転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨夜は天気が良く、マツダスタジアムに無事、行った。
チケットが二枚しかなかったせいもあって、
観戦は主人と私だけ、期末考査前の娘は留守番だった。

巨人戦だし、最初から過大な期待はしていなかったが、
予想通り、2回表で巨人ラミレスと脇谷がホームラン、
更に4回表でまたラミレスがホームラン、続いて阿部もホームラン、
長野2塁打、脇谷・エドガーもそれぞれヒット、坂本2塁打、
ここまでで広島0-6巨人、のっけから格差社会を痛感させられる展開となった。

ああ、こんな打撃のできる選手を、一人でもいい、広島も雇えていれば!
ラミレスとは言わない、あの半分かそれ以下でもいいから、
ちとはホームランを打てる選手が広島に一人でも居れば
(更に不幸なことに今、広島の4番栗原が骨折で休んでいるのだ・泣)!!
なんたって、巨人が止め処もなく打っているのを尻目に、
対するカープはこの時点で、ヒットすら一本も出ていなかったのだ。
出塁できたのは、むこうの先発・東野のフォアボールの御陰で出た、
1回裏の東出と3回裏の石井だけで、いずれもあとが誰も打てず。
「もう、ノーヒット・ノーランで行けや、ついでに(--#)」
と主人はみるみる不機嫌になった。

しかし4回裏、カープ東出がショートへのヒット、チーム初安打!
これだけで1塁側の客席は、俄に、死にそうな盛り上がりになった。
続いて梵も打って連続ヒット、客席は泣きそうな興奮状態!
打線が2人繋がっただけで、俄然、気合いの入るスクワット(爆)。
そして嶋のタイムリーツーベース、1点入った~~!!!
もうもう、まるで勝ったかのような大声援だった。
ヒット一本で血管切れそうなほど喜び、皆の気持ちがひとつになる(爆)、
イタいと言われようが、これは広島ファンだけが甘受している幸福だ。
打って当然のチームには、この純粋な喜びなど想像もつかないだろう。
応援団の歌はここから、♪いーつーも 広島 勝ち勝ち勝ち勝ち♪
……いつもって、いつもって、いつもって、はははは(涙)………

このあと広瀬2塁打、長野ファンブルで出塁して、ここまでで広島3-6巨人、
ようやった、よう打ったで・・・!と1累側客席はとっくに感極まり、
マウンドではジャイアンツの選手が東野投手のところに集まるのが見えた。
「『適当に盛り上がったしもういいだろ』『わかりました』って打ち合わせ」
と主人がまたいぢわるなことを言った。

私の背後にいたのは、関西弁で巨人ファンで、なぜか広島で観戦している、
という大変込み入った男性だった。
この後、東野のストレートのフォアボールの御陰で石井が出塁すると、
後ろのオジさんは「どないしてん東野!さっきから何してんねん!」と怒り、
「次はゲッツーの石原じゃ。カープはここで終わるけ、心配せんでも」
と主人が相手に聞こえない小さい声で勝手に返事をしていた。
そして予想通り石原は凡退、カープこの回の反撃はここまでだった。

結局、主人と私はこのあと7回を待たずに帰ることにした。
もう風船ふくらます元気も、『それ行けカープ』を歌う勢いも無かった。
尤も、広島が打てないのは行く前からわかっていたことなので、
負けるとなっても別段、許せないような気分にまでは、ならなかったけれど。
それより、選手に対して野村監督は少々ヒドいのではないか、
と私は、試合の進行とベンチの様子を交互に眺めていて、思った。
だって、先発のスタルツが気の毒なほど苦労しているというのに、
野村監督も大野コーチも、誰もベンチから出て来ようともしなかったのだ。
スタルツはさらしもののようになり、それでも孤軍奮闘した。
あれじゃ投手の気持ちが切れるってば。いくらなんでも。

【広島】野村監督「気迫を見せてほしい」(日刊スポーツ)
『野村謙二郎監督(43)は「強力打線が相手とは言え、8本も打たれては…。この打線を抑えてやる、との気迫を見せてほしい」とふがいない投手陣に奮起を促した。』

