転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



『学校(高校)指定のコートを、卒業までに結局数回しか着なかった』
という、お子さんに関するお話を、さきほど某所で見かけた。
確かに、制服に準じて指定されている冬コートを入学時に買ったものの、
学校の立地や通学距離によっては、ほとんど出番が無かった、
というケースが、結構あるのではないかと思う。
……制服関係って、割とイイお値段するのにね(^_^;。

ご多分に漏れず、娘も学校のコートを持っていただけで、
在学中、着用することは、まずなかった。
娘は「真冬になっても、コートは着ない」という変な決まりを
自分に課していて、かねがね私はアホちゃうかと思っていたのだが、
卒業間近のある時期、PTA役員仲間のママに尋ねたところ、
そこの家のお嬢さんも、やはりコートを持っていながら、
「ゼッタイ着ん!」と言い続けていたそうで、
一体全体、彼女らにとってA高のコートって何だったんだ。

それで娘(たち)は、新品同様のコートを所持したまま卒業したのだが、
なんと、ここからがオドロいたことに、
娘は今、大学に通うようになって、高校時代のコートを愛用している。
「A高のコート送って下さい」
と昨年の晩秋のある日メールが来たときには、我が目を疑いましたね(^_^;。
確かに学生はお金がないので、コートなどそうそう新調できないわけだが、
高校コートを大学で着るという発想は、私には無かった。

「ほんで、まだ高校のコートを横浜で着よるんかね」
と今夜、娘に改めて尋ねてみたら、
「着とるよ」
と娘は涼しい顔で答えた。
県外の大学だと、同窓生に会う機会はそんなに無いので、
高校コートだとバレにくく好都合だそうだ。本当かね(^_^;。

更に私がウケたのは、地元国公立大学に進学した友人たちも、
やはり未だに高校コートを着て大学に行っている、という娘の話だった。
地元の大学となると、さすがに同じ高校出身の友人たちがいるので、
彼女らは「あ、着とる(^^)」とお互いに指摘が入るということだ。
それはまあ良いのだが、困るのは、夕方など大学から帰ってきて、
市街地で、その格好のままA高校の在学生と出会うときだそうだ。
まさに、目下そのコートを着用している在校生たちと行き交い、
「(え??それ、A高校の……よね???)」
という無言の視線を浴びるときのバツの悪さと言ったらない、とのことだ。

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昨日から、娘の大学のお友達@埼玉出身が遊びに来て、
我が家に泊まっている。
夜行バスで来て朝7時半に広島到着、一旦うちで朝食をとってから、
娘の案内で宮島に渡り、昼食はアナゴめし、オヤツに揚げもみじ、
戻って来て夕方まで平和公園見学、夕食は広島風お好み焼き。
二日目のきょうは、広島城、縮景園、そして呉の大和ミュージアム、
と、順調に正統派の観光をしておいでのようだ(笑)。
今晩遅くにまた夜行バスで広島を発ち、明日は返す刀で奈良京都へ、
という日程だそうで、いやはや若いってイイわね、と(^_^;。

私は、腕によりを掛けて、遠来の客を手料理でもてなす、
などという人間でないので、
お友達には文字通り何のお構いもせず、
基本的に娘の下宿に来て貰っているのと変わりの無い状況だ。
幸い、大学生ともなれば、お嬢さん方は完全に自立しているので、
全く手がかからない。

それで、彼女らが楽しく遊んでいる間は、つまり留守なので、
私は昨日はまず、久々に舅姑の墓掃除・墓参りに行った。
忙しくて今月はなかなか行けなかったのだ。
次に、帰宅してからようやく確定申告の書類作成に取りかかった。
例によって、うちの場合、医療費の領収書が結構な分量で、
その大半は私名義だったわけだが、
特に昨年は、春から夏にかけて複数回、私の腎結石治療があったので、
堂々と医療費控除が受けられる数字になっていたことがわかった(汗)。

