転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



気持ち的に勢いもないし、このところ天気も悪いしで、
一日のばしにして来た『果てしない物語』、・・・じゃない、
相続関連手続きを、そろそろ、どうしても開始しなくてはならない。

確か四年前の舅のとき、死亡日から1ヵ月経過すると、
死亡届が、区役所から法務局の管轄に移ってしまい、
その書類を必要とする社会保険事務所かどっかの手続きが、
ややこしくなって困った記憶があるのだ。
それに、何であれ、いずれはせねばならない手続きなのだから、
長く放置しておいて良いことになる筈がないのだ。

それで、私は2005年の晩秋から2006年初頭にかけて奔走した、
舅関係の『果てしない物語』を、今、改めて、ひもといてみた。
果たして、そこには、各種手続きに何が必要だったが、
私が何に困り、何に怒り狂ったかが、克明に記録されていた。
なんと、この駄文日記が初めて実用的に役立つことになったのだ!

以下、2005年の記録の復習。

・舅の、出生から死亡までの連続した戸籍・除籍謄本、および、
 改正原戸籍謄本を取り寄せ(区役所)、相続人の確認と確定
11月6日:じーちゃんを辿る旅開始(←ほとんど妄想話)
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/8886cad86dec904f575ceac4b83a35df
11月9日:四十九日前のバタバタ(←割とどうでもいい話)
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/d44a9ff5be61afb0ae63d914bdfaad3e
11月15日:手続き開始
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/e8f10c90ff514e3ffceee8a97583683d

・保険証の書き換え・葬祭費受領(区役所)
11月17日:佐伯区役所は遠かった
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/389ec7f73089a92f08999ecde24fbd33

・年金の停止・遺族年金への移行(社会保険事務所)
11月10日:社会保険事務所に電話して説明を聞く
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/f9762cee66e5c30432f708086ea85fc3
11月16日:社会保険事務所のせいで迷走
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/673e18505b6eb29d0b823f7df5d31d48
11月18日:やっと社会保険事務所で手続き
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/d7ace269c077be7b201eb8d307f7cdbc

・銀行・郵便局の名義変更関係 
11月22日:必要書類を貰いに行く
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/de6a7056cfcfa83dde2db48d3060219c
11月24日:銀行手続きOK、郵便局は書類不備とのことで却下される
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/8b514ca8ff71bfc72a5bf7669ee3e62e
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/e3815794f1d04aa26414729c7b172ee6
11月25日:郵便局出直して手続き
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/c172e892a0f68e6fbdd97a5655d3e075

・遺産分割協議書・相続関係説明図作成(自己作成または司法書士依頼)
 および不動産の名義替えと登記(法務局)
11月26日:土地の登記
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/0a94f6e0f8cf2e6fb49e388d452aedb7

・準確定申告(税務署)
11月30日:準確定申告に必要なもの
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/9184543259c4223348084c480c5ee0f0
12月1日:転夫、自転車で廿日市法務局まで行く
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/1895dcd5a1e591d9486c351ee36329de
12月16日:準確定申告郵送の直前
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/70fa542ad5e0e1e452d5f984169a54da

・公共料金の名義変更関係
12月9日:公共料金名義変更手続き
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/6eb0b029c12c6ff25d07118a1dfb2213

・介護保険関連清算(区役所)
10月27日:介護保険料の払い戻し
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/b9a1fa47363562fc736fe45690f650be
1月30日:高額医療費支給
http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/58100f1c71bc2dec7d78b54b69a8780f




7月のことば:千里の道も一歩から

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あれから私なりにネットで検索してみたのだが、
カイロは、娘が考えているよりずっと、観光地として身近で、
気候の面でも、純然たる乾燥帯とは違うようだ、
ということが、わかってきた。
案外、問題なのは「先立つモノ」だけかもよ、転娘みーちゃん?

まず、カイロでは、確かに公用語はアラビア語だが、
英領であった歴史的経緯からも、英語は通じないことはないようだ。
気温は日較差が東京などよりはずっと大きく、
真夏の昼は40度に達することもあって暑いのは間違いないが、
乾燥しているがゆえに、うっとうしい湿度とは無縁だそうだ。

エジプトでも、とくにナイル沿岸は、その昔、社会科で習ったように、
「肥沃なデルタ地帯」が広がっている。
アレキサンドリアなど地中海沿岸は温帯の地中海性気候だし、
カイロ周辺にしても、完全な砂漠気候までは行かないらしい。
3月~5月の、ハムシーンと呼ばれる砂嵐の季節を除けば、
年間を通じて、過ごしやすいと言っても良い気候だとのことだ。

