転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



私にとって本当に残念なことに、ヤマハミュージック広島店が、
今月から演奏会チケットの取り扱いを全面的にやめてしまった。
会社帰りにちょっと立ち寄って、
「何か面白いコンサートは無いかな」
と探すのを楽しみにしていたのに、それができなくなってしまい、
私は今、かなりがっかりしている。

私にとって広島のヤマハというのは、
地域の演奏会情報を提供してくれる、とても大事な場所だった。
広島県民文化センターやエリザベト音大、区民文化センター等で
地元の演奏家によって行われる音楽会の情報やチケットは、
チケットぴあやイープラスで探しても手に入らないから、
これまでずっとヤマハのプレイガイドに頼ってきたのだ。
掘り出し物が多く、随分と楽しい思いをさせて貰って来たのに、
よもやそれが失われるとは、少し前まで予想もしていなかった。
こうなると、残る手立てはカワイミュージックショップ広島とDeoDeoか。

私の日常生活では、普段、楽器はそうそう新調しないし(爆)、
CDはamazonで探せば済むし(殴)、
これまでヤマハの何に用事があったかというと、
どう考えても一番はプレイガイドだったと思う。
その次に、雑誌や楽譜を探しに、というのが多かっただろうか。
書籍類はやはり一般の書店よりはずっと専門的な品揃えだと感じていたから……。

このご時世なので、楽器店の経営もなかなか厳しいのだろうし、
事業縮小や人員削減みたいなことはどの業界でも考えるだろう。
まさか儲かって仕方が無い部門を閉めるということはないだろうから、
終了が決まったところを見ると、プレイガイド運営は
ヤマハ広島店においては過去、プラスになっていなかった、
と考えるしかないが、それにしても実に惜しいことだ。


……1時の仕事が一件、キャンセルになったのでこれを書く時間があった(^_^;。

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一週間も日記を更新しなかったのは、もしかしたら新記録ではないだろうか。
9月から更に担当業務が増えて、いっそう時間がなくなってしまった。
ちょうど去年の今頃、今の会社に採用されたときの最初の条件としては、
週一回およそ4時間勤務とミーティング80分、が基本だった。
報酬や待遇については、月々のチケット代が稼げれば御の字、
というくらいの気持ちで始めた仕事だった
(↑いや、娘の学資の足しに…、だろうよ本来(殴))。

それが人手不足もあり5月からは担当業務の種類が倍になり、
9月からは更にほぼ倍増、それに伴って前後の勤務時間も増え、
目下、会社に行かなくて良いのは、日曜以外では月曜・木曜だけになった。
有り難いことに、道楽遠征をしてもお釣りが来る程度に稼ぐにようなったが、
体が空かないので、肝心の演奏会になかなか行けなくなってしまった。
特に金曜土曜の演奏会に出かけづらくなったのは痛手であった(T_T)。

今の日常は、午前中は家事その他大急ぎで片付け、正午過ぎに出勤し、
相変わらず要領悪く仕事をして帰ってきたら夕方5~6時頃で、
それから晩ご飯の用意、主人が帰宅し食事をし終わったらだいたい8時前、
そのあと持ち帰りの仕事と明日の準備をして、
メールチェックと細切れのネット巡回(笑)をすると、もう10時過ぎだ。
昼間の集中力が途切れて疲れが出ているので、その頃にはドロドロに眠い。
お風呂で温まって布団に入れば数分で寝入り、気付いたら朝、という有様だ。
ああ、このトシにして初めて垣間見たよ、ワーキングマザーたちの苦労を!
……いや違うな、既に娘は独立して家に居ないのだから、
私は実質、マザーの部分での苦労なんか全然していないわけか(汗)。
しかも私の出勤は昼からだというのに!どんだけ駄目人間なのだ私は。

しかし何がどうであれ、今の職場は日曜・月曜に関しては本来的にお休みだ。
つまり、私が12月のポゴレリチ東京公演に行く自由は、保証されている♪
土曜にかかっていたら、どうかすると行けないところだったよ(爆)。
道楽の神様はワタクシに、ポゴレリチを聴きに行って来いと仰せだ。
これが何より、有り難いことだ。