いや、だから選手の『気迫』をいかに支え、引きだすかというのも、
監督の腕の見せどころのひとつではないのだろうか?
最初から不利な条件が広島の側には揃いすぎているけれど、
そんなことはド素人の客(=私)にだってわかっていたことだ。
それだから尚更、どの選手にどのタイミングでどういう言葉をかけるべきか、
最も身内で彼らを指導している監督ならばこそ、一番よく知っていた筈だ。
或いは、自分だってかつては選手だったのだから、
どういうとき何を言って貰いたかったか、覚えがある筈だろう。
監督として意図があって突き放すという考えは、あり得るとは思うが、
結果としてこれだけ失敗しているではないか。

それと、広島には現在、キャッチャーが3人もいるのに、
なぜ石原ひとりに固執するのか、監督采配も意味不明だった。
石原は「ここぞ!」という場面で打ってくれる人ではあるが、
このところはどう見たって、好調とは言えないし、
こういう試合展開になったことに対して、
キャッチャーとしての彼の判断に、責任の一端はあるだろう。
主人の話によると、『キャッチャーは途中で変えない』というのが、
野村監督の考え方であるらしいのだが、
どんなときでも同じ人間を延々と使い続けるなら、
あと2人は一体何のためにいるのか。

前任のブラウン監督もプリンシパル(原則)固持の人だったが、
いやはや、どの監督にもケッタイなプリンシパルがあって困りものだ。
何回か試して、データとして良い結果が出ないことが続いたなら、
そのプリンシパルは、いくら魅力的に見えても捨てるべきだろ(爆)。
意味があるのは、美学の追求ではなく試合の勝敗なのだから。

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今夜は天気がなんとかなっていたら、
マツダスタジアムに主人と私とで行く予定なのだが
そのチケットを、どちらが持っているかで夕べはカルく揉めた。
主人は私にとっくに渡したと言い、
私は見ていないと言い、記憶が食い違っていたのだ。
主人は私がそのチケットを受け取り、片付けるところを見たというのだが、
私の方は、チケットの絵柄も席番も全く記憶がなかった。

それで主人は自分のスケジュール帳に挟んでいないか確認し、
私は主人の言う『受けとって片付けた』という場所を探してみた。
しばらくして、果たして、チケットは主人の手帳の間から発見された。
やはり、私は受けとっていなかったのだ。

この件で、主人は健忘症ではあるまいかと私は不安になった。
というのは、実は少し前にも、これとソックリな出来事があったのだ。
すなわち、主人は自分で仕舞ったもののことを忘れて、
私がどこかへやったと言い張ったのだ。

それは数日前のことだった。
主人は大抵、朝スポーツクラブでひと泳ぎしたあと、
一度帰宅して着替え、改めて出勤するのだが、
プールの帰り道、『TVブロス』『少年ジャンプ』(爆)などを
ついでにコンビニに寄って買って来ることがある。
そのときも、主人が帰ってきたときビニール袋を下げていて、
着替えの間、それがダイニングテーブルの上に投げ出されていたので、
どうやら何か漫画雑誌(汗)とお菓子を買ってきた様子だな、
と、私も見るともなしに見て、気づいていた。

しかし私は洗濯にかかっていたところだったので、
それには手も触れず、忙しく立ち働いていた。
主人も自分の部屋に戻って、出勤の準備をしているようだった。

と、しばらくして、主人がどたどたと居間に来て、
どら焼き、どうした!?
と目をサンカクにして言った。

私「は?どら焼き、・・・って」
夫「ワシ、ここに置いといたじゃろ!?」
私「ああ、なんかさっきテーブルの上にあったビニール袋・・・」
夫「どら焼きが入っとったんよ!どこやったん?」
私「いや触ってないけど?」
夫「ここに置いとったんじゃけど」
私「それは見たけど、私はそのあとは知らないよ?
 自分の部屋に持って行ったんでは?」
夫「持ってっとらんよ。昼に食べようと思うとったのに」
私「何かのついでに、自分でカバンに入れたんと違う?」
夫「入れとらん!」

憤然として部屋に戻り、仕事用のカバンを開けてみた主人は、
ややあって、「あ、あった(^_^;)」と笑った。

「いや~、ごめんごめん。無意識に入れとったみたい。
気づかずに捨てられたかと思うた」

あって良かったな。
ホントにとんでもない濡れ衣だった。
いくら私でも、重さのある袋は捨てる前に中を見るよ。
だいたい何どらかも知らんかったのに、
私がどっかやっとるワケないだろ(^_^;)。
それとも、5秒で食ったとでも思ったのか?

