転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は実家に行った。
四捨五入すると90歳になる両親は、変わりなかった(^_^;。
ただ、居間のファックスが新しくなっていた。
これまで15年間使っていたものが先日壊れたので、
両親は某百貨店の外商に頼んでカタログを持ってきて貰い、
深く考えず、見た目が前のと似ているものを選んで注文したそうだ。

届いてみると、最新の機械はスバラしく進化して多機能になっており、
両親にとっては、ひどく使い勝手が悪くなっていた。
着信を示すランプがついているので押したら、
機械が電話番号を一方的に何件か読み上げて終わったり、
留守録を再生しようとしたら、「迷惑電話に気をつけましょう」などという
メッセージがやたらと繰り返されるだけだったり、
全く、使い方がわからなくなってしまったのだという。
取扱説明書をひもといてもみたが、
「○○の場合→○ページへ」と書いてあり、
その○ページへ行ってみたら、似たような文面のあと、
「○○の場合→○ページへ」とまたほかのページを参照せよと書いてあり、
たらい回しされた挙げ句、何も解決しなかったとのことだった。

少し前まで、先代からお世話になっていた電機屋さんが村にはあったのだが、
ついに先年、老齢になった店主が店じまいして隠居してしまった。
それで今回、ファックスを買うにあたって百貨店の外商を頼ったわけだが、
こうなってみると、簡単に話のできる業者さんがいなくなったことは、
両親にとって大きな痛手であった。
ちなみにこの電機屋さんというのは、私が小学生だった頃には、
村のあちこちの家が買う雑誌や書籍を扱っていたお店でもあった。
当時、うちの村には書店などというものは存在していなかったので
書籍は電機屋さんに注文すると、月に一度、届けて貰えることになっていたのだ。

「せやから、最近はファックスがわからんときは魚屋に訊くことにしてんねん」
と母は言った。
実家のあたりは田舎ゆえにか、今でも御用聞きがあるのだ。
馴染みの魚屋さんのおじさんが来たときに、
「これのF1って書いてあるとこ押しても、何も始まらへん」
などと母が言うと、おじさんは
「そういうときは、先に、こうじゃろ?」
等々と、気さくに教えてくれるそうだ。

おじさんでもわからないことが時にあり、そういう場合、おじさんは、
「待ちんさい。いっぺん息子に訊いてみるけ」
と言って、一旦、家に帰るそうだ。
そうすると、若い息子さん(←中年)が
たちどころに謎解きをしてくれて、わかるようになるのだという。
生き字引のようである、と母は会ったこともない息子さんを崇めていた。

今、うちの両親の社会生活がどうにか保たれているのは、
某鮮魚店の御主人、特に御子息のお蔭である。
心からの御礼を申し上げたい。


いや~、それにしても、ファックスを扱う魚屋があろうとは。
人間、トシとると物凄い解決法を平気で編み出すものやね。

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私にとって連休初日の20日(日)、宝塚~大阪に行って来た。
今回の宝塚は大劇場観劇ではなく、
宝塚南口在住の友人某氏宅にお邪魔するのが、主な目的だった。
某氏は宝塚観劇の大先輩なのだが、
近年、ずっとビーズアクセサリー製作をされていて、
2時間もあれば何個か完成できるから一度つくりにいらっしゃい、
と幾度かお誘いを受けており、それがこのほどようやく実現したのだ。

私は、スワロフスキーのようにきらびやかなものには、
どういうわけか強く心惹かれたことは無かったのだが、
コットンパールのマットな質感は以前から好きだったので、
グラデーションのコットンパールのネックレスを作りたい、
ということを事前に伝えておいた。
そうしたら、某氏はいろいろと材料を揃えて待っていて下さった。
私の希望したデザインは、パールをワイヤーに通して行くだけで、
編む作業は要らなかったし、留め部分や端の加工は某氏がして下さったので、
失敗なく(笑)、三種類のネックレスがあっという間に完成した。
もともとが宝塚ファン同志なので話題は尽きなかったし、
某氏のお宅には可愛いワンコもいて、私にとっては天国であった(^^)。

午後2時に某氏宅を辞して、今度は池田の逸翁美術館に向かった。
ソルーナ(磯野千尋)さんが、『帰ってきたタカラジェンヌ』企画の
Vol.37『―未来へ―』というコンサートをなさることになっていたからだ。