そしてきょうは、お嬢さんがたの朝食のお世話をしたあと、
掃除洗濯を済ませてから、めでたく確定申告書類を提出しに行き、
帰りに会社に寄って、ちょっと仕事をして必要資料をコピーし、
デパ地下で夕食の買い物をして、帰宅した。
毎年のことながら、確定申告書類作成は本当にシンドかった。
終わってとても嬉しい。疲れたし、きょうはもう寝たい。
しかしこれから土曜日の仕事の準備……←今ココ

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Face the Music: A Life Exposed (Paul Stanley)

KISSのポール・スタンレーの自伝(英語)が4月に出版される。
先天性の小耳症のため右耳が聞こえず悩んだ少年時代のことや、
音楽に賭け、バンド活動を通して知った底辺と頂点の経験、
……これまで公開されていなかった多くの事柄が、
ポール自身の言葉で綴られているということだ。
初公開の写真も多数、おさめられているとのことで、
KISS Armyにとっては大変興味深い内容なのではないだろうか。

――という話をもっと書きたかったのだが、今朝は時間切れ(T_T)。

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昨日は結局、夜もいつもより早く寝たので、
一日24時間のうち起きていたのは10時間に満たなかっただろう、
という過ごし方だった。最高だったね(殴)。

***************

尾上松緑の長男・藤間大河、8歳初舞台!6月公演「左近」襲名(スポーツ報知)
『歌舞伎俳優・尾上松緑(39)の長男・藤間大河(8)が、6月の東京・歌舞伎座公演で3代目尾上左近を名乗り、初舞台を踏むことが23日、分かった。』『襲名の演目は「倭仮名在原系図(やまとがなありわらけいず)」の「蘭平物狂(らんぺいものぐるい)」。松緑が奴蘭平を務め、大河はその子・繁蔵を演じる。』『「尾上左近」の俳優名は、初代が大河の祖父・初代辰之助、2代目は父・松緑が、いずれも初舞台を踏む際に襲名した名前。親子孫3代にわたって同じ名前で歌舞伎俳優としてのキャリアをスタートさせることになる。』

大河くんは、今月の歌舞伎座の『白浪五人男』にも
丁稚長松で出演しており、既に活躍中だ。
のびのびとした舞台姿が微笑ましいのだが、
裏で松緑がさぞかし気を揉んでいるだろうと想像すると、
音羽屋ファンとしては楽しいものがある(笑)。

元記事の末尾にあるように、大河くんの初お目見えは3歳のときで、
音羽屋の旦那(菊五郎)さんの勧めで実現したと聞いている。
菊五郎劇団に役者として出て貰いたいと、旦那さんが仰ったと。
今度の左近襲名にもきっと旦那さんの力添えは大きいことだろう。
先代の辰之助や当代松緑の名乗った『左近』を
大河くんが継いでくれるとは、辰之助ファンだった私には夢のようだ。
また、いつか父子で『蘭平物狂』を演りたいというのは
松緑の以前からの希望でもあった筈なので、
それが愛息の左近襲名の舞台でついに実現するとは、
まことに感慨深いものがある。

松緑の『蘭平物狂』は私は2011年の團菊祭@松竹座で観たのだが、
そのときの繁蔵は上村吉太朗で、これがまたなかなかの名演だった
一般家庭出身11歳の歌舞伎役者 上村吉太朗(デイリースポーツ2013年2月25日))。
客席で観ていても、本当に演り甲斐のある役だということがよくわかるので、
大河くんも、襲名の手応えを全身で感じられることだろうと思う。

若い人が発展して行く話は、本当に、イイね(^^)。
歌舞伎の舞台を観ていてこういう感慨を持つようになろうとは、
オバちゃんになったからこその楽しみ方だなと嬉しく思っている。

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職場に新しくアメリカ人スタッフが入ったため、
昨夜はその歓迎会ということで、宴会があった。
一次会は会社の近くの居酒屋で、二次会はカラオケ。
私は全く飲めない体質なので、ほぼずっとウーロン茶だったが、
それにしても夕方から日付の変わる直前まで飲み会、
というのは若い頃以来、久しぶりで、楽しかったが疲れた。
話の半分以上は英語で、ワケわかめだったし(爆)。

