転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



転居のための、いつもの手順で、
きょうは、電気ガス水道の移転手続きをした。
住所その他の必要事項は電話で話せば済むが、
ガスは、新居の開栓手続きに立ち会わなければならないので、
その日時を予約することが必要なのと、
電気は、最後にブレーカーを全部落として出るのが決まりだ。

これまでのところ、私はよく、このブレーカーを落とすのを忘れて、
トラックが行ってしまってから、「あ」と気付き、
隣の家に傘を借りに行ったりしていたものだった
(傘の柄でひっかけて落とすのだ)。
今度こそ、忘れないようにしなければ。

さて、今回のマンションは新築ということで、
広島ガスや中国電力では番地からマンション名が割り出せない、
ということがあって、やや、手間取った。
オペレータのお姉さんが言った。

オ「番地は、何番って言うちゃったです?」
私「○番○号、○○号室です」
オ「すみませんね~、今、見よりますのでね~

思いっきり広島弁なのだった(^^ゞ。
こういうふうに、作業がわかりにくくて難儀する状態を言うのに、
広島弁では、「あずる」という言い方をする。
つまり、きょうのオペレータのお姉さんは、
「番地が見つからんけ、あずりよっちゃった」というわけだ。

そういえば、思い出したのだが、
昔、広島カープの専属だった通訳のなかに、
ひとり、思いっきり広島弁の日本人がいたものだった。
その男性は、主に、ドミニカ共和国から来た選手のために、
スペイン語通訳として活躍していて、
テレビにも結構よく映っていたのだが、
「・・・・だと(選手は)言っています」
とカメラに向かって言うのに、

・・・・じゃいうて、言いよります

とやっていたものだった。
通訳が務まるくらいだから、スペイン語に不自由はなかったのだろう
と思うが、日本語が、広島弁しか出来ない人だった

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私は非常に真面目で気の小さい人間なので
NHKの受信料は必ず支払っている。
舅は、かつて、恐るべき自由人的支払い感覚を発揮して、
契約もしないで勝手にBSを観ていたものだったが、
私は、天地神明に誓って言うが、そのようなことは、
これまでの人生でただの一度もしたことがない。
実績を見て貰えばわかるが、私は独身時代からずっと、
受信料は年払いの口座引き落としだ。滞納したことなど全くない。

にも関わらず、NHKは私を全然、信用してくれていないと思う。
それどころか、彼らは、私を常に疑い、
もしかしたら私をマークしているのではないか、と思うほどだ。
というのは、私が家を変わる、というか変わろうかな、
と具体的に考えるとすぐ、まだきちんと入居もしていないうちに、
NHKの係員が、私の前に現れるからなのだ。

この官舎に来たときもそうだった。
新棟が出来て、旧棟から移って来ることが決まったとき、
鍵を貰ったその日、私が間取りを見に初めて新棟に入ったら、
部屋に入って十分もしないうちに、

♪ぴんぽーん
(↑さすが内装をなおしただけあって「ぶー」ではなかった)

と訪ねて来た人がいて、押し売りかと思って出たら、NHK。
「受信契約のほうは、いかが致しましょう」

そんなことより、あんたなんで今、私がいるとわかったのだ。
まだ入居してない、っていうか表札も出してないのに。
それに私が新棟の前まで歩いてきたとき、
平日の真っ昼間だし、周囲に人影はなかったぞ?
アナタは、塀の陰にでも潜んで、しゃがんで見張っていたのか。
それともバスセンターからずっと私を尾行して来たのか。

同じことが、きょうも、あった。
昼前に私は、入居予定のマンションに出かけた。
先日のカーテン屋さんが、私の発注したレールを取り付けるため、
工事に入らせて貰いたい、と連絡して来ていたからだ。
業者さんが来られて、奥のリビングで作業を初め、
小一時間かかります、ということだったので私は和室に座っていた。
すると、20分ばかりしたとき、

♪ぴんぽーん
(↑さすが民間マンションだけあって、モニター画面つき)