逸翁コンサート 磯野千尋~帰ってきたタカラジェンヌ~Vol.37(阪急文化財団)

退団後のソルーナさんにこんなにたっぷりとお目にかかれるなんて、
私にとっては初めてのことだった。
会場は美術館一階のマグノリアホールで、150席くらいだっただろうか。
私にわかっただけでも、ソルーナさんの同期生のお仲間や、
萬ケイさん、立ともみさん、鈴奈沙也さん、ほか現役生の姿も少し見えた。
サヨナラ公演時やフェアウェルパーティで見かけたソルーナファンの面々も
各地から集結しており、同窓会状態だった(笑)。

歌劇団の作曲家で理事の吉田優子先生のピアノで、まずは『Dada BERLIN』。
往年の花組ファンの皆様ならばおわかりですね、
『秋~冬への前奏曲』の、あのヒトラーそっくりさんの歌ですよ(>_<)!
そして、ご挨拶と短いトークのあと、続けて
『赤いけしの花』『アマール・アマール』『新撰組隊士の歌』。
どれも、ソルーナさんが在団中に出演された舞台から選ばれた、
主題歌やソロ場面の曲ばかりで、懐かしいメロディの連続だった。
『エリザベート』からはグリュンネの『皇帝の義務』、ツェップスの『退屈しのぎ』。

専科生となってからのソルーナさんは各組に出演されていたので、
私にとってはたかこ(和央ようか)さん主演で記憶している舞台の歌も数々あった。
『ダンシングスピリット』から『第二章』、
そして『カステル・ミラージュ』の名場面『コーサ・ノストラ』!
(↑ツアー公演を観た人はご存じ、ボス・アントニオの卓球台のソロ!!!)。
雪組『シルバーローズ・クロニクル』からは『ブラッド・ブラザーズ』、
月組『エドワード8世』から『25周年を祝う歌』。
……クロニクルをクリニカルと発音されていたのは、ご愛敬だ(逃!)。

ソルーナさんにとって、『華麗なるギャツビー』のジョージ・ウィルソンは
やはり強く心に残った役であったようで、
『愛の楽園』と『神は見ている』は、ほとんど舞台の再現に近かった。
相手役として朝峰ひかりさんも舞台に登場され、
短いながらこの二曲は芝居としても十分に見せて貰った。
きんちゃん(朝峰)がまた歌も凄いが、マートル役としてやたら格好良かった。
特に退場する一瞬の仕草に私はシビれた(笑)!

それから、『ジタン・デ・ジタン』からジプシーキングの歌。
これまた、かつての花組を観た者としては胸に迫る思い出の一曲だった。
89年の花組本公演ではなーちゃん(大浦みずき)がソロを歌った場面で、
いつもダンサーだったなーちゃんが歌手としての大役を貰ったことで、
生前、ご本人も後々まで思い出深かったと語っていた一曲だったのだが、
ソルーナさんは、なーちゃん退団直後の92年花組地方公演で、
この歌をそのまま受け持って歌われたのだ
(あのツアーではショー演目が『ジャンクション24』だったのだが、
本公演の『ジャンクション24』にあった、なーちゃんサヨナラ用の場だけ、
『ジタン・デ・ジタン』から選ばれたこの場面に差し替えられていたのだ)。

ここでソルーナさんは一旦退場、吉田先生のピアノソロで『パリに帰りて』。
花組『メモワール・ド・パリ』でも使われた曲だが、
ここでは花組『ベルサイユのばら』のフィナーレ場面の編曲だったので
またまた、音を聴いているだけで名場面が目の前に蘇った。
黒燕尾で髪メッシュのソルーナさんが大階段センターを降りてくるところ、
そして主演のなーちゃんが舞台中央からせり上がって登場する瞬間!
装飾のない純然たる黒燕尾、胸元にただ一輪の紅薔薇~~!!!
………。

ピアノソロが終わって、拍手、
続いて明るい前奏に乗って、ホール後方の扉が開き、
登場したソルーナさんは男役風のジャケット姿。
曲は花組ベルばらの『シャンソンメドレー』。
プログラムには細かい曲名は出ていなかったが、私は勿論、知っている、
『パレ・モワ・ダムール』『パダン・パダン』『パリ野郎』。
更に『マスカレード』も歌われたので、このあたりは私の脳裏には、
ルコ(朝香じゅん)さんの姿が幾度も蘇った。

