転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「南セントレア市」の「セントレア」って、横文字だったらどう綴るのか、
という疑問について、以前の日記に書いたことがあったが
27日に住民投票が行われ、即日開票されたところ、
美浜町と南知多町の合併そのものに関して反対票が多く、
結果として合併問題自体が振り出しに戻り、新市名論争も終わることになった。

住民投票で合併反対が多数(中日新聞)
南セントレア市めぐり合併問う住民投票、反対が過半数(朝日新聞)

あまりにもハイカラ(死語)な市名をごり押しで打ち出そうとしたから、
招かなくても良い反発まで招いてしまい、多額の税金を費やすことになり、
合併問題まで失敗してしまった、・・・ように見えて仕方がない。
カタカナ市名でこれほどの全国的関心を集めなかったならば、
なんらかの住民投票が行われたとしてもここまでの投票率にはならず、
少なくとも合併については、今ほどの関心を持たれることもなく、
実現していたのではないかと思う。

本来的には、有権者なら誰もが、地域の行政というものを、
問題意識を持って見つめるべきだし、
同時に、当事者だけでなく全国の多くの国民が注視している、
という状況は、やはりそれだけで、大きな力を発揮するのだと、
今回のことで改めて思った。
こうして、民意の反映された結果が出たことを、とても喜ばしく思う。
民主主義は、確かに、このように運用されるべきものだろう(^_^;。

そして、とりあえずこれで、将来うちの娘が、
セントレア人!」と呼ばれる可能性は無くなったのだな(^^ゞ。

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1.H2Aロケット7号機、打ち上げ成功…衛星を分離(読売新聞)
私は実は、心密かにH2Aロケットの行く末を気にかけていたのだ。
私なんかが気にしたところで、何がどうなる訳でもないのはわかっているけど。
そういえば『アメリカの陰謀で不良部品を掴まされて前回6号機は失敗した』、
という説さえあったっけな(^_^;。
保険にも高額のため入らなかった(入れなかった?)H2Aロケットだったが、
とにもかくにも宇宙の藻くずにならずに、打ち上げることが出来たようで、
とりあえず良かった。でめたしでめたし。
いつ天気予報が見られなくなるかと、ここ数年ヒヤヒヤだったぞ。


2.NHK人間講座『人生・愛と美の法則』美輪明宏
・・・のテキストを、遅まきながら今日買った。
美輪様ファンを名乗る者としては、まったく、出遅れてしまったものだ。
本放送は3月まであるし、前半に関しても再放送・再々放送に間に合うので、
これからしっかり視聴したいと思う。

イマドキは(←出たぞ、おばちゃんの常套句!)、
なんでもまずはケチをつけたり揚げ足を取ったりすることで、
自分の優位を確保し、しかるのちに相手を責める立場からモノを言う、
という、とげとげしい態度がもてはやされる面があるようだが、
私はそういうものをいつしかほとんど評価しなくなった。
その種の物言いだってひとつのスタンスだとはわかっているし、
確信犯的な手法としての書き方・話し方があることも想像できるが、
私自身がそれらに共感することが、実に少なくなったと思うのだ。

美輪明宏の放射するオーラは、そんなものとは根本的に違う。
日本人がもともと持っていた言葉の美しさ、それらに宿る情緒の細やかさ、
そして善なるものには必ず見いだすことのできる「愛」と「美」、
・・・こういう事柄に丹念に光を当て、選び抜かれた言葉で語る、
美輪明宏の世界は、いつでも私を豊かにしてくれるとしみじみ思う。


3.杉村春子賞 尾上菊之助(読売新聞)
歌舞伎もしばらく観ていないし、
菊之助も生で見たのはいつが最後になっているのか。
このような賞も受賞され、ご活躍で、嬉しい限りだ。
『27歳になって新人賞というのも、ちょっと恥ずかしい気もしますが』
との、菊之助の話が紹介されているが、
あの丑ちゃんが27歳になっていた!ということのほうが、
私にはかなりショーゲキだった(^_^;。

