全然予定になかったのだが、昨日の11時公演が急遽、
観られることになったので、宝塚大劇場まで行って来た。
公演3日前に友人から「チケットがある」とメールが来て、
「観られる公演は全部観る」が宝塚の鉄則であるので(笑)
私は「行く」と即答したのだが、先日も遠征したばかりではあり、
時間的・体力的・金力的に、相当無理したのは言うまでもなかった。
しかし、はるばる出かけた甲斐は、あった。
『ベルばら』というだけでも注目されるのに、今回の雪組公演は、
壮一帆×愛加あゆ、の新しいトップコンビの本拠地お披露目で、
そのうえ、第99期生初舞台公演でもあり、
更に、公演期間中、日によってはところどころ、
他組トップ男役のゲスト出演まで組まれているので、
前売段階でチケットは早々と完売していた。
私もチケットぴあプレリザーブでハズれ、一般でフられて、諦め、
到底観られないものと、つい先日まで思い込んでいたのだ。
だから、友人がこのタイミングで私を思い出してくれたのは、
本当に有り難いことだった。感謝感謝(T_T)。
中でも、この4月23日から30日までの公演は、
オスカルに宙トップの凰稀かなめ(←つい先日のエドモン・ダンテス)、
アンドレに星トップの柚希礼音、
という凄いゲスト配役になっていたので、超・貴重だった。
私は昨日、宝塚に5人いるトップのうち3人をいっぺんに観てしまった。
バレエで言えば、普段なら1人か2人しか見られないプリンシパルが
ひとつの演目の中でずらっと並んでいた的な。
他組トップが客演する企画は、宝塚では時々あるが、
よその男役トップさんが同時に二人来たのを観たのは私は初めてだった。
私の席は一階の最後部の端だったのだが、
平日昼だというのに、背後にはぎっしりと立見客がいた。
***************
プロローグは毎回、文字通り「劇画から抜け出して」、
フェルゼン、オスカル、アンドレたちが登場するのだが、
今回はフェルゼン編だったためか、劇画はフェルゼンだけだった。
この演出には賛否はあると思うが、それはともかく、
昨日、私が最初に感心したのは、
「使用されているフェルゼンのデッサンが、オカシくない!」(爆)。
過去には、池田先生がよくお怒りにならないな、と思うような、
ヘタな劇画のセットがステージに出ていたことがあったのだが、
今回のは、ちゃんと連載当時の池田理代子のフェルゼンだった。
そして、華やかに登場した壮一帆くんは、目覚ましい美しさだった。
所作が綺麗で、存在がキラキラしていて、声が良い!
すらりとしていて首も長いので、軍服や宮廷服がよく似合ううえ、
ちゃんと宮廷靴も履いていて、正統派フェルゼン!!
(以前、自宅居間でもスターブーツを脱がないフェルゼン伯がいました。
格好良かったのでワタシ目をつぶりましたけど(←何様))。
現在は特に贔屓も居ない私が、今回の公演を観たいと思っていた理由は、
なーちゃん(大浦みずき)と同期だったソルーナ(磯野千尋)さんが
この雪ベルばらを最後に、ご卒業になるから、というのもあった。
そのソルさん、ルイ16世の役で、過去のベルばらに比して、
国王の出番が結構多かったのは、卒業公演だからというのもあったとは思うが、
王妃を思う国王の人物設定がよく出ていて、演出上もなかなか良かった。
実際の設定より、かなり年上の国王に見えはしたが、
高い知性と細やかな思いやりを持ち合わせていながら、
為政者として自分の理想を実現することは叶わなかった、
おっとりとしたルイ16世の姿が、実によく伝わって来る演じ方だった。
これほどの夫(国王)と愛人(フェルゼン伯)から愛される設定なのに、
肝心のアントワネット(愛加あゆ)の出番がなかなか無いのには、
昨日、私は一幕前半、観ていてストレスがたまった。
プロローグで紹介されないアントワネットって、アリですか?
