転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



娘が広島出張のため、26日(月)の夜から二泊三日で帰って来ていた。
出先で娘が何をしていたのか、私には全然わからなかったが、
仕事は有り難いことに滞りなく終わったとのことで、
娘は二晩ほどうちで、刺身や天ぷらを食し酒を飲み、
本日、朝イチの新幹線で東京に戻って行った。

入社して3年目の今年は転勤があり、
……と言っても引越をするようなドラマティックな話ではなく、
当面はこれまで通り板橋在住のまま、6月1日以降、大宮に通う、
と娘が言っていた。
文字通り、翔んで埼玉!
これからはいよいよ埼玉勤務となるのだから、
毎朝きちんと「埼玉ポーズ」をしてオフィスに入るように、
と昨夜、主人と私からよく言い聞かせた(笑)。

埼玉ポーズ(ウィキペディア(Wikipedia))
映画『翔んで埼玉』予告編 /2月22日(金)公開(YouTube:東映映画チャンネル)

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……というわけで、腰痛症の最中、私は東京に行って来たのであった。
毎年これだけは外せない團菊祭、特に今年はじゅふたん丑之助の襲名とあって、
文字通り這ってでも行かねばと、私は思い詰めていた。
幸い、前日までの激痛が嘘のように、21日(火)の夕方から体がラクになり、
私は勤務先の会社からタクシーで広島駅に直行、夜ののぞみに乗った。

奇しくも、5月22日(水)は吉右衛門の誕生日で。
私は実にお目出度い日に観劇することになった。
今年の大播磨のお誕生祝いは、初孫・丑之助との共演であった。
小さいじゅふたんには、まだそうとはわからないだろうけれど、
ほかの誰もできない大きな贈り物を、彼は母方じぃじにしてあげた(^^)。
初舞台の祝い幕は、宮崎駿による牛若丸と弁慶のイラスト。
イヤホンガイドで幕間に流れるインタビューを聴いていたら、
この牛若丸の絵は「(自分に)似てる」と丑之助もお気に入りであった。

牛若丸に分した丑之助は、いいお声で台詞の冴えも素晴らしく、
堂に入った見栄の切り方と、舞台度胸のある立ち回りや六方で、
まことに立派な初舞台を見せてくれたのだが、
背後に控えている鬼一法眼の吉右衛門と吉岡鬼次郎の菊五郎とはもう、
全く芝居になっておらず、話の筋と無関係なほどニコニコで、
真ん中で時蔵が台詞を言っていようが雀右衛門が踊っていようが、
あからさまに、丑之助のほうしか見ていなかった(爆)。
ポスターの吉右衛門は、まさに剣術の神・鬼一法眼のこしらえだが、
実際に舞台にいたのは、「ただのお爺ちゃん」であった(爆爆)。
だいたい、なんで大播磨が当然のように團菊祭に居るんだよ(笑)!

菊五郎も目尻が下がりっぱなしで、可愛い丑ちゃんをほくほく見守っていた。
幕間のイヤホンガイドのインタビューの話にもあったが、
菊之助によると両祖父はとにかく甘く、
丑之助のことをよく褒めてくれるとのことだ。
菊之助本人はその点、父親としての責任感が大きいので、
稽古をつけるときも厳しく、できるまで要求していると語っており、
舞台でも、幼い息子の傍に控え、真剣な面持ちで
丑之助の一挙手一投足を見つめていた。

その菊之助の、このたびの挑戦は『京鹿子娘道成寺』。
前の幕で、弁慶として野太い声+おおどかな存在感を発揮した直後に、
ここでは、なんと目の覚めるような白拍子花子に扮しての、独壇場。
菊之助の緻密さ、ひとときも気を抜かぬほどのきめの細かい踊りは、
おそらく玉三郎の薫陶を受けた時期に身につけたのではと想像しているのだが、
それに加えて、菊之助らしい幸福感のようなものが充ち満ちていて、
まことに美しい娘道成寺だった。
圧巻の一幕。

