転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



前半はなんとか聴いていたが、後半が全く駄目になった。
去年のこの時期は完全に挫折していたことを思えば、
これでも今年はかなり頑張ったと言うべきか。

仕事関係の義務や約束にほぼ毎日、がっつりと固められているので、
自分の部屋で趣味の語学などやる暇は、ほぼ無くなった。
それでも朝15分くらい、と思って継続してきたのだが、
朝食後から家の中でも小走りしているような日常なので、
最近では、気づかないうちに放送時間が終わるようになった。
自分比で、とにかくやらねばならないことの量が多く、
どれもこれも実施日時が定められている仕事ばかりなので、
それぞれ、今どこまで進んでいれば大丈夫かを考えて、
先手先手で動かねばならず、常に頭の中が複数用件の同時進行だ。

更に、もうすぐポゴレリチが来日するので(爆)、私はオシマイだ。
今年はオワった、かもしれない(大汗)。

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11月9日から公開されていたことは知っていたのだが、
忙しくてなかなか行けず、きょうの夕方、ようやく観て来た。
フレディを中心としたQUEENの映画が制作されることを
私が初めて知ったのは6年前だったが、最初の企画はそれ以前に始まっており、
主演者やスタッフの交替も乗り越えながら、完成に8年を費やしたとのことだ。
2018年の今、ようやくスクリーンで70年代からの彼らを追体験でき、
長年のファンとして、きょうは本当に幸せな思いをさせて貰った。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』公式サイト

キャストは、いずれも大変に素晴らしかった。
メンバーそれぞれ、実によく雰囲気や特徴を捉えた演技だったし、
ライブエイドの会場の再現も圧巻だった。
このときの演奏は今でも映像で見ることができるので、
映画がいかに忠実に当時のライブを再構築して見せたか、
誰でも検証可能であると思う。

Queen - Live at LIVE AID 1985/07/13 [Best Version](YouTube)

この映画では多くの感動的な逸話が語られるが、中でも、
若い頃も、キャリアを重ねてからも、
メンバーの間にふとした行き違いや諍いが起こるたびに、
その都度、音楽の力が、彼らを再び、結びつけてくれた、
という展開に、私は最も胸を打たれた。
ブライアンがWe Will Rock Youの足踏みと手拍子を披露したとき、
ジョンがAnother One Bites the Dustの冒頭のフレーズを弾いたとき、
彼らは、それまでの苛立ちや口論を次第に忘れ、
目の前に実現されつつある音楽に夢中になった。
彼らは本当に音楽を愛していたし、QUEENは根源で常にひとつだったのだ。
そして、最後に彼らの絆が永遠のものとなったのも、やはり、
あのライブエイドの場で、奇跡のような演奏を共有したからだった。

エンドロールで、実在のフレディがAIDSのために91年に亡くなったことや、
フレディに敬意を表し、エイズと闘う財団が設立されたこと等が流されるが、
この映画の内容のすべてが、事実そのままである訳ではない。
ファンの間で有名であるにも関わらず触れられなかった出来事や、
時系列から見ると必ずしも事実通りでない箇所は、いくつもあった。
特に、ライブエイド前にQUEENが事実上の解散状態になっていた、
というところは最大の脚色で、現実にはライブエイド直前の時期、
QUEENはワールドツアーに出ており、85年5月来日公演は私も聴いている。
ただ、これと相前後してフレディはソロ活動を開始していたし、
QUEEN解散の噂は、当時幾度も囁かれており、
「ライブエイドがあったから、解散が回避できた」
という意味のことは、後にメンバーもインタビューで語っていたので、
物語として、少々の誇張はあっても許されるだろう。

また、フレディの死後に公表された事柄やメンバーの談話からすると、
ライブエイド出演時点ではまだ、フレディはAIDS感染を確認しておらず、
映画の設定のような体調不良の中で実現したステージでもなかった筈だ。
しかしこれも、時期は違うにしても、
フレディが自分の病名を知って仲間にだけ打ち明け、
その秘密が外部に対し、メンバーの間で厳重に伏せられていたのは事実で、
フレディの体調を考慮しつつ行われた演奏があったことも間違いない。
そのあたりを逸話として、ライブエイド出演の場面に集約した、
として理解することは、十分にできる。
ブライアンとロジャーがこの映画制作に直接関わっている以上、
内容的には脚色部分も含めてメンバーも承諾している訳で、
史実通りでない箇所に価値がないとは、私は全く思っていない。

