転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



・3月に結石治療で入院して以来、とにかく水を飲めと医師に言われ、
毎日2リットルほど、一心に飲み続けて暮らしていたら、
体重がジワジワと1キロ半ほど減った。
水を飲むと痩せる、という話は、ある程度本当かもしれない。
もっとも、私はもともとが肥満しているので、外見上の変化はなく、
また、このペースでは、仮に夏に水着を着るために痩せたい、
と思ったとしても、役には立ちそうもないとは思う。

・連休に入って以来、それまで日に100通は来ていた、
英文の迷惑メールが、一切来なくなった。
こいつらは、どれもだいたい7KBで、タイトルはいつも、
誰かが痩せたとか何かが巨大になったとかいう類いで、
自動的に迷惑メールフォルダに振り分けられていたのだが、
ここ数日、迷惑メールフォルダの仕事は実質的になくなった。
メール界が今後ずっと連休だったらいいのにと思った。
後日記:5月3日には完全に復旧した。メール界の連休は短かった。)

****************

連休中、ラジオ講座の放送はあるが、内容は前週の再放送だ。
この時期は普段通りの生活でない人が全国的に多いので、
聴けなくても良いように、あるいは復習をして過ごせるように
一応、考えられているようだ。

『まいにちフランス語』初級編は、今のところ余裕でやれる内容だが、
「そうだよな~、そこ難しいよな~」と思う箇所は結構ある。
deux ans(2年)とdouze ans(12年)の違いなんて、
文脈がなかったら、聞き分けられる自信は相変わらず無い(汗)。
このような、中級学習者もふと立ち止まらざるを得ない箇所を
取り上げてくれている『教えてMadame』は、興味深いパートだ。
4月はこの部分のスクリプトが掲載されていたが、5月からは無いので、
いよいよ、ここは聴き取りだけでやれということのようだ。

フランス語の応用編は再放送なので、内容は知っているけれども、
Expression utileなど、今も覚え直す必要があり、助かっている。
毎回のDialogueの内容も、社会問題に絡めた話題で興味深いと思う。
しかし相変わらず感じるのが、Exercices structurauxのところで
全然ポーズが置かれないので、パトリスさんが何か言っていても
ほとんど黙殺してこちらが答えを言わないと、
『声に出して言ってみよう』の目的が果たせないということだ(汗)。
学習者は、自分の発音を自分自身でもよく聴く必要がある、
と私は思っている。
お手本が読み上げられ、ポーズの箇所で自分で発音する、或いは、
自分が答えを言ったあとで、改めて模範解答が発音される、
という、自分と手本を較べる「遣り取り」が、番組中に欲しいと思う。
短い放送時間なので、少しでも空白の時間を作るのは勿体ない、
という主旨なのかもしれないが、私はクニパト・コンビの番組は、
「私ひとりで仏語を喋らせてくれない」のが最大の不満だ。

『まいにちスペイン語』入門編は、一応、一ヵ月は続いた(^_^;。
いくらなんでも初めてではないので、4月の放送分程度は、
前にやったときに覚えたことが大半だったのだ。
応用編は、自分には無理だと思うので、聞き流しているだけだ。
いつも思うのだが、私は英語とフランス語に関しては、
どういうのが「良い発音」だとか「巧い英語・仏語」だとかが、
自分の中でも基準があって、それに近づこうという工夫もしているのだが、
スペイン語に関しては、まだそれが確立できていない。
自分の発音と、ファン・カルロスさんの発音は、決定的に違う、
というのは感じられるのだが、どこが駄目で、どうなおせば、
よりスペイン語らしい音に近づくのかが、まだよくわからない。
思えば、英語もフランス語も最初はこういう状態だった筈なのだ。
馴染みの薄い言語音に対する自分の感覚が、今後どう変化するのか
(あるいは、しないのか・汗)、少し観察してみたいと思っている。

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書く機会を逸していたのだが、4月26日の夜は、
広島県立美術館で、イェルク・デムスのリサイタルを聴いた。
バッハ平均律クラヴィーア曲集の第四夜にあたる演奏会だった。

広島で、デムスは昨年から、平均律全曲演奏を手がけており、
第一夜は2012年11月2日(第二巻 第1番~第12番)
第二夜が11月16日(第二巻 第13番~第24番)、
第三夜が2013年4月2日(第一巻 第1番~第12番)、
そして完結の第四夜がこの26日(第一巻 第13番~第24番)だった。
平均律全曲演奏がメインだったが、どの日もそのほかに、それぞれ、
半音階的幻想曲とフーガ、或いはフランス組曲やパルティータのどれか、
等々が合わせて演奏されるプログラムになっていた。
26日のは、前半が平均律第一巻の13番から18番までと、
引き続いて、パルティータ第6番ホ短調が演奏され、
休憩を挟んで後半が、同第一巻の19番から24番、という構成だった。

私は残念ながら四夜すべてを聴くことは叶わず、
家庭事情などにより、第二夜と第四夜しか行けなかったのだが、
それでも本当に聴けて良かったと思っているし、
デムスについてはこの後も、機会ある限り逃したくない演奏家だと
聴き終えて改めて思った。

年齢的なこともあるのかもしれないが、デムスのバッハには
随所に軽やかな躍動感があって、テンポやリズムも柔軟な印象だった。
平均律に関しては、私はエル=バシャのCDを愛聴して来て、
彼の非常にタイトで抑制の効いた演奏が気に入っているのだが、
それとは別に、デムスの柔らかさや自由さは素晴らしいと感じた。
なんの足かせもないバッハだった。
使用楽器が19世紀のベヒシュタインであったことも、
彼の演奏の空気に、ぴったりと合っていたと思う。

その一方で、私は今回、デムスの右側にあたる席から、
演奏をこれまでよりつぶさに観察することができたのだが、
演奏中、デムスの姿勢の変わらなかったこと、
特に肩の位置、腕のポジションがきっちりと保たれていたことには、
とても感銘を受けた。
体を揺らしたり、腕を振ったりするような「動作」は
デムスのバッハ演奏には無縁だった。
それでいて、デムスの演奏態度には、窮屈さが全くなかった。
豊かな音量も速いパッセージも、ただ手をそこに置くだけで、
なんの無理もなく実現できる、というお手本のような演奏だった。

