転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨年から言い続けていた玄関リフォームを、ついにやり遂げた。
いやはや、やれば出来るもんだ、このシぬほど忙しかった11月後半に!

玄関をなんとかしたい、と思うようになったのは2020年の暮れ頃からで、
「天井までの、(私にとって)危険な収納を、もうやめたい」
と考えたのが、そもそものキッカケだった。
うちのマンションは、玄関入ってすぐのところに、
天井までの大きな下足入れが作り付けになっていたのだが、
背の低い私は、脚立に乗らなければ上段には全く手が届かず、
3人家族の頃でも、こんな巨大な下足入れは無用の長物で、
更に娘が独立して家を離れてからは、主人と私の2人になり、
スペースの無駄使いを日々、痛感するようになっていたのだ。
 

下足入れの撤去と交換、および周辺のクロス張り替え等、
私の思いつきについては、昨年初夏くらいには、
いつものインテリアショップのマダムには話してあった。
ただ当時はキッチンの食器棚を一新することにかまけていたので、
資金的にも一度にやる体力はなく、玄関のほうは延期したかたちになっていた。
だから今年は、春に娘の部屋のリフォームが終わってから、
すぐに玄関レイアウトについては打ち合わせを始めたのだ。
しかし、結果論だが、スケジュールに関して読みが甘かったのである(汗)。
ショップは、夏前から秋の初めにかけてはイベントが続いて多忙だったし、
私も私で、もともと締め切りのない話だし、まだ時間はいくらでもある、
と思って、あまり真剣に進めていなかったのだ。

その後、秋になって職人さんの方々の予約が取れたのもあり、
11月中~12月初旬にはカタをつけましょうか的な話に、一気になった。
私は昨年よりずっと忙しくしていたので、困ったと思ったのだが、
大工さんやクロス屋さんや、大勢の方々が仕事を受けて下さって初めて
こういう工事が可能になることはよくわかっていたし、
今を逃してはまた一から手配のやり直しになり、
せっかく予定してくださっている業者さんを逃してしまう、
等と思い直し、ええい・ままよ!と決行した。

作業は、下足入れの撤去から始まった。
もともと、中身にはろくに靴が入っていなかったので、
整理そのものは簡単で、撤去作業も半日かからず滞りなく終わった。
 

それから、下足入れを小さいものに換えるとなると、
壁紙も新しくしなければならなくなるので、
この機会にと、玄関ホールから続く廊下まで一新した。
入居以来15年、クロスを張り替えていなかったので、
あちこちシミが出来たり継ぎ目が浮いてきたりして、
これ自体は、タイミングとしてちょうど良かったと思っている。
壁紙には私の趣味を大いに発揮して、見切り材を使い
上下で色調や模様の異なるものを貼り分けるかたちにして戴いた。
(↑こんなことを考えつくから、また時間がよけいにかかったのだ(汗))
これについては、先に玄関から廊下の奥まで見切り材をすべて取り付け、
その後にクロスを張っていく、という順序になった。
ちなみにクロスの下半分と天井は、Kioiの「鮫小紋」の緑と白を選んだ。
Kioiは『紀尾井アートキャラリー 江戸の伊勢型紙美術館』の所有する型紙から、
メーカーのリリカラが制作しているシリーズなのだが、
紀尾井町と来れば、松緑贔屓としてやはりシビれるではありませんか(^_^;。

      

そして、念願通り、下足入れの容積&高さがおよそ半分に減ったので、
空いた上半分は大いにデコレーションを楽しむことにして、
ミラーとブラケットライトをつけて戴いた。
ブラケットライトは特に、私には長年の憧れがあり、
家の中でどこかに使いたいと、ずっと考え続けていたのだが、
思いがけず玄関で実現し、とても嬉しく思っている。
玄関は最初、蛍光灯の足下灯が設けられていて、電源が来ていたので、
下足入れを撤去したあと、上の両サイドにそこから配線を引っ張って貰い、
足下灯をなくすかわりに、壁の上のほうに、
一対のブラケットライトをつけて貰うことができた。