ライブエイドでフレディの歌った曲はどれも、
彼の人生を思うと、実に象徴的だった。
未来の自分に何が起こるか、まだ全く知らなかった筈の時期に
彼はああした曲を書いていたのだ。
歌詞の通り、彼の歩んだ道は決して平坦でなく、彼は生涯、闘い続け、
多くの人々や出来事によって、彼は幾度も、不当に傷つけられた。
けれども一方で、音楽によって結ばれたQUEENがフレディのfamilyとなり、
その彼らを支え続けたスタッフや、生涯の友となったメアリー、
最後の恋人だったジム、皆の愛に包まれて、
フレディの孤独で過酷だった人生の中に、
輝くように幸福な時間もまた、確かにあったのだ。

Love of My Lifeを英語国民でない聴衆が一斉に歌い始めて
フレディを感激させたという場面が映画に出てくるのだが、
実際に、彼らが来日したときのライブでもそうだった。
英詞を、ひとつも間違えずに、聴衆が大合唱してフレディに応えた。
レコードではコーラスとハープで飾られている曲の最後の部分を、
ライブでは、Oooh, Oooh, Yeah---と歌って締めくくるのが
いつものフレディのやり方であることも、
ファンである私たちはよく承知しており、最後までその通りに一緒に歌った。
私たちは、あのとき、フレディを喜ばせることができただろうか。
在りし日のフレディの笑顔、I still love you!と返してくれた彼の声を思い、
私は涙を堪えることができなかった。
あれは、ささやかではあったが確かに、日本の私たちが、
フレディのために出来たことだった。
そのような瞬間を持つことができて、私たちもまた大変幸福だった。
彼と同じ時間を、空間を、共有できた。
改めて、私たちは本当に幸運だったのだと思う。

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転妻よしこ の場合

秋の健康診断の季節がやってきた。
今回は、内科のほか、職場に言われて視力と聴力の検査も受けた。
いずれも、特段の異常は無かった。ありがたいことだった。
忙し過ぎて食事内容にも構っていられず、
体に良いことなど、何ひとつやっていなかったが、
とりあえずなんとかモっており、今のところ壊れてはいないようだった。

ただ、食後240分時点での検査という点を割り引いても、
今回はコレステロールが高かった(汗)。特にLDL-Cが(大汗)。
昼食を取る暇がなく、日常的にコンビニ菓子パンでつないでいたこと、
疲労回復のためと、夕食にインスタントの肉料理を連日、食べていたのが、
さすがに悪かったかもしれない(大汗)。
しかし、わかっちゃいるが、人間、暇でないと節制などできないのだ(^_^;。
そうでなくても、私は美味いものを食べることに一切、関心がないし、
料理は家事の中で、ほかに較べるものもないほど嫌いなので、
ストレスのたまるときに、食生活に手を掛けるなど全く無理な相談だ。

GOT17(前回同じ)、GPT11(前回13)、γ-GTP12(前回11)、
血糖92(前回91)、HbA1c5.5(前回5.4)。
総コレステロール222(前回214)、HDL-C70(前回69)、
LDL-C139(前回130)、中性脂肪104(前回102)、
ヘモグロビン13.7(前回13.5)、クレアチニン0.71(前回0.63)。

去年はいつも低めだった白血球数が、今回は6850あり、
クレアチニンが若干上がり、検尿も潜血±だったので、
また石が出来たのでは、と嫌な気がしたが、
主治医からは「気にしなくてよい」と言われた。
ホンマかいな(^_^;。



転夫ころもん の場合

結論としては、今年後半、主人は胃の不調をついに治療し、
ピロリ菌も陰性になり、自覚症状も改善した。
……ので、結果オーライではあったのだが、
そこに至るまでには、予想していたのと少々違う紆余曲折があった(^_^;。
そもそも、近年、健康診断のたびに慢性胃炎を指摘され、
本人も胃がスッキリしない自覚はあり、ピロリ菌感染も確認されていたので、
除菌治療をしなければ、ということは前々から頭にあった。
それで6月下旬、主人は意を決して、某消化器クリニックを受診し
除菌治療適応を確認し、ボノサップ・パックを一週間分処方して貰った。
クラリスとアモリン、それにタケキャブのセットで、
副作用としては胃腸症状が最も心配されたが、主人はそれとは違い、
服用を開始し数日経ったところで、やたらと倦怠感があると言い始めた。
薬との因果関係は不明ながら、ほかに変わったこともしていないので、
急な肝機能障害でも起こしたのではと、大変心配したが、
倦怠感のみで、黄疸は無く褐色尿などの所見もなかったので、
主治医に報告の上、本人の希望もあり、そのまま7日間を飲みきった。
幸い、飲んでいる間に、倦怠感は薄れて来たとのことだった。

