転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



バレエスカートの話題のついで、というのでもないが、
私は最近、バレエ関連の、実にささやかなる念願をひとつ達成した。
それは「キトリのヴァリエーション」をピアノで弾く、ということだ。
キトリのヴァリエーションが踊れるようになった、
というのなら、もっとずっと格好いいのだが(^^ゞ。

この「キトリのヴァリエーション」は、
演目としても人気の高いバレエ『ドン・キホーテ』の、
グラン・パ・ド・ドゥに含まれている女性のソロで、
この部分だけでも、バレエ・コンクールでよく選ばれるし、
最近ではフィギュアスケートで中野友加里選手が、
確かこの曲をフリー演目で使用されていたと思うのだが、
私がこれを弾いてみたいと思った直接のきっかけは、
そうした、いわゆる舞台に感動したからではなかった。

それは、私が大昔、ド素人用お笑いバレエ教室(T.T)に行っていた頃、
エシャッペだかパッセだかの練習の背景に、
このキトリのヴァリエーションのメロディが使われていて、
私は踊ることによって、その軽快な音楽の魅力に目覚めたのだった。
こういう音楽を、自分でも弾いてみたい!とそのとき強烈に思った。

ミンクスとかアダンとかは、主としてバレエ作曲家としてのみ、
有名な人たちなのではないかと思うのだが、
それは音楽が音楽として単独の魅力を持っているというのではなく、
踊りを伴って自分で体感したときに、初めて良さがわかる、
という種類の音楽だからではないか、とこのとき私は感じたものだった。

・・・というと、なんだか高尚なハナシになってしまうが、
実は、私はもうひとつ、「ラジオ体操のピアノ伴奏をマスターしたい」
という希望も、以前から持っていて、どうも私は、
自分が体を動かすと、そのバックになっていた音楽に対して、
妙な思い入れを持ち、自分でも演奏したい、と思いつくものらしい。
『弾き語り』はあっても、『弾き踊り』は絶対できないと思うのだが、
私は一体、何がしたいんでしょうか(^_^;)。

キトリとバジルのグラン・パ・ド・ドゥ(YouTube)

ところで私は、これとは別バージョンの振り付けのキトリを
以前どこかで観たことがあって、そのキトリは、下手方向から登場し、
左右のルティレ(つま先を、もう一方の足の膝の内側につける振り)
を繰り返し披露して、最後はシェネでアラベスクか何かのポーズで終わる、
という、見た目には若干、地味めな踊りだった、という記憶があるのだが、
マリウス・プティパ以外の振り付けで、ほかに何が有名だっただろうか?
ヌレエフ版とかバリシニコフ版でなく、もっと古典的な振り付けで、
違うキトリがあったように思うのだが、どなたかご存知ありませんか。

追記:YouTubeで発見。これです。これもプティパ振り付け?なぜ違う?

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決着  


母が電話して来た。
「メールのね、思い出してん」
快挙だな(^^ゞ。

母「目ぇつぶる前に、家、かたづけとこと思うて、(←爆)
 こないだから、せっせと家ん中、荷物整頓してんねんけど、
 あんたの部屋に、『チャ*ット』って札のついた、
 ようわからへん、半円の、布があってん。なんやろと思うて」
私「*ャコット、か(^^ゞ」
母「薄いピンクで、ヒモついてて、肩掛けにしては大きいし」
私「それはな、腹にまくものだ」
母「・・・・・?」
私「バレエスカートだ、バレエスカート!」
母「はあ!そやったん♪」
私「私でもそーゆーものを持っていた時代があったのだ」
母「綺麗なキレやし、そこらへんを拭くもんでもないと思うて・・・」

化学ゾーキンと一緒にすな!!!