ワシ、御飯食べとらん
ヨメさんがワシのオヤツ全部食べてしもた
などと、主人はそのうち近所に言って歩くようになるのではないか
と心配だ。いや真面目に。

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明日の晩はマツダスタジアムに行かんか、と主人が誘ってくれたので、
天気がもってくれることを祈っているのだが、予定通りだと巨人戦だ。
もしやヒドいめにアわされるのではないか、と今から気分が晴れない(殴)。

先日、テレビCMにダルビッシュ選手が映っていて、
「こんな優れた投手がいても、それだけでは1位になれんのね」
と私が、つい、ド素人な感想を漏らしたら、主人いわく、
「当然だ。その証拠にマエケンがおってもカープは永遠のBクラスやろ」

確かに、その通りだった。
こんな身近に不幸な手本があったというのに、ウカツだった。
広島カープの誇るエースのマエケン(前田健太投手)は、
今やセ・リーグ1位の勝ち数で、両リーグ通して見ても
間違いなくトップランクの投手だ。
しかしチームとしてのカープは現在リーグ中4位、
……と言っても借金は10以上、3位の中日とは6.5ゲームの差が開いている。
むしろ5位のヤクルト、6位の横浜との差のほうがよほど小さく、
セ・リーグ下位3チームの情けなさは実質的に甲乙付け難い。
マエケンがいる分、辛うじて広島が半歩程度抜けている、というだけだ。

セ・リーグの個人成績ではマエケンと、巨人の東野投手が、
ともに9勝で現在どちらもリーグ中1位で並んでいるのだが、
この9勝の意味は同じではない。……と私は思う(汗)。
マエケンのほうが苦労しているし、9勝も優れた内容の9勝だ。

だって、東野は、本人も立派であるとは言え、
なにしろ、あの強打者揃いの巨人の投手なのだ。
セ・リーグの本塁打数ベスト10に入る選手のうち4人までもが巨人の選手だ。
一方、広島は、いつも変わらぬ12球団中最低のチーム打率であり、
一時期などスタメンが全員2割を切っていたというテイタラク。
もう、文字通り雲泥の差だ。
どっちで投げるのが幸福か、わかりきったことだろう。
しかも東野は少なくとも、その巨人の強打者たちを相手にしなくて済む。
投手にとって、これはどれだけ恵まれたことであろうか!

対するマエケン、
彼には打撃の援護は原則「無い」と思わなくてはならない。
12球団中12位のチーム打率は、半端ではない。
相手が3点以上入れて来たら、もう終わりという日がほとんどだ。
マエケンは、とにかく相手に打たせない・点をやらない、
これを徹底することで勝ちをひとつひとつ重ねて来た。
相手がそれこそ巨人であろうと、1点しかやらないくらいの力投ぶりだ
(↑でも負けた。打線が彼を見殺しにしたから。去年の話だけど)。
まさに水も漏らさぬピッチングがあればこそ、
マエケンはここまで来ることができたのだ。

し・か・も。
マエケンの最大の不幸はその抜群の貧打チーム、
滅多なことでは打線の繋がらないカープを相手に、
自分は決して試合をすることが無い
、という点だ(爆)。
もひとつオマケに、広島ではどんだけ活躍しても、年俸は12球団中、群を抜いての最低だ。
こんな状況に耐えて1位に輝いている投手なんて、ほかに、いない。

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外が工事で喧しい上に選挙運動も始まり、
私はともすれば「うぜぇ・うぜぇ・うぜぇ・うぜぇ・・・」と、
デュラララ!!』の静ちゃん(平和島 静雄)の心境に陥りそうだ。
私は総じて、「静かであること」「音のしないこと」が好きなのだ、
コレ!と自分から望んで音楽を聴くときと、
話をしたり語学学習をしたりするのに、言語音に聴き入るときを除いては。

平日、毎朝8時には外でガガガガガと工事が大音量で始まるので、
窓を開けていると、8時からの『まいにちスペイン語』には
このところ、甚大な影響がある。
テキストを見ないで聴き取ろうとすると、
細かな子音が全部かき消されてしまって、何がなんだかわからない。
それで、よう聞こえんわ!とラジオのボリュームを上げると、
今度は何かの拍子に、ふと工事の作業が一瞬止まったときなど、
うちのラジオが大音量で響き渡っていることに気づいて、
御近所迷惑を考えて冷や汗が出るのだ。