その後、9月になって便中抗原測定法で確認して貰ったら、
ピロリ菌は陰性になっているという結果が出て、一安心したのだが、
それからも本人は、胃の膨満感がある・げっぷが多い、と苦情を言い続け、
結局、また9月22日に消化器内科に行き、内視鏡で診て貰うことになった。
すると、所見としては、典型的な逆流性食道炎と、
いかにもピロリ菌が原因のときにありがちな、
ぽつぽつとしたピンクの斑点を伴う慢性胃炎があり、
さては、前回の検査は偽陰性であったかと、
その場で迅速ウレアーゼ試験もして貰ったが、
やはりピロリ菌の反応は出なかった(汗)

それで自覚症状に従い、タケキャブとアコファイドを1ヶ月分出して貰った。
ピロリ菌除菌ができたあと、逆流性食道炎がはっきりして来る、
というのは、まんざらあり得ないことでもないと、主治医からは言われた。
主人は一応納得し、始めのうちこそ神妙に薬を飲んでいたが、
やがてサボるようになり、一時期やめていたビールも飲むようになり、
いつしか薬袋がホコリをかぶるようになったので、
胃はなおったのか、と先日訊いたら、そうだ、とシレっと答えた(^_^;。
そうならそうと、はよ言わんか!
とどのつまり、彼の数年越しの慢性胃炎は、ついに改善したのであり、
除菌治療は、やはり、やるべきものであることが、わかった。

しかし、彼は今、新たな悩みをかかえている。
それは「尻のえくぼが痛い」。
えくぼ、と言われても、本人がシッカリ太っているので、
尻のどこにもえくぼなど見当たらないワケではあるが(爆)
数週間前から、夕方疲れてくると右側の尻が痛むようになったそうで、
要は、椎間板ヘルニアから来る座骨神経痛のケがあるようだった。
日常生活はできるが、寒い日は、特にじりじりと痛むとのことで、
ロキソニンを飲んだり、インドメタシン配合のシップ薬を貼ったりしている。
ピロリ菌の除菌治療前は、すぐに胃に障るのでロキソニンは飲みにくかったが、
今はそのほうは何ともないそうだ。
整形外科に行け、MRIを撮って貰え、ブロック注射もあるぞ、
と私は再三、言っているのだが、本人にその気は無いようだ。
ヘルニアならば、数ヶ月で自然消退が見られる、
との説に従い、年内は様子を見たいとのことだ。
鍼治療なら行ってもいい、とも言っている(^_^;。

追記:やはり痛かったらしく、主人は11月30日に某整形外科を受診した。
レントゲンの結果および、姿勢と痛みの関連等から、診断は「腰部脊柱管狭窄症」。
当面は、薬で痛みを取りつつ運動療法で様子を見ることになった。
改善がない・悪化傾向、等の場合は、MRIを撮って更に詳しく診てみようとのこと。

追記2:12月15日に主人はMRI検査を受けた。
ヘルニアと脊柱管狭窄症の両方があるとわかり、
若い人と違ってヘルニアの自然消退はあまり期待できないことや、
ブロック注射も効果があるかどうかはわからないこと等、先生からお話があった。
さほど良い情報は無かったが、とりあえず腰痛の原因が
純粋に整形外科的なものであるとハッキリしたことにより、
本人の苦痛の度合いに応じて治療方法を選べば良い、
ということになり、気が楽には、なった。
極端な話、本人がつらくなければ経過観察という名の放置で良く、
もはや一刻の猶予もならぬほど苦痛だと言うなら、手術も可、という訳だ。
当面、痛いときだけ内服薬を使うことになり、この一ヶ月余りの経験から、
内服は朝リリカ75ミリ、午後から痛みが出て来たらロキソニン1錠、
というペースで、だいたいうまくコントロールできるようになった。
それと、以前私がお世話になっていた鍼の先生のところで、
一度に1時間ほど鍼治療をして頂くと、かなり効果が体感できたそうで、
しらばく続けてみることになった。