アンコールは、同じく平均律第一巻第1番の前奏曲とフーガだった。
平均律のすべてを弾き終えたあと、こうしてまた第一巻第1番に戻る、
あるいは再度ここから「始める」、という意味で、
音楽は途切れることがない、デムスの追求は終わることがない、
と、何か象徴的に示された気がした。

ピアニストにとって、平均律全曲演奏それ自体が大きな挑戦だが、
1928年生まれのデムスが、それをすべてを暗譜で、
しかも全回、完全に予定通り演奏会を実現させ、成功させたのは、
まことに見事な成果だったと感じた。
このあとデムスは、今年の秋に再び広島で、
『演奏家生活70周年記念演奏会』を行う予定だとのことで、
それもまた私は大変楽しみにしている。

*****************

ところで、デムスの演奏会では、
客席がよけいな音をたてることは御法度だ。
自分の咳やクシャミが心配な人は、予め出口近くの席に居るようにして、
いざ出そうになったら速やかに退出するように、
という主旨の説明が、開演前にあるし、
それを書いた掲示物も、会場内に貼ってある。
こうしたことを、「窮屈だ」「肩が凝る」と嫌がる人も結構あるようだ。

だが、私にはむしろ不思議だ。

正直に言うが、
音を、それも限りなく繊細な音を、聴きに来ているのだから、
客席でそれ以外の物音など立てないように細心の注意を払うのは、
聴き手として、当然ではないだろうか?
デムスが怒ると怖いから、きょうだけ特別、というのではなく、
どのような演奏会でも、これは本当は当たり前ではないのだろうか。

私は、少なくともクラシックを聴くときに、
客席がゴソゴソ動くのを良いことだとは全然思わない
(一緒に手拍子したり、自然にリズムに乗って体が動くような、
勢いのある音楽のときは、この限りではないと思うけれども)。
私自身、聴いている最中には、自分が身じろぎすることにも抵抗がある。
周囲を気遣うからだけではなく、自分が細大漏らさず聴き取るためにも、
不用意に動いて、この場の空気に客席の側から穴をあけたら台無しだ、
という感覚があるのだ。

美輪(明宏)様の公演でも、開演前のアナウンスで、
デムスの演奏会とほぼ同様の注意が流れる。
音をたてるなら退出、とまでは言われないが、
「咳をする際にはハンカチやタオルなどで口元をおおって下さい」
という言葉が、決まって読み上げられる。
ついでに携帯もマナーモードは不可、全員、電源を完全に切るように、
という具体的な指示まで、必ずされる。
これらのアナウンスのとき、客席からはお約束のように、
「え……」「ゎ……」などと、一瞬ざわっとした反応が起こる。

しかし私には、これが特別厳しいことだとは思えない。
例えば、公演中に、発作的・事故的にひどい咳き込みに襲われた、
というような状況は、もちろんあり得ないことではないし、
それをいちいち徹底的に糾弾すべきだなどとは言わない。
けれども、聴衆の誰でも皆、咳が出そうならしても良いのが前提、
ということはないだろう。
「音」を聴くために、チケットを買って人々が集まっている場所なのだから、
一瞬だろうと「雑音」を入れることは、本来、最もいけないことだ。
会場に来られるほどの健康状態なのだから、その大半の人たちが、
咳やクシャミに対する配慮を求められるのは当然だと私は思っている。

それにつけても思い出すのが、2005年10月のポゴレリチの公演だ。
彼も若い頃から、客席の物音に対して決して寛大ではなかったが、
このときは、彼のほうから意思表示をしたわけではないのに、
最初から、客席の緊張感が物凄かった。
6年ぶりの来日のうえ、演奏内容が尋常でなかったせいもあろうが、
とにかく客席全体の集中力が凄まじかった。
ショパンもスクリャービンもラフマニノフも、
ソナタの楽章と楽章の間さえ、咳払いどころかコトリとも音がせず、
満席のサントリーホールが、耳鳴りのしそうな静寂に包まれ、
空気の隅々まで張り詰めていたことを、私は今も忘れない。
生理現象だなんだと言うが、つまり皆、やろうと思えばできるのだ。
普段はただ、本気でそうせねばならないとまで考えていないだけだ。
「東京の聴衆は素晴らしい」
と、あとでポゴレリチがインタビューで褒めていたものだった(汗)。

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連休が始まったが、我が家は別に予定は無い。
3月に私が腎臓結石で入院騒動など起こしたものだから、
主人は旅行計画どころではなくなり、
更に娘の下宿への引越もあって忙殺され、
気がついたら、まず、5月連休の金沢の宿がなくなっていた。
ラ・フォル・ジュルネ金沢に合わせて、祖父母の墓参りに行く、
というのが私の理想の連休計画だったのだが、
泊まるところがないとなっては、だめだった。

東京も大阪も、連休は人でいっぱいだ。
そうでなくても、娘は大学のサークルの新歓合宿があるので、
広島に帰るどころか下宿にすら居なくて、
こちらから首都圏に遊びに行くには、どうもタイミングが悪い。
主人はその他、どこであれ、
美術館とレストランの充実している場所に行きたい人間なのだが、
もう今更では、そのような街の手頃なホテルはどこも一杯で、
新幹線その他、交通機関の予約も思うようには行かない。

じゃあ、いいじゃないか、家でごろごろしてれば……、
と怠惰な私は別に不満ではないのだが、主人は、
「せっかくの休みに何もしないなんて、勿体ない(T_T)」
と我慢がならない様子だ。
私は出かけるなら、季節も良いので、神辺の菅茶山の邸跡とか、
尾道の平田玉蘊関連の史跡や展示など見たいし、
鞆の浦で「頼山陽もこの景色を眺めたんだろうな~」などと、
一晩くらい泊まってみたい気がしないでもないのだが、
こういうのは、主人の趣味と全然重なっていないので、
良い提案になりそうもない。

