転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



無事、大晦日を迎えることが出来ました。
御陰様で、とても楽しい一年でした。
コメントやメールを下さったり、BBSにいらして下さったり、
また、直接には存じ上げなくとも、
サイトをお訪ね下さった方々・お読み下さった全ての方々に、
この場をお借りしまして、心より御礼申し上げます。
そして、来年もまた、どうぞよろしく御願い致します。

宝塚宙組が元日に宝塚大劇場で初日を迎えます。

和央・花總コンビの魅力全開(スポニチ)
宝塚・宙組新春公演「レヴュー伝説」舞台稽古始まる(スポニチ)

前回、宙が元日公演を務めたのは、2000年1月1日、
世の中が「二千年問題」で戦々恐々?としていた頃でした。
あれから5年経ったのだな~と、変なところで感慨深いワタクシです。

来年も、まだまだ続くようですので、道楽に励みたいと思っております。
皆様も、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。

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昨年と全く同じ進行状況ということで、きょうになって、
ようやく、私の年賀状が最小限だけ出来た。
投函するのは明日だから、もうどうやっても元日には届かない。
毎年、不義理を働き、各方面の皆様申し訳ございません。

主人は、更にひどく、まだたったの一枚も書いていないのに、
きょうは一日中、コタツに潜ってテレビを見ていた。
たまっている仕事をする、というのが名目で、
一応、パソコンに向かってはいるのだが、
例によって「ながら族」の典型なので、テレビが手放せないのだ。

さきほども、ひいひい笑っているから、どうしたのかと思ったら、
ガンダムなんとかという番組で、死んだ友人にとりすがる場面で、
『アーサー、目を開けてくれ!』
という台詞があったのだそうだが、
肝心のアーサー(死体)は目を剥いて死んでいて、
「目は開けとるっちゃ!」
と主人は笑いが止まらなくなっていたのだった。

憮然としている私を尻目に、テレビはコマーシャルになり、
主人もやっと再び、パソコン画面に目を落としたのだが、
しばらくして、テレビが、

『この1曲に ヤラれた tata young』
と言ったら、主人が、またハっと顔を上げ、

バタやん!?」

こんなことではイカン、と主人本人もさすがに反省し、
テレビ画面をDVD録画の『世界美術館紀行』に変えた。
これなら、静かに淡々と、世界の名画が紹介されるので、
主人も心穏やかに仕事に取り組めるだろう、ということで。

この回はウッフィツィ美術館の特集だったのか、
フィレンツェがどうしたこうしたの話題のようだった。
ミケランジェロの傑作の数々が紹介されたあと、
画面には、ダヴィンチの『受胎告知』が出た。

主人はしばらくそれを、口を開けて眺めていたが、
おもむろに大天使ガブリエルのポーズを取ると、言った。

あんたは、はーらんだ!



・・・・・・・・・・・・もういい。
一生やってなさい。

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娘が書き初めの宿題をやっている。
今書いたのでは、「書き初め」じゃなくて「書き納め」じゃないか、
と私などは思うのだが、
「宿題はとっとと終わらせて正月は寝て暮らす」
と娘は誰に似たのか異様に建設的なのだった。

で。その書き初めの課題なのだが。

晴 れ た 空

私「ふ、藤山一郎かっ」
夫「岡晴夫だろうが(ぼそ)」
私「・・・・・・・(T.T)」

娘には、なんも可笑しくない話だった。

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昨日が御用納めで、きょうから年末休暇に入ったので、
今朝は主人も一緒に、佐伯区の舅宅に行った。娘もついて来た。
私が心配した大掃除は、舅が
「特に必要ない。日頃から、ちょっとずつしよるから」
と言うので、一応、それを尊重して手を出さないことにしたのだが、
「それより、衛星放送の契約をしたいんじゃが、
ようわからんので、書類をかわりに書いてくれ」
ということで、きょうは、そのほうの手伝いをすることにした。
おやすいご用だった。

夫「やっぱり○HKの契約、せにゃならんだろ?」
舅「ちゃうちゃう。あれは払わんでええんじゃて」
夫「・・・・(^_^;」
舅「それより、こっちよ。時代劇専門とかいうの、これをしたい」
夫「ああ、CSだな。スカパーか」
舅「その時代劇のと、あと昔の映画とな」
夫「東映か」

