転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



本日、友人から、ポゴレリチに関する、
ちょっとした未確認情報がもたらされた。
厳密に言って本当に関係がある話かどうか、わからないのだが、
イタリア映画『考えてもムダさ』に、ポゴレリチにそっくりな人が
映っているのだそうだ。

これは明日からのイタリア映画祭2008で上映されるもののひとつで、
友人はきょうイタリア文化会館で観てきたと言っていた。
日本語とスペイン語の字幕がついていて、
イタリアとフランスでは既に封切られた映画だそうだ。

問題の場面は、出演俳優がピアノでショパンか何かを弾くところで、
客席に、ポゴレリチによく似た人がいる、という話だった。
若い頃のポゴレリチではなく、最近の感じに近いらしいが、
スキン・ヘッドではないとのことだった。
ちなみにイタリア語のできる彼女が、出演者に尋ねたら、
ピアノの場面は吹き替えだと言っていたそうだ。

映画そのものは、2007年7月にイタリアで撮影されたもので、
ポゴレリチがスイスのルガーノに住んでいることを考えると、
距離的に近いしイタリア語圏でもあり、
まんざら、接点の全くない話とは言えない。
ただ、映画のクレジットには名前は無かったそうなので、
彼には全然関係ない話だという可能性も、勿論ある。
でも、他人のそら似であろうとも、
これは一度見てみたいものだと思った。

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リンリン(上野動物園のパンダ)が、死んでしまった
……というニュースを、主人から知らされたとき、
私には最初『インリンが』と聞こえて、物凄くうろたえてしまった。
インリン様っ、申し訳ありませんでしたっっ。

と、それはともかく、パンダのリンリンは、
以前から病気だったそうで、パンダとしては既におじいさんでもあり、
報道に見る限り、安らかな最期だったようだ。
北京に生まれ、生涯の三分の二を日本で暮らしたリンリンは、
パンダ的に言って、幸せな思いの多い一生だっただろうか。
彼のために力を尽くした人間が、中国にも日本にも
たくさんいたことは間違いなかったし、
リンリンに楽しい思いをさせて貰った人たちも数え切れないほどいた。
日本国籍としては、現状では最後の一頭だった。冥福を祈りたい。

パンダは、確か、その愛らしい外見よりも、ずっと大きな動物で、
結構どう猛だと聞いたことがある、等々と思って、調べてみたら、
大人のパンダは立ち上がると170センチほどの背丈があり、
オスだと体重は約100から150キロだそうで、
ちょうど、数年前のうちの主人くらいの大きさだとわかった(爆)。
中国では、野生のパンダを捕まえようとした人間が襲われた、
という事件もあったそうで、やはりイラストやぬいぐるみのように、
大人しいイメージの動物だとは言えないようだ。

私は72年にカンカン・ランランが中国から来日したのを
テレビや新聞で見て、とても興奮し喜んだ世代なのだが、
実際には、パンダを生で見たことが一度もない。
東京に住んでいた頃に、いつでも行けると考えたのが失敗で、
結局、上野動物園には全く足を踏み入れずじまいだった。

考えてみると私は、神戸でもパンダとは入れ違いで、
こっちも今のところ、会えないままになっている。
2000年4月に私たちは神戸から今治へと転勤したのだが、
その直後の7月、神戸市立王子動物園に、
中国から二頭のパンダが貸し出されてやってきたのだ。
コウコウ(オス)とタンタン(メス)のカップルだった。

私たちが引っ越す直前に王子動物園に遊びに行ったら、
もうその頃にはパンダを正式に借り受けることが決まっていたので、
『もうすぐパンダがやって来る!』とゲートにはイラストが飾られ、
園内にはポスターや垂れ幕などがあり歓迎ムード一色だった。
そして、園に入ってすぐのあたりではパンダ舎工事の真っ最中、
以前からいる、ほかの平凡な動物さんたちが、
ちょっと狭めな臨時の飼育小屋に移されていたのが可哀相だった。
あのあと、おそらく、全部の工事が終わってからは、
彼らの住環境も改善したのだろうとは思うけれども。

このコウコウは、来日してしばらくしたら、
オトコとしては未発達で云々という理由で離縁され中国に返され、
あとで、実はメスだったと判明した、という出来事があった。
顔や性格や行動が男にしか見えなかったので間違っていた、
という臆面もない発表があった。
人間だったら凄く怒っただろうと思うが、そこはパンダなので
今は中国の碧峰峡基地に住み、錦竹(ジィンズゥ)と呼ばれ、
既に双子の娘を持つ母親にもなっており、幸せであるようだ。
なので、今神戸にいるコウコウは、
あとから来たロンロンというパンダが襲名した二代目だ。