さぁ、どうなるだろう(^_^;。
どこかで主人がキレて、日帰りでも何か計画するか、
それとも私が望んだように、家でごろごろ、という連休で終わるか。
スリルがあるワね。

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4月12日に受診した際に決められた次回予約が、
4月27日10時30分となっていたので、
今朝、また例の病院の泌尿器科外来に行った。

待合室にはいつものように、おじさん・おじーさんが大勢いたが、
前回来たとき、外来患者として腰をさすりながら待っていた女性が
きょうはパジャマ姿でベンチに座っているのが見えた。
多分、かつての私同様、石で、あれから入院になったのだろう。
そうだとしたら、半月近く経つからそろそろ退院間近か、
あるいは経過を見つつ、もう少しESWL(体外衝撃波結石破砕術)かな?
また、私の前の席に座っていた男性ふたりも結石患者同士で、
ひとりは入院中、もうひとりは退院後初診察、
という話を互いにしている最中だった。
ここに来ている人の大半は、結石か前立腺肥大と見た(^_^;。

さて、きょうは私は、尿検査・単純X線撮影・エコー検査があった。
超音波検査室の奥が、体外衝撃波装置のある部屋なので、
私がベッドにうつぶせになり、エコーで腎臓を診て貰っているとき、
むこうからは、懐かしいカチカチカチという音が響いてきていた。
ああ、きょうも誰かが、かめはめ波攻撃を受けているのね……。

それからしばらくして診察室に呼ばれ、診察と結果説明があった。
尿には異常がなく、右腎臓の腫れもひいており、
レントゲン写真には、最後のひとつと思われる小さいカケラが、
膀胱手前1センチのところに写っている、とのことだった。
「これで終わりなんで、ま、もう出るとは思いますがね」
と先生は仰った。

このあとも、カケラの向きや場所によって詰まったりすれば、
また腎臓が腫れて痛みが出ることも考えられるそうだが、
何であれ、とにかく「出す」方向で努力する以外にないので、
チワンとコスパノンを引き続き内服し、水分摂取を心がけ、
日常生活ではよく歩きなさい、と指示された。
そして、次回受診の時期として5月半ばを指定され、
そのときもう一度画像で見ましょう、と言われた。

私の右腎臓に何年も住んでいた石よ。
長い旅だったが、ようやくゴールが見えて来たな。

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全然予定になかったのだが、昨日の11時公演が急遽、
観られることになったので、宝塚大劇場まで行って来た。
公演3日前に友人から「チケットがある」とメールが来て、
「観られる公演は全部観る」が宝塚の鉄則であるので(笑)
私は「行く」と即答したのだが、先日も遠征したばかりではあり、
時間的・体力的・金力的に、相当無理したのは言うまでもなかった。
しかし、はるばる出かけた甲斐は、あった。

『ベルばら』というだけでも注目されるのに、今回の雪組公演は、
壮一帆×愛加あゆ、の新しいトップコンビの本拠地お披露目で、
そのうえ、第99期生初舞台公演でもあり、
更に、公演期間中、日によってはところどころ、
他組トップ男役のゲスト出演まで組まれているので、
前売段階でチケットは早々と完売していた。
私もチケットぴあプレリザーブでハズれ、一般でフられて、諦め、
到底観られないものと、つい先日まで思い込んでいたのだ。
だから、友人がこのタイミングで私を思い出してくれたのは、
本当に有り難いことだった。感謝感謝(T_T)。

中でも、この4月23日から30日までの公演は、
オスカルに宙トップの凰稀かなめ(←つい先日のエドモン・ダンテス)、
アンドレに星トップの柚希礼音
という凄いゲスト配役になっていたので、超・貴重だった。
私は昨日、宝塚に5人いるトップのうち3人をいっぺんに観てしまった。
バレエで言えば、普段なら1人か2人しか見られないプリンシパルが
ひとつの演目の中でずらっと並んでいた的な。
他組トップが客演する企画は、宝塚では時々あるが、
よその男役トップさんが同時に二人来たのを観たのは私は初めてだった。
私の席は一階の最後部の端だったのだが、
平日昼だというのに、背後にはぎっしりと立見客がいた。

***************

プロローグは毎回、文字通り「劇画から抜け出して」、
フェルゼン、オスカル、アンドレたちが登場するのだが、
今回はフェルゼン編だったためか、劇画はフェルゼンだけだった。
この演出には賛否はあると思うが、それはともかく、
昨日、私が最初に感心したのは、
「使用されているフェルゼンのデッサンが、オカシくない!」(爆)。
過去には、池田先生がよくお怒りにならないな、と思うような、
ヘタな劇画のセットがステージに出ていたことがあったのだが、
今回のは、ちゃんと連載当時の池田理代子のフェルゼンだった。
そして、華やかに登場した壮一帆くんは、目覚ましい美しさだった。
所作が綺麗で、存在がキラキラしていて、声が良い!
すらりとしていて首も長いので、軍服や宮廷服がよく似合ううえ、
ちゃんと宮廷靴も履いていて、正統派フェルゼン!!
(以前、自宅居間でもスターブーツを脱がないフェルゼン伯がいました。
格好良かったのでワタシ目をつぶりましたけど(←何様))。

現在は特に贔屓も居ない私が、今回の公演を観たいと思っていた理由は、
なーちゃん(大浦みずき)と同期だったソルーナ(磯野千尋)さんが
この雪ベルばらを最後に、ご卒業になるから、というのもあった。
そのソルさん、ルイ16世の役で、過去のベルばらに比して、
国王の出番が結構多かったのは、卒業公演だからというのもあったとは思うが、
王妃を思う国王の人物設定がよく出ていて、演出上もなかなか良かった。
実際の設定より、かなり年上の国王に見えはしたが、
高い知性と細やかな思いやりを持ち合わせていながら、
為政者として自分の理想を実現することは叶わなかった、
おっとりとしたルイ16世の姿が、実によく伝わって来る演じ方だった。