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婦人科に行って、先週の検査結果を聞いてきた。
とりあえず、異常なかった(T.T)。良かった。
ヘモグロビン値も血清鉄も、これまででは一番良い値だった。
腫瘍マーカーのCA125も18だったので正常値(普通35以下)。
これらに関しては、ちょっと安心しても良いかな(^_^;)。

一方、きょうは舅のほうも受診日だった。
先日、手術で切除したものの病理検査の結果が出ていて、
やはり、食道癌からの転移性肺腫瘍とのことだった。
一年余り前に既に一度、リンパ節転移もしているので、
今後もまた、出て来る可能性は高い、という説明だったそうだ。

だが現状では他に異常がないため、追加治療は見合わせとなり
(舅が出来るだけ抗ガン剤はしたくないという意向でもあるので)、
今回の処置については、一旦、終了ということになった。
また何かあれば対処する、という方針で良いらしい。

ところで、ケアマネさんからの話では、なんと舅は、
介護保険を使って支援を受けることに、消極的ながら賛成したそうだ。
最初、一昨日ケアマネさんが舅と話し合ったときには、
案の定、舅はけんもほろろにこの提案を断ったらしいのだが、
昨日になって、舅のほうからケアマネさんに改めて電話があり、
あれから考え直したから、そのプランをいっぺん、持って来てみなさい、
と申し入れがあったというのだ。

偉いぞ、じーちゃん!

舅の気性では、他人の世話になることなど本来は耐え難いだろうが、
自分の現状や今後の見通し、姑との生活を再開したい希望など考慮し、
必要に応じて人に頼ろう、という判断が出来たことは、素晴らしいと思う。
この件で私は、舅の状況判断の的確さを改めて感じたし、
断った翌日にでも、変な意地を張らずにケアマネさんに電話し、
譲歩の姿勢を見せたことは、とても率直で、立派だとも思った。

・・・・しかし、そんな気になったということは、
強がっていても、やはり体がつらいのだろうな・・・。

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忙しくてここに記録する機会を逸していたが、娘はあれから、
いつぞやの塾の1月下旬の選抜テストに何故か運良く(殴)合格できたので、
この3月から、いわゆる中学受験用の塾というものに行くことになった。

全国転勤があり、いざ中学進学のときにはどこに住んでいるか予想できず、
したがって志望校も全く決めようがないといういい加減な状況で、
塾だけ行ってこの先、どうなるんだ?と私は疑問があるが(^_^;、
「子供が学科の勉強するのは、良いことである」
という主人の言に従い、とりあえず行ってみることになった。

まあ、中学受験塾というものに在籍するのは今しかできないことだから、
その実態がどんなものか、これを機会に覗いてみるのも良かろう。
そして本当に学校の成績でも上がれば一石二鳥、
・・・と正直、期待しないではないが、世の中、そんなに甘くないか。

ところで、この塾で貰った入試資料を眺めていたとき、
最近は、合格発表が各学校のHPでも見られる、
ということを私は初めて知った。
相前後して、昨日、遊びに寄った某日記サイトでも、
お嬢さんの大学入試結果をネットで確認、という話題が出ていた。
そうか。世間は既にそういうことになっていたのか。

インターネットによる合格発表はいろいろな形式があり、
個別に自分の受験番号や暗証番号を入力して合否を調べるものや、
合格者の受験番号一覧がPDFファイルの形式で公開されているものなど、
各学校によって多少、異なっているようだ。
だがいずれにせよ、ネットでの発表というのは決して特別な話ではなく、
全国でももう、かなりの数の学校がこの方法を採用している
(参考:2005年インターネットで合格発表する国公立大学)。

だったら、学生アルバイトなどによる「合否電報」なんて、
今は需要がないのだろうか(^_^;)。
私は高校受験では苦労していないので(広島のド田舎の県立高校で、
常に定員割れだったから、受験さえすれば必ず合格だった・爆)、
発表でドキドキしたのは大学受験だけなのだが、これまた、
掲示板の前で祈り手状態で自分の番号をさがす、
という経験をしたことがなかった。
なぜなら(不)合格を見るためだけに東京くんだりまで出かけるのは、
時間的体力的経済的に、どうにも無理があったからだ。
しかし合否通知は郵便で、数日はかかるから、待つのも辛すぎた。
それで、試験当日、会場前で客引きしていた合否電報屋さんに、
発表があったらすぐに、電報を打ってくれるよう頼んだものだった。