と訪ねてきた人がいて、押し売りかといぶかりつつ画面を見たら、
書類を抱えた女性がうつっていて、
「こちらNHKでございます。移転のお手続きはお済みでしょうか」

そんなことより、あんたなんで今、私がいるとわかったのだ。
ここにはまだ入居していないし、昨日だって今朝だって、
全く、人の気配などなかったはずだ。
だのになぜ、私が到着した途端に、アナタはやって来たのか。
下にはほかの家の引っ越し業者さんがいただけで、
私は男性の作業係の人たち以外とはすれ違わなかった。
アナタは駐車場で、じっと私の様子をうかがっていたのか。
それとも官舎からずっと私を尾行して来たのか。

その名はNHK受信契約係員、尾行させれば陰の如し。
探偵マルコシ・マンタより有能だ(爆)。


(註)マルコシ・マンタ探偵事務所:
 スーパーエキセントリックシアターの80年代のネタのひとつ。

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娘の話

娘が三月半ばからずっと咳をしていて、
熱もないし元気ではあったのだが、
昨日は更に咽喉も痛いと言い出したので、
家の近くの小児科に連れて行った。
咽喉を見、呼吸音を聴診器で聞かれた先生が、
「やや気管支炎っぽい音もしているし、風邪でしょうね」
と仰った。

娘が昨年秋頃から、毎月、風邪をひいたりお腹を壊したりして、
やはり塾通いが負担になっているのだろうかとも思うが、
という話を私がしていたら、先生は、
「まあ、生活が変わって疲労するようになった、というのは、
考えられますけども、この年齢の子供さんだったら、
そろそろ体も変わるし、ホルモンバランスの影響で体調を崩すとか、
あと、花粉症がベースにあるとどうしても粘膜をやられてますから
花粉症と風邪を繰り返すというのは、避けられないですね」
と説明して下さった。

しかし、それにしても、専門家の処方はやはり凄い、
と私は今回思い知った。
なぜならば、この病院で、抗生剤と気管支拡張剤と抗アレルギー剤、
整腸剤に咳止め、去痰剤、等々を出されて、それを飲んだら、
娘は昨夜には、咳がピタリと止まり、咽喉の痛みも取れて
「そういえば、私、風邪ひいてたんだっけ」
と言うくらいになった。
薬って凄い、っていうか怖い、っていうか。
しかし薬に良く反応して回復してくれるのは、有り難いことだ。


・私の話

今朝、頭痛で目が覚めた。
時々あるのだが、肩こりから来る後頭部の頭痛の感じだった。
起きて、痛み止めを飲んだ。が、まだ眠かった。
それで、主人を送り出したあと、再度布団に戻って、
二度寝を始めた(娘も学校だった)。
次に目が覚めたら午後1時だった。つまりさっきだ(爆)。
大阪旅行から帰って、全然休まず、我ながら元気だと思っていたが、
ここに来て、突然、疲れがどっと出た気がした。

一般論として、例えば筋肉痛の場合、
若い間は、運動直後や翌日からすぐ痛くなるが、
年を取ると、一日おいてから痛みが出るようになる、
という話を、以前、耳にしたことがあったのだけれども、
それと同じで、私は年をとったから、旅行疲れもすぐには出ずに、
こうして、数日おいて、いきなり来る、というふうになったのだろうか。

まだ映画『北斗の拳』を見にいってないのに(爆)、
家の中は引っ越し直前で全然片づいてないし、
各種精算だの移転手続きだの退去点検だのと用事が続いていて、
だのに私は惰眠をむさぼっていて、本当に何をやってんだろうか。

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来月初めに入居するマンションのために、
新しいカーテンを三窓分、買うことにしたので、
きょうは、市内の業者さんに来て貰い、採寸と見積もりを依頼した。

今回の家は、掃き出し窓のサイズが今までのより大きいので、
官舎で使っていたカーテンを転用することが出来ず、
そうかと言って入居するのにカーテン無しでは困るということで、
これだけは急いで手配することになったのだ。
既製品を買わずにオーダーに走ったのは、
ネットで安い店を見つけたから、というのもあるし、
多少なりとも、新居に彩りを添えたいと考えたからでもあった。

