

さしあたり、天気の良い平日に気軽に行ってみられそうなのは、これ↓だ。
頼山陽を知るなら、ここから始めるべきだろう。
頼山陽 史跡資料館
ちょうどこの秋には、頼山陽の「書」が多数、展示されているそうで、
日によっては学芸員さんの解説を聴くこともできるようだ。
……「学芸員」に憧れる娘を誘って、行ってみようか(^_^;)。

頼山陽の父親の生家は今の竹原市にあって、紺屋を営んでいたそうで、
今も、その一部は史跡として見学できるようになっている。
安芸の小京都 きてみんさい竹原(竹原観光案内)
頼惟清旧宅
重要文化財 「春風館」
「復古館」頼家住宅

また、頼山陽が若い頃に身を寄せた、菅茶山の邸宅が
福山の神辺にあって、こちらも見学可能となっている。
菅茶山の詩も、漢詩の会では既に数多く取り上げているので、
こちらはこちらで、頼山陽とはまた別に興味深い漢詩人でもある。
郷土の誇り 菅茶山(神辺町観光協会)
廉塾ならびに菅茶山旧宅
菅茶山の墓

頼家の墓は、広島市内南区比治山の多聞院にあり、
山陽の両親や叔父・長男などの墓がある。
戦後に再建された山陽文徳殿も多聞院に隣接した敷地にある。
比治山多聞院

ほか、山陽の父・頼春水が、浅野長晟(ながあきら)の命により、
『縮景園』の園内名勝に、漢籍の素養をもとに様々な名をつけたことが、
今も記録されているので、これらももう一度、味わう機会が欲しいと思っている。

縮景園
縮景園造園の際、藩主・浅野長晟は、
文化元年(1804) 頼春水らに園内名勝三十四景の名称を付けさせる。
文化3年(1806) 頼春水に「縮景園記」の執筆を命じる。
文化4年(1807) 頼春水「題縮景園詩五首」を詠ず。

広島市内にはこのほか、至るところに頼家由来の史跡があり、
また宮島や鞆の浦など、山陽の立ち寄った場所として知られたところも、
今後、訪ねる機会が得られたら、今までとは違う感慨を持って、
その風景を眺めることができるのではないかという気がしている。
特に、仙酔島と海の風景を、できれば時刻を変えて眺め、
その色彩の変化を楽しみ、山陽の詩の世界に心合わせてみたいものだ。

鞆の浦・仙酔島(福山市)

****************

頼山陽は、最初から、三都(江戸・京・大坂)のいずれかに出て
文筆で名を上げたい、という夢を持っていて、
若い頃には命がけの脱藩を企て、それを実現しようとしたほどだった。
大風呂敷を広げると、しばしば非難された山陽だったが、
どれほど周囲の不興を買おうとも、彼はまた有言実行の人物でもあって、
彼はやがて京都に居を構えて『山紫水明處』と名付け、
歴史書『日本外史』を世に送り出すことになった。
京都観光の中心と言えるような史跡とは違うが、
山陽の書斎のあったこの家にも、私はいつか行ってみたいと思っている。

山紫水明處
京都市上京区東三本木の山陽の書斎。

頼山陽の墓所は、本人の遺言により京都東山の長楽寺にある。
京都東山 黄台山長楽寺

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朝から舅姑の墓掃除&墓参りに行き、
墓所の前からバスに乗って佐伯区の舅宅まで足を伸ばした。
お墓には定期的に行っていたのだが、舅宅まで出向くのは
本当に久しぶりで、先月は暑さのせいもあり全く行っていなかった。
・・・ので、雑草が凄いことになっていた(泣)。
もう、誰がどこから見ても、舅宅は廃屋そのものだった。

オマケに、家に入ってみたら、仏間の手前の敷居の上で、
一匹のゴキオがうつぶせに倒れていた。
触覚をつついてみたが、全然動かなかったので、
これは完全にオダブツだとわかった。
この家のどこにも、全く食べ物がなくなって久しいので、
さぞお腹がすいていたことだろう。
よその家とか(笑)、食料の見つかりそうなところに行けば良かったのに、
そろそろ見切りを付けて、河岸を変えよう、
などとは思いつかなかったのだろうか。
私たちが泊まりに来なくなって、もう一年以上になるというのに。