今年は、音羽屋の繁栄をいつも以上に、しみじみと嬉しく感じた團菊祭であった。




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忘れないうちに、ここまでの腰痛の経過を書いておく。
今後、受診するならば情報として何らかの役に立つ部分があるだろうし、
またいずれ同様の症状になったときにも、参考にできるだろう。


5月12日(日)実家で重い布団を何組も奥の部屋まで運び、腰にキた自覚あり、
 しかし明らかな腰痛まではなく、この時点ではあまり気にならず。

5月16日(木)腰と右腿に、姿勢に関係のない神経痛様の違和感あり、不快。

5月17日(金)腰痛自覚、しかし実家整理のため荷物運びなどの労働、
 終了後、会社に出勤。

5月18日(土)起床時から腰痛、ロキソニン服用し出勤。徒歩で往復。
 疲労感甚だしく、20時就寝。腰痛のため熟睡できず。

5月19日(日)強い腰痛で目覚め、身動きならず。体動に伴って激痛があり、
 仰臥位でも坐位でも痛み、ほぼ一日寝て過ごす。
 ロキソニン2回服用。アドフィードパップ40mg×2貼付。
 疲労感とれず、再び20時就寝。

5月20日(月)前日同様の腰痛、特に寝返り時に脚に力を入れると激痛。
 疲労感あり、午睡。ロキソニン2回。アドフィードパップ貼付。
 前屈みでないと歩けない。

5月21日(火)起き上がるとやはり姿勢により痛みが強いが、いくらか軽快。
 ロキソニン服用し、バスで出勤、夕方には不思議なほど痛みがなくなる。
 バンテリンゲル塗布。

5月22日(水)回復は実感できるが、やはり痛みで寝返りのたびに目覚め、
 起床してからも姿勢により痛みが強く、前屈みで歩く。夕方には軽快。
 バンテリンゲル塗布。

5月23日(木)前日同様、寝返り時と、午前中数時間は歩行時の痛みが強い。
 夕方以降はほぼ苦痛なし。

5月24日(金)初めて痛みなく起床でき、ほぼ困難なく一日を過ごすことができたが、
 夕食後にソファに座った姿勢が悪かったのか、再び痛みが出てロキソニン服用。

5月25日(土)寝返り時の痛みはほぼなく、起床してからも概ね痛み無く歩行可能。
 5時間勤務を問題なくこなし帰宅、夜も痛みは出ず。疲労感もさほど無し。

5月26日(日)歩行時の痛みはなくなったが、姿勢により右腰にやや痛みあり。



……ということで、原因と思われる労作があってから二週間経過、
寝込むほどの痛みが出た日から数えて、一週間経過。

一撃が来てウっ!という典型的なぎっくり腰とは少し違い、
きっかけ等を考えるとヘルニアかもしれないと思うが、
体を動かすと痛い・起床時が特に痛くて時間の経過とともに体が慣れて来る、
というのは筋肉痛に似ている面もある。
自発痛無し、背骨や腰などを上から叩いてもそれによる痛みの増強は無し、
…ではあるが、これまでのところ受診していないので詳細不明だ。
歩くことは最初からできたが、始めの数日は体をまっすぐ伸ばすことができず、
腰がぐらぐらして絶えず痛みのポイントに当たってしまう感じで、
なるほどコルセットがあれば頼りになるのだろうなと、体感することができた。
痛みの出る角度にならないように、気をつけて動こうとするだけで全身が疲れ、
痛みに反応して体に力が入ることが繰り返されるので更に疲労し、
痛む腰で上体を支えるのは、大変だと実感した。太っているので当然だが(爆)。

今は、全体としては大変良くなったと思うが、まだ全快はしていない。
苦痛というほどではないが、右腰と右脚付け根部分に時折鈍痛がある。
寝返りしたり起き上がったり、歩いたり、トイレに行ったりという、
日常の普通の動作を、「痛くないように」と考えずに出来るようになったのは
ここ数日のことだ。
「信号が変わるまでに渡りたい!」「急がないとバスが来てしまう!」
などの状況で小走りすることも、24日までは痛みがあって難しかった。
昨日と今日は、ようやく意識せずに駆け足ができるようになった。