追記3:正月休暇の間に、主人の「尻えくぼ痛」は、なおった。
徐々にロキソニンを使う頻度が減り、年末年始の頃からリリカも不要になり、
1月になって以来、本人いわく「落ち着いている」とのことだ。
ヘルニア等は状態としては改善していないと思われるが、
自覚症状が軽ければそれで良い。とりあえず、助かった(^_^;。



実家母の場合

母のメンタルについては、私はずっと不安に思っていて、
お世話になっている某ホームのフロア主任さんのご紹介で
10月下旬、ついに某・脳クリニックを受診することが叶った。
問診のほか、MRI検査や血液検査があり、時間をかけて診て下さり、
主治医の先生に、母の長い長い独演会を聞いて戴くこともできた。
母はそれで多いに満足し、「才気煥発な先生だ」と主治医を褒めた。

母は、生来の心配性のうえに認知症が加わっているので、
安定剤で気分を落ち着かせ、夜も眠りに入りやすくして、
これまでまじないのように使って来た催眠剤ユーロジンを止める、
という方針になった。
安定剤を開始した翌日、母は新しい薬への抵抗感からか、
「副作用で膀胱炎になった」
と私に電話してきたが、特に強い症状でもなく、
様子を見るように言っているうちに、翌日には改善し、
その後は4週間、無事に新しい薬を飲み続けることができた。

夜は眠れるが、昼もまだ気怠く眠い、と母は言っていたが、
状態は苦痛というほどでないらしかった。
それで今月20日に、同じクリニックへ再度、行った。
血液検査の結果は、クレアチニンが1.08、ヘモグロビンが10.6である他は
ほぼすべて基準値内で、大きな問題はなかった。
クレアチニンはずっと以前から高いので、いつもの数字だったし、
貧血傾向も急に進むのでなければ、値そのものは年齢的には許容範囲、
と主治医の先生は仰った。

私の見るところ、ここ数週間の母は比較的落ち着いている。
私と話をする限りにおいては、取り乱したりしていないし、
先日、電話をかけたときなどは、自室におらず、
ホームで仲良くなった、他の入居者さんである某おばあさんの部屋に
お喋りをしに行っていたりもした(^_^;。
無口な父のことは放って、友達づきあいを展開しているようだ。
母はメンタルさえ安定していれば、社交のできない人ではないのだ。

母に関しては89歳なので、主観的につらいことがないように
心身ともに穏やかに過ごして貰えれば、とだけ私は願っている。
客観的に見て、自宅にいた頃より母の不定愁訴は減っている。
足腰の痛みもなくなったし、胃腸の苦情も少なくなった。
いろいろと不自由なことや不満なことは限りなくあるだろうが、
母なりにホーム生活に馴染めている様子なので、
とりあえず、家族として嬉しく、有り難いことだと思っている。

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夏の終わりから計画を始め仕事の合間に検討を重ね
インテリアショップやカーテン会社ショールームに足を運び
とうとう本日、LDKのうちのLだけ、一新することが叶った(滂沱)。
ソファかウィングチェアの、いずれかの張地は赤が良い、
と、プランニングの途中で提案したのは娘だった。
絵を描くだけあり、娘の色に関する感覚は私には無いもので、
なるほどこうして置いてみると、彼女は正しかったことがわかった。

家具類はすべて主人が支払ってくれ、カーテンだけ私が買った。
だが、たかがカーテンと侮る勿れ、ソファとカーテンはほぼ同額だった。
休日返上で働き続けたぶんの蓄えの大半を、これで私は放出した(爆)。
見よ、3倍ヒダ・形状記憶のボイルカーテンを!
美しいだろうが!!(←自画自賛)

    

あとは、リビングとダイニングの照明をLEDに変えたい、
という計画がまだ残っているのだが、
それらが揃ったところで、居間は完成としよう、とも思っている。
更に、アートグリーンを置こう・キュリオケースを買おう・
ウォールデコールもあったほうが、……等々と手を入れ続けていると、
かかる費用もさることながら、室内に有るモノが増えすぎ、
部屋全体が「うっそう」とした感じになるので、私は良いと思わない。
室内装飾に私は並々ならぬ関心を持ってはいるが、同時に、
部屋に十分な「余白」を残すこともまた私の理想なので、そこは維持したい。

