転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



日本時間では7月26日(現地25日)、たかこ(和央ようか)さんが
ハワイで、フランク・ワイルドホーン氏との結婚式を挙げられた。
たかこさん、おめでとうございます~!!
この記事を見たさに、私は27日の朝コンビニに行って
スポニチとスポーツ報知を買って来た(笑)。

報知の文面に、
『結婚証明書に「タカコ・ワイルドホーン」と署名して「私、この人のお嫁さんになるんだ」と実感した』
という箇所があるが、ファンとしてもその点は未だに信じられないくらいだ。
たかこさんの宝塚サヨナラ公演『Never Say Goodbye』以来、
ワイルドホーン氏が随分とたかこさんを高く評価されていることを知り、
私は当時、宝塚ファン向けのリップサービスかなと思いつつも嬉しかったものだが、
まさか将来、その作曲家の夫人になられるとまでは予想もしていなかった。
『Never Say Goodbye』の公演が始まったのが2006年だったから、
二人にとっては、出会いからちょうど10年目の結婚となったわけだ。

お美しいたかこさんのウェディングドレス姿を拝見し、感無量です。
たかこさん、どうぞ末永くお幸せに……!


和央ようか、ハワイ挙式で熱烈キス5回!(スポーツ報知)
『【ハワイ25日(日本時間26日)=有野博幸】元宝塚の宙組トップスターで女優の和央ようか(47)と米国人作曲家フランク・ワイルドホーン氏(55)が、マウイ島のフォーシーズンズ・リゾートで挙式、披露宴を行った。約150人の出席者に見守られ、5度もキスを交わすラブラブぶり。今後はお互いの仕事に合わせ、ニューヨークを拠点に日米を行き来する予定で、“夫婦共演”によるブロードウェーミュージカルの構想も明らかになった。』『陽気なハワイアンの神父による「アロハ!」で始まったガーデンウェディング。和央は人気ブランド「フォーシス」にオーダーメイドで発注した純白ドレスを身にまとい、花びらで彩られたバージンロードに登場した。』『「ハワイらしい明るく楽しい式にしたい」という希望通り、和やかな雰囲気。和央は美しい夕日を眺めながら「楽しく、笑いのある家庭を作りたい。幸せになります」と永遠の愛を誓い、フランク氏も「理想の式ができた」と満足げに笑った。神父に促されて5度もキスを交わし、ラブラブぶりを見せつけた。』『昨年1月に婚約。和央の本名は貴子(たかこ)。前日(日本時間25日)には、結婚証明書に「タカコ・ワイルドホーン」と署名して「私、この人のお嫁さんになるんだ」と実感した。この日に備え、週3回のピラティス(ストレッチ、筋力強化に重点を置いたエクササイズ)を欠かさず、ここ数日は加圧トレーニングや美肌マッサージの専門家など6人の美容スタッフ「チーム和央」がハワイに集結した。』『人生の門出を迎え、仕事も心機一転。個人事務所から大手芸能事務所「プロダクション尾木」に移籍して再出発する。前夜祭パーティーでは、フランク氏の友人でショービジネス界の大物エージェントが、和央の長年の夢であるブロードウェーミュージカル挑戦をサポートすると約束。夢舞台での“夫婦共演”が現実味を帯びてきた。』『今後は日米を行き来することになるが、「14時間のフライトには、もう慣れました。料理のレパートリーを増やしたい」と新婚生活に不安はない。フランク氏の日本ツアー(12月23日、大阪・梅田芸術劇場、12月26、27日・東京・東急シアターオーブ)に参加することも決まっている。』

