転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



全日本フィギュア、23日開幕
浅田真央選手「『いつも通り』が、一番今は大切な言葉」
(FNNニュース)

私自身、17歳の娘を持つ47歳の母親という境遇であるだけに、
浅田舞・真央姉妹をおいて逝かれたお母様の無念さは想像に難くないし、
この浅田選手の哀しみも、思うだけで痛々しいものがある。
そして、だからこそ、彼女の受けた打撃が大きければ大きいほど、
今、大切なのは、『いつも通り』にということだ、とも思っている。

「大丈夫?」「大変だったね」「無理しなくていいよ」等々と、
いたわる言葉をかけるのは、多くは善意からだとは思うが、
そう言われたら、本人は返事をしなくてはならないから、
その都度、自分の哀しみや、亡き人について、触れなくてはならなくなる。
葬儀の場などはともかくとして、やっと日常に復帰しようとしているときに、
会う人ごとにそのような言葉をかけられるのは、
果たして当事者にとって慰めになることだろうか?

私は、当事者が話を聞いて貰いたいという意思表示をしたとき以外は、
むやみやたらとお悔やみを言うのは、いかがなものかと思っている。
むしろ何事もなかったかのように、いつも通りの態度で接することのほうが
無言の慰めになり、本人を支えることにもなるのではないだろうか。
ひとりになり、自分自身と向き合わなくてはならない時間には、
否応なしに、哀しみや喪失感に対処しなくてはならないのだから、
少し距離のある周囲の人々は、もっと別の時間をなるべく自然に作り出し、
そのひとときを一緒に過ごすことに、力を貸すほうが良いと私は思う。
同時に、「いつまでも泣いてちゃ亡くなった○○が悲しむよ!元気出して!」
などと励ますのも、ほとんどの場合、よけいなことだ。
そもそも「常識」の期待する通りに、気丈に振る舞ったり、哀しみに沈んだり、
喪が明けたらすっかり立ち直ったり、
……などということができるほど、人の心は単純ではない。

また、つらくとも果たさなければならない仕事があるということは、
やりきれない哀しみにとらわれそうになるときに、人を支えてくれるものだ。
浅田選手が競技生活に戻ろうと決心したのであれば、
彼女のためにも、周囲のためにも、きっとそれが最善だろう。
せんだって、母上危篤の報に彼女がグランプリファイナルを欠場して帰国したとき、
『日本を代表する選手なのに、自覚がない』的なことを言った人たちがいたが、
今回の全日本出場の件では、逆に、
『まだ四十九日も済まないのに……』
などと匿名掲示板等で発言している人たちがいた。
世間というのは本当に、各自の持っている得手勝手な「常識」に当てはめて、
人様のことをとやかく言うものだと思う。

浅田選手たちはプロでなくアマチュアなのだし、いくら国の代表とはいえ、
日本はスケートに関して、国費を投じるような選手育成はしていない。
私達の税金によって彼女達の選手生活が成り立っている、とは到底言えないはずだ。
『わたしたち国民に対する責任』まで云々するのは、おかしいと思う。
私はこういうとき、選手個々の判断が尊重されて然るべきだと思っているし、
本当に彼女たちのことを、私たちの代表だと見なしているのならば、
せめて、彼女たちを傷つける言葉を口にすることくらい、
慎んだらどうなのだろうかと思う
(内心でいろいろなことを考えるのは各自の勝手だし、中には、
人を不愉快にさせることそのものを楽しむ、確信犯もいるとは思うが)。
私達の代表だからどんなときも声を大にして応援すべきだ、とは言わないが、
今夜の試合を、黙って見守るくらいの思いやりがあっても良いと思う。

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