舅が新しく買った薄型の近未来風なテレビは、
衛星放送関係のチューナーやらデコーダなどが内蔵されていて、
CSも、カードを挿入すれば、スカパーだろうとCS110だろうと、
即、全チャンネルの16日間無料視聴が出来るようになっていた。
舅は、この中から、気に入った時代劇と映画のチャンネルを、
単独で契約して受信するようにしたい、と言うのだった。

私「これは便利ですよ~。見始めてからでも、途中で契約を変えて、
 今までと違うチャンネルを見るようにすることもできるし」
舅「ほほう。そりゃええのう。あの、もひとつの民放の、
 あれはほんまに、不便じゃわ。三ヶ月は契約解除できんと」
夫「民放の衛星放送か?」
舅「モウモウよ」
私「(悶絶)」
娘「WOWOWだよ(^_^;」
舅「じゃけ、モウモウじゃろ?」

そのとき、画面は、かつてのNHK大河ドラマ『徳川家康』になり、
家康役の滝田栄が大映しになった。

姑「こりゃ、誰ね?」
夫「誰って(^_^;」
舅「俳優さんよね」
夫「滝田栄、よ」
姑「あ・・・・?」
夫「た・き・た・さ・か・え!」
姑「さかえさんが、他界した?」

姑は健在だった。感涙(T.T)。

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舅の肺の陰影の一件以来、私も、どうも気分が滅入りがちだ。
数年前くらいまでは、まだ姑が絶好調(^_^;だったので、
何かあっても必ず笑わせてくれたものだったのに、
今はそれも期待できない。
まさか私までテレビを新調する訳には行かないし、
なんぞ面白いことは無いものか。

あれは一昨年、まだ今治にいた頃、お正月に、
舅が四国がんセンターで食道癌の手術を終えて外泊を許可され、
今治市内の官舎に、舅姑と我々親子3人とが揃ったことがあった。
姑はその頃既に、車椅子生活で、突飛な言動が多かったが、
それでもなかなか活発で、かつ、陽気だった。

姑「(テレビのマラソンを見ながら)よう似とるね」
私「あの選手が、ですか?どなたにですか?」
姑「(自分で自分のことを指さす)」

日体大か拓殖大の学生さんだったと思うのだが、
どうしてそれが、75歳の姑に似ていることになるのか、
私には全然、理解不能だった。
しかも、その選手は男子だった(爆)。

テレビがしばらくして、大自然のなんとかみたいな番組になり、
画面に、シカの親子が映ったとき、今度は、

舅「シカのツノは、大きいのう」
夫「近くで見たら、もっと怖いだろうな」
姑「ふふん(と意味ありげに笑う)」
私「・・・・(^_^;?」
姑「シカも、することだけは、しよる!

姑の発言は、なかなか深いものがあった(ような気がした)。
で、『することだけは』って、例えば何ですか?と質問したら、
姑は、『修道学園の先生が、ええ天気じゃと言いよった』
と全然違う方向にトリップしていたりなんかも、したものだった。

また、この話は当時、何人かの友人には披露したのだが、

舅「(テレビの懐メロ番組を見ながら)この曲は、よう聴いたの」
夫「そうだろうな。よく流行った曲だろ」
舅「どういう題じゃったかいの」
姑「『恋の松茸汁』!

という会話もあった。
あのときの曲は藤山一郎か何かだったと思うのだが、
姑の断言が強烈過ぎて、私は全然、ほかのことを覚えていない。

このときのお正月明けに、姑のほうを今治市内の病院に連れて行った時、
そこに、とても若くて声の高い看護婦さんが居て、
姑はその声を聞くや否や、そばに付き添っていた主人を見て、

姑「あれは!?どこの鳥が鳴きよるん!?」
夫「鳥じゃあない、看護婦さんの声だろ(^_^;」
姑「看護婦さんが泣きよるん!?」
夫「いや、泣きよるんじゃなくて・・・」
姑「あんたが振ったん!?

という展開もあった。
あの頃の姑の話は、強引で、しかも、
そこはかとない色気があったと思う(^^ゞ。

今、姑は、あんまりお話をしないおばーちゃんに、なってしまった。
いつも、目が無くなるくらい、にこーーーっと笑ってくれるのだが、
姑は、もう、長く話す元気はないのか、まとまったやりとりが成立しない。
私はそれが、寂しくて仕方がない。

ただひとつ良いことは、姑が、様々な心配事から解き放たれて、
今では、単調で穏やかな毎日の中で暮らしているらしい、ということだ。
元気だった頃、姑は、舅のヘビースモーカーぶりを気に病んで、
肺を患うのでは?癌になるのでは?おとうちゃんが死んだらどうしよう!
と二言目には言っていたので、もし今の舅の状態が理解できたら、
姑は、自分のほうが、生きてはいられないほどに取り乱したかもしれない。