しかしまあ、スペイン語は今のところ何ひとつ目標がなく、
スペイン旅行もしそうにないし、検定を受ける予定さえないので、
私の聞き取りが盛大なデタラメであったとしても、
テキストと見比べて大笑いすれば済むだけだ。
点過去・線過去が出てきた段階で直説法現在の活用を忘れている、
というテイタラクでも、私は全く困っていない。
これでも08年4月以前と比べたら、今やワタクシは、
格段にスペイン語がわかるようになった、・・・てなもんだ(苦笑)。

その点、『まいにちフランス語』のほうには、先日の仏検以来、
なんだかイヤなスイッチが入ってしまった。
ナメた態度で受験した準2級に、多分あと何点かというところで落ちた、
・・・ということを自己採点で知って以来、
「いつまでもラクしてちゃ駄目だ!次回もまたスベるぞ!」
という心の声が私を追い立てるようになった。

ちょっと不幸だ(爆)。

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お世話になっているインテリア・デザイナーの某氏からご案内を頂き、
昨日は昼に、某家具店が期間限定でやっている絨毯展示会を見に行った。
私は自分の装いには無頓着なのに、インテリアを工夫するのは大好きで、
今住んでいるマンションも、二年に一部屋くらいの割合で、
これまでカーテンを誂えたり、壁面収納をオーダーしたりして来た。
最初にLDK、次に主人の書斎を手入れして、今度は娘の勉強部屋を
期末考査が終わったらなんとかしてやりたいなと考えている。
全室を一度にやるほどの経済力が我が家には無い、というのも理由だし、
私自身、家族と相談しつつ部屋をつくる過程を楽しみたい気持ちが強く、
一部屋ずつ時間をかけて整えていくことが望みでもあるのだ。

部屋の雰囲気を決定するのはカーテンだと私は信じているのだが、
それに次いで、広い面積を覆うのが敷物だろう。
大きさ・価格の両面から、カーペットは私にとって決心の要る買い物だ。
だから未だに、官舎から持ってきたセ○ールの防ダニ加工ラグなどを
とりあえず、という感覚で敷いている箇所がほとんどだ。
昨日はそういうわけで、高級絨毯を見て「目」を養いたいと思ったのと、
もし良い出会いがあれば玄関マット程度は買ってもいいかな、
と考えたのとで、雨の中、某家具店の展示フロアまで行ってみた。

予想できていたことだが、家具店がやっている絨毯展示会なので、
それはそれは素晴らしい逸品揃いだった。品物も、お値段も(爆)。
私はもともと、ややクラシックな趣味なので、
メダリオン柄のベージュ系ウィルトン織りなど好きで、
うちにあるのは通販で買った機械織りポリプロピレン100%のヤツなワケだが、
こういう専門店が看板として扱うのは『特選 手織絨毯』だった。

材質はウールや絹、制作に数年単位を費やすような一点物ばかりで、
ナインやクム、タブリーズなどペルシャ絨毯の有名どころが揃っており、
ほかにベルギーカーペットや中国緞通などもたくさんあった。
最高級として展示されていたものは、大きさは3畳ほどのペルシャ絨毯で、
18金やパールを織り込んだきらびやかなタペストリー仕様の美術品だった。
「こういうのになると、一生に一度、見られるかどうかの品ですね」
と案内して下さったインテリア・デザイナー某氏が仰っていた。
お値段、まさに1700万円
小さいマンションがもう一軒、買えるぞ(汗)。
掃除機にカリカリっ!とパールのツブを吸い込んで真っ青になる、
という自分が容易に想像できてしまった(殴)。

もうチョト、現実的な話をさせて貰おうか、ということで、
私は玄関敷きを何点か見せて貰いたいと言ってみた。
85cm×60cmくらいの大きさなら、贅沢をしても知れているのでは、
と私は考えたのだ。
最初はマンション玄関の直線的なレイアウトを考慮して、
モダンなギャベのマットなどを勝手に眺めていたのだが、
途中で担当の男性が飛んできて、我が家の玄関フロアの床の色と材質を訊ね、
「それでしたら、ウールかシルクが断然お勧めです」
と、私の言うサイズのものを即座に四枚ほど出して並べて下さった。
そのうちの一点に、私の目は吸い寄せられた。
やや薄手のシルクで、小さな花模様をあしらったデザインが実に細やか、
かつ、見る角度によって、まるで別の配色のもののように濃淡が変わる、
という繊細な工夫が凝らされたペルシャマットの一枚だった。

