転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 

ゴル  


先日、柴の子犬の「豆助」のことを書いたので、思い出したのだが、
私が子犬というものに初めて触れたのは、友人の家でのことだった。
当時私は小学校低学年で、登校班で集まって学校に行くために、
毎朝、近所の友達の家に寄っていた。
その家が親戚から子犬を貰ったとかで、ある朝突然に、
私の目の前に、小さな日本犬が出現したのだ。

これが、めちゃめちゃ可愛かった。
柔らかくて、きゅうきゅう鳴いていて、
つやつや光った冷たいお鼻を近づけ、私をぺろぺろなめてくれて、
世の中にこんな可愛いものがあったのかと、私はハマりまくった。
私の家には猫がいて、猫の可愛らしさはよく知っていたのだが、
犬もこんなに可愛いのかと、私は開眼した思いだった。

それからは、毎朝、友達の家に寄るのが、俄然、楽しみになった。
朝、登校前に、友達の支度ができるまで、
私は玄関で子犬と遊んで待っていた。
何をしてやっても子犬は喜んでまとわりついてきた。
あるとき、不注意で子犬の後ろ足を踏んでしまい(!)
きゃーーーーん!と泣かしたこともあった。
(そういえば、うちの猫は、近所の太った中学生の男の子に足を踏まれ、
わん!」と鳴いて、「犬か?」と笑われたことがあった。)

しかし、私と子犬の蜜月は、一ヶ月ほどで終わった。
柔らかくて愛らしくて、逆らわず、まるで「生きたぬいぐるみ」だった子は、
ある時期を境に、はっきりと顔が長くなり、図体も大きくなり、
だんだん、こちらに寄ってこなくなった。
私が朝行っても、子犬が飛び出して来ることが減った。

間なしに子犬は中犬になり、やがて外につながれるようになった。
一人前に犬小屋も貰い、そのそばに繋がれて「お座り」している姿は、
もう赤ちゃんワンコでなく、立派な「犬」だった。
そして私が遊んでやろうと思って近づいていったら、こいつはどうしたことか、
わんっ、わんっ、わんっ、ぐるるる……
と怒った。なんという心変わり。私はがっかりした。

それでも、なんとか仲直りできないものかと、私は友人に、
このワンコの名前はなんというのか、と訊ねた。
子犬の頃は、ワンちゃんワンちゃん、で済んでいたのだが、
そろそろ元服(爆)も済んだ様子だし、名前で呼んでやろうと思ったのだ。

友人の返事は、「ゴル」。

実は、その友人一家は、ブラジルから帰ってきたばかりで、
家族間の使用言語が、単純に日本語とは言えなかった。
日常、ポルトガル語がかなり混じっていて、例えば、
扁桃腺を切ったときも、「ノドをオッペラスした」などと言っていた。
今にして思えば、一種の「ピジン」状態だった。
だから、彼女の言った「ゴル」の発音はとても難しかった。
「ル」が、日本語のラ行ウ段ではなく、ポルトガル語R風に、巻き舌だったのだ。

当時の私の実力では、犬の名前を発音することが、できなかったorz。

かくして、ゴルちゃんと私の仲は、完全に終わった。
友人とは仲が良かったので、登校班が終わってもよく一緒に学校に行ったし、
彼女や家族が、この犬を、ゴル・ゴルちゃん・ゴルの助、などと呼んで、
可愛がっているところは、よく見かけたのだが、
私自身は二度と、ゴルちゃんと遊ぶことは、叶わなかった。

私が小学校を卒業して中学校に行ってからも、
その家の前を通るたびに、私は朝に晩にゴルちゃんに吠えられ続けた。
まことに、番犬としては満点のゴルちゃんだった。

そしてあるとき、気がついたら、ゴルちゃんの姿は見えなくなっていた。

犬小屋だけが、さらにしばらくの間、残っていたが、
それもいつか、なくなった。

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風邪による倦怠感などはもう全くなくなったのだが、
鼻炎と咳がまだあって、やはり首から上が、うっとうしい。

