転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



娘がテレビを観ている。
番組は、『クイズ・ミリオネア』。
みのもんた氏が、「ファイナル・アンサー?」というアレだ。

私はもともとテレビが嫌いだが、クイズ番組は更に嫌いだ。
この番組は、特に我慢できない。あの、勿体つけた展開が耐え難い。
私は物事てきぱきとメリハリ良く進むのが好きなので、
こういう択一形式であれば正解が即座に知りたいのだ。

だがこれは過程も込みで楽しむ番組だから、
大抵、回答者があれこれと迷ったり、司会者から意地悪ヒントが出たり、
仲間に助けを求めることが許されたり、それで一旦出した答えを撤回したり、
等々で、とにかく時間がかかる。
そして、ようやっと答えが決まったら、もう一度、
「ファイナル・アンサー?」
とジらしておいて、ご丁寧にコマーシャルだったりする。

けたたましいコマーシャルが(私の)忍耐ののちようやく終わったら、
画面はまた、回答者が答えに迷うさきほどのシーンから復習して、
固唾をのんで見守る会場の風景が映り、絞り出すような回答、
ニヤリと笑う、みのもんた、「ファイナル・アンサー?」。

そりゃさっきも観たってば!!正解はよ言え!!しつこいぞ!!!

私の不愉快の理由は、もうひとつある。
この種の番組の司会者の態度、あれは一体、何様だ。
回答者が答えを間違ったからと言って、
「残念!どうして○○を選んじゃったかな~、△%$だったでしょ~!!」

エラソーなんだよ、お前は!司会者だから正解を知っとっただけだろーが!!

アタック25の児玉清あたりなら言っていいかもしれないが、
みのもんたにまで言われると、どうよ?って感じしないか(殴)。

ところで、主人は大学生の頃、
TBSかどっかの昼の某クイズ番組に出ようとして、
その予選を受けに行ったことがあるのだそうだ。
番組中で案内される宛先に、葉書で応募すると、予選日時の通知が来て、
指定された通り会場に行くと、筆記試験があり、
次にディレクターとの面接があった、とのことだ。
クイズ番組に出るための知識とともに、
出演者としての適性・面白さなどもチェックされたのだろう。

私「だけどなんで、そんなもんに応募したの。
そんなにテレビに出たかったの?」
夫「遊ぶカネ欲しさデスよ」(←のだめ(『のだめカンタービレ』)の口調)

このお祭り男が予選落ちだったことは、言うまでもない。

**************

ちょっと調べてみたら、『クイズ・ミリオネア』の、みのもんた氏は、
正解を知ったうえで司会をしているのではないらしい。
勿論、問題によっては、自分の知識の範囲で答えがわかる場合もあるだろうが、
みのもんたの手元にも、直前まで正解は映らないようになっているとのことだ。

思わせぶりに引っ張ったり、ニヤニヤとじらしたりしているが、
彼も、必ずしも、わかったうえでやっているとは限らないのだな(^_^;)?

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今更だが、別冊宝島編集部・編『まれに見るバカ女』を読んだ。
力の入った論評もあったが、大部分は痛快娯楽読み物として、
大いに楽しんで読ませて貰った(←態度デカいです)。

「バカ女」たちは、ギョーカイで生き残っていくために、
他との差別化をはかり自分の商品価値を高める目的で、
意図的に「バカ」を選択している場合が少なからずあるだろうし、
執筆陣にしたところが、一部のフェミニストや市民団体などから、
反発を引き出し外野にさえも声を出させるために、
きわどい表現をわざと選んでいる場面があると思う。
「それなりに『バカ女』をやって来て知名度もあるはずなのに、
ここで取り上げられなかった」、
という人達こそ悔しがるべきではないか(^_^;)。

それより、この本の最後の章『昇天したあの人たちへの鎮魂歌』で、
斎藤澪奈子・宮本美智子・如月小春、
の三氏が取り上げられているのだが、
私は初め、斎藤澪奈子氏を斎藤綾子氏と見間違え、
更に、如月小春氏を内田春菊氏と勘違いして、
「うそ~!お亡くなりになっていたの!???」
と本を取り落とすほど驚いた。

愛より速くとか、
ホモ・ソーシャリティーがどうのとか書いておられたのに、
結核が悪化してお亡くなりになったのだろうか!とか、
ついこの間まで新しい男性と結婚なさったり華々しい話題があったのに、
どうして突然、自家繁殖をおやめになってしまったのか!とか。