終盤はしっとりとしたソルさんの大人の魅力が全開となって、
ジャズナンバー『サマータイム』、
『As Time Goes by(カサブランカ)』『So in Love(キス・ミー・ケイト)』。
そして退団後に改めて男役を務めた『CHICAGO』から
エイモスのナンバー『Cellophane』。
ラストナンバーは再びシャンソンで『黒い鷲』。
当然のことながら拍手は鳴り止まず、アンコールは『Far Away』。


男役・磯野千尋にこんなに完全なかたちでまた会えた、
というのがファンにとっては何よりも嬉しかったことだった。
OG公演は各種あるが、なんと言ってもソルーナさんは、
つい二年前まで宝塚大劇場の舞台に立ってらした方なので、
退団後の今も、少しも変わることのないタカラジェンヌなのだった。
そして、一片の音楽からでも幸福な思い出を限りなく蘇らせてくれる宝塚歌劇は、
やはり良いものだなと、長年のファンとしてしみじみ思った。
ふとしたフレーズを聴いただけでも、美しかった場面や、懐かしい生徒さんの姿、
観ていた頃の自分、等々を一瞬で思い出すことが出来た。

こういうひとときを持って下さったソルーナさんに心からの御礼を申し上げたいと思う。
そしてどうかまた、このような機会を設けて頂けたらと願っている。
最高の午後でした。本当に、ありがとうございました(^^)!!

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(写真は娘の母校の通用門横に咲いていた彼岸花)

お彼岸ということで、朝、主人と一緒に舅姑のお墓に行った。
きょうは完全な休日で時間制限がなかったので、
すみずみまで丁寧に墓掃除をすることができた。
絞った雑巾で私が墓石を拭いていたら、主人が、
「おとうさん、四国がんセンターの雑巾ですよ~(^^)」
と私の口調をまねて言った。
何を言うのだ、違う、断じて違うぞ、
あのときの雑巾、…じゃないタオルは勿論ちゃんと返却した。
これは墓所の洗い場に並べてあったお寺さんの雑巾のうちの一枚だっ(笑)。

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昨季は後半戦2勝も…今年は8月以降負けなしのマエケン(ベースボールキング)
『13日の阪神戦で、今季初めて中4日で先発した広島の前田健太は、7回を2安打無失点に抑え、リーグ単独トップとなる13勝目を手にした。』『8月27日の登板で8回を無失点に抑え勝利を挙げると、9月2日の試合でも7回を1失点にまとめ勝利投手になった。そして、前回登板の中日戦から中4日で先発した13日の登板でも、7回を無失点。3週連続で阪神戦に登板しているが、その間に許した失点はわずかに1。3勝0敗、防御率は0.41を記録する。』『阪神戦だけでなく巨人、中日からも勝利しており、8月以降は5勝0敗、防御率1.01。先発した試合は全てQS(6回3自責点以内)を記録し、エースにふさわしい投球でチームを引っ張る。』

記事にもあるが、昨年はしっかり優勝争いに絡んでいながら
後半の大事な時期になってマエケンで勝つことができず、
「自分のせいで優勝を逃したと思っている」
とまで、マエケンはシーズン後に某雑誌インタビューで言っていた。
しかし今年は全く違う。マエケンは目覚ましい働きをしている。
カープはAクラスどころか、未だに借金を返せたためしのない勢いだが(爆)
それは断じてマエケンのせいではなく、
22試合連続1桁安打という球団記録更新中の圧巻の貧打線と、
某指揮官の高すぎる「バカの壁」が、主な理由である(←言った!!!)。

セントラルリーグ順位表(09月13日)
1 ヤクルト 勝65 負60 分2 勝率 .520 差-
2 阪神 勝65 負61 分2 勝率 .5159 差0.5
3 巨人 勝66 負62 分1 勝率 .5156 差0
4 広島 勝61 負62 分3 勝率 .496 差2.5
5 DeNA 勝57 負71 分1 勝率 .445 差6.5
6 中日 勝56 負71 分4 勝率 .441 差0.5