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頼山陽 史跡資料館の平成26年度企画展『文人たちの手紙』を見てきた。
私自身は自力で古文書を読むことはほとんどできないのだが、
ここ数年来の頼山陽趣味で、頼家の背景知識が少しは頭に入っていたことと、
展示に詳細な解説がついており理解を助けてくれたこととで、
彼らの書簡の面白さを、自分なりに十分に味わうことができたと思っている。

山陽本人だけでなく、父・春水、叔父の春風・杏坪、息子の聿庵、
母の静子(号は「梅(ばい)し(=<風思>」)、妻の梨影に至るまで、
頼家の人々はそれぞれ達筆で、かつ、なかなかに筆まめだった。
能書家揃いの彼らの手紙は、まずその書体や書きぶりそのものが見事であり、
更に、添えられた和歌や漢詩等も含めて、
作品的な完成度の高いものも少なくなかった。
その反面で、親しい間柄ではいかにも口語的な言葉使いの手紙もあり、
彼らの日常的な言い回しや口調について様々に想像させられ、面白かった。
また、一時期は山陽の保護者でもあった儒学者・漢詩人の菅茶山が、
頼家の面々と活発な手紙のやりとりを終生続けたので、
彼らの残した書簡は、時系列に沿った記録としての価値が高く、
今や、当時を忍ぶ第一級の史料となっていることも興味深く思った。

昔から著名人の書簡を木版印刷で出版する企画はあったし、
頼家の男性たちは、学者や書家として存命中にそれなりの名声を得ていたから、
将来の公開の可能性を全く考慮しなかったわけではなかったかもしれないが、
それにしても、こうした手紙がまさか数百年を経てなお現物のままに保存され、
私のような頼家と何の関係もない一般人の女(笑)の
鑑賞の対象になると想像することまでは、おそらくできなかっただろう。
ましてや、山陽の妻であった淳や梨影らは、歴史上もほぼ無名の存在であり、
自身の一筆が後世の人間の目に留まることがあろうなどとは、
全く考えられもしないことだっただろうと思う。
私としては、ここに至るまでの多くの歴代関係者の尽力や、
幾重にも重なった幸運に、感謝せずにはいられなかった。

ときに今回の展示では、文化7年9月の、菅茶山と頼春水の書状に関して、
どうも解説文が本体とは逆につけられているのではないか
と私は見ていて気になった。
内容の書き起こし部分は合っていたと思うのだが、
表題と紹介文を載せたプレートが、多分、反対になっていた。…と思う。
私が何か勘違いしているのだろうか(汗)。
自信がなく、申し出ることは躊躇してしまったのだが、
やはり、言ってみるべきだっただろうか(大汗)。

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きょうまで半世紀、ほとんど日本から出たことなく暮らしてきた私が、
東欧のクロアチアという国に興味を持つようになったのは、
ひとえに、イーヴォ・ポゴレリチの存在があったからなのだが、
近年は更に、クロアチアで音楽を学ばれた日本人演奏家の方々が、
とても意欲的に活動していらっしゃることを知るようになった。
留学先として、西欧やアメリカとは違いクロアチアを選択された方々が、
彼の地で若々しく個性的な演奏家へと成長し、
国際的に活躍の場を広げられてることを
私は日本の音楽愛好家のひとりとして、本当に嬉しく思っている。

そのような活動の一環として、今月末には、
日本クロアチア音楽協会(代表:ピアニスト安達朋博氏)
の主催するサロンコンサートが行われる由、
先日、出演者のおひとりである高橋若菜さんからお知らせを頂いた
(本当にありがとうございました!)。
残念ながらこの時期、私自身が広島から出向くことは難しいのだが、
こちらをご覧下さっている首都圏やその近辺の方々が、
この機会に関心を持って下さったら嬉しいと思う。

日本クロアチア音楽協会主催 クロアチア音楽サロンVOL.1(PDF)
2014年10月31日(金)19:00 南麻布セントレホール
(以下のチラシ↓は、クリックで拡大します)