私がまとまった時間、在宅していられる日がなかなか無く、
一連の作業と工事は、とびとびに四日に分けて入って戴くことになったが
それでも、午前中の作業が終わったあと大急ぎで村の神社に行ったり、
まだ終わっていないときに用事が入って、仕方なくタクシーを呼び、
私が出たあと、留守宅のまま作業を続行して戴いたりと、
無理矢理な同時進行で、どうにかこうにかリフォームが完了したorz
ショップや業者さんとの信頼関係があったからこそ、できたことだった。
ありがとうございました<(_ _)>。

私は、もう、二度と、決して、秋以降に家をいじることはしない、
と今回は強く固く心に誓った。
秋からの忙しさの程度が、数年前とはもう、違って来ているのだ。
『下半期』プロジェクトなど企画したら身動きが取れなくなる。
あともう少し、家の中で手直ししたい箇所が残っているのだが、
それは来年以降、2月~3月、5月~8月の期間中のどこかを使うことにしたい。
このたびの玄関リフォームの出来映えには心から満足している、
本当に予想以上の素晴らしさで、とてもとても嬉しく思っている、
私の夢が、理想が、いくつもかたちになった、
のだが、本当に、本当にシンドかったっっっ!!

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極端な早朝出発だった11月1日と2日を除き、
フランス語・スペイン語は今月も皆勤だった。
朝食後の朝7時15分~45分を私は毎日のラジオ学習に充てており、
同じ時間帯に、主人が別室でオンライン・エアロビクスに取り組むので、
確実にこの30分間が確保され、聴き逃しがほとんど起こっていない。
有り難いことだ。

一方、ロシア語は今月は一度も(!)聴いていない。
朝の出発前以外の時間帯が、ほとんど私の自由にならなかったからだ。
「らじる・らじる」の聴き逃しなら、理屈では15分間さえ確保できれば
いつでも聴ける筈ではあるが、さすがに道楽語学とはいえ「学習」なので、
ある程度は落ち着いた気分で着席していられないと、聴く気にならない。
12月5日以降、「家で過ごせる」という意味での休日が確保されれば、
ロシア語も再開できるだろうと思っている(汗)。

フランス語は応用編が今の私には本当にちょうど良い難易度で、
文法の穴を埋めるのにも役立ち、気に入っている。
調べてみると、「まいにちフランス語」応用編は、
CEFRのA2~B1(仏検準2級~2級)レベルとのことなので、
私の実感は合っているようだ。
ただ、前も書いたがVrai ou Fauxの聴き取りというか書き取りのところが
解答欄が狭いので、3ミリ角くらいのブロック体ででも書かないと、
空欄にすべての語を入れることができない。
はみ出して「→」でつないだり、解答欄に2行に渡って書いたりしているのだが、
本筋と関係ないところで不自由さがあり、地味にストレスになっている。

スペイン語は入門編のほうが当然のことながら私には具合が良い。
予想どおり、不規則活用動詞が出てきてからは進度が速くなり、
覚えてもすぐ忘れるのもあって、毎回、動詞の活用については
自主的に書いて復習している。
また、直接目的格代名詞、間接目的格代名詞が出てきたので、
語順も意識して言い慣れるようにしないと、
理屈だけでは正しい語順にするのに考える時間がかかっていけない。
復習ユニットの聴き取り問題は、耳だけでは無理になってきて、
Unidad4の復習の回は、ついにテキストを見ながら聴いた(汗)。

いろいろ課題はあるが、自由にならない毎日の中で、
さささやかながら充実したひとときになっているのが、
この、朝のラジオ学習である。
できるようにならなくても一向に困らない道楽語学ではあるが、
続けていれば自分なりの手応えもあり、やはりなかなかに面白い。
以前のように、午後の再放送を中心にしていたら、
今の生活時間帯では、これほど継続することはできなかった。
偶然だったが朝の学習にシフトできたことは、良かったと思っている。
明日からテキストは12月号に入る。引き続き頑張ろう。