落ち着け。

斎藤澪奈子氏と言ったら、アレだ、昔「新潮45」なんかで、
ゴージャスでアッパー、ロウアーだからソフィスティケートされない、
などなどと、ぶっ飛んだことを書かれていた、
叶姉妹のどっちかみたいな、濃い雰囲気の人じゃないか。
調べてみたら44歳のとき乳ガンで亡くなられたとのことだった。

一方、如月小春氏のほうは、83年だったか、東京女子大在学中に、
劇団を結成して脚本や演出を手がけ、脚光を浴びた人だ。
この方がクモ膜下出血のために急死されたことは、
そういえばニュースで聞いた記憶があるじゃないか。

なんのことはない、まれに見るバカ女は私だった。
(しかも内田春菊氏は本編Part2で登場済み。どこ読んでたんだ(爆))

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進化  


夕食後、(私の嫌いな)テレビがついていて、
小泉新内閣発足に関する、街頭でのインタビュー風景が映った。
道行く人たちがテレビ局の取材に応じて、
今回の人事への感想や期待を話していた。

と、その中に、なんだかとても変わった感じの男性がいた。
私には咄嗟に旨く説明できなかったのだが、随分と個性的で、
思わず目を留めてしまうような雰囲気の人だなあと思った。

すると、同じ画面を見ていた主人が、ぼそっと言った。

進化の途中・・・・?

そうだ、それだ!!
画面の人は、言うなれば原人、ネアンデルタール人だったのだ!!!

この一件で、私は不意に、ある本のことを思い出した。
それは、おさる日記

ひとりの少年の一人称スタイルで、ペットのお猿の成長日記が綴られる、
という形式の物語なのだが、この猿が日に日に進化するのだ。
ダーウィンの進化論さながらに、一匹の小さな猿が、
成長に従って知恵がつき、しだいに体毛が抜け落ちて、言葉まで覚え、
最後にはとうとう、ひとりの人間の男の子にまで進化してしまう。
主人公の少年は驚きを持って、この一部始終を書きつづる。
すっかり人間の男の子になったお猿は、
少年の弟として、改めて家族の一員になる。

が、この作品が秀逸なのは、
最後に大変などんでん返しが待っているからだ。
少年はある日の早朝、両親の会話を耳にする。

「本当に不思議なことがあるものだ、猿が人間になるなんて」
「二度も同じことが起こるなんて・・・」

(いや、別に、画面のあの人も
「おさる日記」を書いたとか書かれたとか、
そういう可能性について真面目に語りたい訳ではないです(^^ゞ。
また、失礼過ぎる等々、まっとうな非難は
敢えてお受けしませんので悪しからず。)

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昼前、玄関のチャイムが鳴ったのでインターフォンを取ったら
(この官舎は凄いのだ。インターフォンがついているのだぞ!)、
「某電力・保安部です。四年に一度の点検に来ました」
という声がした。

私はこう見えても用心深い女だ。
もしやコイツ、地元の電力会社を名乗った新手のサギとか、
あるいは強盗なんかじゃあるまいか。
だって、そんな点検が来るなんてこと、営繕課から聞いてないし。

前に、警察を名乗った強盗事件が新聞に載っていたことがあって、
あれ以来、家宅捜査とかなんとか言って
我が家に入り込もうとするヤツがいたら、
すかさず裁判所に電話して「令状出てますか?」と訊いてやろう、
と日頃から思っているのだが、
さて電力会社(を名乗る人間)にはどうやって対応したらいいだろう?

私は、「ちょっと、お待ち下さい」と言ってから、
あたりを見回し、なにか凶器になるものを探した。
傘。これにしよう。変なヤツならこれでどついてやるのだ。
私は手近にあった、その紳士用傘をテーブルの上に置き、
コードレスホンを取っていつでも110番できるようにこれも手元に置き、
更に、逃げ道を確保するためにベランダのサッシを全開にした。

『主婦 お手柄』
などという新聞の見出しが、脳裏に浮かんだ。クス。

そうしておいてから、私はドアチェーン越しに、そっと扉を開けて、
「どこを、見られるんですか?」
と上目づかいで訊ねた。
外に立っていたのは、制服を着て名札を下げた、普通の男性だった。

「分電盤、つまり、ブレーカーだけです」

と彼は恐縮したように言った。
それで私はチェーンを外し、改めてドアを開けた。
玄関に一歩足を踏み入れれば、狭い家の中は丸見えだ。
食卓の真ん中に紳士傘が一本、置かれている、
という異様な家に入って、彼は、ぎょっとしたようだった。

「点検は四年に一度ですので」

と言い訳っぽい口調で言いながら、彼はブレーカーのフタを開けたが、
ちょっと見ただけで、

「あ、異常ないですね。漏電は、してません」

と言って、また、そそくさとフタを元通りにした。
それから、認め印ください、と言って、私がハンコを押すと、
彼は、ほうほうの体で帰っていった。

早すぎる。
もしかして、盗聴器でも仕掛けて行ったんじゃあるまいな?