これほどの夫(国王)と愛人(フェルゼン伯)から愛される設定なのに、
肝心のアントワネット(愛加あゆ)の出番がなかなか無いのには、
昨日、私は一幕前半、観ていてストレスがたまった。
プロローグで紹介されないアントワネットって、アリですか?
彼女の最初の場面は、確か宮殿の夜の庭園で、
フェルゼンから別れを切り出されるところだったと思う。
夜陰に乗じて忍んできたせいか、ドレスがまた、ひどく地味だった。
フェルゼンが「紅薔薇のように」と繰り返し言うのだから、
やはりアントワネットには最初に一度くらい、
イメージとしてでも、深紅のドレス姿で見せつけて欲しかった。
愛加あゆちゃん本人は頑張っていただけに、勿体なかった。
その後も王妃の出番はほとんどなく、
愛加アントワネットの真価を観るには、
このあと延々、二幕まで待たなくてはならなかった。

一幕最大の見どころは、最後、ベルサイユ宮を去るフェルゼンが、
大演説(爆)をする場面だった。
かなり唐突に、なぜかわからないが滔々と語るのだ、フェルゼンが。
そしてこれまた、普段の私ならツッコミを入れて笑う場面なのに、
壮くんが演ると、信じられないほど感動的で、困った(爆)。
自分はフランスに来て、様々な愛のかたちがあることを知った、
人を愛することを知り、人から想われることも知った、
愛するがゆえに身を引く愛もあると知った、
自分がここで得た最高の友人(=オスカル)は白薔薇で、
自分がこの地で心から愛した女性(=王妃)は紅薔薇だった、
……等々等々、フェルゼン伯爵、別れに際して一世一代の大演説。
私は最初こそ、「えー…」と眉をひそめるように聞いていたのに、
壮くんの真情溢れる語りに、我知らず次第次第に聴き入り、ほだされて、
しまいに彼(女)が、銀橋で『愛の面影』を歌い上げたときには、
フェルゼンの想いに心から打たれ、うっかり泣きそうになった。

これぞまさに宝塚の男役にしかできない魔法ではないか。
宝塚の陶酔は、理屈や洗練とは関係がないのだ。
現実では絶対にあり得ないような別世界に、観客を連れて行き、
日常生活では「感動」ではないようなことで、大感動させる。
壮くん、涼しげな外見なのに、トップ就任時にしてこの熱さ、
スゴいじゃないか!!と私は心から感心した。

***************

かなめ(凰稀かなめ)ちゃんのオスカルも、私はとても気に入った。
銀英伝のラインハルトといい、モンテ・クリストのダンテスといい、
私は観るたびに彼女に感心するので、つまり好きなんだろうかな(^_^;。
軍服に隠した「女性」の姿が、宝塚歌劇の範疇として適切だったし、
(脚本的に、原作のオスカルと宝塚のオスカルは、
「女性」性の点ではかなり乖離していると私は思っている)、
容姿の美しさも際立っており、まさに「男装の麗人」だった。
何より、昔から私にとってのオスカル役者の試金石は、
「シトワイヤン……、彼の犠牲を無にしてはならない。
シトワイヤン、まず手始めにバスティーユを攻撃しよう……」
から始まる台詞の最後の、
「行こーーーーーう!!!」
の一声なのだが、昨日のかなめちゃんのこの声に私はシビれた。
あの声には、そこまでのオスカルの「全部」があった。
男性同様の輝かしい人生を歩みながら、
アンドレを愛し、ついにひとりの「女」としても開花したオスカル、
王宮の軍人としての華やかな前半生を捨て、
最後に名も無い市民としての闘うことを選んだオスカル、
それらすべてが、一瞬でひとつになったような、
「行こーーーーーう!!!」の燃焼だった(私にとっては・笑)。
ので、心の中で『よっしゃーーー!!』と応えたワタシであった。

れおん(柚希礼音)くんのアンドレも、絶品だった。
普通、トップになると疲弊してげっそり消耗する人が多いのに、
れおんくんは、いつもつややかで堂々としており、
何を演じても余裕綽々で光っているのは、何故なんだろう(笑)。
昨日のも、ゲストとは言え、主役級の重量感あるアンドレだった。
どう見てもジェローデルより貫禄があって立派なのが、
舞台としては、ちょっとアレだったけど(逃)。
れおんくんは、私の大好きな「男役の力技」を、
今、最も鮮やかに見せてくれるトップさんで、
あのアンドレなら、断末魔で仮にトランペットソロが後ろでヨれていても
あんまり気にならないんじゃないかと思った(爆)。
フィナーレで『小雨降る径』のイントロが流れたときには、
私は一瞬『うそーーーー!!やめてーーーー!!』と思ったが
(かつて、なーちゃんの踊った超名場面だったので)、
これがまた、れおんくんは、えらいこと巧かった。
高度に安定した主演男役然とした踊りで、
テクニックがあり色気があって、いやもう畏れ入りました。
ああまでやられては、許すしかないだろう(殴)。

***************

こんな他組トップ二人が燦然と客演して舞台をさらって行ったら、
残りは「あ?フェルゼン?居たんだ…」になりそうなものだが、
そうならなかったところが、昨日の壮くんの見事なところなのだった。
そもそも宝塚の『フェルゼン編』は、実はほとんど、
フェルゼンに美味しい場面をやらせない構成になっているし、
特に今回のトップ特出の日の構成は、通常公演の『ベルばら』と違い、
雪組本来の姿から言えば、組子がかなりワリを食ったものになっていて、
主役のフェルゼンですら、削られてしまった場面や歌があった。
それでも主役たり得た壮くんは素晴らしかったと私は思っている。

フェルゼン後半の白眉は、『行けフェルゼン』、じゃなかった、
『駆けろ、ペカサスの如く』。
物語としては、国境まで来たフェルゼンが、国王が処刑されたと知り、
王妃を救わんと、狂ったように馬車を駆ってパリを目指す件なのだが、
そこは舞台なので、馬もいないし馬車も走らない。
さっきまで同行していたジェローデルの姿も、ここからはもうない。
舞台中央に、馬車のつもりの簡素な枠組みがあり、
フェルゼン役者は御者よろしく、その前に陣取って、
ひとりで鞭をピシピシやりながら歌うだけなのだ。
普通の人なら、間違いなくお遊戯以下の可哀想な場面になるだろう。
ここは、ほぼ、イマジネーションだけで成り立っている。
舞台の真ん中にたったひとりで立って、観客に何を見せるかが、
フェルゼン役者の力量を問われるところなのだ。