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きょうの午後、実家の母から携帯にメールが来た。
・・・ということに、着信音で気づいた。
見ると無題だった。で、メール本文を開いてみたら。



一文字だけかい!!!気色わる~~!!
『私』は、どうしたのだ。
『私』は見た、のか。
『私』だけが知っている、のか。

仕方ないから電話した。
呼び出し音が鳴り続けるばかりで、なかなか応答がなかった。
打ちかけてコトきれた文面だったんじゃあるまいな。

一旦切って、五分後に再度、かけなおしたら、
数回のコールののち、世にも呑気な声で母が出てきた。
良かった。とにかく生きていたのだ(^_^;)。

「あら、ごめんなさいね。あんたにメール打とうと思うたら、
 玄関に人が来て、またあとにしよと携帯のなんかを押したら、
 そのまま、イってしもて」

んなこったろうと思った。で、用件は、何だったんだ?
「ん~・・・。なんやったかな。忘れてしもた」

その案配だと、迷宮入りかもしれないな。
思いついたときに電話してくれたほうが、早かった(^^ゞ。

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市内の某私立女子中高の学園祭に行った。

中学受験と言っても、首都圏や阪神間とは異なり、
広島市内には私立女子校が全部で6校しかないので、
極端な話、難易度関係なく全部受験することも可能という状況だ。
なので今年は、娘の受験にかこつけて、
あっちこっちの文化祭や説明会に行ってみようと思い、
きょうは手始めに、西のほうにある、この女子校に行った。

私は前にも書いたが、田舎の、公立の共学の、
それも、それなりに偏差値の低い(爆)高校の出なので
こういう、きちんとした私立の女子校には非常に憧れがあった。
果たして、きょう行った学校は雰囲気も折り目正しく、
賢そうなお嬢さんたちがきびきびと働いていて、
教室の展示も真面目で意欲的なものが多く、
一言で言ってとても「立派だなあ」と感心させられた。

何より、学校内がとても静かだった。
勿論、人が大勢来ているのだから、それなりの喧噪はあるが、
収拾のつかない大騒動は起こっていなかったし、
講堂での演しものも管弦楽部による演奏会、と高尚(T.T)だった。
その他、ダンス発表はヒップホップで若い子らしかったし、
女子ばかりながら落研の高座もあって、頑張っているなあと思った。

中でも長蛇の列だったのは、「お化け屋敷」で、
暗幕で窓やドアが覆われていたので室内の様子はわからなかったが、
順番待ちの人たちが階段まで列をつくっていて、終わった人と、
「一時間半待つ価値あった?」(←90分待ちだったのか(^_^;)?)
「うん!最後のとこが、特に面白かった!」
などという会話をしながら、待っていた。

見ながら思い出したのだが、私の在学した頃の出身校は、
文化祭ではお化け屋敷などの「暗幕モノ」は禁止だったものだ。
理由は、男子が何をしでかすかわからないから(爆)。
そりゃそうだろう、暗幕張って教師から見えないようにした教室に、
他校の女子高生らがお客さんで来てくれたら、どーなるか(^_^;)。

娘は丁寧にほぼすべての展示を見、講堂もちょっと覗いて、
「これが学園祭なんだね~」
と、彼女なりに、何か感銘を受けた様子だった。だが、
「どう?面白かった?」
と帰り道、尋ねたら、
「いい学校だと思った。うどんが美味しかった
と、やはり食い物を基準にしないと学校を判断できない様子だった。

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舅宛に総合消費料金未納分出廷通告書が来たという話を書いたが、
ネットで検索してみたら、これは有名なサギであることがわかった。
私がざっとネットで見たところ、この件に関する記述は、
既に2005年初頭にUPされたものがあって、
その前の年から各地で散見されるようになったものらしかった。

滋賀県野洲市のサイトには、
架空請求ハガキの業者名公表してます!というページがあって、
架空請求業者名、対処の仕方、裁判所からの正式な通知との見分け方、
などが丁寧に書かれているので、関心がおありのかたはご覧下さい。

それにしても、我が家に来たハガキは、
何度も言うようだが物凄くヘタな文面だった。
多分、もう少しマシなオリジナル例文(?)が先にあって、
うちに来たのはそれを写し間違えたものだったのではないかと思う。
警察では、騙された方もあったという話だったけれども、
本当にあの文面で信じ込んだ方がいらしたのだろうかと不思議だ。
だとしたら、身に覚えがあるとか、以前裁判でイヤな思いをしたとか、
何か、特別な事情がおありだったということではないだろうか。