和央ようか ハワイで“セレブ婚” ドレス4着、キスも5回(スポニチ)
『元宝塚歌劇団宙組トップスターで女優の和央ようか(47)と夫で米国人作曲家のフランク・ワイルドホーン氏(55)が米ハワイのマウイ島で25日(日本時間26日)、挙式・披露宴を行った。和央は「夫婦ともに大好きな地で晴れの日を迎え、とても感慨深い」と話した。』『新郎は舞台音楽を中心に、世界で名声を誇る音楽家だけに、ゴージャスな“セレブ婚”。会場は一流ホテル「フォーシーズンズ」内の、青い空と海が一望できる小高い丘。ドレスはセレブ御用達メーカー「フォーシス アンド カンパニー」のものが計4着披露された。』『白い花が敷き詰められたバージンロードに和央が登場。1メートル74の長身に映えるウエディングドレスに、親族や親しい友人を中心とした出席者約150人が拍手を送った。声援に応えるうち、キスの回数は5回に上った。』『和央は「昨年夏、2人で旅行したときこのホテルに宿泊し、“ここで式を挙げよう”と盛り上がりその場で予約しました。イメージ通りの式でした」とほほ笑んだ。』『05年秋、宝塚退団公演の楽曲をワイルドホーン氏が手掛けたことがきっかけで出会い、13年に交際を開始。米ニューヨークと日本を行き来して愛を育んだ。』『この日の出席者は、米ブロードウェーの関係者もズラリ。披露宴で宝塚仕込みのダンスを和央が披露すると、「今すぐにでもブロードウェーに連れて帰りたい」との声が続出。今後、夫婦での生活のために、拠点を移す和央は「これからせっかくニューヨークに住むので、チャンスをいただけるなら本当にうれしい」と笑顔を見せた。』

ブロードウェイスター軍団もフランク・ワイルドホーンと和央ようかを祝福(PR TIMES)
『宝塚歌劇団の元宙組トップスター で女優の和央ようかと米国人作曲家フランク・ワイルドホーンが米ハワイのマウイ島で25日(日本時間26日)挙式、披露宴を行った。美しいガーデンウエディングには、トニー賞授賞式の常連、演出家・振付家のジェフ・カルホーン、トニー賞ノミネート俳優ダグラス・シルズ、2度のトニー賞ノミネート「シンデレラ」のオリジナルキャスト、ローラ・オスネスなどブロードウェイのスターたちが集まった。』『和央ようかは、宝塚歌劇団宙組の男役トップとして活躍。05年秋、和央の宝塚退団公演『NEVER SAY GOODBYE』の楽曲をワイルドホーンが手掛けたことがきっかけで出会う。11年、13年とワイルドホーンの作品ミュージカル「ドラキュラ」にドラキュラ伯爵役で和央が出演。その13年に交際を開始。米ニューヨークと日本を行き来して関係を深めた。』『ワイルドホーンはトニー賞ノミネートのミュージカル界には欠かせない作曲家。1995年ジュリー・アンドリュースのミュージカル「ビクター/ビクトリア」に追加楽曲を提供し、その後多くのミュージカルスコアを生み出している。ブロードウェイで自身の作品「ジキル&ハイド」「スカーレット・ピンパーネル」「南北戦争/ THE CIVIL WAR」3本同時に上演された最初のアメリカ人作曲家としても有名。ワイルドホーンの他の作品には、「ドラキュラ」「アリス・イン・ワンダーランド」「ボニー&クライド」「カルメン」「モンテクリスト伯爵」「ルドルフ」「デスノート」など、20以上のブロードウェイ、インターナショナルの公演を手掛けている。』

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元宝塚男役トップ・和央ようか、国際結婚!お相手は02年冬季五輪開会式作曲の米国人(スポーツ報知)
『元宝塚歌劇団の宙組トップスターで女優の和央ようか(46)が国際結婚することが30日、分かった。お相手は2002年ソルトレークシティー冬季五輪の開会式曲も手掛けたブロードウェーミュージカルの米国人作曲家フランク・ワイルドホーン氏(55)。交際10か月で今年1月に婚約し、来年挙式する。』『元宝塚のトップスターとブロードウェーを代表する作曲家のゴールイン。ありそうでなかった大型カップルの誕生だ。和央は「温かく穏やかな人。私が私でいられる」と静かな口調で喜びを語った。出会いは宝塚の退団公演「NEVER SAY GOODBYE」(06年)をワイルドホーン氏が手掛けたこと。「ドラキュラ」(11、13年)など何度も一緒に仕事をしてきた。』

朝、ニュースを流し読み……、というつもりでネットを見たら、
『元・宝塚…』という文字だけが最初に目に入り、
ん?誰がどうした?とクリックしようとして、ギョーテンした(O_O)。
んなっ、なんとっっ、たかこ(和央)さんが、ご結婚!!
それで慌てて(←なぜ慌てる?)本文を開いてもっとビックリした。
なななんと、あのワイルドホーン氏と!!!??