この場面での壮くんが圧巻だった。
臆面もなく格好良かった(^_^;。どうしましょう。
若くて都会的に見える壮くんに、あんなことが出来たとは、
私には全く予想外のことだった。
燃えるような生気の迸る、疾走する『馬車』だった。
舞台に何もない、フェルゼンひとりなのは、
フェルゼンの目に、もう何も入っていないからなのだ。
鞭を持って広げた腕から、周囲の空間に力が広がり、
客席の彼方まで睥睨するような目力も強烈で、
もう格好良いのなんの!!壮くん偉いっっ!!!

これを受けて立つのが、牢獄の愛加アントワネットだった。
やっとやっと、あゆちゃんの見せ場が来たのだ。
童顔で愛らしいあゆちゃんなのに、
40歳近い、人生終盤の王妃の設定がなんの違和感もなく、
しっとりと似合ってさえいて、
しかも、白髪で粗末なドレス姿なのに、高貴だった。
あの百万回ツッコまれた「少しも早く…」の場面で、
フェルゼンが着てきた黒いマントを、わざわざ裏返し、
赤の裏地が見えるようにして王妃に着せかけようとするのは、
もはやすべてを失った王妃の痛々しい姿に、
ひとときでも華やかな彩りを添えたいという願いの現れなのだ、
……とこれは以前、友人某氏が指摘していた解釈なのだが、
壮×愛加のコンビで観ると、本当にそれがよくわかった。
恭しく大切に大切にマントをかけようとするフェルゼンと、
それを静かに拒絶し、肩から紅色の衣がすべりおちるときの王妃、
という構図で、ふたりの行き着いた関係は、
もう言葉も要らず明白だった。

最後、『断頭台』は、掛け値なしに、宝塚屈指の名場面だ。
大階段が、あれほど効果的に使われた演出もほかにないと思う。
あの「王妃さまーーー!!」の叫びとセリ下がりが
男役としてがっつり格好良いかどうかも、
私の、フェルゼン萌えポイントなのだが、
これに関しても壮くんは文句なしだった。
芝居のラストまで舞台にいるのはアントワネットだが、
この場を締(し)めるのはフェルゼン役者のセリ下がりと、その余韻だ、
と私は昔から思っている。
壮くんは、最後まで用意周到で、全くハズさなかったと私は感じた。
立派だった。物凄く。

フィナーレのショーは、本編は完結しているので純然たる「お楽しみ」だが、
ハイライトはやはり、『オマージュ』での黒燕尾の男役群舞だろう。
あれは「男役」がやるから良いのだ。
ホンモノの男性だったら、どんなに格好良くても面白くない。
美しい女性たちが、男でもなく女でもなく、「男役」として、
一糸乱れぬ群舞を披露する様は壮観だ。
そしてその頂点に君臨するのが男役トップである、
というのが最も象徴的に見える構成になっていて、
宝塚のショーを観る陶酔を凝縮したようなイイ場面だと、
昨日もまた、改めて思った。

***************

さて、こうなると、通常雪組バージョンの脚本で観たいものだと
ついつい、欲張りなことを思ってしまった。
昨日のは、トップ客演を迎えるために特別な脚本演出になっていたので、
雪組生だけの、基本版の『ベルばら』もなかなか良いのではないか、
と見終わって想像させられた。

ちなみに私は、宝塚歌劇、特に『ベルばら』に関しては、
辻褄とか合理性などは、最初からほとんど求めていない。
宝塚として盛り上がるかどうか、だけが私の判断基準だ。
「あり得んやろ!」
とツッコみどころが多いのもまた、このテの名作の常だし。
だから、ケッタイな台詞があっても真面目に揚げ足を取る気はないのだが、
それでも、昨日観ていてちょっと噴きそうになったのが、
『恋の甘酒に酔って…』とかいう言い回しだった。
甘酒、……あのドロっとして白いヤツですよね??
ヨーロッパ宮廷の貴族が、あんなの飲んで、しかも酔うの???
『恋という名の美酒に酔って…』くらいにして欲しかったね。
まあ、脚本としては『甘い酒』のつもりだったんだろうけど……(^_^;。

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(昨日の続き)

仏検2級の二次試験は面接で、要項を見ても特にテーマはなく、
試験官と約5分間フランス語で会話する、とだけ書かれている。
私のように、周囲にフランス語話者が全くいない境遇だと
(自称ふらんす人の配偶者は、おるのだが(^_^;)、
まともなフランス語会話など、仏検受験までやったことがなかった、
という受験生も、結構いるのではないかと思う。

どのような質問が出るかを事前に当てることは不可能だが、
当日はたった5分だし、軽い自己紹介的な話題に終始するので、
自分の仕事・家族・趣味・語学学習歴・幼少時の思い出・旅行経験、
などについて、予め、言いやすいフランス語で考えておくと良いと思う。
また、面接過去問が『完全予想』の巻末に少し収録されているので
(私の買った版は、姉妹編2冊のどちらにも掲載されていた)、
それらにフランス語で返答できるように、自分で話してみる、
あるいは仏語作文をしてちょっとした原稿を作ってみる、
というのも、良い対策になると思う。
いくつか自分の典型的な答えをフランス語で考えておくと、
似通った質問が出た場合に転用可能だ。

自分から発話するほうに関しては、上記の対策で良いと思うが、
それよりネックになりやすいのが、聴き取りの能力だろう。
聴解力、それも瞬時に相手の言っていることを理解する力が、
面接試験では不可欠になって来る。
たいした内容でなくとも、会話だから一定のテンポが要るのだ。
私は初めて語学スクールの体験レッスンでフランス人と喋ったとき、
『週末は、どのようにして過ごしていますか』
程度の質問でも、音声が頭の中で即座に意味をなしてくれず、
自分で反芻してみて、ようやく質問のフランス語がどうなっていたか、
頭の中で再現でき、内容の理解に至る、という状態だった(汗)。