しかしそこはやはり予算との兼ね合いがあるから、
娘がカタログを見て即座にラルフ・ローレンを選んだときには
私は無言で、ぶんぶん、と首を横に振った。
それは、キミがもっと大きくなったら買ってあげよう。
小学生は、そっちの、ノーブランドのモザイク柄にしときなさい。

私は実は、カーテンにはかなり、趣味がある。
インテリアの雰囲気を決めるのは家具以前にカーテンだ、
ということを私は十年くらい前からずっと思っている
細見貴子さんが同趣旨のことを仰っていて、
私は我が意を得たりの心境になったものだ)。

とりわけ、私はレースカーテンに並々ならぬ執着を持っている。
ドレープカーテンも重要であるのは確かだし、
バランス(上飾り)などをつけたり、スタイルに凝ったりすれば、
ドレープ自体が部屋のムードを決定することもあり得るが、
とりあえず、ごく一般的なピンチ・プリーツ型のものならば、
ドレープカーテンのほうは、開けてしまえば
ほんの、両サイドに下がっているだけの代物になる。
だがレースカーテンは動かすことがほとんどない。
こっちのほうは、一日中、窓全体を覆っている重要なアイテムだ。

私は、居間だけは希望を通すことにして、業者さんに言った。
「リビングのは出来るだけ薄手のシアーカーテンがいいです。
生地幅は300を横使いで縫製して、ボイルの三倍ヒダにして下さい。
三ッ山じゃなくても構いませんけど、ヒダ数を多くして下さい。
既製品の1.5倍ヒダの、およそ倍程度のヒダ数ができる筈です。
仕上がり100センチ幅ならフックを13個使う程度です。
裾は折り返すよりも、ウェイトテープのほうが希望です」

業者さんが、言った。
「奥さん。それ、仕上がったら、むちゃくちゃ格好いいですよ!?」

当たり前だ。 自画自賛!!
私がどれだけ執着を持ってカーテンを研究したと思っているのだ。
これまで、よそのお宅に伺ったり、レストランに入ったりするたびに、
私は窓を見、どのようにセッティングされているかを観察した。
そりゃもう、ヨダレを落としてしまいそうな熱心さだったものだ。
カーテンは、長い間、私にとって、実に「絵に描いた餅」だったのだ。

今こそ、ささやかな餅ひとつ食うことを、許して欲しいって話だ。

(お食い初めを躊躇するような見積もりが来たら、だうしやう(爆))

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和央ようか扮するジョルジュ・マルローは、
花總まり演ずるキャサリン・マクレガーが訪ねて来たとき、
どういうワケか(愛し始めているからだ、と考えるべきだが)
馴染みでもなんでもない彼女を相手に、いきなり、
長い長い、自分の生い立ちを語り(というか歌い)始める。

彼はポーランド生まれだが、あちこちの国を渡り歩いていて、
現在の名前も、フランス風に、自分でつけたものだと言う。
そこで彼が一度だけ明かす、彼のポーランド語の本名は、
そりゃもう、ズビグニェフ・ジェヴィエツキ教授もマッツァオの、
容易に発音すらできないようなモノで、

ズビ%ニ#・ヴィ$ロ¥スキ

『えっ。ごめん、ちょっともう一回言ってくれないかな』
『二度と言えるか。ズビと呼んでくれ』

とパタリロ風ギャグが、私の脳裏をよぎった(爆)。

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この芝居の間、幾度か、旧ソビエト国旗が背景に登場する。
私は改めてそれを観ていて、深い感慨にとらわれた。

ソビエト国旗は、鎌とハンマーを組み合わせたデザインだ。
鎌は農民の象徴、ハンマーは労働者の象徴だった。
そこには確かに、人民の理想があったと私は思った。
皇帝や貴族を廃し、自らの手で国家を建設しようとした、
労働者たちの尊い誓いと決意が、そこに描かれていた筈だった。

しかし、その掲げられた理想は、完成の日を見ることなく、
二十世紀の終わりに、あのようなかたちでついえてしまった。
そのことが、私には改めて悲しく思われてならなかった。

(私は思想的にコミュニストだったことは一度もないのだが、
これが今回心から感じた、正直な感想だった。
宝塚を見に来た筈なのに、私にこんなことを考えさせた、
あひ(遼河はるひ)ちゃんは、実は大変な名演だったかも!?)