この家で生まれたゴキだったのだろうか。
ったく、頭の悪いヤツだ、と思ったが、
考えてみたら、ゴキたちがあの生命力に加えて知力まであったら、
人間のほうがあっという間に滅ぼされているだろう。
あいつらは頭が悪くて、ちょうどなのだ。多分。
ということで、ゴキオの亡骸を拾って、外の枯れ草の間に埋葬した。
と言えば丁寧に聞こえるが、要は外のゴミと一緒にしただけだ。
そして、家の正面だけとにかく草抜きして掃除した。
あまりにも廃屋然としているのでは、用心が悪いからだ。

そのあと、町内会長さん宅に下半期の町内会費を支払に行き、
再びバスに乗って中区のマンションに戻った。
きょうは朝からマンションの排水管清掃の業者さんが
全戸をまわることになっていて、うちは11時の割り当てだったので、
私が帰り着いたのはギリギリだった。

予定より少し早く、10時55分から業者さんがうちに来られて、
キッチンの流し台、洗面台、風呂の排水溝、洗濯機の排水口、
を専用の機械で清掃して下さった。
排水管そのものも普段は触れないところだから、清掃して貰えて良かったが、
更に、洗面台の周囲や洗濯機の下まで拭いて下さり、至れり尽くせりだった。
なかなか洗濯機を動かしてまで、その下を掃除することなど、
普段はできていないので、とても気持ちが良くなった。
ありがとうございました<(_ _)>。

そのあとは、娘が学校から帰ってきて、ふたりで昼食を食べ
(主人は朝から仕事で市外まで出かけていたので、昼には帰らず)、
今度は14時から市内の楽器店でピアノの試弾会を予約していたので、行った。
娘のほうは、美術教室の日だったので、私の出たあと勝手に出かけた模様。
今回は、ヤマハの新しいコンサートグランドCF4が初めて広島に来ていて、
30分ほど弾かせて貰ったが、要求通りに良く鳴ってくれて面白かった。
低音部が部分的に、こもって響きが悪いような?と感じる箇所もあったが、
高音のコントロールのしやすさは、とても良かった。
私のように下手な人間が弾いて「良い」と感じるのは
やはりそれだけ楽器が上等だということだと思った。

きょうは更に、友人某氏から『広島いけばな代表作家展』の
ご招待を頂戴していたので、試弾のあとは某百貨店に寄った。
大作もあれば、小さな花をあしらったさりげない作品もあり、
花が空間を彩るときの、アートとしての存在感を堪能させて貰った。

今でも思い出すのだが、十年以上前、神戸に住んでいたとき、
向かいの部屋の奥さんが、若いとき趣味でお花をされていた方で、
その頃も生協の宅配で花材を買っては、お部屋にいけておられたのだが、
これがなかなか味のある、良いお花だったものだ。
好きなように花を花瓶にアレンジするのも、それはそれで良いが、
やはりきちんと習って流儀にかなった生け方をすると、
花は物凄く完成された空間アートになる、
ということを、私は某官舎の某宅で目の当たりしたのだ。

もうちょっと身辺が落ち着いたら、私もお花を習ってみたいな、
と、きょうはたくさんの作品を眺めながら思った。
目安としては、娘が進学か就職で独立したら、だな(笑)。
花をいけることは家にいても出来るし、
自分が出歩けなくても、あるいは介護などの事情ができても、
花に触れることで、心が豊かになるのではないだろうか。
私に老後があるなら、詩吟と花、・・・いいかもしれない(笑)。

ということで、きょうは朝から出歩いて、用事が多かった。
華展の会場だったデパートで夕食の買い物をして、帰ってきた。
間なしに、仕事の終わった主人も帰宅して、ビールを飲むというので、
豆の揚げ物とフライドポテト、セロリのサラダを作って出したら、
なんだかもう、夕食が終わった気分になってしまった。
主人はテレビをつけたまま、寝息を立てて、目下、お休み中だ。
私も眠くなったな~(殴)。

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