何はともあれ、今、広島市内は燃え上がっている(笑)。
JRにはカープ電車があり、カープICOCAが発売され(→後日記:警察が出動する騒動であった)、
市電は『常昇魂』印で、乗れば選手の声で案内アナウンス、
赤道直火と書いた赤ヘル応援タクシーが市街地を走り回り、
百貨店にもスポーツ用品店にも土産物売り場にも、必ずカープコーナーがある。
郵便局の黒田博樹復帰記念切手は発売と同時に完売、
本屋では正面の目立つ棚三段分がカープ関連書籍で埋め尽くされている。
弁当やパンは言うに及ばず、牛乳、スパゲティ、各種調味料、
食塩にもアルコールにもスナック類にもカープ坊やがついていて、
スーパーもあちこち赤く、買い物客はどこにいても『それ行けカープ』を聴かされる。
マツダスタジアム帰りなら、ビヤガーデンだって割引になるし、
カープが勝ったら、居酒屋で勝利特典があったりドリンク半額になったりする。

ずっとBクラスで借金背負ったままコレって、どんだけ(^_^;。


追記NPB、ビデオ判定の「誤審」認め謝罪 阪神―広島戦(朝日新聞2015年9月14日18時39分)
『日本野球機構(NPB)は14日、阪神甲子園球場で12日に行われた阪神―広島戦で、本塁打性の飛球を巡るビデオ判定が誤りだったことを認め、謝罪した。審判の判定についてNPBが「誤審」を認めるのは極めて異例。実際は本塁打だった打球が三塁打となったが、試合は引き分けで成立しており、記録の訂正はしないという。』『プロ野球では2010年から本塁打を巡る判定に限りビデオ判定が導入されたが、NPBがビデオ判定の誤りを認めたのは初めて。』『誤審があったのは2-2で迎えた十二回表1死。広島の田中が中堅左へ放った飛球はフェンス上部付近からグラウンドにはね返った。審判はフェンスを越えていないと判断。広島側の抗議で審判団はビデオ映像を確認したが、改めて本塁打ではないと判定した。田中は三塁まで進塁しており、そのままプレー続行。広島は得点できず、試合は2-2のまま引き分けた。』

この日の先発は戸田で、実によく頑張った試合だった。
貧打のカープが能見から2点もよく取れた(爆)、とも私は思った。
あの田中の長打がホームランとして認められ得点できていれば、
恐らく試合の結果も違っていた筈だ、
もしも最終的に0.5差でカープがCS進出を逃す展開にでもなろうもんなら、
……と、どうしても言いたくなるのを、今は許して貰いたい(^_^;。

誤審だったと、認められないよりは良いが、全くもって「今更」過ぎる話だ。
謝罪して戴いても、それでは済まないですねぇ。
『審判団は(中略)ワイヤに当たってはね返るとは思わず、「本塁打ではない」と思い込んだままビデオ映像をチェックしていたという。このため、打球がフェンスを越えていたのを見逃したとみられる。』
とはまた、本気で言っているならあまりにお粗末ではないか。
カープが打つわけがないという先入観は、それほど根強かったか(爆)。


追記2ジョンソンでカープ5割!いざ逆転V(デイリースポーツ2015年9月16日)
『「広島1-0巨人」(15日、マツダスタジアム)』『勝負はここからじゃ!広島のクリス・ジョンソン投手(30)が巨人キラーぶりを発揮。8回5安打無失点と好投し、12勝目を手にした。これで今季巨人戦は3試合で23回連続無失点。チームは2分けを挟んで5連勝とし、3月31日以来となる勝率5割に復帰。3位巨人とのゲーム差を1.5に縮め、首位ヤクルトと3差をキープした。』

……9月15日、カープが、やっと借金完済した。
この日、ローテでは先発は福井だったが、
「ここはジョンソンじゃろ」
と私が思っていたら、本当にそうなった。
ほぼ初めて緒方と気が合った。勝ったじゃろ?見てみぃ(笑)。
それにしても、巨人しゃかもと(坂本)のエラーで貰った1点だけとは、
とことん打てないカープ。どーすんだ、これから。

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昨日はTOEICを受けに行った。
ここ数回、受けるたびにスコアが5ずつ下がっていて、
自己ベスト更新どころかジリ貧状態なのだが(爆)、
この際「参加することに意義がある」と自分を励まして出かけた。
……そして、毎度同じ感想だが、「語彙力がなさ過ぎる」と
今回もまた思ったorz

Part1は易しかったのか、全く迷わず10問続けることができて、巧くいった。
続くPart2は、前半は調子よく解答していたのに、
後半は、女性ナレーターのアクセントに惑わされてからグダグダになった。
Part3とPart4は、質問だけは先読みをして聴いたのだが、解答になると、
「ああああ~、そこちゃんと聞いてなかったね(T_T)」
とガックリ来たところが何カ所かあった。
選択肢までしっかり先読みすることが今後の課題か……。