たかこさん、おめでとうございます~~~(^^)!!!!

2007年秋にこの日記を書いたとき、引用元の記事を読みながら私は、
ワイルドホーン氏がたかこさんをかなり高く評価していることが感じられ、
ファンの欲目の逆で「それはさすがに勿体なさすぎる御言葉では」(爆)と
彼の賛辞を畏れ入って拝読したものだったが、考えてみたら当時から、
ワイルドホーン氏は、いたくたかこさんがお気に入りだったのだな(^^)。

和央ようかと結婚するワイルドホーン氏「私は世界一ラッキー」(スポニチアネックス)
『ワイルドホーン氏は大学時代から作曲を始め、99年、「ジキル&ハイド」「スカーレット・ピンパーネル」「南北戦争」の3作品がブロードウェーで同時上演される快挙を達成。故ホイットニー・ヒューストンさんの世界No.1ヒット「ブロークン・ハート」などポピュラーソングも作曲。結婚歴があり息子が2人いる。』『結婚についてワイルドホーン氏は「毎朝目が覚めると、私と同じ価値観と情熱を持った美しい貴子(和央の本名)がいる。私は世界一ラッキーな男だ」と文書でコメントした。』

いいですねぇ、御馳走様でございます(^^)。
たかこさんに関しては、私はなんとなく、
もしかしたら演出家の先生と結婚されるようなこともあるかな~、
などと、これまで想像したことはあったのだが、
よもや一気にアメリカまで飛んで行かれることになろうとは、
こちらの予想なんか軽く超越されてしまった(^_^;。
これからの結婚生活の経験はきっと、彼女にとって、
私人としても舞台人としても、価値あるものとなるだろう。
どうかどうか、末永くお幸せに……!!

いや~、それにしても私にとってこの件は、かつて、
『マリコさん(元・星組トップ麻路さき)、結婚してブラジルに行くんだって!』
と聞いたとき以来の途方もなさだったね(爆)。

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和央ようか、シンガポール超豪華ホテルライブ(SANSPO)

昨日の夜、たかこ(和央ようか)さんのシンガポールでのライブを、
Ustreamの中継で観たのだが、これがなかなか良かった。
基本的にテレビも映像も嫌いな私なので、シンドくなったら終わろう、
と思って見始めたのに、結局、最初から最後まで観てしまった(O_O)。
私は背景や内部事情を知らないが、選曲や構成は御本人によるものだろうか。
それとも、誰か今の彼女を演出してくれる人がほかにいるのだろうか。
ファンの観たいものに、とても巧く応えた内容であったと同時に、
退団後の「和央ようか」ならではの味わいがあって、興味深かった。
男役風の場面も幾度かあったが、現役時の男役・和央ではなくて、
現在の彼女らしいニュアンスがあって、バランス感覚が素晴らしかった。

たかこさんは退団してからは、肩書きとしては「女優」なのだが、
ステージでは、殊更に女性らしさを追求するのでもなく、豪華なドレスも着ない。
かと言って、男性と見間違うようなマニッシュなスタイルに固執するのでもない。
髪はいくらか長くなったし、歌も男役声の音域でないものを自然に歌っている。
女女した女優でもなく、かと言って男役でもない今の彼女が何なのかというと、
やはり、いつもの答えなのだが「和央ようか」であるのみだった。