そういえば昔は、
サクラ サク」「サクラ チル
などという、それなりに味わい深い優雅な電文があった。
奈良女に合格した知人のは「ダイブツ ホホエム オメデト」、
北大を受けて落ちた友人のは「ツガルカイキョウ ナミタカシ」。
他に聞いた話では、早稲田に受かったら「イナホ ミノル」、
慶応合格なら「福翁ホホエム」、
下関水産大に落ちたときには「フグ毒アタル」、
鹿児島大不合格だと「サクラジマ 不発」、
などというのもあったようだ。

私のは

ホケツ

という、とりつく島もないものだったけど(T.T)。

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久しぶりにどこへも行かない一日だった。
というか、きょうは、ケアマネさんが舅とサシで話がある、
ということで、私は敢えて同席しないほうがいいと言われていたので、
舅宅へ出向く予定もなくなり、不意に、ヒマになったのだ。

舅へのケアマネさんの話は、舅自身が介護保険の申請をして、
術後の今だけでも、家事支援などを受けるようにしてはどうか、
という内容で、私も内心ではその方向に賛成なのだが、
果たして、舅がそのようなことを受け入れるかどうかが問題だ。

ミもフタもない話だが、過去二年間の我々との同居は舅にとって、
思い通りにならないことが多すぎ、窮屈でやりきれなかった。
我々にとっても、舅の従前のライフスタイルを尊重せねばと気張って、
自分たちの生活が圧迫される面が、まま、あった。
それで昨年夏に、円満に(^_^;)同居を解消した訳だが、
私が手伝いに行くと言っても、別居では限界があり過ぎる。
いきおい、舅が孤軍奮闘で姑の世話をすることになる。
舅自身が病身だから、気持ちはあってもそれでは体がついて来ない。
私たちの心配は常にそこにある訳で、ケアマネさんもそれを察してくれ、
舅とゆっくり話してみたいと申し出てくれたのだ。

だけど。
私の予想:たぶん舅は家事支援を受け入れないだろう(^_^;)。

ケアマネさんからの報告はまだ今のところ来ていない。
良い方にカタがついていればいいなと思うが、難しいのではないかな。
舅にとっては家はまさに自分だけの城だ。
自分の手で、隅々まで仕切り、思い通りに手入れすることこそ、
彼の生活の張り合いなのだ。
そんなところへ他人を入れるなんて、容易には納得しないだろう。


ということで、私は一日、久々に家にいた。
で、このBlogのHTMLとCSSをいじくっていた。
思うところあってコメント欄をなくし
(これまで楽しいコメントを下さった方々には心より御礼申し上げます)、
トラックバックのみ可の設定にし、色の組み合わせも変え、
全体を、自分好みのBlogデザインにしてみた。

・・・このあと、動作がヘンになってたら私のせいです(^_^;)。

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イラクどこ? 大学生4割誤答(時事通信)

『高校で地理を学習した大学生でも4割がイラクがどこにあるかを
知らないことが22日、日本地理学会の調査で分かった。
米国の位置を知らない大学生も3%、北朝鮮を間違えた大学生も1割いた』

いつもエラそうに「今時の若いもんは」的なことを言うワタクシだが、
この記事は、身につまされる。実に、耳の痛い話だ(^_^;)。

私なんか国内でも、何県がどこにあるかと訊かれるとわからないのがよくある。
九州や四国の県の位置関係がちゃんと言えるようになったのだって、
福岡に半年、今治に3年住んだという体験があったからこそで、
小学校5年生で習った頃から一貫して、私はこういうのが苦手だった。
全然わからない訳ではないが、だいたいしか把握できていないので、
いざ白地図を見せられて「何県はどれ」などと言われると、全然自信がない。