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なぜ今年の秋はこんなに忙しいのか(汗)。
例祭が終わってやっと一息つけると思ったのに、
11月7~10日の、夢のような4連休のあとからは、
11日以来きょうまで、「休日」と言える日が1日も無い。
これがまだこのあと12月5日まで続く予定になっている。

仕事内容は、七五三シーズンなので神社の社務所番が大半だが、
御神札の用意とか正月安全祈願祭の日程調整などの社務もある。
正月の、朝から晩までの12連勤と異なり、普段の授与所番は半日程度で、
1日における時間的拘束が短めなので、まだなんとかモっているのだが、
それにしても近年ここまでキツい思いをしたのは久しぶりだ。
コロナ禍から世の中が立ち直ってきているうえに、
村の神社が、あれはあれなりに「繁盛」しているということだと思う。

折しも、先日、副総代長から正月初詣期間中の出勤予定表が配られた。
総代長・副総代長や私、総務・会計といった幹部は全員、
12月31日から1月10日まで全日程に○がついていた。
来ることに最初から決まってるんスね(^_^;。

更に今月は、私が唯一の半休を設定していた17日に、
父の入院騒動が持ち上がった。
そのことも、私の忙しさに拍車をかける結果になった。
あれから父は、某老人ホーム系列病院に入院しているが、
特に問題はなく、私が数日に一度見舞っている範囲では
穏やかに過ごしており、大半、ウトウトと眠っている。
昨日など、目を覚まして笑顔になり、
「数学をしよったんね」
とワケのわからぬことを言った。
寝ぼけた父の設定では、私は高校生くらいか。
スタッフさんのお話によると、食事はできているとのことだ。
病院側は、入院期間をおよそ2週間と設定しているそうだ。
「入院」した以上、順調に経過すればこのあと「退院」がある訳で、
そのように運べばもう、感謝以外のなにものでもないのではあるが、
それはもしかして、私がやっと掴んだ休日にアテて来るんですかねぇ。

ということで、とりあえず先のことはわからぬが、あと10日頑張るorz
「疲れてじゃろう?温泉でも行きたいですね」
と総代長が言って下さったが、
私は、旅に出たいとか飲み会がしたいなどとは、ケほども思わぬ。
ひたすら自室で雑音を遮断して過ごしたい。
誰も来ず誰の話も聞かされない日が、できるだけたくさん欲しい。
時々、インターフォンを壊し、スマホを投げ捨てたい衝動にかられる。
以前はもうちょっと社交ができなくもなかった筈なのだが、
トシとって柔軟性がなくなったのか、最近は、とんと駄目だね(^_^;。

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今朝は、歯医者に行った。
2か月前に、右下5番を治療したばかりなのだが、
ほぼ同じようなことが、左下5番にも起こっているのに気付いたからだ。
すなわち、昔に治療した跡の、詰め物との境目あたりに段差が…orz
痛みは全くなかったが、歯磨きしていて気になるようになったので
診て貰いに行った。

果たして、虫歯であった。
前回の右下5番ほど大きなものではなかったが、
やはり上部の小さい穴に比して、下で虫歯が進んでいたようだった。
削られ、型取りし、仮止めして貰って、きょうは終わった。
10日後くらいにハイブリッドセラミックを被せて完成する予定だ。

検索してみたところ、詰め物や被せ物の寿命は5~7年くらいだそうで、
それよりはずっと長くモっていたような気がするのだが、
そうすると、今年なおした左右の下5番もまた、
今後10年以内には、劣化して何かが起こって来るということね(^_^;。
ハイブリッドセラミックだから割れやすいかもなぁ……。

併せて、右上の歯がまた冷たい物が染みるようになっていたので
こちらも診て戴いたのだが、虫歯はなく、知覚過敏とのことで、
染み止めの薬を塗布して貰って、終わった。
……帰宅して、食事などした範囲では、良くなったような気がする。
多忙でストレスが多くて、おそらく「食いしばり」はある筈なので
こういうのは、なかなか「もうなおった!」とは行かないだろうね。
時間が取れたら、鍼治療に行きたいのだが……。