そういえば、あのツタンカーメン王墓発掘のスポンサーだった、
イギリスの伯爵カーナヴォン卿も、もとはといえば、
呼吸器系の疾病のために療養としてエジプトを訪れ、
暇つぶしに発掘作業に興味を示したのが、始まりだった。
高温で乾いた空気や、降り注ぐ太陽は、むしろ健康に良く、
昔からナイル沿岸は保養地として大変人気があったらしい。

と、そのようなことをネットで見たあと、ラジオをつけて、
NHK『ラジオ英会話』を聴き始めたら、
なんと7月号は、まさにカイロ観光がテーマだった。
主人公の夫婦が、タクシーでホテルに向かうところから
きょうのスキットは始まっていた。
これから名所巡りをしつつ、エジプトで英会話をやるようだ。
ほほ~。これはこれは。
待たなくてもカイロの日和あり(講師の遠山先生の受け売り)。

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「なぜ私は英語を学ぶのが楽しいか」
というテーマで、中3の娘が、200語の英作文を書いていた。
学校の課題らしかった。
いくつかあるテーマの中で、それを選んだ以上、
娘は、英語を勉強することを楽しいと思っている、
のが前提だった。本当かよ(汗)。

出来上がった英作文は、英文としては大笑いな出来だったが、
娘の言いたいことは、だいたい、わかった(私だからこそ)。
娘は、エジプトで発掘されたミイラに大いに興味があり、
それを見るのに大英博物館へ行きたいがために、
今、英語を頑張っている、と書いていた。

「そんなにエジプト考古学にロマンを感じるんやったら、
ストレートに、カイロのエジプト考古学博物館に行けばいいやん、
ギザの三大ピラミッドも本物が観られるし」
と私は言ったが、娘は、中東の向こうまで行くのは怖いと言った。
「アラビア語なんか聞いたことないし、覚えられんだろうし、
砂漠の国ってのも想像がつかん。暑そうだし。よぅ行かんわ」
と娘は言った。
その点、ロンドンなら、そんなに東京と違うこともなかろうし、
英語をこれから頑張ってやれば、旅行できるようになるかもしれん、
というのが、娘の考えだった。

娘の英作文には、そのあたりのことが、拙く綴られていた。
まず、彼女のミイラ趣味の、コトの起こりは、
小学校3年生のときに私が買ってやった本『ミイラ物語』だそうだ。
それを読んで娘は、数千年前にエジプトにいた人間たちが、
ファラオを頂点とする社会を作っていて、文化を持っていて、
その頃の様子が、ミイラや副葬品を通じて、今の私たちに伝わっている、
と考え、なんか美形のツタンカーメンを想像したりもして、
時の流れに心打たれ、つまりウットリしたのだそうだ。

五十年前でも自分には大昔に思われるのに、
二千年前、三千年前、って、一体、どんな世界だっただろう。
ファラオの宮殿は黄金に輝き、きっと素晴らしかったに違いない。
ファラオたちの望んだ「よみがえり」とは別のかたちで、
21世紀の私たちがその姿を眺めることになるなどと、
彼らは一度でも想像したことがあっただろうか。
古代エジプトの村の人々は、家庭をつくって、大人達は働き、
子供達もそれを手伝い、勉強し、走り回って遊んだりもしただろうか。
人々はやはり些細なことで幸せになったり、嘆いたりしていただろうか。
ああ、行ってみたい。タイムマシンは無いものか。

という意味合いのことを、娘は思ったそうだ(もっと乏しい語彙で)。
それで、カイロを訪ねてみたいと最初は当然考えたのだが、
上記の理由で、エジプトは娘にとって遠過ぎ、あまりにも未知の世界で、
大人になったとしても、独りで行けるようになるとは、想像ができず、
それで娘はとりあえず、手近な図鑑を見て我慢しようとした。
そこでオシリスやイシス、ホルスなど、エジプト神話を知って、
またしても想像の世界が広がり、いっそうエジプトに憧れるようになった。

そのうち、エジプトのミイラを筆頭に、
世界各地の各種ミイラについても、更によく知るようになり、
キショクわる~と思いつつも、その神秘的な世界にのめりこんだ。
そこから発展してあれこれオカルト趣味の本も読み始めた娘は、
遺跡とか幽霊とか宇宙人とかも面白いなあ、と思うようになった。

ロンドン塔、ストーンヘンジ、ネス湖、など、
娘の趣味に合うスポットの多くは、イギリスにあることがわかった。
そして、ある日、また別の本を読んでいて、
大英博物館がミイラのコレクションを持っていることを知った。
そうか!イギリスに行けば、ミイラを見ることが、出来たのか!これだ!!