これを改善するには、実際にフランス語での会話を体験するのが、
最も効果的であることは明らかなのだが、
周囲にフランス語を話す人がいなくて、お小遣いにも限度がある(汗)、
という学習者の場合、レッスン受け放題というわけには行かない。
私が試したのは、まずは語学スクールの無料体験レッスンのハシゴだった。
通える範囲に語学スクールがあるならば、
何校かまわってみることで、仏語会話が体験できると思う。
また、有料でも、初めての人のための「お試し」設定で、
格安の複数回レッスンを組んでいる学校もあるので、
可能ならそういうものも併せて利用して、
なるべく多く、フランス語で話す経験を積むのが良い。

語学スクール巡りが難しい場合は、ひとりでやることになるが、
『仏検対策2級問題集』に面接試験用のページがあり、
CDに音声も収録されているので、これを使って、
実際の試験のつもりで再生し、その場で返答する、
という練習をするのが良いと思う。
要は、言われたことが、モタつかずその場でわかって、
すぐ答えを話し始める、という状況に慣れることが必要なのだ。
本番は多少なりともアガることを計算に入れるなら、
自宅での練習時には、聞き返しはしない!くらいの制限を
自分につけても良いのではないかと思う。

とは言え、仏検2級の二次試験の合格率は、
過去のデータを見ると、毎回80パーセント以上であるようなので、
よほど失敗しなければ、大半の人が通っているわけだ。
確かに、私でも通ったのだし(爆)。
そういう意味では、あまり悩まなくとも、
一次試験を突破できたくらいの仏語力があれば、
二次試験も普通に準備しておけば、なんとかなる。
……筈だ(^_^;。

私のフランス語会話がどれだけデタラメだったかについては、
仏検2級 二次試験(2013年01月27日)をご覧下さい。
こんなんでも通るんだ!?
と、きっと元気を出して、二次試験にお出かけになれることと思います。

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拙ブログに来て下さる方の検索語として、
6月と7月、11月と1月に、必ず上がって来るのが仏検関連だ。
私自身、2級受験前にはあちこちのブログを巡って
受験体験談を読ませて頂き、どれくらいやれば合格できるのかと
大いに参考にさせて頂いたものだったので、きょうはご恩返しとして、
主に昨年度秋季検定受検用に、自分の試した勉強内容を、
ここに記録しておこうと思う。
ちょうど今年度の春季検定案内が始まったところではあるし、
これから受験なさる方への、情報提供になる部分があれば嬉しく思う。

少なくとも、「こんなヒトでもウかるのか…」という、
勇気づけには、して頂けるのではないだろうか(^_^;。
なにしろ私の成績は、一次も二次も合格基準点ぎりぎりだった。
私は、仏検2級合格のための最低ラインはコレだ、
ということを示す見本としてなら、大いに貢献できると思っている
仏検2級一次試験結果仏検2級二次試験結果)。

*************

仏検は準2級あたりまでは、少々ユルい勉強でも、
なんとか合格することが不可能ではないと思うのだが、
仏検2級になると、さすがにそういう甘い考えは通用しない。
やはり丹念に語彙力の穴を埋める努力をしてからではないと、
『なんとなく』2級に受かろうというのは、無理だ。
↑なんとなく受かろうとして2回も失敗した私だから言うのだ。

その『丹念に語彙力の穴を埋める』ために最適な対策本が、
完全予想仏検2級―筆記問題編(富田正二)駿河台出版社
だったと私は思っている。
これは問題量がとても多く、極めてシツコい構成の本だ(^_^;。
ひとつの語彙が様々な熟語で使われて幾度でも出て来て、
やってもやっても忘れる学習者を、
これでもか!これでもか!と鍛えてくれる。
2級合格が目標で、その壁を高いものと感じている受験生の場合、
この本をやり遂げられたら、2級合格がグンと近づくと思う。
裏を返せば、この本がシンド過ぎて最後までやれない間は、
まだ学力的に、2級合格は無理ということだ。

完全予想 仏検2級 -書きとり問題・聞きとり問題編-(CD2枚付)(同上)
も姉妹編としてセットで使うのが良いと思う。
amazonのレビューにもある通り、どちらの本も、
本番の2級より難しい内容になっていて、
とりわけ、こちらの『書き取り・聴き取り編』は難度が高いので、
準2級を取ったばかりの段階では、ひどく難しくて歯が立たない、
という印象を受けるのが普通ではないかと思うのだが、
私は、こちらの聴解力関連のテキストは、本番通りでなく、
最初はとにかく、何度でも繰り返し聴いて良いことにして、解いた。
どの音が、どういうフランス語なのかを、まず覚える必要があり、
特にディクテ(全文書き取り)は、できる限り緻密にやることを心がけ、
同じ素材を短く区切って、繰り返しCDを再生して書き取るようにした



筆記試験も聴き取り書き取り試験も、どちらの勉強も、
語彙力がついて来ないと話にならないので、
私は、勉強中に出会ってあやふやだった単語や熟語は
すべて愛用のノートに書き出すようにした。
ノートを美しく仕上げることが目的ではないので、
すぐに意味が出てこなかったり活用できなかったりした語は、
以前やったことのある筈の語だと思っても頓着せず、
幾度でも同じように書き出して、どんどんノートを消費した。
ノートは試験勉強中に7冊目を使い終わり、試験前夜、
「どうしても不安な語は、会場で最後にもう一度見よう!」
と思って、自信のないページに付箋を貼り始めたら、
付箋だらけになって困った、という記憶があるが(^_^;……。