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松本白鸚が体調不良 十三代目市川團十郎白猿襲名披露の口上を当面の間休演(サンスポ)
『歌舞伎俳優、松本白鸚(80)が体調不良のため、東京・歌舞伎座「十一月吉例顔見世大歌舞伎」の夜の部の口上を19日から当面の間、休演すると同日、松竹から発表された。』

市川宗家の團十郎の襲名において、一門の偉大なる先達として、
襲名披露口上の言わば「仕切り」役を務めていた白鸚だが、
ここに来て、体調不良のため当面、休演する、と発表された。
弟・吉右衛門の死去もあり、気力の面でも体力の面でも、
昨今は厳しかったのではないかという気がする。

白鸚は、私のようなアラカン世代にとっては「染五郎さま」だ。
あの神秘的だった染五郎さまが今や80歳(驚!)、
息子が幸四郎で孫が染五郎、ってアナタ。
『十六年は一昔』どころか、時の流れは本当に一瞬であることよ。

それで、白鸚の代理となると、菊五郎旦那なのであった(^_^;。
本日観劇された方々のtweetを見る限り、
旦那さんらしく鮮やかに見事にお務めになったようで、
初日には新・團十郎を「暴れん坊将軍」と呼んでらしたりしたが、
今日はもう、そういうオフザケもなく、万事、滞りなく……。
俳優協会理事長なので、これは務めざるを得なかったであろう。

なんか、初日以前には、口上には出たくないとかなんとか、
旦那さんが仰ってたとか聞いた気がしましたが、
あぁ、ありゃ夢だ、夢だった、よ、な……(逃)?

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・きょうは父の病院に行けなかった。
午後の七五三のために社務所を開けに行き、これが終わったら、
実家の某用件を片付けるのと、父の見舞いに行くのと、
少なくともどちらかは出来るだろうと思っていたのだが、
七五三祭のあと境内で記念撮影等が始まってしまい、
すべて終了してから社務所を片付け賽銭箱を改め、境内社のほうも点検し、
……と、やっていたらすっかり夕方になってしまった。
予定した用事のどちらも果たせなかった(涙)。そんなもんよね。

・12月半ばの某日、モデルナBA.1ワクチンの予約を入れた。
これがモデルナBA.4-5に差し替えられる可能性もあるが、
モデルナのほうはファイザーより日本での承認が遅かったため、
配付の始まるのが11月末からで、まだどうなるかはわからない。
BA.5自体がいずれ流行の主流ではなくなるだろうし、
BA.1かBA.4-5かと、厳密にこだわる必要までは無いように思う。
従来型にオミクロン系も含めて、全体に中和活性が底上げされれば、
と私は願っているだけで、現時点ではピンポイントで何かを狙う感じではない。
ともあれ、最低限、12月後半にかけてのどこかで、
オミクロン系ワクチンを打っておきたいと考えていたので、
その希望は、一応、叶えられることになった。
自分の一存で家に籠もれる年末年始なら、慌てて打つことはないのだが、
私のは、とんでもない人混みから逃れられない11連勤だからして(大汗)。
四の五の言える次元ではないのだ。もはや、やれることを全部やるしか。

永井龍雲コンサート2022「沸点」配信があることを知り、
チケットを買ったものかどうか、結構真剣に悩んでいる。
配信なんだから家でいつでも観ればいいじゃないかとお思いでしょうが、
配信期間の11月19日(土)~26日(土)は、
私は1日たりとも休みがございませんの(泣)。
このブログでは触れる機会が今までなかったと思うが、
私は、永井龍雲に関しては、地味ながらファン歴が割と長い(^_^;。
永井龍雲、と聞いただけで反応してくださる方は既に同志であるが、
そうでなくとも、この曲のサビならば、
多くの方がご記憶になっているのではないだろうか。
最近のだと『ルリカケス』も名曲だ。
だから、彼の45周年記念ライブを聴きたいのはヤマヤマなのだが、
私の現状では、最初から最後まで気を入れて聴くだけの時間がない、というか、
本気で聴いてしまって翌日シぬ思いをするのではないか、という問題が……。