触れてみると、うっとりとするような滑らかさだった。
さすがに絹の感触は違うのだった。
なんて気持ちが良いのだろう!
お客様が玄関を入られたときの最初のおもてなしが、
こういうところから始まるというのは最高だ。
こんなものを見たら最後、我が家の今の玄関マットなど、
風呂上がりの足ふきマット同様に思えてしまうじゃないか(--#)。

と、同時に私の脳裏に浮かんだことは。
こんなキモち良いモノを、もし猫が居たら見逃す筈がないな、
ということだった(わんこでも勿論そうだろう)。
かつて、うちにいたにゃんこのミーコちゃんやチー子は、
洗濯物を取り込むと、即座に上に乗って寝ていたものだった。
「これ!そこが気持ちええて、誰が教えたのっっ!!」
と毎回、母が怒っていた。
猫のいる家で、こんなシルクの玄関敷きなど備え付けたら、
たちどころにそれは猫の寝場所と化すだろう。間違いない。

価格は、65万円、分割払い可、とのことだった。
私は自分の目の高さに心から満足し、
担当者相手に、シルクの美しさを言葉を尽くして褒め称えたのち、
購入は固辞して、早々に展示場を辞した。
猫のための、65万円の特製一点物の寝床……、
帰る道すがら、それだけが繰り返し思い出されて、腹筋が震えた。

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子宮頸がん ワクチンで予防実現 高額費用…公費助成求める声(産経ニュース)

私は医療ヲタなので、医事関係の報道に対しては
「なるほど!それは怖い、大変なことだ!早くなんとかせねば!」
と素直に反応することが、とても少ない。
拙ブログを細やかに読んで下さっている方がいらっしゃるなら、
去年の新型インフルエンザ騒動のとき、私がどれほど厚労省や各種報道を
バカにした態度だったか(爆)記憶して下さっている方もあると思う。
『従来型インフルと大差ない。マスク?検疫?効果ないやろ。
結局、罹るときは罹ってなおるしかない、重症ならタミフル。
焦ってワクチンなんか受けんでも』
と私は当時、恐れげもなく大きな声で言い暮らしていて、
こんな人間に限って新型インフルで死んで「ざまぁ」と言われるだろう、
などと、ワザと、ここに書いたことを覚えている。

そんなヒネた私が最近賛同できずにいるのは、
子宮頸がん予防ワクチンの『公費助成』の話題だ。
『これさえ打っておけば子宮頸がんにかからなくて済む。
高額なワクチン費用(約半年間で三回接種・ひとりあたり計5~8万円)を
是非、政府で補助して欲しい、場合によっては公費で全額負担を!』、
……というのが各種団体や活動家の主張で、
それに応え、この件を参院選公約の目玉のひとつにしている政党もあるようだ。

私は、別段、支持政党絡みでどうこう言う気は無いのだが、
純粋に、費用対効果の面から、頸がんワクチンの公費補助には反対だ。
国が豊かで、いくらでも理想を追求し予算を割ける状況なのならともかく、
恩恵を受ける人が数万人にひとり以下の割合ではないかという頸がんワクチンには、
今急いで接種の公費補助まで実現させるほどの値打ちは無い、と考えているからだ。

私なりに検索等を試みた範囲で知り得たことが正しいならば、
まず『頸がんワクチンを打てば子宮頸がんに罹らない』とは言えず、
このワクチンは頸がんの原因ウィルスのすべてに効果があるわけではない。
頸がんはHPV(ヒト・パピローマウイルス)が最大の原因だと言われており、
HPVの種類はおよそ100ほどあるが、そのうちの16型・18型の感染が、
子宮頸がんの70%を占めているということがわかっている。
それで、今、話題になっている頸がんワクチンも、
主としてこの16型・18型の二種類を対象としている。
いかなるワクチンであれ、その効果が100%発揮されるとは期待できないし、
もとより今回のワクチンは30%の原因を最初から予防の対象外にしているので、
頸がんに関しては、接種を受けていても、子宮がん検診からは解放されない。