それで、今朝はどうにかいつも通り起きて主人を送り出したが、
そのあと二度寝に突入し、昼に一度起きてトーストを食べたあと、
また寝入って、夕方4時半にやっと本当に起床した。
極楽だった(殴)。
休日が寝るだけで終わってしまうと無駄にした気がする、
と主人はいつも言うのだが、私は全然そのように思わない。
自分が病気でも何でもない平日に、
仕事も介護もなく、真っ昼間から寝ていても許されるなんて、
私には最高の幸福だ。

娘は娘で、相変わらず勝手に暮らしており、
きょうも適当に起きて適当に食事をして、
高校時代の友人たちと遊ぶため、市街地に繰り出したようだった。
手間いらずで、こっちも素晴らしかった。


というわけで、確定申告やってない(T_T)。


追記:カラオケで私が歌った中では、T.M.Revolutionの
『High Pressure』が一番皆様のノリが良かった(^_^;。
『Sword Summit』にしなかったのは正解だったかもしれない(殴)。
今後のために『Hot Limit』と『White Breath』を復習しておこう。
あとはガイジンさん対策として、『You Really Got Me』、
KISS Armyとしては『I was made for loving you』あたりか(^_^;。

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昨年5月以降、相次ぎ破損か=「アンネの日記」被害―警視庁(時事通信)
『東京都内の公立図書館で「アンネの日記」などユダヤ人迫害の関連書籍が相次いで破られた事件で、一部の被害が昨年5月以降発生していたことが22日、捜査関係者への取材で分かった。何者かが長期間にわたって破損を繰り返していた可能性があり、警視庁は動機や犯人像の特定を急いでいる。』『この事件では、杉並区や中野区、東久留米市など都内数十カ所の図書館で、少なくとも250冊以上が被害に遭っていたことが分かっている。』

『アンネの日記』マニアの私としては、心の痛む事件だ。
犯人は一体、何を思ってこのようなことをしたのだろう。
アンネ・フランク関連のあの本もこの本も、
無残に破られてしまったのだろうかと、
我が家の本棚を眺めて私はいたたまれない気がした。
うちにある本のきょうだいたちが、あちこちの図書館に
たくさんおさめられていたに違いないのに…。
と同時に、記事写真を見ながら、私の知らないアンネ関連書籍が、
もしかしたらまだまだあるのではないか、
と、密かに胸の騒ぐものを感じてしまったのも本当だ(殴)。

それにしても、この件に関連して
「なんというひどいことをするのか」
「このような行為は決して許されない」
等々の感想をネットでいろいろ見かけ、私もつい頷いていたのだが、
考えてみると、『アンネの日記』を破るから悪くて、
『我が闘争』なら破りまくってもさほど悪くない、
ということはないわな(爆)。

……などと、アホなことを書いていたら、届いたスパムメールの題が、
『税務署の近くなのですが、ゲストさんはどちらお住まいでしょうか?』。
ひええええ!!いや、どちらもこちらも!!
えらいこった、確定申告まだやっとらん!!

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【ソチ五輪】真央、万感の思い!! 6種類の3回転すべて成功、こぼれる涙…(産経新聞)
『史上初めて6種類の3回転ジャンプをすべて成功させた浅田。「やりきった」との思いが込み上げたのか、演技を終えた瞬間、泣き顔に。リンク上で手で顔を覆い、涙がこぼれ落ちた。』『前日のショートプログラム(SP)では予定していたコンビネーションジャンプが飛べないなど予想もしない失敗が続き、55.51点という低得点に終わった浅田。この日のフリーでは6種類の3回転ジャンプを完璧に飛び、最後の3回転ループを決めた瞬間、力強く「よしっ」とうなずいたようにみえた。』『フリーの得点は142.71点。昨年11月のNHK杯で挙げた136.33点を上回る自己ベスト。得点が出た直後、満足そうに小さくうなずき、カメラに向け手を振りながら笑顔を振りまいた。』『前日のSP直後には「自分でも終わってみてまだ何も分からない」と放心状態だった浅田。だが、この日は「私が目指すフリーの演技ができた」と胸を張った。』