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きょうは午後から半日、休みのつもりだったのだが、
そーゆーときに限って、事件が、起こるのであった。
昼前、携帯が鳴り、見たら両親のいる老人ホームの系列病院からで、
「お父様が昨日から嘔吐がありまして、入院して戴くことになりました。」

某ホームで一昨日まではすこぶる元気で、よく食べていたのだが、
昨日から倦怠感があり、寝ていて戻したりしたので、受診となった。
病院到着時の腹部CT検査等では、何も異常は見つからず、
現状、熱があるとか、腹痛その他の胃腸症状があるのでもないが、
軽い脱水症状ではあり、当面、点滴で管理させて戴きます、
というのが、病院からの連絡であった。

それで、午後から私は何もかも返上(泣)して病院に行き、
主治医の先生や看護師さん、相談員さん等と面談し、
説明を聞き質問をし書類を書き、今後のことをお願いした。
実は、火曜日に私は赤飯や肉やサラダ、ケーキなどを
久しぶりにホームに差し入れしたのだが、もしかして、
急に濃いものを食べ過ぎたために、
父は調子を崩したのではあるまいか(汗)。
思い当たることと言えばそれくらいだったので、
とりあえず、私はそれを正直に主治医の先生に申告した。
あり得なくもないが、積極的にそれが原因とも言い難いようであった。

ともあれ、年齢的に、できるだけ安楽に過ごさせてやって欲しいという
いつものお願いを再確認し、今後、万が一の事態になっても
蘇生措置等は望まない、という内容の書類に署名した。
父本人は点滴をされてスヤスヤ寝ていたが、
途中で起きて、私を見ると笑顔になり、どこも痛うない、と言った。
しばらく喋ったあと、――と言っても父は寡黙なので
私がほぼひとりで話をしてモたせてから、
「ほんじゃ、おかーさんのほうを見て来るけぇ」
と私が言うと、父はまた笑顔で、片手を挙げてひらひらと振った。
ばいばい、のつもりらしかった。

それから、至近距離にある某ホームに回り、母に面会した。
母のほうは午後はだいたい眠いらしくて、今日も昼寝中であった。
私がスタッフさんに父の見舞いに行った件を報告し、
再度、母の部屋に戻ってみると、母は目を覚ましたが、
ちょうど、聞こえのマシなほうの耳を下にして寝ていたので
私が何を言おうと母にはほとんど聞こえていなかったようで、
しかも点けっぱなしのテレビがサスペンス劇場をやっていて人が死んでおり、
「トイレに行きたいねんけど、どうせ、行ってもあまり気持ち良う出ぇへんねん」
「前は、トイレ我慢して、行ったらよう出てスッキリしよったもんやのに、
今は、そういうこともないようんなって」
「でけへんことばっかりやし、動けへんし、長生きしてもええことあらへん」
「生きとんのがイヤんなって、もう」
「生きとぉことを感謝せえと言われても、でけへん」
という話を、ただただ5往復くらい聞かされた。
つまるところ、寝起きで機嫌が悪かった(爆)。

父の、来週の眼科クリニック受診を取りやめにしておいたのは、
この事態を予想していたからではないが、結果的に大英断であった。
きょう父の病院に行く前に、眼科クリニックに寄って紹介状を貰い
(ホームまで父の保険証を取りに行く時間が全く取れず、全額自費)、
それを持って病院に行ったので、眼科の件は一度でケリが着いた。

この騒動の最中にも私の携帯電話が3回鳴り、
ひとつは七五三の予約だったから事務的に終わったが、あとのふたつが、
「樹木伐採する前に、祟りがないようにしたいので、
お酒と塩を神社から貰ってお浄めしようと思いますが、それで大丈夫でしょうか」
「家の前の、大正時代からある石灯籠を撤去したいが、祟らないでしょうか」
と、いずれも祟られたくない御相談であった。
私は霊能者でないし、それどころか宮司でもないので、
『祟りません』と太鼓判を押すような立場でないが、
悪いものを呼び込むのは往々にしてお気持ちの問題ですから、
お浄めとか御祓いをなさってスッキリされればよろしいのでは……(^_^、
とお勧めしておいた。