それと、痛みの経過とは直接関係ないと思ったので上には書いていないが、
実は私は、この腰痛の最中、21日(火)の夜から24日(金)の朝まで、
東京に滞在して、團菊祭を丸二日間(昼夜通し×2回)観劇してきたのであった(爆)。
20日(月)の夜は、とても翌日から東京に行けるような体調ではない、
と進退窮まった気分になっていたのだが、
21日(火)になったらとにかく外出可能な程度には動けたので、
新幹線も歌舞伎座も座っとるだけや(殴)、と考えて観劇旅行を決行した。
出発前の二日間、腰痛のあまり朝も昼も夜も眠って過ごしていたので、
珍しく眠り足りた状態での旅行&観劇となり、結果オーライであった。
道楽の神様、舞台の神様、ありがとうございました<(_ _)>。

その歌舞伎関連の詳細は、また、いずれ。

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セ初!1カ月で借金8から貯金10に/カープ観測(日刊スポーツ)
『<巨人5-7広島>◇25日◇東京ドーム』『▼広島が11連勝で貯金を10に増やした。広島の11連勝以上は84年12連勝、16年11連勝に次いで3度目。4月16日の広島は4勝12敗で借金8だったが、翌日の17日からは24勝6敗1分け。わずか31試合で貯金を2桁に乗せた。セ・リーグで借金8以上から2桁貯金は18年ヤクルト以来8度目。借金8あった翌月に貯金10はセ・リーグでは初めて。』『▼ジョンソンが来日通算50勝目を挙げた。外国人投手で50勝以上は17年ウルフ(西武)以来14人目で、登板100試合目で50勝到達は12年グライシンガー(ロッテ)の104試合目を抜いて最速となった。』

連敗と連勝の今季、一体どうなっとるんか(汗)。
借金8から貯金10までが一ヶ月、というのはセ界初だそうだ(^_^;。
あれこれと変テコな記録ばかり保持しているカープだが、
こういう名誉な話も、無視せず(爆)リアルタイムで書き留めておこう。

4月下旬に、借金8を8連勝で一旦返済したときも感心したが、
そのあと連敗してすぐに借金生活に戻ったので、
「結局、いつもの、5割の壁って話になる訳よねぇ……」
と諦めムードで観ていたのだが、案に相違して、その次に更に良い波が来た。
止まらない連勝はないし、シーズン中ずっと好調だけ、というチームも無いから、
良いことも悪いことも何かにつけて
「今だけ今だけ…(^_^;」
とは思っているが、この際、有事に備えて貯金できるなら、しておくに限る(汗)。

一方、ジョンソンは来日通算50勝、おめでとう(^^)v。
相棒の石原が居なかったら挙げられなかった50勝、
という意味の本人のコメントも他紙に出ており、
ジョンソンの、石原への篤い信頼を改めて感じた。
打撃の振るわない石原に固執せずに、
打って得点してくれる會澤と、もっと積極的に組んでみたら、
とずっと思っていたが、ジョンソンの感謝の言葉を聞くと、
彼には石原こそ無二の人なのだとわかった。
こうなったら末永く、ウータン石原と添い遂げてください(笑)。
石原がずっとカープに居てくれて、良かったのだな(しみじみ)。


↓暫定だろうとなんだろうと、素晴らしい順位表は記念品(^_^;。
セ・リーグ順位(5月25日)
1位 広島 勝28 負18 分1 勝率.609 差-
2位 巨人 勝24 負20 分1 勝率.545 差3
3位 阪神 勝25 負22 分2 勝率.532 差0.5
4位 中日 勝21 負25 分0 勝率.457 差3.5
5位 ヤクルト 勝21 負26 分2 勝率.447 差0.5
6位 DeNA 勝19 負27 分0 勝率.413 差1.5

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先月、見積もりして貰った『広島市固形状一般廃棄物収集運搬業の許可業者』さんに
17日朝、両親宅にて、粗大ゴミその他の搬出をやって戴いた。
9万円の出費は、痛くなかったと言えば嘘になるが、
たまりまくった正体不明の大量のモノというモノを、
綺麗さっぱり運び出して、入居したてのようにして戴いたことは
私にとって金額以上の価値があった。
ゴミ屑だけでなく、賞味期限切れの食品、冷凍冷蔵庫の中身、
自力では処理の難しかったスプレー缶のいろいろ、等々を
業者さんにすべてお任せできたことは、本当に有り難かった。