男役出身の歌手や女優さんの場合、外部ではもう男役をする場は無いのに、
ファンはいつになっても、結局観たいのは男役姿に繋がる部分であって、
それを全く「無かったこと」にすることも出来ず、
ご本人もファンにも、葛藤のあることが多いのではないかと私は想像しているのだが、
たかこさんは退団以来、かなり自然なかたちで、
そうしたファンの要望に応える機会を設けて来たと私は感じている。
そしてその方法が、単なる郷愁というか、男役の中古品のようなものにならずに、
その都度、現在の彼女の素材の良さを活かしたかたちになっているのが、
なかなか巧いところだと思うのだ。
彼女の魅力は、一貫して「和央ようか」であり続けるところにあって、
それは宝塚にいた頃から今に至るまで、基本線として変わってはいないのだ。

その「和央ようか」の魅力のためには、ステージ衣装など本質的には必要ない。
歌手として立っているだけで、ディートリッヒとして歌うことも出来るし、
ドラキュラ伯爵にも変貌し、更になんの抵抗もなく男役レオにも戻れる。
彼女が現役の男役だった頃、私は幾度か、彼女の男役姿を否定する文脈で、
『宝塚の男役とは違う。あれは彼女にしか出来ない不思議な「男装芸」だ』
と宝塚系掲示板に書いて、当時の熱心なファンの方々から非難されたものだが、
なかなかどうして、あの頃、かの男装芸を実現させたセンスの持ち主だからこそ、
今日があるのだよと、昨日はひとりで勝手に納得したことであった(逃)。
いやもう、これは私の単なる独りよがりというか、我田引水なんですが(逃逃)。

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YOKA WAO First World Tour in シンガポール(Ustream)

19:15より開始されてます。

視聴料金: 無料
アーカイブ視聴も可能です(無料)。
アーカイブ視聴期間: 7月2日(月)20時~ 7月31日(火)24時

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9月16日(金)昼の部の『ドラキュラ』を観た。
フランク・ワイルドホーンの同作で、たかこ(和央ようか)さんが
女性として初のドラキュラ伯爵を演じたものだ。
観劇した日にも書いたことだが、男役出身というたかこさんの芸歴が
とても良いかたちで活かされた舞台だったと思った。
少なくとも私にとっては、ドラキュラ伯爵が普通の男性だったなら、
ここまで作品そのものを面白いと感じることはなかったかもしれない。

たかこさんの舞台は『CHICAGO』も『ディートリッヒ』も観たが、
今回の『ドラキュラ』が抜群に良かった。
良くも悪くも、たかこさんはやはり「普通の」女優ではないのだ。
この世に当たり前にいる女性として舞台に存在することが難しいかわりに、
ほかの登場人物と同じ時間軸を共有しない、性別も年齢も不明な、
別世界に棲むものを演じるとなると、たかこさんは出色だった。

彼女の演じたドラキュラ伯爵は、私の思っている「男役」でもなかった。
宝塚の男役ならこんな立ち方はしない、と感じる箇所がいくつもあった。
文字で表現することが難しいのだが、その腰つきや歩き方は男役ではないだろう、
と私には思えるところが随所にあって、しかもその「破調」は、
ドラキュラ伯爵が何者であるのか、普通の人間には容易に把握できない、
というミステリアスな気分を増幅するのに、実に効果的だったとも思った。

たかこさんの演じたドラキュラは、男性に見えないことはないが男性ではなく、
かと言って恐らく女性でもなく、……永遠の命を得た異形の者だった。
たかこさんの狙いがどのあたりにあったかはわからないのだが、
多分、意識的にそのように演じたのではないかと私は(勝手に)想像している。
宝塚の舞台でドラキュラ伯爵を演るとしたら、型や声の出し方などの点では、
たかこさんは、また違ったアプローチをしていたのではないだろうか。