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25日3時公演を観た。
トップの和央×花總コンビのサヨナラ公演二日目。
個々の生徒さんについてはまた後ほど書きたいと思うが、
とりあえず全体的な感想を。

見終わって感じたことは、とにかく、小池先生の手腕に脱帽、
というか、もしこの台本でなかったら、
私はこんな内容の芝居、途中でアゴが出て、
とてもじゃないが最後まで見られなかっただろう、
ということを、強く思った。

私にとっては本質的にかなり苦手な部類の題材で、
娯楽で観に来てんのに鬱陶しい講釈聞きたくないんだよ、
と普段の私なら投げ出していたであろう、
重い・深いテーマの社会派の芝居だった
(内容をお知りになりたい方は、公式サイトでどうぞ)。

和央ようかが演じるのは、ユダヤ系ポーランド人で、
パリの風俗を撮影して名を得たカメラマン、ジョルジュ・マルロー。
ハリウッド女優エレン(紫城るい)と愛人関係にありながら、彼は、
新進作家のキャサリン・マクレガー(花總まり)と恋に落ちるが、
その彼女のほうも、離婚歴のある大人の女性で、
こういう、ある意味退廃的な恋愛関係を取り上げているところが
このふたりのコンビ歴の長さを考えても、大変に成功していたと思う。

だがもし、この恋愛部分が話の焦点になっていたのだとしたら、
「コンビの退団だし、これを書きたかったのね」
と私はそこだけ観て終わっていたかもしれないのだが、
今回の面白さは、話が単にラブストーリーで終わらず、
脇役に至るまで、様々なキャラが立っているというところだった。
その構成のうまさにつられて、私はこういう主張のある重い話を
最後までしっかり聞かされてしまったのだと思う。

たとえ一場面しか出番がない脇役でも、
そこで観客の目に何かを強烈に焼き付けることができるなら、
それは決してただの脇ではないし、そういうキャラのいる作品は名作だ、
と私は『エリザベート』を観たときに思ったものなのだが
(↑マダム・ヴォルフもヴィンディッシュ嬢も出番は一度きりだ)、
今回もそれに似た手応えを私は随所で感じた。

毬穂えりな演じるアニータが見事であるのは勿論だが、
天羽珠紀のアルフォンソ・リベラ、
風莉じん扮する(姓名さえ出ない)市長、などは、
宙組を初めて観る人でも目をとめる役ではないだろうか。
歌唱が素晴らしいこと、団体芸としてのコーラスが圧巻であること、
等々、宙組は、私の気づかない間に、
これだけ見せる要素を持った組になっていたのかと
本当に驚き、嬉しく思った。
彼らがささえた部分は実に大きかったと思うし、
彼らの存在なくしては、この芝居は成り立たなかったと思った。

なお和央ファン的には、年末の、あの転落事故があったために、
たかこさんが、たった三ヶ月でちゃんと歩いて走って、
銀橋渡って、それどころか踊ってる~、大羽根背負ってる~~、
というのが、もう、尋常でない、とてつもない感激だった。
初日を観た友人たちの中には、たかこさんの姿だけで涙・涙で、
他には何一つ、主人公の名前さえまともに記憶に残らなかった、
という物凄い人々が(^_^;何人か、いた。
単なるサヨナラ公演だったら、こんな感激は、
決してあり得なかっただろう。えらいことになったものだ(^_^;。

(なお、そのような友人たちでも、二日目を見終わった頃には、
『オリンピックに来ただけのオランダ人レスリング選手が、
なんで、スペインの内戦に参加して闘ってるんでしょーかねー。
普通なら速攻、帰りますやん』
とツッコミを入れる元気を回復していた。大したものだった(^^ゞ。)