Part5の文法事項は易しいものが多かったと感じたが、語彙で失点した。
Part6はあまり印象に残っていない。
ということは、ちゃんと解いた手応えがなかったわけだから、
失敗しているのかもしれない(汗)。
Part7はSP(シングルパッセージ)の後半に読みづらいものがあり、
DP(ダブルパッセージ)に移ったとき残り30分になっていて、
「これはややキツいか(^_^;?」
と内心で焦り、180番台の込み入った(ように私には思えた)DPを一題後回しにして、
190番台を全部解答してからそこに戻ったりした。
結果的に時間は5分くらいは余ったが、ぎりぎりだった(汗)。
読解問題でもやはり課題は語彙力だと痛感した。

会場は某大学で、音響や机の状態など何も不満は無かった。
長机だったが両サイドにひとりずつという席割りだったので、
心理的・物理的な圧迫感も特になかった。
つまり、成績がいかに悪かったとしても今回は環境のせいではない、
と言わねばならなかった(汗)。

***************

『President』にTOEIC関連の興味深い記事が出ていた。
受験者262万人! なぜTOEICは日本でこれだけ広まったのか?
三宅義和・イーオン社長とゆかいな仲間たち【第6回 千田潤一 前編】

(PRESIDENT Online 2015年9月10日(木))

私は、80年代の終わり頃だったか90年代の初めだったか、
某保険会社勤務でいらした千田潤一氏が、雑誌『CNN English Express』に、
資格試験受験体験記を連載なさっていた頃に読者だったことがあり、
英検1級がTOEICやTOEFLではどのくらいのスコアに相当する力なのかとか、
通訳ガイドを取るのにどういう勉強をすれば良いかなど、
実に様々なことについて、千田氏の文章や資料を参考にさせて戴いたものだった。
その頃のTOEICはまだ歴史が浅く、一般に広く知られた試験にはなっていなかった。

TOEICの誕生から普及に至る過程においては、
雑誌『タイム』を発行するタイム・インクの
元アジア総支配人・北岡靖男氏の尽力が大変大きかったことが
今回の記事からよくわかる。
北岡氏は、従来のTOEFLとは異なる、
『下から上まで測れる長い物差し』としての新しいテストの必要性を説き、
『TOEFLが30センチの物差しならば、1メートルの物差しをつくりたい』
とアメリカのETS(Educational Testing Service)に訴え続け、
TOEICの開発にまで漕ぎ着けたということだ。

その北岡氏の逸話として今回、私の印象に残ったのは次の箇所だった。

【三宅】千田先生はもちろん、TOEICで900点をはるかに超えるスコアを持っていらっしゃいます。けれど「次は満点取る」と宣言されたら、北岡さんにひどく叱られたそうですね。
【千田】怒られました。955点取ったときに「次は満点取りますから」って言ったら、ものすごく怒られました。(中略)北岡さんは、いまを予測していたのでしょうね。「このテストが普及すると、スコアが高いから偉いとか、満点を取ったら偉いという風潮が出てくるよ」と言っていましたから。それは北岡さんのめざしたものではありません。めざしたのはコミュニケーション能力。

言われてみれば、TOEFLについては「スコアが高ければ高いほど偉い」
という感覚を持ったことは、私は無かったという気がする。
80年代、私の若い頃はまだPBTのTOEFLの時代で、
私は二度受けて初回が597点(ライティングのTWEのあった回でこれのスコアは5.5)、
600超えを狙った二回目が607点だったことを覚えているが
更に上を目指そうという発想は、その当時には無かった。
基準としては、アメリカの学部留学には550以上、大学院留学には600以上、
というのがあったが、それを超えてしまえばTOEFLそのものに大きな意味はなく、
TOEFL満点(677点)連続10回!等々が自慢になることはなかった。
できるヒトは、そんなに受ける前に留学先が決定していたのだろうし、
TOEFLのスコアより、行き先の大学名や専攻名のほうが遙かに重要だった。
そもそも満点がいくつなのかも、少なくとも日本の受験生の間では、
あまり浸透していなかったように思う。