最初にして最大の見所は、登場場面の年齢不詳の薄気味悪いドラキュラが、
若い弁護士のジョナサン(小西遼生)の血を吸って、青年へと蘇る場面だ。
あの場でのオーラは強烈で、男役で百戦錬磨(笑)のたかこさんの真骨頂だった。
あそこはドラキュラ役者の成否を決めるようなシーンでもあって、
青年ドラキュラの存在感が、異様に美しく圧倒的であればあるほど、
その後の、ルーシー(安倍なつみ)やミーナ(花總まり)が
彼の妖力に吸い寄せられるところも当然という納得感が出るのだと思った。
何しろ、十字架や聖水などあらゆる手を打っておいても、一旦、生け贄に選ばれたら、
皆、自分から望んでドラキュラ伯爵の腕に抱かれようとするくらいなのだから。

ところで、私はかなり小野田龍之介が好みで(笑)、彼の演じるレンフィールドが、
最初は結構、濃厚にドラキュラ伯爵と魂の交信をしていたように見えたのに、
いざドラキュラと対峙したら、咽喉をかっ切られて一瞬で終わった、
というのは、……確かに盛り上がりはしたが、ちょっと残念でもあった。
彼がドラキュラに更に深く魅入られ、ドラキュラの役に立つところを、もっと観たかった。
似たような不満が鈴木綜馬の扮するヴァン・ヘルシングにもあって、
あれほど重要な役割を果たしている教授が、最後の最後までドラキュラを追い詰めながら、
直接対決する場面がないまま、幕となってしまうのは私には欲求不満が残った。
ヘルシング教授は非常に奥行きのある設定で、後半は彼が物語を動かしているのに、
ドラキュラに触れることさえ出来ずに終わるというのは、良かったのだろうか?

また、宝塚のタカハナ・コンビを長く観てきた、私のような者にとっては、
相手が花ちゃん演じるミーナだから、最後はああなるしかないだろう、
ということが、何か予定調和のように、理屈抜きでも受け入れられる気がするのだが、
宝塚歌劇の前提を持たない観客から観ると、どうなのだろうか。
ミーナが伯爵にその身を捧げ、ドラキュラ伯爵も彼女に命をもって答えようとする、
という結末に関して、十分な説明となるほどの台詞は無かったと思うのだが、
客観的に見てもドラマとしての納得感は、あるのだろうか。
唐突、あるいは尻切れトンボ、的な居心地の悪さが残ったりはしないものだろうか。

勿論、以上のことは脚本や演出に関する疑問や要望であって、
出演者の演技や役作りの問題だとは全く思っていない。
むしろ、それぞれが相当な力演であっただけに、終着地点で、
そのすべてが収まるべきところに収まるというような手応えが、
もっと重厚に、欲しかったということだ。

……という、僅かな消化不良のような気分は、しかし、カーテンコールでの、
ドラキュラ伯爵の世にも優雅なお辞儀によって払拭されるのだった。
ここだけは、たかこさんは紛れもなく宝塚の男役ならではの所作で、
ドラキュラの、文字通り「とっておき」を見せてくれるのだ。
あれは、宝塚を知っていても知らなくても、きっと印象的な姿である筈だ。
当日も書いた通り、私の今回の痛恨のミステイクは、
カーテンコールで俄に客席がスタンディングオベーションになったことで、焦り、
おたおたと立ち上がるのに手間取って、その伯爵のお辞儀前半を見逃したことだった。
幸い、拍手がやまず再度ドラキュラ伯爵が登場し、もう一度、お辞儀をしてくれたので
全部を見ることが出来たのだが、二度目は客席のほうに明らかな期待があり、
伯爵もそれに答えるものとして、言わばアンコールとしてのお辞儀を見せたので、
若干、雰囲気が違ったように思った。
やはり、初回のお辞儀を見て、あの目覚ましさを堪能するべきだった(笑)。

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昼の部を観劇。
ドラキュラが普通に男性だったら、
これほど面白くはならなかっただろう、と思った。

詳細は後ほど

今日の私の痛恨のミステイクは
カーテンコールで周囲がババババとスタンディングオベーションになって焦り、
ドラキュラ伯爵の、世にも優雅なお辞儀を半分見逃したことだった(爆)。