ということで、明日から私はまた、神社の店番、
じゃない、社務所番で四連勤だよ(--#)。
こうやって私の束の間の休息さえ泡の如く消えてゆくのであった。

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夜8時を過ぎた。
さすがに、もう、電話は鳴らないだろう(汗)。

************

昼前、仕事絡みで出かけた某ビルで、
用件が済んで帰るとき、私は例によって忙しく急いでいたので、
エレベーターを待つことをせず、階段を駆け下りた。
変なことだけ得意なのは私の常だが(例:素手でアブラゼミが捕れる
背中じゅうどこでも自分の手で掻ける肺機能検査が記録的な値)、
私は「階段を駆け下りる」のが、昔から割と速い。

あからさまに自慢で言っているのだが、生来の田舎もんで健脚なのと、
実家の階段がひどく急だったので、体感として慣れがあり、
それに較べれば世の中の大抵の階段は、とてもラクだと感じるのだ。
実家のは、若かりし頃に転夫ころもんが初めて来たとき、
「怖すぎて、後ろ向きに四つん這いで降りるしかないかと思うた!」
と告白したほど、急勾配の階段なのである。

という訳で今日も私は、誰も居ない階段の真ん中を、
タタタタタタタタタタタタと勢いよく降りて行った。
2階の踊り場から1階へと、最後の階段を走り降りていたとき、
前方にひとりの年配の女性がいて、手すりにつかまりながら
ゆっくり、ゆっくりと降りていらした。
私の足音に、その女性は立ち止まり、振り向いて見上げ、

「あら!まあ!なんて軽やかな!
どんな若い人が降りて来るのかと思ったら!


……自分と同じような婆さんだった、てか(^_^;!?


(しかし、私も本物の婆さんなのでそろそろ自重せねばなるまい。
今のところ思い通りに動けてはいるが、この調子で自分を過信していて、
ある日のこと階段から転げ落ちたら、目も当てられないからな。)

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昨日、コロナワクチン接種券が来た。
しかし、忙しい忙しい忙しいのだ!!
次から次へと、用事と電話がっっ!!
昼間、こんな、自分の用事で出かけるようなまとまった時間は
今は、無い!!
ヤバ過ぎるだろ、これ!!


追記:広島市の予約サイトでは、現在設置されている集団接種会場が
「いつまで」なのかが大変わかりづらい。私が何か見落としているのか?
我が家のかなり近くで先週末も接種を行っていた会場が、
今はもう、予約サイトには掲載されておらず、終わったようなのだが、
そうすると、今出ている会場もある日突然、なくなるのか(汗)。
勝手を言うなら、私は12月半ばを過ぎてから打ちたいのだが
その頃、どこの会場が継続しているかを、今、知る方法はあるのだろうか?
最悪、区外しか残っていなくても、そこに行くしかないとは思っているが。
何しろ私にとって年末年始は、年間で最大の難所であり、死活問題なので。

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夢のようだった四連休のあとは、もはや、
忙しい・時間がない!!
の毎日が戻って来てしまった。くくぅ。

村の神社は、目下、七五三。
予約のほかに、来られて直接に申し込まれる七五三祭もあるので、
神職・巫女・総代会で集まり、朝10時から午後2時、
……とポスターには一応、明記してあるのだが、実際には
朝8時半から夕方4時半くらいまで、神社に詰めている。
この週末は特に、山場であったorz

千歳飴と御守の準備が人数分必要なのは当然として、
御神札をひと御家族ごとに一体、封筒に入れて御用意し、
撤饌(お下がりの小菓子)をお詣りになった方々の人数分と、
七五三のご当人でない、ごきょうだい用の「ミニ千歳飴」もあるので、
それらも要るときにはすぐ出せるようにして篭の中に準備をし、
常に社殿を整頓し、カメラマンさんも来られるので居て戴く場所もつくり、
天候次第では境内の水はけの悪い場所の掃除も要るし、
そういう作業の合間には新年安全祈願祭申込の電話応対も頻繁にあり、
「御朱印ください」「今から御ふだ貰いに行っていいですか」
とかもあって、もうもうもう。

