転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



歴女の娘が萌える場所。

確か娘が中2のとき石山本願寺(大阪城)へ行ったが、
今年は本能寺に来てみた。
更に、明日は主人と娘の話では、焼き討ち現場(比叡山)に行くらしい……。
敵はほんのり塩味、信長シリーズ(汗)。



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神戸の別院もこのような雰囲気だった。
遠目にはニコライ堂の系統のものかと思った(汗)。

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飛雲閣を見るつもりだったが入れなかった。
写真は国宝・唐門。

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西本願寺。

我が家は浄土真宗本願寺派に属しているので
こちらが総本山ということになるが、私は個人的には、
どこでなければいけないという感覚は持っていない。

主人と結婚していなければ、私は門徒にもなっていなかったと思うが、
元来、親鸞の教えの源流はひとつだったと思っているし、
更に辿るなら、何宗でなければならないということすらないだろう。

来年は、かねて心にかかっている『歎異抄』を読みたいと思っている。

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東本願寺では「はとまめ」を販売していて、
たくさんの鳩が境内やお堂の屋根にいたが、
西本願寺では一羽も見かけなかった。
これが一番大きな違いだった(爆)。

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我が家は安芸門徒(浄土真宗)なのだが、
娘は「お東さん」にも「お西さん」にも実際に行ってみたことがなかった。
それで観光を兼ねてお参りすることにした。
東本願寺に行って、「西があるのだから、これでまだ半分」かと、
私も改めて圧倒された。

それにしても、組織が巨大化すると、
人間の理想というのはどうしても保守派・急進派に
別れてしまうものなのだろうか。
表千家と裏千家じゃないが、本願寺も東西に別れていて
それぞれに主張や特色が違っていて、
興味深いけれども、残念な気持ちも正直なところ感じる。

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みんなが音楽で清志郎を語ってくれて
しかも誰も過去形ではなく現在進行形で。
とても鮮明に清志郎を感じることのできる映画だった。
清志郎ひとりのステージを記録するより
このほうが様々な角度から、とても立体的に
清志郎を表現することができたのだと思う。

それにしてもチャボは本当に特別な人だったのだと改めて感じた。
いつも、ステージの清志郎とチャボの間柄というのは、
変な意味でなく(笑)恋人同士か何かのように、
お互いが無くてはならない存在に見えていたのだが、
名曲「夜の散歩をしないかね」は、こうして聴くと、
まさに清志郎とチャボが二人で歩く歌だったんだなあ……。
チャボが、今も清志郎のことを楽しく優しく言葉にしてくれて、
とても微笑ましく、嬉しく、切なく思った。

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私ひとり先にホテルを出発し、まずは朝10時から
テアトル梅田にて映画「グレン・グールド」。
本編の音楽はどれもグールド本人の演奏なのだが
いきなりベートーベンの田園で始まったのには驚いた。
当たり前のことだが、グールドは最初からバッハとシェーンベルクばかり
弾いていたわけではなかったのだ。
副題にあるグールドの「内面的世界」に触れることより
私にとっては彼のピアニストとしての様々な可能性を
感じることができたことのほうが、目からウロコの驚きだった。
2011年の今になって、本当に今更なのだけれど。

さて、映画のあとは、大阪駅で家族と落ち合い、
京都まで行って昼食を取った。
それから東本願寺と西本願寺にお参りし、
本能寺も見学して(このあたりの詳細はまた後ほど)、
娘がお友達のリクエストだったサンケイの「大阪ラーメン」を買い、
夕方また大阪に戻ってきた。

阪神百貨店内の中華料理店で夕食を取り、その後は再び家族別行動になり、
……今、私が何をしているかというと、梅田ブルク7の待合室に座って、
清志郎の映画「ナニワ・サリバン・ショー」の開始を待っているのだ。
広島で見ることの出来なかった映画を二本とも大阪で。
ああ、有り難いことだ。
ただひとつ残念だったのは、「ナニワ・サリバン・ショー」のパンフが
すでに品切れになっていたことだ。
もう上映期間も終わりの、こんな時期まで来られなかったのだから
出遅れなのはわかっていたのだが、それにしても悔やまれる(涙)。

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