現在、日本の、子宮頸がんによる年齢調整死亡率は、
年度や資料にもよるが多くても2万人に1人となっている。
ということは『死亡』に関しては、2万人の女性に頸がんワクチンを打って、
漏れなく効果があったと仮定してさえ、ワクチンにより死亡を免れる人数は、
もともと頸がんで死ぬはずだった人の70%だから2万人中0.7人、
計算上「1人」にも達しないのだ。
残りの19999人は、ワクチン接種を受けようが受けまいが、死亡原因に関係がない。
予防接種の常として『うまく免疫がつかなかった』ケースが現実にはあるから、
発症原因の70%に有効という基準すら、厳密に言えば理想に過ぎない。

更に、免疫の持続年数については未知数だ。
リンクした記事は頸がんワクチンに対して好意的なことしか言っておらず、
『免疫は20年以上続くと推定』と最大に見積もった数字だけを載せているが、
医師により『5~6年』や『7~8年』という予測もあるし、
国立がんセンターのHPには
『予防効果がどのくらい持続するかについては、わかっていません』
と、とても正直なことが書いてある。
子宮頸がんの予防(国立がんセンター))
私がいちばん不安に思っているのは、
十代半ばで接種を受けて、30歳過ぎに結婚するとなった場合、
とっくに免疫が切れている、という可能性についてだ。
ワクチンで本気で予防するつもりであれば、追加接種は必須ではないのだろうか。
これまでのところ、そのあたりを詳述した資料には出会えてない。

ワクチンそのものについて、害が大きい、或いは無駄だという全否定はしないし、
効果の面に期待して接種を希望する、というのは個人の自由だと思うのだが、
現状のかたちで公費で補助してまで国民に普及させる必要性を
私は感じないと言っているのだ。
性別年齢問わず年に1000万人が罹るインフルエンザの予防接種なら、
予防効果が期待できる人数もそれだけ多く、まだマシだろう。
それに仮に型がハズレでも、一回3000円程度だから値段も知れている。
しかし頸がんは、最初から恩恵を見込める人数が非常に少ないし、
費用も桁違いにかかりすぎると思う。

11~14歳から接種対象年齢になるということだが、
常識的に、100%安全なワクチンは存在しないだろう、と考えると、
現時点の私には、期待できる恩恵のほうが少なすぎると感じられる。
ワクチンを打った安心感から、頸がん検診が軽視されるようになろうものなら、
むしろ本末転倒ではないかという心配さえしている。
私は保護者としては今のところ、娘にとって、
このワクチンが急いで受けるほど価値のあるものだとは考えていない。

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5月のポゴレリチ来日公演の際、KAJIMOTOの東京公演プログラムに
『山田亜葵』の筆名で書いた2500字程度の文章を掲載して頂いたので、
先日それをライターの森岡 葉さまにお送りした。
森岡さまには、ここ数年来、フー・ツォン関連で仲良くして頂き、
いつも気さくに朗らかにお声をかけて下さるのに甘えて、
私はもうずっと、大変にお世話になっているのだ。

森岡 葉さまのブログ:May Each Day
森岡 葉さま著:望郷のマズルカ―激動の中国現代史を生きたピアニストフー・ツォン

そうしたら、森岡さまが中国を旅行なさったときに、
『リリー・オイル』を買ってわざわざ送って下さった。
これは、実はポゴレリチのお気に入りの品だ。
ポゴレリチはこのオイルを結構以前から愛用しているのだそうで、
ときどき入浴の際に数滴入れて楽しんでおり、
また、5月の台湾公演のときにも、到着前に現地の主催者に、
『リリーオイルを1ダース買っておいてほしい』と頼んだ、
……ということが、台湾の記事に出ていた
(というのも森岡様が読んで教えて下さったので、わかった)。

白猴牌 百合油(リリー・オイル)

リリー・オイルにはメンソールや樟脳が含まれていて、
パッケージを開けただけでも、スっと良い香りがする。
気分を爽やかにし、頭がスッキリと冴える効果があるそうだ。
また、伝統的な家庭薬のひとつでもあって、
効能を見ると、風邪の頭痛や咳・鼻づまりなどのうっとうしさや、
ほか乗り物酔い等が原因の吐き気を緩和してくれる、とも書いてある。
主として外用で、こめかみや鼻の下などに塗ると良いそうだ。
更に、血液の循環を良くする効果があるので、
肩凝りや打ち身などに塗布して使う方法もあるとのことだ。