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娘が銀閣を見たいと言うので、家族三人で京都に向かった。

男A「なんじゃー。銀閣っちゅうのに銀色じゃないんじゃん」
男B「じゃけ、カネがなくて銀箔貼れんかったんじゃいや」

と京都東山まで来て広島人とおぼしき人々とすれ違った。
年末に来たときでも清水寺がたいがいな人出だったが、
今回は三月下旬とあって、まさに観光シーズンの賑わいだった。
ちなみに、なぜ娘が金閣でなく銀閣を見たいと言ったのかは謎。

それから、師走に来たときに行ったのと同じ、
平安神宮の前のスフレの店で、暖かいオヤツを食べたところで、
今度は太秦の映画村へ。

私は確か、高校の修学旅行のときに来た記憶があって、
男子らが「牢屋」に入って生首の横で記念撮影していた、
という程度のことは覚えていたのだが、
あれから多少、新しい施設も出来ていたようだし、
娘はもう、完全に初めてだったので大変な喜びようだった。

シミュレーション劇場とかいうものに娘が入ると言うので、
無料だし良かろうと家族三人で列に並んで待っていたのだが、
約7分間の上映で15分ごとに入れ替え制で、
一度に25人しか入れず、毎回、長蛇の列になっていた。
私はここで、隣にいた全然知らない女性から、
「ちょっと買い物して来るので、荷物見ていて下さい」
といきなり頼まれてしまった。
道訊かれ顔としてさんざん心配した通り、私はついに、
全く見知らぬ人から気軽に用事を言いつけられる女になった。

挙げ句に入ったシミュレーション劇場は、
スキーをしたりヘリコプターで飛んだり水上ボートで走ったり、
という設定で見える景色が臨場感いっぱいにスクリーンに再現され、
眺めているこちらのシートも、画面の動きに合わせて揺れまくり、
私はもうちょっとで真面目に乗り物酔いするところだった。
踏んだり蹴ったりだった(--#)。
だのに娘はまだ懲りずに、今度は有料の3Dシアターに入りたがり、
主人と私は、こりごりだったので彼女ひとりで行かせた。

そのほかにはスタジオ見学をしたり、セットの中で写真を撮ったり、
昭和30年代の町並みを再現した通りを歩いてみたりと、
結構楽しく、結局、三時間ほどを映画村で過ごした。

旅の締めくくりは、かねて主人が予約していた、
大阪梅田の某ホテルでの、バイキングの夕食だったのだが、
太秦を出たのが午後4時頃だったので若干、時間が余った。
することないし、本屋めぐりでも・・・、
と私が内心、思っていたら、主人が突然言った。

漫画喫茶行くか」

オドロいたことに、主人と娘はふたりして、普段でも時々、
漫画喫茶やインターネットカフェで遊んでいるらしくて、
父娘の意見はあっという間にまとまった。
私はただついて行っただけだった。
主人がすたすたと入って行くのはまあ良いとして、
娘のほうまで入るなり堂々と飲み物を取ってきて、
はしごをかけて上のほうの漫画を自分で選んだりして、
あまりにも堂に入っているのでビックリだった。
うちの教育はこれでイイんだろうか(^^ゞ。

私はそこでネットに接続して、早速、自分のサイトを見たり、
宙組公演の評判を読んだりした。
大阪くんだりまで来てなぜに漫画喫茶?と思ったが、
わりと有意義だった(^^ゞ。

そのあと、我々は初志通り、某ホテルに出向き、
バイキングで夕食を取った。
開始と同時に入って、ほとんど誰よりも早く食べ終わった、
我々三人はやはり大食らいだった。

帰宅して主人は、二キロ強、体重が増えていて、
がっくりと落ち込んでいた(^_^;。

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イケコ(小池修一郎)先生、アナタは偉い!
見事なサヨナラ演目で、ファンとして大満足だった。

たかこ(和央ようか)さんが大羽根背負った姿に感無量(涙)…。

脇の生徒さんまで、かなり良い形で活躍の場があり、
宙には、立派で芸達者な人達が多数育っていたことが実感できた。

詳細は後ほど

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では逝ってきます。



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