○時までに!○時までに!○○はまだ用意できていないのか!
○○と○○もまだ出来てない!!○○も!?ああああ間に合わない!??
の連続で毎日が過ぎて行く。
手足のようにコキ使える私のクローンが5人くらい居れば、
もっと余裕をもって回せるのだがな。
私はほとほと疲れ、来週予定されていた父の眼科受診を、
某老人ホーム系列病院でやって戴こうと、今朝ほど決心した。
夏に行ったとき、父は心身の不自由のため、必要な検査のほとんどができず、
「大変であれば、次回からは某ホームの系列病院で検診をしてもよい、
何かあればこちらを直接受診して戴くことにして」
と主治医の先生から言われていたので、それに乗ることにしたのだ。

しかしこういう話は、口で言うほど簡単ではないのが常で、
『前回受診時に、主治医から『大変であれば云々』と話がありましたので、
今回からは、系列病院のほうで検診して戴くことにしようと思います』、
と私が某ホームに電話して言ったら、
系列病院の眼科の診察予約はすぐには取れない・たぶん年明け?とか、
これまでの眼科クリニックからの紹介状がないと診られないとか、
いろいろと新事実が発覚した。
『大変であれば……』の話は、夏の受診があまりに無意味だった段階で、
帰着後すぐに某ホームに私は報告し、
その後ケアマネさんにも再三、伝えておいたつもりだったのだが、
どうやらあまり真剣に記憶されてはいなかったようで、
私が今突然思いついたこととして受け取られた、ような感触があった。

それでまた、眼科クリニックに電話して上記の話を伝えたら、
「予約が取れずに間が空いてしまうのは、良くはないが致し方ないです。
紹介状については、春にそちらの病院から紹介された患者さんなので、
4月に治療報告の書面もお送りしてあり、
今回については新たな紹介状は要らないと思っていたんですけど」
という返答であった。どちらにも言い分はあるものね(^_^;。また、
「ホーム系列病院のほうでは眼科の診察は週に何回あるんですか?」
等、状況についても訊かれたが、私自身は全く知らない話で、
答えようもなかった。

聞けば、このクリニックとホーム系列病院は、何もつながりはなく、
先生同士がお知り合いとか、同じ病院から来られているとかでもないそうだ。
だったらなんで、系列病院から最初にここを指定されたんだろうか??
1月に系列病院のほうから私に電話があり、
父本人の希望もあり、糖尿病網膜症の治療をすることになったからと、
この眼科クリニックの名前と電話番号を告げられたので、
私はその指示に従ってやって来たのだが……。

しかしもう私は限りなく面倒になったので、追求は一切やめ、
「4月以降にどういう治療をして今に至ったかについての紹介状が、
あって悪いということはないと思うので、書いてください」
と一存で頼んだ。
私はこれ以上、ホームとクリニックの2箇所に
延々と電話を続けるほど暇ではないのだ。
なんでもいいから早くこの話を終わらせ、
来週の通院介助をしなくて良いことにしたかった。
私が支払をして紹介状を貰えば済むなら、もう全然問題ないのであった。

それでまたホームに電話し、紹介状を書いて貰って私が持参するから、
系列病院の眼科で診て戴けるようにお願いしますと頼んだ。
それから、この受診のために予約していた介護タクシーさんをキャンセルし、
やれ済んだと、社務のほうに戻って、改めてバタバタやっていたら、
またしても携帯電話が鳴り、見たら眼科クリニックで、出たら、
「紹介状のお受け取りには、御本人様の保険証が必要で……」

やってられるか!!
保険証や被爆者手帳、一式は常に、某ホームのほうにあるのだ。
予め電話して保険証を持ち出したい事情を説明し、用意しておいて戴き、
約束の日時に私が某ホームに取りに行く、という手順が必要だ。
それを受け取って、市街地に戻り某クリニックに行って………。
その某ホームが、うちから、どんだけ遠いか!!
だから、だから、私の家の近所の老人ホームに入っていて欲しかったのに!!
ホントに、老人は身元引受人の近所に住んでないと駄目だからね(T_T)!?

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