こういうときの選手の内面は想像するほかないが、
今回の浅田選手の場合、前日のSPの絶望的な失敗があればこそ、
逆に解き放たれた状態でFSに臨めたのではないかという気がする。
仮にSPで3位以内につけていたりしたら、メダル獲得への重圧がかかり、
FSでの挑戦には大きな足かせになったのではないだろうか。

私は専門家でないし、特に見る目もないと思うので、
各選手の演技の出来映えや審判の判断について
どうこう言えるような人間ではないのだが、
私にとっては、この浅田選手の「挑戦する」姿勢が、
以前からずっと、アスリートとして大変好ましいものだった。
現在の競技会では、数は少なくとも得意技を磨いて精度を上げ、
加点勝負で得点を争うのが女子フィギュアの趨勢であるようなのだが、
それを承知の上で、敢えて高難度かつ多彩なジャンプやステップを
シーズンのたびに新たに組み込んだ浅田選手は、
頑固で無謀だったかもしれないが、同時に、比類なく勇敢だったと思う。

現行の採点方式だと、基礎点で難度の高い技を盛り込んで来る選手には
結果として高い評価は与えられないように思われる。
もっと以前、6種類の3回転ジャンプが跳べる中野友加里選手を、
私なりに気に入って応援していたのだが(衣装の趣味は除く・逃!)、
彼女の場合も加点が少なく、ジャンプの回転不足を取られる機会も多く、
総合ではなかなか高い点数にならなかった。
僅かなスキがあればどんどん減点されるような採点なので、
大抵の選手は、取りこぼしをしないように練習するだけでも大変で、
多種多様な技に挑戦するほどのゆとりは無いのだろう。
そういう意味では、今回のオリンピックにしても、
浅田選手のメダル獲得は最初から相当厳しい賭けだっただろうと思う。

自分を最も確実に表現できる技だけを厳選し、
それらを極限まで鍛え上げて完璧な演技をする、
という方向性も、私は決して否定はしない
(例えば、演奏家としてのポゴレリチは、まさにこのタイプだと思う。
彼は、限られた曲目で構成されたプログラムを、
執拗に長期間に渡り追求し続け、弾き続けるピアニストだ)。
私自身、そういうものの良さを知らないわけではないし、
現在の女子フィギュアの競技会では、そうしたスケーターが高い得点を得、
メダルを獲得していると感じられるので、
それが賢明な「傾向と対策」なのだろうとも思う。

しかし私は、そのフィギュア界の、しかもかなり高い位置の一画に、
浅田選手のような競技者がいてくれて良かったと心から思っている。
失敗のリスクがあっても、容易に評価に繋がらなくても、
諦めずに挑戦し続けた彼女の姿勢は、現在の競技会の流れに
一石を投じるものになったと思うからだ。
レギュレーションを正確に把握して、減点されない・加点される演技をする、
という部分に専心する選手とは趣の異なるものが、浅田選手には常にあった。

伊藤みどりの出現から既に四半世紀が経過しているというのに、
未だに女子でトリプルアクセルのできる選手が、
浅田選手以外に数えるほどしか出ていないのは、
つまりそれだけ、挑戦する人が少ないということだろう。
男子ではとっくに4回転が当然になっているのに、
この点に関する限り、女子のジャンプ技術の向上は頭打ちだ。
女子フィギュアの審査内容とその結果が、女子選手やその指導者たちに、
「トリプルアクセルなど苦労して練習する甲斐がないから」
と思わせているとしたら、私は大変残念だという気がする。
フィギュアスケートはジャンプだけで競うものではないが、
同時に、スポーツである以上、表現力や完成度で点数が稼げれば良い、
というものでもなく、やはり技術の向上は絶えず追求されるべきだ。

アスリートとして挑戦する姿勢を明確に貫きつつ、
なおかつ今季、世界ランキング2位まで上っていた浅田選手は、
まさに希有な存在だった。
今回のオリンピックでも、彼女は頑ななまでに自己を曲げず、
それがためにSPでは挫折したかに見えたが、
なんと土壇場になって、自分の理想としていたプログラムを実現させた。
FS演技は事前に彼女が言っていた通り『集大成』となったのだ。
彼女の輝かしい挑戦と成果に、私は心からの拍手を送りたいと思う。

浅田選手、入賞おめでとうございます!
そして、本当にお疲れ様でした。
オリンピックでのラストダンスに至るまで、
色褪せることなく、数え切れないほどの名演技を見せて頂きました。
ありがとう~~~!!

