紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

「北アルプス大縦走」今朝のNHK・TV

2009-09-23 10:50:37 | 8・山と旅の思い出
今日NHKで、北アルプス立山~穂高のジャンダルムまで縦走した映像が流れた。
五色ヶ原、薬師岳、雲の平、槍ヶ岳、槍穂の大キレットを通り、23日間かけて縦走したのは、登山家の田部井淳子さん(70歳)とアナウンサーの内田さん(46歳)。
思わず、鹿児島に帰っている良流娯さんに電話をして、見るようにすすめた。

なんと23日間! 見ている間じゅう、この間の洋服はどうなっているのかと、変なことが気になった。
きっと、途中で誰か荷揚げして、食べ物や洋服などデポしたのかな?  などと考えたけど、どうなんでしょうか。

いやあ、しかし、すごいね。23日間の縦走。
内田さんは、そのような縦走は初めてとのことだったけど、それだけに、見ている方もはらはらしたり、興奮したり。

私の縦走の最長は、まだ若かかりし20歳の頃の10日間。テント泊だったけど。
燕岳から槍ヶ岳を通って、薬師岳まで。

もう槍・穂高の大キレットは、私には越えられない。ジャンダルムまで行くのも無理。
そんなことを考えていたら、やはり、その時に行ける最高の山に、夏山シーズン中には行かなくちゃだめねと思った。
来年には来年行ける、最高の山。

久しぶりに、北アルプスのメイン縦走路を見て、来年は、どこかその辺を歩きたいなあ・・などと考えていた。


<写真は去年登った槍ヶ岳>

 



6 コメント

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Unknown (fujiapple)
2009-09-23 11:17:50
私も見ました。多くの人たちが当然サポートをしているはずですが、それより素晴らしい風景と困難さに感動しました。20台に燕岳から槍までの従走した思い出がよみがえったところです。
槍から見た穂高連峰が記憶に残っています。
今となっては穂高には到底登れませんが槍には再度チャレンジしたい気が湧いてきました。
このようなビデオを見るたびにアウトドアの楽しさが
湧き上がってきますね。
fujiappleさんへ (紅蓮)
2009-09-23 12:54:05
すごくよかったですね。
去年初めて穂高に登ったというアナウンサーの人が、今年はそんな大縦走に挑戦するのもすばらしかったです。
fujiappleさんも若い頃、縦走をされていたんですね。
穂高も、奥穂高なら登れますね。また行きたい!
見てない。。。 (さと)
2009-09-23 18:07:27
あら・・・残念です。
何時からやっていたのかしら?
縦走と言うのは頂上を目指す登山とはまた違うのでしょうね。
ワクワクしながらテレビを見てたのでしょう(笑)
今しか出来ないことをがんばってやりましょう~
山登りとは、、、 (愛ちゃん)
2009-09-23 23:49:18
滅多に 朝のTVを見ることがないのに、スイッチを入れてボーっとしてたら、多分、これが紅蓮さんの言ってた番組かなぁ。

神業としか言いようがないです。

ワンピースやスーツを着た家族旅行の経験しかなかった私は、クラスメートに誘われて、室堂とか、蝶が岳とかに行ったことを思い出しました。室堂から下山する時に金沢大学の医学部の方々とご一緒し、先生のお宅に泊めて頂き、岩をよじ登るフィルムを一晩中みました。
エッ、何がおもしろいんだろう?

蝶が岳では、突然雪山になってしまって、道に迷った私達は、すれ違った登山家の後をたどり下山できました。

一生忘れられない感動です。

夢が広がって、海外青年協力隊の面接にいこうかとか、北海道の牧場での募集に応募しようかと、行動的になった私の人生は、紅蓮さんのようになったかもしれません。

20歳で家業をつぐという大きな犠牲の人生ですべてが終わってしまいました。家業が持ち直した頃、25歳で家をでました。重役の秘書として会社の寮に入り、タダ無我夢中に働きました。

消えた青春。

紅蓮さんが登山に魅了されたきっかけはなんですか?
さとさんへ (紅蓮)
2009-09-24 06:54:48
今朝8時半ころからやってました。
縦走は、山頂をつぎつぎにつないで、登りおりしていきます。
ただ一つの山頂だと、登っておりる、標高差がたくさんあって、楽しいのは一瞬だけ。
でも、縦走は、稜線を歩いている間、たいてい景色がいいので、ずっと楽しめます。大変なこともあるけど。
愛ちゃんへ (紅蓮)
2009-09-24 06:59:53
中学の頃、奥多摩に山登りにいっていたのがきっかけです。その頃、お金もなく娯楽もなかったので、男の子女の子一緒に楽しく過ごせる遊びでした。

それから、大学時代に北アルプスに出かけたりしたのは、その延長でしたが、あまりに大変な倶楽部で、中途退部しました。
また間があいて、子どもが小さかった頃、山登りをするグループに入って再開。
その子どもたちが大きくなると、一緒に行かなくなって、でもまだ家で放っておくことはできなくて、またしばらく山を離れました。
子ども達が自立した頃、介護があったけれど、その合間にまたまた登り始めました。以来、今も続けているけれど、今度はいけるところまでいこうと思っています。もう中断したら、次はないでしょう。年齢的にね。

蝶が岳も立山もよかったでしょう? 今でも簡単な山からトレーニングすれば登れますよ。

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