ちなみにアメリカの「東海岸」「西海岸」という概念も、
二十代の半ばにもなって生まれて初めてニューヨークに行ったときに、
ようやく身に付いたものだった。
それまでは、例えばロスもシカゴもNYもワシントンDCも、
私の頭の中では東京~京都~大阪~広島程度に並んでいたのだ(爆)。
そういえばハワイがどこかも知らなかった。

『高校で半数の生徒が地理を学ばない現在の教育課程では、
正しい世界認識は育たない』
という、地理教育専門委員会滝澤委員長の言葉が紹介されているが、
私は高校で地理B(当時)が必修だったから、ちゃんとやっている。
化学のように、学年でビリだったというほどの見事な思い出もない。
この程度に学んでいてさえ、全然身に付いていないのは、もう処置ナシか。

実は、私の実母も戦前の女学校時代、地理が全然できなかったという。
それはもう、本当に先生泣かせなほど地理の成績が悪く、
幾度追試されても点数が取れなくて、あるとき担任の先生が、
「きみはどうして、こんなに地理ができないのかね」
と、とうとう我が母に尋ねたのだという。

母の答えは。
行ったことがないからです

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夕方、舅宅に行ってみたら、舅は元気そうではあった。
だが手術跡はやはり痛むそうで、病院で貰った鎮痛剤を飲むと、
全体がしびれたような感じになる、と言っていた。
まあこればっかりは怪我と同じで、傷がふさがるまでは『日にち薬』、
と思って我慢するしかないだろう(^^ゞ。
だいたい、抜糸も済んでいないのに退院して来たのだからね。

しかし、少々痛かろうが不自由だろうが、
『やっぱり、家が良い』と舅は満足げだった。

私「煙草が美味いですか(^_^;)」
舅「(ふかしながら)美味い。美味いのぅ~~(^o^)」
私「咳き込んだりして、喫いにくいことはないですか」
舅「全然っ♪」

そりゃ良かったね(^_^;)。いや、良かったか悪かったか知らないが。

舅「病院におっても、つまらんわいや」
私「自由がないですもんね。テレビもチャンネルが限られてるし」
舅「ほうよ。うち帰りゃ、こうしてスカパーたらいうのがあるし、の」
私「病院じゃ、さすがにこれは観られませんでしたね」

舅「昨日、ついにモウモウは解約したで」
私「そうですか(^_^;)(だからWOWOWだってば)」
舅「電話して、やめるて言うたら、『なんでですか』てむこうが言うけ、
 年寄りの見る番組が無いんよ、って言うたった」
私「今時の映画が多いんですかね?」
舅「ほうよ。西部劇でもありゃ、まだええんじゃが、
 観よりゃ、いっつも、ガイジンがくっついたり、はなれたり
 わしゃもう、そういうのは、どうでもええんよ」

そう言いながら、舅はベッドに寝ころんで枕を高くし、
煙草を喫いながら、お気に入りの『時代劇チャンネル』を
ずっと流しっぱなしにしていた。

息子である主人は殺人事件が大好きで、「火サス」など録画してでも観るが、
舅のほうはひたすらチャンバラが観たいらしかった。
結局どっちも、画面では人が次々と倒れているのだった(^_^;)。
さすが親子。

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日曜日の話では、舅は、きょう、退院する予定らしかった。
退院すると決まったら、また、電話するけ
と彼は言った。確かに、言った。

それで、私は今朝からずっと家に居て、掃除などしながら、
電話が鳴るのを今か今かと待っていた。
電話があり次第、病院に出かける気分で、私の支度は出来ていた。
舅は来なくていいと言ったが、やはり病院への挨拶もあるし、
荷物も少ないとはいえ、あるだろうから、私が行ったほうがいいだろう。
決まったとなれば、舅の意向なんかどっちであれ、病院に行くのだ。

ところが。
10時になり、11時になり、12時になっても、電話は鳴らなかった。
おいおい(^_^;)。きょう退院じゃなかったんかい。
もしかして、じーちゃんは無理な外泊がたたって、熱でも出して
(前にそういうのがあったのだ)、きょうの退院は無しになったのか?