あんなもんでも著作権があるのかと思うので(爆)
ここに全文を写すことは控えさせて貰うけれども、
とにかく、小学校六年の娘でさえもが、一読して、
高齢者を狙った架空請求ですな
と見捨てたほどの稚拙さだったのだ。

哀れをもよおしたぞ(T.T)。

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先日、舅宅に帰っていた日の晩、
主人と喋っていて、じーちゃんの思い出話になったのだが、
「うちも、ちとは羽振りの良かった時期があった」
という話を、主人が、し始めた。

もう数十年前の話になるが、二輪業界の景気が今よりずっと良く、
舅のバイク屋さんも、それなりに儲かっていた時代があった。
それで当時、もちろんまだ若く元気だった姑が、
余裕のあるときに投資をしようと思ったのか、
『金の延べ棒』を買って来たことがあったのだそうだ。

その頃の値段でいくらしたのか知らないが、
主人の話によると、結構、ちゃんとしたものだったらしいので、
今時の、投資信託くらいの意味は、あったのだろうか。
姑が購入して、晩ご飯のときにそれを披露したら、舅は、
『ほんまに金かいの!?』
と疑わしそうな目をして、その延べ棒を手に取り、
おもむろに、ぐいっと曲げようとしたのだそうだ。

そうしたら、本当に延べ棒はクニ~と曲がった(爆)。
さすがに「金」だけのことはあって、延べ棒は変形しまくりだった。
『何すんね!!やめんさいや!!』
と姑は血相を変えて怒ったそうだ。
「あの延べ棒、それで、どしたんかな。
あれから見かけんから、どっかで手放したんじゃろうとは思うが」
と主人は笑っていた。

この話を聞いて、私も似たようなことを思い出した。
投資とは全然関係ないのだが。

それは元気だった頃の姑から聞いたことだ。
もう隠居してからの話だが、ある日、舅と姑は、
市内のデパートに買い物に行った。
するとそのときちょうど、家具売り場で、
ロッキングチェアーの販売会が行われていた。

『ゆらりゆらりと心地よい揺れでリラックスできて、
しかも安定性が良く、決して後ろに倒れることはありません』
と販売・説明担当の女性が言ったそうだ。舅は、
『ほんま?ほんまに倒れんのんじゃろうの?』
『はい、勢いよくお座りになっても大丈夫です』
『ほんまじゃの?』
舅は、それで揺り椅子に座ると、
『せーの!』
と振りをつけて漕ぎ、次の瞬間、
どーーーん!!!と真後ろにひっくり返ったそうだ。

私の話に、
「オヤジ、ほんまに、しょーのない人間やったのぅ」
と主人が腹筋を震わせて笑った。

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最後に、現マンションのリビングのカーテン。

さんざんわがまま言って作って貰った例の品だ。
初めて存分にカーテン道楽できて、とてもシアワセだ♪
現在の私の発想と経済力の範囲では、これが限界だっ、という(^_^;、
自分比で、精一杯のカーテンをとうとう実現させた。

だが、家族は私のコダワリに全く気がついておらず、
したがって特に評価もしていない。
完全に自己満足の世界だ(汗)。

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これも官舎で使っていたカーテン。
今のマンションは腰高窓が出窓になっていて、
こんなふうに窓枠の下まで垂らしたスタイルがダメになり、
仕方が無いからこうして舅宅の二階で使うことにした。

レースのほうはやはりこちらもボイルカーテンだが
多分、この生地の感じだと二倍ヒダだと思う。
ヒダ数は少ないが、裾のフリルが気に入って買った。

ドレープカーテンも某通販カタログで以前買ったもの。
官舎時代、このドレープカーテンが届いて
いざ袋から出そうとした瞬間に、ゴキ男を発見し、
カーテンそっちのけで大捕物帳を演じてしまったことが
どうしても記憶から拭い去れない。
ゴキ男とセットの思い出なんて不憫すぎるカーテンだと思う。