ゴミ山を構成していた一点一点まで隈無く点検したわけではないので、
両親しか知らない、何か物凄い貴重品があった可能性も皆無ではないが、
それはもう、私には関わりのないことと割り切るほかないだろう。
私は18で家を出て以来、そうしたものどもと無関係に暮らして来たのだから。
さぁ、これでやっと、数十年越しの意味のわからない屑の山と、
異臭の染みついた衣類や家具やガラクタを一掃することができた。
広大な田舎家の、ほんの、一角だけだけどもよ(^_^;。
何であれ、家の主であった夫婦は既に老いて、現役を退いたのだ。
彼らに愛されたものたちも、これにて、さようなら。ありがとう。

業者さんの作業のあと、かねて約束していたダス○ンさんに
DKとトイレと寝室の清掃の見積もりをしに来て戴き、
これまたどうにか予算内に収まりそうだったので、即決した。
作業日は来月以降になる予定だが、
もう腐敗するものや非衛生的なものは残っていないので、
別に焦る必要はないと私は思っている。

…………のは、良かったのだが、この一連の作業で、私は腰をヤってしまった。
15日(水)から腰に違和感を覚え始め、17日(金)にハッキリと腰痛になり、
昨日18日(土)は朝から痛くて、鎮痛剤をのんで仕事に行った。
そして昨夜8時半から爆睡したのだが、今朝は痛すぎて、まともに歩けない。
室内の移動はできるが、腰をまげたおばーさん状態である(T_T)。
じっとしているとさしたる苦痛はないのだが、
僅かでも動いて体に力が入ると、うっっ!と痛いポイントが多数あり、
痛み止めとシップ薬で手当てしているが、急にはどうにもならない。

そもそも12日(日)に、実家と神社の関連の仕事があったときに、
父の寝室の清掃作業に備えて、前から積み上げてあった古い布団を、
何組か、次々と抱えて、奥の和室に移動させたのだが、
そのときに、「重いな、マズいかもしれんな(^_^;」という感触は、若干あった。
それから徐々に、腰痛が出て来て、加速度的に悪化して今日に至っている(^_^;。
痛すぎて外に出たくない状況なので、整形外科などには行ってみていないが、
ぎっくり腰の類いか、前々からあるヘルニアの悪化か(涙)。
「急に来た病気は急になおる」
という我が祖母の教えを信じて、とりあえず安静にするのみ。検索してみると、
『3日は激痛、一週間で軽快、一ヶ月でほぼ完治』
が急性腰痛症の典型だそうだ。

やはり、家は定期的に整頓すべきものだな、と主人が言った。
全くだ。ためにためたものをどうにかしようとすると、体を痛める。
私は尚一層、自分のマンションの整理整頓を重視して行きたいと思った。
今回の処理業者さんも、
「今後ともよろしくお願い致します!」
と言って下さったことだしな(^_^;、片付けるぞ、これからも。
私がキモちよく暮らすためにも、そして娘を急性腰痛で困らせないためにも!

思えば、昨年7月半ばにウィルス性胃腸炎で寝込んで以来、
この10か月というもの、私は、体調不良などほとんど経験していなかった。
相当に疲れが溜まっている自覚はあったので、
そろそろ何か来る、という覚悟はしていた。
よもやそれが腰痛で動けなくなる状況だとは予想できていなかったが、
とにかく休息せざるを得ないことになった。
幸い、今日と明日は何も予定を入れていない。
もともと二連休のつもりだった。
寝るぞ。最低限二日間、何もしない。
それで明後日はどうなるか、The day after tomorrow is another day!