このほか、日本でパンダが見られるのは、
和歌山のアドベンチャーワールドだけになってしまった。
ここは、エイメイ(オス)・メイメイ(メス)夫婦を筆頭に、
全部で六頭という大家族がいて、とても賑やかな様子だ。
しかし、この一見幸せそうな一家も、ウィキペディアによると、
内情はなかなか大変なのだった。
というのは、コウヒン・アイヒン・メイヒンという二男一女は、
確かにこの夫婦の実子なのだが、一番上の、長女のラオヒンは、
実は母のメイメイが来日前に身ごもっていた子で、父親は中国在住、
夫のエイメイのほうも、かつて妻の双子の姉である蜀蘭との間に、
人工授精で息子をもうけたことがあるのだそうだ。
人間だったらかなり配慮の要る家族関係だ。

ちなみにこのほど死んだ上野のリンリンは、
ここの夫のエイメイの叔父だそうで、
日本在住パンダの世間は、案外、スモール・ワールドなのだった。

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(以下、ケロロ軍曹を全くご覧になっていない方には、
全然ピンと来ないネタだと思いますが、すみません。
ちなみに写真は、娘がこよなく愛するクルル曹長。)

昨日、宮島で、ツノのない鹿を見たとき、娘が、
「Do(ドウ)……だよね?」
と言った。確かに、ジュリー・アンドリュースが、
『サウンド・オブ・ミュージック』の『DoReMiの歌』で
「♪Do, a deer, a female deer(ドウは鹿、メスの鹿よ)」
と唄っていたから、そういうことになるのだろう。

それから娘は、思いついて、
「どーーーーーーーぅ!!!!」
と、勢いよく言った。
『ケロロ軍曹』に出て来る『宇宙探偵556(コゴロー)』、
の台詞回しであることはすぐわかったので、私がすかさず、
「良かったね、お兄ちゃん!」
と、彼の妹役の声真似で言ってあげた。娘は勿論、
「ラビー!」(=556の妹の名前)
と答えた。

ツウと言えばカア、な会話だった。
鹿は全く意に介していなかったが。

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お昼は、商店街の食堂で、あなご丼を食べた。
ウナギほどコクのある味ではないと思うのだが、
アナゴもなかなか美味しいものだ。
宮島というと、食事はアナゴか牡蠣、お土産はもみじ饅頭で、
主人が評価しているのは、このうちアナゴだけだが(苦笑)、
私は、どれもそれぞれ良いと思っている。
生牡蠣は私も少し勇気が要るが、フライは文句なく良いし、
もみじ饅頭だって珍しくはないにしても、焼きたては良い香りだ
(とはいえ、味音痴の私の言うことなので、まあ適当に)。

あとはミヤゲといえば「しゃもじ」だろうと思う。
私が高校のときの家庭科の先生は、調理実習で、
「ここで、この宮島を使って……」
などと、しゃもじのことをズバリ「宮島」と呼んでいらしたものだ。
『寛政の頃、宮島の光明院の修行僧、誓真が、
当時主たる産業がなかった宮島のために、
弁天のもつ琵琶と形が似たしゃもじを
宮島参拝のみやげとして売り出すことを
島民にすすめたことを起こりとする。』
ウキペディアには書いてあった
そんなん全然知りませんでした(殴)。

それはともかくとして、今回、十数年ぶりに宮島に行ってみて、
鹿が減ったような印象があった。
神様のお使いなので、人為的に何かされたとは考えられず、
実際に数の変化があったかどうかは調べないとわからないが、
昔、学校の遠足で行っていた頃には、
もっとあちこちからワラワラと鹿が寄ってきていた記憶があった。
だのに今回は、「あれ?鹿は?」と見回すと、
ぽつんぽつんと、鹿が座っていたり、ゆっくり歩いていたりで、
随分とのどかな雰囲気だった。

以前はまた、桟橋を降りたところに「鹿のえさ」を売る場所があり、
中身は確か、奈良の鹿せんべいではなく、普通の食パンのミミで、
これを買うと、袋を開けないうちから鹿が四方八方から寄ってきて、
「うわ、うわ、うわ」と言っている間、十秒以下で、
エサは鹿に食い尽くされ、空いた紙袋まで持って行かれたものだった。

今は、どこを見てもエサ売り場が無いようだった。
観光客からエサを貰える、ということがなくなったので、
鹿が人間に群がるようなことをしなくなり、
商店街や参道が、昔よりずっとゆっくりした印象になった、
ということかもしれない。

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ロープウェイの終点の展望台。
弥山の山頂まではまだ少しあり、
ここから徒歩で登るようになっていたが、
私はもう、学生時代の経験でコりていたので、やめた。
主人も娘も、そこまで弥山を追求する気はなかったようだった。

このあたりの山や谷には、お猿と鹿が一緒に住んでいる。
お弁当などは絶対にここで食べてはいけない。

展望台からは、絵の島、似島(にのしま)、江田島(えたじま)など、
瀬戸内海の広島湾側の島がよく見える。
天気の良い日は四国の山々まで眺めることができる、
と、ロープウェイ内で、録音の案内が言っていたが、
きょうは、白くけぶるような風景で、
あまり遠くまでは見渡せなかった。
ここから見える四国の山、というのはどのあたりなのだろう。
愛媛の松山側だろうか、それとも今治のほうまで見えるのかな?