・・・ということで、以上、『ミイラ物語』に始まり、
話の舞台はエジプトから脈絡なくイギリスに渡り、
城塞に遺跡に湖水地方を巡り、しまいにロンドンに辿り着いた、
だもんで、今できることは英語の勉強です・楽しいです、
という、風が吹けば桶屋が儲かる的な、まわりくどさだった。

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うちのBBSで某氏が教えて下さったことなのだが、
梶本音楽事務所のサイトによると、イーヴォ・ポゴレリチ氏は
2010年5月に来日予定、となっているようだ。

KAJIMOTO 年間カタログ(招聘一覧)

今、この来日公演以外に公表されている2010年の予定は、
1月にドイツのシュツットガルト・フィルハーモニー管弦楽団と共演、
それに5月28日にオーストリアのウィーン・コンツェルトハウスで、
ORFラジオ・シンフォニー・オーケストラと共演すること、
6月2日にアイルランドのダブリンでリサイタルを行うこと等だ。

そうすると、この年の5月下旬以降6月もヨーロッパで弾くようだから、
日本に来るなら5月の前半でなければ、日程的に厳しいだろう。
そして、わざわざ日本公演のためだけに太平洋の彼方まで飛ぶとは
最近の彼のツアースケジュールからは考えにくいので、
もし、このあと例えば4月くらいから、台北やソウル、北京などの、
アジア各地での公演やマスタークラス等が発表されるようであれば、
5月来日というのは信憑性が高い・かなり本気だ、という感じがする。

私としては、5月というのはなかなか有り難い。
寒くないので季節的にも動きやすいし、着るものも軽いし、
何より、昨今の心配事である「新型インフルエンザ」も
5月であれば北半球が充分温かくなっているから、
真冬ほど猛威を振るう心配をしなくても良いのではないかと思う。

モスクワ育ちのポゴレリチ本人は、本来、暑いのが嫌いで、
緯度の高いところが性に合うと以前語っていたけれども、
日本の5月、まして上旬なら、まあ許容範囲ではあるまいか。
昔みたいに「革」など着て来なければ。

ともあれ、過度に期待せず、しかしとりあえず予定には入れて、
気長に待っていよう。

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寝不足だった
一時期の不眠症傾向は改善し、昨今は気持ちよく眠っていたのだが、
昨夜、寝入ってしばらくしたところで、
地鳴りのようなイビキが聞こえ、私は眠りの淵から引っぺがされた。
見たら、主人が部屋の外の、廊下で寝ていた。
仁王立ちしている私を見上げ、
「暑いんよ~。犬の気持ちがよくわかる~~」
と主人は寝ぼけて半分わけのわからぬことを言った。
廊下の床がひんやりして心地よいらしかった。
この際どこで寝て貰ってもいいし、犬への理解を深めるのも自由だが、
ちと静かに寝てくれんかな(--#)。
それが午前2時くらいのことで、御陰で今朝の私は完璧、寝不足だった。
あまりに眠い頭でテレビのニュースを聞かされたので、
マイケル・ジャクソン死去の報を全く受け付けることができず、
誤報に違いないと勝手に考えていた。

・英文コピー
某広告代理店から、某パンフレットの写真の横に載せるための、
英語のコピーを8つほど書けと言われていて、
それが昼過ぎ締め切りだったので、半覚醒の頭で、朝から作業した。
メールでそれらを送ったら、ほどなく先方から電話がかかってきて、
語数と語彙に関して、クレームがついた。
それで、直して、また送った。
そうしたら、案外すんなりと、「これで行きましょう」とOKが出た。
ここのお仕事は今までも短いのや長いのやいろいろさせて貰ったが、
私などに書かせて下さるなんて、チャレンジャーなデザイナーさんだな、
と実はいつも思っている(逃)。

・松本和将ピアノ・リサイタル
夜は、アステール・プラザで、松本和将氏の演奏会を聴いた。
オール・ショパンで、スケルツォ・夜想曲・練習曲・ポロネーズ・ワルツ、
とジャンル的にも目配りされた構成だった。
聴衆の中には、ピアノの先生方やピアノ学習者も少なくないことを
考慮されての選曲や演奏内容だったと思うのだが、それと同時に、
冒頭でご本人が仰ったように、男性的で力強いショパン、
という側面にもスポットを当てた、おそらく今の松本氏ならではの、
心身の充実を反映した演奏会でもあったと感じた。
ポロネーズ第5番は、私にとってポゴレリチとの出会いの曲だが、
今夜の松本氏の演奏はとても爽快で、納得できるものだった。
この曲をどんなに松本氏が面白いと感じて演奏されているかが、
よく伝わって来る、躍動的な魅力が素晴らしかった。

