こころは自由と不自由を行ったり来たり、のびのびしたり萎縮したりを繰り返しながら少しずつ少しずつ人はこころの自由度を高めていくようです。老齢という言葉が浮かぶ頃になって自由度が加速度的に高まるのは、たぶん体の不自由と反比例しているというか、こころと体が対をなしてその人の全体のバランスをとろうとしているからでしょうか。よくできていますね。
加齢による体の不自由がこころの不自由を招いているようなケースも、人に本来備わっている全体性へのバランス感覚を取り戻すことさえできれば体は不自由でも、それまでの人生で味わったことのない自由と喜びを経験できる、そんな可能性を秘めているのです。
自由の尺度は人それぞれ、生育史の数だけ人の数だけ様々な形をとることでしょう。私はときどき「今のわたし、ちょっぴり萎縮しているな」とか、「なかなかいい感じ、、」とか。こころで呟いていますが、独自の好い兆候を感覚で掴んでいるので、それに照らして「なかなか好い(良い)感じ、、」と、ささやかに自画自賛するわけです。
小さく小さく、少しずつ。こころの自由度を高めていけたらと思います。(地上を生きる魂)
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加齢による体の不自由がこころの不自由を招いているようなケースも、人に本来備わっている全体性へのバランス感覚を取り戻すことさえできれば体は不自由でも、それまでの人生で味わったことのない自由と喜びを経験できる、そんな可能性を秘めているのです。
自由の尺度は人それぞれ、生育史の数だけ人の数だけ様々な形をとることでしょう。私はときどき「今のわたし、ちょっぴり萎縮しているな」とか、「なかなかいい感じ、、」とか。こころで呟いていますが、独自の好い兆候を感覚で掴んでいるので、それに照らして「なかなか好い(良い)感じ、、」と、ささやかに自画自賛するわけです。
小さく小さく、少しずつ。こころの自由度を高めていけたらと思います。(地上を生きる魂)
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