ちなみにカーテンレールを、窓枠からほとんどはみ出さないように
コンパクトな幅に設定して取り付けるのも、私のコダワリだ。
上の写真右側の中連窓にしたところが、
もし窓枠の左右10cmずつ外側までレールが引いてあったら、
両側の壁面に突っ張りポールを渡したのと
同じような見た目になってしまうではないか。
窓の左右に、余白の壁面がハッキリ見えることは、
私にとっては大変重要だ。

レールは、窓枠より両側とも7~10cm長くするのが「綺麗」ということに
業界ではなっており、カーテンをできる限り外側につけることにより、
窓を大きく、部屋を広く、天井を高く見せるのが、
ひとつのテクニックとして定着している。
しかし私の感覚では、もとの部屋の面積が限られるならばなおのこと、
壁を意図的に見せたほうが、壁は壁、窓は窓とメリハリが出るし、
家具を置いたときにもゆとりが演出でき、好ましいと思う。
つまりは私の極めて個人的な好みの話に過ぎないのだが、
今回は特にその点を厳密にリクエストしてカーテンをオーダーし、
元々あったレールも余分をカットし、取り付けをやり直して貰った。

……ということで、来年は、納戸部屋、じゃない、
私の居室の、家具の入れ替えにいよいよ手を付けたいものだ。
こちらも、居間とほぼ同時進行で夏から計画を立て始め、
現時点で支払はしていないが、既に図面と見積もりは貰ってある。
マンション入居し苦節12年、ついに私がレイアウトした我が居室が誕生する!
このあと、正月休みが一日もない状態で働くのだから、
それくらいの楽しみがなくてはな(^_^;。

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昼の部は『お江戸みやげ』『素襖落』『十六夜清心』。

『お江戸みやげ』は全く初めて観たのだが、
道楽者の私にはズバリ感情移入できるお話で、
時蔵お辻の名演もあり、最後は泣きそうだった。
勿論、御芝居は究極の設定で描かれているので、
実際に私などが、役者さんの私生活のために大金を出すことは無いが、
「見返りなど一切要らない、これこそ私の一世一代のお大尽遊び」
という瞬間が、道楽者であればこそあり得ると承知しているので、
こればっかりはわかる人とわからん人があるよねぇ、
と感慨深いものがあった。
又五郎おゆう、田舎者の気の良い女性なのだが、
大らかでありつつ、ほどを弁えた温かい人柄でなかなか良かった。
東蔵の文字辰の一筋縄で行かない継母ぶりも気に入った。

『素襖落』は、あらしちゃん(松緑)が生き生きと踊っていて、
しかも那須与一の物語の舞踊だけでなく、
最後に素襖を3人でやりとりする愉快な踊りまで、実に見事だった。
團蔵・亀蔵との呼吸もぴったりで、大変楽しませて貰った。
私は大昔、初めてこの踊りを観たとき、
それは誰の太郎冠者だったかは今となっては覚えていないのだが、
記憶に残ったのが那須与一の扇の的の場面だけで、
最後に話としてどうなったのか、結末が、
後になってみると思い出せなかったものだった。
それを考えると、今回の松緑の舞台で、素襖を落とすところを楽しめた、
という手応えがあったのは、我ながら嬉しい発見だった。
それにつけても、笑也の姫御寮の姿の美しかったこと!
次郎冠者の巳之助は、踊りの鮮やかさは勿論だが、
声の明るいのが、やはり大きな魅力だなと思った。

『十六夜清心』は、私には久しぶりの、菊五郎旦那の清心だった。
二十数年前だと思うが、まだ中年期だった菊五郎が清心を演り、
先代の雀右衛門が十六夜、九代目の三津五郎が白蓮、
……という舞台を、私は前の古い歌舞伎座で繰り返し観た。
一階席で観て、三階席で観て、最後は幕見でも観た。
あのときは、清心の美しさにひたすら惚れ惚れしたものだったが、
今回は、もっと深いところ、菊五郎の美意識そのものに見とれた。
この方は骨の髄まで、正真正銘の「色男」なんだなぁ……と。
清心が、お寺の鐘がひとつ鳴ったあと、
「しかし、待てよ…」と悪に目覚めるところは特に、
菊五郎の声の変化も相まって、こたえられない魅力があった。
梅枝の求女は、さきの『お江戸みやげ』の役者・大和屋のときとは
打って変わって、不思議な艶めかしさがあり、
この舞台の「跳んだ」世界にそれが見事に合致していたと思った。
吉右衛門の白蓮も懐深く、「実ハ」大泥棒なのも納得、
時蔵の十六夜も含めて、最後の「だんまり」で皆が並んだところなど、
もう、あまりにも贅沢な配役でどこを観て良いか困ってしまった。