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緒方監督、サヨナラ弾の誠也を絶賛「すごいの一言。さすがカープの4番」(デイリースポーツ)
『「広島9-7ヤクルト」(15日、マツダスタジアム)』『広島・鈴木が今季初のサヨナラ本塁打で試合を決めた。7-7の延長十回、1死一塁からバックスクリーン左へ、昨年8月23日・ヤクルト戦(マツダ)以来となる通算5本目の劇弾を放った。』『試合後の緒方監督は「今日はすごいの一言だね。さすがカープの4番、試合を最後こうやって決めてくれて」と称えた。』『打線は4点を追う九回に鈴木、西川、磯村の適時打、代打小窪の押し出し四球で同点に追いついていた。指揮官は「本当に選手全員が頑張ってくれた。九回の小窪も同点の押し出し四球。前の打者もしっかりつないでくれてね。それしかないでしょ」とうなずいた。』

昨夜は、先発の大瀬良が調子が悪く、援護点をすぐに吐き出し、
「数年前の大瀬良に戻ってしもたな(^_^;」
という出来だったうえ、開幕以来無失点を誇っていたレグナルトまで打たれ、
打線もさっぱり&痛いエラーも飛び出し、もう、早い段階で負けたと思っていた。
それで居間のテレビを消し、主人も私も、それぞれの部屋に引き取ったのだが、
しばらくして、スマホでちらちらと経過を追っていた主人が
「9回裏、同点じゃ(^_^;」
と言うので驚愕した。

ヤクルトは守護神の石山と主砲バレンティンが登録抹消になっているので、
主力を欠いて非常に不利な状態であったことは間違いない。
青木と山田も怪我明けで、到底、万全とは言えない状態での遠征だった。
そのヤクルトに、5点差まで離され、試合は九分通りカープの負けだったのだ。
途中までは、幾度かチャンスがあっても攻め方が荒く、自滅同然だったし、
名手の菊池までトンネルをやらかし、駄目な日は何もかも駄目なもんだなと
観る側としての我々は、悟ったような気分に陥っていた。
しかし、どんな試合も最後まで諦めないのが、カープの身上だ。
昨夜は、それが9回裏の粘りに繋がった。
そして誠也の、4番の面目躍如たるサヨナラホームラン!

これで、カープはついに2位に浮上、首位と1ゲーム差の同率で3球団が並んだ。
まだ100試合ほど残っているこの時期、ちょっと連勝・連敗すれば
簡単に順位が入れ替わってしまうことは、私とて、よく承知している。
これはある日の、瞬間的な順位に過ぎない。
だがプロ野球全体として見るならば、混戦になればなるほど
ペナントレースは面白いのだ。
交流戦まで、できることなら6球団とも、あまり差が開くことなく、
交流戦後には全く別の順位になっているかも!?という状況で
進んで行けると楽しいのにな、と思っている(^_^;。

勿論、地元としてはいつもカープに頑張って欲しいには決まっているが、
しかしこの、最下位から連勝して上がり、また連敗して、
アカンのかと思えばまた勝てるようになり、上がり下がりしつつ……、
という今季の展開に、私はなかなか楽しませて貰っている。

ともあれ誠也、昨夜は貴男の御蔭!最高でーーーす(^^)v!!


セ・リーグ順位(5月15日)
1位 巨人 勝21 負16 分1 勝率.568 差-
2位 広島 勝21 負18 分1 勝率.538 差1
2位 ヤクルト 勝21 負18 分2 勝率.538 差0
2位 阪神 勝21 負18 分2 勝率.538 差0
5位 中日 勝17 負21 分0 勝率.447 差3.5
6位 DeNA 勝14 負24 分0 勝率.368 差3

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「熊本のお母さん、オレやったよ」 広島アドゥワ初完投(朝日新聞)
『(12日、プロ野球 広島 8―1 DeNA)勝率5割に戻すことは出来ても、勝ち越せない。我慢の戦いが続く広島に、開幕戦以来の「貯金1」をもたらしたのは、20歳の右腕アドゥワ誠だった。』『ナイジェリア人の父と日本人の母を持ち、松山聖陵高から入団して3年目。昨季は中継ぎとして53試合に登板し、日本シリーズのマウンドにも上がった。しびれる場面もくぐり抜け、度胸も鍛えられた。この日も六回に連打を浴びたが動じない。「中継ぎの経験が生きていると思うし、生かさないと意味がないと思っている」』『今季は首脳陣から先発候補として期待をかけられた。開幕からその一角を張ることはかなわなかったが、岡田らが調子を落とす中で機会をもらい、4戦目で先発としての1勝目をつかんだ。記念の勝利が母の日に重なり「何もプレゼントを考えていなかったので、ウィニングボールを渡そうと思います。熊本のお母さん、オレやったよ!」。(藤田絢子)』