彼女の最初の場面は、確か宮殿の夜の庭園で、
フェルゼンから別れを切り出されるところだったと思う。
夜陰に乗じて忍んできたせいか、ドレスがまた、ひどく地味だった。
フェルゼンが「紅薔薇のように」と繰り返し言うのだから、
やはりアントワネットには最初に一度くらい、
イメージとしてでも、深紅のドレス姿で見せつけて欲しかった。
愛加あゆちゃん本人は頑張っていただけに、勿体なかった。
その後も王妃の出番はほとんどなく、
愛加アントワネットの真価を観るには、
このあと延々、二幕まで待たなくてはならなかった。
一幕最大の見どころは、最後、ベルサイユ宮を去るフェルゼンが、
大演説(爆)をする場面だった。
かなり唐突に、なぜかわからないが滔々と語るのだ、フェルゼンが。
そしてこれまた、普段の私ならツッコミを入れて笑う場面なのに、
壮くんが演ると、信じられないほど感動的で、困った(爆)。
自分はフランスに来て、様々な愛のかたちがあることを知った、
人を愛することを知り、人から想われることも知った、
愛するがゆえに身を引く愛もあると知った、
自分がここで得た最高の友人(=オスカル)は白薔薇で、
自分がこの地で心から愛した女性(=王妃)は紅薔薇だった、
……等々等々、フェルゼン伯爵、別れに際して一世一代の大演説。
私は最初こそ、「えー…」と眉をひそめるように聞いていたのに、
壮くんの真情溢れる語りに、我知らず次第次第に聴き入り、ほだされて、
しまいに彼(女)が、銀橋で『愛の面影』を歌い上げたときには、
フェルゼンの想いに心から打たれ、うっかり泣きそうになった。
これぞまさに宝塚の男役にしかできない魔法ではないか。
宝塚の陶酔は、理屈や洗練とは関係がないのだ。
現実では絶対にあり得ないような別世界に、観客を連れて行き、
日常生活では「感動」ではないようなことで、大感動させる。
壮くん、涼しげな外見なのに、トップ就任時にしてこの熱さ、
スゴいじゃないか!!と私は心から感心した。
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かなめ(凰稀かなめ)ちゃんのオスカルも、私はとても気に入った。
銀英伝のラインハルトといい、モンテ・クリストのダンテスといい、
私は観るたびに彼女に感心するので、つまり好きなんだろうかな(^_^;。
軍服に隠した「女性」の姿が、宝塚歌劇の範疇として適切だったし、
(脚本的に、原作のオスカルと宝塚のオスカルは、
「女性」性の点ではかなり乖離していると私は思っている)、
容姿の美しさも際立っており、まさに「男装の麗人」だった。
何より、昔から私にとってのオスカル役者の試金石は、
「シトワイヤン……、彼の犠牲を無にしてはならない。
シトワイヤン、まず手始めにバスティーユを攻撃しよう……」
から始まる台詞の最後の、
「行こーーーーーう!!!」
の一声なのだが、昨日のかなめちゃんのこの声に私はシビれた。
あの声には、そこまでのオスカルの「全部」があった。
男性同様の輝かしい人生を歩みながら、
アンドレを愛し、ついにひとりの「女」としても開花したオスカル、
王宮の軍人としての華やかな前半生を捨て、
最後に名も無い市民としての闘うことを選んだオスカル、
それらすべてが、一瞬でひとつになったような、
「行こーーーーーう!!!」の燃焼だった(私にとっては・笑)。
ので、心の中で『よっしゃーーー!!』と応えたワタシであった。
れおん(柚希礼音)くんのアンドレも、絶品だった。
普通、トップになると疲弊してげっそり消耗する人が多いのに、
れおんくんは、いつもつややかで堂々としており、
何を演じても余裕綽々で光っているのは、何故なんだろう(笑)。
昨日のも、ゲストとは言え、主役級の重量感あるアンドレだった。
どう見てもジェローデルより貫禄があって立派なのが、
舞台としては、ちょっとアレだったけど(逃)。
れおんくんは、私の大好きな「男役の力技」を、
今、最も鮮やかに見せてくれるトップさんで、
あのアンドレなら、断末魔で仮にトランペットソロが後ろでヨれていても
あんまり気にならないんじゃないかと思った(爆)。
フィナーレで『小雨降る径』のイントロが流れたときには、
私は一瞬『うそーーーー!!やめてーーーー!!』と思ったが
(かつて、なーちゃんの踊った超名場面だったので)、
これがまた、れおんくんは、えらいこと巧かった。
高度に安定した主演男役然とした踊りで、
テクニックがあり色気があって、いやもう畏れ入りました。
ああまでやられては、許すしかないだろう(殴)。
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こんな他組トップ二人が燦然と客演して舞台をさらって行ったら、
残りは「あ?フェルゼン?居たんだ…」になりそうなものだが、
そうならなかったところが、昨日の壮くんの見事なところなのだった。
そもそも宝塚の『フェルゼン編』は、実はほとんど、
フェルゼンに美味しい場面をやらせない構成になっているし、
特に今回のトップ特出の日の構成は、通常公演の『ベルばら』と違い、
雪組本来の姿から言えば、組子がかなりワリを食ったものになっていて、
主役のフェルゼンですら、削られてしまった場面や歌があった。
それでも主役たり得た壮くんは素晴らしかったと私は思っている。
フェルゼン後半の白眉は、『行けフェルゼン』、じゃなかった、
『駆けろ、ペカサスの如く』。
物語としては、国境まで来たフェルゼンが、国王が処刑されたと知り、
王妃を救わんと、狂ったように馬車を駆ってパリを目指す件なのだが、
そこは舞台なので、馬もいないし馬車も走らない。
さっきまで同行していたジェローデルの姿も、ここからはもうない。
舞台中央に、馬車のつもりの簡素な枠組みがあり、
フェルゼン役者は御者よろしく、その前に陣取って、
ひとりで鞭をピシピシやりながら歌うだけなのだ。
普通の人なら、間違いなくお遊戯以下の可哀想な場面になるだろう。
ここは、ほぼ、イマジネーションだけで成り立っている。
舞台の真ん中にたったひとりで立って、観客に何を見せるかが、
フェルゼン役者の力量を問われるところなのだ。
この場面での壮くんが圧巻だった。
臆面もなく格好良かった(^_^;。どうしましょう。
若くて都会的に見える壮くんに、あんなことが出来たとは、
私には全く予想外のことだった。
燃えるような生気の迸る、疾走する『馬車』だった。
舞台に何もない、フェルゼンひとりなのは、
フェルゼンの目に、もう何も入っていないからなのだ。
鞭を持って広げた腕から、周囲の空間に力が広がり、
客席の彼方まで睥睨するような目力も強烈で、
もう格好良いのなんの!!壮くん偉いっっ!!!