その事態が避けられたこと、これだけは、
姑にとっても、舅にとっても、我々夫婦にとっても、
多分、悪くはないことだったのだろう、と思っている。

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私が結構、ハマっているサイトのひとつに、
虚構新聞社がある。

サイトの説明文によれば、これは
『虚実の狭間を行き交う可能性世界の事件を報道するニュースサイト』
だということだ。
つまり、ここに書かれている内容は、全部「虚構」「」だ。
しかし、その「嘘」ぶりがあまりにも絶妙で、かなり笑える
(笑えないほど切実なのもある。これはこれで巧過ぎると思う)。

また、記事そのものだけでなく、
速報ニュース欄、尋ね人欄、広告、などディテールも
芸が細かくてひとつひとつ楽しめる。

まだご覧になったことのない方は、是非(^_^;。

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昨日は、夕食があまりに夜遅くなってしまって、
ケーキが食べられなかった。
ので、今夜、改めて、家でクリスマスをした。
我が家は誰もキリスト教徒でないので、
『クリスマスをする』=『ケーキを食べる』ということだ。

娘は、ロウソクをつけて気分を出したい、と前々から言っていて、
それが今夜、ついに実現できたので、ご機嫌だった。
だが、主人がやたらとケーキの趣味がある人で、
あれではいかん、これではマズいと注文が多いので、
我が家のケーキは、ピースでめいめいが選んだもので、
いわゆるクリスマス・ケーキとは全然関係ない風体だった。

ちなみに、娘のサンタクロースは、昨夜もちゃんと来た。
年齢が二桁になるまでは、来るらしいと娘はどこかで聞いて来て、
12月24日現在の満年齢はまだ9歳なので、OKだった、らしい(^_^;。

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舅から、どうもやっぱり肺転移の疑いが濃厚だ、と言って来た。
前に肺のCTを撮ったとき、左肺の一部に、
小さな円を中心として放射状に伸びる病巣が映っていて、
とりあえず肺炎を疑い、二週間ほど抗菌剤のクラビットを飲んで、
先々週だか、再検査を受けたのだが、
昨日診察を受けたところ、陰影は大きくなっている、と言われたそうだ。
丸い影の中心は黒くなっていて、空洞化していると見られるらしい。

ということを、舅から電話で聞いたので、
きょうは、とりあえず、主人と私とで佐伯区の家に出向いた。
まだ確定診断には至っていないので、この状態で考えられるのは、
まずは食道癌からの転移性肺腫瘍、次に結核、
それともうひとつ、何かの可能性を示唆されたらしいが、
舅はそれは忘れたと言っていた(^_^;。喫煙するから肺気腫かな?
いや、肺気腫って空洞出来るんだったっけ?

それで、ともかく、昨日は喀痰検査と血液検査も指示され、
同時に、抗生剤のクラリスを貰ったので、今度はこれを四週間飲み、
1月21日の診察日に、痰と血液の検査結果を見て、
今後の方針を決める、ということになったそうだ。

今の主治医は外科の先生なので、肺転移なら手術での切除、
ということを提案して下さっているようだが、
舅の体力から言って、そんなことが可能なのだろうか。
舅本人は、抗ガン剤は四国がんセンターで受けて以来、二度と嫌だ、
と思っているらしく、外科的治療のほうがマシだという考えらしいが、
私個人としては、大がかりな手術で完治を目指すことよりも、
できるだけ長く現状維持を図れるような治療なりケアなりを
受けるほうがいいのではないか、と思われる。
勿論、すべては舅の選択の通りでいい、とわかっているけれども。

治療方針を検討するのは、1月下旬以降のことになるので、
今は何も具体的には決められなかったが、
必要であれば、また佐伯区の家に戻ってもいいと私は思っている。
舅が入院して治療を受けるようなことになるのなら、
姑の在宅介護の問題もあるし、
退院後の舅も、すぐ今のように動ける訳ではないだろうから。
尤も、そういうのは、舅の本意ではないかもしれないので(^_^;、
状況に応じて、泊まりがけの留守番に帰る、
みたいな感じでもいいし、そのあたりは臨機応変にということで。

ところで、舅は、「ええことにならん」と気分が滅入ったせいか、
なんと、テレビを新調していた(^_^;。
大学病院の先進治療病棟にあったような薄型のワイド画面だった。

舅「BSも、なかなか映りがええで」
夫「えっ!BSまで観よるんか。契約したんか!?」
舅「しとらんよ」
夫「しとらんのに、観よるんか!別途に衛星受信料が要るんやぞ?」
舅「知っとるよ。じゃが、今は、払わんでええわいや」
夫「なんでや!?N○Kが、払え言うてくるぞ」
舅「んなもん、エビ様かなんや知らんが、ごたごた言うとるのに、
 今なら、払わんでも、観てええんじゃ」

どーゆー理屈ですか、それっっ(^_^;!!
なんとゆー、自由人的支払い感覚!!