ちなみに高橋若菜さんは、以前こちらでご紹介した通り
かのマリーナ・アンボカーゼ女史の薫陶を受けられたピアニストで、
このほど女史の理念とメソッドを受け継いだピアノスクールを開校された。

Marina Piano School(千葉県八千代市)

アンボカーゼ女史は、アリス・ケジュラッゼ女史の親友で、
90年代半ば以降、ポゴレリチの師としての役割を引き継ぎ、
長くクロアチアにあって、彼の音楽を支えて下さった方だ。
二人の師を得た経験について、かつてポゴレリチは、
「別の金のスプーンで、同じ飲み物を飲むような体験だった。
若い頃には妻から、そして成熟したのちにはマリーナから、
同じ純粋な知識を学ぶことが出来て幸運だったと思う」
と語っていたものだった(2005年11月27日 NHK芸術劇場)。

現在、アンボカーゼ女史は高齢になられたので教授職を退かれ、
故国グルジア(来年度以降国名表記は『ジョージア』に変更される見込み
に戻られているのだが、前述のMarina Piano Schoolのサイトでは、
クロアチアでの在職当時の、アンボカーゼ女史の写真や
そのご指導の様子について知ることができる。
また、女史が流れを汲むリスト・ジロディ楽派についてや、
演奏家・教師としての彼女の楽譜の扱い方等についての興味深い記述を、
若菜さんのブログで読むことができる(ポゴ氏ファンの方は必見です)。

リスト・ジロティ楽派とは?(Marina Piano Schoolのレッスン日記)

ポゴ氏ファンの方や、クロアチアに関心がおありの方にとっては、
今月のクロアチア音楽サロン、そしてMarina Piano Schoolは
非常に魅力的な企画ではないかと思う。
お時間おありの方、ご興味を持たれた方は、
この機会に是非、お問い合わせ・お出かけになりますように。

……そして私に、おみやげ話・体験談・ご感想等を
あとで教えて下さいましたら嬉しいです(^_^;。

以上、お知らせまでに。

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本日10月20日は、イーヴォ・ポゴレリチの誕生日だ。
1958年生まれの彼は、きょうで56歳。

新プログラムによるリサイタルが、欧州各地で好意的に迎えられている由、
太平洋のこちら側から、とても嬉しく思っている。
私がファンサイトを始めた10年前には、
ポゴレリチのコンディションは決して良いとは言えず、
検索で見つけることのできた数少ない演奏会情報も、
当日を待たずにキャンセルとして消えてしまうことが、ままあった。
契約が履行された演奏会も、困惑や論争のもとになるものが大半で、
皆がかつて知っていたポゴレリチというピアニストは既に失われてしまった、
と考えた人も当時は少なくなかった。

それが最近の数年に至っては、どうだろう。
ほぼすべての演奏会が予定通り、精力的に行われているだけでなく、
協奏曲もリサイタルも、新シーズンには完全に新しいプログラムとなり、
かつ、それらが着実に好評を博している。
『ivo il divo』、『Le Retour du Roi』、『Pure Meisterschaft』、
ヨーロッパの公演評には、彼の演奏の成果を認める見出しが並んでいる。
ファンとしての私は、年々、満たされていることを感じている。
90年代同様、毎年、あるいは隔年で、来日公演を行ってくれるようにさえなった。

もうこれ以上、欲張ってはいけないのかもしれない。
しかし、あと一つ、彼に果たせていない、大きな仕事があるとすれば、
それは、録音活動への復帰ではないだろうか。
90年代までは、およそ年に一枚のペースでディスクを出してきた彼が、
95年録音の『ショパン:スケルツォ集』を最後に、
この20年近く、全くスタジオから遠ざかっている。

かつてグールドが聴衆に背を向け、理想とするスタジオに籠もったのとは逆に、
ポゴレリチにとって価値ある演奏の場が、今ではコンサートホールだけになった、
というのであれば、それはそれで、私なりに支持したいとは思う。
彼の今の音楽は、果たして録音というかたちで記録可能な性質のものなのか、
聴き手としての私も確信の持てないところがあるのは事実だからだ。
しかし、9年ほど前の夏、ポゴレリチは明確に言っていた。
「私は、アーティストにとって録音は義務であると思っている」と。