いや~~、良いものですな、3位に上がり、貯金生活(笑)!!
今季は首位など及びもつかないところから始まっただけに、
こういう一勝が純粋に嬉しく、上がり下がりがいちいち面白い。
下がりっぱなしは駄目に決まっているが、
下がればこそ上がる妙味もあって、これはこれでなかなかイイ。

アドゥワ初勝利、しかも初完投。僅か1失点。
本当によくやってくれた。
「四球出さない・イニング食える」
は理想の先発投手の条件だな、と、しみじみ……(T_T)。
それにしても、先発に起用されて以来、好投している印象だったので、
これがアドゥワの初勝利とは、私には意外だった。
というか、実に気の毒だったのだな今まで(^_^;。
毎回、十分に善戦してくれていたのに、
勝ちをつけてあげられなかったということだね。

アドゥワは熊本育ちで高校は松山、言葉も生活習慣も普通の日本人だ。
しかし素晴らしい長身と、このビジュアルの持ち主なので、
どうかすると、キャリアのある外国人助っ人選手のようにさえ見えてしまう。
去年など、緒方が何かというと中継ぎでアドゥワをコールしていたので、
「外見でつい思い違いするかもしれんが、日本人の高卒や。酷使すんな(--#)」
と私はよく思ったものだった。
しかしアドゥワはその期待によく応え、
記事にもある通り、いくつもの厳しい場面にも登板し、やり抜いた。
そして今年、先輩の薮田や岡田の状態が良くなかったせいもあり、
開幕後に先発として調整しなおして、ついにローテーション入りを果たした。
誰が、どういう巡り合わせで、どう開花するか、……投手人生、様々だな。


先月、中日ドラゴンズがマツダスタジアムに来たとき、試合前に、
ビシエドとアルモンテがアドゥワのところへ行き、
『MLBではどこの球団にいたんだ』
とスペイン語で話しかけていた、……という逸話、かなり好き(^_^;。

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母の日のカーネーションを、実家母に贈り、自分用にも買った。
母の分は、某ホームに直接送るようにしてあるので、
多分、きょうは受け取ってくれている筈だ。
(後日記:2日後「大輪のカーネーションをありがとう」と母から電話があった。)

今年は、いつも買う「連休の花」は無しにした。
なぜならば、主人と娘とで小樽~余市~札幌の四泊五日の旅行に出たからだ。
東京在住の娘のために羽田発着にしたので、
主人と私には、東京での前泊・後泊もあり、
全部で六泊七日を今回の旅行関係に費やすことになった。
ツアコンころもんがすべて手配して、楽しい北海道旅行になるようにと
あれこれと工夫をしてくれたし、忙しい娘もこの旅行のために、
彼女の休暇のうち五日間を割いてくれた。
社会人になった娘と再び旅行に出られるなんて、
これほど長い時間を一緒にいられることがもう一度あるなんて、
私はついぞ、思ってみたこともなかった。
綺麗な景色を眺め、美味しいものを食べ、家族で笑い転げ、
それはそれは、素晴らしい連休であった。

しかし、そうやって充実したオフを過ごしてしまったために、
私は、結局ほとんど休息をしていない。
そのあたりを思うと、やや複雑である(^_^;。
私は何もしないで寝たい、スケジュール無しでごろごろしたい、
英語で言うならveg out(草木のように寝そべって過ごす)
という休日が欲しいと、と長らく願い続けているのだが、
そのための時間は、今回もまた残らなかった。
会社は九連休だったが、北海道から帰った翌日朝、神社の仕事があり、
実家両親がもとの家に来て半日を過ごしたのでその世話もあり、
結局、私が自宅で過ごしたのは5月6日、僅か一日だけであったorz