さてこれから松竹座へ急がなくては。
二本目の「勧進帳」には間に合うだろう。

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この記事を書いたのが2007年10月だったが、あれから3年以上を費やしたのち、
たかこ(和央ようか)さんのドラキュラが、ついに実現することになった。
フランク・ワイルドホーンが当初語っていた通りの時期には
この作品が上演されなかったことを考えてみても、
恐らく、この3年には様々な紆余曲折があったのではないかと思うが、
たかこさんは、有言実行の人だった。

ミュージカル ドラキュラ(フジテレビ)
女性で世界初!和央ようかドラキュラ伯爵(SANSPO)
ミュージカル「ドラキュラ」のイメージカット(SANSPO)

私はたかこさんを技術面で「巧い」と思ったことは少ないのだが(爆)
彼女の持つ雰囲気、特に性というものを捨象したような独特の存在感は、
一般的な意味での「女優」とは違うものだと、常々感じていた。
退団して外部の舞台に立つようになった今、たかこさんの存在意義は、
もはや「宝塚の男役」ではないのだが、かと言って彼女は私の見る限り「女優」でもなく、
そのような演技者としての彼女を許容する既存の舞台は、もう無いのではないかと
私はずっと思っていた。

しかし『ドラキュラ』は、設定を見た範囲では、かなり面白そうだ。
何より、たかこさんのコメントが、いいと思う。
『男性の共演者がいるなかで、男性の役を演じることにどきどきしてる部分もあります』
『男性でも女性でもない独特の空気感を醸し、なぜか魅かれてしまうドラキュラを演じたい』
宝塚を離れた『和央ようか』が挑戦し、新たに構築しなければならないものは、
まさに彼女が言っている通りのところにあると私も思う。

作品的にどうかということとは別に、私は彼女がこの課題に対し、
どのようなカタチで回答してくれるのかを見たいと思っている。

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桜木涼介さんは、ピアフの恋人マルセル。
若いボクサーで、ピアフの憂鬱を吹き飛ばす明るさを持ち、
まっすぐに彼女を愛して、包み込む存在なのだが、
出てきた瞬間に、もう、死亡フラグが立っていた(爆)。
「これは死ぬ、長くない」、と私は思った(殴)。
勿論、ピアフの人生を私は概略、知ってはいるのだが、
それとは別にして、このマルセルは一瞬で散る人だという雰囲気が、
最初から、明確にあった。
ピアフの恋人としての、幸せな瞬間の芝居なのに、
明瞭に結末が暗示されていて、桜木さんの巧いところだと思った。
今回は振付でもご活躍になっているのだが、
私は省みると、随分とあちこちで、
この方の振付作品には既にこれまでにも出会っているようだった。

同じ恋人役でも、生命力に溢れているのが宮川浩さんのジャン・ギャバン、
ディートリッヒの愛人となったフランス人俳優だ。
彼はディートリッヒとの、どう見ても先行きのない愛に身を投じていて、
辛さに耐えかねたとき戦争になり、フランスのために闘う決意をするが、
マルセルと違い、こちらは全然、死にそうな気配が無かった。
事実、彼の、ディートリッヒとの決別は戦後のことだ。
何かというとディートリッヒに向かって吠えているような人なのに、
破壊的な感じはしなくて、客席にいて彼の熱さを肯定的に感じられたのは、
宮川さんならではの役作りなのだろうなと、思ったりした。

ディートリッヒの娘マリア役の麻尋えりかさんは、宝塚出身だ。
最初の場面で、私は実は、設定も何も理解していなかったので、
麻尋さん扮するマリアが、たかこさんのディートリッヒに向かって、
「ママ!」と呼びかけたときは、不意打ちで、ギョっとした(殴)。
今陽子さんのヨゼフィーネと、ディートリッヒの、
母娘の会話を聞いた直後だったので、
私の中ではディートリッヒは「娘」という認識しか無かったのだ。
総じて、たかこさんの演技の質の問題もあって、
ディートリッヒとマリアは、およそ母娘には、私には見えなかった。
だが、マリアの方は、一幕と二幕の間に、確実に15年分の経験をしていて、
母とその愛人の間で、複雑な気持ちを抱きながら過ごした少女時代から、
やがて母を理解し支援さえする大人の女性に成長した彼女の軌跡が、
私には十分に想像できた。

