エアコンの風に吹かれるのが、もともと大嫌いなのに、
こう暑くては熱中症で死んだらいけないし冷房なしでいられず、
家にいるときも乗り物に乗っているときも、出かけた先でも、
ほぼ一日中、クーラーにあたって過ごしていることになり、
それが無い場所はつまり炎天という具合で、
もう、このところ、どうもこうも、体調が整わない。
どこかが痛いわけではないし、熱もないし目眩もしないが、とにかく、
『「元気だ!よっしゃ!」みたいな勢いが、全然湧いてきません』
としか言い様がない状態だ。
・・・って、食欲もあるし、夜も(昼も!)寝ようと思えば寝られるし、
およそ疲労するようなこともしていないし、もちろん体重も減らない。
医者に行っても、説明のしようがない(汗)。
しかしとにかく「健康感」が足りないのだ。
7月4日に「我ながらキモチよく動けるなあ」と思ったのを最後に、
豪雨のあと猛暑が来て、「うっとうしい」「暑い」の毎日になり、
18日仏検・19日呉遠征(田村響の演奏会)のあたりは再度元気になったが、
そのあとはもう、「夏バテした」「弱った」と毎日のように思っている。
自分の感じでは、自律神経がとても変になったと思う。
猛暑と冷房で痛め付けられ、私の免疫力は枯渇しつつあるのではないか。
いっそ、このあたりで鍼灸に行くべきか。
「○○の奥さん、することないけ、病気しよる」
というのは、私の実家の村では村人の皆がよく言っていることで、
忙しい人間は元気、もしくは体調不良にいちいち構っていないが、
暇で甘えた人間に限って、あちこち、いつも具合が悪い、という意味だ。
舅姑に仕え、連日が農作業で、過酷な生活をしている嫁は健康だが、
一戸建てに住み、夫は会社員、自分は専業主婦、という女は脆弱で、
地元の○○医院の待合室で昼間から暗い顔をしているのは大抵後者だ、
というのが、我が村では昔から言い習わされていることだ。
なかなか痛烈ではないか。
一般化して良い話かどうかはわからないが、私自身は確かに当たっている。
舅姑の介護があり、娘が幼く、主人が遠距離通勤をしていた頃は、
私は、ときどき疲れで熱を出すにしても、基本的に体が動いていた。
疲労感はあったが、寝ていられる境遇でなかったので、寝込まなかった。
しかし舅が亡くなり、姑もいなくなってしまって、娘は高校生になり、
我が家もマンションに来て、主人の通勤の負担もなくなると、
私は「結構な御身分」になり、途端に、自分に関する不定愁訴が増えた。
体の変化や不調に気づくと、それに遠慮なく集中できる(爆)環境なので
どんどん、悪い方向へ敏感になっている気がするのだ。
緊張と緩和のバランスというのは、実に難しいものだ。
勿論、自分がそれだけトシを取って実際に体力が落ち、
更年期に差し掛かってきた、というのも理由だろうけれど。
ときに、話は変わるが、世間では「別荘」なるものを所有する人たちがいて、
箱根とか軽井沢とか北海道とかへ、夏の間、避暑に行くようなのだが、
以前の私は、これがどう良いのか全然理解できず、
そんな暇な境遇なら、不便な別荘暮らしなどせずとも、
慣れた自宅で冷房してごろ寝してればいいじゃないか、と思ったものだった。
しかし、最近はだんだん考えが変わった。
自分の周辺が、昔と較べてあまりにも暑いので、私も真面目に、
「せめて朝晩なりと、エアコンなしでいられる土地で過ごさないと、弱る」
と思うようになったのだ。
とうとう私も、齢46にして「避暑」の価値が理解できたわけだ。
精神的にではなく肉体的に。
これこそまさに、「結構な御身分」の人の話だけど。
よし、十億円ころころっと入ったら、我が家は「避暑」を実現させよう。
尤も、別荘は年に数ヶ月しか使わないのでは傷みやすいだろうし、
何より、行った先でも「おさんどん」しないといけないのは私だから、
いっそ、別荘じゃなくてホテルがいいわね(殴)。
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