嗚呼、あちらを立てればこちらが立たず(T_T)。
いや、勿論コレは幸せな愚痴だと承知している。
私はすべてに心から感謝しているのだ。本当だ。

あとは、次回どのタイミングで二連休を実現させることが可能か、
……私は手帳を見ながら、日々、思案している。

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6泊7日の旅行から帰った翌朝だというのに、
9時から神社の総代会があるというので、実家の村に行った。
勿論、北海道で遊んできたのはこちらの勝手なのであって、
神社や総代会の面々には何の関係もないことだ。
私がサボっていた連休中に、総代長さんと副総代長さんは
神社に「令和」や「奉祝・天皇陛下ご即位」の幟を立て、
神社本庁から送られてきた祝賀ポスターや垂れ幕を飾って、
境内を綺麗に整えられていた。

折しも、昨夜、私が神社まで行くと予定を言ったので、母が、
「あんた、家のもんをいろいろ捨てる言うとったよね?
私も、そんならこの機会に古いもんを点検しよう」
と言い出し、両親とも介護タクシーで来て実家で合流することになった。
「あんたには何の値打ちもないもんやろけど、鯨尺のさし(=物差し)とか
置いときたいもんが私にもあるねん。捨てるにしてもお別れを言わな。」

ということで、総代会と同時進行で家のほうには両親が到着した。
神社の用事が片付いてから家に行ってみたら、両親は一応元気で、
母はもとの自室に行って衣類など少し見ていたが、
既に、鯨尺の話は全くしていなかった(^_^;。
父のほうは、もともとモノに対する執着は薄い人なので、
母に言われたので一緒に来ただけだったらしく、
何もせず、寝室でラジオを聴きながら寝転んでいた。

処分の準備のために、私は前に来たときに、
既にあちこちから要らないものを出し、
台所の一角と、ガレージの横の土間とに積み上げていたのだが、
両親はそれらを見ても、特に何も言わなかった。
それどころか、それらを取り出したことにより、
台所やガレージ本体から余計なものが消えてスッキリしていたので、
「まああ、あんた、よう片付けたんやね」
「綺麗んなったのぅ」
と口々に感心さえして見せた。
「初めてここに来たときは、どないしようかと思うたが、
まあ良い具合に整頓してくれて、ありがとうね」
と母など、変なふうに私に礼を言った。

『初めてここに来たとき』というのが、一体いつの話なのか不明だった。
そもそもここは、大昔には納屋や五右衛門風呂、祖母の居室があった場所で、
両親が六十代になってから、地元の大工さんを頼んでそれらを解体し、
新規に建てなおして、「終の棲家」として母屋と連結させた部分だった。
つまり二人は、全くの新築同然だったこれらの部屋やガレージに、
自分たちで、あのようにモノを溜め込んだのであって、
初めて来たとき既に散らかっていた的な言い回しは、
勘違いであり、まさに『何言ってんのこの人』なのであった(--#)。
しかしともあれ、両親が私の断捨離をとやかく言わなかった、
どころか、見た目にスッキリした状態を気に入ったらしかったので、
助かった、と言えば、まあ、そうだった。
ものごとに対して肯定的でいてくれることに、私は心から感謝した。

この日は予めホームの昼食をキャンセルしてあったので、
昼には、村まで唯一来てくれる某ほか弁の宅配で
焼き肉を含む、各種弁当を取り、3人で食べた。
食堂のテーブルも元は悲惨な有様だったのを
私が前回来たときに、何もかも除けて広くしておいたのだが、
母は当たり前のように、食事前にテーブルを台布巾ですみずみまで拭いた。
もとは、そんなにさあっと拭けるような状態ではなかったのだぞ(^_^;。
覚えてないのだろうけどもよ(^_^;。