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娘の小学校は、昨日の運動会の関連で、明日が代休で、
翌火曜日は、もともと予備日だったため
授業は通常通りだが給食がない。
お陰で、私は明後日もう一度、
お弁当をつくらなければならない(--#)。

だが娘は上機嫌だ。
弁当なら嫌いなおかずが出ないし(へえ、そうか?)、
何より、給食当番をしなくていいのが嬉しいと言う。
給食当番の何がイヤかというと、「重い」のがイヤなのだそうだ。
特に、牛乳係。
おかず入れは、帰りはカラになっているからいいが、
牛乳びんの入った箱だけは、帰りも大差なく重いので困るとのことだ。

どうやら今の小学校では毎日、びんに入った牛乳が出されているようだ。
ゴミの減量を優先しているということなのだろうか。
私が小学生の時はテトラパック(三角パック)だったものだ。
厳密に言うと私が入学した頃は、びんに入った牛乳で、
途中から割れないようにとパックになり、
なぜかまた、びんに戻った、という記憶がある。
確かテトラパックは99年頃に製造を終了したと聞いているので、
今の子供たちはあんな形状じたい、知らないのかもしれない。

そういえば、この、牛乳話では思い出すことがある。
十年くらい前だったか、当時住んでいた福岡の官舎で、
ある晩、主人の同期や一期下くらいの人たちばかりで集まって、
皆で夕食をともにして、ビールを飲んで遅くまで騒いだことがあって、
そのとき、どうしてだか、給食の話になったのだった。

どういう牛乳を飲んでいたかで、およその年代がわかる、
と誰かが言った。
それで私が、さきほども書いたように、
びん→テトラパック→びん、という経過だったことを話した。
すると主人が、

「俺の学校は、大きなバケツみたいのに入った牛乳を
給食室で貰ってきて、それぞれのお椀につぎ分けていたぞ?」

と発言したので、皆が口々に、
それはきっと脱脂粉乳だ、米軍からの援助物資だったに違いない、
等々と言いだして、主人はボコボコにされた。
彼がそれまで、自分は昭和40年代後半の生まれだと言っていたのが、
明らかな年齢詐称だと官舎の皆に知られることになったのだ。

と、そのとき、北海道出身の某氏が、のどかな声で言った。

「僕らの町では、給食の時間になると、
 牛を教室につれてきて、乳を搾って、そのまま・・・」

ありえねー!とツっこんでいいものかどうか、皆、一瞬、迷った(爆)。

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のろしが上がったかどうか知らないが、運動会は予定通り、行われた。
朝から、そこそこ良い天気だったので、娘は喜んで出かけていった。

私は、正直なところ、今時の運動会の風潮があまり好きではない。
娘が今、お世話になっている小学校は、
徒競走などが生き残っているから、
まだしも昔ながらの、運動会らしいところがあると思うが、
彼女が転校前に通っていた某小学校など、
『みんなの 笑顔が 一等賞』などというカユい標語を掲げていて、
個人に順位のつかない団体競技ばかりやっていたものだ。

それに、これは転校前の小学校も今の小学校も同じなのだが、
組体操や騎馬戦、棒上旗奪い、
みたいな「危険」な競技が好まれない。
かわりに、民謡調の踊り、創作ダンス、縄跳び演技、
等がハバをきかせている。
ひたすら全員で拍手して終わる種目が主体。
児童たちの一生懸命な姿は可愛らしいし、それはそれでいいけれど、
スポーツの祭典!っぽいところが少ないのが、観ててつまんないです。

もうひとつ、特筆すべきことは、今時の小学校の防犯対策だ。
娘の通っている小学校では、保護者用のテントは一応あるが、
保護者席と児童席はロープで完全に仕切られ、
互いに行き来は出来ないことになっている。
開会前も競技中も休憩時も、児童と保護者が直接顔を合わせることは無い
(中には果敢にロープ越しの対面を果たしているご家族もあったが)。

そして、この仕切ロープは、昼食時間でさえも外されることがない。
ということは、児童たちは持ってきた弁当を自分の教室で食べるのだ。
そして保護者は、保護者席にシート広げて座るか、
昼だけ開放される体育館に行って、自分たちだけで食べる。
ほかの子供たちや、じいちゃんばあちゃん総出で、という家なら、
これでもなんとか雰囲気が出るだろうが、うちの場合は主人と私だけ。
・・・やってられるか!ということで、
我々夫婦は最初から弁当は持参せず、外の蕎麦屋に出かけましたね。