土曜日に近所の内科に行ったら、待合室にも風邪の患者さんが何人もいて、
オマケに先生まで風邪声だった。

先生「どうしました」
転妻「風邪ひきました」
先生「ふむ。いつからですか」
転妻「月曜からです」
先生「ちょっと、長いですかな」
転妻「普通の風邪だし、待っていればなおると思ったんですが、
 もうちょっとのところですっきりしない感じです。
 経過は、初日は咽頭炎から来て、鼻炎になって、三日目が一番だるくて、
 37度くらいの微熱の日もありましたがアセトアミノフェンでなおりました。
 それで、今、いちばん困っているのが……」
先生「咳ですね!」(断言)
転妻「は……、その通りです(^_^;」
先生「それ、いちばん今流行ってるタイプの風邪ですから。
 みんな、それ言って来られます。私もその風邪です」
転妻「は。そうだったんですか」
先生「鼻炎のほうは、どんどんハナかんで、出したほうがいいですよ」
転妻「はい」
先生「もう、そろそろ貴女の風邪は終わるところですよ。
 でも咳はしんどいですよね。咳止め、出しときます」
転妻「ありがとうございます」
先生「お風呂に入って、温かい湯気の中で呼吸するといいですよ。
 まあ、ずっとお風呂に入ったまま、っちゅーわけには行きませんが(^^)」

ということで、咳止めと去痰剤を貰って帰ってきた。
きょうは、咳は完治とはいかないが、かなりよくなった。
「そろそろこの風邪は終わり」という先生のお見立ては正しいのだろう。
ただ、土曜・日曜と過ごしてみたが、やはり鼻炎はすっきりしない。
「首から上がうっとうしい」だったのが、徐々に、
「鼻から上がうっとうしい」に変化しつつある。

仕上げは結局のところ、耳鼻科か(汗)。

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豆助  


テレビ大阪『和風総本家』のマスコット犬「豆助」は、とても可愛い。
私はもともと柴犬が好きなのだが、特に柴の子犬はたまらない(^^)。
ころころ太っていると、なお良い(^^)。
以前、実家に行ったときに、ついていたテレビで、偶然、
この番組をやっていて、そこで私は豆助に出会ったのだが、
そのあまりの可愛らしさに即座にハマってしまい、
最近では七代目・豆助の写真集やDVDまで買ってしまった。

「和風総本家 豆助っていいな。」七代目豆助(YouTube)

そう、この役は子犬でないと務まらないので、
「豆助」の名は、代々襲名されているのだ。
恒例、豆絞りのバンダナを受け継ぎ、七代目はこの春に登場した。
どの子も、数ヶ月から半年弱ほどで、次の代へと交代している。
番組中では皆「豆助」なのだが、本当はメスのこともあり、
飼い主のもとでは、もっと可憐な(笑)本名で呼ばれている子もいるようだ。
七代目もメスだろう、と、これは長年、柴を飼っていた主人が看破している。

DVDには、本編として歴代豆助たちの活躍が収録されているほか、
特別編のほうでは彼らの「現在」の様子も見ることができる。
いまや立派な成犬となった初代~六代目豆助たちは、
いずれもそれぞれのおうちで「お座敷犬」として愛され、
とても大切にされて、すくすくと成長しているのだ。

そして、これまた、たまたま今朝テレビ大阪のサイトを見て知ったのだが、
どうやらこのほど、八代目・豆助のお披露目があるようだ。
「和風総本家」八代目豆助(YouTube テレビ大阪公式チャンネル)
この子もまた、可愛い豆助として、面白いことをたくさんしてくれるのだろう。
腹を出して爆睡しているところに、完全な「飼われワンコ」のDNAを感じた(笑)。

なお、これだけ世話になっていながら大変申し訳ないのだが、
私は、例によってテレビ視聴そのものは好きでないため、
放映時間に最初から最後まで観るということには耐えられず、
この番組も通常はオープニングだけ楽しんでいる。
そもそもこれはペット番組ではなく、
話の中心は、和風文化をテーマにした現場レポとクイズなのだ。
毎回、娘が録画して楽しみに見ており、途中で豆助が映ると、
「あっ、よっちゃん、豆助だよ!可愛い~!」
と教えてくれる(笑)。

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風邪
月曜日から自覚した今回の風邪は、典型的な感冒であったようで、
確かに三日目の水曜日が症状のピークで、一番だるく、
四日目に当たる昨日からは、改善が自覚できるようになった。
本日五日目となる金曜日は、更に良くなったように思う。
このまま順調に回復することを願っているが、まだ十分に鼻声だし、
耳の内部や上顎洞の鼻寄りに多少、モヤモヤも感じるので、
不安が残っていれば週末に一度受診しようかと思ったりしている。
風邪にはいかなる薬も効かない・抗生剤投与や点滴など無意味、
というのは良心的なお医者様なら皆、仰ることなのだが、
私のように慢性扁桃炎や慢性鼻炎がある者は、
抗生剤を飲み始めるタイミングをうっかり誤ると、えらいこと長引く、
というのも、この二十年の患者歴で体験を通して学んだことだ。
どのあたりで受診する、という見極めが大事なのだ(^_^;。