これを受けて立つのが、牢獄の愛加アントワネットだった。
やっとやっと、あゆちゃんの見せ場が来たのだ。
童顔で愛らしいあゆちゃんなのに、
40歳近い、人生終盤の王妃の設定がなんの違和感もなく、
しっとりと似合ってさえいて、
しかも、白髪で粗末なドレス姿なのに、高貴だった。
あの百万回ツッコまれた「少しも早く…」の場面で、
フェルゼンが着てきた黒いマントを、わざわざ裏返し、
赤の裏地が見えるようにして王妃に着せかけようとするのは、
もはやすべてを失った王妃の痛々しい姿に、
ひとときでも華やかな彩りを添えたいという願いの現れなのだ、
……とこれは以前、友人某氏が指摘していた解釈なのだが、
壮×愛加のコンビで観ると、本当にそれがよくわかった。
恭しく大切に大切にマントをかけようとするフェルゼンと、
それを静かに拒絶し、肩から紅色の衣がすべりおちるときの王妃、
という構図で、ふたりの行き着いた関係は、
もう言葉も要らず明白だった。
最後、『断頭台』は、掛け値なしに、宝塚屈指の名場面だ。
大階段が、あれほど効果的に使われた演出もほかにないと思う。
あの「王妃さまーーー!!」の叫びとセリ下がりが
男役としてがっつり格好良いかどうかも、
私の、フェルゼン萌えポイントなのだが、
これに関しても壮くんは文句なしだった。
芝居のラストまで舞台にいるのはアントワネットだが、
この場を締(し)めるのはフェルゼン役者のセリ下がりと、その余韻だ、
と私は昔から思っている。
壮くんは、最後まで用意周到で、全くハズさなかったと私は感じた。
立派だった。物凄く。
フィナーレのショーは、本編は完結しているので純然たる「お楽しみ」だが、
ハイライトはやはり、『オマージュ』での黒燕尾の男役群舞だろう。
あれは「男役」がやるから良いのだ。
ホンモノの男性だったら、どんなに格好良くても面白くない。
美しい女性たちが、男でもなく女でもなく、「男役」として、
一糸乱れぬ群舞を披露する様は壮観だ。
そしてその頂点に君臨するのが男役トップである、
というのが最も象徴的に見える構成になっていて、
宝塚のショーを観る陶酔を凝縮したようなイイ場面だと、
昨日もまた、改めて思った。
***************
さて、こうなると、通常雪組バージョンの脚本で観たいものだと
ついつい、欲張りなことを思ってしまった。
昨日のは、トップ客演を迎えるために特別な脚本演出になっていたので、
雪組生だけの、基本版の『ベルばら』もなかなか良いのではないか、
と見終わって想像させられた。
ちなみに私は、宝塚歌劇、特に『ベルばら』に関しては、
辻褄とか合理性などは、最初からほとんど求めていない。
宝塚として盛り上がるかどうか、だけが私の判断基準だ。
「あり得んやろ!」
とツッコみどころが多いのもまた、このテの名作の常だし。
だから、ケッタイな台詞があっても真面目に揚げ足を取る気はないのだが、
それでも、昨日観ていてちょっと噴きそうになったのが、
『恋の甘酒に酔って…』とかいう言い回しだった。
甘酒、……あのドロっとして白いヤツですよね??
ヨーロッパ宮廷の貴族が、あんなの飲んで、しかも酔うの???
『恋という名の美酒に酔って…』くらいにして欲しかったね。
まあ、脚本としては『甘い酒』のつもりだったんだろうけど……(^_^;。
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