ところで私は英文学科出身のくせにヘミングウェイを全然読んでいなくて、
今回のパパ・ヘミングウェイに関しては、横内正さんのイメージを、
ほぼ全面的に受け入れて観ることになった。
男性として、ディートリッヒに心惹かれた瞬間が、
なくはなかったけれども、それをバランス感覚と大人の理性とで、
実にうまくコントロールして、激情に流されることがなかった、
・・・というあたりが、とても私には魅力的に映った。
観客に対する語り手であり、自由に舞台の時間の中にも現れ、
声に、なんともいえない「慈愛」みたいな豊かな響きがあった。

************

東京公演時に吉田都さんが踊られた『平和の天使』は、
大阪公演では山井絵里奈さんが踊ってらしたのだが、
クラシックの技法がふんだんに取り入れられた繊細なバレエだった。
たかこさんのディートリッヒの存在感について、
「実体のない幻想。平和を祈る皆が共有した夢」、
というように見えた、とさきほど書いたけれども、
本当は、劇中でその役を担っていたのは、この踊りのほうだった。
観ながら、もし『ダイアナとアクティオン』のダイアナが、
飛ぶパをやめたら、案外こんな感じになるのではないか、
などと、ちょっと方向違いの想像も、してしまった。

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たかこさんの今回の歌は、私はどれも好きだった。
『リリー・マルレーン』は名曲だと改めて思ったし、
『花はどこへ行った』では不覚にも!泣きそうになった。
もともと私は、たかこさんの高い声が心地よくて気に入っていたので、
女優となったことで、それが存分に聴かせて貰えたのは嬉しかった。
私の記憶にあるディートリッヒの歌声は、もっと低くて退廃的だったが、
そういう次元の「物真似」をする必要はないと思うし、
たかこさんの歌で聞かせて貰えたことには満足した。

歌と言えば、エディット・ピアフ役の花ちゃん(花總まり)も
私にとってはとても興味深いものだった。
私は一時期、かなり短い間ではあったがシャンソンにハマり、
エディット・ピアフの録音は中でも熱心に聴いたことがあるので、
今回、花ちゃんが歌い出したときに、彼女も私と同じ録音を、
おそらくは繰り返し聴いただろう、ということがほぼ確信できた。
たった一着の黒いドレス、足を開いた無防備な立ち方、
花ちゃんの歌い方にも佇まいにも、
『(私の思う)ピアフの面影』が、ちゃんと、あった。

ただ、花ちゃんには、男に狂って破滅的な人生を選択するような、
ピアフの、生命力の凄まじさは、全く感じなかった。
そのぶん歌にも、羽目を外さない、行儀の良さが目立ったと思う。
声も、当然のことながらピアフのような傷心的なものではなかった。
このへんは、芸の巧拙以前に、私のほうに温度差があって、
私はマレーネ・ディートリッヒ本人の歌声には思い入れが薄いが、
エディット・ピアフに関しては、多少なりとも馴染みがあって、
『こういうふうに聴きたい』という前提も、持っていたわけなのだった。

花ちゃんが、例えばたかこさんのような、「時間を共有しない」、
生身を感じさせないピアフだったかどうかは、私にはわからなかった。
今回の舞台では、ピアフの時間はあまりにも短かったし、
彼女の、ごく一面しか描かれていないに等しかったからだ。

************

ほかの出演者の方々は、揃いも揃って素晴らしすぎた。
私は『ピンキーとキラーズ』の時代に、今陽子さんのファンになり、
子供時代には寝ても覚めても彼女の歌を聴いて育ったのだが、
今になって、こんな再会ができようとは思いもよらなかった。
彼女の持つ多彩な声の魅力が、ヨゼフィーネ役で最大限に発揮され、
空気みたいな(!)たかこさんの存在に、
その時々に応じて、きちんとした輪郭を与えてくれていたと思う。