ドラフト
昨日から主人が、ドラフト会議をテレビで観て盛り上がっていた。
広島カープは、明大・野村祐輔投手を一位指名ということで予定通りだったが、
巨人が東海大・菅野智之投手を取り損なったのは、ちょっと意外だった。
しかし日ハムが競合入札→くじ引き、という手順を踏んで交渉権を獲得したことは、
ルール違反ではないわけだし、選手の側にしても巨人に最初に入団できなくたって、
別段、そのことだけでプロ野球人生が損なわれるものでもないだろう。
何をそんなに、皆して騒いだり落胆したりしなくてはならないのか。
私の主観では、日ハムというのは選手の育て方に関しては独自の視点があると思うし、
こういう場所で競り勝ってしまう、チームとしての勝負師らしさも、
実に良いではないかと感じるのだが、それはさておくとしても、
長い目で見て、プロ野球人生で何が幸いするかなんてわからないのだから、
どこであれ、縁のあったチームでまずは真摯に自分を磨いて、
他球団が競って欲しがるような投手になってみせれば、いいんでないの?
終身雇用の会社とは違うのだし、今時はFAだってあるのだから、
どうしてもと思うなら、この次に巨人に移ればいいだけのことやん。

KISS
KISS front man Paul Stanley undergoes vocal cord surgery(CNN)
10月25日火曜日にポール・スタンレーは、声帯の手術をしたそうだ。
数年前からポリープがあることは噂で言われていて、
事実、近年のライブのセットリストを見ると、
彼のヴォーカル曲ばかりが続くことが無いように配慮されている様子で、
必ず、ジーンやトミーの歌と交互になるように構成されていたものだった。
ともあれ、このほどついに手術を受け、回復も順調であるとのことだ。
また、KISSの新アルバム『Monster』が来年発売されるとも、記事には書いてあった。
……相変わらず、日本盤は出ないのかね(^_^;。
前回の『Sonic Boom』も未だに輸入盤しかないものね。
来日が流れても無理ないよね、これじゃ(逃)。

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このところ「○月○日に人類が滅亡する!」という話題をよく目にして、
そのうちのいくつかは期日が既に過ぎてしまっていたりするのだが、
私はこういう話を読むたびに、
「本当に滅亡するのなら、一体全体、何が問題なのか?」
と不思議になる。
周囲の他人が幸福を謳歌しているときに、自分ひとりが不運な死に方をする、
或いは、諸外国の繁栄を尻目に、日本だけが没落する、
などという中途半端だと、かなり腹立たしく、納得がいかないと思うが、
人類全体が滅亡するというような大規模な話なら、これは完璧に公平ではないか。

しかも特定の一日が指定されている、という点を私は大変気に入っている。
僅か一日で滅亡、というからには、想像を絶する天変地異が起こるのだろうから、
多くの者は断末魔もろくになく、ほとんど一瞬であの世に行くくらいの勢いだろう。
備えがない者が死ぬなどというヌルい次元の話ではなくて、
問答無用の全員滅亡だから、個人の責任や心がけを云々しておく必要もない。
『滅亡』というのは、そういう徹底的なことであるはずだ。

そもそも、生物学や地質学、天文学などあらゆる学問から判断して、
永久に栄える生き物の「種」は無いと考えるしかないし、
人類どころか天体さえもが、いつかどこかで終末を迎えなくてはならないわけで、
それが、地球上の人類に関しては「たった一日で滅亡」というほど容易いことなら、
これは、ほかのいかなる仮説よりも素晴らしい話だ。
「○世紀から○世紀にかけて滅亡する」と言われたら、比較にならないほど怖いよ(^_^;。