神戸に住んでいた頃も、標高の高いところに行くと、
淡路島の向こうに四国まで見えたものだった。
あれは徳島県のほうだったのだろうと思うが。

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見晴らしは良いけど揺れます~~

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中学のとき弥山(みせん)登山で死ぬ思いをし、
高校のとき再度、弥山でオリエンテーリングがあり、
宮島の山には二度と登るまいと誓ったものだが、
今回は、徒歩での登山などはハナから回避して
ロープウェイにした。
それでも、ロープウェイ乗り場までは結構歩かされた。

神戸にいた頃、よく布引ハーブ園のロープウェイ『夢風船』に
幼い娘を連れて乗っていたものだったが、そういえばいつぞや、
あのロープウェイが途中で止まったという事故が新聞に出ていた。
こんなふらふらなものに何時間も閉じこめられたら
恐怖と心身の苦痛とで弱るだろうなあと想像してしまった。

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干潮なので近くまで行けます。

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このあたりより、もう少し右に寄ったアングルが、
観光旅行の集合写真としては定番で、
しかも、団体さんの写真撮影のとき、
良い具合に鹿が最前列に写っていることが多い。
鹿はあまりこちらの言うことなど聞かない動物なのだが、
あれはどういう仕掛けなのかなと不思議に思うことがある。

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お天気が良いので、家族で出かけることにしました♪
宮島に向かってます。

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娘が1歳半くらいのとき、
舅・姑・主人・娘・私の5人で宮島に来て、
鳥居をバックに写真を撮ったり、
娘はおじいちゃんに手を引かれて回廊を歩いたり、
鹿に向かって「わんわん!」と言ったり、
主人がおみくじを引いたら『大凶』だったり、
………といった思い出があったのだが、
残念ながら、娘は全然覚えていないそうだ。
いわゆる「物心つく前」の話なので仕方がないけれど。

いずれにせよ主人と私もそのとき以来、
宮島には行っていないと思うので、十数年ぶり。
娘も小3以降ずっと広島の学校に通っていながら、
遠足や写生大会で宮島に行った、というようなことは、
未だに一度もないと言う。

『包ヶ浦までぞろぞろと一時間も歩かされた挙げ句、
クラスごとにハンカチ落としをやらされた』、
などという経験すら、全くないなんて、
私たちの世代から見ると、信じられないのだが、
今の広島市内の小中学生は、
学校行事で宮島に行くことはもうないのか?

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舅宅で寝泊まりするたびに、私は、
『どうしてじーちゃんが居ないのかな?』
と、頭でなく、感覚で、思ってしまう。
病気で亡くなったのだし私もそのとき一緒にいたのだから、
『どうして』も何もないものだが、
未だに煙草の匂いがする舅宅に、じーちゃんが居ない、
というのは、私には本当に不自然な気がして仕方ないのだ。

『もう随分長い間、じーちゃんに会ってないな』
ということも、よく思う。
亡くなったのが2005年の9月で、それ以来、当然のことだが、
私は一度も、舅の顔を見ていないし、声も聞いていない。
舅と知り合って以来、……というか主人と出会って以来、
こんなに長い間、舅に会わなかったのは、初めてだ。

会いたいな~、と思う。
いや勿論、本当に出て来られたら、それはオバケだから、
私は腰を抜かして念仏を唱えるのが関の山だ。
そうでなくても、掃除はしてないし草ボウボウなので、
じーちゃんが夢枕に立たないかと怯えているのも本当だ。
そういうのではなくて、私が望んでいるのは、
じーちゃんが亡くなったこと自体が、
『無かったこと』にならないかなあ、みたいな感じだ。

ホントに、くれぐれもポルターガイストとか、
そーゆーものは、必要ありませんので、
そこんとこ、よろしく(祈)。

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一昨日から舅宅に来ている。

今朝は主人と娘が佐伯区から中区まで出勤・登校するので
私は久々に5時起きだった。
舅宅に全員で住んでいた頃はこんなこと当然だったのに
何でも徒歩で解決する生活をここ何年かしていたので
自堕落な体質になり下がってしまい
早起きが大変で、困った。

オマケに、ラジオ『まいにちスペイン語』を聴くのを忘れた。
4月号は全部聴いたのに、
今日だって放送時間の遥か以前に起床していたというのに、
朝ご飯やら草抜きやら洗濯やらをしていたら
5月号のアタマにいきなり痛恨の聞き逃し(涙)。

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