このところ「○月○日に人類が滅亡する!」という話題をよく目にして、
そのうちのいくつかは期日が既に過ぎてしまっていたりするのだが、
私はこういう話を読むたびに、
「本当に滅亡するのなら、一体全体、何が問題なのか?」
と不思議になる。
周囲の他人が幸福を謳歌しているときに、自分ひとりが不運な死に方をする、
或いは、諸外国の繁栄を尻目に、日本だけが没落する、
などという中途半端だと、かなり腹立たしく、納得がいかないと思うが、
人類全体が滅亡するというような大規模な話なら、これは完璧に公平ではないか。
しかも特定の一日が指定されている、という点を私は大変気に入っている。
僅か一日で滅亡、というからには、想像を絶する天変地異が起こるのだろうから、
多くの者は断末魔もろくになく、ほとんど一瞬であの世に行くくらいの勢いだろう。
備えがない者が死ぬなどというヌルい次元の話ではなくて、
問答無用の全員滅亡だから、個人の責任や心がけを云々しておく必要もない。
『滅亡』というのは、そういう徹底的なことであるはずだ。
そもそも、生物学や地質学、天文学などあらゆる学問から判断して、
永久に栄える生き物の「種」は無いと考えるしかないし、
人類どころか天体さえもが、いつかどこかで終末を迎えなくてはならないわけで、
それが、地球上の人類に関しては「たった一日で滅亡」というほど容易いことなら、
これは、ほかのいかなる仮説よりも素晴らしい話だ。
「○世紀から○世紀にかけて滅亡する」と言われたら、比較にならないほど怖いよ(^_^;。
悩みは様々あるものだから、ほかの方々はどうかわからないが、私にとっては、
自分が困っていることの大半は、将来を生きなければならないと思うからこそのものだ。
病院に行くのだって、今、悪い病気になっていてこれから死ぬのではと不安だからだし、
子供の成績を心配するのだって、このあと入学できる学校がなかったら困るからだ。
経済的にやりくりが苦しいと悩むのも、今夜のご飯より老後の生活を思えばこそだし、
介護で暗くなるのも、きょうのオムツ替えより、先々長く続くと考えることがつらいからだ。
これが、もし明日か明後日か来年か知らないが、世界中の人類が一度で滅亡するなら、
もっとずっと苦しい時期が将来訪れる、などということは実現しなくなる。
大切な家族をあとに残していく別れのつらさもない。全人類の命日が同じ日だ。
愛する人と同じ日に死ぬなんて、これまで心中以外ではほぼ実現不可能だったのに。
「私など、生きている価値がない」
と悩んでいる人も、もう心配ない。
怖い思いをして自殺など試みなくても、待っているだけで滅亡できるのだ。
なんたる手間要らず。
放射能の問題だって、もう何も悩まなくてよくなる。
もともと、五年だか十年だか先に何が起こるか起こらないか、というのが関心事なのだ。
人類がいっぺんに、近いうちに滅亡するなら、心配ごとなど最初から無かったも同然だ。
なんとありがたいことではないか。
悔いが残るとすれば、会いたい人に会っていない、大事な一言を伝えていない、
というような、人間関係の心残りくらいではないかと思う。
こればかりは、現世に命があるうちに果たしておくのが良いだろう。
死後の世界があるかないかわからないし、もしあったとしても、
会いたい霊にちゃんと会えるようなシステムになっているかどうか不明だ。
ちなみに、冥途のミヤゲに思いっきりアホなことをしてやろう、とか、
いっそのこと凶悪犯罪者になってやろう、とかいうのは、私はお勧めしない。
もし万が一、人類滅亡がなかったら、残りの人生が針のむしろになってしまうし、
また、もし巧く滅亡したとしても、そのあと最後の審判や死後の世界があって、
生前のダメダメな行いのせいで「永遠の地獄の責め苦」などにあうことになったら、
それこそ後悔も永遠モノになってしまうからだ。
そうでなくても私達は皆、自覚の有無に関わらず結構悪いことをして生きてきたのだ。
このうえ最後に何かやらかそうものなら、駄目押しになることは確実だろう。
カンダタ程度でも、あれでなかなか、地獄では大変そうだったぞ?
目をつり上げて人のことを悪し様に言ったり、呪ったりしている最中にコト切れる、
というのも、どう考えても素敵な終わり方ではなさそうなので、
○月○日人類滅亡!の可能性を全否定できない人は、一応注意したほうがいいと思う。
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