悩みは様々あるものだから、ほかの方々はどうかわからないが、私にとっては、
自分が困っていることの大半は、将来を生きなければならないと思うからこそのものだ。
病院に行くのだって、今、悪い病気になっていてこれから死ぬのではと不安だからだし、
子供の成績を心配するのだって、このあと入学できる学校がなかったら困るからだ。
経済的にやりくりが苦しいと悩むのも、今夜のご飯より老後の生活を思えばこそだし、
介護で暗くなるのも、きょうのオムツ替えより、先々長く続くと考えることがつらいからだ。
これが、もし明日か明後日か来年か知らないが、世界中の人類が一度で滅亡するなら、
もっとずっと苦しい時期が将来訪れる、などということは実現しなくなる。
大切な家族をあとに残していく別れのつらさもない。全人類の命日が同じ日だ。
愛する人と同じ日に死ぬなんて、これまで心中以外ではほぼ実現不可能だったのに。

「私など、生きている価値がない」
と悩んでいる人も、もう心配ない。
怖い思いをして自殺など試みなくても、待っているだけで滅亡できるのだ。
なんたる手間要らず。
放射能の問題だって、もう何も悩まなくてよくなる。
もともと、五年だか十年だか先に何が起こるか起こらないか、というのが関心事なのだ。
人類がいっぺんに、近いうちに滅亡するなら、心配ごとなど最初から無かったも同然だ。
なんとありがたいことではないか。

悔いが残るとすれば、会いたい人に会っていない、大事な一言を伝えていない、
というような、人間関係の心残りくらいではないかと思う。
こればかりは、現世に命があるうちに果たしておくのが良いだろう。
死後の世界があるかないかわからないし、もしあったとしても、
会いたい霊にちゃんと会えるようなシステムになっているかどうか不明だ。

ちなみに、冥途のミヤゲに思いっきりアホなことをしてやろう、とか、
いっそのこと凶悪犯罪者になってやろう、とかいうのは、私はお勧めしない。
もし万が一、人類滅亡がなかったら、残りの人生が針のむしろになってしまうし、
また、もし巧く滅亡したとしても、そのあと最後の審判や死後の世界があって、
生前のダメダメな行いのせいで「永遠の地獄の責め苦」などにあうことになったら、
それこそ後悔も永遠モノになってしまうからだ。
そうでなくても私達は皆、自覚の有無に関わらず結構悪いことをして生きてきたのだ。
このうえ最後に何かやらかそうものなら、駄目押しになることは確実だろう。
カンダタ程度でも、あれでなかなか、地獄では大変そうだったぞ?
目をつり上げて人のことを悪し様に言ったり、呪ったりしている最中にコト切れる、
というのも、どう考えても素敵な終わり方ではなさそうなので、
○月○日人類滅亡!の可能性を全否定できない人は、一応注意したほうがいいと思う。

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風邪ひき三日目。
暇に飽かして調べてみたところ、典型的な風邪というのは、
始まって数日で絶頂を迎え(=つまりすべての症状が出揃い)、
それから穏やかに下降線をたどり、治癒に向かうものなのだそうだ。
それが正しいならば、きょうあたりが私のピークなのか。

初日のひりひりするような咽喉の痛みは既に和らいだが、
昨日の午後から咽頭炎の位置が下がって喉もとに来た感じで、
ときどき咳が出るようになった。
あとは相変わらずの鼻炎、それに両肩から後ろ首に怠さがある。
今のところは特に熱はないようだし、風邪に特効薬は無いということだから、
医者にかからずに家でごろごろしているのだが、
明日以降、改善が見られないなら、やはり受診して、
対症療法の薬でもいいから貰わなくてはならないかもしれない。
ったく、難儀なことだな。

***************

夜は比較的早くからよく寝ているのだが、昨夜は10時半頃に寝入り、
朝方4時半に一度、目が覚めてしまった。
いくらなんでも早すぎるので、また布団に入り直して二度寝したのだが、
この、二度目の睡眠はさすがに浅かったらしくて、私は夢を見た。
それは、どこかの高校の文化祭みたいな場所で、
はいからさんが通る』を上演しなくてはならない、という夢だった。
私の立場は不明瞭なのだが、学校の先生ではないが顧問みたいな格好で、
しかしキャスト不足のため、「アゴ無し婆や」の役を貰っていた。
ほかの出演者はその高校の演劇部と放送部の生徒たちらしくて、
少尉役の男子生徒だけは、中井貴一の若い頃みたいな子だったが、
あとはパっとしない(爆)面々だった。