この演目ではもうひとつ、尾上右近が清元栄寿太夫として出ていて、
伸びやかな高音の清元を披露してくれたところも、聴きどころだった。
父上の清元延寿太夫と並んでの舞台。
右近は今回、昼は『お江戸みやげ』の「お紺」、
夜は『法界坊』の「おくみ」も務めていて、八面六臂の大活躍だった。


***************

夜の部は『楼門五三桐』『文売り』『隅田川続俤』。

『楼門五三桐』は上演時間にしたら短いのだが、
吉右衛門×菊五郎で、いきなり重量級の見応え。
吉右衛門の五右衛門は、いかにも歌舞伎らしい華やかさが満載で、
しかも限られた場面にエッセンスが凝縮された舞台姿だった。
左右に歌昇・種之助を使ってしまうなんて、素晴らしい御馳走(笑)。
ここに馥郁たる色男の菊五郎の久吉が上がって来て、
満開の桜・ときは夕刻、ああなんと美しい、宿命の敵同士の邂逅!!

『文売り』は雀右衛門のお洒落な舞踊。
最近とみに、先代の雀右衛門の面影が当代にかぶるようになった気がするのだが、
やはり襲名による内面的な変化も大きかったということだろうか。
若いときから美しかった当代だが、年齢を経てむしろ愛らしさが際立ってきたような。
演目としては、私が思っていた以上にこれは、「しゃべる」舞踊だった、
というのも発見だった。

最後は『隅田川続俤』、猿之助による法界坊。
悪役なのだが、猿之助の持ち味もあって全く憎めない、
実に可笑しい楽しい法界坊だった。
おくみに迫って転ぶ場面など、アドリブで「また折れたらどうするんだ」
と腕をさすっていて、客席にウケまくり(笑)。
ひょうきんな一瞬のしぐさまで、かたちが決まっているところは
猿之助の、さすがの舞踊の実力だと思った。
更に、猿之助は女形も大変に巧いので、双面になるともう独壇場。
種之助が野分姫で、一途な御姫様ぶりが実にキュートで良かった。
手代要助は隼人、優しげだが品格ある若様ぶりがピッタリ、
ちょっと情けないところまで完璧だった(笑)。
甚三の歌六がまた、要所要所で胸のすくようなイイ男!

私は三十年前、菊五郎が初役で法界坊を演ったのを観ている。
あれは年末の国立劇場だった。
確か菊五郎は、舞踊として『双面』をやりたいと思ったら、
法界坊がついて来てしまった、……と語っていたものだった。
演出の面では当時のとは違うところが、今回はいろいろあったが、
懐かしい記憶をなぞるように観ることができ、
観劇歴を重ねた今の年齢ならではの楽しみ方もできたと思う。

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21日と22日の一泊二日で、歌舞伎座を観て来た。
22日の夕方に仕事が一本あったのだが、
際限なく引き受けていたら私の私生活は無くなる、
と思って「断る力」を発揮し、同僚に替わって貰った。

舞台については後ほど書くつもりだが、
今回は歌舞伎座に昼夜通しで座っていたら、
尾てい骨が痛くなって困った。
新幹線はなんともなかったし、帰宅した今も家の椅子では平気なので、
歌舞伎座のシートの角度かクッションの具合が、
私の尻(爆)には殊更に合わなかった、ということだと思うのだが、
いやはや、トシは取りたくないものだと思った(^_^;。
5年前、今の会社に勤め始めてすぐの頃、
ワゴンに足を取られて尻餅をつくかたちで転んだことがあり、
あれ以来なんとなく、尾てい骨付近が変形したのでは、
という自覚症状が無くもなかったのだが、
今回の観劇では寒さのせいもあったのかかなりキた。
次回はドーナツ座布団を携帯する必要があるかもしれぬ(汗)。