ほか弁が珍しかったのか、ふたりとも完食した。
私が持って来た伊勢餅(赤福のパッチもん風)もすぐに平らげた。
「元おった家やから、こうして来てみるとすぐ思い出すね」
と母は言った。
ホームに入居してほぼ1年、両親にとって今や、
ホームのほうが自宅になっていることを私は感じた。
ここは「昔、住んだことのある家」程度の存在になったらしかった。
『置いときたいもの』『お別れを言いたいもの』
の話は全く出ず、母はただ、若干の衣類をバッグに入れただけで、
特に持ち帰るものはなく、父などもともと何も欲しいものもなく、
やがて迎えに来て下さった介護タクシーさんに手伝って戴いて車に乗り、
「今日は、ええ日やったね(^^)」
とふたりとも上機嫌で、『帰って』行った。

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歌舞伎座の昼の部だけ観て、さきほど広島に帰ってきた。
詰め込んだ東京滞在であった(^_^;。

あらしちゃん(松緑)の富樫、めっっっっちゃ美しかった!!
強力(荷物持ち)に身をやつした義経を見咎め、さぁっと扇を投げ放って
「これなる強力、止まれとこそ!」
と太刀を手にキマった姿、私の観劇史上、最高の鮮やかさだった。
富樫とは、あのように体の線が美しい役だったのか!!

義経は菊之助、弁慶は海老蔵。
登場したとき、花道七三で見返りのかたちになる義経の、
馥郁たる余韻ある姿、本当に圧倒された。
声も歌うように美しく涼やかで、プリンス菊之助、これにあり!!
海老蔵の弁慶は、以前見たときより年齢が役に出るようになり、
大きさが際立ってきたと思った。
最後の六方まで迫力が全く衰えないのも圧巻。

幕間にイヤホンガイドで音羽屋三代のインタビューがあり、
『令和に期待することは』と訊かれて菊五郎が、
「私から申しますなら、知ったこっちゃない、と(笑)」
と答えており、『ひーま』らしくて実に愉快だった。菊五郎は、
「明治・大正生まれの役者さんから教わったものを、
 昭和生まれの私たちが、平成で御披露した、
 そして、これからの歌舞伎は、今度は息子達世代がつくっていく」
「音羽屋の型を伝えて行く仕事は、今後は倅が致します」
という意味のことを語っており、まさにその言葉通り、
世代交代を目の当たりにした『勧進帳』だった。

あらしちゃんについては、これのほか『曽我対面』の工藤祐経を演っており、
「高座、御免」の挨拶が劇中であって、
大向こうさんから「紀尾井町!」の声が飛び、
辰之助の遺児であったあらしちゃんが、よくぞここまで、
……と歌舞伎座の真ん中で座頭としての役を務める松緑の姿に、
おば(あ)さんファンとして目頭の熱くなる思いだった。
この演目は、実の兄弟である梅枝・萬太郎が曽我兄弟を務め、
特に萬太郎が一風変わった柔らかみのある曽我五郎を表現しており、
なかなか面白い仕上がりになっていたのだが、それにもまして、
私は朝比奈を演った歌昇が巧くてびっくりした。
声の出し方、台詞回し、舞踊としての完成度も高い朝比奈の身のこなし、
猛る曽我五郎を、袖を引いて留めたかたちなど、
首のかしげ方まで魅力があり、可愛らしさすらあって、
「朝比奈のぬいぐるみが欲しい!」(笑)
と私は胸がときめいた。
歌昇にああいう役ができるとは、全く予想もしていなかった。
尾上右近は、『対面』の大磯の虎と『め組』の鳶をやって大活躍だったが、
声が若干、おかしいように思った。
風邪をひいていたのだろうか(^_^;。
女形の大役と、活きの良い江戸っ子の鳶を一度に務めるのは
恐らく心身の負担が大きいことだろう。

『め組の喧嘩』は、音羽屋の旦那(菊五郎)の格好いいところを
存分に堪能させて戴き、もう申し上げることはございません<(_ _)>。
もう若い人たちの時代、……と仰りながら、あの舞台姿!!


團菊祭は今月後半に、また改めて。
丑之助の襲名(+音羽屋と大播磨の、芝居になっとらん幸せな爺ちゃん姿)を
私はまだ観ていない!!

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