舅「ほんで、もひとつ、ちゃんと契約した衛星があるんじゃが、
 これが失敗での。もう、年寄りの見るような番組がのうて、な」
夫「もうひとつの衛星放送、ってなんや?」
舅「モウモウたら言う・・・・」

お、おとーーーーさん、それ、WOWOW!!!

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聖夜  


イブだからどこかでディナーでも食おう、
と主人は昨日から言っていたのだが、
言った本人が今日、急な仕事が入っていわゆる超勤になり、
何時に帰って来られるかわからなくなってしまったので、
どこも予約できず、娘と私は夕方からひたすら待った。

『なにも無理して今夜外食しなくてもいいのでは』、
と私はメールで言ってみたのだが、
『だがクリスマス・メニューは今しか無いのだ』
と返答が来て、そこまで熱意があるなら(^_^;と引き下がった。

それでも夜八時過ぎに、家族3人揃うことができ、
某ホテルの家族向けのディナーバイキングの席を確保した。
遅い夕食だった(^_^;が、どうにか食事が出来て、ひと安心だった。

ところで、バブルが去って久しいが、世の中は、未だに、
『イブに、恋人がなく、一人で過ごしているのは、恥である』、
というような感覚が横行しているのだろうか?
若い人たちは、どのような聖夜を過ごすのが普通なのだろうか。

私のこの時期の思い出と言ったら、ほとんど、
RCサクセションのクリスマス武道館公演のことばかりで、
それを観た翌日、国立劇場の歌舞伎公演千秋楽を観る、
というのが、私の二十代の頃の定番クリスマスだった。
これに合わせて必ず休暇を取っていたものだ。

RCサクセションが活動を休止してからは、
女の友人数人で、京都の南座へやはり歌舞伎を観に行っていた。
南禅寺で湯豆腐を食し、金閣寺や平安神宮、知恩院などに参って、
夜は井上道義の指揮する第九を聴いたりしたこともあった。

そうだ、いつぞやは、その一緒に行った友人のひとりが、
家族へのミヤゲに、「大○の千枚漬け」を買うと言って、
最後の半日は観光を端折って大○という店を皆で探し歩き、
地図を頼りに脚を棒にして歩いて、ようやく見つけて、
初志通り「千枚漬け」を買った、という出来事があった。

そのあと、新幹線に乗ろうとJR京都駅まで来たら、
その「大○の千枚漬け」は、駅構内の至るところで売っていて、
さっきまでの苦労はなんだったんだと、
友達がえらく怒り出した、というオマケまであったものだった。

どうもこうも、全然、ロマンティックな思い出が無いな(^_^;。

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娘が、百人一首を覚えようとして頑張っている。
小4のくせに、なんでこんなものを、と思ったら、
驚いたことに、学校の課題なのだった。

担任の先生のお考えなのか何か知らないが、
12月になってから百人一首のプリントが配られ、
クラスでも幾度か、カルタ取りが行われたとのことだ。

ボケ倒しているような娘でも、やはり競争となると、
何もしない訳には行かないらしく、
三学期にはなんとか挽回せねばと、
今、歌の暗記に余念がない。

娘「よもすがら~ ものおもうころは、あけやらで
ねやのひまさえ・・・・、ねやのひまさえ・・・・」

出てこないのか。まあね。意味不明だものね(^_^;。

娘「ねやのひまさえ、ああ、つれなか?

熊本弁かよ。

娘「たきのおとは~ たえてひさしく なりぬれど
なこそ流れて なお聞こえ・・・なんだっけ」

どうも、下の句になるとあやしいな。

娘「なこそながれて~ なお・・・聞こえてけれ?

♪やめてけれ やめてけれ

娘「あらしふく みむろのやまの もみじばは
・・・・・・・・・・。
なんとかかんとか、にしきなりけり」

もう一押し!

娘「三途の川のにしきなりけり?」

縁起でもねえ。

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