舅宅で寝泊まりするたびに、私は、
『どうしてじーちゃんが居ないのかな?』
と、頭でなく、感覚で、思ってしまう。
病気で亡くなったのだし私もそのとき一緒にいたのだから、
『どうして』も何もないものだが、
未だに煙草の匂いがする舅宅に、じーちゃんが居ない、
というのは、私には本当に不自然な気がして仕方ないのだ。
『もう随分長い間、じーちゃんに会ってないな』
ということも、よく思う。
亡くなったのが2005年の9月で、それ以来、当然のことだが、
私は一度も、舅の顔を見ていないし、声も聞いていない。
舅と知り合って以来、……というか主人と出会って以来、
こんなに長い間、舅に会わなかったのは、初めてだ。
会いたいな~、と思う。
いや勿論、本当に出て来られたら、それはオバケだから、
私は腰を抜かして念仏を唱えるのが関の山だ。
そうでなくても、掃除はしてないし草ボウボウなので、
じーちゃんが夢枕に立たないかと怯えているのも本当だ。
そういうのではなくて、私が望んでいるのは、
じーちゃんが亡くなったこと自体が、
『無かったこと』にならないかなあ、みたいな感じだ。
ホントに、くれぐれもポルターガイストとか、
そーゆーものは、必要ありませんので、
そこんとこ、よろしく(祈)。
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