今もその考えが変わっていないのであれば、
ポゴレリチにはどこかでもう一度、レコーディングスタジオに戻ることを
考えて貰いたいと思う。
このままでは、彼の姿は今後、公式的なディスクに記録されることなく、
1995年9月の時点で停止してしまうことになる。
2012年の復活以降のポゴレリチを知るのは、演奏会の場で彼を聴いた者だけ、
……というのは、将来のことを考えたとき、やはりあまりにも残念だと
私は思わずにいられない。

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リカちゃんのパパが「今年のイクメン」受賞 1年間の“育休”を宣言(Eltha)
『人気キャラクター・リカちゃんの父で音楽家の香山ピエール(36)が16日、『イクメン オブ ザ イヤー 2014』イクメンキャラクター部門を受賞した。ファッションデザイナーのママ・織江との間に6人の子どもを持つピエールは、子どもをお風呂に入れたり、料理、掃除をしたりと、子育てや家事にも積極的にかかわる姿を披露。そんなイクメンぶりが評価されての受賞となった。また、ピエールは本日より1年間、育児休暇を取得すると宣言。子育てを通じて得られる幸福を世に伝えていくという。』

こういう記事に丹念なツッコミを入れる暇がない、今の自分の境遇が残念だ。
昭和のリカちゃんトリオで遊んだことのある世代がこれを読めば、
必ずや盛大なB00を、ピエールに向かって送ったことと思う。
リカちゃんがどんな少女時代を過ごしていたかは、以前書いた通りだ

『フランス生まれのピエールだが、フランスは1994年には1.65人まで下降していた出生率が2.01人にまで回復し、少子化対策を成功させた“子育て先進国”。「そんな国で生まれ育った彼は、なにより家族との時間を大切にして、見せてきた」(タカラトミー)ことが評価され、今回の受賞となった。』
と記事には良いことだけが書かれているが、
このピエールという男は実のところ、以前は家族を全く顧みていなかった。
それどころか連絡すら寄越さなかったのだ。
だって、40年前にリカちゃんは、
『悩みはフランス人のパパの行方がわからないこと』
と言っていたのだから。

『リカちゃんが発売された1967年は高度成長期の父親像は仕事に精を出す「モーレツパパ」が一般的だったため、香山家も長らく父親不在状態だった』
というのも、日本語としてややおかしいのはともかくとして、
口当たりよく美化された話だと思う。
香山家は、そんな平均的な家庭とは違うし、
ピエールはモーレツ社員などやったこともない(はずだ)。
職業が『音楽家』、というのはオーケストラの指揮者なのだが、
今年1年間、育児休暇を取得できるというのだって、
待遇の良い会社に勤めているからではなくて、
大前提として、この男が自由業だからなのだ。
香山母娘が、かつてピエールの消息をつかめなかったことから考えても、
彼は特に著名な指揮者とも言えないようだし、要はかなり暇なのではないか。

さらにケシカランことには、香山家の姉娘が今では黙殺されている。
リカちゃんは長女ではない。本当は次女だ。
長女はリエといい、職業はCAだったが、どういう事情があったのか、
当初は織江・リカ母娘と、このリエは、生き別れ状態だった。
勿論、ピエールがふらふらして家にも寄りつかなかった時代の話だ。
それが、織江があるとき搭乗した飛行機にリエが偶然に乗務していて、
ホクロの位置が決め手となり、香山家の娘と判明したのだった。
その後の何年かは、リエお姉さんはリカちゃんたちと一緒に暮らしていた筈だ。
双子の妹たちが生まれた頃までは……。
あれから、リエは一体どこに行ってしまったのだろう。
かなりワケありな感じがする。

そんなこんなを全部「無かったこと」にしておいて、
日本で『イクメン オブ ザ イヤー 2014』なんかに選ばれ、
フランス人なのにマッパで娘らと一緒に風呂にまで入ってみせるとは、
ったく、どこまで調子のイイ男なんだ、ピエールは。
自称36歳?怪しい……。