何よりいけないのは、打ち合わせが全然できていないことで、
もう本番だというのに、台本は中途半端な切り貼りのまま、
どの場面を上演してどこを切るかというようなことさえ、
意見の一致を見ていない様子だった。
だから舞台はとんでもなくモタつき、上演時間ばかりが長くかかり、
客席はザワついていた。
「なんか、みんな、面白うないって、ゆーとるよ」
と演劇部の下級生の女の子が客席に降りて聞いて来たらしく、
幕のこちら側に戻ってきて、クラスメイトの反応を伝えた。
「うそー、こんなに一生懸命やっとるのに!」
とほかの子が不満そうに口をとがらせたが、私は内心、
『ったりめーだろ、こんな舞台、誰が面白いと思うかよ(--#)』
と悪態をついていた。

私は婆やの役をやりながら、できるだけ笑いを取るよう努めつつ、
伊集院家の如月さんがいないと困るなあ、などと考えていた(謎)。
ここでピンスポが欲しいな、とか、遮幕があればなあ、と思うところでも、
打ち合わせ不十分のためそうしたものは良いタイミングで使える筈もなかった。
少尉役の中井貴一くんは、部長で、メンバーの中では随分と頼りになったが、
その彼まで、物語の進行上、紅緒さん役の女子生徒と退場したあと、
すっかり行方不明になってしまい、私は更に困った。
よく知らない部員たちをまとめてどうにか上演しないといけないのに、
部長まで消えてしまったのでは、私の独断でやるしかないのか?
と夢の中で私は焦りまくっていた。
だいたい、この舞台、原作の物語の、一体どこまでをやればいいのか?
冗談社の面々や狸小路、ラリサなんかが出てくるまでには、
まだまだ気の遠くなるほどのエピソードが残っているぞ??

さらに困ったことに、部員たちの衣装は全部自前なので、
そのショボいこと、見栄えのしないことは、この上なかった。
環さんが舞踏会に行くというのに、イチゴ柄の木綿のワンピースしかないのだった。
「せめて、これをつけようよ」
と私がフェイクのネックレスを渡そうとしたら、環さん役の子は、
「いいえ、いいんです大丈夫です」
と更に透かし編みのカーデガンを羽織って、鹿鳴館モドキに出かけていった。
『あかんな、この舞台は、失敗やな』
と私は今更なことを思って、舞台袖でゼツボーしていた。
島田髷を結った婆やの姿で。

***************

寝る前に友人からのメールを読み、宝塚雪組の『仮面の男』が
どういう舞台であるかを想像したことが、悪かったのではないか、
と目覚めてから思った(逃!!!)。

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風邪のつづき
まだ二日目なので、急にはどうにもなりはしないのだが、
とにかく引き続き、首から上だけが病人のワタクシである。
咽頭炎の痛みは昨日よりマイルドになって全体に広がり、
鼻炎は更にうっとうしく、両肩から頭部にかけて、ぼんやりと怠い。
熱は全くないし食欲もあるので、重症感は無いが、しかし勢いも出ない。

秋のポゴレリチ
ツイッターやfacebookに出ている感想を観る限り、ポゴレリチの、
ここ数日のヨーロッパでの公演はなかなか聞き応えがあったようだ。
特に23日ミュンヘン公演は、ファン的には「『神』公演」であったらしい。
開演時刻になっているのに本人が登場せず、まず調律師さんが舞台に現れ、
ピアノの蓋を外し、中箱も引き出して、再調律を大がかりに始めてしまい
(当然、ご本人の要請だ)、客席がざわつき失笑も漏れたそうで、
やがて作業が終わり、無事にピアノが元通りになったところで、
客席から拍手喝采が起こり、調律師さんも手を振り笑顔で退場したということだ。
そして、この日のリストのロ短調ソナタは45分をかけての演奏で、
まさにポゴレリチにしか出来ない、彼の大ファンのためのリサイタル、
という様相を呈していたそうだ。いよいよ文字通りカルトの世界だ(^_^;。