いい加減、病院に電話でもして、訊いてみるかと思ったとき、
ようやっと電話が鳴った。12時半になっていた。

私「もしもしっっ」
舅「おうおう。わしじゃ」
私「おとーさん!やっぱり、予定通り退院ですか!?」
舅「ああ。今、もう家に帰っとるけえ
私「は!?」
舅「午前中に退院して、ばーちゃんとこ(ステイ先)行って、
 今、家に帰って来たとこ」
私「は、はぁ。そりゃまた、ご退院、おめでとうございます(^_^;)」
舅「ふふふふふふ」
私「で、どこも、なんともないんですか?」
舅「おう。ぼちぼち、の」
私「気をつけて下さいよ~。今から行きましょうか」
舅「いや、要らん。じゃあの」

がちゃん!
電話は元気良く、切れた。

・・・・・・・・・・・○| ̄|_。
私は、何回、舅に出し抜かれれば、学習するのだろう。
電話する、という言葉を信じて、のんびり待っていた私がアホだった。
ちゃっちゃっと朝のうち、病院に押しかけていれば良かったぜ。

まあ元気で何よりなんだけど(^^ゞ。

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昨夜、舅が電話して来た。

舅「こんばんちゃん♪」
私「おとーさん(^_^;)。お元気そーですね」
舅「今、家におるんよ。外泊よ
私「だっ、大丈夫なんですか」
舅「嘘みたいに痛ぅないなった」
私「そりゃ、ようございましたね(^^ゞ」
舅「ほうよ。んで、日曜の晩、病院に戻るんじゃが、
 診察して貰うて、経過が良りゃ、月曜日に退院よ
私「もう、ですか!???」
舅「抜糸は外来でも出来るっちゅうし」
私「じゃ、私、月曜日に病院に行きますね」
舅「来んでええ」
私「でも、荷物もあるし」
舅「そう思うてさ、きょう、荷物はあらかた持って帰った」
私「えっっっっっ」
舅「知り合いの車屋を呼んでさ、乗っけて貰うた」
私「はぁ・・・・(^^ゞ」
舅「じゃけね、荷物はあと紙袋ひとつじゃけ。なんもないんよ。
 ワシの車は、その業者んとこに整備に出しとるけ、
 日曜日に、病院までディーラーに持って来さすように手配してある」
私「なんと手回しの良い・・・・。準備万端ですね?」
舅「ふっふっふ。じゃけ、退院の日は、それへ乗って自分で帰るけ」

夕方、主人が見た、舅の車にそっくりな自動車の一件は、勿論、
舅とは無関係なのだが、しかし、まんざらあり得ない話でもなかったのだ。

うぅむ。恐るべし、じーちゃんパワー。

それにしても、電話での、あの上機嫌。
こりゃ自宅でひとり、誰はばかることなく、煙草喫っていると見た。

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夕方、雨がやんだかどうかと、主人が外に出てみた。
もう暗くなり始めていて、雨は、ごく小さい霧雨のようになっていた。

と、一台の白いワゴン車が敷地内に入ってきた。
それは、舅の車そっくりだった。

お、おやじの車・・・・?

まさか。
術後四日目で、もう外出か?んな馬鹿な。
しかし、きょうは土曜日。病院は検査も何も無い日ではある。
おやじの無謀さから言って、やりかねない・・・?

車は、そのままスピードを落とし、ゆっくりと近づいてきて、
主人の横まで来て、止まった。

うそっ、まさかほんとに・・・?

運転席の車の窓がするすると開いた。

お、おやじ・・・・!?


ス○ハラさんですか?

全然、知らない男だった
しかも、そんな名字の者はこの官舎には、居なかった(爆)。

お前っっ、全然関係ないくせに、なんかの間違いで来たくせに、
よくもよくも、ここまでびっくりさせやがって!!
お陰でワシは、うちのおやじかと思うたじゃないかっっっっっ!!!

主人は、その男を押し倒し、馬乗りになって両頬をハタき
・・・たいのを、必死でこらえた、とのことだった(^^ゞ。

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