さて肝心の娘は、徒競走で4人中3番になったのが、殊更得意だった。
彼女は圧巻の鈍足だ。3番だなんて僥倖としか言い様がなかった。
それだけで彼女は大いに満足して、今年の運動会もつつがなく終わった。

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警報  


今朝は雨模様だった。
だが、そんなにひどい降りでもなかった。
「このぶんなら、明日の運動会、できるよね」
と娘は小雨の降る空を見上げて言った。

さて娘をいつも通りに広島バスセンターまで送り、
それから一時間半くらい経って、午前九時半をまわった頃に、
娘と同じクラスの子のお母さんから電話があった。

「緊急連絡網です。今、警報が解除になりましたので
 これから、気をつけて登校させて下さいとのことです」

え~っ!警報?何の!?
っていうか、娘はとっくの昔に行ってしまったあとだよ(^^ゞ。

娘が帰って来てから、私は今朝のことを尋ねてみた。
どうやら、今朝は大雨警報が出ていたらしい。
娘が登校したとき、教室は電灯が全然ついていなくて、
『どうなっているんだ?と思ったけど、
体育館に入っていく友達が見えたので、自分も行った』、
と娘は言った。
朝から来てしまった児童たちは、
全員、体育館に集められていたそうだ。
結局、授業は二時間目からだった。

娘の小学校では、朝7時の時点で波浪警報以外の警報が
ひとつでも出ていたら、登校せず自宅待機、
ということになっている。
そして、もし午前9時を過ぎても警報が解除にならなかったら、
職員会議で対応を検討し、クラスの緊急連絡網で指示をまわす、
といわれている。

私は、その手順はよく理解していたのだが、
例によってテレビが嫌いで、朝っぱらからテレビなんか耐えられるか!
ということで、ほとんど点けていないので、
警報が出ていたなんて知りようがなかったのだ。
尋常でない土砂降りとか、台風が来ているという話でもあるとか、
何か異常事態だと思える状況なら、観ていたと思うのだけど。
でも、ああ、やはり人並みに、
テレビで天気予報を見るくらいのことは、せにゃならんのね。

ちなみに、明日の運動会は、朝7時に煙火が上がったら実施
と学校からのプリントに書いてあった。
煙火、たって、アナタ。
我が家は学区外から通学していて遠いから、
そんなもん、あってもなくても、わからんわ(--#)。

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「天動説」の小学生4割 という記事が数日前に出ていた。
国立天文台・他が、20日までに
全国の公立小学校4~6年生を対象に調査したところ、4割が
「太陽は地球のまわりをまわっている」
と答えた、というのだ。

ほほう、それはゆゆしきことだ、と思い、
私も小4の娘を呼んで調査してみた。

私「天動説と地動説、どっちが正しい?」
娘「地動説に決まってるじゃんか」
私「おおお~!キミは知っていたのか!!」
娘「当たり前じゃん。地球が太陽のまわりをまわってるんだよ。
 でも教会の偉い人たちは、長いことそれを認めなかったんだよ。
 地動説なんて唱えていたら、罰を与えます、って厳しく言われたんだよ、
 ガガーリンは


・・・そんな最近の話だったのか。意外だったな。

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今更な話題とお思いかもしれませんが。
エスカレーターに乗るとき、右側・左側、どちらに乗りますか?
空けるとしたら、どちら側ですか?

8月に東京へ行ったとき、
友人Dと喋りながら、エスカレーターのところまで来たとき、
私が無意識に右手を出して手すりを持ち、右側に立ったら、
Dさんが「よしこさん、関西の人ですね」と言った。
Dさんはそこで、
東京の人はエスカレーターの左側に立って右側を空け
大阪の人は逆に、右側に立って左側を空けるものだ、
ということを説明してくれた。

転勤族のくせに、私はそういうことに今の今まで無頓着だった。
もしかして私、片側を空けるという意識が皆無の
鉄面皮おばちゃんだから?と一瞬、我が身を反省したが、
いや、そうではない、とすぐ思い直した。
なぜって、私の頭の中には、はっきりと、
『お急ぎの方のために、左側を空けて、順にお乗り下さい』
というアナウンスの文言が浮かんできたからだ。
やはり、私には『左空け』という感覚が刷り込まれていたのだった。
Dさんのご指摘通り、確かに私は関西人。