……もっといろいろ言ってやりたいことがあったのだが……時間切れ。

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既に10月の講座が始まって三週目。
あと数日もすれば、次の11月号のテキストも発売される。

今季のフランス語初級編、スペイン語入門編に関しては、
いずれも去年の春季講座の再放送なので、安心して聴けている。
とりわけフランス語の久松健一先生の講座に対しては、
やっと私の馴染んでいる方式に戻ってくれた(涙)!という喜びがある。
頭の固い典型的日本人との誹(そし)りを受けようとも、
私はやはり、規則をおさえ文法事項を積み重ねながら学ぶ、
というやり方が性に合っているし、自分としても最も成果が上がる。
久松講座で私が一番気に入っているのは、『練習問題』のコーナーで、
各問、テキストを見ずに頭の中だけでフランス語を組み立て、
フロランス先生による正解が出て来る前に言い終える、
というのが、今の私にはとても心地よいトレーニングになっている。

フランス語の応用編は新作で、
芳野まい先生、ピエール・ジル・ドゥロルム氏による、
『ファッションをひもとき、時を読む』だ。
私はほとんどファッションには興味がないが、
フランス語の難易度が今の自分には適切で、
オーバーラッピング、シャドーイング等に使うのにちょうど良い。
『語句と説明』欄で文法事項をよく押さえて貰ってあるのも有り難く、
納得しながら文章を読めるので助かっている。

スペイン語は入門編だけしか聴いていないが、
菅原昭江先生の講座は初級文法によく目配りされた内容で、
学習者としても無理がなく、勉強がしやすい。
アナ、ナチョ、ホセにカルメン、何よりオウムのパキート、
96番地の懐かしい面々とまた会えて嬉しく思っている(*^_^*)。
何かと多忙なこの秋、内容のわかっている再放送講座で、
自分にとってはとても良い巡り合わせになったと思う。

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この週末は、私の外国語学習史(笑)において、
本当に素晴らしい出来事があった。
5年前、『まいにち中国語』を担当していらした郭春貴先生に、
仕事関係の繋がりから、思いがけず直接お目にかかる機会が得られたのだ。

郭先生は、当時の放送から私が想像していた通り、
いや、それ以上に、教養豊かで温かい方だった。
先生は、中国語・日本語・英語をお話しになるので、
私が最初に御挨拶したときは日本語で答えて下さったが、
こちらの同僚のアメリカ人を交えたときには、ごく自然に英語を使われ、
その合間に、同郷の方々とは勿論、中国語で談笑なさっていた。
複数言語間の鮮やかなswitchingを私は目の当たりにした。

私が、『まいにち中国語』を聴いていたことをお話すると、
先生はとても喜んで下さった。そして、
「一緒に写真を撮りましょう!」
と仰って下さったので、御言葉に甘えて、
近くにいた同業者のカナダ人男性に頼み、撮影して貰った。
確認したら、私は興奮のあまり、イった目つきをして写っていたが(爆)。

そのあと先生から、
「中国語の勉強を、今も続けていますか?」
と尋ねられて、私は恥じ入った。続けてなかった(殴)。
それどころか私は、簡単な自己紹介すら、中国語では出来なかった。
英語だったら、これ、アイ・アム・ヨシコのレベルだぞ??
嗚呼、先生の大ファンと言いつつ、一体何を習っていたの。

しかし、今回のことで、私は光栄にも郭先生に覚えて頂けた(筈だ)。
本当にありがとうございました、郭先生!
不肖・転妻は今、改めて決意を致しました。
中国語、またやり直します(爆)。

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今年6月に、Yahoo!メールがベータ版へと強制的に変更されて以来、
許し難いほどトラブルが多く、我慢に我慢を重ねて来たのですが、
このところ特にメール閲覧に多大な支障を来しています。
Yahoo!メールが画面に表示されるまでに途方もなく時間がかかり
(おそらくは、待っていてもいつまで経っても表示が終わらず)、
閲覧・削除・返信作成等の作業ができません。