(……と、何か「完結した」かのようなことを言うのは、
まだ若い彼女に対しては、ちょっと早いか??)

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昨夜は花粉症が来たのか鼻炎がひどく、かつ疲労感が半端なく、
これは疲れがたまったなという自覚があったので早寝した。
そうしたら早朝に肩凝りから来る頭痛で目が覚めた。
筋緊張性頭痛の痛みであることは体験的にわかったので、
観念してロキソニンを飲んで、寝直した。

それから目覚ましでいつもの時間に起床したときには、
頭痛は若干マシになっていたが、まだ後頭部が重かった。
それで、幸いきょうは会社のない日だったので
予定を何もかも取りやめて一日休むことにした。
主人が出勤したあと掃除と洗濯をして、また布団に戻り、
グールドの弾く『ゴルトベルク』を聴きながら寝入り、
そのまま昼過ぎまで惰眠をむさぼった。

午後になって起きたら頭痛はほぼ解消できていた。
予定のない娘も寝坊していて、午後1時過ぎに部屋から出てきたので、
私がきょうは一日サボる由を話すと、
娘は快く、冷蔵庫の残り物でオムライスを二人分、作ってくれた。
やたらと美味しかった(T_T)。
娘は独り暮らしになってからCOOKPAD(クックパッド)を見て
いろいろと自分で作って覚えたのだそうで、
やはり、美味いものを食いたいという情熱こそが、
料理が巧くなるための原動力だよなとつくづく思った
(=私は美味しいものは純粋に高く評価するが、
一方で、不味い食事でも不幸を感じない体質なので、
料理をすることに対して情熱が無い。従って全く上達もしていない)。
娘は、晩ご飯も、これから買い物に行って何か用意してくれるそうだ。
なんという極楽か。娘に後光が射して見えた(T_T)。

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團菊祭五月大歌舞伎 十二世市川團十郎一年祭(歌舞伎美人)

さきほど、この『團菊祭』の文字を見たとき、
そうそう、今年も團菊祭の季節がやって来るな!
…と私は一瞬、幸せな錯覚を起こした。
團十郎が居ないことは、この一年、忘れたことなどなかったのに、
『團菊祭』と書いてあるのを見た途端、
私の感覚はあっという間に逆戻りして、
音羽屋の旦那さんとなつおちゃんの並んだ舞台を
これからまた観るつもりになっていた。
さて今年は、二人はそれぞれ何を演るのかな?と。

しかし、現実は違った。当然のことながら。
今年の團菊祭は、團十郎の一年祭だ。
菊五郎は出るが、團十郎は居ない。
代わりに、海老蔵が弁慶と幡随長兵衛を演る。
そして、松緑と菊之助もそれぞれ一演目ずつを任されている。
世代交代を観るのが、今度の團菊祭なのだ。


平成26年5月1日(木)~25日(日)
(チケット:4月12日(土)10:00よりWeb・電話受付開始)

昼の部:
一、毛抜
 粂寺弾正:左團次
二、勧進帳
 武蔵坊弁慶:海老蔵
 富樫左衛門:菊之助
 源義経:芝雀
三、魚屋宗五郎
 魚屋宗五郎:菊五郎
 女房おはま:時蔵

夜の部:
一、矢の根
 曽我五郎:松緑
二、極付幡随長兵衛
 幡随長兵衛:海老蔵
 女房お時:時蔵
 唐犬権兵衛:松緑
 水野十郎左衛門:菊五郎
三、春興鏡獅子
 小姓弥生/獅子の精:菊之助

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渡部暁斗が銀メダル ノルディック複合で20年ぶりの快挙(ハフィントン・ポスト)
『ソチオリンピックのノルディックスキー複合の男子ノーマルヒル個人で2月12日、渡部暁斗が銀メダルを獲得した。日本の複合では20年ぶりのメダルとなった。弟の渡部善斗も15位に入った。』