ポゴレリチはヨーロッパの人なのに、
一体いつどうして、リリーオイルに出会ったのだろう?
私が知らなかっただけで欧米でも一般的なのだろうか?
台湾の関係者に、買っておいてくれと頼んだのは、
これがルガーノでは簡単に手に入らないということなのか、
それともたまたま手持ちを使い切ってしまっただけだったのか?

いずれにしても、イタいファンである私は、これから、
「そうか、ポゴレリチも、このリリー・オイルを……」
と想像をたくましくして、自分も大いに楽しんで使ってみることにしよう。
折しも、蒸し暑くて不快指数の高い梅雨になったので、
冴え冴えとした気分になるために、これから役に立ちそうだ。

森岡さま、本当にありがとうございました<(_ _)>。


追記白花油向 Pogorelich音樂大師致意
ポゴレリチは、リリーオイルご愛顧に対し、「白花油」社より感謝されているらしい。
マエストロのサイン入り「I Love 白花油 Tシャツ」プレゼント、か?

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私本人が未だにポゴレリチの来日公演感想文を書いていない。
実はもう、かなりの分量の「下書き」が一太郎の中に眠っているのだが、
今回、書いて残しておきたいと思うことがあまりにも多すぎて、
箇条書き的になら書けても、なかなか全体を文章としてまとめきれないのだ。

ポゴレリチの、速度や音へのコダワリ方、
ポゴレリチの強い打鍵の特徴と、今回の来日での私の発見、
ポゴレリチの解釈のあり方と、楽譜の読み方、
5月3日と5日と6日がそれぞれ全く違う演奏会になった理由、
彼が「楽譜通りに弾いている」と強固に言い切ることの意味、
ポゴレリチは本質的に1980年から全く変わっていないと私が感じるワケ、
ポゴレリチの演奏は19世紀的なアプローチを基盤にしていると私が思う根拠、
彼の演奏が、現段階では「ライブでなければならない」、
レコーディングであの音楽は決して再現できないと私が感じている理由。

等々、等々、いずれも今回の来日公演を聴いて初めて思ったこと、
私なりにわかった(のではないか)と感じたこと、の分量が膨大で、
かつ、それらを読んで下さる方に伝わるように説明することが難しくて、
演奏会が終わってこのかた、書いては消し、書いては直し、
読み直してガッカリして、またあちこちいじり、の繰り返しで、
挙げ句に疲れて保存、なかなかサイトにUPするところまで行っていない。
一ファンのオバちゃんの雑文なんだし、私設サイトに過ぎないのだし、
次の来日までに書ければイんでない?とも思うのだが、
時間が経ちすぎると、印象が自分の中で歪んでしまいそうでそれも怖い。

それにしても今回のポゴレリチは非常に面白かった。
とてもとても怖い思いもさせられたが(6日の福岡公演!)、
全体として、彼が独りになってから何を目指して来たか、
が初めてぼんやりとだが私にも見えた気がした来日公演だった。
凄かった・素晴らしかった・彼は最高!という話ではないのだ。
なんという途方もないことを彼はやっているのだ、
という感嘆みたいなものが私の感想の大部分だ。

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イーヴォ・ポゴレリチの、5月の来日公演評が
今月発売の各種雑誌に載っている。
もうご覧になった方もいらっしゃるかとは思うが、
『音楽の友』7月号、『現代音楽』7月号を
私は昨日、地元の楽器店で見た。

実に意外なことに、大筋で褒められていた(爆)。
少なくとも、拒否されていなかった(爆爆)。

2005年の「復活」来日公演以降のポゴレリチ評には、
『照明が暗すぎ』『テンポが遅すぎ』『楽譜無視』
『不用意な打鍵』『原曲の姿かたちを留めないほどの解体』
等々の指摘がほぼ必ず出てきて、結論としては、
『90年代までのポゴレリッチはどこへ行ってしまったのか』
という、ある種の「期待はずれ」を述べるものが多かったと思う。
ポゴレリチの印象が90年代で止まっている聴き手や、
これまでCDやDVDでしかポゴレリチを知らなかった人の場合、
2005年以後の彼の実演に触れると、まずは何より、
驚きと呆れ、否定と疑問と悲観、を口にするのが普通だったのだ。

