こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

故郷の、楽しみ

2018年06月24日 | 自己実現
夏になると故郷へ出かけます。
車を駆って1千キロ余り、けっこうな距離です。

あの人この人と旧交を温めたり、一度は東京にも出て、
最低でも2週間の滞在が必要だったのが、
年々滞在日数は減って今年などは一週間を切って、それも
大忙しというのでもなく諸々の予定が上手くはまり余裕がありました。

月日が流れて環境が変化する中で私の行動が変化する、
年齢を重ねる中で私の感じ方も変化する、
変化するものしないもの、いろいろですが、
年に一度の、故郷ならではの心の流れがあるようです。

今年は土地の持つフィーリング、私は故郷からどんな感じを受けるのか。
そんなことを意識したら、習慣化して少し億劫だった帰省が、
いつになく新鮮に感じられたのでした。

10代の頃からの友人とは、向き合ってコーヒーを飲みながら、
ああでもこうでも、たくさん話を聴いて、言いたいことを言いました。
交流が始まって十数年になる友人とは、ローカル線の小さな旅をして、
車窓を眺めながら、あれこれ語り合いました。

それぞれの友とのそれぞれの時間、とても個性的で味わいある時が流れます。

それぞれの友人と話の流れや中味は全く違っても、
自分が同じ言葉を発していることに後になって気付きます。
「人それぞれなのよ」「人によって、皆違うのよー」
だから面白いのよ、と思うのですが、つまるところ、
私は私と、言いたかったのかもしれません。

人々と会話して、本当に心がすっきり晴れやか。
明日への活力になる時間を過ごすことができました。
故郷へ往復する20年のうちに、少しずつ、でも確実に、
幸福曲線への間口は広がってきたようです。
生き甲斐の心理学の学びと共に。。。^^)
〔49〕
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日常生活が、研究室

2018年06月11日 | 自己実現
生き甲斐の心理学においては、
日常生活が研究室である。本当にそうです。
日常の中で、朝から晩まで、一日中、
研究材料に事欠くことがありません。
ストレス曲線と幸福曲線を行ったり来たりする感情、
思考は心と魂の領域を行き来して、
見える世界と見えない世界を感じて考えて。
内的活動を注視することにおいてはマインドフルネスにも重なります。

日常の感情生活では小さな感情の起伏を、
意識するともなく意識しながら生きていますが、
時として、今、焦っているなとか、ちょっとした拒否感とか違和感、
幸せな感じ、嬉しい感じを意識することもありますね。

感情をあるがままに見つめるとき、
「私の」感情という感覚は薄れて、感情と同化せずに、
落ち着いて眺めることができるように思います。
感情を否定も肯定もせずに見るということが、
前はものすごく難しく感じられたことが、
ちっとも難しいことではなかったと、気がつきます。

体験を解釈するのは言葉によってですが、
解釈する以前に、感情を感じることを大事にしたいと思うのです。
感じることを無視して、思考のみで、
理想と現実のギャップを埋めるべく明るく解釈したところで、
そのような統合は頭の中だけで思考が満足して終わってしまうかもしれません。

「明るい解釈」は身体のレベルまで降ろさないと意味がないのでしょう。
感情をあるがままに見つめ、しっかり感じられること。
こころと身体が一致した明るい解釈のために、小さな感情の起伏から、
あるがままを見つめ感じることを日々意識して過ごしたいと思うのです。
〔47〕-2
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一年ほど前に、きっかけになったマインドフルネスの本
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体験の意味を考える時

2018年06月09日 | 自己実現
何の意味があるのだろう?

こんなことが私の身に起こるなんて、どうして?
何の意味があるのだろう?

体験の意味を考える。私の体験を解釈する。
体験の解釈が世界を変えると云われていますが。

人には“解釈の傾向”というものがあって、
傾向に沿った解釈をして人生の日々は過ぎてゆきます。
傾向に沿っているとは思いもせずに、です。

最近いろいろなことに遭遇しながら、といっても、
日常の小さな起伏を体験する中でのことですが、
これらの体験は、体験の解釈の傾向をあらためよと、
それでこんなことが起こっているのではないかと、
体験の解釈の変化(進化であり深化?)を促されているのではないか?
私の中に、そのような解釈が生まれました。

内的世界における新たなステージへの脱皮。。。ですね。

ふつふつと深奥で何かが動きだしています。
すでに解釈の傾向が変わってきているのを感じますが、
これまで現れていなかった何かが表にでてくるような気もして。
推移を見守ることにしています。
〔47〕
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小雨の朝

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