こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

遠い昔の、感情体験

2011年02月28日 | 無意識の世界
某サービス業の場所は、いつになく気ぜわしい雰囲気でした。
予約が立て込み気持ちが焦っていたのか、いつになく手際がぞんざい。
客としてこちらに非はなく、そのような態度をとられる覚えもない・・・
後味の悪さと不可解な感じが残りますが、ふと、理不尽なこの感じ、
遠い昔の同質の感情体験の記憶がよみがえりました。

小学校低学年の頃、毎日曜、ピアノの稽古に通うのにバスを利用していた頃の話です。
片道20分ほど、田舎のバスはワンマンカーになる直前で、
停車案内や切符切り、ドアを開閉する女性の車掌さんが同乗していました。
高度成長期、騒々しい春闘が恒例行事の労働運動が盛んな時代です。
ある日、子供の私がステップを降りきる前に車掌がドアを閉めようとして、
腕がドアにぶつかり痛い思いをしたことがありました。
なぜそんなことをするのか? 理由は解らなくても、子供心に、
なんとなく反感をもたれていて、故意にやられたことは感じます。
後年、優待パスを使うような子供と敵対関係にある親に対する反感の
八つ当たりというか、憂さ晴らしのような行動だったと理解しますが、
この体験は忘れられない印象的な出来事として心に残りました。

不可解な感情を向けられた、一つの原型体験といえると思いますが、
些細な出来事をきっかけに、理不尽なことをされたときの感情体験がよみがえり、
40年以上経ても変わらない自分しか知りえない個性をしみじみと思ってしまいました。

同質の感情体験、身体の記憶が原型体験を呼び覚ますとき
このような無意識の意識化は、自己分析して解釈する必要もなく、
昔と変わらない感情傾向を自分の内に認める、ただそれだけで何かが納得される感じ、
感情と身体のレベルで小さな自己受容をもたらすことがあるようです。

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やる気がでないとき

2011年02月24日 | 五感と体感
どこが悪いというわけでもないのに、
動くのが億劫で、なんとなくやる気がでないとき。
この心境を、前にも書いたことのある80自性の分別の心に照らすと、
“なにごとにおいても煩わしく感じる心の動き”と、ずばりと表現されています。

80自性の分別では、心の動き(意識)の乗り物がルン(気)と考えられていて、
なにごとにおいても煩わしく感じるときは気が弱い状態なのだと、明解です。

だったら、気が弱まっているなら気を強めてやればよい。
または不足しているなら気を入れてやればよい・・・単純なことですが、
やる気がでるのを焦りながら待つことも多かったので、なるほどと思いました。

どんなに億劫でも、なんとか気功の起点の構えにさえもちこめれば、
ゆるやかな動作をしばし続けた後には、やる気がでているから不思議です。
気が弱まっている状態のときは、思考で意識を変えようとするよりも、
身体感覚からアプローチする方が上手くいくようです。

身体と心を統合させるのに、心の動き/意識を
気の強弱で吟味する方法が、私にはしっくりきますが、
やる気、気遣い、気がいい、気が短い、気楽…等々、
「気」の付く言葉をたくさんもつ日本人には馴染みやすいのかもしれません。

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統合の、体感

2011年02月23日 | 五感と体感
ある一日、午前中は図書館まで車を走らせ、
源氏物語を楽しむ講座に参加して、平安貴族の世界に思いを馳せました。
外でランチの知人たちと別れ、早々に帰宅、
午後は、昨日から始めた春野菜のための畑の準備の続きをします。
スコップで深く溝を掘り枯れ草を敷いた上に鶏糞を置く方法は知り合いから教わりました。

午前中はみやびの世界に空想を膨らませ、午後は身体を使って野良仕事とは、
一日のこの両極端のような行動を、我ながら面白く思います。

本当に自分のやりたいことであれば、それを存分に楽しんだ後は、
次の行動へのスイッチがスムーズに切り替わるようです。
やりたいことを為すために、思考と感情と行動が統合されてゆくと、
それ以外の日常のルーティンワークにも、それなりに気が入ってきます。

日常生活の、折々の目的に向かって心身が集中してゆくときの体感、
心と身体が目的に向かって統合されてゆくのは、とても気持ちのよいものです。
日々のささやかな統合…この積み重ねこそ悔いのない人生の大事な要素かもしれません。

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私が私になる過程

2011年02月22日 | 未整理
悔いのない人生への道のりは、誰にとっても
「私が私になる過程」と同時進行していくようです。
私が私になるとはどういうことでしょう?