私自身は、とっくの昔に客観的な聴き方はできなくなっていて、
聴く前から、ポゴレリチの目指すものを聴き取る用意があり、
海外の批評記事やインタビュー記事にも目を通してあるし、
何より、彼の描き出すものに自分の感覚を可能な限り寄り添わせて、
彼の感じているものを一緒に辿ろうという意図も覚悟も、
演奏会の最初から、持っている。
つまり出発点からして、私は常にポゴレリチ寄りの場所にいたわけで、
私が彼の演奏の「良い点」に気づくことも、それだけ容易だった
(問題点を見つけることにかけても敏感だったと自負しているけれど)。

しかし「ポゴレリッチ」の名前だけでチケットを買った聴衆や、
数あるお仕事のひとつとして聴かれる批評家の方々には、
私のような前提はあり得ず、ポゴレリチ寄りに聴く必然性もなく、
『テンポが遅い』『曲が(音が)変』から出発せざるを得ないことが大半だろう。
それだと、彼の演奏会が違和感と不快感を覚えるのみで終わってしまっても、
無理もないことだと、ここ数年、私は思っていた。
そして、予備知識のない聴き手から拒否されるしかないとしたら、
彼の演奏は文字通りカルト的なものなのであり、
それを貫くのであれば、市場としての音楽業界で地位を維持することは
いずれ困難になるだろう、とも、私は最近ずっと考えていた。

しかし今回の『音友』『音現』は、違った。
前者は道下京子氏、後者は木村貴紀氏の批評なのだが、
いずれも、現時点のポゴレリチの演奏哲学のような部分に、
触れる意図を持って書かれた評になっていた。
それも『楽譜を超えても自己表現を優先する独自の世界があった』
みたいな、ありがちで安易なまとめ方とは全然違った。
このような観点から聴いていたのがファンだけではなかった、
ということを知り、ファンとしては大変意外であり、嬉しくもあった。

天変地異の前触れ??(←某ファン氏の弁)

・・・ご興味おありの方は、どうぞ本屋さんへお出かけ下さい(笑)。

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日本人の有望な力士が見当たらなくなって以来、
早晩、大相撲はオシマイになるんだな、とは思っていたが、
こうしてマスコミが、こぞって連日こと細かに
相撲界の裏事情をあげつらうのを見ていると、
いよいよ、人為的に国技としての大相撲を「終了」させようという、
大きな意志が働いているということかな、と勘ぐりたくなってしまう。

今まで、大相撲の賭博に関して、微に入り細を穿って報道したり、
文字にして取り上げたことはなかったかもしれないが、
相撲というのがそんなに「清く正しい」世界ではなかろう、
ということくらい、ちょっと興行というものを知っているヒトなら、
容易に想像がついていたはずだと私は思う。
少なくとも私は若い頃から、別に裏話など具体的に聞かなくても、
タニマチがいるという時点でアウトだろ(苦笑)、と思っていた。

ジャーナリズムの人々が、大相撲の裏の様相を、
最近初めて知ったとは私には到底思えない。
田舎の女学生にさえ想像がついていたことに関して、
報道に携わり、知識も手段も情報網も持っている人たちが、
長い間、全く無知であったなんてあり得ない。

清濁併せ飲む、じゃないが、
オトナの事情がそれはそれは様々にあるだろうということを、
観戦者でさえも、言われなくともちゃんと飲み込んだ上で、
かつての相撲の興行は成り立っていたと私は思うし、
そうした裏の世界の話を詳細に報道して、
世の中の一般人を怒らせたりガッカリさせたりしたところで、
なんの益にもならない、という判断が以前はあったはずだ。

しかし今は、それを取り上げて騒ぎにするメリットのほうが
なんらかの事情で大きくなったのだろうと思う。
その、『なんらかの事情』=『なぜ今、わざわざ言い出したのか』、
ということのほうに、私は大変興味を持っている。
いずれにしても、大相撲は一旦終わらなくてはならない時期に
来ているということだと思う。

理事長弟子雅山関与「責任は?」で逆ギレ(日刊スポーツ)

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