くどいようだが、2級の、特に筆記試験の勝敗を分けるのは語彙力だ。
長文読解の文章など、言ってはナンだが誰でも読める程度の内容だ。
読解問題は満点狙いで行くべきで、落とすところがある場合には、
やはり単語の意味がわからなくて、本文あるいは選択肢を誤読した、
というのが大半だろう。
そうした勿体ない取りこぼしをしないためと、
前半の語彙問題・文法問題で、1点2点でも稼いで上乗せするためには、
頼るものは語彙力しかないのだ。
『完全予想』セット2冊で、2級試験に耐える語彙力をつける、
という方針で頑張るのが、一番の近道だと私は思っている。

もうひとつ、仏検対策2級問題集(モーリス・ジャケ、舟杉真一)白水社
も、定評のある、とても良い本だ。
このシリーズには私は、仏検5級受験の頃からずっとお世話になっており、
2級本は受験のたびにやったので、全体通して三回は解いたことになる。
2級出願時の仏語力が既に高くて、細かい勉強の要らない人と、
逆に、最初は力が足りず到底『完全予想』には手が出せない人、
の両方の役に立つ内容だと思う。
前者は、これ一冊あれば、ほど良いブラッシュアップになって
『完全予想』に付き合わずとも、そのまま仏検に通用するだろうし、
後者は、この本で心構えをしてから、『完全予想』に挑戦すれば良い。

いずれにしても、仏検2級は、私のように、
フランス語圏への渡航歴がなく、仏語専攻だったこともないような者には、
やはり努力が必要な級だった、というのが今の感想だ。
なんちゃってフランス語、でなんとかなったのは準2級までで、
2級となると、楽しい勉強だけやっていて受かる級では、
さすがに、なかった(^_^;。
語彙力増強に終始し、難行苦行のように問題演習に耐えるのが、
語学の学び方として、あるべき姿なのかどうか、の議論はまた別だ。
ここで問題にしているのは、仏検2級という試験に通るか通らないか、
ということだけだ。


二次試験対策については、また改めて。

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ひろしま菓子博2013の片棒を担いでいるのではないが、
この半月ばかり、我が家には、もみじ饅頭がシヌほどあった。
最初は50個はあったと思う。
主人と私とで(あんこ系を食べない娘は、仮にいても戦力にならない)、
毎日、オヤツの一切をもみじ饅頭に切り替えて食べ続け、
今朝、ようやく残りあと三個、というところまで追い詰めた。

どうしてこんなことになったかというと。

そもそも、娘が下宿生活を始めるにあたり、
大家さんやご近所へのご挨拶をせねばならないだろう、
と我々は思い至り、出発前日に主人が、
広島駅で、大家さん用に箱詰めのもみじ饅頭ひとつと、
ご近所用に5個セットの小さい袋入りのを10袋ほど買った。
これまでの転勤生活の習慣から言って、
引越挨拶とは、だいたいそういうものだったし、
もみじ饅頭がごく一般的な意味で、喜ばれるお土産であることは、
私達も体験的に了解していたのだ。
しかし、今回に関しては正直なところ、そのもみじ饅頭が、
主人と娘の広島出発にあたり(私は入院中だった)、
物凄く邪魔な(爆)大荷物になったこともまた、間違いなかった。

そして、現地に到着して、大家さんにはきちんとご挨拶できたのだが、
同じ階および真下の住人たちは、単身者ばかりのせいか、
娘が何度回ってみても、夕方や夜の早い時間などの
常識的な時刻にはどこも留守で、なかなか会えなかった。
不動産屋さんの話から、全部の部屋に居住者がいることは確実で、
夜の10時過ぎとか、朝7時台に行けば在宅しているだろうと思われたが、
それは、平時によそ様を訪問するべき時間帯ではなく、娘は困った。
そうこうするうちに、4月第一週が終わる頃、娘がメールを送ってきた。
「もみじ饅頭、明日が賞味期限なんだが」。

仕方がなかった。
私は娘に指示して、残っているもみじ饅頭全部を、
着払いの宅配便で、我が家あてに送らせた。
私達が食べるほかはないと思ったからだ。
その日から、主人と私の苦闘が始まることになった。
これがまた、悪いことに主人は若い頃からずっと、
もみじ饅頭の悪口ばかり、言って来た人だった。
個人の好みの問題だから仕方ないとは思うが、
主人は、もみじ饅頭を評価したことがなかった。
『どこがええんや!』
『なんでこんなもんが、広島みやげの代表みたいに言われにゃならんのや!』
『名物に美味いものナシとは、これのことじゃの!』
と主人は、昔からずっと、もみじ饅頭に悪態をついて来た人間だったのだ。

「ごめんなさい(T_T)。もう言いません(T_T)。私が悪ぅございました(T_T)」
と主人は、目の前の皿に積み上げられたもみじ饅頭を見て、泣いた。
私は無言で茶を淹れ、主人と差し向かいで、もみじ饅頭を食べた。
「……案外、美味いわ(^_^;」
と主人が力なく言った。

私達の猛攻の甲斐あって、現在、もうゴールは見えている。
賞味期限を半月以上過ぎてもなお、もみじ饅頭はなんともない、
ということを、私は今回、身をもって知った。
いや実際、なかなか美味しかったですよ(爆)。

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ポゴレリチは予定通り、20日にスプリットで
リサイタルを行った。
プログラムは昨年の来日公演と同様、
ショパンのソナタ2番、リストのメフィスト、
ショパンの夜想曲作品48-1、リストのロ短調ソナタ、
という構成であったと思われる。

クロアチアのテレビ「24sata TV」の伝えるニュース映像が、
以下のリンクから観られるようになっている。
ポゴレリチは80年代からの持論により演奏会の実況を好まないので
(演奏会とレコーディングは演奏の種類が違う、という理由による)、
このときもリサイタルそのものの収録はできなかったようだが、
拍手に送られて袖に戻って来るポゴレリチの様子が映っている。
地元の聴衆や著名人たちのコメントもあるようなのだが、
残念ながらクロアチア語なので、わからない(^_^;。
話題の公演であったことが報じられている様子だ。

http://www.24sata.tv/vijesti/pogorelic-u-splitu-60013


追記:ポゴレリチが何を言っているかを、
クロアチア人のポゴファン青年に教えて貰った(感謝感謝~!)。

袖に引き上げてきたところで言っているのは、
「演奏はこれで終わり。照明を落として!照明を落として!」

その後で会話をしているのは、スプリット市長のŽeljko Kerum氏で、
話題は、ジャーナリズムとの闘い方、というようなもの。

 ポゴレリチ「彼らに負けないで!粘り強く!」
 ケルム市長「私は粘ってますよ。でも抵抗もしなくては」
 ポゴレリチ「私が演奏活動を開始した頃には
  マスコミに随分叩かれましたが、私は粘り強くやりましたよ」
 ケルム市長「ありがとう、頑張って!」
 ポゴレリチ「うまく行きますよう!」