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ピアノのレッスンで、シューマンの『メロディー』を弾いたとき、
姑が先日亡くなったことをご存知の先生が、
「とうとう、おばあちゃんを送る歌になっちゃいましたね」
と仰った。
この曲は、当初から私の心の琴線に触れるものがあったが、
特に9日の葬儀が終わって以来、私はこれを、
まさにレクイエムのように感じていたので、
先生のご慧眼には驚き、また、気持ちを共有して戴けたことに感謝した。

若く、元気だった頃の、はつらつとした姑のことは、
舅や主人が、私などよりも、ずっとよく知っているし、
舅・姑・主人の、親子三人の想い出には、
私の立ち入れないものが多くあり、それは当然だと思っている。
けれど、最晩年に、病を得てからの姑のことを、
最もよく知るようになったのは、最終的には、私だったと思う。
少し前まで、もっとよくわかっていたのは舅だったが、
残念ながら、舅は半ばで、姑より先に、逝ってしまった。

私の知っていた姑は、もうやせ細っていて、体も不自由だったが、
いつも機嫌の良い、楽しい「ばーちゃん」だった。
愉快でシュールな会話をして笑い転げたこと、
一緒にテレビを眺めたこと、
ふたりで美味しいものを食べたこと、
・・・それらは、私たちだけの、穏やかで温かい想い出だ。

『メロディー』の途中にある、短い下行音型の繰り返しのところを、
先生が、「いい子、いい子、っていう感じで」と仰ったとき、
可愛かった「ばーちゃん」を思い出して、
私は涙がこぼれそうだった。

「お姑さま」に向かって、「可愛かった」というのは
本当は失礼だとは思うし、元気だった頃の姑になら、
私はそのような「上から目線」で相対することはなかったと思うのだが、
認知症が進んでからの姑は、本当に、大きな赤ちゃんのようだったので、
私は次第次第に、姑の保護者になって行ったのだ。
多分、実の親子でないからこそ、そういう気持ちに行き着いたのだと思う。

よく歩けたね、よく食べたね、きょうもよく頑張ったね。
赤ちゃんとは、まるきり逆の順序で、
最後には、ベッドの中から笑顔を見せてくれるだけになった姑に、
私は、よく、
『いい子だね、本当に、いい子だね』
と頭を撫でてあげたいような気持ちにになったものだった。

限りなくいい子だったばーちゃんは、逝ってしまった。
今はせめて、ばーちゃんの行く道に、
つたないけれども私なりの『メロディー』を贈りたいと思う。

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しつこい性格である私は、今月も続けている。
上旬は、さすがにラジオどころではない毎日だったが、
最近になって、多少は落ち着いたので、
朝の仏語・西語と、夜の英会話は、必ず聴くようにしている。
本放送と再放送の二回ずつ聴けばもっと良いのはわかっているが、
なかなか、そこまでの時間は取れていない。

いちばん力が抜けているのは、『まいにちスペイン語』だ。
一回一回の放送はとても楽しいし、ポイントの会話文が短いので、
私のような入門者でも、とりあえずリピートすることは出来ている。
が、文法事項に関して、ほとんど積み重ねになっていないので、
その場限りで終わってしまい、少しも知識は増えていない。
先月も書いたが、この講座は中級以上の学習者向けだと思う。
とりあえず、スペイン語の響きに慣れるとか、雑学を増やす、
みたいな意義は、あると感じているのだけれども。

逆に『まいにちフランス語』は、今期は、かなり本気だ。
というか、ガチでやらないと、ついて行けないのだ。
4月は鼻歌交じりだったのだが、あっという間に進んで、
今や、代名動詞を複合過去にして否定にして・・・、
などと一度に要求されるようになり、なかなか瞬時には出来ず、
私が道に迷っているうちに、サッサと正解が読み上げられ、
小野先生が穏やかに「よろしいでしょうか」と仰るのだ。
全然よろしくないのだった。

さて、私がラジオで英語をやろうなんて何年ぶり?という
『ラジオ英会話』だが、これはなかなか気に入っている。
毎回のスキットは適度に易しく、愉快な内容のものが多いし、
一方、Listen for It!で流されるCMやアナウンスは、
本物に限りなく近い、手加減なしの感じで、やり甲斐がある。
しかしもうちょっと復習を自主的にしないと、
新しい表現など、その場では覚えても、記憶に定着していない。