TOEICはその点、留学が叶うか叶わないかのための試験ではなく、
純粋に英語力の診断テストであったために、
伸びれば伸びるほど価値があるという話に、必然的になってしまった。
しかし、この『長い物差し』で自分の英語力を測っているのは、
現在持っている英語力を、これから更に効果的に使っていくためだ。
スコアという客観的なかたちでの結果を手に入れたなら、
その数字ひとつで躍起になったり威張ったりするのではなく、
今後どこを伸ばしどこを補強すれば、現場でより良い英語が使えるかを
考える材料にするべきなのだ。

私自身、TOEICの連続受験により、スコアの罠にハマりつつあったな、
ということを、大いに反省させられた。
TOEICで得たものが、公私両面の生活で活かせるようでなければ、
私はTOEICに固執するのをやめなくてはならない。
TOEICのスコアは上がったが、相変わらず仕事での英語は不自由、
アメリカ人との雑談すれば話の腰を折ってばかり(爆)、
という状態が続くのであれば、私は方向性を誤っているということだ。

上の記事は『前編』とあるので、『後編』も楽しみだ。


***************

<付:10月5日正午Web結果発表>(10月10日スコアシート着)
L495 R490  Total 985


めでたく自己ベストを更新できた。
アビリティーズ・メジャード(項目別正答率)の欄を見る限り、
私はリスニング2ミス・リーディング4ミスだったことになり、
スコアやパーセンタイルランク(L98 R99)から言っても、
誤答数はだいたいそのようなものだっただろうと思われる。
嬉しいが、当日はさほど巧く行った手応えが無かったので、
心からの納得はしていない(汗)。
カンが当たった的な要素が結構あったと思う。

また、ここまで来るといずれは満点を狙ってみたい気がしないではないが、
英語運用能力の向上がないまま数字だけを追うとしたら、まさに、
上記の記事で千田先生が「いけない」と仰っている状態にハマることになる。
年頭に目標として掲げた「スコア・アップ」は叶えられたのだから、
今年いっぱいでTOEIC挑戦は終わらせるほうが良いかもしれない。

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・既にかなり前のことになってしまったが、
某社のインターンシップが決まっていた娘は、
それに間に合うようにと、8月下旬に横浜に戻った。
最近はもう、本当に娘が何をやっているのか私には皆目わからない。
文字通り、No news is good news である。
娘は首都圏で就職活動をするつもりだと言っていた。
私が今の娘の立場でも、やはりそうするだろう。
やりたい仕事が・行きたい会社が、……等の問題だけでなく、
まあその、いろいろな意味で(笑)。

・私の風邪はその後、終息に向かっている感じがする。
一週間前、咽喉が痛くなった最初の日に、微熱が出て早寝したが、
そのあとは案外、悪化しなかった。
咽喉痛は日に日に薄れ、クシャミと空咳はときどきあるが、
鼻づまりにはならなかったし、声も枯れなかった。
3月、5月、そして今回と、今年になってから3回の風邪をひいたが、
経過がそれぞれかなり違った。
風邪のウィルスには本当に様々な種類があるのだな、
と、改めて納得できる思いだ。
ちなみに3月のが一番うっとうしいヤツだった。
熱が出た上に経過が長く、声もなかなか戻らず、
咳や鼻炎などの後遺症が取れるまでの日数も、かなりかかった。
ああいうのは、もう今後はあまりかかりたくないものだ。

・9月5日土曜日に、親戚の結婚式があった。前夜、主人が、
「えっと……、結局、誰の結婚式だったっけ(^_^;」
と尋ねるので、今更だなとは思ったが、
「○○ちゃん」
と教えてあげたら、主人が更に、
「○○ちゃんって、誰んとこの誰だったけ?」
と訊くので、
「△△さんの2番目のお嬢ちゃん」
と続柄も説明してあげた。
もう何度目の説明なのか、というのもアレだったが、
何より呆れるのが、△△さんは主人のほうの従兄だということだった。
主人の家は、うちと違って極めてシンプルな親族関係なのに、
なぜ覚えられないのかと、とても不思議に思った。

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11月、菊之助が初役で魚屋宗五郎を演る地方公演のあることが
今年の夏前にわかり、広島にも来るというので大変楽しみにしていたのだが、
なんとこれが、通常の公文協西コースなどとは全く勝手の違うチャリティ公演であり、
鑑賞券は無料で、往復葉書による応募→抽選、
という仕組みになっていることが、先月、判明した