窓枠より大きなサイズのカーテンは、ゆったりしていて好きだか、
かと言って床まで引きずるほど長くするのは
インテリア雑誌では《優雅》とされているが私は好みではない。
…意味なく気難しい、わたし。

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私の、実にケチっぽいカーテン道楽について
この機会に語ってみたい。

基本的にうちのカーテンは既製品ばかりで、
しかも私は通販愛好者なので、
「カーテンにコダワリがある」
と偉そうに言ったわりには、実は、どれも、
どっかのカタログに載っていたものがほとんどだ。
見る目のある方は看破なさるかもしれない(^^ゞ。

これは、官舎で使っていたカーテンなのだが、
マンションではサイズが合わず、
捨てるのも惜しくて、舅宅に持って来て、かけた。
写真は、姑の居室の掃き出し窓。

3倍ヒダのボイルカーテンで、市販品だが、
私が自分で裾のウェイトテープを通常の2倍量、縫い付けた。
ウェイトテープは東急ハンズなどで売られている普通のものだ。

裾を重くすることは、もしかしたらボイルカーテンとしては
ある種のルール違反なのかもしれないが
(例えば、風にそよぐ自然な感じがなくなるとか、
ボイルカーテンの裾のラインがモタついて美しくないとか)、
しかし、倍量のウェイトテープで裾全体に重さを加えることにより、
ヒダ数が多くても縦のラインが規則的に揃い、
私好みの直線的な印象になっているのだ(勝手に自画自賛!)。

ピンク系のドレープカーテンはこれまた市販品。
私は柄物のカーテンはあまり趣味ではなく、
ジャカードとかモワレと言った、地模様のような生地が好きだ。
タッセルは有り合わせのを使っているのだが、
これからの季節は涼しげなビーズのロープ型のが良いかも。

木製レールなどにすれば更に見栄えがするとは思うが、
そのような買い物をする余裕まではないので、
レールは最初からついている一般レールのままだ。

私はこういうことを考えるのがとても楽しいのだが、
舅は《埃がつく》という理由により
インテリアファブリックの類いを嫌っていたものだった。
舅の家でカーテン道楽なんかしてたら、
そのうちじーちゃんが出て来て怒るかな(^_^;)。

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24日25日の一泊二日で、娘が修学旅行に行って来た。
行き先は初日が山口で二日目が北九州。
景清洞探検・秋吉台散策・秋芳で買い物・博物館見学、
露天風呂のあるホテルに泊まって朝食はバイキング、
翌日はスペースワールドで班ごとに自由行動(付ミールクーポン)、
という、三十年前には絶対なかった内容だった。
もちろん娘は、
「すっごい楽しかった!あり得んほど楽しかった!」
と満面ニッコリで大満足だった。

何も頼まなかったが娘は家族へのお土産も買って来てくれていた。
主人のが一番高価で、スペースワールドのロケット型キーホルダー。
私にも、ホテルで買った、ぴんくのお魚ストラップ。
自分用には海底の絵が浮き出て見える3D団扇。

例によってどこででも寝過ぎる娘は、
昨年の野外活動同様に夜早くから朝遅くまで爆睡し、
「揺すっても起きんかったよぉ」
とお友達に笑われたそうだ。

「食事?サイアクなメニューだった。全部食べたけど。
スペースワールドで帰り際、ソフトクリーム買って五分で食べた。
ほかの学校も修学旅行で来ててね。
前の教頭先生に会った。びっくりしたよ。
今、○○小の校長先生なんだね。あっちも修学旅行だったの。
景清洞、水位が上がってて、長靴の中まで水が入って。
ヘッドライトつけて探検したんだよ。
出るとき軍手おき忘れて、取りに帰って迷惑かけちゃった」

娘は語り続け、十時になったあたりで五秒ほど黙り、
そのまま寝入った。
電池ぎれ、という感じだった。

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