では、どうして東京人は左乗り・右空け、大阪人は右乗り・左空けなのか。
ネットで検索していたら、この話題は結構あちこちで取り上げられている。
『なんでもいいから東京の逆にしたいという大阪のコダワリ?』
みたいな指摘もあったが、それは、ま、いくらなんでもイタかろう(^_^;。

東京新聞の『都会の死角 エスカレーターの右空け』
によると、
「東京と大阪で乗り方が異なる理由について、
業界団体の日本エレベータ協会は
『東京は高速道路の追い越しをまねて右空けになった、
大阪は万博の際、欧米から(左空けの)習慣が入った、
などの説があるが、真偽は分からない』としている」ということだ。

この記事にもあるが、どっち空けにするかは、実は各地で異なるらしい。
そういえば、広島は大阪以西に位置するが、乗り方は東京方式だ。
広島バスセンターの、見事な右空け状態と言ったら!
私はこのところ毎朝、娘を送ってバスセンターに行くので、そのたびに、
夏の東京に引き続き、自分の乗り方が逆であることを痛感させられている。

ちなみにネットでちょっと調べた範囲では、
海外でも多少、「右空け・左空け」のバラつきはあるらしい。
メインは大阪方式の「右乗り・左空け」。
ロンドンその他ヨーロッパ各都市、北米の大都市、韓国などで、
「左空け」が徹底しているとのことだ。
万博のとき云々、の話の真偽はともかくとして、
国際基準に近いのは大阪のほう、と言えそうだ。

一方、東京方式の都市としてはモスクワが挙げられていた。
モスクワは地下鉄の発達した街で、
長い深いエスカレーターがたくさんある、
と、大昔に私のロシア語の先生が仰っていたが、
その長大なエスカレーターに、現地の人は、
どうやら「左乗り・右空け」で乗るらしい。

それで私はふと想像した。
モスクワ育ちのイーヴォ・ポゴレリチは、ロンドンに移住したとき、
うっかりエスカレーターの左側に乗らなかっただろうか。
2メートル近い長身の彼が道を塞いで、困った金髪女性が、
うしろから怖々、「Excuse me」と言わなかっただろうか。

・・・・・(^_^;。

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昨夜、夜中の十時半にもなってから、電話が鳴った。
また舅がどうかしたかとギョっとして出たら、

男性「こちら、&$#%と言います。
このたび、NTTが業務縮小することになりまして」
転妻「は?もしもし、どちらにおかけですかね?」
男性「奥様ですか」
転妻「うちはNTT関係と違いますよ」
男性「いえ、そうではなくて。このたびのNTTの業務縮小に伴い、
どちら様も、電話の配線工事を新たにして頂くことになりまして、
そのご説明に」
転妻「こんな夜中にですか(NTTの業務縮小なんて初耳だが?)」
男性「いえ、係の者が伺いますので、
そのお時間を打ち合わせさせて頂きたいと思いまして」
転妻「あのですね。うちは、そんな工事は必要ありませんから」
男性「いえいえ、遅かれ早かれ、どなた様もして頂く工事ですので」
転妻「日本全国、一軒残らずですか」
男性「あ、それはですから、こちらからご説明に伺いまして、
 ご納得頂けましたお宅からということになりますが」
転妻「じゃ、今度、主人にそう言っておきますから」
男性「お宅では、そういうことは全部、ご主人がお決めになるんですか」
転妻「その質問には、お答えする必要ないと思いますけど?」
男性「では、明日のお昼にでも伺いますので」
転妻「昼にいらしても、主人はいませんよ」
男性「ではこれから伺ってもいいですが」
転妻「夜の十時半ですよ?じゃ、こちらの都合の良いときに、
改めて電話します。お宅の会社の電話番号を仰って下さい」
男性「私は、発信担当の者で、この番号は言えません」
転妻「そうですか。では私から明日、NTTに問い合わせます」
男性「そんなら、お好きなように!!」

なぜか、彼は突然に怒って電話を切ってしまった。だめじゃん。

さて、きょうの昼、また電話が鳴った。
昨夜の寝ぼけた配線屋さんのリベンジかと思ったら、

女性「もしもし~、奥様でいらっしゃいますか~」
転妻「どちら様ですか?」
女性「こちら%*○#と申しますが~、
 このたび、お近くに新しく、○○支店を開店致しまして」
転妻「はあ」
女性「つきましてはご挨拶がわりに、
 付近の奥様方にショーツを1枚ずつ、差し上げております」

なんつー脳天気な。
引っ越し蕎麦というのは聞いたことがあるが、
引っ越しぱんつ、というのはいかがなものか。
何屋か知らないが。

どうせ私は、サイズ合わんし(--#)。

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