友人のメアド
三年前の10月24日に亡くなった友人の携帯が、その後もずっと生きていたので、
私はほんの時々、ご機嫌伺いのメールを送っていたのだが、
昨夜、三年経ったんだなあと思いながら近況など書いてメールしてみたら、
アドレスが無くなっているという通知が戻ってきた。
再度は試して見なかったので、もしかしたらメアドは変わりなくあって、
ただ私がNGワード(爆)を使ったせいで受け取られなかったのかもしれないが、
そうではなく、もしご家族のお考えがあって、携帯を解約なさったのだとしたら、
それはそれで、良いことなのかもしれないなと思った。
別にメールを送っても送らなくても、いつでも彼女とは会える気がするし、
現世の日常生活の中に彼女がいないことが、ご家族にとっても友人知人にとっても、
受け入れられる、普通のことになったのだとしたら、
それはそれで、静かに喜ぶべきことのように私には思われた。
もともと彼女は、「自分がいなくなったあと、できるだけ早く、
周囲の人には何事もなかったように、それまでの生活に戻って欲しい」
と、強く願っていた。
それは彼女のことなどどうでも良くなってしまうのとは、全く違うことだ。

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風邪  


風邪をひいた。
夕べから、なんとなく咽喉が乾燥してひりひりするような、
風邪の始まりの気分があったのだが、起きてみたら案の定で、
咽頭炎プラス鼻炎の、とてもわかりやすい風邪症状になっていた。
いわゆる咽喉から来る普通の風邪は、4月以来、半年ぶりだ。
季節が変わって気温も下がってきたので、来るかなと思っていたが、
思っていた通りだった。
……こんなことアテたって何にもならんが。

きょうは広島カープの本拠地最終戦で、見に行くかどうしようかと
主人から誘われていたのだが、私が風邪では夜の観戦は難しいだろう。
主人がひとりで行くぶんには、全く構わないのだが、
しかしもう、昨日、大竹が素晴らしいピッチングを見せて終わったし、
マエケンも既に奪三振王が決定したとあって再度の登板は無いし、
今夜は大きな楽しみは無い、というのが主人の見解だ。
リーグ戦も終わりつつあり、まさに秋が深まる、……という雰囲気だ。

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似たもの
先週金曜で中間考査の終わった娘は、束の間、平和になり
(=まだ答案が返却されていないので)、
きょうは主人と娘は連れだって、午後から漫画喫茶に出かけた。
昨夜から、二人の間でそういう約束が出来ていたのだそうだ。
折しも、先日から『HUNTER×HUNTER』のテレビアニメが始まり、
それと同時に、主人の書斎にも娘の勉強部屋にも、
『HUNTER×HUNTER』のコミックスが散らばっているようになった。
……このふたりは見た目だけでなく考えることまで、とても似ている(^^ゞ。
私自身は、高校生の頃、親に突っかかるような娘ではなかった(と思う)が、
かと言って、父親と趣味が同じで意気投合、ということも全くなかった。
いつか娘が下宿生活など始めて、家から居なくなったら、
がくーと脱力するのは私より主人だろう。
そういえば娘は、「反抗期もあったが、もう済んだ」と言うのだが、
一体いつが彼女の反抗期だったのか、私は全然記憶がない。
本人は、些細なことで腹が立った時期があったというのだが、そうだったっけな??
私が、じーちゃんやばーちゃんのことで奔走していて、気づいていなかっただけか。

「早期手術を受ければ命が助かったのに」?
先日来、「ジョブズは早期手術を受ければ命が助かったのに拒否した」
という記事をネットで見かけるようになったのだが、
「助かった」とまで言い切るのは行き過ぎではないかと、私はやや違和感を覚えている。
私の見た記事では、スティーブ・ジョブズは最初にガンだと言われたときに、
「すい臓がんの5%に相当する、進行の緩やかな神経内分泌腫瘍」と診断され、
すぐに手術を勧められたのだが、「体を切開されたくない」と言って拒否したそうだ。
結局、9ヶ月たってから手術を受けたが、既に転移があったという。
しかし僅か9ヶ月で確認可能になるほどの転移が出来ていたのなら、
最初の手術が早期に行われていても、いずれ転移が出現した可能性はあるのではないか。
目で見てわかるようになるよりずっと以前から、既に転移は始まっているのだから。
いずれにしても、実際に選ばなかった治療方法については、すべてが仮定の話になるので、
「早く切っていればなおった」かもしれないが、同時に、
「切っていても結果は同じだった」かもしれない、と言うしかないだろうと私は思う。
ただ、診断から7年も長らえたこと自体は、決して悪くなかったと思うのだが、
本人が「手術を早期に受けなかったことを後悔していた」のは不幸な結末だった。
どのような闘病でも、患者本人の納得感が非常に大切だと私は考えている。