「私が私になる」というとき、目標に置かれる後者の「私」は、
日々湧いてくる感情を豊かに体験して、自らの要求を正直に意識化できる私です。
人は誰でも、健やかな感情生活がないと自分にとって本当に大切なものがみえないし、
自分の本当にやりたいことや、人生の目的もなかなか見えてきません。

「私が私になる」以前の私は、成育史で身に付けた理想や価値観に縛られていたり、
偏った感情処理のために自分の中にある答えが見え難くなっています。

生き甲斐の心理学は、「私が私になる過程」の案内人のようなものですが、
感情生活を見直す中で、成育史で身に付けた傾向に気付きだすと、
自分の中で、こんなことが起こっていたのかと驚いたり、腑に落ちたり、
体験を理論に照らす作業を進める内に、自分にとって、
本当に大事なものとそうでないものが、どんどん明確になっていきます。

人生の目的が定まってからも、「私が私になる過程」は生涯続きます。
いつでも進行形で日々更新されるべきこの過程を、
出来るだけ丁寧に、ここで綴ってゆこうと思うのです。

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宇宙の摂理にまかせれば…

2011年02月19日 | 第9章:愛
なんだか釈然としない・・・あまりに調子がよすぎない?と、
誰かのことを、ため息まじりに呟きたくなるようなこと。

理性的に眺めれば、釈然としない私の方がヘンだと思う・・・。
ため息つくなんて了見が狭すぎると頭では分っていても、
感情的には納得できないということが人生では起こります。

そんなときは、了見の狭いことを自覚しつつ、
神さま(宇宙、サムシングゲレート…)におまかせしてしまうのも一つの方法です。

散々な目にあわされたといったところで、こちらが勝手に振り回されたのだし、とか、
私はなんて小さい人間なんだろうとか、自分を責めたり評価するのは苦しいだけで、
平安感からも友好感からも遠ざかるだけ。何の解決にもなりません。

感情というのは、説得しようとすればするほど頑なになるようです。

その人のことは神さまとその人の問題で、私のことも神さまと私との問題なのだから、
すべては、神におまかせ!と、いっそ神さまに下駄を預けてしまうと、
今ここでの平安感が得られます。

この応急処置のようなつもりの神頼みも、続けてゆくうちには
いつの間にか釈然としなかった思いが消え去って、
その人のことを、よかったねと心から祝福して呟いていたり・・・
ふしぎですが、いつの間にか自分の方が変化しているのですね。

素直に自分の感情を認めて、自分の手には負えないと思ったら、
後は神さまや宇宙の摂理にまかせてしまう・・・自分を責めることよりも、
今ここでの平安感に心をつかうのが、他者肯定のいちばんの近道ということもあります。

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原因の先にあるもの

2011年02月17日 | 第9章:愛
人生とは~である。生きてゆくためには~が必要である。
人は~を大事に生きるべきである などなど。
他者の言葉や世の中の価値観に出合って、
不意に心がざわざわしはじめたら、そのときこそ、

私は、どんな人生を歩みたいのか。
どう生きたいのか。何を大切に生きていきたいのか。
これらの問いを考える、またとないチャンスです。

どんなに知識と経験豊かな先達の言葉でも、それがそのまま当てはまる
人生など一つもないので、どんな人生を歩みたいか?
何を大切にしたいのか?この答えを見つけられるのは、私しかいません。

人は折々の都合によって、愛によっても、様々な言葉を投げかけてきますが、
その言葉で不安感が引き起こされたなら、その時は、
私は何を大切にしたいのか?この大事な自問自答を始めるだけです。
相手が今ここで、そのように語らずにはいられない愛を想いつつ、
私は私の道をゆく・・・不安感は、いつでも大事な道しるべです。

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何に“気”をつかう?