鈴木綜馬さんは衣装デザイナーのトラヴィスで、ゲイの役なのだが、
これがまた、私は一発目から捕まってしまった。
登場してすぐの場面で、筋に関係なく「あら、階段が」と言って、
とんとんとん、と独特の足取りで降りてきて、
「降りたわ♪」と自分で言うところが、既にいきなり最高だった。
私も含めて観客は、このあとずっと、トラヴィスの登場を
心待ちにするようになったと思う。
彼が出て来ると、きっと楽しいこと・愉快なことがある、
と客席が期待し、事実それは一度も裏切られることがなかった。

(続)

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昨日12時半公演の『ディートリッヒ』@梅田芸術劇場を観た。
たかこ(和央ようか)さんの前作は08年『CHICAGO』だったが、
そのあと『Super Monkey』降板(公演中止)という一件があったので、
今回のは、一年4ヶ月ぶりの舞台復帰だった。

この舞台については、たかこさんをある程度長く観て来たファンなら、
『(良くも悪くも)やはり和央ようかだった』
と感じた人が、多かったのではないだろうか。
たかこさんはディートリッヒの後半生を時間軸に添って演じたのだが、
私にとっては、どこを切っても最初に目につくのは『和央ようか』で、
それゆえ魅力だと思えた場面もあれば、違和感の元になった箇所もあった。

良かったのは最初の場面で、軍服姿のディートリッヒは、
やはり男役で長年、舞台の真ん中に立ってきたたかこさんならではで、
観客の視線を集めるに足る、目覚ましいものだったと思った。
もうひとつ印象的だったのは、二幕最後の場面の白いスーツで、
これまた、たかこさんのスタイルと着こなしが最大限に活かされ、
際だつような存在感があった。

これらに較べると、ドレス姿が意外に平凡なのが残念で、
特にディートリッヒが見出されてカメラテストに来たときに、
最初、私服姿での立ち方が洗練されていないのは演技だから良いとして、
そのあと、一旦引っ込んで、衣装をつけた彼女がどれほど美しいかを
台詞でかなり前フリされてから、改めて登場する流れになるのだが、
これが、少なくとも私にとっては、盛大な肩すかしだった。
あそこは、うわ~!別人!!と思うくらい、キメて欲しかったのに。
まあ考えてみるとたかこさんは宝塚時代から、
私が勝手に「来るぞ来るぞ!」と待っているような瞬間に限って、
サラっとカワして通り過ぎてしまう、という傾向はあったので、
この舞台も、そういうことなのかなとも考えてみたのだが・・・。

しかしそのようなことより、私にとって今回最も気になったのは、
たかこさんの存在だけが、時間を超越しているものに見えたことだ。
ディートリッヒはほかの登場人物と同じ時間を共有し、
筋の通った熱い思いも表現し、感情を吐露する場面も台詞もあるのに、
私にとっては、たかこさんのディートリッヒは、いかなる場面でも、
前の場面と時間的には繋がっていないように見えた。
いつも「ディートリッヒ」であるのみで、全く変わることがなく、
年月の経過も境遇の変化も、彼女にはいささかの陰も落としていなかった。
それはまるで、登場人物たちも私たちも、一緒に同じ夢を見ていただけで、
「ディートリッヒ」という人間は、実は本当には存在しなかった、
「ディートリッヒ」は幻影で、反戦・平和を願う人たちの思いの象徴だった、
・・・みたいな感触だった。

面白かった、と言えば、まあそうなのだが、これは演技的にはどうなのだろう。
少なくとも、何かの「齟齬」のような不思議な違和感が私にはあった。
たかこさんは、というか元々が男役の「和央ようか」は、どこまでも虚構で、
もしそれを女優としても貫くのであれば、今回のように、
生きているホログラム?みたいな、不可思議な存在になってしまうのでは、
・・・という気が、観ながら、しきりと、した。

(続)

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