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昨日は、宝塚OG公演『DREAM LADIES』を観た。
@上野学園ホール昼の部(13:00~)。

マミ(真琴つばさ)、ワタル(湖月わたる)、
カシゲ(貴城けい)、タニ(大和悠河)、
というトップ経験者4人が組んでの主演で、
周囲もゲストも出演者はすべて宝塚OGであり、
在団時の彼女たちの活躍を知っている観客が多かったようだが、
そういう前提がない人が観ても、面白い舞台だったと思う。

DREAM LADIES(梅田芸術劇場)

ご当地ネタとしては、作詞家が煮詰まったという場面で
出てくる歌が『それ行けカープ』だったこと、
タニちゃん扮するターニアがアテレコでミスをする場面で、
広島弁で叱られていたこと、
ほか、「お好み焼きを食べに行こう」という台詞があったこと、
等々だろうか(笑)。
こういう地方公演ならではのサービスは、
その場所で観た人だけのもので、やはり良いものだと思った(^^)。

台詞でも言っていた通り、ワタルちゃんは相変わらず「男前」で、
一方マミちゃんは、「微妙に変わった」(笑!)。
ワタルちゃんは現役時と少しも変わらない男役が
今も完全に見事に務められる人で、
その格好良さと言ったら、もうもう、コタエられないものがあった。
ダイナミックなダンスも随所で見せて貰えて、
やはりワタルちゃんはスターの輝きを放つ人だなと感じた。

その点、マミちゃんは、男役出身の勢いの良さを持ちながら、
今はむしろ、「できる、格好いい女性」という風情だった。
それは現在、よくテレビで観る「真琴つばさ」自身に、
ぴったりと重なる姿でもあったと思う。
この四人の中で私にとってマミちゃんは、
下級生の頃から最もよく観てきたジェンヌさんだったのだが、
気がついたら、皆をリードするこんな立派な人になっていたのか、
という保護者みたいな感慨が、昨日はひときわ深かった。

外見上、大きく変わったのはカシゲちゃんとタニちゃんで、
カシゲちゃんは本当に美しく女らしくなっていて、
元・男役というのがどうかすると信じられないくらいだった。
それに、無邪気でふんわりとしたキャラも良かった。
ライバルの「DRAMATIC LADIES」が登場して険悪になりかかったとき、
「ちょっとデンジャラス(^_^;?」
と(台詞の上でだが)発言したタイミングというかムードというか、
カシゲちゃんてホントに巧いなあと思った。

長身ですらりとした四人の中でも、タニちゃんは殊更ほっそりとして
顔も体つきも佇まいも、すべてが「可愛らしい」感じだった。
私としては、ターニア(タニちゃんの役名)が
仕事の、映画の吹き替えを練習している場面で、
男の役も女の役もひとりでやってしまうところが、
物凄くツボにハマってしまって、悶絶した。
歌舞伎の『身替座禅』で山蔭右京が、
自分の逢瀬の一部始終を、男になり女になりして、
太郎冠者相手に一人語りする場面があるのだが、
あれを思い出すくらい、タニちゃんは名演だった(笑笑!)。

風花舞ちゃんのダンスを久々に堪能できたのも良かった。
彼女のことは、それこそ初舞台から知っている。
娘役主演によるバウ公演を実現させたのも彼女だった。
なーちゃん(大浦みずき)のNY公演でも大活躍だったものだ。
観客である私にとっても、昨日はまさに同窓会だった(笑)。
ほかにも、ソロがない立ち位置の人たちまで全員が元ジェンヌさんだったので、
私は観ながら、芸名がそこまで出かかっているのに思い出せない人がいて、
「あの!ほら!『○○』で××の役をやった、あの人っっ!!』
と内心で悶絶状態になり、結局、耐えられず、
休憩時にロビーに走って、公演パンフを買ってしまった(^_^;。

後半のショーで披露された曲目には、
懐かしい宝塚ナンバーもいろいろと取り入れられていたが、
私は当時の演目を均等に観劇していたわけでは勿論ないので、
観ながら、あまり馴染みでない曲も出てきて、
「しまった、もっとあの頃、よく観ておけば良かったな」
と今更な後悔をしたりもした。
その中で、マミちゃんが『ジタン・デ・ジタン~夢狩人』を歌ったのは
私には不意打ちで、胸が熱くなった。
あの花組公演に出演していたのは、今回のメンバーでは、
マミちゃんとガイチ(初風緑)くらいではなかっただろうか。
タータン(香寿たつき)がいれば、彼女も思い出を共有できたと思うが、
あれはもう、四半世紀も前の公演になってしまったのだと、
改めて数え直して、感慨深いものがあった。

ちなみに、この公演には日替わりでゲストのOG出演もあり、
広島公演はノル(稔幸)さんだった。
私は結構、彼女の現役時の舞台は回数多く観ていて、
お茶会にも行ったことがあり(笑)、
久々に彼女の舞台姿が観られて、とても嬉しかった。
『美麗猫』が星奈優里ちゃんとのコンビで再現されたのも良かった。
ほかには麻路さき・香寿たつき・彩輝直・朝海ひかる、
がこのOGゲストの面々で、マリコ(麻路)さんの日だと、
ショーでのナンバーは『ジュビレーション』だったようだ。
これは好きなショーだったので、観たかったな~。

***********

……というわけで、きょうは私の「一人暮らし」最終日だ。
何をして過ごそう。この三日、あっという間だったな(殴)。

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