2011年02月16日 | 第9章:愛
どうしてこうなっちゃうんだろう?
何か問題にぶち当たるたびに悩みだす私。その原因を探ろうと、
人は「私」を理解するために、成育史を辿りだしたりします。
なるほど、、と成育史の心の要素を発見する過程は驚きの連続ですが、
心の仕組みを学び、「私」を掘り起こすのには長い時間がかかります。

流れゆく時の中で、生き物である心を扱うのだから、
これは生きている限り続く作業だと思っています。

成育史を掘り起こす作業では、気をつけないと知らず知らず、
今ここでの感情を生きることから遠ざかってしまうことがあります。
“子供の頃、こんなふうに感じていたなあ”“あのとき、すごく寂しかった…”とか、
過去の感情体験ばかりに気をとられて、今ここでの感情が疎かになってしまうのです。

「私」探索を楽しく続けてゆくために、時には思考を休ませることも必要です。

今日は久しぶりに、母から教わった甘酒を仕込んでみました。
しばらく思考としての探索はやめにして、五感の記憶を楽しみながら、
今ここでの感情をのびのびと生きることに、大いに気をつかいたいと思うのです。

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暗雲におおわれたなら

2011年02月12日 | 和解と平和
体験の解釈が世界を変える・・・この言葉の意味が年月と共に、
なるほどなあと腑に落ちて理解できるようになりました。

過去の出来事の見方、その体験の解釈は、
現在の幸福曲線(明るい感情)とストレス曲線(暗い感情)の
感情体験の度合いに大きく左右されるものなので、
自己肯定的に明るく解釈できていたことが、
ある日、突然モクモクと暗雲の解釈に心を占領されて、
奈落の底に落とされたような気分におち込むことだって、
多くはありませんが、たまには起こります。

解釈がひっくり返るときは、それまで気付かなかったことに、はっとする、
無意識の意識化によって、新たな視点を得て起こることが多いので、
思い込みが壊されて、自己否定的な解釈が自己肯定に変化することもあれば、
自己肯定していたことにハタと疑問が湧いてきて、
これまで考えてもみなかったような別の解釈がでてくることだってあるわけです。

そんなとき、暗雲に覆われながらも心の片隅では、なぜか
“ああ、また一歩進む…プロセスを進んでいるんだ”と、つぶやいている私がいます。

ポジティヴなものが生まれるための、前触れとして湧いてくるネガティヴなもの。
今はこれまで以上に、より深く広やかな自己肯定、他者肯定の解釈が生まれるための、
一時的な暗雲を体験中なのだと思い描ければ、それだけで痛みは和らぎます。

自己肯定、他者肯定の解釈の鍵を握るのは、いつでも今ここに生きている私です。
今わかったこと、見えてきた感情を大事にしながら、以前にも増して広やかで深い、
自己肯定と他者肯定の感情が生まれてくるのを静かに待ちたい、そんな時もあります。

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旅する、ハミング

2011年02月07日 | 魂と聖霊
ときどき、気がつくと無心にハミングしてしることがあります。
運転しながらのときもあれば、台所で食器を洗いながらということもあって、
心で自動選択されたメロディーを、ひたすらハミングしているというふうです。

世界ふれあい街歩き この曲をハミングしながら・・・
体を離れて飛び回る、自由な魂のイメージに安らいでいる自分を感じます。

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想像の、世界ふれあい街歩き

2011年02月06日 | 五感と体感
NHKテレビの「世界ふれあい街歩き」が、好きです。
映し出される異国の街の風景に見入りながら、
自分が旅をして、歩いているような気持ちになります。
見る前は、それほど興味がないと思っていた国や街でも、
気が付くとカメラと一緒に、興味津々で路地裏探索を楽しんでいたりします。

このようなリアルな想像のひとときは、思う以上に、
精神衛生にとてもよい効果があるような気がして、
中途半端でなく、徹底して想像の世界に遊んでしまうと、
マンネリズムの日常に、新鮮な空気が注入されるのを感じます。

こういうのを妄想の効用というのかもしれませんが、
想像の世界で遊ぶことが上手くなると、それは意外に、
現実の世界を、地に足をつけて確実に歩むことにも繋がっていくような気がします。
想像は想像、現実は現実と、明快な分離が体験的に了解されるにつれて、
その人のこの世で生きるべき現実の足場の方も、徐々に強められてゆくと思うのです。

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