そのような中でも、時にはすんなりとアップされることがあり、
そうしたチャンスを捕らえて、たまっているメールの返信をして来ましたが、
私本人も時間が自由にならない生活をしていますので、
Yahoo!メールの不具合にゆったりと付き合っている暇はなく、そろそろ限界です。
先日、Yahoo!に問い合わせと苦情のメールを送りましたが、
私が既に試したことばかり指示されたのみで、改善はありませんでした。
拙サイト(ポゴファンサイト)がgeocitiesであるご縁もあり、
Yahoo!メールはサイト開設以来、大変便利に活用させて貰い、
旧・正式版には長きに渡って様々にお世話になりました。
ベータ版に以降しても使用は続けるつもりでしたので、大変残念です。

ちなみに本日の状況は、Google Chromeからでは、
Yahoo!メール受信箱は完全な表示がされず、
Internet Explorerでは表示そのものは可能ですが、
返信画面からの日本語入力ができません。
Google Chromeのインストールのやり直し、
Internet Exploreのリセット等も試しましたが、状況は変わりません。

以上のような事情で、大変申し訳ありませんが、
今後、お急ぎの御用件は、私のこれまでのメアドではなく、
@yahoo.co.jpの箇所を@gmail.comに変えたアドレス宛に
お送り頂けましたらと思います。
拙サイトのトップページのメールリンクも、
本日、Gmailのほうに変更を致しました。
Yahoo!のもとのメアドからGmail宛てに転送されるよう設定もしましたが、
私は目下、Yahoo!メールの処理能力について全幅の信頼はおいておりません。

Gmailのほうは過去10年近く、快適に使用を続けて来たアドレスですので、
Gmailが奇妙なバージョンアップなど試みないことを切に願っています(爆)。
(gooメールではありません。念のため)

ほかに、Twitter、facebook、mixiのメッセージも適宜チェックしております。

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皆既月食
昨夜は月食だった。
運良く晴れていたので、夕食後、近所の川縁まで見に行った。
私の携帯のカメラではもともと撮影は困難だったが、
それでも、赤い月が小さく写ったので、
2014年10月8日に自分で見た記念として、残しておくことにした。
『らせん @dddrill :火山の噴火があって疫病が流行って大風が吹いて月が欠けて、
今が平安時代だったら確実に元号変わってるよな……』
というツイートにウケた。
場合によっては遷都なんかも良いかもしれんな(笑)。

『よしおぅ』の彼
私を『よしおぅ』と呼ぶメキシコ人男性が、この秋、東京に来ることを計画している。
彼と私は、そもそもはポゴレリチが縁で某英語掲示板で知り合い、
ここ何年か、時々メール交換をしている仲なのだが、
残念ながら、今回の彼の旅行日程は私の仕事と重なっており、
直接にガイドして差し上げることは、おそらく難しい。
てっぱんホールは近い?地下鉄で行くのがベスト?」
「これからボクは日本の映画を観るよ。イサオ・タカヒタだよ」
「成田空港から直通のアサカワ地区のホテルを取ったよ」
彼のメールには、パッチもんがいろいろと登場するので油断がならない。
必要に応じて確認、ときに訂正しつつ、私は日々、
自分にできる範囲で、助言や提案をしている(^_^;。

ポゴ氏、パリ公演
昨夜はパリでポゴレリチが弾いた。
シューマンのピアノ協奏曲。
Ivo Pogorelich à propos du Concerto pour Piano de Schumann(YouTube)
「これはオーケストラとピアノにとって、謎めいた、啓発的な作品であり、
また革新的な一曲でもあると私は思う」
「シューマンによって導入されたテクニックを20世紀の作曲家ですら利用している」
「特に左手に際だった役割が与えられている」
「今日でも非常に心惹きつけられる作品であり、
我々はこの曲を様々な角度から考えることができる」
「欠くことのできないものはインスピレーションとパッション」
等々とポゴレリチは述べている。
一時期の、今にも停止しそうなテンポ設定とは異なり、
今回のシューマンは駆け抜けるような速度で演奏された。…らしい(汗)。

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