解説を担当されていた往年の名選手・荻原次晴氏が感極まり、
テレビの生本番の最中だというのに大号泣になってしまい、
放送事故レベル(^_^;と翌日のネットで話題になっていたが、
20年ぶりのメダル獲得はそれほどに感動的であったのだ。
次晴氏の兄で、同種目の金メダリストであった荻原健司氏も、
「この20年、クロスカントリーに比重が置かれるルール変更もあり、
日本のノルディック複合はメダルから遠ざかっていた。」
「20年間、日本の複合が苦しんだことを考えると、
本当にうれしくて胸に迫るものがあった」
等々と、NHKニュースで話をされていた。
それを見ながら主人が、
「お前らが強すぎたけえ、ルールが変わったんよ」
とツッコミを入れていた(笑)。


金メダルの羽生、涙浮かべ「ちょっと悔しい」/フィギュア(SANSPO)
『ソチ冬季五輪フィギュアスケート男子フリー(14日、アイスバーグ・スケーティング・パレス)羽生結弦(19)=ANA=は、280.09点で1位となり金メダルを獲得した。』『羽生は涙を浮かべインタビューに応じた「結果としてすごい嬉しいなと思うのが半分、自分の中で悔しいと思う所があって、オリンピックで金メダルを取って言うのもなんですが、ちょっと悔しい」と心情を吐露。』『パトリック・チャンの得点が出た瞬間は「とにかく驚きしかなかった。嬉しいとかそういった感情は本当になかった。ただ、表彰台に登ってすごいうれしかった」と最後は笑顔を見せた。』

日本人に関する限り、私の印象では、
金メダル金メダルと騒がれて出場した選手が、
本当に金メダルを獲得して帰って来ることは、実は稀だと思う。
ジャーナリズムがメダルに関して名指しした途端、
逆フラグが立つのではないかという気がするくらいだ(汗)。
恐らく、重圧や雑音や取材攻勢など様々なものに害されて、
本来の力を発揮できなくなってしまう選手が多いのだろう。
そのような中で、前評判通りに1位になった羽生選手は素晴らしかった。
御本人の実力や心身の強さ、或いはコーチや周囲の支えなど、
すべてが良い方向に作用したということなのだろうと思う。
それにつけても、金が羽生選手、銀がカナダのパトリック・チャン選手、
そして銅がカザフスタンのデニス・テン選手、と国籍は様々だが
気づいてみれば、アジア系の人達ばかりが表彰台に上がっていた。
ほか、5位に町田樹選手、6位に高橋大輔選手と日本人が並び、
7位は中国の閻涵選手。
いつの間にか、フィギュアスケート界の頂上付近を
『平たい顔』族とその一派が占拠していたのであった。
私が若かった頃には、想像もしなかった光景だと思った。


41歳葛西、悲願の銀…ジャンプ日本4大会ぶり(読売新聞)
『ソチ五輪のスキージャンプ男子個人ラージヒルは15日(日本時間16日未明)、本戦2回目が行われ、1回目2位の41歳、葛西紀明(土屋ホーム)が合計277.4点で銀メダルを獲得した。』『日本ジャンプ陣の五輪メダルは、金2、銀1、銅1を獲得した長野大会以来、4大会ぶり。葛西は1994年リレハンメル大会の団体銀はあるが、個人では初メダル。』

今朝起きたら、ジャンプ男子ラージヒル決勝が終わっていて、
葛西選手が銀メダルと、ネットでもテレビでも各所で報道されていた。
私の世代では92年のアルベールビル・オリンピックを覚えているので、
葛西選手が当時から今まで、どれほど第一線で活躍されて来たかを
自分の年月としても感じることができる。
葛西選手は海外でも大変尊敬されていると聞いていたが、
今回の偉業で、現在進行形の『生ける伝説』となられたことを実感している。
地元・下川町で応援なさっていた方が、テレビの取材に応えて、
「葛西選手は下川町の『星』だったが、これで『太陽』になった」
と感激されていたのが印象的だった。

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