写真は、今月の観劇弁当。『楼門五三桐』の図柄。
どういうわけか21日の夜は、歌舞伎座地下の木挽町広場の売店では
お弁当のめぼしいものが早くから売り切れていて、
それなら、たまには御馳走も良いかと、
入場してから劇場一階の売店で、これを買った。
吉右衛門の五右衛門と、菊五郎の久吉という、
ふたりの人間国宝の共演を堪能し、
その幕間には観劇弁当をひとりで存分に味わい、
全くもって、素晴らしい休日であった(笑)。

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広島勢の活躍で侍ジャパン逆転勝ち マエケンも勇姿(日刊スポーツ)
『<2018日米野球:MLB選抜3-5日本>◇第4戦◇13日◇マツダスタジアム』『この日は広島本拠地のマツダスタジアム。侍ジャパン先発の広島大瀬良とMLB選抜の先発で広島に9年間在籍した前田健太の2人で試合を盛り上げ、9回には会沢が勝負どころでバントを決め、田中、菊池のバットで球場のボルテージを最高潮まで上げた。菊池は「打球強かったんで30点くらいです。みんなつないでくれてたんで監督と相談しながら、ああいう形(スクイズ)になりました。今日はマエケンさんと(大瀬良)大地の投げ合いということで僕ら以上にファンの方が盛り上がったと思います」と笑顔で振り返った。』

ポストシーズンからは基本的に豪華な余興、
というのが私の毎度のテンションなので、
更にそのあとにくっついている日米野球なんてもう、
単なる国際イベントだろうと、さほど注目していなかったのだが(殴)、
なんと今夜は場所がマツダスタジアムで、
黒田による始球式、MLB先発がマエケン、打席には菊池、
侍JAPAN側は大瀬良―會澤のバッテリー、
……ということで、手のひらを返したように盛り上がりました(爆)。
すみません、前言撤回、日米野球は、大変有り難いものでした(爆)。
こんな機会がなかったら、この顔ぶれが揃うことはあり得なかったのだから。

更に、その新旧エース対決だけでも感極まる豪華さだったのに、
最後、2点ビハインドで迎えた9回表に、
會澤のバント→田中のタイムリー→菊池のスクイズで逆転という、
まさに、諦めないカープらしい野球を見せて貰うこともできた。
「そうそう、シーズン中にこういう展開が何度かあったよなぁ」
と思い出し、心の中で盛大な『宮島さん』の大合唱が蘇り、
……いやいや(^_^;、これはカープではなく侍JAPANだから、
と一応、自分に言い聞かせはしたのだが、
やはりカープの選手が活躍して勝てるのが嬉しく、
地元として、大変に良い気分を味わった(*^_^*)。

始球式の黒田は、ヤンキースのユニフォームを羽織り、
革靴のままピッチャーズマウンドの手前に立ち、ゆったりと投球し、
引退した選手としての節度を示した姿で、実に見事だった。
黒田は何をやっても彼らしい筋が通っていて、格好良いねぇ(T_T)。
その黒田と握手を交わしたあと、凱旋登板となったマエケンは、
2回1安打2奪三振無失点、わずか22球で投げ終える圧巻のピッチング。
2番打者として打席に入った菊池は、ライトフライに終わったが満面の笑顔、
懐かしいなという思いと、打たせろよというちょっとありましたけど、
抑えられました。最高でした
」(日刊スポーツ)とコメントしていた。

写真は、サントリーの烏龍茶の菊池ボトル2018年版の第二弾。
新井さんと一緒のイラストになっていて、とても微笑ましい。
そういえば今夜は、登板を終えたあとのマエケンが
『栄光の新井さんTシャツ』を着込んで放送席に来ていた(笑)。
マエケンも、新井さんの引退に間に合うように広島に来られた、
という感じがして、なんだか嬉しく思った。
黒田、新井、マエケン、……3人がカープで共有したのは、2007年と2015年か。
本当に懐かしい。そんなに昔のことではないんだけどねぇ。

     

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本日は、休暇だ(滂沱)。
片付けるべき用件や事務仕事はいろいろとあるが、とにもかくにも、
朝から夜まで、時間を決められている予定がひとつも無い。
今朝、起床したとき、
「○時までに現地到着などと、タクシーを呼ばなくて、いい!」
「朝食のあと、まだ家にいて、洗濯と掃除をする時間が、取れる!!」
と思ったとき、どれほど嬉しかったか。
信じられない………!素晴らしい……!!!