宝塚雪組『仮面の男』
私は観ていないが、9月の宝塚雪組大劇場公演『仮面の男』(脚本演出・児玉明子)は、
観客からの評判があまりにも悪く、歌劇団がそれを認めるという異例の事態になり、
ファンからの意見を容れ、21日に開幕した東京公演では大幅に改作されているらしい。
DVDも通常は大劇場公演で収録されたものが発売されるのだが、今回に限っては、
東京公演版で製品化されることが決まっており、つまるところ、
そのあまりにもブーイングの大きかった大劇場公演版は、二度と見ることのできない、
幻の公演となってしまった。
……こうなると、俄に貴重になるではないか。観たかったな(殴)。
その、大劇場公演のときの劇評を探してみたら、これまた物凄かった。
『まともな活劇ではない』『まさに口あんぐり』『まあ一事が万事そんな感じ』
『全体的になんだかごちゃごちゃした感じばかりが残って』等々とあり、
だのに、ついている見出しが『アイデア満載!』、
……なかなかの混乱ぶりではないか(逃)。
21日初日で現在公演中の東京宝塚劇場公演での評は、このようになっており
確かに、全体的に改善されている気配は感じられる(逃×2)。

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……ということで、昨夜のコブリンの話の続き。

 ベートーヴェン:自作主題による32の練習曲 ハ短調
 ブラームス:4つのバラード 作品10
 ショパン:12の練習曲 作品25

本プロは、この三行が書いてあるだけで、
コブリンの主張、……もしかしたら「エゴ」かもしれないが、
何か、そういうものを感じさせ、聴く前から「これは一筋縄ではいかない」
という雰囲気があった。
初めて公演する地方都市で、もし動員を最優先にして考えるのであれば、
このようなプログラムは、普通、組まないだろう。
また、実際の演奏内容も、ブラームスを4曲でひとまとまりのように弾いたり、
ショパンを12曲一単位で、前後の曲のつながりまで演出して見せたりして、
細部までコブリンのセンスによって貫かれた構成になっていた。
聴き手がついて来られるか・呆れて顎を出すか、等のリスクに頓着しないのか、
あるいはそこに敢えて挑戦するのがコブリン流なのか(笑)。

コブリンは1980年生まれだから、今年でようやく31歳。
つまりポゴレリチ騒動のあった第10回ショパン・コンクールの年に誕生した人だ。
鬼才とかエキセントリックとかいう形容詞は、私には日々見慣れたものだが
その「元祖?」ポゴレリチが31歳だった頃に較べると、
現在のコブリンのほうが、明らかに「変わっている」と私は思った。
それも、リズムとかアーティキュレーションなど、
目で見て(耳で聞いて)すぐ指摘できる、具体的な箇所において、
はっきりと普通でないところが、コブリンには多々あった。
たとえばショパンのエチュード作品25-6など、デビュー当時のポゴレリチのほうが、
テンポの揺れもなくディナーミクの誇張もずっと少なく、「普通」の演奏だった。
そういうコブリンならではの箇所で、「変だから、心地よく聴けない」と思うか、
「こんな面白い音があったのか」と引きつけられるかで、彼への評価は変わると思う。

アンコールは、1曲目がドビュッシー『亜麻色の髪の乙女』だったので、
おっ!?20世紀に突入?と思ったのだが、2曲目がショパンの『前奏曲作品28-7』、
戻ったな、太田胃散か、アンコールはさすがにサービスしてポピュラー曲か、
とこちらも気楽になりかけたところで、3曲目にしてシューマン『アラベスク』、
更に最後が同じくシューマン『幻想小曲集』から「なぜに」。
つい先日、ポゴレリチにいずれシューマンを弾いて欲しいと書いたばかりだが、
コブリンがこのタイミングで弾くとは考えていなかったので、嬉しい驚きだった。

総じて、私には大変楽しい演奏会だった。
そもそも私は聴き手として曲がっている(らしい・笑)ので、
ほかの人がしないようなことをして、しかも破綻していない、という演奏が好きだ。
昨夜のコブリンは、彼独自の世界と、YAMAHAのCFXの質の高さとが相まって、
私にとっては、「出会い」の演奏会として最良に近いかたちになったと思う。
こうなると、是非また次の演奏会も聴きたいものだ。
彼がこのまま行くのか、この先どのような方向性を探るようになるのか、
将来的なことにも、今、とても興味を感じている。
……が、こういう演奏家を継続的に広島などに呼んで貰えるものなのかどうか、
一般的に考えると、心配でもある(汗)。

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