そして、その応募の詳細が本日付で発表されていた。
第三十三回ANAチャリティー大歌舞伎 広島特別公演(中国新聞アルファ)

解せないのは、『募集人数 昼夜各ペア400組(800人)』の箇所だ。
会場の上野学園ホールの客席数がおよそ1700であることを考えると、
ここでは、概算で全体の約半数弱しか募集されていないことになる。
残りの客席は、どのように使用されるのだろうか?
それらのうちの相当数が一般発売されるのであれば大歓迎だが、
先月、私が電話で問い合わせたときに聞き間違えたのでなければ、
この公演に関しては通常の座席販売はなく、すべて応募→抽選だった筈だ。
もしそうなら、残りの客席は、誰を対象としたどういう扱いになるのだろうか。

……ということが気になってしまうくらい、私はこの公演が観たいワケですよ(^_^;。
ともあれ、往復葉書(懐かしいぞ)を書いて、出そう。


追記:ひとつ判明した。
残りのうち、昼夜各300組(600人)はANAカード会員の席だった。
ANAカード会員限定 第33回ANAチャリティー大歌舞伎(ANA)
すると、あとは昼夜それぞれ300席ずつが、
更にほかの何かにあてられているということになる。

追記2:当落の発表・通知に関しては、
中国新聞は、返信葉書の発送(→後日記:我が家には落選通知が10月20日に来た)、
ANAは、当選者にチケットの発送(昼の部:2015年10月16日(金)、夜の部:2015年10月23日(金)発送予定)
があり、当選しなかった応募者への通知は特にない、となっている。

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風邪  


・昨日、朝起きたら咽喉がぼんやり痛くて、風邪だなと思いつつ、
予定はすべてこなしたのだが、帰宅後、夕方になって微熱が出た。
体温は37度少々で、節々は痛いが寒気はなかったので、
これ以上はさほど上がらないだろうと判断し、
前に風邪をひいたとき内科で貰ったPL顆粒の残りを一服のんだ。
腰から脚にかけてが怠く昨夜は寝にくかったが、
今朝は咽喉痛と咳と鼻炎、という症状はあるものの熱は下がった。
専業主婦だった頃の私は、年がら年じゅう腹部不快や倦怠感などの
些細な苦情が多かった一方で、派手な風邪をひくことは少なかったのだが、
勤めに出るようになって以来、日常的なマイナートラブルは激減したかわり、
わかりやすい風邪を数ヶ月に一度程度、ひくようになった。
……気がする。
今回は、主観的には夏このかたの疲れが出たという気分だが、
直接的には多分、30日に宝塚大劇場で風邪を貰ったのだと思う。
私の隣と真後ろの人とが、観劇中かなり咳き込んでいたので(汗)。

『吉例 顔見世大歌舞伎 十一世市川團十郎五十年祭』
(平成27年11月1日(日)~25日(水))にて、海老蔵長男の勸玄くん初お目見え、
とのことで、これは何をおいても馳せ参じなくては、と思って演目を観たら、
なんと音羽屋の旦那(菊五郎)さんが御所五郎蔵ですって!!
土右衛門が左團次、与五郎が仁左衛門って、なんという豪華キャスト!!
海老蔵は信長を演るし河内山もあるし。
それに松緑が義経って、……こんな配役があり得たとは(笑)。
先代團十郎というと、私を最初に歌舞伎に連れて行ってくれた母方の祖母が、
その早逝を長く深く悼んでいたものだったが、はや没後半世紀なのか…。
と、それはともかくとして、歌舞伎座11月か、
となると、これと東京宝塚劇場の星組『ガイズ&ドールズ』を
組み合わせられんものかな、と早くもワルいことを計画する私であった。
大劇場で観た演目を日比谷まで追いかけたいと思うなんて、久しぶりだ。
しかし海老蔵の出る歌舞伎座、星ガイズ@東宝、
……どっちも、とてつもなくチケットが厳しそう(大汗)。
「以前はどうやって宝塚のチケット手に入れとったん」
と主人は笑うのだが、たかこ(和央ようか)さん在団当時は、
私は宝塚友の会に入っていたし、和央の会もあったし、
更に四方八方にファン仲間のネットワークを持っていたからこそ、
激戦の東京公演だってなんとかなったのだ。
さすがに今はもう、どれも(私に関しては)実働しとらんのだよ(^_^;。

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