一体いつから、休みが無かったのだろうか。
9月30日、台風っぽい雨の日に家に居た記憶はあるが、
少なくとも、10月は広島での休日は、事実上、無かった。
唯一あった二泊三日は、御園座→歌舞伎座の旅で消費した。
忙しいのは想定の範囲内だったが、それでも最初は、自分なりに、
道楽遠征以外にも、定期的に休みが入るように予定を組んだ筈だった。
空白の日が月に最低でも数回は無いと、
心身が休まらないし、雑用だって片付かないからだ。
だのに、私が空いている日に限って、ほかの予定が必ず入り込んで来て、
自由になる日が加速度的に消えて行った。

記念に、自分比で「シヌ」と思った先月の予定表のページを貼っておく。
今後私自身が、何かで自分の生活の在り方に不満を持ったとき、
「この頃よりは、マシ」とオノレに言い聞かせるためだ(^_^;。
この秋のペースだと、この規格のスケジュール帳はもう駄目だ。
到底、書き切れないし、追加・変更等も重なり、
繰り返し書き込んだせいでページが波打ち、ヘリには裂け目が入っている。
世の中、私などより遙かに大変な働き方をされている方々が
大勢いらっしゃることは承知しているが、
元来、「人から話しかけられずに家で一日じゅう過ごす」のが
最高の幸福だと思っている、私のような人間にとって、
連日出ずっぱりで、時間刻みの予定に追い立てられて日々を送るのが、
どれだけ苦痛であったか、誰にわからなくとも、私自身は生涯忘れない。
シンドかったよ~~、マジ卍~~~。

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きょうは、先月末に某ペルシャ絨毯展示会で買った玄関マットの納品日だった。
我が家の、大理石(まがい?)の白い床とのコントラスト、
巾木やドアのダークブラウンとの調和、等々を考慮しつつ、
メダリオンと植物という自分好みのモチーフのものを選んだ。
私が10数年かけて目を養った成果を発揮した、玄関マットである!!

玄関マットを買ったくらいで何を大袈裟な、と人には笑われるだろうが、
過去の転勤生活においては、うちの玄関マットなど足ふきマットと大差なく、
通販カタログに大量に出ている廉価品で済ませていたのだ。
それを思えば今回の品は、自分比で、雲泥の差の逸品だ(^_^;。
「忙殺」以外にはほぼ何もなかった9月10月のヒドい日々を乗り切った自分に、
私は褒美を与えようと思い、これを買ってやった。
o(`・ω´・+o) ドヤ

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もはや、父母ともに自宅には基本的に居ないのだが、
私は当主代理ということで今年もまた、
2日の前夜祭と3日の大祭の両日、手伝いで神社に詰めていた。
今年は、山の上の墓の移転関連祭祀と新墓の地鎮祭とを、
直前の1日に組んでいたので、3日連続の過重労働だったorz
更に、4日のきょうは後片付けで、またまた神社に行った。

3日の例祭当日は、父本人がご挨拶だけでもすべきだろうということで
某ホームから介護タクシーさんに実家まで連れてきて戴き、
神社の皆様に久しぶりにお目にかかり、御礼等を申し上げた。
実質的には私が既にかなりの仕事を肩代わりしているのだが(^_^;、
やはり、当主本人が直接に皆の前に出ることには意義があった。
私があの村で、今、一応の存在を認めて貰っているのは、
ひとえに、老いたりといえども父が存命だからだ。
そうでなければ、長年ヨソの土地を渡り歩いてばかりいた女が、
何の実績もないのに、いきなり皆の一員として扱われる筈がないのだ。
そのくらいの自覚は、私にも、ある(^_^;。

それはともかく、今年は神楽がいつも以上に盛り上がったうえ、
終了が午前0時を過ぎることなく、例年ほど負担感を覚えずに済んだ。
片付けの今日も含めて、この4日間、素晴らしく天気が良かったことも
私にとって幸いだった。
ただ、きょうが日曜日だったため私は会社が休みで、
近年で初めて、片付け作業にフルに参加したら、
なんと作業後に更に反省会があったのが、誤算であった(^_^;。
酒の出る「打ち上げ」などでなく、本物の立派な「反省」の会で、
総代さんを中心に、改善すべき点や要望、意見等、次々と出され、
夕方5時近くまで、地元の重鎮たちによる真面目な議論が続いたのには、
大変感心し、かつ、心底、参った。
熱すぎるぜ(^_^;。

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