なるほど、こうして見ると、私の反省点は、
「瞬間的に反応できない」
「短期記憶はOKでも長期記憶にならない」
・・・やはりこれは、老化現象の気配があるな、と思った(悲)。
まあ、そもそもが道楽の語学なのだから、
これからも、老化防止のためにも続けよう(汗)。

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数日前のこと、突然に、郵便局職員を名乗る男性が来て、
「ご主人様の運転免許証の番号と生年月日を控えさせて下さい」
と言った。

なんでも、先日主人が、「本人限定受取」の郵便物を受け取った際に、
局側がうっかりしていて、主人の身分証明書の記録を取っておらず、
書類が未完成になっているので、改めてやって来た、という話だった。
つまり、もとはと言えば郵便局側の落ち度だった。

私は、上から下まで、その郵便局の職員さんを眺めた。
制服姿や、全体の雰囲気は、全く怪しくなかったのだが、
自称郵便局員さんが本物かどうか、確認する方法がないと思った。
万が一、ニセモノだった場合、どうするんだ。
念のため、名刺を下さい、と言ったら、
持っていない、という返答だった(--#)。

私自身は、その「本人限定郵便」の一件もノータッチで、
いつのことだか、中身が何だったかも、知らなかったので
(あとで帰宅した主人に訊いたら、某銀行の通帳だったそうだ)、
申し訳ないが、その話だけで免許証の番号を言うわけにはいかない、
と言った。

そして、かわりに、私なりの誠意を見せることにして、
私はその人の所属を聞き、こちらから郵便局に出向くと申し出た。
某集配課のどこに行けば良いか、課長さんの御名前も、教えて貰った。
主人の免許証本体でなくとも、コピーを持参すれば良いそうだ。

この男性は、本当のところ間違いなく郵便局員さんだっただろうし、
私は別に、暇つぶしでこの人を困らせようと考えたのではなかった。
ただ今時だから「郵便局のほうから来ました」は全然信用できないし、
こちらの、免許証の番号や生年月日などの個人情報を、
玄関先で言われた程度で軽々しく漏らしたくなかったのだ。

そもそも、どこの金融機関だって、日頃、何かというと、
病的なほど「本人様確認」「ご本人様直筆」等に固執するではないか。
先日だって、私は主人名義の振込も引出も、自由にはさせて貰えなかった。
だのに、自分たちの身分証明は「口頭」で済ませてOKと考えるなんて、
それは、あんまりなのではないだろうか。
局内や窓口にいればこそ、彼らのステイタスは保証されるのであって、
一旦、単独で街へ出たら、身分を証明する手段を持たない限り、
コスプレおやじと区別できないと言われても、仕方がないと思う。

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以前、パソ太(このパソコン)搭載のIE6が
予告もなく理由も言わず、体長不良に陥り、
疲れたのかとIE7にバージョンアップしてみたが状況は変わらず、
仕方なくブラウザをあれこれ試した挙げ句、
キツネさん(FireFox)を招いたら、やっとサクサクと快適になった、
という一件があった。

あれから、気持ちよくキツネさんを飼っていたのだが、
先日、うちの野豚(Norton)があまりにも何度も何度も、
バージョンアップを迫る表示を出すので、
仕方なく言う通りにしたところ、
確かに高機能な野豚に変貌しやがったのではあるが、
その日以来、なんと、キツネのほうが、
へそを曲げて、巣穴から出て来なくなった(--#)。

すると、どういうことだか、あれほど気難しかったIE7が、
今度は別人(別ブラ)のように、素直に開くようになった。
こっちは、新しい野豚となら、うまくやれると言っているのだった。
ただ、IEはときどき、喘ぎ声が、ひどいのだった。
ちょっと見ない間に、随分、口数の多いヤツになったのものだ。

それで、前に少し耕したまま放置していたSafariに行ってみたら、
ちとはバージョンアップしてくれんと困る、
と横合いからリンゴが文句を言った。
そういえば、1ヵ月くらいは全く手入れしてやっていなかった。
それで、さきほどから、Safariの世話を、しばらく、した。

それにしも、
おい。
キミら、たいがい、我が儘過ぎるぞ(爆)。
もうちょっと、折り合えるよう努力しなさい。
まあ、私も、Wordとは気が合わず、一太郎としかお話しないので、
全く我が儘でないとは言わないが、それにしても、
あーたらが喧嘩するせいで、おばちゃんは、
野豚は勿論、IEやキツネを飼い慣らすのみならず、
Safariパークへ出たり入ったり、Google顔料にまで手を染める始末だ。

育てた親の顔が見たいわ、ホンマに。
ってアタシか。

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しつこい私は今月も続けている。

…という話を書くつもりだったのだが
きょうは、まとまった時間が取れなかった。
明日以降に、改めて。

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